青年の詩、少女の季節 第2話

360 名無しさん@ピンキー sage 2009/09/11(金) 04:19:03 ID:27wBdzN1
 長いようで短かった夏休みが終わり、蝉の声もなりを潜めはじめる。
学校が始まってすでに二週間が経過していた。そろそろ多くの生徒が夏休みの自堕落な生活から、普段の学校生活のリズムへと完全に移行していた。
私、北見そらや数少ない友人たちもほとんどがそうなった。と言うか、そうならざるを得なかった。
ただし、ただ一つの例外を除いて。
「おーい、景ー」
ぽふぽふと私は隣の席で夢の世界にトリップしている定山景(さだやまけい)の頭を叩く。
まだ夏休みの遅寝癖が抜けてないのか、最近はずっとこの調子で夢の世界に突入してることが多い。
「ふぇ?」景はおでこに赤く腕の当たっていた跡を残し、まだ半分夢の世界にいるような表情で不思議そうにそらを眺めていた。
よく見れば特徴的な丸眼鏡は脂でべったりで、口元には唾液の川の跡があり、まるで青いネコ型ロボットの
出した暗記用の秘密道具のように、頬に景の特徴的な丸文字で昨日の世界史の授業内容が写っていた。
「あれ?あたしいつから……」
別の世界への旅行から帰って来たばかりの景はまだ頭が回らないらしく、ただぼんやりとしている。
「四時間目の途中。ホームルームから眠たそうだったけど、昨日何やってたの?」
「四時まで全然寝れなかった……」
「自業自得。夏休みにそんな時間まで起きてたからでしょ」そう言って私は鞄からお弁当の包みを取り出す。
北見そら特製の、兄貴とお揃いのお弁当だ。
といっても同じ材料や冷凍食品を使ってる以上、お揃いになるのも当然だが。
「あと景、顔洗いに行ったほうがいいよ。ほっぺたにワシントン軍縮条約って書いてる」
 しかも、主力艦の保有率までご丁寧に。
景はすぐに席を立って、教室を抜け出す。
そして景と入れ替わりになるように、よく見知った女子がお昼のパンとおにぎり、そして飲み物の入った購買のビニール袋を持って、私の机の前にやってきた。
活発なイメージを持つショートカットと、快活な笑顔。ブレザーよりも体操着のほうが似合ってそうな少女。
「そらー、生きてるー?」
「まーねー」
私の数少ない友人B、藤野千尋である。
「にしても景の顔すごくなかった?」
「うん。あれはいくらなんでもなかったと思う」
「本当。景、顔はいいのにね」
前の席の男子がどこか別の席へ移るために席を立つと、千尋は目ざとくその席をかっさらう。
昼は窓際のこの席が千尋の専用シートとなる。
「さぁーて、おっひるーおっひるー」
妙な節の歌を歌いながら、千尋は慣れた手つきで袋からメロンパンと紅茶を出して、私の机に置いてゆく。向かい合う私は千尋のスペースの外にお弁当と水筒を広げた。
「お待たせ~」
 ちょうどその時、どんな熱血漢だろうと一瞬でやる気をなくすような能天気な声を出して、景が帰ってくる。
「おー、景が美人さんになって帰ってきた」
 メロンパンをかじり、口をもごつかせながら千尋が言う。
 えへへー。と気の抜けそうな声をあげて、机の上いっぱいにお弁当を広げた。景のお弁当はお母さんが作ってるらしく、小食の景に合わせたちいさな二段のお弁当箱だ。
「……にしても、そらのお弁当はいっつもおいしそうだよね」
 千尋は私と景のお弁当と、自分のメロンパンを見比べてはぁ。とため息をつく。
「そんなことないって。冷食も結構多いよ、コレ」
「冷食でもおいしそうなものはおいしそうに見えるよ」
 千尋が反論する。
「それにそらのお弁当はお兄さんのと一緒に作ってるでしょ。やっぱりお兄さんへのとめどない愛の籠った献立で作られたお弁当だからおいしく見えてるのよ……」
「何言ってるのよ千尋!」
 私は反射的にばん! と机を思いっきり叩いてしまう。
周囲が潮が引いてゆくように急激にざわつきはじめ、教室にいた全員が音の中心であろう私たち三人をこわごわとした表情で眺めている。
「…………千尋が変な事言うから」
「あれ?てれ隠し?てれ隠し?」
そう言って私の頬をつついてくる千尋の頭に、私は思いっきり鉄拳を加えてやったのは言うまでもない。


361 名無しさん@ピンキー sage 2009/09/11(金) 04:19:43 ID:27wBdzN1

さっきは殴って誤魔化したものの、千尋の言ったことはあながち嘘ではない。と言うかかなり真相をついている。
兄貴のお弁当は私が妥協できる範囲内でしか手を抜いていないような一品だ。
それにおかずの入れ方も私のはそれこそ適当だが、兄貴のはきちんとおいしく見えるように配置していたりする。
(にしても、狂おしいほどの愛かぁ……)
たこさんウィンナーをつまみながら、私は千尋の言葉を思い出す。
狂おしいほどの愛。とは一体どのくらいの愛のことを言うのかはわからないが、私の兄貴に対する思いはきっと、そこまではいってないだろう。
確かに兄貴のことは誰よりも好きだし、北見千歳を世界で最も愛している人間も恐らく私だろう。結婚雑誌を立ち読みして、花嫁と花婿を私と兄貴に置き換える妄想も中学のころから続いてるし、兄貴をオカズに一人でしたことなんて数えきれないほどある。
だが、狂おしいほどの愛と言うのは、例え兄妹と言う禁忌も関係なく契りを結び、自分が相手とともに破滅に向かい、全てをぶち壊してもなお揺るがないような愛のことなのだろう。
そんなものを意気地の無い私が持てるわけがない。
兄貴の人生も、自分の人生も滅茶苦茶にしてしまうようなことなど、私みたいな意気地なしには出来るはずもないだろう。
兄貴といっぱいいちゃついていたい。
兄貴と結婚したい。
兄貴といっぱいシたい。
兄貴の子供が欲しい。
兄貴とずっと、死ぬまで一緒にいたい。
そんな思いも倫理感や社会不安という巨大な隔壁の前にはかなわない。
隔壁を破れるほど思いの濁流は強くなく、ただただ悔しさと切ない思いの水かさだけが無意味に増してゆくだけだ。
「ねぇ、そら?」
 千尋の突然の声に、思考が現実へと引き戻される。
「ごめん……ちょっと考えごとしてた」
まぁ、いいんだけどさ。と千尋は言うと、さっきまでしていたのであろう話を再開させる。
内容は千尋の兄で私の兄貴の数少ない友達、健史さんへの愚痴だった。
「で、うちの兄貴がまたネットオークションでまーたエアガン落として、『これで千歳に勝てる! 明日千歳に自慢してやる!』って昨日すっごい舞い上がっててさぁ……」
 うんうんと千尋の会話に合わせて私と景は何度も相槌を打つ。
 兄貴と健史さんの共通の趣味に、軍事というものがある。
私にはよくわからないが軍事趣味といっても結構中は広く深いらしく、兄貴と健史さんはあまり共通して好きなものは少ないらしい。
しかし中には兄貴も健史さんも珍しく気の合うモノがあり、その一つがサバゲーだった。
兄貴も小遣いをやりくりし、リサイクルショップで買い揃えた自慢の装備で健史さんや他の友達たちと近くの山で戦争ごっこを繰り広げている。
「千尋、それは私が一年前に歩んだ道だ」
私は千尋の肩をぽんぽんと叩いてやる。一年前にライフルを買ってきた時の兄貴の舞い上がりようと言えば、それはそれは酷かった。
普段滅多に感情をあらわにして喜ぶようなことがない兄貴が近年小躍りしながら喜んでいたのは、たぶん免許を取った時とそのときだけだろう。
「そうそう、千歳さんって言えばー」
 景は突如思い出したように間延びした声で千尋の話に割り込んだ。
「四組の友達の話なんだけどね、四組で千歳さんのことが好きな子がいるんだってー」
 私は自分の耳を疑った。
「ねぇ、景。今なんて言ったの?」私はもう一度千尋に訊く。全く意識していなかったが、私の声はかすかに震えていた。
「だからー、四組に千歳さんのことが好きな子がいるんだって」
「それ誰?」気づけば私は考えるより先に強い語調で千尋に詰めていた。「四組の誰?私の知ってる子?兄貴との接点は?」
「し……知らないよぉ……」ふるふると震える景の声に、私はやっと我を取り戻した。
「そあ、いきなりどうしたのさ」訝しげにそうに訊いてくる千尋。
 私はふるふると首を横に振り、そして笑ってみせる。
「ちょっと驚いて、興奮しちゃった。兄貴のこと好きな子なんてこの世にいないと思ってたもん」
 さっきとは打って変わって私たち三人の間にくすくすと微笑が生まれる。
「そら、それは酷いって」千尋が苦笑する。「ウチの兄貴ならまだしも、千歳さんならファンの一人や二人はいるはずだよ」
 千尋も十分酷いってー。と景が突っ込む。
私は表情でこそ二人のやり取りに苦笑していたが、内心では焦りが抑えきれなかった。
これは昼の授業はたぶん手に着かないだろう。


362 名無しさん@ピンキー sage 2009/09/11(金) 04:21:40 ID:27wBdzN1
「でよ、終了一分前に思い切って千円余分につぎ込んだら、周りの連中がそれ以上高額出してなかったらしくて
なんとか買えたんだって! 程度のいいM4A1が九千円だぜ、九千円」
 いつも通りの昼下がり、俺は前の女子の席を占領し、昨日ネットオークションで落としたM4カービンの
電動ガンを自慢する健史に適当に相槌を打ちながら、そらの作った弁当をつまんでいた。
「で、送料込みだと何円なんだ?」
 その瞬間、健史の顔色がまずくなり、窓の外へ急に視線を向けた。
どうせ送料やら手数料でもう二千円は取られたのだろう。
電動ガンと言うのは定価だと酷く高くつくものだが、逆に多少は安くなるオークションや通販なんかを使うと今度は重い分送料がかさむ。
そこ行くとリサイクルショップで定価の半額近い値段で電動ライフルを買えた俺はかなりラッキーな方なのかもしれない。
それでも送料を含めても健史のものとそう値段的には変わらないのだが。
「ま、とりあえず頑張れ」
 俺は再び昼食を再開する。
俺が次に狙いを定めたのは冷食のミニグラタン。俺はこれが好物だったりするのだが、そらは結構、だが食い飽きない程度に弁当に入れてくれたりするのでうれしい限りだ。
「…………にしてもだ」
 ミルクたっぷりの缶コーヒーに口をつけた健史が、不意に呟く。
「お前は本当にいいよなぁ。そんな見るからにうまそうな弁当を妹に作ってもらってよ」
 それに比べて俺の妹は……と嘆く健史を尻目に、俺はアスパラに箸を伸ばした。
「何とか言ったらどうだよ、千歳ぇ」
 俺はそれでも健史を無視して弁当を食べていた。
「大体よぉ。お前のとこの兄妹仲、異常に良くないか?」
「別に」
「いや、異常だ。大体高校生になっても同じ部屋使ってるってあたりでもう凄いぞ」
 はぁ。と俺はため息をつく。
「部屋がないんだよ、ウチは」
 2LDKのマンションを一部屋が父さんが使っているのだ。残った部屋を二人で使うしか無いに決まっているだろう。
「というか食いカス飛ばすなバカ。きたねーだろ」
 ああ、すまん。と健史は片手を立てた。
「しかし、しかしだ」健史は俺の机を握りこぶしでとん、と叩く。
「お前は意識してなくてあれほど仲がいいとしたら、そらちゃんからお前に寄ってるなのかもしれんな」
「そんなわけあるかっつの」一応反論してみる。
「だがもしそうだとしたらだ。兄に密かな、だが強い恋心を抱く妹……兄として受け止めてやりなよ、北見千歳くん」
 ……何から突っ込めばいいのやら。
大体こいつの脳内で空がどういう風に改変されているのかがとても気になる。人の妹を勝手に外道にされるのは、それこそ兄として成敗しなければならんだろう。
「そんなアニメみたいな話があるわけねーだろ。いい加減殴るぞ」
と、言う前にすでに俺の拳は健史の頭を殴っていたわけで。
別にいつも口より手が早いというわけではないものの、なぜか今日だけは手の方が早かった。
そらのことだったからか?などと疑問に思いながら、俺は頭をさする健史を眺めていた。
「で、謝罪の言葉は無しかよ」
「当然じゃ」
 おれは 空になった弁当箱に蓋をして、机の横にかかった鞄を膝の上に移し、ファスナーマスコットを引っ張った。
半分ほどまでファスナーが開くと、音もなくファスナーマスコットはファスナーに結ばれた金具と分離し、マスコットを握る俺の手だけが空を掻いた。
「不吉じゃ」健史が妙な口調で言う。
「単に間の金具がガタガタなだけだよ」
しかたないのでファスナー金具の本体を握って、ファスナーを開く。そしてノートや本が詰まった鞄の中に、弁当箱を戻した。
「結構使ってるからなぁ、コレ」
 塗装の禿げかかった、何年か前のアニメのヒロインを模したPVC製のマスコットは、俺の手のひらで緊張感もなく笑っていた。


363 名無しさん@ピンキー sage 2009/09/11(金) 04:22:29 ID:27wBdzN1


 今日最後の授業は、よりにもよって俺の嫌いな英語のリーディングだった。
どこぞの19番目の人造人間のような風体の教師が淡々と癖のある字で書いてゆく板書を書き写しながら、しかし、頭の隅で先ほどの健史の言葉を思い出していた。
『お前は意識してなくてあれほど仲がいいとしたら、そらちゃんからお前に寄ってるなのかもしれんな』
『だがもしそうだとしたらだ。兄に密かな、だが強い恋心を抱く妹……』
そらが俺になついているのは俺もよくわかっている。だが、あくまでそれは兄妹として仲がいいというわけだ。
それにそらが俺になついてるのには、母さんが死んで以来、俺がそらの面倒を見てきたというのもあるのだろう。
しかし、そらが時折必要以上に甘えてくるのはどうだ?女の子が積極的に肌をすりつけてくるなんて、高校生になっている以上、なついている程度では説明がつかない筈だ。
それにたまにそらが送ってくる熱っぽい視線。あれはどう考えたって妹としての眼じゃない。
そして、そこで俺の脳裏をよぎったのは、夏休みのいつだかに父さんが口走った一言。
『お前じゃないと駄目なんだ』
父さんじゃ駄目で、俺じゃないと駄目なこと。やっと俺はその意味がわかりかけてきた気がする。
しかし、健史ならともかく父さんまでそらを一体どう見ているのかと疑いたくなってきた。
だがもし、もし本気でそらが俺のことを異性として愛しているとしたら。
俺はどうすればいいんだろうか。
しかし、そんな事はまずないだろう。と思考を中断し、俺は黒板に視線を戻した。
そして戻した瞬間、俺は深くため息をついた。
俺がそらの事を考えている間にも板書は早足のまま進んでおり、さっき書かれていた場所はすでにきれいさっぱり消えていた。
俺は舌打ちすると、とりあえず抜けた部分を適当な行数だけ空けて板書を書き写す作業を再開させる。
ノートはあとで健史のを見ればいいだろう。そう思って俺は健史の方を向く。
 考えが甘すぎた。
健史は俺よりもっと深刻だった。夢の国と現世の間を必死に行ったり来たりしており、ノートなどとってる余裕などどこにもなさそうだ。
 仕方ない。ともう諦めて、俺は空白の数行が非常に気になってゆくノートを、引き続き取ることにした。


今日最後の授業は家庭科で、黒板ではまだ若い女教師の字で食物の栄養素に関する内容が延々と書き込まれていた。
私はそれを見るでも、女教師のたどたどしい説明を聞くでもなく、ただひたすらに左手でペンを弄びながら、思考を張り巡らせていた。
兄貴のことが好きな四組の女の子。いったいどんな子なのだろうか。
もし私がその子を好きになれば、私はその子に兄貴を大人しく渡すだろうか。
…………いや、ありえない。
人一倍嫉妬深い私には、そんな真似など出きるはずがない。きっと後から酷く兄貴のことを後悔して、その女の子を脅すのがオチだ。
だが、嫉妬深いくせに人一倍臆病な私は、ドラマや映画の女の人のように、私は平然とその子を殺せるような殺人鬼にはなれないだろう。
なんて中途半端な女。私はため息をつきたくなった。
しかし、それ以前に兄貴が――北見千歳が私以外の恋愛対象になることがあり得ることを忘れていた全く油断していたとしか言いようがなかった。
まぁ、兄貴が好きなのは私以外いないなどと勝手に思っていたのがそもそもの間違いだったのだろうが。
だがもううかうかしてはいられない。
もう私だけが好きなだけじゃ北見千歳は永遠に私のものにはならない。
兄貴も私を好きになってもらわないといけない。
兄貴が私に振り向かないといけない。
兄貴が私を受け止めてくれないといけない。
そのためには。と私は左手のペンを回しながら、心の中で呟く。
兄貴に私という異性の存在を気付かせてあげないといけないわよね。
兄貴が私に恋してくれないといけないよね。
それに、私がもっと兄貴にふさわしい女の子にならないといけないよね。
待っててね。そら、世界で一番兄貴……ううん、お兄ちゃんにふさわしい女の子になってみせるから。
だから、お兄ちゃんも私がいることに気づいてね。
そうなれば。と私は授業そっちのけで、家庭科のノートに今後の計画の案をいくつも書き起こしはじめた。
家庭科の授業など聞いていなくても別段困るものではないし、それにこの授業で習うことなど、家事全般を任せられている私にとっては、とうの昔から知っているようなことだ。


364 名無しさん@ピンキー sage 2009/09/11(金) 04:23:52 ID:27wBdzN1


「付き合わせて悪いな。千歳」
そう言いながら健史は市立図書館の自動ドアをくぐる。
俺もそれに続くようにしてドアをくぐった。

「別に。それに何か面白い本が見つかるかもしれない」
この町最大の市立図書館は、何万冊もの蔵書を二階分の図書室に納めてなお、まだ閉鎖された書庫にも蔵書があるという始末で、正直本を探してさまようのもそれはそれで楽しい。
健史はそのまますたすたと周りの雑誌に目もくれず、まっすぐと小ぢんまりとしたカウンターと、巨大な吹き抜けを通り過ぎ、いくつもの背の高い書棚の林が群生するコーナーへと向かう。
健史の目的地は林に入ってすぐのコーナーだった。
機械工学。とりわけいわゆる「乗り物」関連の機械の本のコーナー。いわゆるのりもの図鑑を呼んでいたかつての男の子たちがそのままその趣味を抱えて大人になったような連中の
好きそうな本が溜まっているコーナーだ。
健史は何の迷いもなく棚の中から航空機関連の本や鉄道関連の本を無造作に一冊か二冊ひっつかみ、品定めしてゆく。
「いい本あるか?」
「新刊が入ってた」
健史は『こうして重大航空機事故は起こった』というタイトルの本を脇に抱える。
「それか?」
ん。と健史は答える。「結構おもしろそうだったからな」
 ふーむ。と俺は唸りながら健史の傍を離れ、一路文学コーナーへ向かった。
文学青年という柄でもないが、俺も読みだせば週に一冊くらいのペースで小説を読んだりする。
しかしそれが外国文学や古典になると何故か妙に遅くなり、読むのに一ヶ月や二か月もかかるので、大体にして読む本は国産のできるだけ軽めの文学にしている。
「さて……と」俺は文学コーナーへ立ち入って、適当に良さそうな本は無いかと捜索を始めた。
といっても、重ったるそうな本は除外。架空戦記は読み飽きたので除外。と次々に本を除外してゆく消去法でしかないが。
そうして半ば消去法の捜索を進めてゆくうちに、俺は空色の表紙が装丁されたハードカバーの本を手に取る。
あらすじを見ると、一通の携帯メールから話が広がってゆく、まぁ楽しめそうな話だった。
よし。と俺はその本を抱えて健史の所へ戻ろうとする。
その途中だった。
書棚の林の中で、腕いっぱいに読み切れないほどの本を抱えた少女を見つけたのは。
少女は首の付け根ほどまでのびたショートヘアーで、細縁の丸っこい眼鏡。服装はうちの学校の制服を着ており、一年生の証である紺色のリボンを胸元に結んでいた。
いまどき絶滅危惧種の文学少女が、これほど完全な形で存在しているとは。
まさにトキかニホンオオカミでも見つけた感覚とはこんなものなのであろう。
少女は観光コーナーの書棚から不意に眼を離しこちらを向くと、俺の方に釘付けになる。
「あ、すみません」
やはり絶滅危惧種だとおもって凝視していたのが悪かったのか。俺はばつが悪そうにア氏は屋に健史のもとへと立ち去って行った。
健史はすんなり見つかった。ほぼ近くの棚にある兵器工学のコーナーでまた書籍を漁っていたのだ。
さきほどの文学少女ほどではないが、健史も五冊ほどの本を脇に抱えている。
「お前も見つかったか?」
「一応な」
俺は健史に向かって空色のハードカバーを掲げる。
「んじゃ、行くべ」
 健史と俺は貸出カウンターへと広い図書室内を歩いていった。
貸出カウンターには前に何人か小学生がいたものの、本を借りるとすぐにどこかに消えてゆき、すぐに俺の番が回ってくる。
俺はカウンターの司書の女性に財布にはさんでいた貸出券と空色のハードカバーを差し出す。
司書さんは貸出券とハードカバーのバーコードを読み込むと、ハードカバーを俺に差し出す。俺はそれを受け取ると、鞄の中に突っ込んで、ファスナーを閉めた。


365 名無しさん@ピンキー sage 2009/09/11(金) 04:24:29 ID:27wBdzN1
ふと、書棚の林の方を眺めると、林の方から例の文学少女が大量の本を抱えてこちらに向かってくるのが見えた。
きっとあの大量の本を借りるのだろう。
「千歳、行こうぜ」
 大量の本をなんとか鞄の中に収めたらしい健史が俺の背中を押す。俺達はそのまま自動ドアをくぐって、外の電停へと向かった。
空はもはや澄み渡るほどに真っ赤に染まっており、東の空の端の方に至っては濃紺が滲みだしてきているほどだった。
顔を線路の方に向けると、隣の電停を発車したらしい、新聞社のラッピングを施した連節車が小刻みに左右に揺れながらこちらへ向かってくるのがわかった。
何の気なしに顔を元に戻すと、図書館からこちらに人影が走ってくるのが見える。
俺はその人影に見覚えがあった。
ショートヘア、丸っこい眼鏡、紺色リボンの制服。
間違いなくさっきの文学少女だった。
文学少女は点滅しかけた信号を疾走し、電停の島にのっかるとその足を停める。
俺と、何事かと思ってそちらを向いた健史は、息を切らす彼女をただ呆然と眺めていた。
「これ……」
少女は俺に向かって握った右手を持っていく。
 ほのかに汗ばんだ彼女の掌の中で、俺のファスナーにつけてあるはずのPVCのファスナーマスコットがいつものように能天気に笑っていた。
俺はもしやと思って鞄を見ると、案の定、マスコットは金具ごと外れている。
「あ、ありがとうございます……走って届けてきてくれて」
 俺はしどろもどろに彼女に礼を言う。
健史もようやく事情が掴めて来たのか、ふむ。と口元を緩ませた。
そしてちょうどその直後、俺たちの立つ電停へと、連節車が夕陽を受けながらゆっくりと滑りこんできた。
「君、こっちの電車?」
 健史の言葉に、文学少女はうなずく。
連節車は俺と健史、そして文学少女を乗せると、低いモーター音を響かせながら加速を始めた。
部活の終わる時間にもかかわらず車内はいやに空いており、乗客のほとんどと同じように俺たちは手近な席に座ることにする。
電車のモーター音が止んだ頃、俺は不意に文学少女の方を覗き込んだ。
 別に彼女が気になるというわけではないが、なぜか気になったのだ。
文学少女は、うつむくようにして床に顔を向けている。恥ずかしいのかな。と、俺は何故かそう感じた。
まぁ、確かに見ず知らずの異性に声をかけて、さらに隣の席に座るのは恥ずかしいことなのかもしれない。
今時こんな純情な子も珍しいな。などと変な関心をする。
連節車は停留所をひとつ飛ばして、また加速を始める。


366 名無しさん@ピンキー sage 2009/09/11(金) 04:25:01 ID:27wBdzN1
「私」
 突然少女が口を開いた。
「里野藍、1年4組です出席番号6番です!」
 藍と名乗った少女はそう言いきると、耳たぶから頬から顔中を真っ赤にしてより深くうつむいてしまう。
全く状況の読めなかった俺と健史は次第にようやくそれを掴みだすと、ああ。とうなずく。そして、唐突な藍の自己紹介に返すべく健史が少し震えた口調で言った。
「お、俺は3年2組の藤野健史な。で、こいつも同じ組の北見千歳」
 俺はよろしく。と藍に手を振ってみせる。
藍はまだうつむいたままだった。
俺たちと気まずい雰囲気を乗せ、連節車はゆっくりと走りつづけた。


「ふぅ……」
 学生よりも社会人の割合が多いような連節車の中で、私は息をつく。
「買い物してたらこんな時間になるなんて……ちょっとゆっくり選び過ぎちゃったわね」
もう陽は完全に傾き、空は濃紺に染まって月が青白い光を放ち始めてしまっている。
「さて」私は天井を仰ぐと、ぱん、と頬を叩いて気合いを入れる。
「今日の晩御飯は兄貴の大好きな、そら特製鳥の唐揚げ。おいしく作んなきゃね」
 兄貴に気に入られるためにも、いっぱい頑張らなきゃ。
そうだ。と私はあまりにも変態的な行為を思いつく。
(兄貴の唐揚げ、レモン汁の代わりにわたしのお汁をちょっと混ぜちゃおっと……)
何故そんな変態的な行為突然を考えついたのかはわからなかったが、私はこれからおそらく実行するであろう変態行為に頬を焦がす。
(その後もおっぱい押し付けたりして、兄貴に私がオンナノコってことを教えてあげなきゃね)
背徳的な妄想に浸りながら、私は連節車の揺れに身を任せた。

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最終更新:2009年09月14日 22:16
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