553
姿見村 ◆DS40EWmSfc sage 2008/10/10(金) 01:30:19 ID:2Dwk/jD3
宗佑が春香を連れて家に戻ると、丁度母親がどこかに出かけようとしているところだった。
何か言われるだろうなと身構えていたが、母親はそれどころではないとばかりに足早に出て、家には明日まで戻らないと書置きを残していった。
とりあえず宗佑は、春香を応接間へと通してソファーに腰掛けさせた。使用人を呼びつけて、紅茶を持ってくるように頼む。
その時後ろから大きな声でダージリンがいいと言ってきたので反射的に睨んだ。
園子にどう説明しよう。
まさかかつての体の関係をもった友人だなどというわけにはいかないし、女の友達が訪ねてきたというのも、
本当のことではあるが春香がひとりということもあって変に誤解されそうだ。
それに仮に何かうまい嘘をつけたとしても、春香という破天荒な少女は、簡単にそんなものを壊してしまうような気がしてならないのだ。
そんな宗佑を見越したのか、春香が足をパタパタとさせながらやたらと嬉しそうに言ってきた。
「よければ、家出少女でも演じましょうか」
またこいつは何を、と思って言い返すが、案外それは天啓な閃きかもしれない。
春香との関係に嘘をつくのではなく、春香という少女そのものを嘘にしてしまうということだ。
当然、過去も語らなくていいだろう。
「よし、それでいくぞ」
宗佑は賛成し、胸をなでおろして無意識に指をこする。
けれども、円型のガラステーブルに肘をついた春香は、まだにやにやしながら目を細めて彼を解放しようとしなかった。
「でもそのかわり、ひとつだけお願い聞いてもらいますよ」
「何?」
「ほら、姿見の天秤でも言ってたでしょう。願いを叶えたいなら代わりのものを差し出せって」
「何言ってる。元はと言えば、お前が勝手に来たのがいけないんだぞ」
「でも私たちの関係を言われたくないんでしょう? だから私がここにいる。一度、同じことをしたんだから、二度も三度も同じですよ」
「……何をしたらいいんだ」
「それは後のお楽しみってことで」
そう言うと、ソファーにどっかりと腰を下ろし、丁度使用人が持ってきた紅茶をひったくって飲み始めた。
宗佑は何か言ってやろうかと思ったが、ここで彼女の機嫌を損ねては色々とまずいと思い、そのままにした。
対面する位置に、宗佑も座る。
すると、ここにきてくださいと、自分の隣の位置をバンバンと叩いて春香が呼ぶので、躊躇いながらも彼女の横まで移動した。
「おい、家出少女になるんじゃなかったのか」
「なってますよ。なってるから、こうしてお兄さんに縋っているんじゃないですか」
春香は宗佑の腕をとって絡める。猫のように甘えてくるそれは、むしろ嘲笑しているように思えた。
554 姿見村 ◆DS40EWmSfc sage 2008/10/10(金) 01:32:33 ID:2Dwk/jD3
「……今はやめろ」
「今? 今じゃなければもっとしてもいいですか」
「何を言ってる、ふざけるな」
「――奥さん……妹さんに見られるのは嫌ですか?」
唇の端を曲げたまま、春香は確認するように話した。目は笑っていないのが、宗佑の淡い怒りを動揺へと変えていく。
宗佑と園子が兄妹だということを、春香は知っていた。
話したのは宗佑だったが、妹が妻になる、ということまで聞き出したのは春香だった。
初めに聞いた時、春香は笑い転げた。
ホテルのベッドでいつものように宗佑と情事に耽っている時も、そのことを思い出しては吹き出したし、
はてた時もこういう風に妹ともするのだろうかと考えては声を出して笑った。
しかし、宗佑が姿見村に帰ると言い出した時、彼女はこれが漫画のような作り話ではないのだとわかった。漫画なら終幕の続きなど、あるはずない。
それから春香は、宗佑になぜ結婚するのか、と聞いてみた。園子のことが、妹のことがそんなに好きなのかと。
けれど、彼はただそう言う風に決まっているからそうすると答えただけだった。
園子というのはどんな人だ、と質問を変えても、それ以上は話さなかった。
ある日、しつこいぐらいに聞いていたので宗佑もさすがに嫌になったのかぽつりと漏らした言葉がある。
「園子は普通の子だ。ちょっと不思議な感じがする、でも普通の子」
自嘲するような笑みがそれだけ親近感を感じさせた。
それを聞いて、春香は思った。
けれど、貴方は姿見村という普通ではない村から来たのでしょう、と。
それから春香は変わった。
宗佑の口から妹という言葉が出るだけで頭にもやもやとした嫉妬が広がり、腹が立つようになった。
宗佑が園子のことを言うことは少なかったが、妹、という俗称としては偶に口にすることがあったから、春香はそれにいつも白い目を向けた。
まるでそれは、宗佑自身が園子であるとでもいうような視線だった。
しばらくすると、園子がスリッパをはいているくせに物音をたてずに応接間へやってきた。
「帰ってたの」
「ああ、今帰ったばかりだが。あいつはどこにいったんだ」
「あいつ?」
「母親だよ」
「もう、またそんな言い方して。お母さんなら村長さんの所にいったわ」
「……またか」
宗佑が憎々しげにつぶやく。
555 姿見村 ◆DS40EWmSfc sage 2008/10/10(金) 01:33:09 ID:2Dwk/jD3
園子は春香を視界に収めると、あら、とよくわからないような声をあげる。
それから、使用人に私が買ったケーキがあるからそれを持ってきてもらえないかしら、と頼んだ。
彼女は部屋着のため、簡単なシャツとジーンズしか来ていなかったが、それでも彼女の美しさに春香は目を奪われた。
暴力的な美しさだと、園子を見たものは口をそろえて言う。
それはスタイルがいいとか、芸能人顔負けのルックスとか、そういったことではない。
例えるならば、台風の周囲は暴風雨なのに目の中だけは澄んだ天気だというような、俗世を離れたような魅了。
そこにいるだけでこの空間に園子は確かに存在していると感じさせる。
片腕がだらりと垂れているというのに、なぜそれすらも一部のように見えるのか。
春香はばつが悪そうに視線をそらした。
宗佑は園子に、この女の子が散歩の途中で地面に蹲ったままだったので、どうしたのかと尋ねると事情があって家を離れたというのを聞いた、と話した。
すると朝の電話の人じゃないかと園子が聞いてきたので、一瞬春香に視線をやったが、彼女は下を向いていて疎通を図ることはできない。
「電話のこと、知ってたのか」
そのためか的外れなことを今度は逆に聞いてしまう。
園子はその様子を見て何かしらの感情を浮かべたようだったが、僅かに笑った以外は何も言ってこなかった。
どうしようか。宗佑が考えていると横から、
「そう言えば、電話したんだった」
と急に顔をあげた春香がそういった。
「私、五十嵐春香って言います。たまたまこの辺りに旅行に来たので、お兄さんの顔でも見ておこうかと思いまして」
園子が怪訝な顔をして重ねる。
「旅行……この辺りに?」
「ええ、田舎巡りが趣味なんです。おかしいですか?」
「そう言うわけではないけれど……」
明らかにおかしいことに気づいている園子にはかまわず春香は続ける。まるで園子にはあまりしゃべらせたくはないとでも言うように。
園子は一度、宗佑を見た。
この機関銃のようにしゃべっている少女を止めていいのか、それともあえてしゃべらせておいてほしいのか判断がつかなかったからだ。
しかし宗佑は、顔を見ることで感情を悟られたくないとでも思ったのか、わざとらしく紅茶を飲むフリをした。
飲んだ紅茶が春香の飲んだものだったことにも気づいていない。
「あなたのお友達ってことでいいのかしら」
だから、何となくこうした方がいいような気がして園子はそういった。
「ああ」
宗佑も慌てて了承する。が、春香はまだ、園子さんは何歳なんですか、とかどうして今日は家にいたんですか、とか狂ったように園子に問いかけている。
園子は勿論、多すぎる質問に答えきれてはおらず、どうしたものかしらと困ったように首を傾げるだけだったが、
この異常ともいえる春香の言及に宗佑は何かしようとはしなかった。
「かわいいこね。歓迎するわ」
やっと、そう言えたのは春香がしゃべり出してから二時間も後のことだった。
556 姿見村 ◆DS40EWmSfc sage 2008/10/10(金) 01:34:02 ID:2Dwk/jD3
/
同じ日の夜、八時を回った後に園子が寝室で本を読んでいると、宗佑がのっそりと熊のように不格好ながらも音を立てずにやってきた。
「何読んでるんだ」
園子は背表紙だけを示すことで、宗佑にタイトルを教える。
が、宗佑はその動きに歯噛みして、顔をゆがめた。
「どうしたの」
「いや、別に」
「何をおどおどしているのよ。ここは貴方の寝室でもあるでしょう?」
「ああ。まあ」
話しながら、園子は本を読むのをやめる。
宗佑はそうしてほしいのだろうと感じたからだったが、当の本人は園子の小さな動きすら見ておらず、ベッドの脇にある窓に直進するように歩いた。
宗佑はただ闇に染まりつつあるような外の風景を見つめている。言わずも、風景など頭には入っていないことは明白だった。
園子は左腕を抱えるようにしながら、宗佑の背中を眺める。
きっとあの中には私に対する何かで埋まっているのだろう。
「園子、怒ってるか」
そう宗佑が口にしたとき、すでに園子は再び本を読み始めていた。
しかし、夫が話し始めたのを認めるとゆっくりと本を閉じて脇のサイドテーブルに置いた。
「怒る?」
よく意味が分からず問い返す。
「いや……女の子をいきなり連れてきたこととか、嘘ついたこととか」
それを聞いて、やっと何を言いたいのか察知した彼女は、宗佑とは対照的に虚空を見つめるようにしながら、けれどその虚空をはっきりと意識しながら答えた。
「何も思わないかって言われれば、うんとは言えないけど……でも、どちらも、私に変に思われないためでしょう?」
「よく、わかるな」
園子はそれには答えずに続ける。
「春香さんは客室でよかったの」
「それ以外にどこがいいって言うんだ。まさか俺たちと一緒ってわけにはいかないだろ」
「そういうことじゃなくて」
言いよどんだ園子に宗佑は近づいて隣に腰をおろしたが、苦笑いをしている彼女が何を考えているかわからなくて、さっきまで園子が読んでいた本を見た。
オレンジ調で、二十代三十代が好みそうな女性作家が書いたものだ。
宗佑はこの手の文芸書はあまり読まないが――どの本も同じような内容にしか見えないから――今日ばかりは手にとってパラパラとページをめくった。
唯川か。相変わらず、同じ作家の本ばかり読んでいる。
園子はあまり多種多様なジャンルの本を読むことはなく、同じような女性作家が書いたものばかり読んでいるのだが、
宗佑からしたらそこが園子のイメージがはっきりしない原因の一つだ。
「春香さん、何日ぐらいご滞在するの? 旅行って言っていたからにはすぐに帰るというわけではないんでしょう?」
「いや、すぐに帰す」
「どうして?」
「……園子だって、嫌だろう? 年頃の女が家に泊まりに来るというのは」
「そうかしら」
園子が首をかしげて言う。
気がつくと手に持っていた本が取られ、本棚に戻されようとしていた。
宗佑はもう寝るのかと、と聞く。
しかし園子は首だけ振って、部屋の扉に手をかけた。
不格好な腕を抱えた姿は、それでもよほど様になっていて、宗佑に何も言わないことを許さないほどだった。
「どこへいくんだ」
それでやはり後悔する。言ってから、自分は、何を別れを告げられた男のようなことを言っているのだと思ったからだ。
「やだ。お手洗いよ」
園子が部屋からいなくなる。
ただそれだけなのにどうしてこんなにも申し訳なく思うのか。
宗佑にはわからないのだった。
557 姿見村 ◆DS40EWmSfc sage 2008/10/10(金) 01:34:52 ID:2Dwk/jD3
園子がトイレから戻ると、待っていたかのように応接間の前で佇む春香がいた。
暗闇のせいで幽鬼みたいに見える。
事実、扉にもたれかかって腕をだらりと垂らす姿は子供っぽいとか大人っぽいとかいう前に、なんだか人間らしさがなく、不安感を誘った。
園子は、声をかけるべきかどうか迷う。
それはつまり、そのまま通り過ぎることも視野に入れた、というのではない。
声をかけてくるまで待っていてあげる方がよいか、それとも私から何か気遣ってあげた方がよいか、という意味だ。
「園子さんもお兄さんと寝たことがあるんですか」
奇妙にゆっくりとした言葉が園子に向って投げられた。
下を向いたままそう言われたので一瞬誰に話しかけているのかどうかわからなくて、沈黙が漂った。
春香はどうも、幼いくせにそのイメージが遅れてくる。
そのせいで、どう対処していいか園子にはわかりづらいのだ。
ただ、そこに園子がいないはずはないという確信したしゃべり方は一層この子も姿見村に来るべくしてきたように思わせる。
も、というのは、春香自身がすでに兄と寝ているとでも牽制、いや先制したつもりだろう。
園子は言葉に逆らわないように言ってあげた。
「春香さんは、宗佑と寝たことがあるの」
「ええ、ありますよ」
即答してくる声は、園子に私を責めているのだなと感じさせる。
不思議と、宗佑に対する怒りはなかった。皆無と言ってもいい。
寝た、というのは宗佑が姿見村を一度出た時のことだろうから、そのくらいのことはしていてもおかしくはないし、
それに性欲のはけ口として何もしていなかった、と嘘を言われるよりははるかにましだ。
加えて言うならば、園子は春香よりももっと幼いころから兄と性交をしてきた。
その兄が、他の女で自慰をしたとして、何を思うことがあろう。
別に回数の多さを盾にするつもりはないが、そういうこともあって、春香の言っていることには何の感慨も園子には浮かばないのだ。
「そう」
「たぶん、あなたよりも多く」
しかし春香はできるだけ園子に不快感を与えるようにと口を開く。
踏ん張ってくる春香。
558 姿見村 ◆DS40EWmSfc sage 2008/10/10(金) 01:37:56 ID:2Dwk/jD3
園子には可愛らしいとすら思えた。
必死で宗佑との性交の回数を自慢してくる彼女は、なんだかとても女らしくて、なんだか私にはない感情を芽生えさせる。
新しい玩具のようだ。
ここで、私、小学生のころから兄とセックスしてるわよ、といってあげると彼女はどんな顔をするのだろう。
「……」
それが園子にとって稀にみる嫉妬という感情だった。
ただ少し、女という性別が生んだものとは違う気がする。例えるならば、高い買い物をした他人に自慢されたような感情だ。
「ねえ、園子さん。お兄さんを私に下さいよ」
だから、ここで自分が腹を立てるのは何もおかしいことではない。
春香は応接間の扉から離れ、ぺたりぺたりと歩いてくる。そして園子の前まで来て、にやりと笑った。
「何言ってるの」
「お兄さんは私の大事な人なんです。あの人がいたから私は生きてるんです」
「どういうことかわからないわ」
「わかりませんか? あなたなんかに宗佑さんは渡さないって言ってるんですよ」
それは春香の挑戦と言っても差支えなかった。
が、やはり園子には彼女がかわいそうに思えてならない。
宗佑を信じている彼女。可愛らしく、盲目に、これ以上ないほど。
結果が分かっている恋など、この子はするべきではないのに。
園子はそう思って春香に応えた。
「……でも、貴方は他人だわ」
「他人?」
「家族じゃないでしょう?」
そこで園子は気づいた。今や、初めに見た、狂ったような感情は春香から消え失せている。
園子は気味が悪いと思うほどに自分というものが高揚しているのに気づいた。変化があったというのならば、まさに今訪れているこれはそうだろう。
周囲から誰かが自分をうかがっているような気にさえなる。うかがっている誰かは、間違いなく園子自身だ。
「兄妹で結婚するのがおかしくないっていうんですか」
春香が震えている。
「そうじゃなくって」
そうじゃなくて。
559 姿見村 ◆DS40EWmSfc sage 2008/10/10(金) 01:38:44 ID:2Dwk/jD3
本当にそうではないのだ。
仮に宗佑が兄ではないとしても、何も変わりはしない。
園子は、微笑むようにして見返した。
「私はあの人の妻だもの」
いつの間にか、春香は今すぐにこの場から逃げ出したい気分になっている。
すべてを放り出して、宗佑を連れて逃げ、昔よくいったホテルにいってセックスをする。
それをしたいのに、今の目の前の女は叶えてさえくれない。
いや、叶ったとしてもそれ自体に意味はなく、結局は園子の傍に宗佑は帰ってしまうに決まっているのだ。
園子は、それもすべて承知のようにまだ笑っている。
「まだ結婚していないんだから、あなたは妹よ」
春香の口からかろうじて出たのは、彼女自身の希望だったが、効き目はちぎれそうな輪ゴムのように脆かった。
園子は感想だけを率直に言う。
「面白い人ね。春香さんって」
「……なんですって」
「ごめんなさい。馬鹿にしているわけじゃないの。でも、こんな感情初めてで……これでお母さんの期待にも答えられるかしら」
「意味分かんない」
「こう言えばいいのかしら」
春香はそこで初めて、園子をおかしいと感じる。
「私が、あの人の妻だもの」
嫉妬と感情がないわけではなく。
つまり、園子は確信しているのだった。
あの兄が私から離れるはずがない。私以外の女の所に行きつくわけがない、と。
自分の持ち物だとわかっているものに、どうして嫉妬という感情が湧くだろう。
最終更新:2008年10月13日 00:02