【世界の黄昏に愛する人と】(2)

496 【世界の黄昏に愛する人と】(2) 1/5 sage 2009/01/02(金) 03:24:33 ID:3B1y5CUw
   【世界の黄昏に愛する人と   第二章 美沙】


「――て、――ちゃん。ねえ、起きて……」
 揺り起こされた。
「んあ……?」
 陽祐は、しかめ面で目を開ける。美沙が不安げな顔で自分を見下ろしていた。
「変なの。ママもパパも、どこにもいないの」
 美沙は女子高のセーラー服姿だった。カーテンの隙間から差し込む日の明るさで、いまが朝だとわかる。
 じきに自分の目覚ましも鳴る頃だったろうが、なんだか損をさせられたように陽祐は思う。
「いないって……オフクロなら台所で朝メシと弁当作ってるだろうし、オヤジはまだ寝てるだろ?」
 眠い眼をこすりながら陽祐が言うと、泣きそうな顔で美沙は叫んだ。
「だからキッチンにもいないし、ベッドも空なの! 家じゅう捜したけど、いないんだってば!」
「…………」
 陽祐は眉をしかめた。起きぬけに両親が失踪したなどと言われても頭がついていかない。
 ベッドから起き上がろうとして、
「……わりーけど」
「えっ……?」
「ちょっと外に出ていてくれ。着替えるから」
 タオルケットの下はトランクス姿だった。最近はパジャマを着ないで寝ているのだ。
 おまけに男の朝の生理現象が起きていた。


 陽祐は手早くTシャツとジーンズに着替えた。
 部屋の外で待っていた美沙と二人でもう一度、家じゅうを捜してみることにする。
「……いつもはママ、美沙より先に起きてごはん作ってくれてるのに、キッチンは昨日の夜、片づけたままで」
 階段を降りながら美沙が説明する。
「寝坊かなと思って起こしに行ったら、ママもパパもベッドが空だし、ほかのどこにもいないの……」
「置き手紙とか、なかったか? 誰か親戚が死にかけて病院に駆けつけるとか?」
「何もなかった。二人とも携帯も置きっぱなしで」
 両親の寝室は一階にあった。念のため途中にある居間とダイニングも覗いたが、誰もいない。
 寝室もやはり無人だった。家具はダブルベッドと、その脇にサイドテーブル。クロゼットは作りつけ。
 ほかに鏡台があり、両親の携帯がその上に置かれていた。
 母親の携帯の着信履歴を見たが、昨日の昼間、登録名『聡子ちゃん』という相手からかかってきたきりだ。
 恐らくは母親の友人だろう。発信履歴は、おとといまで遡る。
 メールも発着信を過去十件ずつチェックしたが、不審なところはないように思えた。
 父親の携帯はロックがかかっていた。試しに父親の誕生日を暗証番号に入れてみたが、違っていた。
 サイドテーブルの引き出しを開けると、父親の財布とキーホルダーが入っていた。
 四つある鍵は、自宅と車と、あとは会社の机やロッカーのものだろうか。
 そういや、車はあるのか? キーなら居間にスペアがある。
 カーテンを開けて、窓の外の車庫を見た。車は車庫にあった。
 クロゼットも開けてみたが、両親の服が下がっているだけだった。
 誰からか連絡があるかもしれないので、両親の携帯はジーンズのポケットに入れて持ち歩くことにした。
 一階にはもう一部屋、六畳の和室があった。
 この家が建てられた当時は客間という想定だったようだが、陽祐が知る限り、客が泊まったことはない。


497 【世界の黄昏に愛する人と】(2) 2/5 sage 2009/01/02(金) 03:25:16 ID:3B1y5CUw
 その客間にも当然のように誰もおらず、念のため開けた押入れも、布団が二組、入っているだけだった。
 和室を出て玄関へ向かう。美沙があとからついてくる。
 靴入れを開けながら美沙にたずねる。
「オフクロの靴がなくなってるか、わかるか?」
「ママがどんな靴もってるか、全部は知らないよ」
「オヤジの靴はあるみたいだ。いつも同じのしか履かないから、すぐわかる」
 ドアの鍵はかかっていた。鍵が開いたままなら、いよいよ不審だったけど。
 サンダルを突っかけて玄関の外に出た。
 日差しがいやに眩しかった。顔をしかめて、門の脇の郵便受けを確かめた。
 手紙などは入ってなかった。それに、朝刊もない。
 玄関から心配そうに見ている美沙にたずねた。
「……新聞、とったか?」
「まだとってない。いつもパパがとりに行くでしょ」
「オヤジは何時に起きてる、いつも?」
「美沙より少しあとだよ」
 それなら、今朝は父親が新聞をとったわけではないのだろう。配達を忘れられただけかもしれない。
「…………」
 ふと違和感を覚えて、家の前の道を左右、見渡した。
 物音がしなかった。人も車も通らない。
「……きょう、日曜じゃねーよな?」
「木曜だよ。なに言ってんの」
「そうだよな。日曜ならオヤジたち、二人で早起きして散歩かもしんねーけど……」
 もう一度、辺りを見渡す。
 景色はいつもと変わりないようでいて、庭木の葉っぱが風にそよぐほか、何も動くものがない。
 あまりにも静寂。
「……隣近所をピンポンダッシュして回ったら、怒られるよな?」
「ばか、当たり前でしょ! 冗談を言ってる場合じゃないんだよ!」
「逃げるから怒られるんだ。適当なこと言って、ごまかせばいいのか」
「ちょっと、お兄ちゃん……?」
 陽祐は門の外に出た。道を横切り、向かいの家を門の前から覗き込んだ。
 いつもなら、たちまち吠えかかってくるはずの、玄関脇の犬小屋のラブラドールがいなかった。
 もちろん、散歩に出かけているだけかもしれない。
 チャイムを押した。
 ――応答なし。
 開いていた門の中に入り、玄関のドアをノックして「すいません」と呼びかけたが、返事はなかった。
 その隣の家へ行って、またチャイムを押した。やはり応答なし。
 ドンドンとドアを叩き、「すいませーん!」と叫んだ。
 反応がないので、そのまた隣の家へ走った。チャイムを押し、ドアを叩いた。
 そしてまた次の家で、同じことの繰り返し。
 面倒になって、道の真ん中で怒鳴ってみた。
「おーいっ! 誰か、いねーのかっ!」
「お兄ちゃん……」
 心配そうな顔をして、そばまで来た美沙に、陽祐は言った。
「おまえ、向こう側の家、チャイム鳴らして回れ」
「ママたちが来てるって言うの?」


498 【世界の黄昏に愛する人と】(2) 3/5 sage 2009/01/02(金) 03:26:11 ID:3B1y5CUw
「……いや。どの家も、誰も出て来ねーと思うから」
「そんなこと……」
 美沙は眼を丸くして、陽祐の顔を見つめた。


 家に戻って居間のテレビをつけた。どのチャンネルも砂嵐だった。
「……くそっ」
 テレビを消した陽祐に、美沙が、
「どういうこと、お兄ちゃん……?」
「わからん。だけど、消えたのはオヤジやオフクロだけじゃない」
「え……?」
「隣近所の人間がみんな消えた。向かいの犬もいないから、人間だけじゃないかもな」
「どうして? 漫画やSFじゃないんだよ?」
「考えられるのは、地震とか災害が予知されて、みんな避難したのかも」
「でも、ママやパパまで……」
「……ああ。オヤジやオフクロが、俺たちを置いて逃げるわけがない」
 その点は両親を信頼していいはずだ。
 ならば、何故みんな消えたのか? いったい、どこへ消えたのか?
 自分たち兄妹を残して……
「……いや、消えたのは、うちの近所だけか? テレビも映らないってことは……」
「美沙、友達に電話してみる。携帯とってくるね」
「俺も自分の携帯とりに行く。なるべく一緒に行動したほうがいいだろ、俺たち」
 離れた途端に、もう一人まで消えるかもしれないから……とは恐ろしすぎて口には出せず。
 二人で二階に上がって、それぞれの部屋から携帯を回収した。
 廊下に出て美沙は、すぐに何人かの友達に電話したが、
「誰も出ない……」
 陽祐も同じことを試したが、無駄だった。
「北海道の伯父さんはどうだ?」
 母親の携帯に登録されていた番号にかけてみたが、やはり相手は出なかった。父親の実家も同様だ。
 二人は、無言で居間に戻った。
 陽祐はソファに座り、役立たずな携帯を傍らに投げ出す。
 美沙はうつむきながら、その前に立った。いまにも泣き出しそうな赤い顔。
「…………、美沙が……」
 何やらつぶやき、陽祐はきき返す。
「え?」
「……まさか、こんなこと……。だって、そんな……」
 意味のある言葉ではなかった。よほど混乱しているのだろう。
 陽祐はソファの上で胡坐をかいて、膝に頬杖をついた。
 何やら考え込むようなポーズだったけど、実際には何も考られなかった。
 父親と母親が消えた。隣近所の住人も消えた。
 親戚や友人に電話しても誰も出ない。テレビも映らない。その事実を反芻しているだけだ。
 どうして、みんな消えた?
 ――考えたって、わかるわけがない。
「……おまえも座ったら? とりあえず、これからどうするか、考えてみるから」
 陽祐が声をかけると、美沙は首を振る。


499 【世界の黄昏に愛する人と】(2) 4/5 sage 2009/01/02(金) 03:26:57 ID:3B1y5CUw
 それから、思いきったように顔を上げて、美沙は微笑んでみせ、
「とりあえず、朝ごはん作るね。タイマーでごはんだけ炊けちゃってるから」
 食欲なんて、あるはずなかった。
 けれども、美沙が料理で気を紛らわしてくれるのなら、ありがたかった。
 泣かれたりするのが一番困るのだ。
 陽祐自身、途方に暮れて、意味もなく叫び出したい気分なのだから。


 美沙が料理をしている間、陽祐は居間のパソコンのネットで、思いつく限りの場所にアクセスしてみた。
 二十四時間随時更新が売りのはずのニュースサイトは、夜中の一時以降、新しいニュースがなかった。
 不特定多数が書き込む匿名掲示板も、最後の投稿が午前一時。
 一時といえば、陽祐が寝た時間だ。
 その頃に、みんな消えたのだ。おそらく、日本中の人間が。
 海外のサイトも見てみたが、陽祐の語学力では、いつから更新されていないのか判断がつかなかった。
 国際電話をかければいいと思いつく。
 相手が出れば、少なくとも日本以外の国では、まだ全ての人間が消えたわけじゃないとわかる。
 各国の観光協会あたりなら、日本語の通じるスタッフがいるだろう。彼らにこちらの事情を説明してみよう。
 日本と連絡がとれなくなっていることは海外でも騒ぎになっているはずだ。
 自分たち兄妹に、救いの手が差し延べられるかもしれない。
 ――世界中の人間が消えたわけじゃなければ。
 ネットの世界時計で時差を確かめ、オーストラリア政府とハワイ州とロサンゼルス市の観光局を検索。
 それぞれの公式サイトに掲載されていた代表番号に電話してみた。
 いずれも相手は出なかった。
 この世界に自分たち二人だけが取り残されたと思うほか、なくなってきた。
 いまさらだけど、夢じゃねーよな?
 頬をつねったら痛かった。
「お兄ちゃん、ごはんだよ」
 美沙に呼ばれてダイニングへ行く。
 ごはんと味噌汁、卵焼きとトマトとキャベツの千切りという、申し分のない朝食が用意されていた。
「……おまえがいてくれてよかったよ」
 ぽつりと言った陽祐に、きょとんとした顔で美沙は、
「えっ……?」
「とりあえず温かい食い物にありつけるもんな。これがオヤジと二人だったら、どうなってたか」
「なに言ってるの」
 美沙は笑う。
 二人で「いただきます」と言い合って、食べ始めた。
 うるさいことは言わない両親だけど、食事の挨拶はしつけられてきた。
 たぶん、この世界で一人きりになっても自分は「いただきます」を言うだろうと陽祐は思った。
 それが食べ物に対する礼儀だというのが両親の教えだ。
 美沙は小さな茶碗によそったごはんを、小鳥がついばむように少しずつ口に運んでいる。
 少食なのは元からなので、食欲がないわけではないらしい。
 陽祐も、食べ始めてしまえば失せていたはずの食欲が戻って来た。
 美沙がきいてきた。
「ネットで何かわかったの?」
「ああ。あとで話そうと思ったけど……」


500 【世界の黄昏に愛する人と】(2) 5/5 sage 2009/01/02(金) 03:27:47 ID:3B1y5CUw
「何? いま聞いても平気だから、教えて」
「俺たちがいるこの世界には、いま、おまえと俺の二人きりしかいない。ほかの人間は誰もいないと思う」
「…………」
 さすがに美沙は箸を止めた。
「……待って。『俺たちがいるこの世界』って、どういう意味?」
 微妙な言い回しに、美沙も気づいたらしい。
 陽祐は味噌汁をすすって、
「何の確証もないけど、ここは俺たちがいた世界とは別の、パラレルワールドみたいなもんかと思えてきた」
 お椀を置いて、トマトを一切れ、口に運びながら言い添える。
「おまえのほうが、こういう話は詳しいんじゃねーか、漫画とかアニメで?」
「…………」
 美沙は、じっと陽祐を見つめている。
「……どうして、そう思うの?」
「だって、そうじゃなければ本当にみんな消えたことになるだろ? オヤジやオフクロを含め、人類全てが」
 陽祐は再び味噌汁をすすり、
「それよりは、俺たち二人だけが違う世界に迷い込んだと考えたほうが納得いく」
「ママやパパか、美沙たちか、世界から消えたのは、どちらかってこと……?」
 美沙は箸を置いて、うつむいた。
 陽祐はごはんを口に運んで、
「……あとで聞いたほうがよかったろ?」
「どうせ聞くなら、早いほうがいい。悪い話は……」
 美沙は、うつむいたまま首を振り、
「……でも、確かに現実感ないね。世界中の人間が消えて、美沙たち二人が残ったなんて」
「戦争とか疫病で全滅したならわかるけどな。いや、そのほうがいいって言ってるわけじゃねーけど」
 卵焼きを口に運び、
「全人類が跡形もなく消えるよりは、理解できるってことで」
「なんだかお兄ちゃんって、冷静だね」
「現実感がねーからな、おまえの言う通り。だけど、まだ消えただけのほうが救いがあるか」
「救いって……?」
「消えたときと同じように、そのうち急にまた、みんな戻って来るかもしれねーだろ?」
 あるいは、俺たちが元の世界に戻れるか……と、陽祐は付け加える。
「…………」
 美沙は無言のままもう一度、箸を手にとった。
「無理して食わねーでいいぞ」
 陽祐が言うと、美沙は首を振り、
「食べる。ママやパパがいつか戻って来るのなら、この世界で美沙たちも、元気に頑張らなくちゃ」
 美沙は顔を上げて、まっすぐ陽祐の顔を見た。
「そうでしょ、お兄ちゃん?」
「そうだな……」
 陽祐は眼を細めた。
 しっかり者の妹が意外と芯まで強いことは、新しい発見だと思った。


【第二章 幕】

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最終更新:2009年01月06日 20:45
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