青年の詩、少女の季節 第3話

129 ポン菓子製造機 ◆lsywFbmPjI sage New! 2009/10/15(木) 01:54:50 ID:C3xiSig+
 肌を切るような秋風が北の街を吹き抜ける夜の下で北見遼一は、この町が見渡せる高台の記念公園にいた。
地元のカップルに混じって遼一は煙草をふかしながら、柵によりかかったまま天を仰ぐ。
「美幸、来たぞ」
うわごとのように、遼一は虚空に向けて次々と独り言を紡ぐ。
「すまん。しばらく忙しくてこれなかった」
咥えたままの煙草は、秋風が舞うたびに灰の欠片が次々に濃紺の空へと舞ってゆく。
「毎日位牌に手を合わせるだけ満足しないだろうからな。お前は」
すっかり短くなった煙草をはさみ、ふぅ。と煙を吐き出す。
まるで真冬に吐く息のような白く色づいた煙は、空へと昇っていった。
「……今日は色々話したいことがあるんだ」
クリーム色のジャンパーのポケットから携帯灰皿を取り出し、吸殻を入れると、遼一はそれを再びポケットにおさめる。
そして遼一はポケットをまさぐり、まだ新しいセブンスターを一本取り出し、咥える。もう片方のポケットから慣れた手つきで蛍光グリーンの使い捨てのライターを取り出し、咥えていた煙草に火をつけた。
 秋風に乗った煙は、北の街を駆け廻りながら天へ天へと高みを目指した。
まるでその先の何かへと、煙の主の言葉を伝えるかのように。


130 ポン菓子製造機 ◆lsywFbmPjI sage New! 2009/10/15(木) 01:55:14 ID:C3xiSig+


「……何見てるんだ?」
「別に?」
市電通り沿いのファミレス。窓側のボックス席に俺とそらは座っていた。
俺はそらの視線を避けるようにして箸で裂かれたハンバーグに視線を落とす。
そらはにやにやと割りながら、シーフードドリアを口に運んでいた。
「だから何がおかしいんだよ」
「なんにもおかしくないってば」
どうも調子が狂う。
「ただ、外食なんて久しぶりだなー。って思っただけだよ」
「……まぁな」
 確かに、そらと外食なんてかなり久しぶりだ。
父さんが滅多に俺たちを外食に連れて行くことが滅多にない上に、そらが元々外食が好きではないから、我が家は家で食事を取ることが多くなってしまう。外食なんて半年に一回あるか無いかだ。
 今日だってただでさえ少ない俺の夕食当番の日にたまたま父さんの用事が重なって、父さんの分の食事がいらないと言う奇跡的な偶然を利用して、俺が楽をするためにファミレスにきたのだ。
「でも、こうしてるとさ」そらはカフェラテをすすりながら、言った。「私たちって、恋人同士に見えたりしないかな」
「どう見ても兄妹にしか見えない」
「そーかなー?」
 にやにやと目を細めるそら。
俺は、今度はクリームソーダに目を落とした。
ここ最近、どうにもそらを直視することが出来なくなった。
直接の原因は半年ほど前。ある日からさりげなくだが、そらの俺への対応が少しづつおかしくなってきていた。
俺への態度が積極的になり、家では露出の多い服装ばかりするようになる。以前は半々だった食事当番ももっぱらそらが作るようになり、夕食を「手料理」などと口走るようになる。
俺へ熱っぽい視線を送る頻度もかなり多くなってきていた。
そらのブラコンは昔から俺の周囲の人間に言われてきたことだった。今までの俺なら聞き流すかしてたのだろうが、今ならはっきりとわかる。
おそらく、そらのブラコンは本当なのだろう。それも重度の。
そして、そらの奇行の弊害は俺の内面にも変化をもたらしていた。
俺の中のそらを思う気持ちの、ある意味では悪化だ。
そらをどうしても妹以上の存在として見ようとする。兄としては絶対に許されない感情。
だがそれがそらの行動の一つ一つで悪化していくのが自分でも手に取るようにわかっていた。
もちろんそらの求めるようにすれば、俺とそらの人生は壊れてしまうだろう。
だが、そらを止めるにはどうすればいいのか。そらを不必要に苦しめるような真似は、俺には出来ない。
結局、俺は妹の気持ちに気付きながら、それを止めることも受け止めることもできない臆病者なのだ。
畜生。おれはそう毒づきながらクリームソーダを煽るしかなかった。


131 ポン菓子製造機 ◆lsywFbmPjI sage New! 2009/10/15(木) 01:55:35 ID:C3xiSig+


兄貴は沈んだ顔のままクリームソーダをすすっている。
私はカフェラテに口をつけながら、その顔を眺めていた。
兄貴、私のことに気づいてるのはわかってるんだ。
ならもっと私を意識してほしいな。
兄貴だって私のこと好きなのわかってるんだよ。
私の心配なんていいから、私を奪ってよ。私を兄貴のものにしてよ。
私は何があっても全力で兄貴を幸せにしてあげるから。兄貴を笑顔にしてあげるから。
私のわがままばっかりだけど、もうこんな切ない気持ちは嫌だよ。兄貴、気づいてるなら全部、そらの全部をあげるから、全部持って行ってよ。
「兄貴……」兄貴に聞こえないほどの小さな声で、私はぽつりと呟く。
そうこぼすだけで、ひたすらに切ない気持があふれてきて、胸を締め付けられる感覚がした。
不意に、兄貴が顔を上げる。伏せられがちな兄貴の目に向かって、わたしは笑ってみせる。
兄貴も私に、困った顔のまま口元を緩めてみせる。
気づけば私たちは二人とも困った顔をしたまま、料理を食べ終わっていたのだった。


132 ポン菓子製造機 ◆lsywFbmPjI sage New! 2009/10/15(木) 01:56:05 ID:C3xiSig+


気まずい外食から一夜明けた日の午後。私は図書室にいた。
お目当てだった新刊の文庫本を片手に、私はお気に入りの席へと向かう。窓際のテーブルの一番右側の席。冬でもこの時間だと陽のあたる良い席だ。
その道では中堅どこのイラストレーターによって描かれた美麗なイラストの中綴じを眺めてから、私はまず一ページ目をめくってみる。
物語はそこからいきなり急展開だった。
この手の小説はこうやって最初っから盛り上がる話が多く、低調な章がなかなか無いために読むのが多分に漏れず早くなる。そういう点では私はこの手の本は好きだった。
だが、その分物語としての室は若干微妙だが。
それでも活字だけに思いを避けるこの瞬間が、私は何故か落ち着いた。
活字に思いをはせてる間は、モノガタリ以外のことは考えなくていいから。
そのまま活字を追って何ページもめくっていくと、隣から椅子が引きずられる低い音が響いてくる。
そのまま隣を向くと、私は少しばかり驚いた。
真っ白な肌。丸っこい眼鏡。細い指。自分とおなじ色の胸のリボン。
この学校に、しかも同学年にこんな完全な文学少女がいたなんて。失われた古代文化の遺跡を発見した人の感覚とはこう言うものなのだろう。
私は物珍しさゆえに文学少女をしばらく凝視していたようで、視線に気づいたらしい文学少女はこちらを向いて、にこりと口元を緩ませる。
私はすぐに視線を本に戻した。
いくらなんでもじろじろ眺めるのも失礼だろう。
何分たっただろうか。文学少女は不意に本を閉じると立ち上がり、そのまま席を立とうとする。
「きゃぁぁぁぁぁぁっ!」
そして次の瞬間、ひときわ大きな音を立てて、椅子とともに文学少女は素っ転んだ。
低く鈍い突然の轟音は図書室の中にわんわんと響きわたる。何が起こったのかと図書室にいた生徒たちは一斉にこちらを向いた。
私もぽかんと口を半開きにしたまま、床に横たわる文学少女を眺めていた。
どうやら腕を打ったらしく、両腕をかばいながら文学少女は痛みに悶えていた。
私は立ち上がると、うめき声を上げる彼女の横を彼女の手の中からすり抜けて、離れた床に落ちていた文庫本を拾ってやる。
自分でもどうしてそうしたのかがわからなかったほどに、全くの気まぐれだった。
ようやっと立ち上がった文学少女の前に、私は経つ。
「はい、本」私は文庫本を少女に差し出した。
「…………ありがとうございます」大きくずれた眼鏡を直しながら、恥ずかしそうな表情で文学少女はぺこりと頭を下げる。「えっと……」
文学少女はそのまま私の顔を覗き込んで、そして、三〇秒ほどしてようやく口を開いた。
「名前……教えてもらえますか?」
 ああ。と私は頷く。
「北見そら。北見市の北見に、そらは平仮名」
「ありがとうございます、そらさん」文学少女は口元を緩ませた。


133 ポン菓子製造機 ◆lsywFbmPjI sage New! 2009/10/15(木) 01:56:57 ID:C3xiSig+
「私は里野藍と申します。里芋の里に、野原の野、それと藍染の藍です」
 文学少女こと里野藍は再び頭を下げる。
こう何度も丁寧に感謝されるのも何かむずがゆいが、何故か、この少女のそれは何となく許せるような気がする。
彼女から漂ってくる文学少女とかドジっ子とか、そういういわゆる「萌え要素」のせいなのかもしれない。
「…………それにしても、結構渋い本読んでるのね」
 藍の読んでいた文庫本は、あまり女子高生が読むような内容ではない男性作家の小説だった。
「この小説、知ってるんですか?」
「前に家族が読んでて、私もついでに」
そう、兄貴の本棚に鎮座していたものを、兄貴との話題欲しさに引っ張り出して、一週間で読んでしまった本だ。
それじゃなければ、女子高生が好き好んで高度経済成長期の自衛隊が舞台の小説など読むわけがない。
 その時、私たちの頭上から古くさい電子音のチャイムが鳴り響く。休み時間終了のカウントダウン。
私と藍は揃って図書室を出ると、本の話題を続けたまま教室の方へと歩いてゆく。
やがて、一年四組と書かれたプレートの下がる教室の前で藍は立ち止まった。
「じゃ、私ここですから」
藍はそう言ってドアの向こうに消えていった。
(…………あれ?)
一年四組。というフレーズが不意に私の脳裏を駆け巡る。
一年四組。兄貴のことが好きな奴のいるクラス。
まさか彼女が。そこまで考えて、私は首を振る。
「…………考え過ぎね」私は床を軽く蹴って、自分の教室へと向かった。。


「っと、あったあった」
埃っぽい進路指導室の棚の中から、俺はやっとの思いで探し出した過去問を取り出した。
過去三年の過去問が詰まった冊子はこれまた埃っぽく、上の縁をすっと指でなぞると、指がうっすらと白灰色に染まる。
「……確実に肺に悪いよな。この部屋」
 俺は手に入れたばかりの過去問をぱらぱらとめくる。去年の入試のページに突き当たると、俺は試しにと問題を眺め始める。
手始めに英語。次は国語。歴史。数学……。ページをめくる速度は次第に加速してゆく。
そして一通りの入試問題を眺め終わるまでには、五分とかからなかった。
「いよいよヤバいんじゃないか……俺」
 「現状でたぶん大丈夫だ」と言いきっていた夏休みの模試の判定もかなり疑わしくなってきた。
 俺は過去問を小脇に抱えると、回れ右をしてスチール棚の列の中を歩いてゆく。
 その時、俺の目に、机の上に山盛りにされたパンフレットの束が飛びこむ。
パンフレットは日の丸をつけた戦闘機とイージス艦、それに戦車をバックに、三人の青年が微妙に厳しい顔をしている写真が前面に押し出ている。
「……こんなにあるんだから、誰も困らないよな」
俺は一番上のパンフレットを取ると、それも一緒に小脇に挟めて自分の教室へと戻ってゆく。もうすぐ予鈴もなるはずだろう。
他と違って薄いビニールのような材質のせいか、ずいぶん大きな音の鳴る南階段を一段飛ばしで昇ってゆくと、四階途中の踊り場でちょうど予鈴が鳴り響いた。


134 ポン菓子製造機 ◆lsywFbmPjI sage New! 2009/10/15(木) 01:57:41 ID:C3xiSig+


「気をつけ、礼」
 その言葉とともに、まるで風船がはじけるかのように授業を終えた生徒たちのざわめきが教室内を覆った。
千尋はそそくさと授業道具の入ったスポーツバッグと、学校指定の体操服のバッグを持って教室の外へ出てゆく。
放課後すぐに、しかもこの寒空の中野外での練習とは、陸上部にはまったく恐れ入る。
景はいつもの如くすっとぼけた様子で掃除用具入れから座敷箒を取り出し、教室の後ろを掃きはじめる。そういや、今日は景の班が掃除当番だったのだ。
「景、待とうか?」私は声をかける。
「いやー、いいよー」景は座敷箒を左右に往復させながら、首を振った。「どうせちょっと遅くなるしー」
「わかった」私は鞄を持つと、景にじゃぁね。と声をかけて教室の外へ出る。
 帰宅を急ぐ生徒の波と同化しながら北階段に辿り着くと、不意にとん。と背中を叩かれる。
振り返ると、昼間の文学少女・藍だった。
「お久しぶりです、そらさん」
「うん、昼休みぶり」
私たちはそのまま人の波の中を漂いながら昇降口へと向かう。
 昇降口を過ぎると、すっかり日も傾いた空が私たちの目に入った。
もう四時で空がこんなに暗くなる季節になったんだ。と改めて感じさせた。
「さむっ」藍はブレザーの襟をきゅっと掴む。
 校門を抜け、電車通りの横断歩道に突き当たる。
不運なことに、信号は赤になった直後だった。
「藍も電車?」
「うん。家がT区だから」H橋の停留所でから通ってるの。と藍は返す。
信号が青に変わると、私たちは多くの生徒でごった返す停留所の島に辿り着く。
「あ」私は嬉しくなって不意に声を上げた。「兄貴」
 兄貴は私の声に気づくと、子がた建がしっぽを振るみたいな仕草でぱたぱたと手を振る。
私は藍をつれて兄貴の傍に向かう。
「今帰り?」
「ん、まあな」
「健史さんは?」
「個人面談だってよ。あいつ、結構今の大学ヤバいらしくて」
 そうなんだ。と私は頷く。そういや千尋がそんな話をしていた気もする。
「あ、そうだ。この子」私は藍の肩をよせた。「里野藍、今日知りあったの」
 兄貴は藍を見て、すぐにはっとしたような顔をする。
「あ、この前の……」
 兄貴がそう口を開いたその時、これからいっぺんに飽和するだろう、ガラガラの連節車が停留所に舞い込んだ。

電車は車両いっぱいの乗客を乗せてごとごとと進む。
兄貴と私、そして藍は専用席の前の吊革に三人並んでたっていた。
「そうなの。兄貴の鞄のマスコットねぇ……」
藍と兄貴の話を聞いて、私はうんうんと頷く。
隣で申し訳なく「ごめんなさい……」と呟く藍の肩にぽんぽんと手をやって、別に何ともないって。と声をかけた。
兄貴だけが気だるそうにじっと車窓を眺めていた。
多分学校で何かあったのだろう。と兄貴には何も触れなかった。
(でも……ね)
 私は兄貴と、そして藍とに視線を向ける。
(まさかとは思うけど、藍が兄貴のことが好きな子じゃないよね)
 もしそうなら、これは由々しき事態だ。
兄貴に藍と私のどちらかを選べと言うのなら、きっと兄貴は藍を選ぶに違いない。
私は兄貴の妹。
もっとも近しい女であると同時に、絶対に結ばれてはいけない女。
今まで、兄貴のそばにだれもいなかったから私は兄貴のそばで、兄貴の一番でいられた。
そこに誰かが入ってくれば、わたしはたちまち兄貴を失ってしまうだろう。
だから、兄貴に近づくものは処分しなければ。
だが、私にはそんな勇気はない。
落ち着かない気分を乗せて、連接車はモーター音をうならせながら秋の風を切って走った。

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最終更新:2009年10月17日 22:11
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