贖罪 第2話

188 贖罪 第2話  ◆EY23GivUEuGq sage New! 2009/09/03(木) 04:10:17 ID:yaZFIGiM
『圭太、今日からここがパパ達のお家だ。二人で力を合わせて頑張っていこうな』
『おうちー? ねえパパ、ママはー? さーちゃんもいないよー?』
『・・・すまない圭太。もうママも沙織もいないんだよ。これからはずっとパパと二人だけなんだ』
『やーだ、やーだ! ママがいい! ママぁ、ママぁ~・・・ひぐっ、うぇ、うぇぇええん』

子供は父親には懐かないもの、とはよく言ったもんだ。両親の離婚後、僕はしばらく母さんの名を叫び泣いてばかりだったという。
3歳の、まだ幼年期を抜けていない少年にとって、母親の不在という現実は受け入れ難いものなのであった。
恋しい母の温もり。甘え、癒してくれる存在。幼い僕が求めていたものは、もう目の前には無かった。

『ねえ、なんで泣いてるの?』

そんな時、梢姉と出会った。

『あっちで一緒にあそぼ!』

僕より一つ年上の、従姉妹の女の子。八木梢は母の温もりを求めていた僕の前に、優しい笑顔を引っさげて唐突に現れた。
この頃から父は僕の世話を伯母に任せ、街に働きに出るようになっていた。が、元から内気であった僕は伯母に馴染めず、同じ家の中にい
ながら殆ど口を聞くことが出来なかった。
そんな伯母の一人娘、梢姉はいつもめそめそとベソをかく僕に気さくに話しかけてくれた。歳も近く、またどちらも片親の生活で寂しさを
感じていた僕達はすぐに仲良くなった。
虫取り、魚釣り、夏祭り・・・と、梢姉と一緒に過ごすうちに僕は変わっていった。内気な性格は幾分か解消され、伯母をはじめ色々な
人達ともうまくコミュニケーションがとれるようになった。
こうした複雑な家族環境の中で、僕がここまで真っ直ぐ成長出来た理由としてはやはり梢姉の存在が大きいだろう。
一緒に笑い、一緒に泣き、時に叱り、時に甘やかす。そんな梢姉に僕は母親の面影を感じていた。幼年期の心の形成の欠かせない母親とい
う存在を、僕は梢姉によって満たすことが出来た。
僕達は本当の家族ではない。がしかし、僕達の繋がりは本当の家族以上にしっかりとしたものであり、お互いの存在が僕達にとってかけが
えのないものだった。

『体には十分気をつけなさい。それと何かあったらいつでも戻ってくること。メールも電話も一杯するから。それから、それから・・・』

思えばあの台詞は、まるで一人発ちをする息子を心配する母親のような心境から生まれたものなのではないか。
僕には母親はいない。でも、本当の母親以上に僕を想い、可愛がり、助けてくれる人がいる。
八木梢。姉と慕い、母の面影を感じる人。彼女と出会い、弟として生きてきた人生はこんなにも幸せで、安らかで、温かかった。



「もうすぐ着きますよ、兄様」

後頭部に感じる柔らかい温もり。これは梢姉がよくしてくれた膝枕だ。
リムジンに乗せられ、移動する最中に僕は眠ってしまっていたらしい。かけられた声に目を開けると、にっこりと微笑み頭を撫でている沙
織の顔があった。知らぬ間に僕は沙織に膝枕をさせてしまっていたらしい。
「あっ・・・ご、ごめん」
「ふふ、もう少しこのままでいいですよ兄様」
起き上がろうとするが胸を押さえられ、もう一度沙織の太腿に頭を乗せる。今は何時なのか、どのあたりを走っているのかも分からなかっ
たが、目を逸らさずにこちらを見つめ、微笑を崩さずにいる沙織と目が合うとそんな疑問はどうでもよくなった。


189 贖罪 第2話  ◆EY23GivUEuGq sage New! 2009/09/03(木) 04:12:20 ID:yaZFIGiM
(・・・可愛いな)
お嬢様特有のいい香りに紛れ、微かに匂う女性の芳香。梢姉とは違うタイプの美人顔に黒く艶やかな長髪。
化粧を施さなくても白くきめの細かい肌や、大きな瞳、整った鼻、紅く膨らむ唇。百人中百人が「美人」と称すであろうこの女の子が僕の
妹、と考えるとやはり疑問が浮かぶ。本当にこんな女の子と僕が兄妹なんだろうか。
見つめられると恥ずかしく、目を逸らす。顔は紅く紅潮しているだろう。相手は妹だぞ・・・バカか僕は。
「可愛いです、兄様」
そんな僕の仕草を見て沙織はクスクス笑いながら、より一層手に力を込めて頭を撫でる。これじゃあまるで赤ちゃんをあやしているみたい
じゃないか。
「なあ沙織・・・ちょ、ちょっとこの体勢は恥ずかしくないか? そろそろ起きるよ」
「兄様は沙織のことがお嫌いですか?」
「そうは言ってないよ。ただこんな姿、他の人に見られたら・・・」
恥ずかしいだろう、主に僕が。いい歳して(といってもまだ高校生だが)妹にあやされる兄なんて格好がつかない。
「ふふふ、大丈夫ですよ」
手の動きを止める気配は無い。ゆっくりと優しく、それでいて可憐な声で沙織は囁く。
「今この車には運転席を除いて沙織と兄様しかいません。その運転席も仕切りで区切られていますので、実質ここは二人っきりの空間です。
 だから誰も見ている人などいませんよ」
―――だからもっと甘えてもいいんですよ?
納得したわけではなかった。二人っきりだからといって恥ずかしいことには変わらない。第一このような姿は人に見られる云々以前に兄と
してのプライドの関わる。
      • だが拒まなかった。彼女がそうしたいと言うのであれば、そのようにやらせてあげるのが僕の役目。いや、贖罪と言った方が正しい
か。僕のことだけを想い生きてきた彼女に、僕がしてやれることはこれしかないのだから。
彼女が膝枕をしたいと言うのであれば、頭を撫でたいと言うのであれば、甘えて欲しいというのであれば、僕に拒否権など無い。ただその
言葉に従い、彼女の願望を満たしてゆくだけ。もはやこの関係に兄妹という概念は無かった。例えるなら犬と人。使用人と主人。
なぜなら僕は兄でありながら、その資格は無いも同然だからだ。


どれくらい時間が経っただろう。車が止まり、外からバタバタと忙しい音が聞こえた。
あれからずっと、沙織は飽きもせず僕の頭を撫で続けた。そして車が屋敷の敷地内に入るとその手を止め、ゆっくりと僕の身体を起こさせた。
「兄様、もう一度だけ兄様の口から聞かせて貰えませんか?」
扉が開く直前、沙織がこちらを向きながら真面目な面持ちで語りかける。
「これからはずっと沙織の傍にいると、決して離れないとここで誓って下さい。この先何があろうとも、歳をとり老いて死ぬまで片時も沙
 織と共にいる、と誓って下さい」
それは永久に沙織と共に生きていく、ということを示していた。僕自らの運命を決める、究極の誓いだ。この誓いにイエスと答えることは
つまり、もうここから出ることは出来ない。梢姉とも、一生会うことはできないということだ。
「兄様、誓って下さい」
汗ばむ掌が僕の手を握る。僅かに震えるその掌から読み取れるのは「不安」。
きっと、彼女は恐れているのだ。また僕が消え、一人ぼっちの生活に戻ることがたまらなく恐怖なのだ。
僕にはその恐怖は分からない。梢姉や、その他大勢の仲間達に囲まれて生活を送っていた僕にとって、孤独と絶望を知らぬ僕にとって彼女
の抱える「不安」は未知であり、到底理解のできない問題なのだ。
「・・・わかった、誓うよ。僕はこの先何があっても沙織のもとを離れない。ずっと傍にいるよ」
安堵と感激の笑顔。握られた手から伝わっていた震えは収まり、車内だというのに突き飛ばさんという勢いで僕に抱きつく。
「約束っ・・・約束ですよ兄様っ! ずっとずっと兄様と沙織は一緒ですよっ!!」
わんわんと声を上げて嬉し泣きに咽ぶ沙織。そんな妹の頭を今度は僕が撫でてやる。
これでよかったんだ。自分で決めたじゃないか、一生彼女を幸せにしてゆくと。贖罪をしてゆくと。
だからこの選択も、間違ってはいないんだ。責任を持って、罪を償っていこう・・・。



190 贖罪 第2話  ◆EY23GivUEuGq sage New! 2009/09/03(木) 04:14:16 ID:yaZFIGiM
本当にここは日本なのだろうか、と思うほどの豪邸。いや、この際城と呼んでも差し支えないほどに御門家本邸は圧巻だった。
白を基調としたカラーに所々散りばめられた彩色の数々。サッカーグラウンドじゃないかと間違えるほどの前庭を抜け建物の中に入ると、
これまたダンスパーティでも開くのかと問わんばかりに広がったロビーがあった。
「まずはお父様にご挨拶をしましょう」
ロビーを抜け、大階段を登り、赤いカーペットの廊下を進んでいくこと約5分。一際豪華な扉の前で僕と沙織は立ち止まった。
「お父様? 連れて参りました」
「入りなさい」
ノックも無く、扉越しの会話。部屋の主からの承諾を得て僕達は扉をくぐる。
部屋の中はとにかく本の山。それと書類らしき印紙の束と何台ものパソコン。部屋の主・御門成之はそのパソコンの前でキーを叩きながら
仕事に精を出していた。
「おかえり沙織。探し人は見つかったかい?」
僕達の気配を背後に感じると、彼はクルリと椅子ごとこちらを向き沙織に話しかける。
見た感じはそこらにいる普通のおじさんと変わりは無い。よれよれのワイシャツにスラックス、髪などここ何日か洗っていないのでは、と
感じるほどに艶々と脂が浮いており顔には寝不足なのか隈ができていた。
「はいお父様。紹介します、兄の圭太です」
「は、はじめまして。えっと・・・沙織の兄、早瀬圭太といいます」
僕が兄と名乗る資格があるのかはさておき、一応最低限の挨拶は済ます。御門成之はうっすらと笑みを浮かべて手を差し出した。
「よろしく圭太君。こんな格好ですまないね、どうしても今週中に片付けなくてはならない仕事があってね」
がっしりと握手を交わす。こういったお金持ちの人はもっと高慢でプライドが高い人なのだと思っていたが、この御門成之という人物はど
うやらそういった人種ではないようだ。
もっとも、沙織の育ちの良さを見るにまともな人なのだという予想はしてはいたが。
「いえ、そんな・・・。あ、お仕事大変そうですね」
「ふむ、そうだな、まあ大変だよ。まだまだ日本中には虐待や孤独、飢餓に苦しんでいる子供達が大勢いるからね。そういった子供達を一
 人でも救い出し、全うな人間に育て上げることが私の義務なんだよ」
フゥ・・・と小さくため息をつき再びパソコン画面に顔を向ける。沙織の過去のついてはここに来るリムジンの中で聞いてきた。この人は
言わば沙織の命の恩人にあたる人だ。
勿論この子供達を救う行いはボランティアである。どんな仕事をして収入を得ているのかは知らないが、普通の人では到底考えられないほ
どの巨万の富を築きながら、平行して子供達の世話を行っている。単純に二つの仕事を掛け持ちしているような状態だ。そりゃ仕事も多く
なる。
「子供のこと、好きなんですね」
これ以上仕事の邪魔はしたくない、そう思いながらも僕は自然と口から質問が出た。何が彼をそこまでさせるのか。ひょっとして彼もまた
僕のように贖罪のためにこういった事を行っているのではないだろうか。
「私もね、昔は孤児だったんだよ」
静かに、キーを打つ手を止めぬまま彼は答える。その表情がどんなものなのか僕には見えない。が、その台詞からは僕のように贖罪からの
行いでは無い、という意思が肌へ伝わった。
「だから放っとけない、とでも言うのかな。まるで昔の私を見ているような気がしてね。彼らの苦しみは私もよく分かるから」
この人はきっと、本当に自分がそうしたいから、だからこそここまで情熱を持って打ち込むことが出来るのだ。僕のように「~しなければ
ならない」のではなく、「~したい」と。「責任」ではなく「願望」。本当の自分の心に正直に生きているのだ。
「辛いと感じることもあるが・・・まあ、これが私の選んだ道だからね。後悔は無いよ」
自分で選ぶ道。僕が選んだはずの道。
僕は妹に対する贖罪の道を選んだ。そうすることが最良で、僕自身の進むべき道なのだと思った。
でも違う。何故なら僕は後悔しているから。未練があるから。
僕は本当は、僕の正直な願いはずっとあの場所で、梢姉や他のみんなと一緒に過ごしていきたかったんだ。
朝になったら梢姉に起こされて、一緒に学校へ行って、友達と馬鹿をして、帰って、ご飯を食べて、眠る。そんな当たり前の日々がずっと
続いていってほしかったんだ。
これは自分で選んだのではない。選んだ気になっていて、実は選ばざるを得なかったんだ。


191 贖罪 第2話  ◆EY23GivUEuGq sage New! 2009/09/03(木) 04:16:14 ID:yaZFIGiM
「それではお父様、あまり無理をなさいませぬよう」
「・・・失礼します」
二人揃って部屋を出る。沙織の顔は明るく、それとは対照的に僕の顔は暗い。
自分が本当は何をしたかったのか、どんな道に進みたかったのか。御門成之の言葉によって、その願望が明確に僕の中に芽生えつつあった。
戻りたい。またあの幸せな生活に帰りたい。
―――駄目だ。
じゃあこの子はどうなる。僕のことだけを想い、地獄の日々を耐えてきた沙織のことは。
彼女の存在をまた再び忘却し、前のような生活に戻っていけるのか。
僕は卑怯だ。いや、そもそも人間なんて誰しもそのような感情は持ってはいるのだが、それでも自分本位の考えを肯定することは卑怯に思
えた。
「兄様、とりあえず沙織達の部屋へ参りましょう」
持ってきた荷物は使用人の人たちが運んでくれていた為、歩き疲れる、といったことはなかった。沙織に腕を引かれ、迷路のように曲がり
くねった廊下を歩き続け、ようやく僕達は目当ての部屋へと辿り着いた。
『けいた と さおり の おへや』
扉にはそう書かれたプレートが吊るしてあった。ひらがなで書かれたその字は、沙織がまだ小学生になったばかりの頃に書いたのだという。
ぐちゃぐちゃで汚く、読みづらい字であったがそこには沙織の愛が一心に詰まっていた。
「ずっと、夢見ていました。兄様と一緒に暮らせたらいいな、と」
ぐっと組んだ腕に力を込める沙織。感慨深くプレートを見つめる瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「お父様に頼んで全国の施設や孤児院を探してもらいました。『早瀬圭太』なる同姓同名の子供も何人かはいましたが、どれも写真に写る
 兄様とは違いました。考えてみればそうですよね、だって兄様は孤児でもなんでもなかったのですから」
そうだ、僕は別に父さんに捨てられたわけでも孤児になったわけでもない。伯母の家に二人で移り住み、ささやかな生活を育んでいただけ
なのだから。「片親の子供は施設に送られる」という沙織の実体験は、まだ子供であった彼女にそういうものだという認識を与えてしまっ
ていたのだ。
「それから後はもう我武者羅でした。探偵、占い、テレビの企画・・・。13年間探して、探して、探して、探して、やっと一人の私立探偵
 から見つけることが出来た、と連絡が入ったときは本当にどれだけ嬉しかった事か」
ゆっくりと扉を開く。綺麗な円形の間取りをした沙織と僕の部屋は、中心に置かれたベッドを境に綺麗に二分されていた。
円形の部屋を半分に割ったうちの右側部分は、女の子らしいピンクを主体とした可愛らしい作りをしていた。たくさんのぬいぐるみに学習
机、ピンクのレースが付いたカーテンからは夕日が差し込んでいる。
そして反対の左側部分、僕の部屋であろうその場所は何も置かれておらず、無造作に僕が持ってきた手荷物が置かれているだけだった。
カーテンも絨毯も無い剥き出し状態であったが、綺麗に掃除が施されているところを見るとまめに清掃はされているようだ。
「ここが兄様のお部屋です。13年間、いつか必ずこの部屋が2色になると、二人の部屋になると信じていました」
この何も無い半円部分を僕が埋めていく、ということなのだろうか。とにかく今この状態はあまりに異質というか、まるで芸術家の部屋の
ような何ともいえない違和感がある。
「ここで兄様と一緒に暮らせる・・・沙織はもう何も要りません。兄様がずっと傍にいてくれるのであればもう何も・・・」
沙織の言葉が痛い。こんなにも僕を慕ってくれている沙織、だが当の僕にその想いを受け止めるだけの器量があるだろうか。
彼女から伸びている僕への矢印は一方的なものだ。僕から伸びる矢印とお互いにぶつかり合うことは無い。なぜなら、僕から伸びる矢印は
彼女ではなく・・・梢姉に伸びているのだから。
別に男女の関係になりたいわけじゃない。僕は梢姉のことを家族と認識しているのであって、そこに恋愛だの性欲だのという感情は生まれ
たりはしない。
ただ、沙織が僕とずっと一緒にいたいと願うのと同じように、僕は梢姉とずっと一緒にいたいと願っているのだ。これこそが僕の本心。偽
れない本当の願望なのである。
「・・・沙織。僕は沙織の謝らなくちゃいけないことがあるんだ」
だが願望は所詮願望である。絶対にそうなると決まっていない願い。叶えるも叶わないも全て自分にかかっているのだ。
御門成之は願望を叶えた。沙織もまた願望を叶えた。そして僕は・・・叶えられなかった、ただそれだけだ。
「僕は、沙織の存在を・・・ずっと忘れていたんだ。沙織が孤独に苦しんでいるときも、僕は『妹がいたこと』すら忘れて生きていたんだ」



192 贖罪 第2話  ◆EY23GivUEuGq sage New! 2009/09/03(木) 04:18:21 ID:yaZFIGiM
沙織の目が大きく見開く。ショックか、怒りか、悲しみか。身体は硬直し頬が引きつる。僕を見つめる瞳から光が消えていった。
「・・・兄様。今、なんて・・・?」
「ごめん・・・ごめん沙織っ! 僕は、僕はお前に兄と名乗る資格すらない人間なんだ!!」
いままで言えなかった、本当の意味での贖罪の言葉。この本当の事を話すことで彼女を傷つけてしまうのではないか、また絶望させてしま
うのではないか、そういった不安から今まで言えなかった。
だが、彼女の言葉を聞くたびに、彼女から擦り寄られるたびに、その重圧が重くのしかかる。
彼女は知るべきだ。今までずっと想い続けてきた兄が、実はどんな人間なのかを。
「僕は沙織に・・・そんな風に大切に想われる資格なんて無いんだ。ずっと僕と一緒になる為だけに生きてきた、って言ってたけど・・・
 僕は沙織の人生の柱になれるような、そんな出来た兄じゃないんだよ」
理想と現実はイコールではない。理想が高すぎ、現実に失望することもあればその逆もあるだろう。
沙織の理想は高すぎた。私の兄は優しく、強く、困ったことがあればすぐに助けに来る。テレビの中のスーパーマンのように頼れる兄なの
だと、そんな幻想の僕を想っていたに過ぎない。
だが現実はどうだ? きっと彼女は彼女で僕のように生活しているだろう、だから別に会わなくてもいいや。そのうち妹のことを考えなく
なり、家族のことを考えなくなり、果てはその存在すらも記憶から消してしまっていた僕。
そんな人間がお前の兄だ。妹が苦しんでいようが、泣いていようが知ったこっちゃない。だって忘れていたのだから。僕にとって妹とは、
所詮その程度の価値でしかなかったのだ。
「ち、がう。兄様はずっと・・・沙織を・・・探して・・・」
「そうじゃないんだ! それは沙織の幻想の中の僕で・・・。本当の僕は、沙織のことなんて・・・これぽっちも・・・」
この告白は賭けだった。下手をしたら沙織はまた昔のように引きこもり、言葉すら失う生活に逆戻りをしてしまう可能性もあった。また、
激昂し僕を痛めつけるか放り出すかという行動も予想できた。
だからこそ、僕は決めたんだ。贖罪をしようと。この先どのような結末が待っていようと、妹の好きなようにされようと。
はは、なんだ。腹をくくれば納得できるじゃないか。
これから僕はどうなるのか。引きこもる妹の世話を一生してゆくのか、それとも拷問室送りにでもなるのか。さすがに殺されたりは・・・
するかもしれないな。
沙織の顔は見えない。信じていた兄が、希望だった兄が、まさか自分のことを忘れていたなんて。
彼女にしてみれば裏切られたも同然だろう。目の前にいる僕が、まさか自分の事をそのように思っていたなどと予想できただろうか。
「罪は償う」
拳を握り、僕は答える。生か死か、はたまた死に近い生か。僕の運命を決めるのは目の前にいる妹だ。
「何でもする。沙織の気の済むようにしてくれて構わない。死ねというのなら死ぬし・・・なんなら沙織が昔味わったっていう地獄を再現
 してみてもいい」
本当に死ねと言われて死ねるかと聞かれれば正直無理だ、と答える。僕だって人間だ。命は惜しいに決まっている。
沙織の顔はまだ見えない。僕より少し背が低いため、俯くとその顔色を知ることは出来ないのだ。
僕は待った。判決を宣告される罪人は、このような心境なのだろうか。
そして、顔を俯かせたまま沙織はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「な、ん、で、も、す、る? ・・・今そう仰いましたね?」
先程までの可憐な声ではない、くぐもった声色。とても同じ人物だとは思えない変わりようだ。
「ああ。どんな罰も受ける」
声の豹変振りに多少怖気づきながらも僕は覚悟を示す。沙織はまだ顔を上げない。
「ふ、ふふふ、ふ。そうですか・・・」
―――笑っている・・・?
僕の言葉のどこに笑いの要素があったのかはわからないが、てっきり泣き出すか激昂するかと思っていた僕は拍子抜けした。
やがて沙織は顔を上げ、先程までと変わらぬ笑顔を僕に向ける。
「わかりました。では兄様には罰を与えます」
声色が元に戻った。そしてその表情を見るに、少なくともそこに怒り・悲しみは浮かんではいなかった。




193 贖罪 第2話  ◆EY23GivUEuGq sage New! 2009/09/03(木) 04:20:15 ID:yaZFIGiM
ピッ、と人差し指を真上に立てる。そしてその指をゆっくりと僕に近づけた。
「兄様、先程車の中で沙織と誓ったこと、覚えてらっしゃいますか?」
突然の質問にビクンと身体が反応する。沙織は僕にどんな罰を与えるつもりなのか、予想が付かない。
「あ、えっと・・・沙織のそばから離れない、ずっと傍にいる・・・ってことだっけ?」
「ふふふ、大変良く出来ました」
にっこりと微笑を返す。この機嫌なら少なくとも殺されることは無いだろう。
「では兄様。兄様への罰は・・・この誓いに更に『三つ追加』させて貰います」
真上に立てていた指に中指・薬指が加わり三本になる。そしてそのうちの一本をもう片方の手で折る。
「一つ、『沙織の言うことには絶対に服従すること』」
二本目の指を折る。
「一つ、『沙織に隠し事をしないこと』」
三本目の指を折る。
「一つ、『沙織のことだけを考えること』」
絶対服従。それはつまり、沙織の奴隷となるということを意味していた。
穏やかな口調、優しい笑顔で言い渡された罰。この絶対的な拘束の前では、僕の人権も自由も無視される。
「それさえ守っていただければ沙織は満足でございます。兄様のことも許しましょう」
許す―――そんな言葉を妹の口から聞くとは思わなかった。きっと彼女は永久に僕を許さず、奴隷として僕を飼っていくのだと思っていた。
僕がここに来た理由。妹への贖罪はこのような形で一応の決着をみた。
「僕は・・・許されるような人間じゃない。誓いは守るよ、でも――」
「許します」
両手を伸ばし僕の頭を胸に引き寄せる。当てられた胸からは一定のリズムに合わせて心臓の鼓動が聞こえた。
「許します。兄様がこれまで沙織のことをどう思っていたか聞いて、やはりショックでした。でも、大事なのは過去ではなく未来・・・そ
 うでしょう? 兄様はこれからずっと沙織のことだけを考えてくれると誓ってくださいました」
白く小さい指が優しく髪を梳く。投げかける微笑は心を安らげ、服越しに伝わる体温は心地よかった。
「だから兄様、ここから始めてみて下さい。沙織のことをもっと知って下さい。沙織も兄様に伝えたいこと、してみたいことがたくさんあ
 るんです」
歳相応の子供のように頬を上気させまくし立てる様を見ていると、沙織もやはり15歳の女の子なのだと感じた。
僕に与えられた罰は決して人道的とは思えない。がしかし、この僕を抱きニコニコと笑う少女は、本当に僕のことが大好きなのだと思った。

「ですが―――」

一瞬にして―――空間が凍った。僕の髪を梳いていた指は動きを止め、微笑みが浮かぶ眼差しは色を失う。
先程の別人のような声色が戻り、僕に脅しをかけるような口調で語りかける。
「もし誓いを破ったときは・・・どうなっても知りませんよ? まぁ、一回くらいなら大目に見る事もあるかと思いますが―――」
沙織の、瞳を、直視できない。身体はまるで金縛りにあったかのように動かなかった。
「とにかく、絶対に破ってはいけませんよ?」
唇で作り上げる「笑顔」は、いままでのそれとは別物だった。
悪魔を思わせるその微笑みは、最早人と呼べるのか判らないほどにドス黒いオーラを放っている。
この時僕は・・・誰に祈ったのだろう。目の前に迫る悪魔に、僕は誰の助けを請うたのだろう。神か、仏か、あるいは―――
(助けて・・・っ、梢姉―――)

「ひ、ょ、っ、と、し、た、ら、気、が、変、わ、っ、て、し、ま、う、か、も、知、れ、ま、せ、ん、の、で」

一言一言を僕に刻み込むように・・・彼女はは僕に「最初の命令」を下した。

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最終更新:2009年09月05日 22:40
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