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未来のあなたへ New! 2008/11/20(木) 12:34:27 ID:MqbWZ1Et
私には兄がいる。
我が家の家族構成は、父、母、兄、私の四人で成り立っている。それと飼っている猫が一匹、名前はミケ(♀)。
隠し子や義理の親子関係といった、特殊な関係性はない。どこにでもある普通の家族構成だ。
父は隣町の商社に勤めている。会社の規模は中堅で、役職は部長。
理性の抑制が強い人で、私は父が怒鳴るのをほとんど見たことがない。
感情をあまり表に出さないけれど、実際は人並み以上の倫理を備えている。そんな人だ。
私の性格は父に似た部分が多いと思う。
私は父とは普段あまり話さない。とはいえ、それは嫌い合っているわけではなく、ただお互いに無口なだけだ。
時折、疑問に思ったことを質問としてぶつけてみたり、議論めいたやりとりをすることもある。
父の論理は明瞭公平で、納得できなかったことはほとんどない。母や兄では、議論が成り立たないという面もあるけれど。
私はそんな父を好ましく思っている。いや、言い変えよう。私は父のことを信頼している。
母は父より二歳年下で、家事を引き受けながら昼間は近所のスーパーマーケットでパートタイマーをしている。
父とは反対に、感情をすぐ表に出す人で、涙もろく情に弱い。
とても騙されやすい人で、一度などは振り込め詐欺の被害に遭いかけたこともあった。あと、通販で役に立たないものを買うのと、新聞を何部も取るのはやめてほしい。
私と母との間柄は、一般的な親子というよりも友達同士の感覚に近い。
休日はよく一緒に買い物や遊びに行くし、会話の調子も上下ではなく対等なものだ。ただし躾に関しては、それなりに煩い。
少なくとも、母ならば私のクラスメイトと一緒に遊んでも、エネルギッシュという点では引けを取りはしないだろう。
どちらかと言えば大人しい性質の私は、そんな母に疲れてしまうこともしばしばだった。
けれど母に抱く感情は決して嫌悪ではない。むしろ、最も仲のいい人間とさえ言えるだろう。
父と母の夫婦仲は良好な方だと思う。
言い争っていることもある(大抵声を張り上げているのは母だけ)けれど概ねは翌日何事もなかったかのように会話をしているし。
週に二度、夫婦で食事に行くのも基本的に欠かしたことはない。
たまに思うのだけれど。あの正反対な性格の二人が、一体どうして結婚などできたのだろう。それとも、結婚とは案外そういうものなのだろうか。
自身のことも記そう。
榊優香。女。十四歳。中学二年生。
背丈は平均よりも高い方。髪は背中に届くまで伸ばしている。プロポーションは……まあどうでもいいよね。
総合的な外見に関しては、周囲からは高評価を受けている。けれど自分が美人かどうかなど、実感が湧いたことはない。
学力は上の中といったところになる。理系に強く、文系にはやや弱い。運動はそれほど得意ではない、というよりも苦手だ。
性格に関しては、よく他人には冷血優等生等と言われる。何事も論理的に判断するから、そういった評価を受けているのだろう。それについては父の影響と言う他はない。
そんな評価と性格だからか、友人は少ない。昼食を一緒に取るクラスメイトがいるけれど、よく話すのはその子ぐらいだ。
前述した通り、私の家族に問題はない。兄については後述するが、十分以上に善人と言える人柄だ。
むしろ境遇としては恵まれた方に部類するだろう。私はきっと、生き易い世界に生まれてきた。
けれど、境遇にも遺伝にも問題がないならば、私はどうしてこのような人間になってしまったのだろう。
私は兄が好きだ。
私はあの人を、異性として求めている。
581 未来のあなたへ New! 2008/11/20(木) 12:36:42 ID:MqbWZ1Et
兄は私よりも一つ上だ。十五歳。中学三年生。
背丈は平均よりもやや低い。昔から、クラスで一列に並ぶと五番目くらいになる人だった。私よりは高いけれど、その差はあまりない。
本人は背丈のことをとても気にしていて、指摘するとすぐに怒る毎日牛乳を飲んでいたり、微笑ましい努力は行っているけれど、今のところ結びついてはいないようだ。
背が低いからひ弱かといえばそんなことはなく、体つきはかなりがっしりした方だろう。私とは違って運動が得意で、中学に入ってからはサッカー部に所属している。
代わりに勉強は苦手で、成績はいつも低空飛行。赤点を取ることもしばしばで、そういう時は母に派手に怒られているのをよく見かける
性格は、一言で表すのなら純朴。よく笑い、よく泣き、嘘が簡単に顔に出て、すぐに落ち込んで、すぐに立ち直って、人を根拠なく信じて、裏切られて、馬鹿で能天気で、けれど傷つき易くて、
だからこそ他人の痛みがわかる人で、優しくて、強くて、それは他人を傷つけるような強さではなく、真実心の強い人で、それから、それから……
客観的に見るのなら、兄は大して魅力的な人間ではないのだろう。
頭が悪くて馬鹿でお調子もの。サッカー部ではレギュラーだけど、派手な活躍をするでもなく。男女問わず付き合いは多いけれど、異性としては良い友人で終わる、そんな人。
世間一般と私自身と、どちらの評価が歪んでいるのかと言えば、それは私の方だろう。針小棒大にも程がある。
あの人を私以上に評価する人間は、きっと他にはいないだろう。今までも、これからも。
容姿一つを鑑みても、兄には秀でたものはない。低い背丈、ごわごわの短髪、大ざっぱな顔立ち。
けして不細工ではないけれど、見惚れるような美形ではない。それが客観的な評価というものだろう。
けれど私にとっては、少女マンガに出てくるような理想的な造形が、兄の姿形なのだ。
低い背丈も、針金のような短髪も、がっしりした手足も、日に焼けた肌も、頑丈な骨格も、絆創膏を張った膝も、誰も触れたことのない唇も、全て、全て。
もしも他人に話せば、趣味が悪いの一言で済ませてしまうだろう。けれどそんなものではない。そんな生易しいものではない。
幼い頃から形成されてきた私の人格に、ぽっかりと空いた空白の形が、兄なのだ。
私は昔から、感情の起伏が少ない人間だった。
他の人が怒ったり泣いたりするような場面でも、私は「ふうん」と流すだけだった。
それは私自身に危害が及んでも同じことで、転んでも叩かれても怒られても、泣いた覚えはない。
物事に対する態度も同じで、定められた水準を淡々とこなしていくだけだった。そこには達成感などありはしない。挫折感も、ありはしない。
喜怒哀楽、快楽と苦痛、それら全ては私にとって動機足りえない。
多分私は鈍感なのだろう。
生まれつき痛みに強いということは、けして誇れるようなものではない。他人の痛みも実感できない人間は、容易く他人を傷つけられる。
本来の私は、殺人鬼ではないだろうかと……思うときがある。
それでも
それでも私が曲がりなりにも、不適合者として社会から逸脱しないでいられるのは。
兄のおかげだ。すぐに泣いて、すぐに怒って、すぐに笑う、兄のおかげだ。
私の前で、物事に対して人並みの反応をする兄がいたからこそ、私は人並みの基準というものを学ぶことができた。
私の前に、誰に対しても気を使う兄がいたからこそ、私は痛みと倫理の価値というものを知ることができた。
そして何より。兄がいるからこそ、私はこの場所にいることを望んでいる。
今、私が、友達付き合いをするのも、勉強をするのも、学校に通うのも、息をするのも、生きているのも、全て。
喜怒哀楽、快楽と苦痛、それら全ては私にとって動機足りえない。だから私は理性で自己を規定し、その枠の中で動く。
私は、自分の命自体には価値など感じていない。死に対する恐怖も、無視できる大きさにすぎない。生よりも死を選ぶべきだと理性が判断すれば、躊躇なく実行できる。
私は、生きているという理由だけで、生き続けるという行動を行うことはできない。
私が生き続けているのは、ここに兄がいるからだ。兄がいないのなら、こんな場所にいる理由はない。生きている理由はない。
兄は普通の人だから、私は物心ついてからずっと、普通の人間のフリを続けている。
私は、私に欠けている全てを持った兄を想うことで、ようやく普通の人間になれるのだと思う。
582 未来のあなたへ New! 2008/11/20(木) 12:37:16 ID:MqbWZ1Et
そうしてずっと生きてきた。
疲労しない、といえば嘘になる。けれど私にとっては、疲労感は動機にはならない。
それよりも未来のことを考えると、理性がひび割れるような思いがする。論理的な矛盾があるからだ。
この生き方を、私はいつまで続けることができるのだろう。
兄にはまだ、恋人はいない。客観的に見れば、異性として大して魅力的ではないからだ。そして兄自身、恋人を作ることに積極的ではない。私はその二つの事実に、深く深く感謝する。
けれどこれから先は、どうなるかわからない。いいや、いつかは必ず、兄には恋人ができるはずだ。それが一カ月先か、十年先かまでは不明なだけだ。
兄を誰かに奪われることを考えると、私の理性は軋みを上げる。胸がかきむしられる様な思いがする。それが、普通の人間にとっては絶望と言うべきものなのだろう。
ならばどうするのか。先に私が、兄を奪ってしまえばいいのか。
けれど理性は考える。仮に兄と恋人同士になったとして、その後はどうするのか。
兄妹の行為は近親相姦に当たる。両親や知人にどう説明する? ずっと秘密にしておくのか? 結婚は? 戸籍は? 出産は? 子供にはなんと言う? 授業参観は? 保護者面談は? 近所付き合いは?
社会の中で、生きていくのなら。その間ずっと、秘密を維持しなくてはならない。
いや、私はいい。秘密を守ることによる不安も心労も、私ならば塵に等しい。そんなものは喜んで享受しよう。
けれど、それを兄にまで背負わせるというのか。普通の人間であるあの人に。日の当たる場所で笑っているあの人に。
近親相姦の罪を、背負ってまで、あの人はきっと笑ってはいられない。
論理の矛盾だ。
私の欲する通りに動いたとき、私は兄の最も大切なものを奪ってしまう。
何故なら私はあの人の妹であり、私があの人に望むのは罪のない笑顔だから。
……どうして私は、あの人の妹に生まれたのだろう。
妹でさえなければ、あの人を貶めることもなく一つになれたのに。
兄に逢うことがなければ、私は矛盾もなく殺人鬼でいられたのに。
こんな人間でなければ、私はただの妹でいられたのに。
運命などというものはなく、全ては偶然にすぎないと私の理性は知っている。
けれど、それでも。運命を呪わずにはいられない。
そもそも、どうして私は兄を異性として求めているのか。
ただの家族として、妹として求めることができたのなら、こんな矛盾を抱えることもなかったのに。
客観的に見れば、兄は異性としては大して魅力的ではない。ならば通常、他の人間に異性としての興味を持っても良いはずだ。
家族に対する愛情と、異性に対する愛情は、本来分けられるものなのだから。
けれど私は、兄以外の人間に抱かれることを考えると吐き気がする。
どんな理想化した偶像が相手でも、犯され孕まされる段になると、私の想像力は悲鳴をあげて停止する。愛液など、一滴たりとも分泌はされない。
その後はどうしようもなく兄の匂いを求めたくなる。なりふり構わず抱きついたことさえあった。
583 未来のあなたへ New! 2008/11/20(木) 12:38:59 ID:MqbWZ1Et
恋愛感情と性欲は、イコールではないにしろ密接な関係がある。
前述と矛盾するようだが、私はよく自慰をする。快楽に溺れているわけではない、と思う。あまり気持ちの良いものではないからだ。私はおそらく不感症の類だろう。
それでも私はほぼ毎日のように自分を慰める。場所は自室のベッド、道具は使わない。妄想の対象はいつも兄だ。
前から後ろから貫かれ、組み敷かれ組み敷き、あるいは抱き合って、愛を囁かれ、精子を植え付けられるという妄想。
奇妙かもしれないが、そういった行為の中でも快楽は少ない。けれどそれよりも、胸がひどく満たされて、絶頂に至る。
鑑みるに、私はとても性欲の強い人間なのだろう。ただし肉体的なものよりも、精神的な欲求の方がはるかに強い。
そういえば小学三年生の時、テストで高得点を取って兄に頭を撫でまわされた時。雷に打たれように、体がびくびくと震えたことがあった。勿論、第二次性徴を迎える前だ。
幼い頃から私は手のかからない子供らしかったが、その時点で絶頂に至るだけの性欲というものを備えていたことになる。とんだ優等生もあったものだ。
そして、この時点で推測が成り立つ。
すなわち、私の恋愛感情の正体は。幼い頃から備わった精神的に並外れた性欲を、たまたま近くの人間に向けただけではないのだろうか。
……
……推測を否定する材料はない。
だとすれば私は、生まれついての異常者であり、兄は不運な犠牲者でしかないというのか。
兄のことを思うのならば、そんな異常は即刻排除してしかるべきだろう。
兄のことを思うのならば、そんな歪んだ性欲は他に向けるべきだろう。
あの人のことを思うのならば。
けれど私は……この期に及んで、何一つとして兄のことを思いやってなどいない。
全て自分の都合だ。
傍にいたいのも、笑顔を望むのも、自らを慰めるのも、性欲を向けるのも、感情を求めるのも、笑顔が失われるのを恐れるのも、全て、全て。
身勝手極まる私の都合にすぎない。
私の中には、そのような自分を最悪と判断する理性はあっても、断罪する良心など存在しないのだ。
いくら普通の人間のフリをしていても、私にそのような良心が真に根付くことはなかった。
やはり私は、人間として決定的に欠けている。
けれど……いや、だからこそ
私は、私に欠けている全てを持った兄を求めるのだろう。
諦めることも、進むこともできず、論理の矛盾を抱えたまま、私は今もここにいる。
普通の妹のフリをして、兄の後ろに。
この場所で兄を見ていれば、私の胸には暖かいものが満ちる。まるで普通の人間のように、他人を思いやることさえできた。
私の自我にぽっかりと空いた、良心や倫理のあるべき欠落。兄の存在だけが、その空虚を満たしてくれる。
けれど未来に目を向ければ理性が悲鳴を上げる。いずれ訪れる終わりから、ただひたすらに私は逃げるしかない。
いずれ、兄に恋人ができたのなら。
今の私は間違いなく壊れる。そして、何かを壊して、進むのか退くかを選ばなければならない。それは未来の私が選ぶことだ。
だからこの文章は、一種の遺書のようなものだ。
いずれ壊れ、二度と訪れない、今のこの気持ちを残すためのものだ。
未来の私(あなた)へ
それでも私は、この日々の暖かさに感謝します。
私はきっと、幸せだったから。
最終更新:2008年12月02日 10:07