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未来のあなたへ2.5 sage 2008/12/04(木) 12:19:14 ID:LbPOeWK8
お昼になったので、プールサイドで榊兄妹と合流する。
それにしても、一応ウォータースライダーは避けてたけど、ずっと二人で滑ってたんだろうか。想像力が拒否した。
昼食は打ち合わせ通り、優香ちゃんがお弁当を作ってきてくれたのでそれをみんなで囲んで食べる。ちなみに具が色々のおにぎり。
出来はともあれ(料理の腕だけはわたしの方が上かな、年季が違う)白米が腹いっぱい食べられるっていうのはしあわせなことだ。
「うめー、うめーですね。はぐはぐ。あ、こっちはおかかだ」
「うん、うまいうまい。優香、ありがとうな」
「ただの御握りですよ。そこまで褒められるようなものではありません」
「二人とも、あんまり食べると午後お腹痛くなるよ? ほどほどにね」
「大丈夫大丈夫。ちょっと休めば腹もこなれるって。休みの日の部活だってこんなもんじゃん」
「体育会系バンザイって感じですね! そういえば、わたしたちはともあれ優香ちゃんは疲れてないすか?」
「大丈夫です。私も体育会系になりましたから」
「え、そうなの? 妹さん、運動部に?」
「はい。二か月前からですが、柔道部に」
「いやー、あれはぶっ飛びましたね。優香ちゃん、いきなりなんですもん」
優香ちゃんが柔道部に電撃入部したのは二か月前だ。
榊先輩にしたわたしの恋愛相談が優香ちゃんに漏れて倒れ、お見舞いに行って危うく生還した翌日に。優香ちゃんは入部届けを持って女子柔道部に行った。
わたしも榊先輩も詳細を知ったのは翌日だった。いや本当に驚いたっす。
ちなみに我が校の女子柔道部は結構な弱小で、全員合わせて八人が九人になったとか。
当の優香ちゃんと言えば至極ノリノリで、朝練の時間に登校してきては、ジャージ姿でランニングをしているのを見かけるようになった。元々部員でさえ参加している人は少数だというのに、熱心なことです。
そういえば部活中もポニテにしてた。こいつはまた惚れる男が増えそうだ、ちっ!
なんで柔道部に入ったのか、勿論聞いてみた。返答は
『……護身用を兼ねられれば効率的かと思いまして』
だそうだった。本当にそれだけですか? なんで一瞬口ごもったんすか?
しかし、時間帯が合うようになったので優香ちゃんは毎日榊先輩と登下校しているみたいだけど。
ブラコンを隠すのやめたのか、それとも摩訶不思議な理屈付けで榊先輩を欺いてるのか。聞いてみたい気もするけどやめておいた。命は惜しい。
その後。
一休みしてから、ビーチボールで四人遊んだ。正確な競技なんかじゃなくて、プールに半身をつけてボールが落ちないよう適当に打ち合うだけだったけど。
全員運動部だったせいか、かなり白熱する勝負になった。先輩両名はともかく、わたしと優香ちゃんの運動能力が同じぐらいだったのは驚きだ。二ヶ月で一体どれだけ鍛えてるんですか。
流石に、一番最初にへばったのは優香ちゃんだった。少し肩を上下させて淡々と悔しそうに「疲れました」と言っていて。榊先輩が付き添って、寝椅子で横になっていた。
しかし、ああしてると恋人同士にしか見えないけれど……むしろわたしと雨宮先輩の方が兄妹に見えるんだろうなあ。
「んじゃ、こっちはどーしますか、先輩?」
「そうだね、どうしようか。晶ちゃんは疲れてない?」
「いーえ全然、と言いたいところですが結構足にきてます。いっぱい泳ぐのはちょっと辛いっす」
「それじゃ、室内の方にサウナがあったみたいだけど。そっち行ってみる?」
「うわー、サウナなんて初体験ですよ。それじゃれっつらごー!」
ぱしり、と雨宮先輩の手を取って室内プールの方に歩く。あの人は苦笑して、そのまま後に続いた。
わたしはといえば、迂闊に振り向くこともできなかった。こんなに顔が熱いんだ、きっと真っ赤だっただろう。
おかげでサウナの場所なんてわからないわたしは、先輩をひいてプールサイドをしばらくうろうろする羽目に陥る。恥ずかしくて死にかけた。
890 未来のあなたへ2.5 sage 2008/12/04(木) 12:21:09 ID:LbPOeWK8
サウナというのは要するに、室内プールの一角にある部屋だった。他のモルタルな内装とは違って、ロッジのような丸太の壁床。
部屋の中は、目に染みるような熱の空気がたちこめていた。予想に反して、蒸気がもうもうというわけではないみたい。ひたすら、空気そのものが熱い。
狭いサウナルームに、他の人はいなかった。ぺたんと、段差に腰を下ろす。あつっ!
「熱いですね……」
「そうだね……」
わたしの呟きに、斜め前に座った雨宮先輩が力なく返す。ローテンションなのは、吸う空気を少しでも少なくするためだ。肺すら熱い。
見る間に、じっとりと汗が全身に噴き出してきた。確かにこれは体重が軽くなりそうだけど、水分を絞り出すことを痩せると言うんだろうか。
頭がぼうっとする。
「そういえば……大会、お疲れ様でした」
「うん。ありがとう……少し寂しいけどね」
サッカー部の大会が終わったのはつい先週だった。結果は地区予選敗退。二回勝ってそこで負けた。結果からいえば、相手は地区予選の優勝校だったので仕方ないと言えば仕方ない。
三年生にとって引退前の最後の試合。
試合に負けたその瞬間、榊先輩は泣いていた。感情表現豊かな人だからなあ。ついでに言うと、優香ちゃんは土手で見てた。なんかあの辺だけ、オーラが違った。
榊先輩に釣られてか、他にも泣いている人はいた。雨宮先輩は、悲しそうだったけど他の人を慰めて整列させて回っていた。
わたしといえば、どこかのアニメじゃないけれど。そういう時、どういう顔をすればいいのかわからなくて。みんなの視界に入らないよう、ベンチの後ろで立っていた。
「……」
「……」
「……」
「……」
頭がぼうっとする。腕が熱い。
頭がぼうっとする。足が熱い。
頭がぼうっとする。頭が熱い。
「雨宮先輩」
「……なに?」
「……好きです、付き合ってください」
ここ、で。
告白しようなんて思ってなかった。作戦では今日ありったけ好感度を稼いで、次はなんやかんやと言い訳をして個別デート。それを何度か繰り返し、フラグを立ててから告白、という戦略だった。
元より相手は、わけのわからない理由で美少女を振りまくる女殺しだ。そうでもしなければ、わたしのようなチビなんて、とてもとても。
「え……」
「部活は、もう終わりですよね。これからは受験で忙しいのかもしれませんけど」
「あ、うん……」
「邪魔とかしませんから、卒業まで……難なら、夏休みが終わるまででいいですから……付き合ってくれませんか?」
「……」
雨宮先輩は、ぽかんとした表情でこちらを見ている。当たり前だ、当たり前だ。視界を占める空気が熱い。
とてつもない自爆をしたのだと理解はしていたのだけど、熱さで茹った頭は危機感を感じるほど回っていなかった。
だから、ただ馬鹿のように、雨宮先輩の返事を待つ。
「……」
「……」
「……」
「ごめん」
――――ああ
終わった。
その瞬間、わたしの中で柔らかいものが凍る音がした。
わたしの人生で、今まで飽きるほど聞いてきた音。
今日は楽しい日だった。こんなプールに来たのは初めてだし、こんな風に多人数で遊んだのも初めてだし、好きな人と一緒に一日を楽しめた。良い日だった。感謝すべきだ。
最後、盛大に自爆してしまったのが唯一残念だったけど。
人生なんてそんなものだろう。
よくある話だ。
891 未来のあなたへ2.5 sage 2008/12/04(木) 12:22:12 ID:LbPOeWK8
「あはは、ごめんなさい。変なこと言っちゃって」
笑った、笑えた。多分、凄く、自然に。
凄い発見をした。人間は辛い時ほど笑うんだ。その必要があるから笑うんだ。
辛い時ほど笑うなら、全て笑い話で済む。どこかのアニメじゃないけれど、わたしは笑えば良かったのだ。
真理発見。
ぐらり、と天地が回った。
「晶ちゃんっ!?」
サウナの熱と、興奮の熱で、わたしは頭部で『の』の字を描き
その場でぶっ倒れた。
わたしが、雨宮先輩を選んだのは
恋とか、愛とか、そんなものじゃない。そもそもわたしは、そんなものを生まれてこのかた与えられた憶えがない。知らないことはできない。
だからと言って、命の危機を助けてもらったとか、そんなイベントがあったわけでもない。
わたしが部活に入ったのは、言ってしまえば良い男を探すためだった。すっごい売女。
それがサッカー部だったのも、大して理由があるわけでもない。強いて言うなら昔から、公園で同年代の少年が、サッカーをするのを見ていることが多かったから。
スペックだけで選ぶのなら、部長氏がダントツだっただろう。成績優秀眉目秀麗品行方正サッカー部部長って、あんたどこの典型的フラれキャラですか。
部長氏を選ばなかったのは競争率の問題もある。ファンクラブみたいなものまで存在するからなあ、あの人。
競争率の問題だけならば、榊先輩を選んでもよかった。そこで雨宮先輩を選んだことに、大した理由はない。
わたしはサッカー部に潜入するにあたって、まず笑顔の練習をした。TVを、周囲を観察して、鏡の前で一人練習を繰り返した。
KYで対人能力ゼロの女が、狙った男を落とせるはずがないから。別人になろうと思った。というか、別人になりたかった。よわっちい人間だな、わたしは。
笑顔の仮面を被ることを、わたしは学んだ。だけど
『ちーっす! このたびサッカー部のマネージャーになりました藍園晶っす! どうか気軽に晶ちゃんでよろしく!』
自己紹介の時の空気を思い出すと、のたうち回って叫びだしたくなる。ごろごろ。
対人能力の欠如を隠そうとするあまり、違う意味で痛いキャラになってしまったという悲劇というか喜劇がその時わたしを襲った。しょせんKYは運命から逃れられないんですか。ハブという。
けれど。
完全に滑った空気の中、わたしの捨て身ギャグ(としか思えない)に、一番最初に再起動したのは。キングオブ馬鹿の称号を持つ榊先輩ではなく、ひょろっと背の高いヤワそうな先輩。
『あはは。よろしくね、晶ちゃん』
それが、雨宮義明という人だった。
その笑顔に惚れた、なんて馬鹿なことは言わない。
ただ。幾度練習しても心からの笑顔が身につかないわたしにとって。その人の微笑みは、ある種の憧憬を呼び起こすものになっていった。
元々、わたしに恋愛感情なんてものはなかった。ただ、雨宮先輩を選び、好きになると決めただけだ。
けれど
それがやっぱり、叶わないものだとしても。
それでもわたしは、雨宮先輩を選んでよかったと思う。
あはは。
892 未来のあなたへ2.5 sage 2008/12/04(木) 12:24:11 ID:LbPOeWK8
意識が朦朧としていたのは、多分数十秒だった。
どぼん、硫酸の海に放り込まれる。
「い、いぢぢぢぢぢぢぢぢぢぢっ!?」
全身に刺すような痛みが走り、わたしの意識は一気に覚醒した。
死ぬ、溶ける、と手足をじたばたさせるけれど、縛られてるようで上手くいかない。
「ぎゃーす!」
「晶ちゃん、大丈夫? 晶ちゃん?」
勿論、んなこたーなく。
真相は。ぶっ倒れたわたしを抱えて雨宮先輩が手近なプールに飛び込んだのだった。
皮膚が剥がれるかと思った激痛は、わたし自身と水との温度差だった。サウナ恐るべし、拷問に使えると思う。
さておき。
「あいたたたた。ありがとーございます。危うく燻製ハムあたりになるところでしたよ」
「………」
「先輩?」
軽口にも答えず、雨宮先輩はわたしの体をじっと見ている。
え、まさかツルペタスク水に今さら覚醒したとか? と自分の貧相なプロポーションを確認……げっ!
「晶ちゃん……その、痣……」
わたしのツルペタスク水の露出部分。肩や腕や足やあちこちに、痣やらやけどやらの古傷が浮かび上がってきていた。
いつもは風呂上がりに現れる現象なのだが、サウナで同じ効果があったらしい。考えてみれば当たり前だ。
水の中、体温が常温に近づくにつれ、見る見るうちに古傷は姿を消していく。後には日焼けした肌が残るだけ。なんか変身ヒーローみたいだ。
ただし、わたしを抱き留める雨宮先輩の記憶からはまだ消えていないらしい。どうしよう。
全身の古傷。打撲にアザ、煙草を押し付けてできた火傷。まともな推理能力があれば、回答は限られる。
えーと。実は戦場帰りとかどうでしょう。はい、言い訳無理!
「晶ちゃん……もしかして……」
「あ、あはははー」
笑った。やはり、本当に辛い時に人は笑える。真理だ。
もう……いいか。
誤魔化す必然性が限りなく薄くなっているのに気付いて、更に笑えた。どうせもう、わたしはフラれているのだ。
この場で裏をぶちまけて、お互いすっきりさせて終わろう。TVのドッキリのようなものだ。自棄になっているのも否めない。
雨宮先輩の胸をついて、ゆらりと離れる。声の届く範囲に、他の人はいない。
「えへへ。まあ、よくある話なんですけどね」
よくある話をした。
物心つく前に両親が離婚したこと。
父親がどうしようもないロクデナシなこと。
基本的に放置されて育ったこと。
父親から打撃や根性焼きを受けるのが嫌で出歩いてばかりだったこと。
KYで対人能力ゼロな人間になったこと。
餓えるのを避けるために料理を必死に覚えたこと。
自業自得でイジめられてきたこと。
キャラを作ってサッカー部に潜り込んだこと。
大した理由もなかったけど雨宮先輩を選んだこと。
本当は恋とか愛とか、全然分かんないこと。
え? どうして、そんなことをしたのか、だって?
893 未来のあなたへ2.5 sage 2008/12/04(木) 12:25:46 ID:LbPOeWK8
「父親がねー、中学出たら働け働けってうるさいんですよ。
もうね、本当にうるさいんですよ。わたしが小学校に入る前からずっとですもん。
あれはもう何をどうひっくり返っても、進学費用なんか出す気はないっすね。
多分未来の金蔓と思わなきゃ、わたしの養育なんてやってられなかったんでしょうねえ。先行投資って奴です。
だからまあ、そういうわけでわたしの学生生活もあと一年と半年なんすが。
中卒で社会に出て働くとなると、最終的にはお水系に行くしかないと思うんすよね。いわゆる十八禁系です。
けど、さすがのわたしもそういうところで処女を捨てるのはどうかと思ったんで。
せめて最初ぐらいは。ちょっくら誰かを騙くらかそうと思ったわけです、はい。
あはは、すみませんでした、雨宮先輩。わたしが言うなって感じですが、騙されないでよかったすね」
え、それでいいのか、って?
あはは。
「だってこんなのよくある話じゃないですか」
なにより
「人生なんて、そんなもんですよね?」
誰だって、大なり小なり事情を抱えて生きている。他者と比べてどうだとか、そんなことをしても何も変わりはしない。
わたしは、自分が特別な存在だなんて、特別に惨めな存在だなんて思わない。同じような境遇なんていくらでもいる。よくあるよくある。
それに、最終的には誰だって。人生なんてこんなものだと諦める。
わたしの場合は、それが他人よりちょっと早かっただけだ。
あはは。
楽しい時も辛い時も人が笑うなら、人生なんてギャグで済む。そういうものなんだろう。
そんなことを、雨宮先輩に面白おかしく打ち明けた。その後、榊兄妹と合流し、その日は解散になった。お疲れ様でした。
ただ、あの話の後から。雨宮先輩が黙ったままなのが気になる。うーん、悪いことをしてしまったかも。
「まあ、あんまり気にしないでください、あはは」と肩をバンバン叩いておいたけど。あれで良かったんだろうか。こういう時KYは困る。
それから二週間。雨宮先輩と会うことはなかった。
翌日、わたしは土産を持って榊家を訪れた。土産は駄菓子の詰め合わせ。安っ!
「というわけで、作戦大失敗に終わりました。支援打ち切りというわけで、超申し訳ありません」
「ええええええ!?」
「……」
オーバーリアどうもありがとうございます、榊先輩。優香ちゃんは無言だけど流石に驚いてるようだ。
「ちょ、ちょっと待って! どういうわけ!?」
「いやー、昨日二人でいる時に、勢い余って告っちゃって。ばっさり断られました、うわははははは」
「ええええええ」
二度目のオーバーリアどうもあり(略
のけぞって驚く兄を尻目に、優香ちゃんはわたしに一言問いただした。
「藍園さんは、それでいいの?」
「いや、良いも悪いも。これ以上はストーカー行為規制法適用されちゃいますって。あ、部活にしこりを残すようなマネはしませんから大丈夫っすよ」
「そう」
というわけで。榊兄妹への義理を果たしておく。いやはや本当、この二人には余計な迷惑をかけたものだ。雨宮先輩を入れれば三人か。
榊先輩はどうも納得できなかったようだけど、最終的に恋は水物ということで落ち着いた。
一方、優香ちゃんの方は、既にまるきり興味を失ったかのようにクールなものだった。ただ、最後わたしが去り際に
「藍園さん」
「うい?」
「諦めているの?」
「……ええ、まあ」
「そうですか。けれど私は諦めませんから」
そう言った優香ちゃんの瞳には、いつかのようなおぞましさが垣間見えた。
894 未来のあなたへ2.5 sage 2008/12/04(木) 12:26:19 ID:LbPOeWK8
わたしにとって優香ちゃんは、一種の憧れだった。
世間のしがらみとか、自分のKYな性格とか、そういった俗事に翻弄されてきたわたしにとっては、憧れるしかなかった。
優香ちゃんが聞いた『諦めているのか』というのは、雨宮先輩のことじゃない。人生のことだ。
そう、わたしは自分の人生を諦めている。
諦念は最強の麻薬だ。どんなに辛いことが待ち受けていようと、諦めてしまえばどうってことはない。
わたしはそうして生きてきた。いわゆる負け犬人生だ。
優香ちゃんもまた、何かを抱えている。その正体まではわからないけれど、世間のしがらみなど意に介さない態度を見れば、それはとても大きなもののような気がする。
それでも優香ちゃんは『諦めない』と言い切れるのだ。今までも、これからも。
人間がいつか諦めるものならば。
優香ちゃんもいずれは諦めるのか。
それとも人間であることの方を……いや、妄想はこれくらいにしておこう。
わたしは、優香ちゃんに憧れることしかできない。わたしはとうに諦めた。
ああ、わたしは本当に弱い人間だ。こういうところは、あのロクデナシに似たのかも。
まあ……人生なんて、そんなものだろう。
プールに行ってから二週間後。
夏休みが終わり、二学期が始まった。今日は始業式。みんな休みボケでだるだるの日です。
最終日に優香ちゃんから聞いたところでは、榊先輩は夏休みの宿題を、妹に尻を叩かれながらぎりぎりで仕上げたらしい。予想通り過ぎる人だ。
ちなみにわたしは夏休み前半にさっさと済ませた。意外だろうが、昔から学力は高い方だ。だって学校に来てすることが建前抜きに勉強しかないんだから。ヤな理由だ。
さておき。
始業式が終わり、課題を提出し、教科書を受け取り、そして放課後になった。
半日授業なので一般生徒は帰ったけれど、運動部は午後も部活がある。大会の後はお休みになっていたから半月ぶりだ。
今日から二年生への引き継ぎが始まる。誰が部長になるんだろう。
優香ちゃんと顔を突き合わせてお弁当をつつきながら、そんなことをあーだこーだと話し合う。
概して、二学期の始まりは、それまでと大差はなかった。
ただ
「えーと。藍園さん、いますか?」
「あれ、雨宮先輩じゃないすか。えへへ、お久しぶりです」
「うん、久しぶり。部活が始まる前に、ちょっと話したいことがあるんだけど、いいかな?」
「どうぞ」
「え、なんで優香ちゃんが答えるの? まあいいんだけど」
雨宮先輩に連れて行かれた先は、本当にちょっとの距離だった。普段使わない方の階段踊り場。
教室からの距離にして十mぐらいだろうか。人気はない。
さて何の話だろう、と雨宮先輩と向かい合って考える。
まあ考えるまでもなくプールでゲロった件ですな。家庭裁判所でも薦められるんだろうか。
雨宮先輩は微笑むでもなく、真剣というわけでもなく、なんだかひどく自然体というか。何かを悟りきったような表情だった。
そのまま、こんな風に話しだした。
「晶ちゃん」
「はい」
「僕にも片親しかいないんだ。僕の場合は母さんだけなんだけど」
「はい?」
予想外の場所から、よくある話が始まった。
895 未来のあなたへ2.5 sage 2008/12/04(木) 12:27:41 ID:LbPOeWK8
「母さんは昔離婚して、女手一つで僕を育ててくれたんだ。
あの人は僕を愛してくれてるし、僕はあの人を尊敬してる。今までも、きっとこれからも。
けど母さんは、ときどきとても辛そうなんだ。どんなに明るく振舞っても、やっぱり女一人で子供を育てるのは大変なことなんだ。
そんな時のあの人は、離婚したことを、もっと言えば結婚したことを、すごくすごく後悔している。心の傷になっているんだ。
昔の写真は全部燃やしてしまったらしいから、僕は父親の顔も知らない。母さんは美人だけど再婚の話もないし、そういうことを言い出すとすごく怒るし怖がるんだ。
だから僕も自然と。結婚することが、恋愛することが怖くなっていったんだと思う。
僕が将来、母さんのような人間を生み出してしまったらって。考えるだけで恐ろしくなる。
けれど……それはやっぱり、逃げているだけなんだな。昔、あの人が言っていたんだ。
男が最後まで責任をとれるのは、人生で一人だけなんだって」
そこで雨宮先輩は一息ついた。
わたしは、いきなりのマザコン全開発言に、硬直するしかなかった。
そして
「藍園晶さん。結婚を前提に付き合ってください」
ぶっ飛んだ。
え、え、ええええええええええええええええええええええええええ!?
「な、なななななに言ってるんですかこのマザコン野郎!?」
「結婚を前提に……」
「大事なことだからって二回言わなくてもいいですよ!」
「そっか」
「ちょ、な、えええええ。いったい何がどうしてそうなるんですか!?」
「晶ちゃんを助けたいと思ったんだ。けど、最後まで責任を取るにはこの方法しかないと思った」
「え、だ、結婚って……それ同情じゃないですか! 恋愛感情ないでしょう!」
「うん」
「即答された!?」
「これから好きになればいいよ。僕は晶ちゃんのこと、好きになれると思う」
「そ、そんなんでいいんですか!? 大体、一生に一度ってあんたなんでわたしみたいな根暗チビに使うんですか!
わたしみたいなのはよくある話ですよ! 雨宮先輩なら高校入ればギャルゲみたいに女の子よりどりみどりですって! 人生バラ色のフラグ根元から折ってどうするんですか!」
「ずっと考えて決めたんだ。僕は晶ちゃんを選んだことを、この先絶対後悔しない。いや、逆に後悔しないために選んだんだ」
「な、え、う、う」
「勿論、晶ちゃんが嫌なら断ってくれて構わない。でも、僕から撤回はしない」
「う、うううううううう……」
896 未来のあなたへ2.5 sage 2008/12/04(木) 12:29:03 ID:LbPOeWK8
なんだそれは。
なんだそれは。
意味がわからないぞマザコン野郎。
わたしが、わたしが今まで。どんな思いで何もかもを諦めて、暴力と無視と飢餓を耐えてきたと思ってるんだ!
辛かった!
辛かった!
本当に辛かったんだ!
助けてって、助けてって、何度も叫んだんだ!
けれど、誰も助けてくれなかったんだ! 父親も、顔も知らない母親も、同年代の少年少女も、先生も、誰も、誰も!
わたしがようやく思い知って、ようやく全てを諦められたのに、こんな。
こんな……!
うう
うう
「うあああああああああああああん……!」
わたしは、泣きだした。
これまでずっと、我慢してきた涙が。頼る人がいなくて、ずっと我慢するしかなかった涙が。とうとう、とうとう、溢れだした。
ああ。
ああ。
わたしは家族を知らない。
物心ついたころには家庭というものはすでになく、わたしは誰からも愛情を学ばずに育った。
一人で生きてきた。
誰かに触れる方法がわからなかった。
どう頑張っても、知らないことを行うことはできず、わたしは独りのままだった。
人に触れることを諦めた。そうしなければ生きてこれなかった。
けれど、けれど。
夏休みの終わりに
わたしは、独りで、なくなった。
晶ちゃんのDOKI☆DOKI恋の大作戦……成功
最終更新:2008年12月07日 21:56