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人と妖の姉 sage New! 2009/10/17(土) 01:16:21 ID:abNCWOEt
山を下りて都会にの中心地域に、久衣那家はある。
大きな和風建築の二階建てで、家を囲むようにして二メートルの塀が構えられ、
その塀の内側には芝生や盆栽の他に、小さな池やししおどしまでもある、豪華な庭が広がっている。
久衣那家の一室。
床は畳が敷かれており、掛け軸も掛けられている和室である。
そこには久衣那姉弟と玖梨子が、木製の机を隔てて座っている。
綾架は背筋をピンと伸ばした綺麗な正座をし、綾斗も少し猫背気味で不器用な正座をしている。
玖梨子だけは胡坐をかいており、机に肘を頬杖をついている。
「お茶と茶菓子まだ~?」
人の家に上がり込んでおきながら、いけしゃあしゃあと喋る玖梨子。
「お前にやる物など一切無い。だがどうしてもと言うならこの御符をくれてやるけど」
腹の内が煮え繰り返っているのか、綾架は再び右手に御符を握って見せ付ける。
玖梨子は「ニヤリ」と笑い、右太腿の銃に手を伸ばし始める。
「あ~らら~? そんな態度に出ちゃうのかね~?
私は別にここで派手にブチかましても構わないよ~? だってここ私の家じゃないしね~」
カチリと、激鉄が起こされる音が小さく響いた。
「はいストップストップー」
二人の火花を断ち切るように、綾斗が再度割って入る。
「お茶と茶菓子なら俺が用意してきますから、ちゃんと仕事の話をして下さいよね」
「ありがと~ん」
やれやれと言わんばかりの様子で、綾斗は部屋の襖を開けてお茶と茶菓子を取りに行った。
早足で出て行った綾斗を手を振って見送ると、玖梨子は綾架に向き直った。
「さて~、そんじゃ話を切り出させてもらうかね~」
玖梨子が久衣那姉弟に仕事を仲介するのはいつもこのような感じだが、
今日は何処か様子がおかしいと、綾架は思った。
そして、ようやく玖梨子は言い出した。
「紫乃(しの)――って妖、知ってるよね~?」
彼女がある妖の名前を口にした瞬間、綾架の目が見開き、その場の空気が凍り付いた。
170 人と妖の姉 sage New! 2009/10/17(土) 01:19:14 ID:abNCWOEt
「何人もの退魔師や私の機関の人間を葬った最強だった妖。
私も一回実物見たことあるけど……アレは本当に反則的な程の強さで美人さんだよね~。
名前の通りの透き通るような紫の髪。
おまけにスタイル良過ぎの巨乳ちゃん。
女なら誰しもが憧れる美貌を持ち、男なら誰しもが憧れる強さを誇った――」
「奴は死んだ。そんな昔の話を持ち出して何のつもり?」
知ってる情報を羅列し続ける玖梨子の言葉を、綾架は断ち切った。
玖梨子は彼女の反応を楽しむが如く、顔を覗き込む。
「そ~そ~。六年前に久衣那嬢が斃したことになってるんだよね~」
言い放たれた言葉のおかしな部分に気付き、綾架は眉を吊り上げた。
「斃した……ことになっている……?」
彼女の少し戸惑いを隠せない様子に、玖梨子はニヤリと笑う。
「うん。実はそうなってんの~」
「それはどういう意味?」
綾架が苛立ちを隠せない視線と口調で問う。
「最近機関の情報では~、紫乃が生存している可能性が出て――」
「ふざけるな!!」
激しい怒声と共に、両手で机を叩いて再び玖梨子の言葉を遮った。
「貴女ってそんなに私の台詞聞きたくないの~?」
苦笑する玖梨子をよそに、綾架は声を荒立たせる。
「奴はあの時私が殺した! 殺したんだ!! 生きている筈が無い!!」
「死んだのを確かにその目で確認した~? 最期まで息が途切れるのをさ~」
綾架と違い、玖梨子は落ち着いた様子で言い返す。
指摘されたことに対して、綾架は言葉を詰まらせて、畳に力無く座り込んだ。
「私は六年前に貴女と紫乃の闘いを見ていないから~、どうやって殺したのかは知らないよ~?
本当にちゃんと始末したの~? 詰めが甘かったってことは無いのかね~?」
玖梨子の問い等全く耳に入れず、綾架は上の空で机に写る自分の顔を見る。
死は始まりに過ぎないよ。
アタシは必ず取り返してみせる。
アタシの血を、命を――。
六年前の忌まわしい記憶が、彼女の頭に響いた。
171 人と妖の姉 sage New! 2009/10/17(土) 01:23:07 ID:abNCWOEt
ただ茫然としている綾架の様子に構わず、玖梨子はスーツの懐から数枚の書類を取り出した。
ファイル等に仕舞っていなかったせいか、若干シワが寄っている。
「紫乃が六年前に根城にしていた島――暮ヶ原島(くれがはらとう)~。
彼女が生きていた時には人っ子一人居なかったけどさ~、
実は貴女が彼女を斃した後~、機関が彼女に関する情報を得るために小規模な研究所を建てたのよ~。
何せ日本を震撼させた妖だからね~。
機関はかなりの人数を放り込んで彼女の死体や遺品を見つけようと血眼になって調査してたけど~、
な~んにも見つからなかったのが事実だったんだよね~」
その書類には、研究所に関する資料の他に、暮ヶ原島の地形やあらゆる場所の写真が写っている。
「貴女自身も機関に彼女のことを訊かれても~、ずっと黙秘権使ってたでしょ~?」
玖梨子が顔を覗き込んで訊くも、綾架は黙ったまま。
これ以上詮索しても意味は無い、と悟った玖梨子は溜息を吐き、話の核心に迫った。
「つい三カ月前~、その暮ヶ原島に居た機関の人間や関係者が――皆殺しにされたんだよね~。
それもたった一晩でさ~。監視モニターの映像と言ったらそら酷い光景だったよ~」
数枚ある書類の一枚を取り出し、それを綾架に見せる。
その書類には、焼死体・惨殺体・水死体と言ったあらゆる方法で殺害された、
研究員達の無惨な姿の写真が写されていた。
「これって~、尋常なモンじゃないよね~?
ど~かな~? 紫乃と闘った経験がある貴女としては~、これって彼女の仕業に見える~?」
写真を見る綾架は目を驚愕に見開いただけで、言葉を発さない。
彼女の反応を伺う玖梨子は、一通り書類を見せ終わると、懐にそれらを仕舞った。
「まだ紫乃の仕業と確信してる段階じゃ~ないよ~。
何せ監視モニターの映像では~、何故か研究所の連中が殺された時間帯の映像がずっと砂嵐になっていて~、犯人の姿が確認出来てないからね~。
だから機関も迂闊に暮ヶ原島に調査隊を送り込めない状況なのさ~。
そんで今日貴女の所に訪れたんだけどね~」
自分が話すべきことは全て話した。
後は綾架の返答を待つだけだった。
172 人と妖の姉 sage New! 2009/10/17(土) 01:27:30 ID:abNCWOEt
ジ~っと綾架を凝視する玖梨子。
「これは……」
ようやく、綾架が重い口を開いた。
「紫乃の――奴の可能性が高いわね。奴はこの世の人間全てを憎んでいる。
だからこんな殺し方が出来る。普通の妖も滅多にこんなやり方しない」
冷静を取り戻した綾架は、ゆっくりと落ち着いた口調で喋る。
それを聞いた玖梨子は、いつものようには笑わなかった。
「でもさ~、彼女は貴女が斃したんでしょ~? 自分でもさっき言ってたじゃ~ん」
「どうにか生き延びたんでしょうね。それでも瀕死の重傷を負っていたのは確か。
六年間少しずつ傷を癒しながら、完全に回復する為に身を潜めていたのでしょう」
「それで傷が癒えたのを見計らい~、島の研究員を皆殺しに、と~?」
玖梨子の推測に、綾架は「そうなんじゃない?」と他人事のように答える。
「じゃ~協力してくれる~?」
「は?」
唐突に言い放った玖梨子の言葉に、綾架は怪訝な声を漏らした。
先程は笑わなかった彼女だが、今度はニヤリと口を歪める。
「だって私達機関は~、貴女が彼女を斃したというのを信じて研究所を発足したのにさ~?
それなのに実は彼女は生きていました~。そのせいで職員は皆殺しにされました~。
なのに「はいそうですか」~、で済むと思ってるのかね~?」
急に口調が強くなった彼女を、綾架は睨み返す。
「つまり、責任を取れと?」
「そ~そ~」
いつものへらへらとした態度に戻った玖梨子は続ける。
「だって相手はあの最強の妖だよ~? 私達機関の人員総出で挑んでも勝てるか分かんない相手なのにさ~。
だったらかつて互角どころか優勢に闘えた貴女に行ってもらった方が~、被害も少なくなるでしょ~?」
玖梨子の言い様に、綾架は睨んだままで冷たい口調で返す。
「もし嫌だと言ったら?」
「あっははははは!」
彼女の問いを待っていましたと言わんばかりに、玖梨子は吹き出した。
「くくくっ……。貴女がその気なら~、こっちもそれなりの対応させてもらうよ~?
何せ妖を退治する筈の退魔師が~、人に害をなす妖を討たないなんて有り得ないでしょ~?
このまま放っておけば~、彼女は多くの人を殺すだろうからね~。
それを止められていたのに止めなかった~、つまり殺人と同罪として~、貴女に社会的な報復を与えるよ~?」
ここに来て、玖梨子は日本政府と言う大きな後ろ盾を、利用した。
最終更新:2009年10月17日 22:18