【世界の黄昏に愛する人と】(3)

538 【世界の黄昏に愛する人と】(3) 1/11 sage 2009/01/04(日) 01:41:26 ID:EcflRkum
   【世界の黄昏に愛する人と   第三章 美沙(二)】


 朝食後、陽祐と美沙は自転車に乗って町を探索した。
 世界中の「ほとんど」全ての人間が消えたらしい。
 だが、わずかな例外である自分たち兄妹と同様、この世界に残っている人間が、ほかにいるかもしれない。
 あるいは、なぜ自分たち以外の人間が跡形もなく消えたのか謎を解く手がかりが見つかるかもしれない。
 それとも、この世界が推測通りのパラレルワールドであるならば、その証拠が見つかるかもしれない。
 車が通らないので、車道上を二人並んで自転車を走らせた。
 バス通りを駅へ向かう。道沿いに並ぶ商店はシャッターを下ろしたままだ。
「……午前一時にみんなが消えたとして、その時間でも道を走ってる車やトラックはいたはずだよな?」
 陽祐は言う。
「だったら、運転手が消えた車が事故を起こしてもいいのに、そんな形跡は見当たらねーな」
「でも、道端に停まってる車はあるね。路上駐車っていうの?」
 美沙が言って、陽祐はうなずき、
「可能性としては、走行中の車だけが全て、運転手ごと消えたってことか」
 行く手の信号が赤になり、美沙がブレーキをかけようとしたが、陽祐はスピードを落とさない。
 美沙は「もうっ!」と怒りながらも、それに従った。横から車が飛び出して来ることは当然、なかった。
 その先にコンビニがあった。店内は明かりがついているが、外から見える範囲で人影はない。
「ちょっと寄ってみよう」
 店の前に自転車を停めて、中に入った。
 客も店員もいないこと以外は何の変哲もないコンビニエンスストアだった。
 陳列棚が寂しく見えるのは早朝に行なうはずの商品補充がされていないからだろう。
 残っていた弁当を手にとってみた。賞味期限はきょうの昼まで。おにぎりやお惣菜も同じ。
 だが、冷凍食品のコーナーには、それなりの数の商品が並んでいる。
「食料は当分、なんとかなりそうだ。冷凍庫の電源が切れなきゃだけど」
「停電とかするかな?」
「わからん。トラブルさえなければ、発電所は自動で送電してるもんだと思うけど」
「ここで食べ物を手に入れるとして、お金はどうする? パパのお財布から借りておく?」
「店員もいないのに、誰に金を払うんだよ」
「レジに入れておけば……」
「本気で言ってる?」
 陽祐は美沙の顔を、じっと見つめた。美沙は気まずそうに眼を伏せ、
「いちおう本気だけど……変?」
「いや、おまえらしいけどな」
 コンビニを出て、再び駅へ向かって二人で自転車を走らせた。
 駅へ行って何をしようという考えはなかったが、ほかに目指す場所もない。
 駅前の大型スーパーは駐車場のゲートバーが閉まり、案内板に『定休日』と表示されている。
 本来は水曜定休だから、きのうからそのままということだ。
 駐車場の奥にある店舗の入口はシャッターは下りていないが当然、施錠されているだろう。
 いざとなればガラス戸を割って押し入るほかはない。
 駅前にも、やはり人の姿がなかった。
 ロータリーにタクシーを含めて数台の車が停まっているが、いずれも車内は無人だ。
 銀行はシャッターが下りていた。それを指差して、陽祐は言う。
「世界が元に戻るときに備えて、いくらかカネを持ち出しておくか? いまなら誰も追いかけて来ないし」


539 【世界の黄昏に愛する人と】(3) 2/11 sage 2009/01/04(日) 01:42:12 ID:EcflRkum
「閉店してるから、お金は全部、金庫にしまってあるんじゃない?」
 美沙が冷静に答えて、陽祐は苦笑いする。
「おまえの言うとおりだな。どこからか爆弾でも手に入れてくるしかねーや」
 交番も無人だった。中を探せば拳銃が見つかるのだろうか。
 そんなものに触ってみたいと思わない自分は、まだ正常なのだろう。
 いずれ、この世界に絶望したら、どうなるかわからないけど。
 駅のシャッターは下りていなかった。午前一時といえば最終電車が到着する前後だ。
 終点は、まだ先である。この駅を出発した電車は、そのまま乗客ごと消えたのか。
「駅の中を見てみる?」
 美沙が言って、陽祐は首を振る。
「いや、無駄だろう。それより、ほかに確かめておきたい場所がある」
「どこ?」
「スタンド」
「えっ……?」
 きょとんとしている美沙にそれ以上は説明せず、陽祐は自転車を出す。
 ロータリーから放射状に伸びている道の一本を進むと、すぐ先にセルフ式のガソリンスタンドがあった。
 給油機の前まで自転車を乗りつけて、料金投入口のイルミネーションが点滅しているのを確かめる。
 どうやら使える状態だ。料金は前払いで機械に入れなければならないけど。
 美沙がたずねた。
「ガソリンなんてどうするの?」
「車で移動することになったとき、必要だろ?」
「車? お兄ちゃん、運転できるの?」
「たぶん。うちのオートマなんてオモチャみたいなもんだろ」
「……美沙、一緒に乗らなきゃダメ?」
 陽祐は妹の顔を、じろりと睨む。美沙は苦笑いして、
「冗談だって」
「この世界で一人きりになるのと俺の運転、どっちが怖いだろうかね?」
「……やめて! やだ、一人になるのは考えたくない……」
 美沙は本気で怖がる顔をした。冗談のつもりが脅かしてしまったようだ。
 これは自分が道化を演じるしかないと、陽祐は苦笑いしながら、
「情けねーこと言っていいか?」
「え……?」
「俺も一人きりになるのはごめんだ。頼むから一緒に乗ってくれ」
 両手を合わせてみせると、美沙は笑ってくれた。
「……いいよ。これから、どこへ行くときも一緒ね」


 先ほどのコンビニまで戻って、当面の食料と必要な物資を調達することにした。
 もったいないので賞味期限寸前の弁当は昼食に充てる。
 さらに夕食以降の食材としてカット野菜と冷凍肉を手に入れる。
 ガスや水道が止まったときに備えてミネラルウォーターと缶詰も確保した。
 バンソウコウや薬は家にあるはずだが、予備があってもいいだろう。
 ほかに入用のものはないか探して、買い物カゴを手に店内を回る陽祐のそばから、
「ちょっとだけ待ってて」
 と、美沙が離れて行き、棚から何かの商品をとってレジに向かった。


540 【世界の黄昏に愛する人と】(3) 3/11 sage 2009/01/04(日) 01:43:00 ID:EcflRkum
「どうした?」
「ごめん、ちょっと……」
 美沙はカウンターの向こうに回り、手にした商品をレジ袋に入れている。
 陽祐にも何となく理解できた。つまりは女の事情だ。
 考えたら、美沙もいちおう女なのだ。実の妹だから意識しなかったけど。
 世界中の人間が消えて、自分以外でたった一人残った相手が妹だったというのも色気のない話である。
 この世界のアダムとイブにはなれねーな、俺たちじゃ。
 いっぱいにふくらんだレジ袋をそれぞれの自転車のカゴに押し込み、陽祐と美沙はコンビニをあとにした。
 結局、金は置いてこなかったが、美沙は何も言わなかった。
 バス通りを家に向かって走りながら、美沙が言う。
「もし、世界がずっとこのままなら、どこか田舎に引っ越して農業を始めるのもいいんじゃない?」
「農業?」
「だって、コンビニやスーパーの食料なんて、すぐになくなっちゃうだろうし」
「そっか……。コメは長持ちするから当分は米屋の倉庫を漁るにしても、野菜がな……」
 陽祐は、ふと気がついて、
「この世界って、俺たちのほかに動物もいないのか?」
「えっ……?」
「向かいの家の犬は消えてたし、鳥が空を飛んでる様子もないだろ? それに、蝉の声もしないし……」
「そういえば……」
「人間だけが消えて、牧場の牛や豚とかペットの犬や猫が取り残されてたら悲惨なことになるけど」
「そうだね、その点は救われてるみたい……」
 うなずく美沙に、陽祐は眉をひそめて、
「でも、それじゃ俺たち、肉も魚も食えねーじゃん。せめてニワトリを飼って卵くらい食いたかったけど」
「そうだね……」
 美沙は苦笑いする。


 家に帰ったが、まだ昼食には早かった。
 陽祐と美沙は、プリンター用のA4の白紙を三枚、ダイニングのテーブルに広げて、

  1・いま現在わかっていること
  2・考えられる原因
  3・今後の対策

 を、思いつく限り書き出した。
 わかっているのは、世界中の人間がきょうの午前一時前後に消えた「らしい」こと。
 この町も調べた限りでは無人である「らしい」こと。動物も全て消えた「らしい」が植物は残っていること。
 いまのところ、世界のどことも連絡がつかないこと。
「『らしい』ってのは、この世界に残って途方に暮れている人間が俺たちのほかにいないと言いきれないから」
「そうだね……」
 そのほか、先ほど見て来た町の状況についても一枚目の紙に書き足した。

  ・コンビニ △(品揃えに限りあり)
  ・スーパー ?(ガラスを割って押し入れば?)
  ・ガソリンスタンド ○(ただし現金で前払い)


541 【世界の黄昏に愛する人と】(3) 4/11 sage 2009/01/04(日) 01:43:46 ID:EcflRkum
「これは今後の対策に絡んでくるけど、もし野生動物まで全部消えてたら、自然の生態系はどうなるんだ?」
 腕組みをして言った陽祐に、美沙がきき返す。
「食物連鎖とか、そういう話?」
「植物の中には昆虫が花粉を運んで育つのもあるだろ? 農業やるにしても、そこをきちんと考えないと」
「そうだね……」
 二枚目の「考えられる原因」は、全てが想像でしかなかった。推理といえるほどの根拠もない。
 陽祐は最初に『パラレルワールド』と書いた。
「でも、普通はパラレルワールドって歴史のIF(イフ)みたいな世界だよな? 信長が桶狭間で負けたとか」
 クエスチョンマークを書き加えながら、
「人間が誰ひとり存在しないのに家や車があるこの世界は、それとは違う気がするんだ」
「そうだね……」
 うなずいている美沙に、陽祐は苦笑いして、
「おまえって、さっきから『そうだね』ばかりだな」
「えっ? ……ごめんなさい」
 美沙がうつむいてしまい、陽祐はあわてた。
「いや、悪いってわけじゃなくて。こんな状況じゃ、ほかに言葉が出てこなくても仕方ねーよな」
 書いたばかりの文字を棒線で消しながら、
「俺が適当に思いつく限りのことを書くから、おまえも何か気づいたら意見を言ってくれ」
 陽祐は原因の二番目として『コピーワールド』と書いた。
「コピーってのは、元の世界から人間だけ取り除いて、そっくり同じものを作ったってことだ。つまり……」
 下に線を引っぱって、書き添える――『ニセモノの世界』
 美沙がその文字を見つめながら、
「……世界をコピーするなんて、仮にそんなことができたとしても、誰が何のためにやるの?」
「わからんけど、宇宙人か、どこかの秘密機関が、追い込まれた人間の心理を観察するためとか」
「よくそんなこと思いつくね、お兄ちゃん……」
 あきれているのか感心したのか、美沙は、まじまじと陽祐の顔を見た。陽祐は苦笑いして、
「俺だって漫画くらい読むからな。予備校に通い始めてから、ほとんど買ってないけど」
 三番目には『夢またはバーチャル』と書いた。
 美沙が小首をかしげ、
「夢……?」
「世界を丸ごとコピーするより早いだろ。本当は俺たち、頭に電極つけられて怪しい夢を見せられてるのかも」
「夢だとしたら、ここまでリアルな夢はないと思うよ」
「そこが宇宙人の超科学だよ。さっき頬をつねったら痛かったし」
 陽祐は言って、にやりとした。
「おまえは試した?」
「えっ?」
「つねってやろうか、頬?」
「やめてよ」
 ふくれ面をする美沙の頬に、陽祐は手を伸ばす真似をして、
「そのふくれた頬、つねり甲斐ありそーだ」
 美沙は、じっと陽祐を睨んだ。
「……あー、すまん」
 陽祐は手を引っ込めて、自分の頬を掻く。
「真面目にやろうな」
「そうだよ」


542 【世界の黄昏に愛する人と】(3) 5/11 sage 2009/01/04(日) 01:44:37 ID:EcflRkum
「……で、お次は『超常現象』だが」
 陽祐は用紙にそのままの言葉を書いた。
「人が原因不明のまま突然消えるといったら、普通はこれだけど」
「つまり、この世界は美沙たちが元いた世界だけど、ほかのみんながいなくなったって可能性ね?」
 美沙が言って、陽祐はうなずき、
「乗員全員が姿を消した『マリー・セレスト号』が有名だが、世界中の人間が消えるのとは規模が違いすぎる」
 もっとも……と、陽祐は言い添えて、
「常識じゃ説明つかないことが起こるのが超常現象だ。どんな規模で起きてもおかしくないとは言えるけど」
「そうだね……」
 言ってから美沙は、はっと気づいたように、うつむき、
「……ごめんなさい」
「いいって」
 陽祐は笑って、
「超常現象の場合だけど、消えた人間がどうなるか、二通り考えられるな」
 そう言うと、用紙に書き加える。

  ・別の世界で生きている
  ・ブラックホール? に飲み込まれて消滅

 それを見た美沙が眉をしかめた。
「やだ……」
「……すまん、俺のほうは謝ってばかりだ」
 陽祐は『消滅』の字を棒線で消した。
 美沙が陽祐を、じっと見つめて、
「お兄ちゃんは、ママやパパがいなくなって平気なの?」
「まだ現実感がない。とか言ってる場合じゃねーけど、オヤジやオフクロが完全に消えたとは考えられない」
 陽祐は消した字を、さらに塗り潰しながら、
「そのうち何でもない顔をして帰って来るんじゃないかと思う。だったら消滅なんて書くなって話だけど……」
「美沙も、ママたちはどこかで無事にいると思う。そう思いたいよ。でなきゃ美沙、普通でいられないよ」
「ああ……、俺だってそうだ」
 陽祐は二枚目の紙を脇によけて、三枚目を引き寄せた。
「今後のことだが、一つは、この世界を徹底的に調べるって選択肢がある。世界中を飛び回るくらいの覚悟で」
「……それでママたちが帰って来ると思う?」
 美沙が陽祐を見つめながら言って、陽祐は首を振り、
「わからん。世界中の人間を消すとか世界をコピーするとか、とんでもない超常現象だか超能力が相手だし」
「でも……何もしないよりは、いいのかも」
「いや、何もしないのも一つの選択肢だと思う」
「え……?」
 きょとんとする美沙に、陽祐は用紙に『平凡な日常』と書いてみせ、
「俺は、いまの状況は何らかの意図があって作り出されたものだと思う。偶発的な超常現象とかじゃなくて」
「…………、どうして……?」
 じっと見つめてたずねる美沙を、陽祐は真っすぐ見つめ返し、
「世界中の人間の中で、俺たち兄妹だけが選ばれたみたいに、この世界に残るなんて偶然は考えられないだろ」
「それは……そうかもしれないけど」
「だとすれば、誰だか知らないが俺たちをいまの状況に放り込んだ奴がいるってことだ」


543 【世界の黄昏に愛する人と】(3) 6/11 sage 2009/01/04(日) 01:45:27 ID:EcflRkum
 陽祐は『平凡な日常』と書いた文字に向かって矢印を引き、逆側の一端に『退屈』と書いた。
「そいつの目的はわからん。世界で二人きりという状況に置かれた俺たちに何を期待してるのか。……でも」
 矢印の横に『観察』と書き添えて、
「一つ言えるのは、そいつがいま俺たちを観察してるだろうってことだ。だったら裏を掻いてやるんだよ」
「裏を掻く……?」
「俺たち二人で全く普通の日常を演じてみせるんだ。観察してる奴には、さぞ退屈だろうけどそれこそ狙いだ」
「…………」
 美沙は、ぽかんと口を開けて陽祐の顔を見た。
「……お兄ちゃんって、ホントにいろいろ思いつくね」
「まーな、俺たちが観察対象として役立たずとわかれば、元の世界に戻してもらえるかと期待してるんだが」
 陽祐は眉をしかめて腕組みをする。
「だけど、あまりに退屈で逆ギレした相手が天変地異とかイベントを押しつけてくる可能性も否定できねーか」
「いや、でも……うん、それが一番だと思う」
 うんうんと美沙はうなずいてみせ、
「ママたちも、そのうち帰って来るかもしれないんだから、なるべく普通にして待ってたほうがいいよね」
「ま、ほかにもう一つ選択肢はあるんだけど」
 陽祐は用紙に『世界の終わり』と書いた。
「俺たちのほかに誰もいない世界だ。町中のガラスを割ろうが火をつけようが、やりたい放題できるだろ」
「お兄ちゃん、それ本気で言ってるの?」
 あきれた顔をする美沙に、陽祐は肩をすくめ、
「いや。それじゃ観察野郎を楽しませるだけだし、それに俺だってオヤジたちが帰って来ると思ってるんだ」
 用紙の余白に、わざと乱暴な字体で書いてみせる――『陽祐参上★夜露死苦』
「暴走族(ゾク)が暴れたみたいにガラスが割れたりペンキで落書きしてあるのをオヤジに見せられねーだろ」
「そうだね」
 美沙は、くすくす笑う。
「だったら答えは決まりだね。美沙たちは、できるだけ普通に生活する」
「そーゆーことだ」


 昼食のあとは、駅とは反対の方向を自転車で探索することにした。
「何も発見はないと思うけど、家に閉じこもってるより気が晴れるだろ?」
 住宅地を抜け、国道を越えて、その向こう側の団地も抜けた先には大きな川の堤防がそびえていた。
 一面、緑の草に覆われているのが鮮やかだ。
 自転車を停めて、堤防の斜面を登っていく。
 離れた場所に階段もあったが、そこまで行くのが面倒だし、草を踏みしめていくほうが心地いい。
 陽祐と美沙は、並んで堤防の上に立った。
 眼下には河川敷のグラウンド。その向こうに、夏の日差しに輝く水面。
 対岸には、こちらと同じような堤防。その奥に、どこまでも広がる町並み。
 何でもないような風景を眺めて、陽祐は、ため息をついた。
「川の向こうが世界の果てだったりしないかと思ったんだけどな……」
「世界の果て……?」
「そんなものが見つかれば、この世界がニセモノだって確信できるだろ?」
 美沙はそれには答えず、
「あした……」
「ん?」


544 【世界の黄昏に愛する人と】(3) 7/11 sage 2009/01/04(日) 01:46:19 ID:EcflRkum
「お昼、ここに食べに来ようよ。サンドイッチ作るよ」
 そう言って、美沙は微笑んだ。陽祐も笑って、
「じゃあ、どこかでパンを仕入れねーとか」
 自転車を停めた場所まで戻り、帰りに団地を抜けるときは先ほどと違う道を通ることにした。
 国道との交差点の角にレンタルビデオ屋があった。
 入口のシャッターが半分下りた状態で、ガラス戸が開いている。
「閉店直後だったみたいだな。何か借りていくか?」
「お兄ちゃんが観たいものがあるなら……」
 自転車を停め、シャッターをくぐって店内に入った。
 明かりはついているが、営業時間中なら流れているはずのBGMは止まっている。
 陽祐は新作のスパイ映画と刑事アクション映画と戦争アクション映画のDVDを借りることにした。
 返しに来ることがあるのかは、わからない。
「おまえも何か選んでおけよ」
 美沙に声をかけると、動物のキャラが主人公のアメリカ製CGアニメを一本だけ選んできた。
 陽祐は見本のパッケージを手に貸出カウンターの向こうに回った。
 後ろの棚に並んだDVDの整理番号と、パッケージに記された番号を照らし合わせて目当ての作品を探す。
 美沙が感心したように、
「お兄ちゃん、ビデオ屋でバイトしたことあったっけ?」
「いや……でも、いつも店員がやってるの見てるから」
 DVDを手に入れて店の外に出た。
 ふと思いついて、陽祐は言う。
「駅前のスーパーって、通用口に回れば開いてないかな?」
「そうだね……。できればお野菜とか、ちゃんとしたの欲しいし」
「あした、買い出しに行ってみようぜ。買うと言っても、金は払わねーけど」
 国道を挟んでビデオ屋の斜め向かいにコンビニがあった。
 二人はそこで八枚切りの食パンとハムとスライスチーズを手に入れてから、家に帰った。


 美沙が夕食の支度をしている間、陽祐は居間で戦争アクション物のDVDを観ることにした。
 ほかの二本は一緒に観たいけど、これだけは興味がないと美沙が言ったからだ。
 映画の中の兵隊たちは、ばたばたと容赦なく敵弾に撃ち倒されていた。
 同じような光景がフィクションではなく現実として、つい十数時間前まで世界中で見られたのだろう。
 世界中から人間が消えて、戦争もなくなった。
 考えたら空しくなり、陽祐はリモコンの停止ボタンを押してDVDをデッキから取り出した。
「どうしたの?」
 美沙がキッチンから声をかけてきた。
「つまんねー映画だった」
 陽祐は美沙のそばへ行き、
「俺も何か手伝うよ」
「え? いいよ。お兄ちゃん、きのうまで毎日、受験勉強だったでしょ? 少し休みなよ」
「そう言われりゃ、そうだけど」
「ね? ちょっと早いけど、夏休み」
 美沙は微笑む。
 陽祐は妹の言葉に甘えて、代わりにネットで超常現象について調べることにした。
 本当の夏休みが来たときは、陽祐は休む暇などなく夏期講習に通いつめる予定だったけど。


545 【世界の黄昏に愛する人と】(3) 8/11 sage 2009/01/04(日) 01:47:30 ID:EcflRkum
 夕食のメニューは豚肉の生姜焼きだった。
 食事の間、陽祐は超常現象について調べたところを美沙に披露した。
 人間が原因不明のまま忽然と消えた事件は、過去に世界中で起きている。
 一八七二年、大西洋上の帆船『マリー・セレスト号』事件、乗員乗客計十一名消失。
 第一次世界大戦中のトルコにおける『ノーフォーク連隊』事件、イギリス軍兵士三百四十一名消失。
 遡って十六世紀末、当時イギリス領だった北アメリカの『ロアノーク島』事件、入植者百十六名が消失。
「どうしても人が消えてそれっきりの事件が有名になるけど、ちゃんと帰って来るケースもないわけじゃない」
 それは数ヵ月後であったり、数百キロ離れた場所で保護されたりであるのだが――
「でも、やっぱり帰って来ることもあるんだね」
 美沙が言って、陽祐はうなずき、
「ただしその場合、戻って来た人間は自分が消えていた間の記憶を失っていることが多い」
「何が起きたか覚えてないってこと?」
「だから、あしたの朝、みんなが戻って来たとすると、本当は金曜なのに木曜だと思って生活することになる」
「でも時計は丸一日、進んでるよね? それはそれで謎の事件になりそうだけど……」
 美沙は眼を伏せて、ため息をついた。
「……お兄ちゃんも最初に言ってたけど、やっぱり消えたのは世界中の人間じゃなくて、美沙たちのほうかも」
「おまえもコピーワールド説に転向か?」
 陽祐が笑うと、美沙は眼を伏せたまま、
「だって……そのほうが世界のみんなは普通に暮らしてるってことでしょ?」
「まあ、オヤジやオフクロには心配かけてるだろうけど。俺たち二人がいなくなって」
「そうだね……」
 美沙は首をかしげて考え込む様子を見せてから、ふと思いついたように陽祐に視線を向け、
「……お兄ちゃん、ビール飲む?」
「え? いいのかよ、委員長?」
 陽祐が眼を丸くすると、美沙は笑って、
「委員長はヤメてよ。次にそれ言ったら、もうお兄ちゃんにはごはん作ってあげないから」
 席を立って冷蔵庫から缶ビールと、食器棚からグラスを二つ出してきた。
「おまえも飲むのか?」
「ダメ?」
「許す。というか飲め、俺ひとりで飲んでもつまらん」
 お互いのグラスにビールを注いで、乾杯した。
 陽祐は一息にグラスを干した。旨かった。
 だが、美沙はほんの少し口をつけただけで、咳き込んだ。
「……けほっ! 何これ? よくお兄ちゃんやママたち、こんなの美味しそうに飲むね」
「この味がわかんねーんじゃ、まだまだ子供だな」
「子供だもん、どうせ。きのうも本屋で中学生と間違われたし」
 美沙はふくれ面で、もう一口、飲んでみせ、
「参考書の売り場を店員に聞いたら、小中学生用のコーナーに案内されたし」
「おい、無理して飲むな。酒の味がわかんねー奴が飲んでも、もったいねーだろ」
「わかるようになるまで飲むの! ママやパパの子供だもん、美沙だってお酒に強いに決まってるんだから!」
「むしろ酒癖の悪さを発揮しそうだけどな、おまえ……」
 陽祐は苦笑いするしかない。


 食後は陽祐が皿洗いをした。美沙は赤い顔をしていたので、ソファで休ませた。


546 【世界の黄昏に愛する人と】(3) 9/11 sage 2009/01/04(日) 01:49:02 ID:EcflRkum
 突然、携帯の着メロが聞こえて、陽祐は思わず皿を落としそうになった。
 まさか――誰からの着信だ!?
 振り返ると、ソファに寝転がった美沙が陽祐の携帯をいじっていた。
 着メロの設定を操作していただけだ。あきれ返って陽祐はたずねた。
「……おまえ、何してんの?」
「ん? あ、ちょっと借りてた」
 美沙は悪びれた様子もなく笑ってみせる。本当に酔っているようだ。普段と態度が違う。
 陽祐は、ため息をついて、
「まあ、見られて困るよーなもんは、ねーけどな」
「そうなの? メールとかも?」
「前の彼女とのは全部消したぞ、そのこと言ってるなら」
「ふうん」
 美沙はつまらなそうな顔で、ソファの上で寝返りを打って陽祐に背を向けたが、携帯は手放さない。
 陽祐は肩をすくめ、皿洗いを再開した。
 しばらくしてから美沙が言った。
「……お兄ちゃんって、今年に入って携帯買い換えたよね?」
「ああ」
「電話帳は昔のまま?」
「データはそのまま移してもらったけど、なんで?」
「べつに……」
 見られて困るものが本当になかったか心配になってきた。
 だが、登録名にはフルネームを入れているだけでクラスメートも部活の女子も同じ扱いだ。
 元カノ――麻生夏花の名前も、つき合っていた当時からフルネームで特別扱いはしていない。
 部活の後輩という関係でなければ、別れた時点で登録自体を消してもよかったのだが……
 夏花のことを頭から追いやるためと、携帯から美沙の気をそらすために陽祐は言った。
「おまえ……きのう観てたアニメは、どんなやつ?」
「え? どんなって……何で?」
「……あん?」
 陽祐が振り返ると、美沙は携帯をいじる手を止めて、じっとこちらを見ている。
 きかれて困ることでもないだろうにと思いながら、陽祐は苦笑いで、
「いや……昔のアニメなのかなって、ちょっと画面を見た感じが」
「ああ、友達に借りたんだけど……」
 美沙はアニメのタイトルと原作者名を挙げた。そのタイトルは知らなかったが作者は陽祐も知っていた。
 少し前に少年漫画誌で別の人気作品を完結させた大物漫画家だ。
 美沙が観ていたアニメは、その作家が二十年ほど前まで連載していた漫画が原作だという。
「きのうのは劇場版で、漫研の子と文化祭の相談してるときに話題が出て。文化祭が舞台で面白いからって」
「漫研の……文化祭? おまえ、漫研入ってたの?」
 妹のアニメや漫画好きは知っていたが、自分で漫画を描くとまでは思わなかった。だが、美沙は首を振り、
「そうじゃないけど、漫研が文化祭に向けてドラマCDを自主制作するから声優やってみないかって誘われて」
「声優?」
 陽祐が眼を丸くすると、美沙は口をとがらせた。
「もうっ、いいでしょ! 美沙の趣味なんだから!」
「悪いとは言ってねーだろ」
「どうせ美沙、アニヲタだもん……将来の夢は声優って小学校でも中学でも卒業文集に書いたもん……」
 ぶつぶつ言いながら背を向けてしまう美沙に、陽祐は苦笑いするほかない。本当に酒癖が悪いようだ。


547 【世界の黄昏に愛する人と】(3) 10/11 sage 2009/01/04(日) 01:50:01 ID:EcflRkum
 皿洗いを終えた陽祐は、機嫌を直した美沙と一緒にレンタル屋から持ち出したCGアニメを観ることにした。
 あまり子供向けとはいえないブラックなジョークが利いていて、二人で大笑いした。
 アニメが終わって、美沙はソファから立ち上がり、「うーん」と伸びをした。
「……美沙、そろそろシャワー浴びようかな」
「ああ、行ってこい」
 デッキからDVDを取り出しながら陽祐が答えると、
「ねえ」
「……あん?」
 振り向いた陽祐に、美沙が頬を赤らめて言った。
「お兄ちゃん、ついて来てくれない?」


 まったく、色気のねー話だな……
 陽祐は文庫本を片手に脱衣場の床にあぐらをかきながら、ため息をついた。
 曇りガラス一枚隔てた風呂場では、うら若き十六歳の娘がシャワー中である。
 それが実の妹でなければ少しは興奮していいシチュエーションだろう。
 美沙がもう少しくだけた性格ならば、ガラス戸をちょっと開けて「背中流そうか?」と声をかけるところだ。
 しかし、美沙にそれをしたら、悲鳴を上げたあとに泣き出すか、本気で怒り出すかだろう。
 かといって、戸を閉めたまま脱衣場から話しかけても、シャワーの水音で美沙には聞こえない。
 だから陽祐は、黙って本を読んで待つしかないのである。
 しばらく前に買ったけど、読む暇のなかった歴史小説だった。
 これから毎晩、妹のシャワーの間に脱衣場で待たされるならば、しっかり読み終えることができそうだ。
 シャワーの音が止まった。風呂場から美沙の声。
「お兄ちゃん、ありがと。もう出るから、廊下で待ってて」
「ああ」
 やれやれと陽祐は立ち上がり、脱衣場から廊下に出て、ドアを閉めた。
 逆に自分がシャワーを浴びている間、美沙は脱衣場で待つつもりだろうか。
 勘弁してほしいけど、仕方ないのか。
 理由もわからず消えた両親に続いて、兄まで消えるのではないかと不安なのだろう。
 そのうちトイレまでついて来てほしいと言い出さなければいいけど。


 予想した通り、陽祐がシャワーを浴びている間、パジャマ姿の美沙は脱衣場で待つと申し出た。
 やむを得ず陽祐は承知した。
 シャワーを終えて、脱衣場でTシャツと短パンに着替えていると、ドアの向こうの廊下から美沙が言った。
「ねえ、きょうは一階で一緒に寝ない?」
「いいけど」
 夏場だし、枕とタオルケットだけ用意して居間でゴロ寝もいいだろう。
 ところが美沙は、
「じゃあ、あとでママたちのベッドのシーツ替えるね」
「ちょっ……ちょっと待て、そりゃー……アレだろ」
「ママとパパのベッドで寝るの、嫌?」
「オフクロたちがどうのってんじゃなくて……」
 ダブルベッドで妹と一緒に寝る気にはならんぞ、さすがに。
「だったら和室で寝ようぜ、そのほうがいいだろ」


548 【世界の黄昏に愛する人と】(3) 11/11 sage 2009/01/04(日) 01:51:18 ID:EcflRkum
「でも、お布団ずっと干してないと思うよ」
「敷布団だけなら我慢できるだろ。枕とかは自分のを用意して」
「いいけど……」
 納得してくれ。それで。


 和室に布団を並べて、二人で横になった。
 窓は開けて、網戸だけ閉めておいた。この世界では虫が入ってくることはないと思ったけど。
「二人で一緒の部屋で寝るのって、いつ以来?」
 美沙がきいてきた。
 陽祐は、天井を見上げたまま、
「さあ……」
「おじいちゃんの家に泊まるときは、お兄ちゃんはパパと二人で寝るし」
「うん」
「家族旅行はお兄ちゃん、嫌がるし」
「中学一年か二年のときから行ってないな、そういえば」
「そうだよ。お兄ちゃんが留守番するとか言うから、美沙たちも日帰りになったりして」
「そりゃ悪かった」
「……ねえ」
 指先に美沙の手が触れた。陽祐は妹の顔を見た。
 窓から差し込む月明かりの中で、美沙は、じっと陽祐を見つめていた。
「子供だよね、美沙。お風呂場までついて来てとか言って、一人になるのが怖いなんて」
「俺だって怖いよ。その点は安心しろ」
 陽祐は美沙の手を握ってやった。そんなことをするのも幼い頃以来だったけど。
 美沙は安心したように微笑んだ。
「……おやすみ、お兄ちゃん」
「ああ、おやすみ……」


 二人きりの世界での一日目が終わった。
【第三章 幕】

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最終更新:2009年01月06日 20:49
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