籠の鳥 第1話

364 籠の鳥 sage 2007/10/15(月) 19:36:29 ID:txVqjxfu
前日

 万歳をするような恰好で、慎は寝台に縛り付けられていた。
腕には手錠、脚には荒縄、口には猿轡といったふうに、慎はすっかり拘束されていた。
腕を動かそうとすると、鉄の鎖がじゃらじゃら音を立てた。ばたついて戒めを解こうとしても、きつく締められた縄が食い込んだ。ならばと顔を真っ赤にして叫んでみるが、くぐもった音がむなしく響いた。
拘束は完璧だった。体の抵抗は全てそれらによって阻まれた。
ぼやけた視界の中には見慣れた天井があり、頭の後ろには馴染んだ枕の感触があり、肺には綿を押し込まれたような窮屈さがあった。
完全に目が覚めると、彼は身動ぎすることを止めて、いくぶん落ち着いた頭で今の状況について考え始めた。
今日はいつものように学校へ行き、退屈な授業を受け、放課後には部活動に出て、疲れきった体を引き摺って家に帰った。
帰宅した自分を妹の真由が迎え、汗臭い体を風呂で洗い、真由の作った食事をいつものように兄妹二人だけで食べた。
けれど、そこから先が思いだせない。夕食の後の記憶がすっぱりと頭から抜け落ちていた。
食事の途中で眠ってしまったのだろうか、ハンバーグのかけらが口に残っていた。
挽肉と玉ねぎを飲み込んだとき、痛んだ蝶番がぎいぎい音を立てた。慎はただ一つ自由の利く首筋を精いっぱいのけぞらせて、いま正に開こうとする扉をにらみ付けた。



365 籠の鳥 sage 2007/10/15(月) 19:39:27 ID:txVqjxfu
「あはっ。おにいちゃん、やっと起きたんだね」
ふわふわとくせの付いた栗色の髪を手櫛で撫でつけながら、妹がそこに立っていた。
真由は風呂から上がったばかりのようで、寝台のそばへ歩み寄るにつれ、柑橘系のやわらかな香りが慎の鼻をくすぐった。
少女はくすくす笑いを漏らしてから、両手で枕元に寄りかかった。そしてにらめっこをするように兄の顔面を覗き込み、ささやくような声色で言った。
「ねえ、おにいちゃん。わたしのこと、好き?」
鈴を鳴らしたみたいな可愛らしい声は、慎にはまったく聞こえていなかった。彼は小人国で目覚めたガリヴァの心境で、自分を縛りつけた下手人は妹だという、誰でも簡単に考え付くだろう推測を信じられずに錯乱しきっていた。
むうむうと苦しそうに唸っている慎が落ち着くまで、真由は辛抱強くじっと黙りこくり、息切れを起こして静かになった兄の耳元に桜色の唇を寄せて、もう一度、はっきりと聞こえる声でささやいた。
「わたしのこと、好き?」
慎は再び暴れだした。今度は口だけではなく、体じゅうを用いて不埒な妹に抗議した。
悪ふざけにしても、縛り付けるなんてやりすぎだと、慎は出来るかぎりの力を目元に込めて、真由をにらみつけた。
ぎしぎしがちゃがちゃと全身で不愉快な音を鳴らしても、少女は顔を緩ませたまま、兄の瞳を覗き込んでいた。
「そっかぁ。おにいちゃんは、わたしのこときらいなんだね」
しばらくすると、妹はそう言って立ち上がった。そのまま寝台から離れてすたすたと出口まで歩いてゆき、扉の取っ手を掴んだ。
そうして兄に背を向けたままの姿勢で、
「じゃあ、おやすみなさい」と最後に呟き、真由は明かりを消して部屋を出た。
部屋には真由が出て行ったあとも唸り声が響いていたが、一時間も経つと静かになった。
泣き喚く幼子と同様に、慎は疲れて眠ってしまっていた。





366 籠の鳥 sage 2007/10/15(月) 19:42:33 ID:txVqjxfu
初日

 慎は窓から射す朝日で目を覚ました。寝台の上の自分は、昨日のままだった。
これが夢なら覚めてくれと、慎は頬を抓ろうとした。しかし硬く冷たい金属の輪っかがそれを阻んだ。彼は泣きたくなった。
「おはよう。おにいちゃん」
日差しが強くなってきたときに、真由が部屋に入ってきた。心底嬉しそうな顔が憎たらしくて、慎はじろりと妹をにらんだ。
それでも真由は微笑み顔を崩さずに、昨晩と同じ問いを兄に投げかけた。
「ねえ。わたしのこと、好きになった?」
慎は縛り付けられたまま、頭突きをするように首を跳ね上げて、妹に唸り声を浴びせた。きりきりと限界を訴える首と腹筋を無理矢理黙らせて、一所懸命叫び続けた。
苦しそうな赤ら顔を眺めて、少女はため息を吐いた。仕方が無いと言わんばかりで、その仕草の中には罪悪感の欠片も見当たらなかった。
真由は駄々っ子を諭す母親のように、優しい手つきで兄の髪を撫でた。そして枕元にある目覚まし時計を裏返して、慎からそれを見えなくした。
次に、眩しくなってきた日光から兄を守るためにカーテンを閉めた。シーツの皺を整えるなど簡単なベッドメイクも行った。
指を挟まれる危険を考えたのか、脚に巻かれた縄と、寝台の柱に嵌められた手錠には手をつけなかった。
「それじゃあ、わたし学校行ってくるからね。ちゃんと大人しくしててよ、おにいちゃん」
妹はそれだけ言い残して、縛られた慎をほったらかして部屋を出ていった。

 カーテンが締め切られた薄暗い部屋の中で、ちっく、たっく、ちっく、たっくと、秒針はけなげに時を刻み続けていた。
しかし、慎はもはや時間の感覚があやふやになっていた。音だけが聞こえて、時間はわからなかった。あの時計を正面に向けてくれるのなら、貯金全部はたいてやってもかまわないとさえ、慎は思っていた。
妹が出て行って何時間たったのだろうか。頭の中で音を数えて時間を計ってみるが、三百も続かないうちに、他の物事が割り込んで邪魔をしてしまう。
脚に食い込んだ縄が痛い、無理矢理固定された肩の筋肉が引きつり始めている、よだれでびちゃびちゃになった口枷のタオルが生臭い、真由はどうしてこんな仕打ちをするのだろうか。
とにかく体を動かして、思いきり新鮮な空気を吸い込みたかった。そのためなら、卑屈な飼い犬のように媚を売ってでも、枷を外してもらおうと慎は考えていた。



367 籠の鳥 sage 2007/10/15(月) 19:44:41 ID:txVqjxfu
 むせ返るような臭気が部屋に充満していた。真由は困ったような顔をして慎の股座をまさぐっていた。粗相をやらかしてしまった兄に、甲斐甲斐しく奉仕していた。
こうなることを事前に予期していたのだろう、無骨な大人用紙おむつを脇に置いて、しょうがないなあおにいちゃんはと、楽しげに独り言を漏らしながら、少女は兄の股間と、シーツにこびりついた茶色い塊をふき取っていた。
びっしょりと濡れた寝巻きと下穿きを脱がされて、慎は下半身をむき出しにしたまま目を瞑って顔を背けた。
漏らしてしまった水分が冷たくなり始めたとき、慎は半ばやけになっていた。
ぜんぶ妹がいけないのだ、俺がどうしたとしてもすべてあいつの責任で、俺の名誉には傷一つつかないのだと自分を納得させて、どうせなら盛大にやらかしてやろうということで、今度は産気づいた固体のほうを排泄するべく力んだという次第だった。
開き直った慎はこうして羞恥心に耐えるようなそぶりを見せたまま、反撃の機会を窺っていた。
汚物の処理をするには、脚の縄を解く必要がある。妹の気が緩んだ隙を狙って、思いっきり蹴飛ばしてやろう。慎はそう企んでいた。
やたら一物を撫でる真由の手つきに鳥肌が立ったけれど、呻き声を漏らさないよう、歯を食いしばって耐えた。



368 籠の鳥 sage 2007/10/15(月) 19:49:01 ID:txVqjxfu
「はい、これでおしまい。次はお漏らしなんかしちゃ駄目だよ」
ぽんぽんと、紙おむつで膨らんだ股間を軽く叩いて、真由は終了を宣言した。
慎はすかさず真由の顔面に蹴りを見舞った。躊躇しようなんてこれっぽっちも思わなかった。
蹴飛ばされた妹は、あうと小さくうめき声を漏らして床に倒れ込んだ。脚に感じる衝撃は予想したほど重くなかった。
妹は小さな体を丸めて、鼻から血を流していた。痛いよ、痛いよとしゃくり上げながら、蹴られた鼻を押さえていた。
ぐすぐすとすすり泣く妹の姿に慎が罪悪感を覚え始めたとき、真由は目元に涙を溜めたままふらふらと立ち上がった。様子が少しおかしかった。
「ひどいよ。おにいちゃん。蹴るなんて、ひどすぎるよ」
ゆらゆら左右に揺れながら近づいてくる妹の姿に、慎は得体の知れない恐怖を覚えた。体じゅうに戦慄が走り、爪のなかまで寒気がして、ぶんぶんと振り回していた脚はぴくりとも動かなくなった。
少女の目元は前髪で隠れていた。鼻から口元にかけては、拭ったせいで滲んだ血液が赤い化粧を施していた。唇はせわしなく小さな動きをくりかえして、おにいちゃんおにいちゃんと機械的に言葉を漏らし続けていた。
時折、栗色の髪の隙間から覗く目元が蛍光灯の光に照らされ、大きな、ぎょろついた、充血しきった目玉が鈍く輝いた。
痛々しい妹の姿をとても見ていられなくなって、慎はぎゅっと目を瞑った。後ろめたいからではなく、恐ろしいからだった。
真っ暗な世界のなかで、妹の言葉だけが、壊れた玩具のように響いていた。
音はだんだんと大きくなり、ついに鳥肌が妹の体温を感じ取ったとき、突如鋭い痛みが襲ってきて慎は目を見開いた。
ぱちぱちぱち、という爪きりを続けて鳴らしたような音が聞こえたのに数瞬遅れて、全身に針を突き刺される痛みが這い上がってきた。
「おにいちゃんがいけないんだからね」
意識を手放す直前、慎の目にスタンガンを構えた真由の姿が映った。少女は涙をぼろぼろと流していた。
翌朝、目覚めた慎の脚は再び縄できつく縛られていた。シーツは清潔なものに取り替えられ、寝巻きは新しいものに変えられていた。しかし、妹はいつになっても現れなかった。
その日も慎は寝台に縛り付けられたまま、薄暗い部屋に監禁されていた。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2007年10月21日 02:12
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。