姿見村 第三話

680 姿見村 ◆DS40EWmSfc sage 2008/08/08(金) 13:17:50 ID:wbDf1Uq2
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 園子とのセックスは格別だと宗佑は思う。
 男特有の射精の後の冷めた自分を気にしなくていいし、相手に嫌われないための意味のないセリフを吐く必要もないからだ。
 けだるい感じが全身を覆っている。腰がわずかに重いのは、犬のように浅ましく尻を振りまくったせいだろう。汗が全身にべとついてそれだけは少し不快だ。
 服はどうしたんだったか、そう考えて辺りを見回すと、ふと自分の二の腕を枕にしている園子に目がいった。
 荒い息はすでに整えられている。乱れた髪も今は手ぐしで伸ばされたのか緩やかに背中に垂れていた。腕に当たっている感触もある。
「やっぱり兄さんとのセックスは麻薬だわ」
 ぼんやりと見つめ返してくるその姿はまるで赤ん坊のようだったが、宗佑には今の園子の気持ちがよくわかる。
 ……実の妹と結婚することに抵抗がないのかと聞かれれば、ないとは答えられない。
好きや嫌いということではなく、好きな男とも結婚できない妹が可哀そうだと気持ちが先行してしまうから、好意の感情はそれに被さって沸いてきてしまう。
 しかし、セックスは。
 日々重ねる体は兄妹だからか、今までの中で経験したこともない快感があるのだ。
その快感の渦に身を沈めていると道徳は鈍ったし、何より園子自体がそれほどに嫌がってはいないみたいだったから、もう薬物のように癖になってしまっていた。
倫理はもうコーヒーの中に入れた砂糖ように薄れて見分けることなど不可能に近い。
「もうすぐ昼だな」
 自分で言って宗佑はまだ昼にもなっていないということに初めて気がついたような錯覚がしたが、よくよく考えてみれば母親に会ったのは十時頃だ。
 園子は驚いているのかいないのかよくわからない声で、あらいけないとだけ呟くが、そのまま動こうとはしなかった。
「いいのか? もうすぐ昼飯の支度があるんじゃないのか」
「そうね。多分そうなると思うけど」
「だったら、早く行った方がいい」
「ええ、そうね」
 園子は言葉とは裏腹に起き上がろうとする気配はない。あれだけの快感を伴う情事だから余韻も大きいのだろうか。股間には宗佑の精液がこびりついている。
 宗佑は何か言うことはやめて、横になったまま瞼を下ろした。彼女のことだから母親に怒られるようなへまはしないはずだ。
いやそもそも彼女が怒られるという姿すらあまり想像できなかったのだが。
部屋に蝉の鳴き声だけがしっかりと響いてくる
「絹のようね」
 園子は起き上がって宗佑の頬を人差し指で撫でた。言葉がゆりかごになったのか、宗佑はもう眠ってしまっていた。
「あなたはいくつになっても変わらないわね」
 園子はそう言って、夫になる男にキスをしてベッドから降りた。フローリングがひんやりと冷たい。
 園子は床に転がっているブラジャーをつけショーツに足を通した。長いスカートでもはこうかどうかと迷ったが、
後で動くことにもなりそうだからと思って膝まであるジーンズにすることに決めた。
 上はどうしようと悩んでタンスで首をかしげていると、横に置かれた姿見台が園子の姿を写した。
 するとブラジャーに包まれた重量感のある乳房がまず目に入って、男の人が自分を見るときによく胸に目がいくのは、こういうことなのかと妙に納得してした。
両手で触ってみると二十五歳という年齢にしては張りと瑞々しさが生娘のようで嬉しくなったが、園子はこれもさっきまでのことを思い出し、ひとりで頷いた。



681 姿見村 ◆DS40EWmSfc sage 2008/08/08(金) 13:18:22 ID:wbDf1Uq2
 下に合わせるように薄手のシャツを着た園子は、廊下に出ると母に会う。
 母は彼女を見つけると、一度指を鼻に持って行ったがそのことには何も触れず逆に嬉しそうにして今日の昼の予定を聞いてきた。
「お昼を食べた後はどうするの」
「特には決めていないけれど……」
「あらそうなの。だったら、一緒に映画でも見ないかい」
「そうね……ええ、いいわよ」
 返事をしながら園子は、母親が宗佑と何かあったのは確実なのに彼女がそうした態度を見せないのは、それすら彼女には日常だからなのだろうかと考えた。
顔を見れば喜色を含んだものだけがある。
 これが宗佑ならば気にしてほしくないのに、気にして欲しくてたまらないような顔をしているはずだった。
「そういえば宗佑に電話がかかってきていたわよ」
 予定が話し終わって別れようとする園子に、母親はいやらしく笑ってきた。
でもこれは園子に対する挑発ではなくて宗佑に対する嫌がらせだろうと十分に分かっていたから、園子は内容だけを聞き返す。
「電話?」
「ああ、確か結構早い時間にね。相手は名乗らなかったから誰かはわからないけど……女だったね」
 そう、とだけ言う園子を見て、母は玩具が買ってもらえなかった子供のように肩を落とした。
「気にならないの」
「何が」
「もしかしたら、宗佑の昔の相手かもしれないわよ」
 園子はここで初めて、ああこの人は私に動揺してほしいんだとわかる。そして、わざとらしく騒ぎ立てた方がこの人は喜ぶだろうかと考えた。
けれどやっぱり本来の性格どおり別に何も感情など湧かなかったので、どうしようかと思って、わずかに無理をしてみることで満足させてあげようと思った。
「そうね。ちょっと妬けちゃうかしら」
 聞いて、母親はため息をついたので園子はどうしてうまくいかなかったのだろうと首をひねる。
彼女はなかなかどうしてこういう宗佑以外の気持ちを推し量ることに疎い。
 それから昼食の準備をしに厨房まで行ったが、すでに時間が時間であったので準備はすでに使用人たちが済ませて終わっており、後は並べるだけだった。
 園子は使用人の一人から、宗佑を連れてきてほしいといわれたので部屋に再び戻ることにする。
 すると、さっきまではいなかったはずなのにどこから入り込んだのか一匹の白い猫が部屋の廊下の前に座っていた。
 なんとも愛らしい猫だった。少し汚れてはいるがそれでも見事な毛並みで、長い尻尾はその美貌を一層際立たせていた。
 しかし、ちょこんと置物のようにいるのはよかったが、この家には猫が嫌いな人もいるので外ならいざ知らず屋内にいるのは問題があった。
 そう考えて園子は外に連れて行こうと近づく。でもそうすると猫は逃げるように距離をとった。再度試みるがやはり逃げてしまうので、下手な鬼ごっこのようになってしまう。
 おかしかったが、ずっと続けているわけにもいかない。母親以外の誰かなら逃がしてくれるだろうと思って小さく手だけ振って別れた。
 扉の前までくる。
 入るためドアノブに触れると、にゃあと今度は鳴き声が園子を止めた。振り返ると、瞳がまっすぐに園子に向けて放たれ、猫が睨みつけていた。
 入ることは許さない。
 そう連想させるような唸り声が門番のように向かってきた。
 まるで兄さんが眠っているのをわかっているみたい。
 ドアが開いていない以上、そんなことはこの猫に分かるはずもないのだけど、そんなことを思った。
 しかしそれより使用人たちに迷惑をかけるわけにもいかないので、無視をしてノブを捻る。
 すると、今度は驚いたことに猫がするりと先に園子の足を通り抜けて部屋に入り、彼女の足を頭で押してきた。
やたらと近づくことを拒んでいたのにどうしたのかと思ったが、 もしかしたら本当に宗佑の安眠を邪魔させないようにしているのかもしれなかった。


682 姿見村 ◆DS40EWmSfc sage 2008/08/08(金) 13:19:00 ID:wbDf1Uq2
「なんて頭のいい子なのかしら」
 園子はなんだか楽しい気持ちになって少し乱暴に猫を抱きあげた。猫は園子の手を引っ掻いてくる。
「ごめんね。片手だから、うまくは抱けないの」
 猫を抱くときは背中から包むようにして支えるとよいとはどこかで聞いたことがあるが、
片手の園子がそうしてもどうしても猫がぶら下がったようになってしまう。足だけが地面に向かっており、とても居心地が悪そうだ。
 抱き上げた手には爪がどんどん食い込んできていて、とうとう血がぷくりと膨れ上がって、下に滴り落ちた。
「いい子ね。とても、いい子だわ。羨ましい」
 でも、さらに噛みつかれもしたというのに、園子はただ猫の頭に自分の頬をこすりつけるようにして慈しんでいた。
こうしていればなんだか、虫歯の治療を嫌がる子どもを無理やり病院に連れていく母のようだった。
 ぼと、という音を立ててついに猫が園子の手から抜け落ちる。
 また唸って威嚇しだすかと思ったが、園子がテーブルの上にあったティッシュペーパーで血止めをしだすと、近くに寄ってきて匂いを嗅いできた。
錯覚か鉄の匂いが鼻につく。
 何かのアニメみたいに血を舐めてくれたら仲良くなれるのかしらと思っていると、
それが本当にきっかけになったのか、園子が触ろうとするとまた逃げることは変わらないが、なぜかもう宗佑に近づくのを邪魔しようとはしなくなった。
 猫の許可も得たので、園子はベッドまで行く。
 すると白いシーツがこんもりと盛り上がっていて、わずかにいびきが聞こえてきていた。座って顔を覗き込むと口をあけて宗佑が眠っている。
 こうやって見るといつもの小難しい顔がなんだか違う人みたいだ。
すえた匂いがまだ部屋の中に残っているのをきっと今の彼なら気にしないのに、窓を開けなければならないと思うのはなぜだろう。
 どちらにしろこのままだと他の使用人が来たときに悪いなと思って、窓を開けることにした。
「あら」
 光を室内に入れ、振り返るといつのまにか猫がベッドに上がっていた。
 園子がそうしていたように宗佑の顔を覗き込み、ぐるぐるという甘えた声を出しながら自身の体をこすりつけている。よほど宗佑がお気に入りらしい。
「浮気されちゃったかしら」
 園子は緩やかな気持ちになった。思わず猫の頭を尻尾まで撫でる。村では数少ない彼の味方だと思った。
「え」
 しかし、そんな園子の喜色を猫は咎めてきた。
 宗佑の股間のところの匂いを嗅ぎだし、次いで園子の傍までやってきて腹を見つめてくる。子宮を嗅ぎたいのか、腹の上に鼻を押し付けてきた。
 暗褐色の瞳が不可思議なものを見るように中を見透かしていた。
「貴方がなんと思おうと、ここではそれも許されるのよ」
 優しく言ったつもりだったが、動かないはずの左手が軋むように痛んだ。無意識に宗佑へと手を伸ばして安心する。
 けれど猫は宗佑の元に戻り、頭でシーツをどけてペニスを露出させた。
 園子の眼が細まった。
 猫もまだ、園子をじっと見つめてきている。


683 姿見村 ◆DS40EWmSfc sage 2008/08/08(金) 13:19:29 ID:wbDf1Uq2
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 七月半ばの夏盛り。木からセミの嘶きが聞こえてくる。
 周りには一面の田畑。緑の稲穂が風もないのに揺れている。かき分けて伸びるのは荒れたように続く黄土色の道で、陽炎が空気を焼いているようだった。
 宗佑はサンダルで来たのは失敗だったかもしれないと感じる。
 動きやすくはあるし涼しくもあるが、それを上回って太陽が肌を突き刺すのが痛い。
それにサンダルをはいている格好を異性に見られるのは何となく不格好だ彼は思っていた。
 宗佑は、ちらりと左に視線をやった。目を絡ませて五十嵐春香が人懐っこく笑ってくる。
まるで宗佑が自分を見るのが分かっているかのような笑みだった。
 複雑な気分になって、わざとらしく頬を掻くと春香はわかっていますよとでもいいたげに前を歩きだし、鼻歌を歌いだす。ひどくこの場には場違いだった。
「ねえ」
 黒のタンクトップに宗佑にはよくわからない素材のもので作られた短いスカートが揺れる。
そこから伸びる白い脚は、見るだけでまだ若いとわかって、自分とこの女が知り合いだなんてなんだか現実感がわかない。
「ねえってば」
「……何だ」
「もう。聞いてるんだか聞いていないんだかわからないですね。せっかく久しぶりに会えたっていうのに」
「いきなり押しかけてきたのはお前だろ、俺は頼んでない」
「つれないですねぇ。何回も繋がり合った仲なのに」
 いやらしく笑って挑発してくる。こういうところは初めて出会ったころから変わらない。
 宗佑は溜息を吐いて春香を追い越しどんどん先に行く。
「待ってくださいよお」
 小走りに追いついてきた彼女が抱きつくと、背中から豊かな胸の感触が伝わってきた。しかし宗佑はその感覚を気にしないようにして、春香のさせたいようにさせた。
 こうしておかないと彼女がすることはどんどんエスカレートするに決まっていると経験で分かっているからだった。
「ここがお兄さんの生まれた所なんですね。聞いていたのよりも素敵な所じゃないですか」
「見るだけならな」
「私、こういう自然が多いところ、好きですよ」
 そう言って今度は腕を取る。暑いから離してくれ、そう言えたらどんなにいいだろう。
 春香は、宗佑が姿見村を出てから知り合った女性だった。
村を出た宗佑が生活費を稼ぐためにコンビニのアルバイトをしている時に店によく来ていたのだ。
 来ていたといっても客ではなく犯罪者として、だったが。
 春香は万引きの常習犯だった。
 店に来ては必ず数点の商品を盗み、何も買わずに出て行く。
彼女は実に巧妙で、こちらが、毎回盗んでいるはずだからどこかに隠し持っているに違いないと思って呼び止めると、
何度やっても何も持っていないので、捕まえることはできず、店も手を焼いていた。
 ある日、店長がぼやいていた言葉を思い出す。
「ありゃ、他にもなんかやってんな」
「何がですか」
 たまたま近くにいた宗佑が反射的に聞き返すと、これ幸いとばかりに彼は得意げになって言った。


684 姿見村 ◆DS40EWmSfc sage 2008/08/08(金) 13:19:57 ID:wbDf1Uq2
「万引き犯ってのはな、人にもよるかもしれんが、大体が怪しまれないように安い品物を数点買っていくんだよ。
そうすりゃ私は買い物をしましたって堂々と出ていけるからな。でもあいつにはそれがない。捕まらないって絶対の自信があるんだろう」
 自信。確かに春香には見かけからは想像しにくい悟りみたいなものあるような気がした。
呼び止めて肩に持ったバッグなどを調べさせてもらった時、宗佑と眼が合うと彼が新人だと気づいたからなのか、彼女はにいっと笑って挑発したほどだ。
「……それと他にもやっている、ということがどう繋がるんですか」
 宗佑が頭の回転を聞かせて問う。
「大人の俺たちにも囲まれても物怖じ一つしやしねえだろ? それどころか隙あらば噛みつかんばかりの勢いだ。
あれはな、もっと何かでかいことをやってるんだよ。だから自信がついてるんだ。万引きぐらいなんだ、ってな。
これは俺の勘だが、恐らく援助ぐらいのもんじゃねえだろう。薬物か傷害か、もしくはそれ以上だな」
 瞬間的に、宗佑は店長を憎む。あの万引き少女のことを庇うわけではない。けれど、どうしてそう何か手柄をあげたように嬉しそうに話すのか。
「まさか……まだ中学生か高校生ですよ?」
「実際にやる必要はねえんだよ。近くにそう言う犯罪をやってるやつがいれば疑似経験ができるからよ。それに……おまえの田舎とは違うんだぜ? ここは、東京なんだ」
 最後にそう言って、去って行った。
 東京。確かにここは姿見村とは違う。物は何でもあるし、人も様々な人がいる。
だからまだ、高校生にも満たないような外見の女の子が犯罪を起こすことなど珍しくもない。
 しかし宗佑は、店長が言っていたような珍しいとかありふれているとか、そういった事件のことを指していたのではなくて、
少女の過去や環境――いうなれば中身のことを言っていたのだ。
 犯罪そのものには興味はなかったが、どうしてそのようなことをするようになったのか、その部分はできるならば知りたかった。
「何考えてるんですか」
 そして知った今、あの時の店長の言葉は当たらずとも遠からずだったんだなと思う。
全く違っていないのが彼らしかったし、予想であのような真実にかすっているのは凄かった。少なくとも宗佑には無理だろう。
「ねえ、どこに案内してくれるんですか」
「どこって、別に何か名物があるわけじゃない」
 宗佑と春香は、その少し後、恋愛感情とは別に体を通わせる関係になった。
 気ままに待ち合わせて、その足でホテルに行く。咎める人のいない彼らはただひたすらに快楽を貪った。
 でもそんな関係だったから、こうして一緒に出かける時どういう風にしたらいいのかがわからなかった。
自分がエスコートするべき、とは思ったが春香が何を望んでいるのかわからないのだった。
 付け加えるならば、関係を持っていた時も別に何かを相手に求めていたわけではなかった。
なんとなく宗佑は春香のことをもっと知りたいと思っただけだったし、春香も宗佑と共にいるのは心地いいようだったから共にいた。
二人とも恋人はいなかったというのもある。
 春香の年齢のことも頭にはあったが、村で育った宗佑に倫理観を求めることは無意味で、
ただ単純に都会とはこういうところなのだろうと思うと難しいパズルのピースがはまるように納得した。
「神社でもいいか」
 やっと民家が見える頃になって、宗佑はこの村に帰ってきたときに園子と行った場所を思い出した。
行ってからあそこで何をするんだとも考えたが、春香ならば面白がるかもしれない。
「神社? これまたムードのない所に連れていくんですね」
「嫌なら、いいが」
「いいですよ。御参りとかしてみたいし。御神籤とか売ってます?」
「もっと確実なものがある」
 春香は不思議そうに見ていたが、それに答えることはせず村のさらに奥へと入った。


685 姿見村 ◆DS40EWmSfc sage 2008/08/08(金) 13:20:28 ID:wbDf1Uq2
神社には宗佑の予想通り、人がいなかった。
 目の前に鳥居が階段までずらりと並んでいる。整然とされた柱は寂れているのに、なぜか緊張させるような雰囲気を持っていた。
 赤いコントラストの下、春香と歩く。
 砂がたまに足の指に挟まるのは、石畳が敷かれた道が所々かけていて補修されていないからだ。
「うへー、ここを登るんですか?」
 ゆうに二百はくだらない階段の数を見上げて春香が言う。
 確か自分も園子とここを登るときそんなことを思ったものだ。
「お兄さん、おんぶしてくださいよ」
 その場に腰を下ろした春香が両手を伸ばして甘えるが、宗佑は無視して階段を上りだした。
「手ぐらい貸してくれたっていいと思うんだけどな」
 左右には林が広がっている。
 楠がぼうぼうと生えていて緑の葉を灰色の地面に落としているが、やはり村から人が訪れることもあるのか隅に落ち葉が集められていた。
 一段飛ばして登ってきた春香が宗佑の隣に並ぶ。
「どういう神様が祀られているんですか」
「さあ……見当もつかないな」
「え? ここに来たのは初めてじゃないんでしょう?」
「そうだが、神様がどうとか聞かなかったからな」
 そう言うと、春香がにんまりと面白いものでも見つけたような目で見てくる。
 癪に障ったので別に男ならおかしなことじゃないだろうというと、また腕に抱きついてきた。
「さすがですね」
 もう何度目かのため息が出る。
こうされても不快感が出ずについつい許してしまうのは、なんとなく春香の奇々怪々さが園子に似ていて親近感があるからかと宗佑は思ったが、
そのことについては考えないように思考の外に追い出した。
 彼女の思考を少しでも読み取った方がいいかと思ってこんなことを聞いてみる。
「神様って、信じてるか」
「そういう女に見えますか」
「見かけによらないだろ、お前は」
「……神様が本当に助けてくれるなら、頭なんていくらでも下げますよ。体も心も現実にありますが、奇跡はないですからね」
 不意に顔が陰るように声のトーンが変わった。
 見れば、世間をあざ笑うかのような悟った彼女がそこにいる。自虐的な、笑みだった。
 宗佑はしまったと後悔するが、すでに後の祭りで、もう彼女は宗佑よりもよほど大人びていた。
 ぎゅっと腕が握られた。
 昔のことを思い出しているのだろうか。でも自分よりも大きな春香には下手な言葉はかけられないとわかっていたから安易な事を言うのだけはやめた。
 自分にできる選択肢は慰めるか、そっとしておくか。それとも叱るか。それぐらいだ。
けれど最後は一番できなかった。叱るなど、自分よりも様々な経験をしている彼女からしたらお笑い草でしかないのだから。
事実、過去に論破させられたことも記憶にある。他の二つもいまいち自信がない。
 だから、こういうとき園子ならばどうしてほしいのだろうと考えてみた。


686 姿見村 ◆DS40EWmSfc sage 2008/08/08(金) 13:21:15 ID:wbDf1Uq2
 すると簡単に答えが出てきた。きっと園子ならば、宗佑が何か言う前に立ち直ってしまって飄々と歩きだすに決まっている。
 そうして、放っておくかと一人心で呟いて目的の場所まで行くことにした。相変わらず、難しい子だと宗佑は思った。
 中腹までくると宗佑は足を止めて辺りを見回しだした。
相変わらず階段以外には雑木林が広がっているだけだが「ここら辺のはずだ」と言って草をかき分けだす。
「まだ頂上までありますけど」
 先ほどの雰囲気が霧散した春香が指摘してきたが、その時ちょうど草が踏まれてできた脇道を見つけることができた。
「上にはいかないんですか」
「見せたいものはそこにはない」
「まさか、ここを進むってわけじゃないですよね?」
「まさかだよ」
 そう言って、文句を垂れる春香を置いて草の中に身を沈めていった。
 やはり、都会で育った人間からしたらこの道とも言えない野道は歩くことも困難なようだった。
時折、宗佑が振り返ってちゃんとついてきているか確認したが、分刻みで後ろを振り返らないとどんどん距離が開いてしまう。
 宗佑は仕方ないとこぼして春香の傍まで行き、強引に背負った。
「えへへー、どうもです」
「今回だけだ。こんなところをいきなり歩かせる俺も悪いからな」
 着ていたシャツの袖を強引にまくり上げて、サンダルで来たことの不運を再確認しながら宗佑はそう言った。
その仕草が春香には何となく可愛くて、思わず笑ってしまった。
「やっぱり、さすがですよ」
 嬉しそうに春香が言う。
 宗佑はそれに対して何か言うことはせず、ただ黙々と歩いた。彼女がたまに話しかけきているのにも適当に返事をした。それでも春香は嬉しそうだった。
 しばらくしてぽっかりと空いた空間に出た。
 ここだけは木もなく草もなく、ただ古びた祭壇のようなものが一つひっそりとあるだけだった。
供え物のようなものはない。ただ、小さな家が作られ、その両脇には花を生けるところなのだろう、筒があるのみだ。
「ここですか」と春香がわかったようにつぶやいた。短いスカートから伸びる、餅のようなふっくらとした足を宗佑は眺める。
春香は昔、足を隠す長いジーパンやロングスカートしか履かなかったものだが、今ではその気配すらない。
もともと春香は年齢の割に妙に色気があったので、変にちぐはぐな感じをだすよりはましだった。
「これは?」
 ところどころ砂利を蹴り上げるようにして歩きながら祭壇の前まで行った。祭壇は小さいので、自然と見下ろす形になる。
「姿見の天秤」
 無愛想に歩いてきた宗佑は言い、両手を合わせて拝んだ。
 春香もあわてて手を合わせたが、何を祀っているのかわからなかったので、何も考えずに目だけ瞑った。
「天秤?」
 やっと顔をあげた宗佑に春香は聞いてみた。
 宗佑は一瞬躊躇ったような顔になったが、自嘲的な笑みをして答えた。


687 姿見村 ◆DS40EWmSfc sage 2008/08/08(金) 13:21:59 ID:wbDf1Uq2
「適ししときになんぢが世わりを差し出さば、すべからく望むものが手に入らむ」
「何です、それ」
「条件がそろった時に何か代わりを差し出せば必ず望むものが手に入る、ってことらしい」
 説明するうち、やはりこんなものを見せても春香が面白がることなどないんじゃないかと感じた。都会に住む人にやはり、意味がない。
「すごいじゃないですか」
 けれど、そんなことを考えている宗佑を無視するように春香は興味深そうに祭壇をずっと見つめた。
周囲もぐるりと回って、そこかに何かないか確かめているようだった。
 へー、へー、とやたらと感心したような声もある。
天秤って、見た目からしたら普通の祭壇と変わらないのになんでそんな呼び名なんだろって思いましたけど、そういう意味なんですね。
 嬉しがっている春香に宗佑も気分が良くなって、
「迷信だよ。祖父からすら願いがかなったなんて話は聞いたこともないんだから」
 なんて言った。
 春香は宗佑と祭壇を交互に見ながら話を促してくる。自分の顔が園子といる時とはまた違うんだろうなと宗佑は思った。
 だから、つい口が滑って妹のことを妻と呼びそうになってしまいと、更には寝ていることこそ言わなかったが必要以上仲がいいことを口にしてしまった。
 しかし、春香はそのことについては何も言わず、ただ姿見の天秤といわれるものを見ていた。
 なおもは何か話そうかとも思ったが、宗佑は辺りが赤い帳が落ち始めているのに気づいて、帰ることにした。
春香は残念がっていたが、もうわずかに高揚した気分も静まっていたので、無視をして自分についてこさせた。
 帰り道、春香にどうやって東京に戻るんだと聞いた。すると、東京には戻らないと言うので、それじゃあどうするんだと宗佑が言うと、春香は悪だくみをする小学生みたいな顔をした。
「お兄さんの家に行ってもいいですか」
 いいわけないだろ、と即答すると春香はさらにそう言うと思っていましたと言わんばかりに愉快に告げてくる。
「でも、奥さんに私と寝ていたって言われるのは困るんでしょう?」
 ひどく面白そうな顔は、これまで見た中でも格別だと思った。
 それだけに断ることもできず、渋々頷いた。

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最終更新:2008年08月10日 19:53
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