桜の網 八話

631 桜の網 ◆nHQGfxNiTM sage New! 2008/08/03(日) 17:21:47 ID:4ZqADMF4
「――負け犬は消えろ」
 亜美が向けた切っ先は間違いなく桜を貫いただろうと、悠太は思った。
 兄妹だから家族だからよく意味が分からない、なんてもう言えない。二人が自分に対してどういう目を向けているか、もうさっきのキスで分かったからだ。
 必然的に世間一般で言われている修羅場だと理解する。しかしいまだ動くことはできない。地面に根が生え、それが指先さえも絡めている。
 この喧嘩を――止めなければならない。
 でも、すぐに躊躇させられた。どちらを注意すればいいか分からない。
桜を負け犬呼ばわりした亜美を止めるべき、なのだとは思ったが、しかし元を辿れば亜美を挑発したのは桜だ。
 ならば二人ともを諌めるのが正解か。――いやしかし、本当に悪いのは妹ではなく彼女たちの気持ちも知らず無神経な言葉を放ってきた僕だ。
ならば、原因を作った者が注意をするなどピエロよりもたちが悪い。
「お兄ちゃん」
 顰めた顔で見た亜美の顔は街灯が点滅しているため見づらかった。光ったり消えたりを繰り返している。
「私、ずっとあなたのことが好きだった」
 もう、驚かなかった。見上げてくるはずの視線は黒く、亜美の顔には闇がぺとりと張り付いていて逸らすことさえ許さない。
「……」
 悠太は何もしゃべらないことにした。
それが最大限、この場を丸く収めるためにいいだろうと考えたから。想いに応じるどうこうとは別に、今それを語ることは悪寒を誘ったとういうのもある。
しかし亜美は陳腐な考えを許すほど少女ではなかった。
「だから、ずっと私と一緒にいて。……ほかの誰でもない、私と二人だけで」
「…………」
「黙っているってことは……いいってこと?」
「……僕らは兄妹」
「本当の兄妹じゃないのは貴方もわかっているはず」
 二の句も言わせない、そんな意志が伝わってくる。目からは想いという矢が放たれ悠太のすべてを貫く。
 頭はもう何をどうしていいのかわからず、状況すら放棄して本来の家に帰りたくなってくるほどだ。
すべて放り出して、白石に子供らしい愚痴を聞いてもらって優しく諭してもらう。それができたらどんなにいいか。
「とにかく……家に帰ろう。もうここにいる意味なんてない」
 一瞥された桜はぴくりとも動かなかった。長い髪をたらして幽鬼のように佇んでいる。亜美はその姿を見てほくそ笑んだが、それにすら彼女は反応しなかった。
 ――勝った。
 亜美の笑みの理由は確信だった。
この女がどんなことを兄にしていたかは知らないし知りたくもないが、どうあれ私の兄に対する愛情はこいつに勝っているようだと確信したのだ。
亜美ならここは平然と佇んで言い返す。何かしらの感情の変化など見せないし、腹を立てることすら負けたことの証明だと思うからだ。
 おそらく、桜は腸が煮えくりかえっているのだろう。――いい気味だ、そのまま死んでくれればいいのに。
 街灯だけが舞台から降りられない役者のように桜を取り残していた。悠太は妹に手を引かれ、彼女とはどんどん遠ざかっていった。
 悠太は心配になって、形だけと受け取られるだけかもしれないけれど呼びかけて反応を見た。
でもそれも意味がなく、ついには視認することもできないほど彼女は小さくなって消えた。
 下を向いて何を考えているかわからない姿。
 何となく追いかけてくるような気がしたのは願望だったろうか。
 公園から出ると、一気に視界が明けたような気がする。
 ただ、本来の家へと続く道は暗く左右にある冷えたコンクリートは迫ってくるように道を圧迫していたが、冷静になるのには十分だった。
手を引かれ続けているのは不格好だが、いろいろと考えをまとめるのにはちょうどいいかもしれない。悠太が頭を巡らせる。
 まず――――亜美の想いに答えるのは不可能だ。
 そんなことを意識して見たことは今まで一度もなかったし、本当の兄妹じゃないという事実があろうと、悠太にとっては家族であることに変わりはない。
本当はどうだ、ということなど関係がないのだ。小さなころから妹として見てきた彼女を今更そんな風には見られない。


632 桜の網 ◆nHQGfxNiTM sage New! 2008/08/03(日) 17:22:18 ID:4ZqADMF4
「あれ――――」
 そこまで考えて、自分の考えが矛盾したことに気づいた。
 本当のことなど関係がないというのならば、なぜ自分は桜のことを拒否したのだろう。本当は妹だということが関係ないのなら、応えてもよかったのではないか。
 いや――でもそれは近親相姦になる。
 ……なら亜美は問題ない? いやそんなことは。
 そもそももう桜とすら本当の兄妹かどうかなどわからないのだ。血縁のことだけ考えるなら、亜美も桜も変わらない。
 こう考えてしまうのはやはり――僕は桜に惹かれているからだろうか?
「あ、亜美。痛いって」
 急に手に力が込められたので、ずんずんと前を歩く妹に声をかけたが帰ってくる言葉はなかった。壁だけが後ろに流れていく。
異様に静かな周囲は亜美の代弁をしているようで、それが尚更さっきまでの思考を読まれているような錯覚を引き起こしてくる。
そして最後の角を曲がって、もうここまで来れば後は家まで一本道というところで、やっと亜美が止まった。振り返って強い態度で見つめてくる。
 ……ここまで来たら言わなければならないだろう。悠太は先を制すように口を開いた。
「亜美、いくらなんでもさっきのあの態度はよくない」
 けれど、まずはさっきの桜に対することを叱らなければならなかった。答えを悟らせるにしても悪くない言葉の始め方だった。
「そんなことは……どうでも……いいの」
「どうでもよくないよ」
「…………」
「いいかい、桜も悪いところがあったけど――」
「うるさい」
 ばちん。
 闇に快音が響いた。
 悠太は何が起こったのか一瞬理解できない。目の前から亜美が消えて――なぜか目の前には灰色の壁が映っている。
 ぱちぱちと何度も瞬きした。しかし、まだ自分が何をされたのかがわからない。
 何秒か遅れて、じんじんと頬が痛み出す。
 そこで初めて何が起こったのかおぼろげに理解できてきた。
 亜美に殴られた……?
 恐る恐る、見てみるといつもと変わらない亜美がそこにいる。安堵して――無意識に一歩だけ彼女から遠ざかった。
 ばちん。
「何で逃げるの」
 しかし再度平手が鞭のように悠太を襲う。
 彼の遠ざかった一歩とは全く違う距離を亜美は詰めてくる。胸が当たって、いつもならば注意するのに、また殴られたこともあってかそれができなかった。
 まるで昨日までは親友だった友達がいきなりどこかに転校していったような気分になる。
 この女の子は誰なんだろう。
 悠太はもう今日何度目かの疑問を心に灯した。
もう数メートル歩いて家まで行き、ただいまといったらここにいる亜美とは別の亜美が迎えてくれんじゃないかという錯覚さえする。
「亜美?」
 だから、そんな事を言ってみた。
 疑問を口にすれば夢が覚めるんじゃないかと思ったし、誰それ? と目の前の人物が言ってくれるんじゃないかと期待した。
「ああ――」
 でも、しがみついて、くる。
 腰に手をまわして、胸をこすりつけ、すんすんと鼻を鳴らして悠太の匂いを嗅いでくる。
「いい――匂い」
 陶酔したような禁忌だけがそこにあった。
「もう――――絶対に……」
 離れるということが頭に浮かばなかった悠太を誰が責められるだろう。
 それだけの驚愕だったし、それだけの混乱だった。恐怖、だった。


633 桜の網 ◆nHQGfxNiTM sage New! 2008/08/03(日) 17:22:49 ID:4ZqADMF4
 …………もしここで彼女を拒絶してしまえば、何か良くないことが自分に起こる。
そんなことはいい。それぐらいはわかるし、自分の身は妹のためならば捨てても惜しくはない。
 でも、そういうことではなくて。
 拒絶して、彼女が今よりももっと他人を寄せ付けないようになってしまったら、一体だれを頼るというのか。
 むしろ褒めていいはず。
 ここまでの困惑と動揺に身をさらしながら何とかそこまで頭を回転させた自分は、きっと立派だから。
 時間だけが、緩やかに通り過ぎてゆく。
 何も言葉はなく、音もなく、闇だけが一組の兄妹をじっと見て笑っていた。
 その間に亜美は自分の匂いと兄の匂いを調合でもするかのように、公園にいたときと同様に悠太のシャツをまくって腹を舐めしゃぶっていたが、咎める者は誰もいるはずもない。
 くちゅくちゅと、淫らな音だけが闇に溶けて消えた。
「亜美さん」
 そうしていくらの時間が経ったのか、気づけば後ろから桜の声がする。
 反射的に悠太の体がびくりと体がはねた。恐る恐る首を回せば、もう立ち直ったのか先ほどと同じように日傘をさして佇んでいる。
 顔は笑っていた。
 穏やかに静かに。亜美が今こうしている間にも何事もなかったように一心不乱に肌を吸っていることにすら何も触れない。
変だなと思う反面、これは怒っているからこそ笑顔なのかと邪推してしまう。
 対する亜美は何も返事をしなかった。
 まず興味がなかったというのがある。
今更追いついてきて何を言おうが別にもう構わなかったし、何よりも自分の方が兄に対する気持ちは強いとわかった今、彼女のことなど、どうでもよかった。
 ずちゅう。
 さらに愛撫の熱もこもる。舌の腹で思いきり下から上に唾液をこすりつけるようにしてマーキング。
回した手を決して離さないようにしながら背中に入れて、より自分と密着させた。
 けれど、それでも桜はなにも反応しなかった。
 悠太は邪推してしまったことが間違っていたのだろうかと思いなおし、どちらにしろ、この状況は先ほどと同じなので早く亜美を引き離そうと強引にもがく。
「そこまで言うのなら――――、一緒に暮らしませんか」
 ぴたりと止まった。
 桜の発した言葉の語尾が周囲に響き、二人の耳を走り抜けた。
「……何?」
「西園寺の家に来ませんかと言っているのです。もちろん白石も一緒に」
 にんまりと笑った顔はもがいていた悠太から亜美を引き離すことを簡単にした。
 亜美が一歩前に出ると、またくるくると日傘が回りだした。白の日傘は闇に溶けて、対照的なはずなのにどこかきれいに映る。
 生暖かい風が三人をゆらゆらと揺らしだす。
「聞こえなかったのですか」
 別に何も悪辣なことを言ったわけではない。なのに、亜美はひどく黙したまま目の前の敵をにらみつけている。
 みんなで西園寺の家に住む。
 それは決して悪いことじゃないはずだ。むしろ悠太はずっと望んでいたことだったし、
桜や亜美に好意を告白されたとはいえ、今ですら家族が離れ離れなんておかしいと思う気持ちに変わりはないのだから。
 それに彼からすれば、一緒に住んでいれば二人を仲直りさせてあげることもできるように思えたし……諦めさせることもできるかもしれない。
 ただ二人のこととは別に懸念がないかといえば、嘘になる。
「桜、白石さんのことがあるから、それはできないんじゃなかったの」
「もう大丈夫になったんです。少し、使用人の数を減らしましたから」
「なら何で最初から」
「貴方がそれを口にするの?」
 悲哀が含まれた言葉だった。それにつられて悠太は何も言えなくなってしまう。
 視線が絡まった。
 物憂げな瞳が悠太をまた複雑な気持ちにさせたけれど、今は思考の外に追い出してどういう意味か考える。
「でもたぶん、こう言ったって兄さんの考えることは間違っていると思うんですけどね」
 元より女心をわかるようならば、女達がここに並んでいることなどないだろう。
 置き去りにされた悠太は、ひとまず詳しく話を聞こうと先を促した。
「亜美さん、どうしますか」


634 桜の網 ◆nHQGfxNiTM sage New! 2008/08/03(日) 17:23:25 ID:4ZqADMF4
 しかし、そんなことを許すほどには亜美は寛容ではなかった。
「行くわけ……ない。わざわざ豚小屋に行きたいなんて……思わないもの」
「なら、まだ約束の三カ月までには少し猶予がありますから兄さんはこちらの家に戻って頂きますよ」
「それも……もう駄目」
「言っておくけど、それ以外の選択肢はないわ。私がここに一人で来ているわけがないことぐらいは、その小さな脳みそでも考えられるでしょう」
 矢のように鋭くなった視線。
 見回しても何も変化はないが、それを悟らせるような者たちではないのは西園寺という名を考えれば当然だ。
 どこからか舌打ちが聞こえる。
「なんで急に……そんなことを言う?」
「あら。私を負け犬呼ばわりしたんだもの、あなたのことをもっとよく知りたいと思うのは当然じゃなくて? 心配しなくても、悪いようにはしないわ」
 くくっ、と鳴らした声は本当にうれしそうに届く。嘲りか歓喜か。日傘もたたまれた。
 すっと伸ばされた手。
 掴む者は誰もいないのに、それすら桜は愉快そうに楽しんでいる。日傘を持った手で口元を隠す。
でもそれすら満足にできていないのが、今自分は蔑まれているんだ、という事実を亜美にはっきりと抱かせた。
「亜美、僕もそれがいいと思う。やっぱり家族は同じ家に住むべきだ」
 けれど。
 けれど今、どちらの手に悠太がいるか。それを考えれば侮蔑も遠吠えも同義だ。
 亜美は悠太のシャツをまくり、さっきつけたばかりのキスマークをを見せつけるようにして答えた。
「わかった……いいよ」
 本当に一瞬、桜がぴくりと動く。日傘を持った手が僅かだけ上下した。しかし何か起こるはずもない。あわてて悠太がやめさせたが既に遅かった。
 まだ言葉も終わっていない。
「けれど、条件がある」
「……住まわせてあげるのに条件ですか。まあいいでしょう。何ですか」
「お兄ちゃんと……私の部屋は一緒にして。それと……西園寺に関する資料をすべて……見せてもらう。
……あと……すべての部屋に自由に出入りさせてもらうから。あと……屋敷の間取りも用意して」
 これには悠太も驚いた。
 白石の電話によって西園寺に関することを知りたいと思っていたが、亜美もそうだとは。
 ……いや、そうと決めつけるのは早いかもしれない。誰でもあんな大きな屋敷に行くのなら少しでもそこのことを知りたいと思うのは自然だとも言える。
 何より亜美も父親だけならば桜と同じだ。
 桜はしばし考えているようだったが、やはりかぶりを振って答えた。
「二つ目は承諾できませんね」
 当然といえば当然だ。見ず知らずというわけではないにしても、財閥そのものにもかかわることを漏らすわけがないと誰にでも容易に考えられる。
悠太とて教えてもらえなかったのだから。
 それよりも、部屋を同じにするというのがよしとされたのに悠太は驚いた。
 他の女と話すだけでもヒステリーを起こすほどだったのに、あっさりと亜美と同衾するのを許すとは。
「なら……行かない」
 とはいえ、承諾できないとの返事がされた以上亜美も腰を上げようとはしなかった。
 悠太がいくらなんでも無理だと諭すと、西園寺の資料といってもあの屋敷に関することだけでいいと告げてきたが、悠太はそれも難しいだろうと考えた。
心の片隅ではそれがうまくいけば自分の推測が間違っているかどうかがわかるかもしれないという期待もあったが……。
「自分がどうなってもいいのかしら? 貴方だけってわけでも、ないかもしれないわよ」
 もうこうなると脅しに近かった。
 桜に悠太をどうこう出来るはずはないと思っていたが、亜美は悠太に視線を渡して協力を仰いでみる。
「桜、僕からもお願いするよ。条件を呑んでやってほしい」
「なぜ私に頼むのですか。その子にひとつ我慢させればいいことじゃないですか」
 もっともだ、と思う。けれど、どうしても本当はどうなのかという真実が知りたい。
桜が本当に桜なのか。そもそも彼女は何者か知りたくてたまらない。
 目をそらしたが……おそらく桜は咎めているだろう。


635 桜の網 ◆nHQGfxNiTM sage New! 2008/08/03(日) 17:24:00 ID:4ZqADMF4
「……まあ、いいでしょう。すべての条件を叶えてあげます。それで、西園寺に住むというのなら」
 悠太がほっとして胸を撫で下ろすと桜はまだ彼を見ていた。
 言いたいことは――わかる。
 でも、家族だから――――尚更。
「では、屋敷で待っていますから」
 白のドレスが踵を返して立ち去っていく。
 悠太は白石を連れていくのはどうするのかと問うと従者が車を回してくれるらしいので、それで亜美とともに屋敷に行くことにした。
 悠太はひとまずどっと肩で息を吐き、これからのことを考えた。
 屋敷に帰ればまた、様々なことを考えなければならない。桜のこと、亜美のこと……西園寺のこと。
 すべて終わるころにはもう夏休みは終わっているのだろうか。もう今の関係は変わっているのだろうか。
 家族という絆にも、変化があるのだろうか。
「待って」
 桜が見えなくなろうとしている時、亜美が唐突に声を上げた。桜は聞こえなかったのかそのまま歩いて行く。
 悠太は手をつかまれて、桜を追った。
「どうしたの」
 声をかけるが返答はない。
 もしかしたら、仲直りでもしようと考えたのか。儚い願いが沸き起こるが、そんなものは願いでしかない。
「まだ何かあるの」
 追いつき回り込んで、先をさえぎるように立ちふさがった亜美。連れ立った悠太は、境界線のように間に立っている。
 また、街灯の下だと思った。
 公園のときと同じように、まるで勝者を決めるリングのように地面をぼんやりと照らしている。既視感を抱かせたのはきっとそのためだ。
 はあ、とまずため息がここまで聞こえてきた。怒りすら通り越して、まるでかわいそうなものを見るようなニュアンスさえある。
 桜はうんざりしたような響きを言葉に持たせている。当然だ。条件をのみ、立ち去ってあげたというのに何をこれ以上望むのか、死にたいのかと思ったほどだった。
「最後にひとつ……お願いがある」
 憮然と言い放った亜美に対してついに、さすがにここは怒った方がいいかしら、とわざと言葉に出す。
日傘を持った手にも力を込めたが、悠太が先に亜美に対して言葉を紡いだため矛先を収めた。
「違う……こいつにお願いがあるんじゃない」
 すべてを見越したように亜美が笑った。それが、二人に対しての警鐘だった。
 公園の街灯の下、勝ったのはどちらだったか。
「条件があるのは……お兄ちゃんに」
「え、僕?」
 蚊帳の外にいた悠太も土俵に上る。
「お兄ちゃん……悠太くん……さっきの返事…………聞かせて」
「――――」
 亜美は、獰猛だ。
 まるで狼のよう。一度怯んだ相手に対して容赦というものがない。
 この状況で、悠太が答えられないこと――断れないこと。そしてその後。すべてを計算して行動している。
 断られる、と分かっていたのかもしれない、先ほどまでなら。
 でも、今ならば――。
 悠太の心の中にある、家族という気持ちの憧憬。その大きさ。すべて知っている。それが歪とはいえ、叶おうとしているのだ。
本当に生まれたところで、ということもある。
悠太はずっと西園寺なんか、西園寺なんかと愚痴をこぼしていたが、そのように不満を口にすること自体、気にしている証拠だと亜美は知っていた。
「今、ここで……こいつのいる前で聞かせて……でないと、西園寺にはいかない」
 だから、断るという選択肢がない今、答えは一つしかない。
 無表情なくせに、今この瞬間、亜美は誰よりもほくそ笑んでいた。

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最終更新:2008年08月03日 23:49
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