淫獣の群れ(その6)

347 時給650円 sage 2007/10/15(月) 03:59:13 ID:D8b/QqQN

「お兄ちゃま、これ、ホントにおいしいねぇ」
 詩穂が満面の笑みを浮かべて、コアラのように“兄”の腕にしがみつく。
「――だな。千円も取りやがるだけのことはある、かな?」

 その日の放課後、喜十郎と詩穂は、通学路の人気スポットの一つである『大黒屋』で並ぶこと20分、ようやく“妹”目当てのジャンボクレープを手に入れ、そのまま同じ学校の生徒が寄り道でにぎわう商店街を歩いていた。
 桜とあんなことがあった後なので、正直に言えば買い食いなどする気分ではなかったのだが、まあ、そんなクサクサした気分で帰宅するのも、喜十郎としては躊躇われた。
 それに“妹”たちを、無用に挑発する行為は、これまで以上に避けねばならない。約束をすっぽかすなど、もってのほかだ。
 まあ、シラフの時の詩穂は、妹たちの中でもかなりの癒し系である。
 ヘコんだ時に、女の子に癒されるというのも、決して悪い気分ではない。

 詩穂と喜十郎の片手には、それぞれジャンボサイズのクレープが握られていた。
 まあ、女の子が甘い物好きなのは当然だからいいとしても、喜十郎自身は自他共に許す辛党であるため、このパフェ並みにごてごてに膨らんだクレープは、彼にとっては結構きびしい。かといって――
『そんなに美味けりゃオレの分やるから、お前食え』
 などと、ムードぶち壊しの一言を、この喜色満面の“妹”に言えるほど、彼は残酷ではない。

 しかしこの、一見バカップルにしか見えないくっつき方で歩くのも、実際つらい。
 それが、いつクラスの悪友たちに出くわすかもしれない、この商店街では特にだ。



348 淫獣の群れ(その6) sage 2007/10/15(月) 04:01:07 ID:D8b/QqQN

「取り合えず詩穂、歩きにくいし、少し離れないか?」
「ええ~~~~っ、お兄ちゃまは、詩穂とくっつくのがいやなのぉ?」
「いや、そうじゃなくてさ、その、何だ――制服にクリームが付いちまったら、困るだろ?」
「却下」
「……少しは考えようよ」
「いいもぉん。クリームが付いたんなら、詩穂がキレイにしてあげるだけだもぉん」
 そう言うが早いか、詩穂は“兄”の腕をさらに引き寄せ、同時に自分も背伸びをする。
 そして――彼の頬に付着していた抹茶クリームを、れろり、と舐め取った。

「こんな風に、ね」
「……しほ……」
「えへへへへ……お兄ちゃまも、詩穂が汚れたらきれいにしてくれる?」
 真っ赤になりながら、上目遣いに尋ねるその“妹”の表情は、風呂場やベッドでは見せない、年齢相応の可愛げに満ち溢れていた。
「うん……まあ、考えとくよ……」
 その愛嬌のカタマリのような笑顔を前に、こんな気の利かない返事しか返せない自分が、喜十郎は非常にうらめしかった。



「お兄ちゃん――?」

 血が凍った。
 それまで汗ばみそうだった蒸し暑さが、一斉に冷えた。

「かなえ……?」


 次の瞬間には、胸元にタックルを受けていた。
 喜十郎の眼に焼きついたのは、背までなびいた黒髪と、左右に一本ずつの三つ編み。
 その人間サイズの柔らかい弾丸を反射的に抱きとめ、勢いで倒れそうになるのを踏ん張り、こらえ、持ちこたえる。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん! お兄ちゃん! お兄ちゃん! お兄ちゃんっっ!!」
「――かなえ……どうしたんだ、お前……?」
「どうしたじゃないよっ! どうした……じゃ……ぅぅぅっ……!」
 そのまま身体を預けて泣き出してしまう可苗。おろおろしながら、そんな彼女と周囲を見回す喜十郎。そんな二人をぽかんと見つめる詩穂。
 商店街の通行人たちも、足こそ止めねども、その視線を思わず向けてしまう光景。

 やがて、喜十郎の目付きが変わった。
 その瞳から怯えと驚きは消え、覚悟と冷静さを取り戻した“兄”の相貌に戻った。
 その瞬間を、通行人を含む夥しい注視の中で、詩穂だけが気付いていた。



349 淫獣の群れ(その6) sage 2007/10/15(月) 04:03:59 ID:D8b/QqQN

「――詩穂」
「うっ、うん」
「悪いがデートはここまでだ」
「ええっ!?」
「こいつを家の方まで送っていかなきゃならねえ」
「でっ、でも、お兄ちゃま……」
「覚えてるだろ? オレの妹の可苗だ」
 喜十郎は、そっといとおしむように、泣きじゃくる可苗の頭を撫でる。
「帰ったら、深雪に伝えといてくれ。……今日は多分、メシはいらねえ」
「お兄ちゃま……」
 なおも、詩穂は喜十郎に何か言わんと食い下がるが――。

「ほら可苗! もう泣くなったら、恥かしい!」
 もはや“兄”の眼が詩穂に向けられる事は無かった。
「……だってぇ……だってぇ……お兄ちゃぁあん……」
 詩穂が気付いた時は――可苗が、さっきまでの詩穂以上の密着度と甘えた態度で“兄”にくっつき――二人の姿は、商店街の人ごみの向こうに消えていた。
 そして可苗は、最後まで詩穂に一瞥すら向けなかった。


「うおっっっ!?」
 素っ頓狂な声を出して、通行人の一人が転倒する。
 思わず振り返った詩穂が見たのは、その通行人に踏まれ、足を滑らせた原因であろう物体――可苗を抱きとめる瞬間に“兄”が反射的に手放した、大黒屋のジャンボクレープ……。


 詩穂は、その無残に踏み潰されたクレープに、胸の奥にズキリと、電流を流されたような痛みを感じた。



350 淫獣の群れ(その6) sage 2007/10/15(月) 04:05:55 ID:D8b/QqQN

 綾瀬可苗――綾瀬六人姉妹の従姉妹にして、綾瀬喜十郎の実妹。
 中学三年生、つまり本家でいえば、深雪と同い年(15歳)ということになる。

 この少女は、およそ人類が羨むべきほぼ全てに恵まれて、この世に生を受けた。
――美貌、頭脳、身体能力、性格、雰囲気、要領、手先の器用さ……。
 数え上げれば切りが無い。
 完璧超人とは、この少女を指すのであろう。可苗を普通に知るほぼ全ての人々が、この意見に異を唱えない。
 無論、六人姉妹だとて、個々のレベルは高い。
 男から見たとき、同世代の少女たちと比較しても、その魅力のハイレベルさは歴然だ。
 しかし、それでも総合評価では……やはり可苗に一歩譲らざるを得ないだろう。
 それほど可苗は、バランスの取れた、いわば反則的に“何でもアリ”の少女だった。

 その美貌は、彼女の通う女子校で『開校以来の美少女』と謳(うた)われ、
 その頭脳は、学年総合成績五番以下に落ちたことが無く、
 その身体能力は、体育祭・球技大会で花形となり、
 その性格は、あくまで大人しく、控え目で、自発的に目立つ事をよしとはせず、
 その雰囲気は、公卿の末裔に相応しく、所作の一つ一つに匂うような気品があり、
 その器用さは、ピアノの全国コンクールで入賞したほどであり、
 その要領よさは、それほどの完璧な自分でありながら、クラス内に一人の敵をも作る事は無い。

 無論、喜十郎としても、そんな可苗がキライというわけではない。
 むしろ、出来過ぎの妹として、何度も鼻高々な思いをした事もあるし、彼女自身よく気の回る、いい妹であった。そんな彼の実妹への評価は、基本的に今でも変わらない。

――ただ、恐いだけだ。

 何もかも完璧にこなす美貌の妹。
 だが、いつからだろう。日常生活に於いて、彼女からの目線を常に感じるようになったのは。
 ただの視線ではない。
 暗く、濃く、重く、深い、粘液質な視線。
 それを家にいる間中、喜十郎は常に感じるようになった。
 やがて下着やTシャツが無くなり、携帯のデータが覗かれ、弁当に異様な唾液臭を感じるようになった時、喜十郎は初めて気付いた。

 かつてクラスの女子が言っていた、自分の父親への愚痴。
『いや、だってぇ、あたしの事マジキモい目で見るんだよ、うちのオヤジィ。もう、死ねって言うか、死んでいいよって言うか、頼むから死んで下さいって言うかさぁ。とにかく実の娘に、あのキモいオヤジ目線はねえだろっていうかぁ……(繰り返し)』



351 淫獣の群れ(その6) sage 2007/10/15(月) 04:08:51 ID:D8b/QqQN

――あの、クラスの女子が言ってたのは、まさしくコレのことなんだ……。
 性欲混じりの、暗く重い、他者のまなざし。

 最初、彼は信じられなかった。
 あの可苗が……あの、何でも出来る可愛い妹の可苗が……!?
 いくら何でも、そんなまさか?
 だが、喜十郎が期せずして目撃した光景が、それまでの疑惑を全て裏付けてしまう。


「お兄ちゃん……お兄ちゃん……お兄ちゃん……お兄ちゃん……」
 そう念仏のように呟きながら、手にしたアイスピックで、飼い猫のヴァニラ(そう、我が家は団地住まいのクセに猫を飼っていた)を、穴だらけにして殺していた、あの光景。
 ヴァニラは泣き叫べないように口に猿ぐつわ代わりのハンカチをかまされ、素早く逃げられないように後ろ足をズタズタにされ、それでも不十分だと思ったのか、ヴァニラは首からTシャツを被せられ、ロクに動けなくされていた。
 そのシャツは――無くなったはずの喜十郎の白無地のTシャツだった。
 その目は血走り、その口元は歪んだ笑みが張り付き、その右手に握ったアイスピックには一分の躊躇いすらなく、その左手は――フリル付きスカートの中に潜り込んで、湿った音を響かせていた。
「お兄ちゃん……お兄ちゃん……お兄ちゃん……お兄ちゃん……お兄ちゃん……」
 そう、唱えながら。
 そして白無地のシャツが、ピックの刺し傷で紅に染まった頃、可苗はヴァニラの首をフローリングに押し付け、
「――あああっ、お兄ちゃぁぁんっっ!!」
 そう叫んで、へし折った。 
 その当時、彼は未だに童貞だったが、素人目に見ても、彼女がエクスタシーを迎えたのが分かった。


 そして、喜十郎は、自分が理解したと思っていた事が、全く違うという事実に気が付いた。
 ただの性欲ではなかったのだ。
 殺意すら混じった所有欲。
 キモウトなんて生やさしいもんじゃない。このままじゃ、いつか必ず殺される。
 それは確信だった。
 本能が告げる身の危険だった。
――この家を出よう。
 喜十郎が心に誓ったのは、このときだった。

 その彼が、その妹を伴い、家に帰る。
 もはや二度と帰ることは無い、そう思って後にした、かつての我が家に。

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最終更新:2007年10月21日 02:09
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