傷(その13)

636 傷 (その13) sage 2009/02/10(火) 19:57:59 ID:r9l37p7Y

 背筋がゾクゾクする。
 まるで血液の代わりに微弱な電流が体内を駆け巡っているようだ。
 引き締めた口元も、どう努力しても緩んでしまうのを抑えられない。なので弥生は、もはや無理して強面(こわもて)を維持しようとはしていなかった。 
 以前もこんな興奮に全身を包まれたことがあった。

 ネット通販で購入した非合法ドラッグ。服用した人間の精神活動を低下させ、トランス状態に没入させ易くする薬品。素人にも分かるように書かれた洗脳用のマニュアルを含めて七万円の高額報酬を請求する、いかがわしい一品。
 それを初めて、この眼前の愛しい弟に飲ませ、自分への愛の言葉を囁かせたとき。そして、自分の股間へ舌と唇での愛撫を強制したとき。弥生は、今と同じく、目も眩むばかりの興奮に脳天までどっぷりと浸かったものだった。

 無論、単なる興奮ではすまない。
 冬馬がもたらす禁断の快感への、はちきれんばかりの期待がある。
 彼のテクニックは文字通り、ずば抜けている。
 あの晩、冬馬に自らへの奉仕を命じていながらも、最後の一線へと辿り着けず、彼が不能だった事実をついに弥生が知り得なかったのは、冬馬のクンニリングスがもたらす、あまりのエクスタシーに、彼女が払暁近くまで意識を失ってしまったからに他ならない。
 無論、処女の弥生には、冬馬以外の経験が無いので、客観的な意見であるとはとても言えない。だが、その点に関しては葉月の証言も得ている。かつて妹は精神退行を起こした冬馬の愛撫に身を晒した経験があるからだ。
 そして何より、冬馬の芹沢家時代の過去を知る、千夏も言っていた。
 彼のテクニックは、天才的なものだった、と。

 むくり、むくり――、
“それ”が動き始めた。
 死んだ蛇のように力なく横たわっていた冬馬のペニスは、生命を注ぎ込まれたかのように、彼のパジャマのズボンを持ち上げる。あたかも大地に芽吹く緑の草花のように。
 大きい。
 その大きさは衣類越しでも一目瞭然だ。
 千夏の話では、芹沢家にいる男娼の大半は、その男性器に薬物注射や外科手術などの人為的な手を加え、成人顔負けのサイズを持たされていたと聞いた。冬馬とて、その例には洩れない。
 弥生は、もう、じっとしていられなかった。

「あっ、おくさまッ!!」
 膨張した“それ”を、弥生はパジャマごとがっきと掴む。
 単に大きくなっただけではない。
 それは石のように硬く、できたての肉料理のように温かかった。
 それを弥生は、渾身の力で握り締めた。
「ッッッ…………ッッッ!!」
 声にならない悲鳴を洩らして、弟が眉をしかめる。
 その頬を叩く。思い切り。

「いっ!?」

 ブザマな声を出して、冬馬が、ベッドから転げ落ちる。
 その一撃はビンタというより掌底に近かったかも知れない。
 だが、この程度のショックでは、いま冬馬の精神を封じている呪縛は解けない。
 弥生には、その確信があった。
 彼の心を侵蝕している恐怖と心的外傷は、そこまで浅いものではない。
 その証拠に――見るがいい。
 赤く染まった頬に手を当て、床にうずくまったまま潤んだ瞳で弥生を見上げる弟。
 だが、その弱々しい視線とは裏腹に、猛々しいまでにいきり立った膨らみが、股間に生え聳える。
 そんな弟の姿は、弥生にとてもとても嗜虐的な感情を喚起させる。この愛しい男を、このまま小鳥のように縊り殺してやりたくなるほどに。

「何をぼさっとしているの。立ちなさい」
「――は、はいっ!」
「ズボンと下着を脱いでオナニーをしなさい」
「はいっ、奥様っ!!」

 ばたばたと狼狽しながらも、指示された通りに股間を剥き出す冬馬。
 彼の瞳に宿るのは、まごうかたなき畏怖の光。
 だが、それだけではない。
 満面の怯えをあらわにしながらも、外に放り出されたガチガチの陽根は、彼が明白な興奮状態にあることを報じている。その股間を、必死な顔でしごき始める冬馬。
 決して他人には見せられない彼の醜態に、弥生はまるで一幅の油絵を見るような感動を抑えきれない。



637 傷 (その13) sage 2009/02/10(火) 20:01:35 ID:r9l37p7Y

 とりあえず、冬馬の不能があれからも治っていないのは、葉月を介して確認済みだ。
 事件のことに関しても覚えていないらしい。
 冬馬いわく、葉月と二人で浴室に入ったまでの記憶はあるらしいが、そこから先が急に怪しくなり、気がつけば、何故か両親の寝室で眠っていたのだという。
 だから冬馬は、妹が経験した何もかもを弥生が知っているという事実を知らない。
 ならば、弥生の口から直接、不能のその後を訊くことは出来ない。弥生が冬馬の勃起障害の話題を持ち出せば、それ即ち、葉月がべらべらと兄の秘密を余人に漏らしたことを意味するからだ。
 男であれば、女を抱けない体であることを自慢する者はいない。そんな情報を、たとえ姉とはいえ、簡単に漏洩するような真似を葉月がしたと分かれば、冬馬の中で、葉月に対する評価は暴落してしまうかも知れない。
 それは得策ではない。
 葉月のためにも。そして弥生のためにも、だ。

 彼を篭絡するためにも、やはり姉妹は一蓮托生でなければならないのだ。
 だが、そう思うと同時に弥生は、自分のずるさを自覚せずにはいられない。弥生とて、保持している情報の全てを葉月に語っているわけではないからだ。
 たとえば葉月は、姉が張り巡らせた冬馬監視システムの存在を知らない。
 たとえば葉月は、学校に於ける“共犯者”の役割を、姉が長瀬透子に割り振ったことを知らない。
 そして――葉月は今夜、冬馬の部屋で何が行われているのかを、やはり知らない。

 今夜の行動を葉月に知らせるつもりは、最初から弥生にはなかった。
 知れば、葉月は弥生の行動を決して許さないだろう。
 彼の人格を否定する行為だと、彼の存在自体を侮辱する行為だと、そう叫び、大いに怒り狂うはずだ。
 弥生にとっても、その意見を否定することは出来ない。確かにこの行動は、過去のトラウマで傷だらけになっている冬馬の精神と肉体を弄ぶことに他ならないからだ。
 そして弥生といえど、罪悪感をまったく覚えないわけではない。

 だが、やはりその罪の意識を以ってしても、彼女の行動を牽制できなかった。
 葉月の倫理観や潔癖さは、確かに尊重すべきものだと理解は出来る。
 だが、弥生にとっては、たとえどのような姿であっても、冬馬は冬馬でしかない。正気を失っていようが、子供に退行しようが、自分を買春客扱いしようが関係は無い。それでも彼は、全身の血と引き換えにでも惜しくはない、弥生の想い人以外の何者でもないのだ。

 愛しい男を従わせ、思うさまに、その肉体を貪りぬく。
 そこには、筆舌に尽くしがたい愉悦がある。
 しかも、どれほどの凌辱を彼に施そうとも、正気に返れば忘れろと命令すれば、それで済む話なのだ。冬馬は何も記憶することは出来ない。だとすれば、それは誰一人迷惑をこうむらない、まさにいいことずくめの話ではないか。


「ッッ!?」

 その頬に向けて、再度放たれたビンタに、思わず冬馬はよろめいた。
 足元に脱ぎ捨てられたズボンとパンツに引っ掛り、ブザマに倒れる彼。そんな弟を睨みつけ、
「立ちなさい」
 と命令する。
 反射的に俯いて、いそいそと立ち上がる冬馬に、さらに本気の一発。
 今度は壁際まで、斜めに吹き飛ぶ冬馬。

「誰がオナニーをやめていいと言ったの?」

「すっ、すいません」
「すいませんじゃないでしょう?」
 さらに一発。逃げられないように髪を掴んでのビンタ。
「そうだわ、いいこと思いついた」

 弥生は、身体の底から漲るように沸き立つサディスティックな感情に、震えを覚えるほどの悦びを感じていた。少なくとも「工藤瑛子」を演じる上で一番重要なのは、冬馬を骨の髄から戦慄させるサディズムなのだから。
 もっとも、薬物の効能とはいえ、弟は『私が工藤瑛子だ』と名乗る者を、無条件で彼女だと思い込むように暗示をかけてあるから、たとえ自分をM奴隷として扱えと命じたところで、彼が疑問を持つ事はない。
(ああ、今日は、そういうプレイなのですね)
 と、彼が勝手に解釈するだけだ。
 だが、それでは、わざわざ「工藤瑛子」という設定を持ち出した意味が無い。



638 傷 (その13) sage 2009/02/10(火) 20:03:40 ID:r9l37p7Y

 弥生にしても、自分にマゾヒストの素養があるとも思ってはいなかったが、ここまで自分がSだったなど予想外のことだったのだ。
 まるで、呼吸するように自然に、弟を苛めてやりたいという欲望が湧いてくる。
 だから手加減はしない。する気は無い。
 ただ処女を奪わせるというだけでは、ここまで火照った身体は、とても納得してくれないだろう。
 弥生は、魔女のように舌なめずりすると、言った。

「ぼうやはオナニーを続けなさい。その間、私はぼうやの可愛い頬っぺたを、思う存分ビンタしてあげる。嬉しい?」

 冬馬の顔が蒼白になった。
 だが、嬉しいかと訊かれて、まさか『イイエ』とは言えない。
 彼にとって「工藤瑛子を名乗る者」とは、悪霊にも等しい畏怖の対象なのだから。
「安心なさい。貴方がイクまで殴るのをやめないから♥ ぼうやったら、痛いの大好きなんだものね?」
「は…………はい…………」



 眠れない。
 葉月は、何度目になるかも知れない寝返りを打った。
 時期的にはまだまだ寒い季節だが、普段なら、ここまで眠気を削ぐほどではない。
 分かっている。本当は。
――自分が眠れないのは、これまで知らなかった兄の姿を知ってしまったからだ。
 それくらい、今日の千夏の話は葉月にとって衝撃的だった。

 千夏の話は、冬馬が工藤家に追いやられるまでの顛末だけを語ったわけではない。
 彼女自身を含む“子供”たち全員の話も、ちゃんと聞かされた。
 葉月も姉も、その話のあまりのムチャクチャさに慄然としていたが、中でもおゆきは、まるで瞬きさえ忘れたように目を見開き、その話を聞き入っていたのを覚えている。

 芹沢家の“子供”たちは、あらゆる客のあらゆるニーズに応えるために、過酷なまでの処置を施されていたという。
 乳房・性器の肥大化。
 精力・持続力の増強。
 性感帯の開発。
 指・舌・性器・肛門などを使用する、あらゆるセックステクニックの習得。
 パイプカット。
 美容整形。

 たとえば当時5歳の千夏の場合なら、芹沢家に引き取られたその翌晩に、医師の手によって麻酔を打たれ、処女を外科処置的に破られたそうだ。
 その後、薬物投与や器具などによる開発を経て、さらに専門のセックストレーナーの手による訓練で、一通りのエクスタシーを膣内や全身で感じられるように調教されて後、新たに処女膜を手術で再生され、そこで初めて顧客の前に顔を出すことを許可されたという。
 処女膜再生は、無論、彼女を「初物」として販売するためだ。“処女”にプレミアが発生しないような不細工な子供なら、初めから芹沢が引き取ったりはしない。

 まさに人を人とも思わぬ処遇だが、考えようによっては、彼らなりの優しさであるとも解釈できる。全くの子供にただ客を取らせるよりも、客の行為を一応は気持ちいいと感じられる程に開発してから、客に抱かせる方が、まだしもその少女にとっては救いであろう。
 当時の芹沢家には、そんな千夏と同じく、“幼児”でありながらも開発された女体を持つ女の子たちが数多くいたという。
 無論、あまり露骨に性感を剥き出しにしすぎて、客を白けさせてしまわないように、それなりの演技のノウハウも、ちゃんと彼女たちには仕込まれる。

「一見の客を常連にするためには……単なる顔の造型よりも……なによりもその“愛嬌”が重要だと……芹沢は言っていたよ……そして……愛嬌とは演技力である……ともね……」

 そして、冬馬は誰よりもその演技力に長けていた、と千夏は語る。
「……芹沢は……お兄様のことを……天性の娼夫だ……と言っていたよ……」
 芹沢家に引き取られた当時小学一年生だった冬馬は、千夏のような絶世の美貌の所有者ではない。だから当然のように、千夏よりもさらにハードなプレイに対応するための調教メニューを課せられていたらしい。
 女の良し悪しは外見が8割だが、男は違う。見てくれ以外のもので十分に価値を補える。
 ノーマルなセックステクニックから、SM・男色・獣姦からスカトロにまで対応できるようにと施された調教を、彼は持ち前の卓抜した身体能力と意思力によって消化し、学習し、やがて訓練以上のものを、その肉体に体得するに至った。
 なにより彼は、注文された以上に、客の潜在的な要望を敏感に察知できる優れた勘を持っていた。



639 傷 (その13) sage 2009/02/10(火) 20:05:24 ID:r9l37p7Y

 時には、いかにも中性的な線の細さと儚さを。
 時には、強姦魔のような強引さと傲慢さを。
 時には、生まれながらのニンフォマニアのような貪欲さと無邪気さを。
 時には、何も知らない少年のような陽気さと元気さを。
 それらの演技の引き出しに卓絶したセックス技術が合わされば、演出のヴァリエーションはほとんど無限だ。それこそ春を売る者としては鬼に金棒と言ってもいい。

 それほどの彼が、並み居る“兄”や“姉”たちをしりぞけて、個室さえ許される程の売れっ子になっていったのは、まったく自然な成り行きであったと言えるだろう。
 美貌に於いては、同年代を圧倒していたはずの千夏でさえ、単純な人気という点で語るならば、まったく敵わなかったというから驚くばかりだ。
 さらに、高級娼館・芹沢家への圧倒的な貢献度を誇りながらも、何度も脱走を繰り返し、その手口は、回数を重ねるごとに巧妙かつ大胆になっていったと言うから、まさに煮ても焼いても食えないガキとしか言いようが無い。
「おそらく……私という足手まといがいなかったら……お兄様はとっくの昔に……脱走を成功させていただろうね……」
 寂しそうな笑みを見せて、千夏が呟いた。


 千夏の話は、葉月にとってはにわかに信じがたいものだった。
 脱走以降の話ではない。
 彼が芹沢家でも、最終的にトップ3に入った男娼だったという事実が、である。
 だが、よくよく考えてみれば、自分の知る冬馬の器用さや学習能力からして、葉月としても一概に、千夏の話を嘘だと叫べぬものがある。
 たとえ当時は幼かったといっても、冬馬は冬馬なのだ。自分が男娼としての人気を得ることで、千夏を指名する客を少しでも減らそうとしていたという話が本当なら、兄はそれこそ、何でもしたはずだ。
 ならば、兄の一筋縄ではいかない性格は、芹沢家で過ごした幼児期こそが形成したのかも知れない。

 そう思うと、葉月は途端に目頭が熱くなるのを感じた。
 なぜ、兄が、こんなひどい目に遭わねばならないのだろう。
 なぜ、その同じ時間を、自分たちは何も知らずに過ごすことを許されていたのだろう。
 なぜ? 何故? 

 疑問に対する解答など浮かばない。
 葉月はまた、寝返りを打つ。
 だが、それと同時に、今度はまったく別の疑問が葉月の脳裡に浮かんだ。

(もし、千夏さんの話が全て真実だったとするなら、あの頃の、わたしが無邪気に懐いた兄さんの姿も、やはり“演技”だったということなのだろうか)

 かつて葉月は、兄を名乗って突如現れた冬馬という少年を嫌悪し、無視し、敵意さえ抱いていた。
 そんな彼に心を許すキッカケとなったのは、彼の肌を埋め尽くす無数の傷を見たからだ。
 自分がそれまで一方的に敵視していた少年が、虐待という過去を引きずる“弱者”だったと知ったとき、葉月の敵意は消え、巨大なまでの罪悪感と羞恥心だけが残った。そして、そんな葉月の謝罪を、冬馬は笑って許し受け入れた。
 冬馬という存在が、葉月にとって家族となったのは、それからだ。妹にとって彼は理想的な話し相手であり、理想的な兄貴分であり、理想的な男性像でさえあった。

 だが、それらすべてが、冬馬の演技と計算によって意図されたものだとするならば話は変わってくる。
 プレイボーイが好みの女の子を口説くように。
 ホステスが一見の客を常連客にしようとサービスするように。
 自分は、冬馬の手練手管によって、いいように手懐けられただけだというのか。

(……ばかばかしい)

 そうだ、バカバカしい。思い煩うことさえ滑稽な話だ。
 人が人として生活する以上、その同居人との摩擦を最大限避けようと思うのは必然だ。
 ならば冬馬が、当時は彼のアンチだった葉月を懐柔しようとするのは当然ではないか。
 懐柔、篭絡、手懐けるなどと言えばイメージは悪いが、要するに、冬馬は葉月と仲良くしようと思っていただけだ。
 そして葉月は、冬馬の狙い通りに彼を家族として認め、無用の摩擦は消え失せた。
 この事実に誰が困るというのだ。どこに問題などありはしない。
 葉月が、男性としての冬馬に魅了されてしまったのは、あくまで結果論に過ぎない。そこに冬馬本人の意図が働いていない事は、誰よりも葉月自身が知っているではないか。
(兄さんが……わたしを“女性”として見てくれたことは、一度も無い……ッッ)



640 傷 (その13) sage 2009/02/10(火) 20:07:44 ID:r9l37p7Y

――人が人を好きになるために必要なのは理由ではない。ただのキッカケだ。
 この台詞は、たしか夕食時に見た海外ドラマか何かのものだったか。
 そして葉月は、冬馬を愛するようになった事を後悔はしていない。だから、そのキッカケを兄から与えられたことを、むしろ感謝しているくらいだ。
(ならば……わたしはこれからどうすればいい?)
 気がつけば、葉月は自室の闇の中で、目を閉じることをやめていた。

 そう。問うべきはそこだ。
 兄を幸せにする。
 幸せになる権利を、兄に行使させる。
 だが、――それはあくまで、自分たち姉妹の手による幸福でなければならない。
 ならば、どうするべきなのか?

 (まずは……兄さんの、心の傷を癒すことから始めないと)
 その疲弊した精神を回復させない限り、彼の男性機能を正常に戻ることはない。
“男”を回復させることが冬馬の安寧に繋がるのかと問われれば、正直な話、葉月にも自信は無い。認めたくは無いが、不能になったことで兄が救いを覚えている事も確かなのだから。
 だが、セックスというトラウマを遠ざけることで彼を救おうとは、葉月はどうしても思いたくは無かった。兄自身も『このままずっとインポでいたいわけじゃない』と言っていたはずだ。
 だいたい、冬馬が女性を選ぶ立場に戻らねば、同時に自分たちが選ばれる事もないではないか。

 愛情によって癒されない傷など世界には無い――という言葉は、兄の部屋にあった漫画の台詞だったか。だが、そういう形而上的な話をする気はない。葉月が問うのは、常に具体的な方法論だ。
 だが、かといって心理療法士でもない中学生には、心因性の勃起障害に対する有効手段など、まるで想像もつかない――わけでもない。
 虚空を睨む葉月の瞳が、すっと細くなる。
(そう、兄さんのものを勃たせるだけなら、方法はある)
 かつて彼女自身が実践した芹沢冬馬への精神退行……。

「もったいないこと……しちゃったのかも……」

 言い終わってから、自分が独り言を発していたことに気付く。
 だが、あるいはその言葉通りかも知れない。
 もしかしたらあの時、あの風呂場での事件こそが、彼に処女を捧げる最後の機会だったかも知れない。たとえ精神状態がまともではなかったとはいえ、冬馬は葉月の愛する兄ではないか。ならば、あそこまで彼を拒む必要が本当にあったのだろうか。

――そこまで考えて、葉月は愕然とする。
 自分は、そんな事を考えるような女ではなかったはずだ。
 兄のトラウマに付け入ってセックスを強制し、それで結果オーライと解釈するような、そんな気位の低い女ではなかったはずだ。
(あれは、わたしが好きになった兄さんじゃなかった。……柊木冬馬ではなく芹沢冬馬を相手に処女を捧げる意味など、少なくともわたしにはない)
 そう思う。
 そう思わねばならないと思う。
 だが……胸の内を走る、この苦いものは何だろう。

――今夜はこのまま、眠れそうに無いわね。

 葉月は、またしても寝返りを打ちながら、思うともなく思った。



 どくんっ、どくんっどくんっ、どくんっ、どくんっ、どくんっ。

 弥生のピンクのネグリジェを、白く染める液状の弾丸。
(これが……)
 しばし、弥生は呆然と見つめていた。
 初めて目にした、男の精液。
 人間が人間を製造するための原液。
 愛してやまない男の子種汁。
 そんなものを見て、何も感じない女などこの世にいるはずが無い。



641 傷 (その13) sage 2009/02/10(火) 20:09:45 ID:r9l37p7Y

 だが、弥生は知っていた。
――この精液に、生殖能力は無い。
 芹沢家の男娼たちは、顧客の避妊のために全員パイプカットを義務付けられていた、と千夏に聞いていたからだ。
 パイプカット自体は、外科手術で簡単に戻せるらしいと千夏は言っていたから、それほどショックは受けなかった――わけではない。
 いま、自分の寝間着を濡らす熱い液体を受け入れても、彼の子供を孕めない。
 それは、やはり弥生にとっては、とてもとても哀しいことであった。

「……おくひゃま……ごいいつけどおり……いひました……」

 見ると、冬馬が引きつった笑顔を浮かべている。
 その舌足らずな口調に、またしても精神退行を起こしたのかと一瞬ぎょっとなったが、単に舌が回らなかっただけのようだ。なにしろ彼の両頬は、弥生の度重なる往復ビンタで、リンゴのように腫れ上がっていたからだ。

 ぞくりとした電流が、背筋を走る。
 弥生は、しばしささやかな切なさに包まれていた胸のスイッチが、再度切り替わったことを感じた。
(この子……本当に、殴られてイっちゃったんだ……)
 そのブザマすぎる表情は、弥生に、かつてこの弟に対して覚えたことの無かった感情を喚起させる。
――すなわち、軽蔑。
 サディストにとっては、相手に対する愛情と同様に欠くべからざる感情。
 だから弥生にとって、その蔑みは、冬馬に対する愛情と同居させることに何の矛盾も葛藤も無かった。
(ブザマな冬馬くんって……すごく可愛い……ッッ!!)
 そう思った瞬間、弥生は渾身の一発を、彼の横っ面に叩き込んでいた。
「ご褒美よッッッ!!」
 抗議と恐怖に顔を歪めた冬馬は、そのまま最後のビンタを喰らい、死体のように崩れ落ちた。よく見ると、その瞳には涙すら光っている。

 この少年は天性の娼夫だと芹沢は評したらしいが、確かにその通りだ。
 彼を見下ろし、荒い息を整えながら、弥生はそう思った。
 自覚すらしていなかった弥生のサディズムが、ここまで表層化したのは、何も「工藤瑛子」たらんと意識したからだけではない。この、冬馬という少年がパートナーでなければ、彼女はここまで自分を縛るタガを外せなかったはずだ。
 千夏は、当時の芹沢冬馬は誰よりも演技力に長けていたと言っていたが、相手が「工藤瑛子」である以上、恐怖に震える冬馬の態度は演技ではないだろう。
 しかし、その一方で彼は、これだけ怯えつつも股間の一物は少しも縮こまってはいない。冬馬が、それこそ命懸けで自分をマゾヒストだと思い込んでいる証拠だ。
 しかし、それは無理もない話だろう。工藤夫妻を不快にさせる事は、冬馬にとって文字通り「死」に直結していたのだから。

 弥生は、このとき初めて「工藤瑛子」に嫉妬を覚えた。
 愛する弟の身体に、無数の傷痕を思う存分刻み付けたサディスト夫妻。
 この少年の肉体に、二度と消える事なき自分を焼き付けるという行為が、どれほどの刺激に満ちているか、まさしく想像に難くない。
 だが、いま彼女はこうして、冬馬を自由に出来る立場に立っている。もはや誰の邪魔も入らない。その現在に、弥生は震えるような程の悦びを覚えていた。

「早く立ちなさい、ぼうや」

 夜はまだまだ長い。
 色々とオモチャも持ってきている。
(今日はもう、眠れそうに無いわね……)
 溢れるような興奮とともに、弥生は実感する。
 奇しくも、同時刻に別室の妹も同じことを考えていたとは、神ならぬ弥生は知らない。
 だが、同じ言葉を思っても、その意味は完全に真逆だ。
 ベッドで寝返りを打ちながら、冬馬の勃起不全に考えをめぐらすのではない。
 すでにして勃起した冬馬の肉体を嬲り続けるのに忙しくて、寝るヒマなんか無いという意味だ。

「立てって言っているのが、わからないの……?」




642 傷 (その13) sage 2009/02/10(火) 20:11:11 ID:r9l37p7Y

 実際には、聞こえていないわけではないだろう。
 冬馬は、おびえた笑顔で懸命に立ち上がろうとしていたからだ。
 だが、脳震盪を起こしているらしい彼は、もう足腰が言うことを聞かなくなっているようだ。
「分からないのね」
 幼児に目線を合わせる大人のように、立とうともがく弟に向けてしゃがみ込み、弥生は笑いかける。真っ青になって首を振る彼の両肩に、優しく手を置く。
「いいのよ……分からなくても」
「ちっ、ちがッッ!」
「だって、ぼうやはバカだから。だから私が言っていることが理解できないのよね?」
「おっ、おくひゃま……ッッ」

 もう我慢できなかった。
 まだ何か言い訳しようとしている冬馬の唇を、そのまま奪う。逃がさないように両腕を首の後ろに廻し、全体重をかけてカーペットに押し倒す。勿論その間、貪るように動く唇と舌は一瞬たりとも休まない。

 弥生にとってそれはファーストキスだった。

 気持ちいい。
 冬馬とキスしているという事実がもたらす興奮。
 キスという行為自体の絶妙な快感。
 それらがさらなる電流を口蓋から量産し、数秒後にその回線は、彼女の子宮に直結した。

「ッッッッッ!!?」

 イった。キスだけで。
 軽いアクメではあったが、それでも自慰などで感じるエクスタシーごときとは、まるで違う。
 冬馬の喉がごくりと動く。どうやら、弥生が流し込んだ唾液を飲み込んだようだ。
 直に伝わってくるその振動が、股間から発せられる電圧をさらに上昇させる。
「ッッッッッッッッ!!!」
 またイった。今度はさっきより更に深く。
 自分の肉体が、トロトロに煮込んだシチューのようになっている。

 冬馬の体温。唇・歯・頬の内側の感触。唾液の味。
 そして、交尾中の蛇のように絡み合う舌の圧迫感。
 ただキスをしているだけなのに、全身がエクスタシーを迎えることを辞めようとしない。
(これで、もし、挿入なんかしたら……どうなっちゃうんだろう……)
 死ぬかもしれない。
 でも、その死は溢れんばかりのオーガズムによるショック死だ。
 それは弥生の望むところであった。

 全身が弥生の脳にクレームをつけている。
 キスをしながらも、バレンと木版画のように、こすりあわされる二人の肉体。
 当然、彼女の股間にあるのは、弟の硬く熱い所有物の感触。
――何をグズグズしているっ!!
――なぜ挿入しないっ!!
 彼女の子宮が繰り返す、脳への催促。
 もはや躊躇う理由は存在しない。

 絡み付いてくる冬馬の舌に、軽く歯を立てる。
 舌が自由になった瞬間、名残惜しさを懸命にこらえながら唇を分離させる。弥生の未練を象徴するように唾液が白い糸となって二人の唇を繋ぐが、やがて糸は途切れた。
 いきなり舌に歯に痛みを覚え、目を白黒させている冬馬。
(おれのキスに、なにか問題がありましたか?)
 そう言いたげな表情。
 そんな弟に、弥生はやさしく微笑む。
 彼女がキスをやめられなかった理由は、なにも眼下の男が愛しい想い人だからというだけではない。絶妙の舌技を誇る冬馬のキスが上手過ぎるのだ。彼の舌が活動を続行している間は、とてもではないが弥生からは唇を離せない。だから歯を立てて、一瞬、彼の舌を封じたのだ。
――さらなる本能の欲求に従うために。

「さあ、冬馬くん……子作りの時間ですよ……っっ」




643 傷 (その13) sage 2009/02/10(火) 20:12:56 ID:r9l37p7Y

 弥生は、冬馬の腰に馬乗りになり、そのままネグリジェをめくった。
 気付けばショーツは、熱い液体まみれになっている。
(こんなに濡れて……いやらしい子だと思われないかしら)
 などと、今更ながらの乙女心の残滓が疼く。しかし、ここにいる女主人「工藤瑛子」は己の淫蕩さに羞恥を覚えるような思考回路など持ち合わせていない。
 だから、いくらでも恥を捨てられる。いくらでも大胆に振舞える。いくらでも残忍になれる……。
 その思いは、処女としての弥生に残る、最後の鍵を解放した。
 サイドの紐を解くと、手早く股間から抜き去り、冬馬の学習デスクに投げ捨てる。
 確か、この姿勢は騎乗位だったか。弥生の知識では、女性が最も男性をリードしやすく、最も深く男性を受け入れることの出来る体位だったと記憶している。
 いまの自分たちには、これ以上相応しい体位はないだろう。
「いくわよ……!」



 ぶちり。



「ッッッッッッッ!!?」

 騙された。
 反射的に弥生はそう思った。
 こんなに痛いなんて、聞いてない。
 膣口にペニスをあてがった瞬間は、胸の高鳴りが耳にさえ聞こえてくるようだった。
 膣内にペニスを滑り込ませた瞬間は、あまりの感動で失禁しそうになった。
 だが、そのまま体重をかけ、自分の内部の何かが破られた瞬間、凄まじい激痛が彼女を襲ったのだ。

――濡れていれば痛くない。
――本当に好きな人となら痛くない。
――上手い人となら痛くない。
 弥生は18歳の高校三年生だ。知人友人に“経験者”は決して珍しくない。
 その彼女たちの証言が、みな嘘だったというのか。
 だが、弥生の女体は床が濡れる程に愛液を排出していたし、相手に対する愛情の深さなら語るまでもない。さらにテクニックの話ならば、かつて男娼であった冬馬に、女性経験が不足しているはずがない。

 ここが冬馬の部屋でなく、防音設備のしっかりしたホテルだったなら、彼女は泣き叫んでいただろう。だが、壁と扉と廊下を隔てた数メートル先に葉月が眠っているという事実の前には、弥生はなすすべなく歯を食いしばるしかない。
「あの……奥様……どうかなされましたか……?」
 おそるおそる冬馬が声を掛けてくる。
 エクスタシーなど1mmたりとも感じていない弥生の様子に、さすがに異変を覚えたのだろう。成り行きによっては、またしても手酷い折檻を喰らうのだから、彼としては不安になるのは当然だ。
 だが、弥生には冬馬に言葉を返す余裕さえなかった。
(こんなッ、こんなはずないッ、こんなことはありえないッッ!!)


 彼女はいま、まさに混乱の極致にいた。

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最終更新:2009年02月15日 21:09
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