籠の中(その3)

115 名前:籠の中 ◆UHh3YBA8aM [sage] 投稿日:2007/04/15(日) 02:13:49 ID:H/8YPaTB
広い玄関に出る。
扉は開け放たれており、その向こう。切り取られた景色の四角に、実妹が立っている。
いつもの、爽やかで大人しめの私服姿。手には大きな蝙蝠傘。
「お兄ちゃん、迎えに来たよ。帰ろう?」
放課後に教室にやって来るような気軽さだった。
電話口では泣いていたように感じたが、気のせいだったのだろうか。
ヘルパーさんはいない。聖理は僕の胴に手を回し、コアラのようにしがみついている。
「態々ここまできたのか?」
僕はちょっと驚いた。迎えにくるにしても、距離が距離だ。
「雨が降るって云ってたから傘を持ってきたの。街中を連れ回されて疲れている時に濡れたら
風引いちゃうから」
小首を傾げる様に笑顔。そして一瞬だけ従妹を見た。
「さ、お兄ちゃん。こっちに来て?」
妹は僕に手を伸ばす。その瞬間、従妹の腕が僕を後方に引いた。
「お、おい、聖理・・・?」
すっと、聖理が前へ出る。まるで立ち塞がる様に。
「コトリ」
「なにかな、さとりちゃん」
聖理の顔に笑みはない。対して理理は薄く笑っている。
「にいさんはここにいるの。貴女とは帰らない」
「――――」
驚いたように表情を消す。
その発言に僕が困ったような顔をすると、すぐに理理は笑顔を取り戻した。
「さとりちゃん。お兄ちゃん困ってるよ?」
亀裂のような笑み。
まるで嘲笑のような。
聖理は振り向くと、僕に縋り付く。
「帰らないよね、にいさんっ。にいさん“今日は聖理といてあげる”っていったものね!?
まだ『今日』は終わってないものっ。にいさんは、聖理を置いて帰らないよね!?」
「聖理・・・・」
必死にしがみついてくる従妹に無体なことは云い難い。けれどずっとここにいられるわけでもない。
「また来るから。な?」
「やっ!やぁ!いっちゃやだ、やだよ!にいさん、聖理との約束破るの?いやだよぉ、聖理を
一人にしないで!聖理、なんでもするからぁ!!良い子にするからぁ!だから、だからっ」
「――さとりちゃん、私のお兄ちゃんを困らせないでくれるかなぁ?」
狂乱の歌声を遮る穏やかなアルトボイス。従妹はピクリと揺れると、ゆっくり振り返る。
「コトリ・・・・・。私からにいさんを獲るの?」
低い――メゾソプラノにしては低すぎる声。
従妹はどんな顔をしているのだろうか、後方からは見えない。
「獲る?獲るってなにかな?お兄ちゃんは“私の許に”帰りたがっていて、私はそのお兄ちゃんを
迎えに来ただけ。獲るわけじゃないよ?ああ――『取り返す』には近いかもしれないね。
あ、さとりちゃん、そんな顔しないで?お兄ちゃんと離れる辛さはよくわかるから。“私が”
誰より、何より、お兄ちゃんと離れる寂しさをわかってるから、ね?」
困ったように、宥めるように理理は云う。
顔の見えない従妹は拳を握り締め、ぎりぎりと歯を鳴らした。
「良い音だね。やっぱり“それ”はさとりちゃんのほうが似合うよ」
くつくつと笑った。
「理理」
僕はたまらず声をかけた。
「そう云ういいかたはするんじゃない。聖理だってたまにしか逢えなくて寂しいんだ」
「お兄ちゃん・・・・」
呆けたような顔。
そしてすぐに聖理を睨みつける。
「理理」
「・・・・・はい」
「すぐに行くから、そこで待ってなさい」
「・・・・・・は、い」
俯く妹。
僕は聖理をつれて室内(なか)に戻る。
(なんだか剣呑な雰囲気だったなぁ。二人とも寂しがりだからか・・・・・)

116 名前:籠の中 ◆UHh3YBA8aM [sage] 投稿日:2007/04/15(日) 02:15:18 ID:H/8YPaTB
溜息をひとつ。
僕は腰を落とし、従妹に目線を合わせる。
「聖理」
「にいさん・・・」
「残念だけど、家に帰る。でもすぐまた逢えあるさ。だから、我慢できるな?」
「そんなの、無理・・・・だよ・・・」
ぶんぶんと首を振る。
「にいさんは、聖理よりコトリの方が良いの?にいさんは聖理を一人にするの?」
「住む家がある。だからそこに帰るだけだ。お前を一人にしたいわけでも、理理のほうが
大事だからってわけでもない」
どっちも大切な妹だ。
「でも、でもっ・・・」
「仕方ない奴だな」
そっと抱き寄せ頬に口づける。
「――え」
「我慢、できるな?」
「え、え、にいさん、今の、え?」
「また来る。だから安心しろ」
「い、今、聖理のほっぺに、にいさんが、いま、え?ほっぺに、ほっぺ」
「我慢、できるな?」
「あ、う、・・・・うん・・・・」
焦点の定まらない瞳でコクコクと頷く。
子供のころ家を留守にしがちな両親に縋り付いた時、母が僕にやったこと。
「偉いぞ。聖理は良い子だな」
頭を撫でてやる。
「あ、う。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ほっぺ・・・・」
ぽんぽんと頭を叩く。
またな、と云って廊下に出る。聖理は気づいているのかいないのか、そこに立ち尽くしていた。
ヘルパーさんに挨拶を済ませ玄関へ。耳には雨音が響く。降ってきたみたいだ。
「おまたせ」
理理に云う。
「早かったね、お兄ちゃん。さとりちゃんは納得したの?」
「ああ」
「え」
妹は目を丸くする。
「なんだよ?」
「だって、あんなに取り乱してたのに」
「ま、そんなこともあるさ。帰るぞ」
「あ、う、うん」
驚いたままの妹を伴なって玄関をでる。
扉を閉めた。降り始めだというのに雨足は強い。
「理理、傘くれ」
「あ、あのね、お兄ちゃん、そのことなんだけど」
妹は苦笑いする。僕は理理の手の中を見た。
「・・・・一本?」
「うん。自分の分、忘れてきちゃった」
「ドジ」
「あぅ・・・」
しょんぼりと俯く。
「しょうがない、おっきめの傘だし、一緒に使うか」
「う、うん・・・・!」
妹は笑顔で頷くと、そっと寄り添った。
傘を開く。バネ仕掛けの雨具が、ぱん、と小気味良い音をたてた。
「やっぱり、置いてきて良かった」
「忘れたことを喜ぶな」
「うん。そうだね。忘れたの。忘れたんだよ」
あははと笑う。僕は一回だけ妹を小突くと空を見上げた。
「いくか」

117 名前:籠の中 ◆UHh3YBA8aM [sage] 投稿日:2007/04/15(日) 02:16:45 ID:H/8YPaTB
「うん。帰ろう。二人のおうちに」
すでに暗くなった道を行く。妹は穏やかな顔でずっと微笑んでいた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

なんとかお兄ちゃんを取り戻せました。
あの偽者があれ以上駄々をこねるなら、傘の先で喉を突いてしまおうとも考えていたんですが、
私のお兄ちゃんは理理の許に帰りたがっていましたから、簡単に決着がついたんですよ。
帰りは相合傘でした。ううん。愛愛傘と云うべきでしょう。
世界で一番相性が良く、宇宙で一番仲の良い兄妹ですから、きっと絵になったはずです。
お兄ちゃんは私を愛してくれているので、とても気を使ってくれます。
雨はかなり強かったので、私が濡れないよう、傘を寄せてくれていたんですよ。
お兄ちゃんは昔から無言で優しさをくれるんです。
寄り添って歩くことのできる幸福。
そして手を伸ばせば掴める愛しい人の身体。
大好きなお兄ちゃんの顔を、ずっとずっと見て歩きました。
お兄ちゃんを見ていると、心がほかほかするんです。
ほかほかしすぎて、イケナイ気持ちになるときもありますが、今はまだ我慢します。
唯、一つだけ嫌なことがありました。
臭うんですよ、凄く。
大嫌いな臭いがプンプンしました。
お兄ちゃんには毎日毎日私の匂いを染み込ませているんです。皮膚と肉を通り抜けて、骨の髄まで。
ううん。心の底と、脳味噌の中と、心臓の中心まで、血の中まで、魂まで、匂いを擦り付けているはず
なんです。
なのに。
“あの女”の臭いが私の愛しいお兄ちゃんに纏わり付いていたんです。
それがとても許せなかった。
だって、あんなにしっかり臭いが付いているんですよ。
それってつまり、お兄ちゃんにずっとくっついていたってことじゃないですか。
そういえばお迎えに行ったときも“あの女”はお兄ちゃんに張り付いていました。
やっぱり喉を突いておけば良かったかな?
その女の臭いです。普段の私なら吐いていたかもしれません。
でも、臭いのもと――視線の先にはお兄ちゃんがいるんですよ。不快感を幸せが上回ったので、
戻すことはありませんでした。愛の奇跡でしょう。
でも、家に着いたらすぐにお風呂に入って貰いました。消臭・消毒のためです。
お兄ちゃんは優しいので、「お前も冷えただろう?先に入って良いよ」と云ってくれました。
でもね、お兄ちゃん。そこは「一緒に入ろう」が正解だよ?
私はお兄ちゃんを先にお風呂に入れました。臭いの件や、傘をずらしていたので私よりも
濡れているからっていうのも理由ですが、実は他にやることがあったんです。
後片付け。
それが最優先でした。
あの偽者に耳障りな声を聞かされ、お兄ちゃんをとられた後、気づいてみたら、調理中の夕御飯が
散らばっていました。どうやら食器や食材をそこかしこに叩きつけていたようです。
柱に刺さった包丁を抜き、割れ物を拾い、歪んだ鍋を洗って、床と壁を掃除する。
大部分はあの家に行く前にやったのですが、一秒でも早くお兄ちゃんを取り戻したくて、
途中で外に出たのでした。窓ガラスや食器棚を割らない辺り、私はかなり冷静だと思います。
お兄ちゃんが入浴している間にお片づけを済ませます。大切なお兄ちゃんに怪我でもさせたら、
私は発狂してしまうでしょうから。
お風呂から上がったお兄ちゃんとお茶漬けを食べました。私は晩御飯を食べていませんでしたし、
お兄ちゃんはあんな所で気も休まらなかったでしょうから、御飯を食べた気にならなかったしょうし、
ちょうど良かったです。
お兄ちゃんには私の愛情と愛液がたっぷり入った特別製を食べて貰ったんです。
「美味しいよ、理理」
私の『特別』は喜んで貰えたみたいです。
夜も遅くになったので、寝ることになりました。
私の寝巻きはお兄ちゃんのカッターシャツです。
子供のころからずっとずっと、お兄ちゃんのおさがりを着ているんですよ。それらを着ていると、
まるでお兄ちゃんに包まれているような気分になれるんです。でもやっぱり本物のお兄ちゃんの
身体が一番好きなので、寝ようとしていたお兄ちゃんのお布団に潜り込んでしまいました。

118 名前:籠の中 ◆UHh3YBA8aM [sage] 投稿日:2007/04/15(日) 02:18:05 ID:H/8YPaTB
お兄ちゃんはやれやれって顔をしましたが、やがて「しょうがないな」と認めてくれました。
お兄ちゃんのお古を着て、お兄ちゃんのお布団に包まれて、お兄ちゃんと寝るんです。
きっと私は、世界一幸せな女の子なんだと思います。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

雨はすでに止んでいた。
陽光は明るく、碧空には雲ひとつない。庭の草花が湿っていないところを見ると、夜のうちに
晴れたのだろう。
6時半。僕の起床する時間だ。ある程度の身支度を整えてキッチンへ向かう。途中からトントンと
小気味良い音がした。
「おはよう、理理」
「おはよう、お兄ちゃん。もう少しで出来るから、待ってってね」
制服姿にエプロンをした妹が振り返る。朝食を作っているところらしい。
「今日は味噌汁か。良い匂いだな」
「ここのところ、お吸物が続いたから、変えてみようかなって」
はにかむように笑う。妹は笑顔も穏やかなものが多い。
身体を戻してみつばを切る。どうやら味噌汁は豆腐となめこの模様。
着席して暫く待つと、あいも変わらず気合の入った和食が並ぶ。
「お兄ちゃん、ちょっと待ってね」
御椀に盛り付けた味噌汁を僕の前に置いた理理は、5センチ程度の小瓶を取り出す。
「いつものやつか」
「うん。隠し味」
微笑して、瓶の中の液体を混ぜ込んでゆく。
理理はこうして、僕の食べるものに『何か』を混ぜるときがある。自分のご飯には決して混ぜず、
僕にだけ“それ”を食べさせる。瓶は何種類かあるようだが、中身はいずれも不明である。
いつもは素直で僕に隠し事をしない妹も、小瓶の正体については教えてくれない。唯、小瓶の
混ぜられた品を食べると、理理はとても嬉しそうにする。
二人で『いただきます』をして、食べ始める。身内びいきかもしれないが、本当に美味い。
「今日のお勧めは、玉子焼きだよ」
「ふうん、どれどれ」
ほうれん草の玉子焼きを口に放り込む。
「うん。美味しいな、少ししょっぱいけど」
「え、しょっぱかった?ごめんねお兄ちゃん、ちょっと入れすぎちゃったみたいだね」
「ん?ああ、塩か」
僕が問うと、理理は答えずに笑った。妙に嬉しそうだ。
食事を終える。後片付けをしながら「今日もいっぱい『食べてくれた』ね」と理理は満足そうに云う。
その後、僕の髪にブラシをかけ、ネクタイを結びなおす。よくもまあ自分以外の人間の準備など嬉々
として出来るものだ。嬉しいが複雑だ。
「理理はさ」
「うん。なあに、お兄ちゃん」
兄貴の身なりを整えながら笑顔で僕を覗き込む。
「いや、何でもない」
兄貴離れしたほうが良い、そう云おうとして口を噤んだ。
(云ったら多分、泣くからなぁ)
時を経れば、自然と離れて行くだろうか?高校一年になっても今だベッタリな妹の姿を見て、
少し不安に思う。
「ふふっ。ヘンなお兄ちゃん」
ニコニコと笑う。理理は本当に楽しそうだ。
(こういうこともしなくて良いと云ったら、やっぱり泣くだろうな)
「はい、おしまい。うん、お兄ちゃん今日も素敵だよ?」
僕を整え終わった理理は満足そうに兄を見る。こころなしか顔が赤い。
「そうか。ありがとう。お前は今日も可愛いぞ」
頬を撫でてやる。理理は耳まで赤くして俯いた。兄貴相手だというのに、純な奴だ。
連れ立って家を出る。理理は度々僕を見上げていた。いつもと少し様子が違う。普段の妹は
ちらちらと見るのではなく、ずっと見上げているのだから。
「理理」
「なあに、お兄ちゃん?」

119 名前:籠の中 ◆UHh3YBA8aM [sage] 投稿日:2007/04/15(日) 02:19:17 ID:H/8YPaTB
「なにか俺に云いたいことがあるのか?」
「わ、わかる、の?」
「何年兄貴やってると思ってる?」
「嬉しい、な。やっぱりお兄ちゃんは私のことを見てくれてる・・・」
心底より嬉しそうな顔をする。うっとりと表現したほうが正しいだろうか。
「それで」と聞くと、何度か目を伏せ、躊躇いがちに云う。
「あ、あの、ね」
「うん」
「その、今度のお休みの日に・・・・おにぃちゃん・・・と・・・・デ、デー・・・・お、お出かけ、
したいなって・・・」
「外出ねぇ・・・」
そうきたか。インドアな妹にしては珍しいおねだりだ。
(もしかして、昨日聖理と出かけたからか?)
小柄な血縁を見おろす。期待半分恐怖半分で僕を窺っている。
「まあ、たまにはそれも良いか」
「ほ、本当・・・・!?」
「ああ。こんなことで嘘は吐かないよ」
妹の頭に掌を乗せる。理理は何度も「ありがとう、ありがとう」と云っていた。
そんなに嬉しいものだろうか?僕はまた少し複雑になる。
兄離れさせる――そう考えると断ったほうが良かったろうか?
(いや)
邪険に扱うことが兄離れさせることとイコールではない。
僕は首を振った。

放課後になる。
いつもはなるたけ理理と一緒にかえるのだが、時間割が異なるときはその限りではない。
妹は7,80分待ってでも一緒に帰りたがるが、僕がそれを許さなかった。
買い物やら掃除やら、その時間で出来ることは多い。なによりいつも僕と帰ってばかりでは、
妹の環境にも広がりがなくなるだろう。
今日は僕が遅くなる。だから妹はすでに帰宅しているはずだ。
HRが終わり、帰り支度をしていると、先に教室を出たクラスメイトが駆け込んできた。
「お、おい、月ヶ瀬!」
「ん?」
息を切らす級友。彼は僕の肩を掴んだ。
「お、お前、か、彼女いたのか!!!」
「は?」
首を傾げる。何を云い出すのだろうこの男は。僕にはそんなものは居ない。
こいつが大きな声で問いただしたものだから、まだ残っていたクラスメイトたちがざわめき始める。
「なんだよ、やっぱ彼女居たのか」
「えーショックぅ~、月ヶ瀬くん彼女もちかー」
「何だ何だ、“撃墜王”は撃墜されてたのかYO」
口々に勝手なことを云いやがる。僕は駆け込んできた級友をじろりと睨んだ。
「いきなり駆け込んできて、なんだそれは?あと手を離せ」
「いや、だって、今外に、超可愛い娘がいて、お前を待ってるって」
「よくわからないが、俺は今日待ち合わせなんかしてないぞ?あと手を離せ」
やりとりを聞いてるギャラリーたちがまたざわざわ。
「なんだよ~、しらばっくれてんのかー?」
「いや、彼女じゃなくてコクりに来たのかもよ?」
「つまりまた撃墜されるのか」
うるさいなあ。僕は溜息を吐く。
「外に居るってことは、この学校の娘じゃないってことか?」
めんどくさそうに聞いてみる。彼は頷いた。
「ああ、違うね!それがなんと聞いて驚け!その娘の着てる制服は、あの光陰館(こういんかん)
のものだ!!」
おお~!と、教室が唸る。
光陰館と云えば、この辺りでも有名な名門私立である。従妹の聖理も通っているところで、
清楚で可憐な制服が可愛いともっぱらの噂だ。近隣の高校の間では光陰館はステータスであり
ブランドでもあった。
(もしかして)
僕は鞄を掴んだ。

120 名前:籠の中 ◆UHh3YBA8aM [sage] 投稿日:2007/04/15(日) 02:20:41 ID:H/8YPaTB
「なあ、その娘、もしかしてちっちゃいか?」
「おお、ちっちゃいぞ。こうぎゅ~って、抱きしめたくなるくらいに。でもおっきいぞ。
いや、なにが大きいなんて、そんなこと云わせんなよ」
勝手に照れている。
「間違いないな」
僕は呟く。
「なあ、あの娘お前の何なんだ?マジで可愛いんだが。理理ちゃんとタメ張れるくらいの容姿だぞ?」
その言葉にもう一度教室がおお~!と唸る。
「おいおいマジかよ、理理ちゃんクラスの娘なんて、テレビの中でも見たことないぞ」
「みてえな、見に行くか。よし、行って来る」
教室の中がうるさい。僕は級友を押しのけて校門へ向かった。
「メールは別にきてなかったんだがな・・・」

校門には人だかりが出来ていた。可愛いとか、綺麗だ、とか大きいとか小さいとか、色々な呟きが
耳に入る。光陰館、光陰館、と囀る人並みを抜けて校門へ。
そこには大きなツリ目の、とんでもなく可愛い少女が佇んでいた。
「聖理」
「にいさん」
呼びかけるのと、駆け寄ってくるのはほぼ同時だった。名門私立の制服を着たちいさな身体が
僕の腕の中に納まる。
「逢いたかったよぉ、にぃさぁん」
僕の体をぎゅうぎゅうと抱きしめる。こんなところではまずいだろうに。
周りがざわめく。
「うわー、月ヶ瀬のかよー」
「にいさんとか云ってたぞ?」
「光陰館だ、お嬢様だ」
「バカップル死ね。氏ねじゃなくて死ね」
雑音がうるさい。
「聖理、ちょっと移動しよう、ここは良くない」
慌てて云う。従妹はうんと笑って腕を絡める。周囲の視線がまた痛い。
僕は聖理を引っ張るようにしてその場を離れた。
多分そのときの僕は、酷く情けない顔をしていたことだろう。

駅前の大通りから少し離れた小さな通りにその喫茶店はある。
『Silurian Period』と云うのが正式な屋号だが、シルル紀と呼ばれることのほうが多い。
店内は一面硝子張り――いや、水槽張りと云うべきか。ともかく、来客者を囲むように
魚が泳いでいる。熱帯魚や観賞魚ではなく『甲冑魚』が。
デヴォン紀末に滅んだはずの古代魚が壁代わりの水槽の中で泳ぐ。
淡水性甲冑魚も海水性甲冑魚もいっしょくただ。肉食性とそうでないものも混泳している。
ペーハーの管理や捕食・共食いはどう防いでいるのだろう?
気にするときりがないが、その点に目をつぶればとても感じの良い店で、知る人ぞ知る隠れた名店
となっている。ただし、値段はちょっと高い。
その店で、聖理は紅茶を、僕は焙じ茶を飲んでいる。四人がけの席だが、聖理は向かいに座らず
真横に陣取り僕にすりついている。
「で、今日はどうしたんだ?」
お茶を啜りながら尋ねる。聖理もそうそう僕に逢いにはこれないはずだが。
「うん。今日ね」
身体を密着させる。
「一日中、ぽーっとしてたの」
「ぼーっと?授業中もか?」
「うん。頭に入らなかった」
「おいおい、大丈夫なのかそんなんで。お前の所、学力の低下に厳しいだろう?」
「それは大丈夫。一日分くらいはどうってことないから」
そういえばこいつは成績優秀だったな。
「でね、昨日からずうっと、にいさんのことばかり考えてたの」
「俺?」
「うん。にいさん。聖理の、にいさんのこと」
どこか潤んだ瞳で僕を見上げる。頬が蒸気している。

121 名前:籠の中 ◆UHh3YBA8aM [sage] 投稿日:2007/04/15(日) 02:22:27 ID:H/8YPaTB
「にいさんのことばかり考えて、全然眠れなかった。学校でもそう。ずっとずっと、にいさんのこと
想ってたの。それで、気づいたらあそこに立ってた」
「なんでそこまで・・・」
「なんで?にいさんのせいだよ?」
潤んだ瞳のまま、僕の体を掴む。顔と顔が近い。
「にいさんが聖理に『あんなこと』するから、聖理、にいさんのことしか考えられなくなっちゃった
んだよ・・・」
うっとりとした顔で、自らの頬を撫でる。そこは昨日、僕がキスをした場所だった。
「聖理ね、わかったの。やっぱりにいさんは聖理を愛してくれているって。昨日だって、
帰りたくないのに帰って行ったんだって。だって、にいさん抱きしめてくれたもん。キス、
してくれたもん」
聖理の云うことに間違いはない。一人にして帰るのは気が引けたし、聖理のことは大事だ。
抱き寄せて頬にキスしたのも事実。
――なのに。
なのになんでだろう。何か彼女の表現には違和感がある。いや、僕との間に齟齬がる。そんな感じ
がする。
「にいさん」
身体を押し付ける。従妹の胸が形を変えた。
「おい、くっつきすぎだ」
すりついてくるのはいつものことだが、それすらも別種のもののような違和感がある。
「いいでしょう?だって、聖理とにいさんは好きあっているんだもの」
「それはそうだけど」
「聖理のにいさん・・・聖理だけのにいさん・・・」
周りに人が居ないからか、それとも僕しか見えていないからか。聖理は無邪気さの感じられない
甘え方をしてくる。
その時ケータイが鳴った。メールを着信したらしい。
『良い蛸が安く買えました。今日はお兄ちゃんの好きな酢の物を作ります』
妹からだ。
「コトリ?」
「ん?ああ」
聖理がケータイを覗き込んだ。
「ふうん。こんなことまで態々にいさんにメールしてくるんだ」
無機質に云う。
やっぱり今日の従妹は雰囲気が違う。
「にいさん、今日はうちに来てくれないんでしょう?」
「ん。まあ流石に、二日連続は無理だよ」
泣くかな?そう思って従妹を見る。聖理は不適に笑っていた。
「そう。じゃあ我慢してあげる。そのかわり・・・・わかっているでしょう?」
「え?」
ギュッと僕を抱きしめて顔を近づける。
「昨日みたいに、聖理を我慢させて?」
甘やかなメゾソプラノが耳朶を這う。
昨日のように。それはキスのことだろうか。
「あれはそう何度も何度もやる類のものじゃないだろう?」
「だめだよ」
聖理は首を振る。
「あんなに甘美な餌を聖理に食べさせたのは、にいさんなんだよ?そのせいで聖理はもう、
あれじゃなきゃ我慢できなくなったの。にいさんからやったことなんだから、責任をとって
あの餌を与え続けなければいけないの」
「でも」
「はやく」
有無を云わせぬ迫力だった。僕は仕方なく聖理の柔らかい頬に口付けする。
「ん・・・・。ほっぺ・・・」
満足そうに笑う。
「にいさんも聖理と離れるのは寂しいでしょう?だから」
頬にキスされる。いや、舐められたのだろうか。
「愛してるよ・・・にいさん」
耳元で囁く。聖理は何かが変わってしまったのだろうか。
僕は口を開くことが出来なかった。

122 名前:籠の中 ◆UHh3YBA8aM [sage] 投稿日:2007/04/15(日) 02:23:34 ID:H/8YPaTB
日曜日。
僕は約束通り理理と遊びに出かけた。
朝食を済ませ、午前中から家を出る。
妹は自分から誘ったのに希望する場所は特になかったようだ。その結果、僕があちこちに
連れ回すこととなった。駅前の店を覘き、買い物をする。昼食を摂って、午後は海の見える
大きな公園を散歩した。
理理は終始笑顔で僕についてきた。とにもかくにも僕と出掛けられればそれで良かったようだ。
「こんなんで楽しいのか?」
「うん。凄く幸せ」
満面の笑み。真っ直ぐすぎて直視できない。
「・・・そうか」
海に面した遊歩道を歩き出す。
「お、お兄ちゃん」
妹に呼び止められる。
「ん?」
「その、手を、繋いでも・・・良い?」
顔を真っ赤にし、控えめに僕を見る。この娘は基本的に傍にあっても触れてくることがない。
よほど恥ずかしいのだろうか。俯いたまま動かない。
僕は無言で手を取った。
「あ・・・」
妹は驚いたように身体を震わせ。消え入るほど小さな声で「ありがとう」と手を握り返す。
ちいさくすべすべとした理理の手から伝わる暖かさは、幸せと呼んでも良いものだろうか。
穏やかに手を繋いだまま、道を歩いた。
「たまにはこういうのも良いかもな」
「本当?じゃあ、また一緒にお出かけしてくれる?」
「ん・・・。たまに、ならな」
妹が繋いだ手を強く握り締めた。
暫く無言で道を行く。すると、遊歩道の傍の芝生に露店がみえた。食べ物の屋台ではなく
アクセサリーを販売しているらしい。
「お兄ちゃん」
理理が僕を見上げる。
「見たいのか?」
「うん」
妹は頷いた。理理は基本的にアクセサリーを身につけることはない。唯、小物の類は好きなようで
部屋にはそういったものが飾り付けられている。そういえばブローチやコサージュも買うことだけは
好きだった。
店にいるのは外国人ではなく日本人だった。いつも思うのだがこういうお店は採算採れるんだろうか?
「いらっしゃい」
愛想の良い店員に会釈して、品を見る。値段の割には質が良さそうだ。
理理は商品をじっと見つめている。何か気に入ったのがあるのだろうか?
「お兄ちゃん」
「どうした?欲しいものでもあったか」
尋ねると、耳まで真っ赤にして僕を引っ張って行く。
「あのね、お兄ちゃん。・・・・お願いがあるの」
「買って欲しいものでもあったか?」
コクリと頷く。
「えと、ね。買って欲しいものもあるんだけど、それだけじゃないの」
そう云って指をもじもじ。
「私が・・・お兄ちゃんにも買ってあげたいな、って・・・」
不思議な提案だ。交換ということなのだろうか?

123 名前:籠の中 ◆UHh3YBA8aM [sage] 投稿日:2007/04/15(日) 02:24:59 ID:H/8YPaTB
それは構わないけど」
「本当?」
赤い顔で見上げる。
「ああ、たいした出費じゃなさそうだしな」
「ありがとう」
そう云って露店のほうへ駆けて行く。店員と何か話し込んでいるようだ。
妹が手招きをする。
近づいていくと店員は何かを包んでいた。
「ほいよ、にいちゃん。彼女と仲良くな」
紙の包みを渡される。中身はなんだろうか。わからないが、とりあえず僕は理理の分を。理理は
僕の分の代金を払った。
「いこう、お兄ちゃん」
彼女といわれたのが恥ずかしかったのか、理理は僕を引っ張ってその場を離れる。
周囲に人の居ない遊歩道まで来て、僕は妹に聞いた。
「なあ理理、中身なんだ?」
「・・・・アクセサリー」
「いや、それはそうだろう。俺は種類を聞いたんだけど」
「うん・・・」
妹は俯く。
「えと」
僕に向く。
「このアクセサリー、ずっと身につけていて欲しいの?だめ?」
「ずっと?」
「うん。寝るときも、お風呂に入るときも、ずっと・・・・・」
真剣な目だ。よほどの願いなのだろう。
「・・・・わかった」
「ほ、本当!?良かった・・・」
理理は涙まで浮かべて喜んだ。
「そんなに嬉しいものなのか?」
包みを開ける。
そこにはシンプルなデザインの――ペアの指輪が光っていた。

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最終更新:2008年08月08日 02:23
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