251 ねえたんファッション16 sage 2008/11/06(木) 17:26:14 ID:PI0QYe1p
茶葉の香りだけが酷くのどかに流れている。
水を吸った綿のような沈黙が二人の上に重苦しくのし掛かっていた。
政人は湯呑みを机に置き、どこか遠くを眺めたままの未来の顔色を窺う。
唇を結び、陶磁器の仮面を纏っているかのように固く閉じた貌。
その冷たい面差しの奥には普段の未来が居る筈なのに、厚い殻に隠されて一片の熱も感じ取れない。
未来は静けさをもて余すように床に広がるスカートの裾を白い指先で撫でた。
やがて、唇から吐息程の声を漏らす。
「政人…」
「…うん」
未来は黒炭の髪を肩に滑らせ物憂げに俯く。
「今まではギャルを装っていたけど、これが本当の私の姿なのよ…」
「…」
政人の口がへの字に曲がった。
何故にその胡散臭い後付け設定を押し通すつもりなのか。
「でも、これからは髪も服装もありのままの私に戻すの。地味乙女系着回しコーデもバッチリ準備できているわ」
だからその言い回しが根本的に間違ってるんだってば。
(ギャルだった昨日までをなかった事にしてやがるな…)
何考えてんだか。ヤンキーだった過去を隠す芸能人じゃあるまいに。
政人は俊巡した。未来自身のためにも未来の仕事のためにも、ここは釘を刺すべきか。
252 ねえたんファッション17 sage 2008/11/06(木) 17:27:24 ID:PI0QYe1p
―ああ、彼女は身内なのだから弟である自分が言ってやらなきゃならない。
皮肉な事に、未来の異変を前にして政人は初めて家族の絆を感じていた。
意を決し、未来の顔を真っ直ぐ見つめる。
「イメチェンは自由だけどギャルの方が未来ちゃんらしい――」
「違う」
政人の言葉を冷たく断ち切る低い声。まるで他人の声だ。
「違うよ、政人。私はギャルじゃない。今までもこれからも」
前髪の下からこちらを凝視する異常な双眸。まるで顔を覆いつくしてしまいそうに飛び出た白眼に浮かぶ縮み上がった瞳。
苦悶の末に事切れた死者の形相を思わせた。
この目…。限界まで膨張した風船が内側からの圧力をギリギリに抑えているように、未来は何かを耐えている。
今彼女に刺激を与えてはならぬと本能が訴えるが、政人は悔しさのあまり姉に歯向かっていた。
「何で嘘つくんだよ、別にギャルでいいじゃん」
ブツリ―何かが千切れた音がした。
未来が両手を机に叩き付ける。振動で茶筒が倒れ湯呑みの茶に乱雑な波紋が走った。
塞き止めていた感情を一気に決壊させた未来は、―笑っていた。
「政人はギャルより黒髪清楚が好きなんでしょ?私ギャルじゃないギャルじゃないギャルじゃない!!」
253 ねえたんファッション18 sage 2008/11/06(木) 17:28:18 ID:PI0QYe1p
口元は笑みの形に吊り上がっているのに、その顔はどこか泣き出しそうにも見えた。
怒り、悲しみ、怨嗟。未来の髪の色よりもドス黒い物があっという間に部屋を覆い尽くす。
乱れた髪が顔に掛かるのも気にせず、未来は噛みつくように叫び続けた。
「ほら!ちゃんと見て政人!私古風な女の子だよ?私だってあの人と違わないよ!?ねえ、どうかな?ねえ!?」
―いや、どうかなって。
今まで硬直していた政人の体は足元から徐々に震え出した。
痙攣する筋肉を抑えられず、やがて歯までガチガチと鳴らし出す。
未来の言う「あの人」。それはやはり、あの日あの街で政人が目を奪われた黒髪の女性の事だろう。
あれか。あれが発端か。
まるで雪山で雪玉を蹴り落としたら雪崩になってしまったようだ。何であんな小事がこんな大事に!
「政人ほら見て?政人政人政人の大好きな黒い髪!ねえ!政人!!政人政人、ははは、ほら!!」
鎌の形にぽっかり開いた口の向こうにあるのは、闇。
乱れた黒髪が顔の半分を覆い、眼窩から飛び出しそうな白い眼が隙間から覗いている。
(…チビる)
さっき美味しく戴いたお茶が異常な回転率で排出されそうだ。
政人は恐怖のあまり固く瞳を閉じた。
254 ねえたんファッション19 sage 2008/11/06(木) 17:30:04 ID:PI0QYe1p
―誰か、誰かうちの姉を助けて下さい!!
その呼び掛けに呼応するように、政人の瞼の裏にうっすらと顔文字が浮かんで来た。
『我等が未来姫!大好き(*>∀<)』
一つ。
『o(=゚ω゚=)oイメガ決定おめでとにゃん.*☆・.;・'』
二つ。
闇の中に明かりが点くようにメッセージを灯してゆく。
『コラボのポーチさっそくGETしたよ('-^*)b☆ハートのデコが未来チャンぽくて超かわいい(≧з≦)』
『今日の写真のみぃchanの前髪の編み込みヵゎぃぃ!真似したいです(癶∀癶)』
『未来ちゃんのポエム泣ける、、、(;_q)グス。詩集出してほしーな』
未来のブログに書き込められたコメントの数々が網膜に押し寄せる。
政人の恐怖に凍った体に、彼女達の言葉が血潮となって駆け巡った。
政人は拳を握り締める。
全国の未来ファンの英霊(生きてるけど)がこの背に付いて闘魂を注いでくれる。
この力強さはどうだ。まるで面の皮が二倍くらい厚くなったような…。これがギャルのパワーか。
政人は瞳を開き、前を見据えた。
「政人まさとまさと政人まさと…」
机の上に這うように身を伏せ、壊れた人形のように名を呼び続ける未来。
カリスマモデルの面影などない。ジャパニーズホラーの出涸らしだ。
255 ねえたんファッション20 sage 2008/11/06(木) 17:30:54 ID:PI0QYe1p
政人は腹の底から一喝した。
「俺は、政人じゃない!!」
闇を孕む空気が払い除けられる。
未来すら息を飲んで呪詛の言葉を止めた。
「俺はまーちゃんだ!!ねえたんの弟のまーちゃんだ!」
政人は立ち上がり、胸を張った。
「俺の姉はねえたんただ一人。お姉さんなんて人は知らない!
俺の、俺のねえたんは!
緑茶淹れる練習をわざわざする時間があるなら爪の甘皮取ってペディキュア塗ってる人だ!
三つ折りソックスなんてない!くるぶし丈はスニーカーの時あるけど三つ折りは履かない人だ!
こんな似合ってない服着るくらいなら下着で過ごすのを選ぶ人だ!!
それなのに…なんだよ。たかが身内一人の好みに合わせて自分のスタイル変えるのかよ。
ファンの皆を裏切ってほいほいギャルの信念曲げるのかよ?ギャルの魂どこやったんだよ?
他人の見た目を丸々パクッてそれまでの自分を否定しちまうのかよ!?
そんな人は俺の姉じゃない!!」
未来は肩で息をする政人を呆然と見上げていた。
目玉の中で瞳孔が緩やかに膨らみ生気ある眼差しを戻してゆく。
―姉。姉。姉…。政人の言葉が胸の中に残響していた。
未来は政人のたった一人の姉なのだ。
256 ねえたんファッション21 sage 2008/11/06(木) 17:31:43 ID:PI0QYe1p
やがて、暗い海の底から人魚が海面に浮かび出るように、本来の美しい顔がゆっくりと表皮に蘇った。
綺麗だ。
さっきまでの顔が顔だけに、綺麗さ三割増の未来ちゃんである。
「…ねえたん」
そっと、壊れそうな桜の花弁に触れるように未来の呼び名を口にした。
「……まー…ちゃん?」
未来は未だ呆然としながらも、反射的に政人の名を返す。耳慣れたその響きに政人は思わず涙ぐむ。
ねえたんの帰還―。
あの怨霊は無事に黄泉へと帰ったのだ。
嗚呼。この和室は後ほど四隅に塩を盛ろう。今日のお風呂には日本酒を入れてお清めしよう。
そして、自らの肩からも、役目を終えた戦神達が引き上げて行くのを感じる。
(ありがとう…。ギャルの皆さんありがとう…)
と、一見落着といった所で政人は気付いた。
先程溢れ出るアドレナリンに任せてつい熱血教師みたいに語ってしまったが、自分は何を言っていた?
声高にねえたん愛を叫んだ気がする……。
「嬉しい…!」
嫌な予感通り、未来がブワッと涙を溢れさせた。
熱烈な愛を受けたねえたんは幸せが爆裂して富士山から花火が噴火し桜吹雪が吹き荒れ大海原が桃色サンゴ礁だった。
対する政人は紙みたいに
真っ白でカサカサである。
257 ねえたんファッション22 sage 2008/11/06(木) 17:32:56 ID:PI0QYe1p
「まーちゃん!まあちゃああん!!」
叫びながら未来は自らも立ち上がろうとした。しかし足に力が入らず前のめりに倒れ込む。
「うぉあ危ねっ!」
熱湯の入った鉄瓶に激突しそうになった未来の上半身を政人が抱き止めた。
さては未来、足が痺れてるな。
…もう!慣れない正座なんか長時間するから!政人は悪い意味で泣きたくなった。
未来は政人に抱かれたままひっしと腕を首に絡めてくる。
「まーちゃんはこんなにもギャルの私を求めてくれてたのに…私、私…」
「ちょちょちょ、そっ、それは後で聞くから首離して」
今二人は机を挟んで見事な『人』の字を描いている。
未来は全体重を政人の首に預けてくるし、踏みしめた座布団が畳の上を滑っていって徐々に角度が開く。
政人の背骨はミシミシ鳴った。正に苦行。
「痛…痛い痛い痛い!首と腰に来た!」
「こんなにも…こんなにも私の事を見てくれてたのに……」
「あの!だから後で聞くから今はこの危機を乗り越えようね、ほらっ、お、降ろすよ。よいしょと」
政人はなんとか未来の体を机の横にズルリと横倒しにする。
しかし未来が首を離さないので政人も引きずられて被さるように倒れてしまった。
もみゅっ
続く
最終更新:2008年11月09日 19:19