未来のあなたへ11.5前編

300 名無しさん@ピンキー sage New! 2009/10/26(月) 15:28:40 ID:egkU7mto
正直、油断した。


夏休みも終わり、残暑の厳しい季節となっていた。
青々とした街路樹の下を、一組の男女が歩いている。二人とも同じ市内にある高校のブレザーを身につけていた。タイの色から同学年とわかる。
片方はひょろりとした長身に整った顔立ち、柔和な表情。雨宮義明という少年。もう一人は肩の当たりで揃えて僅かに染めた髪に中肉中背。快活な印象の少女だった。
二人は楽しげに話しながら街路を歩いていく。放課後の帰り道。高校での出来事か、あるいは寄り道の相談でもしているのかもしれない。
青春を象徴するようなカップル。そんな微笑ましい光景を
夕食のためにスーパーで戦利品を獲得し、機嫌良く鼻歌を唄いながら帰る途中で目撃してしまった、わたしこと藍園晶がいるのだった。
……ゆ

「油断した――――っ!」



晶ちゃんの、泥棒猫を小一時間問い詰め大作戦 

前編




301 名無しさん@ピンキー sage New! 2009/10/26(月) 15:29:23 ID:egkU7mto
優香ちゃんがいなくなってから二カ月ほどが経過している。
連絡の一つもよこさずに突然消えたわたしの親友。
というとなんだか推理小説の冒頭みたいだけど、事件性については薄いと睨んでいた。
退学届は出ているし、榊先輩も死にそうな顔をしていたけど出席している。
ではどうして彼女は消えたのか。
優香ちゃんは消える前の数週間、めちゃくちゃ機嫌が良かった。
どうしてと聞いてみれば、推理小説なら答えないだろうが、二人の間柄もあって彼女はきちんと答えてくれた。
曰く、ついに告白したらしい。
いや、びっくりしました。なにしろ二人は実の兄妹だし、生き別れでも何でもない。拒絶されて当然の蛮勇を、よくぞ成功させたもんです。
一昔前のギャルゲーで、公式設定で血が繋がってるようなものだ。まず社会が許さない。
社会というものの強大さをわたしは骨身に染みて知っている。ハブられたりイジメられたりパワハラ食らいながら、必死の忍耐で笑っていなければならない。
最大の悲劇は、それでも社会に属していなければわたし達がまともに生きていけないことだ。
それでも優香ちゃんはやった。その告白が拒絶されなかったのは、弛まぬ努力の成果だろう。
個人的には喝采を送るところだ。わたしは社会の底辺にいるが、その中で個性を発揮する人のことは素直に賞賛する。この場合は些か反社会的だが、自分でやる根性なんてありはしないだけに。
けれど結局、社会には勝てない。
この二カ月、折を見ては消えた優香ちゃんの手掛かりを捜していた。退学届は出ている。柳沢先輩曰く、退学手続きも通常通り取られている。
総じて事件性は薄い。心を鬼にして死にそうな榊先輩を問い詰めたら、田舎に転校したと口を割った。そういえば何故か女子が同伴してたけど誰だったんだろう。
ともあれ、事件に巻き込まれたのでなければ残る線は一つしか思い至らない。元よりそっちが本命だし、優香ちゃんへの処遇で裏も取れた。

親バレしたに違いない。

うわあ、御愁傷様。としか言いようがない。
庇護者である以上、逆らいようのない事態。学生というのは大人の世界と無縁でいるようで、やっぱりどうしようもなく影響下にある。
いや、そういう問題じゃないか。両親という社会の一端に、隠匿しなければいけない事態が発覚したのだ。
それは破滅に等しい。何故ならば、社会が許さないし社会には勝てないから。
ええとですね、神様。その、くたばってくれませんかね。
こんなわたしでもそれなりに憤りを感じたのだ。優香ちゃんはわたしにとって一種の憧れだったし、何より友達だった。
友達が理不尽に打ち倒されて、放っておけるわけがない。
とまあ、意気込んでこの二カ月ほど探ってみたけれど。結論から言うとほとんど無駄足だった。
なにしろ優香ちゃんの追放先すら分からなかったのだから。ちなみに携帯は契約を切ったのか繋がらず、メールのやり取りは元からしていない。
わたしが携帯電話を持っていれば、あるいは遺言の一つでも送られていたのかもしれないのに。
――――それにしても、よくぞ死人が出なかったものだと思う。
優香ちゃんの目的意識の強さは折り紙付きだ。でなければ、実の兄をマジで攻略しようだなんて思わない。
であるなら、障害を直接的に消去してもおかしくはなかった。まあ両親をぶっ殺すということだけど。
勿論殺人が露見すれば重罪だ。しかも親族で二件。庇護者を失うことになるし、発作的に行うにはあまりにリスクが高すぎる。
けれど計画的に行えばどうだろう。少なくとも発作的に行うよりは遙かに露見し辛くなる。罰を逃れることも不可能ではない。
これは優香ちゃんの言葉だが、およそ人類の知能というものは殺人から自分を守るため、あるいはそれを破るために発達してきたのだという。
事故に見せかける、自殺に見せかける、あるいは誰にも知られないように始末する。時間と覚悟さえあるのなら、あらゆる手段を講じることができる。
少なくとも、わたしも予定しているのはそういうことだ。
優香ちゃんがそれをしなかったのは何故だろう。
排除するまでもないと計算を誤ったのか、リスクの大きさに怖じ気づいたのか、あるいは(わたしにはさっぱりな感覚だけど)排除するには惜しい存在だったのか。
なんであれ、無駄な血を見ることなく済んだのは僥倖だろう。優香ちゃんはあれでキレた時の暴れっぷりはすごい、気がする。
(後で聞いたことだけど血は流れたらしい、性的な意味で)
とにかくそんな風にして、友達の方に掛かりきりになっている間。
我が愛しのマイダーリンに、悪い虫が付くのを見過ごしていたのだった、がっでむ!



302 名無しさん@ピンキー sage New! 2009/10/26(月) 15:31:11 ID:egkU7mto
当然、その日のうちにダーリンを問い詰めた。小一時間問い詰めたい。
時刻は夕方、夕食時。テーブルに向かい合っての食事中。メニューは白米に味噌汁、秋刀魚の塩焼き。つけあわせの大根おろしは大量に摩ってある。
二人だけの食事中。例によって姑は仕事で邪魔者もいない。
お互いにちまちまと秋刀魚の身をほぐしている最中。わたしは満を持して切りだした。
そのとき背後にはゴゴゴゴゴ、とオーラが湧きだしていただろう。一切の言い訳を許さない、浮気を咎める恋人の空気だ。
「えーと、義明さん。今日の学校はどうでしたかー?」
「えーとね」
……笑えばいい。オーラなんてさっぱりぷー。わたしの声音は、普段と全く同じかやや腰が引ける程度だった。
わたしはこの人には勝てない。そういう風にできている。小一時間問い詰めるなんて、夢のまた夢だった。
「今日は体育でサッカーがあったよ。でも相手チームのサッカー部に二人がかりでマークされて全然だったな」
「いやいや、主力二人抑えてる時点で十分貢献してますって」
「それでみんな疲れたのか、午後の日本史で寝てる奴が何人かいてさ。先生に怒られて廊下に立たされてたよ」
「あー例の今時珍しい。ダーリンは部活で慣れてるから平気ですよね」
「うん。けど今日の部活は休みだったから、友達と帰りにゲームセンターに寄って遊んだよ」
「それだー!」
問題の個所に差し掛かって大声を上げたわたしに、きょとんとした表情を返すダーリン。ああんもう、殴りたい。
ともあれ不審がられないように、その友達のことを聞き出す。ちなみにその作業は呆れるほど簡単だった。どこまで鈍感なんだろうこの人は。
曰く――――
橘、雪菜。女性。高校二年生。マイダーリンとはクラスメイト。帰宅部。
外見はわたしの目撃したものと一致した。校則違反にならない程度に髪を染めていて、結構可愛い。中肉中背、胸も中肉。死ねばいいのに。
性格は明るく溌剌としており、面倒見がよく人気者。クラスで人の輪ができているとしたら、まずその中心近くに彼女がいるという。
「仲いいんですか?」
「うん、席が前後だし、それに同じ知り合いも多いから良く一緒の班になるしね。いい友達だよ」
「へーへーへー」
こいつあ臭えー! 横恋慕以下の臭いがプンプンするぜえー!
更に聞き出したところ、ダーリンは橘雪菜も含めた5~6人の仲良しグループに属しており(色に当て嵌めるとしたらグリーンポジションすね)その中には件の橘雪菜もいるらしい。
それにしてもダーリンの学生生活というのは、経験したこともないことのオンパレードで現実感を喪失しそうになる。仲良しグループって何それおいしいの?
優香ちゃんがいなくなってからはその傾向はさらに大きくなっていて、だからダーリンの話に何度も出てきたはずの彼女の影を見逃していたのかもしれない。
そんな風に問い詰めていると珍しくわたしの危惧を察したのか、緊張感なくぱたぱたとダーリンが手を振った。
「ああ、大丈夫大丈夫。橘さんは、晶ちゃんのこと知ってるから」
「え、わたしのこと話してるんですか?」
「うん、彼女だからね。晶ちゃんとの付き合い方で色々相談もしてるし」
「いやーん、照れますってば。もう公認カップルじゃないですか、ダーリンってば」
わたしは頬に手をあてて、くねくねと身を捩じらせる。
嬉しかったのは確かだが、その裏で思考を走らせた。これまでの情報から、橘雪菜と雨宮義明の間柄を推し量る。
いや、これ結構やばいんじゃないんすかね?
色々相談を持ちかけていると言うけれど、それはつまりそういう間柄だということだ。知り合いと言うには語弊がある。友人以上が妥当だろう。
これはわたしの直感だが、あの女はダーリンを狙っている。
ただの勘に過ぎないが、これはわたしが備えたサバイバリティに直結したものだ。これを否定することは、これまで生き抜いてきたことを否定することになる。
それに安全保障的にも、ひとまず最悪の事態を考えて行動した方がいい。優香ちゃんが生きていればそう言っただろう(死んでない)。
唯一好材料は、わたしが彼女であるとダーリンが普通に吹聴していることだろう。
余程の悪い虫でなければつかないだろうし、この人はわたしが彼女であることを誇りに思ってくれている。そのことに深く祈りを捧げた。
ところでわたしの感謝するその人は、次の瞬間笑顔のままでこうほざいた。



303 名無しさん@ピンキー sage New! 2009/10/26(月) 15:32:30 ID:egkU7mto
「そうだ。それなら今度、会ってみる?」
「ふあい?」
「土曜日に、友達とカラオケに誘われてるんだけどさ。橘さんも来るし、時間が合えば晶ちゃんも」
「げっ……うー、あー、それは、ですね」
彼女に無断で合コンに参加するなとか(ああただの友達付き合いですよねわかります)そういうことより
社会不適合社予備軍に突然突きつけられたハードルに、わたしはあうあうとお茶を濁して会話を終了することしかできなかった。
まったく、なんて情けない。対人関係が最大の弱点とはいえ、小一時間問いつめるなんて夢のまた夢だった。


さておき。尋問?が終わったなら行動しなければならない。
本来ならここで優香ちゃんに相談するはずだった。彼女に今まで色々と貸しを作ってきたのはこういう時のためなのだから。
そもそもわたしはイジメられっこだ。学生時代のコネなど壊滅している。だから実行力と戦略スキルのある友達に一点張りしていた、のだが。
優香ちゃんの失踪によってそれもご破算だ、くたばれ神様!
後のコネはもう微々たるものだし、犯罪行為にも発展しかねないことを考えると本格的な相談はできない。頼りになる姐さんは東京だし。まあ、あの人に相談しても殺す消すとかいう答えしか返ってこないんですけどね。
かといって、一人で対処できるのかと言われれば自信はない。わたしはわたしの身の程を知っている。
チビで非力で対人能力が絶望的で、空気が読めず人並の倫理も性的魅力も金も暇もない。取り柄と言えば面の皮と、ダーリンに対する忠誠心ぐらいだ。ジョブがあるとしたら奴隷だろう。
それでもなんとか、苦渋に苦渋を重ねて。約一名、利害の一致する人間を見つけだして相談した。
時刻は深夜の雨宮家。ダーリンはとっくにお休み中だ。
「というわけですよおかーさん、どうしましょう」
「なに……また義明に悪い虫が付いたの? まったく、こういうのは幾らでも湧いてくるのね」
「うわー、同類を見るような視線どうもです」
というわけで、我らのクズ母こと雨宮秋菜さんと深夜会議に臨んでいるのだった。
確認。二人の間柄は嫁候補と姑というものだけど、実のところは血を分けた母娘でもある。お互いに殺してやると決めている仲だけど。
リビングでごろごろしながら、お互いの手には酒がある。わたしはチューハイの缶、お母さんはワンカップ。ちなみに未成年の飲酒は法律で禁止されていますね、だから何?
アル中の機嫌を取るには酒が一番手っ取り早いし、警戒を解くにはこっちも開けるしかない。度数の差は年季の違いということで一つ。
そうそう、お母さんはアル中です。普段は仕事で朝早く夜遅いけど、休日なんかは酒をチビチビやりながら日がな一日転がっている。クズの要項は一通り揃えているわけですね、はい。
くぴくぴとお母さんがワンカップを啜った。基本的には小心な人だけど、さすがに酒まで入ると態度がでかくなる。
「んで、どうするの? 一応仮にも名目上はあなたが彼女なんだから、出て行って蹴りでもつけるの?」
「あははー、三重の仮付けどうもありがとうございます。まあ最終的にはそうするつもりですけど、それには相手の情報がわからないと」
「調べればいいじゃない」
「あのー、わたしもう学生でもないし、一介のフリーターだし。女子高生のことなんてどう調べろと」
「ああー、はいはい。使えないわね。橘雪菜、だったかしら。じゃあこっちで調べておくわよ」
「おおどーも。ちなみにコネとかあるんですか?」
「興信所に頼めばいいじゃない」
しれっと金を積むことを宣言するお母さん。予想の内だ。お父さんと離婚するときもその手口を使ったらしいから。
けれど……この調子じゃ、やっぱりわたしのことについても調べているに違いない。まあ、最大の地雷はお母さんと共有してるから問題もないだろう。
くぴくぴとお母さんがワンカップを干すのに合わせて、わたしもチューハイを啜った。ああ臭い。こんなものを好んで飲む人間の気が知れない。
昔から酒の臭いは嫌いだった。父親がいつも漂わせていた臭いだからだ。目の前の女のように、現実逃避のためにアル中になどなるものかと心から決める。
「ぷは……にしても面倒ね。なんなら貴女、包丁でも持って相討ちになってくれない? 葬式代ぐらいは出すわよ」
「あははー、てめえがやれよ」



304 名無しさん@ピンキー sage New! 2009/10/26(月) 15:33:19 ID:egkU7mto
胡乱な目つきで睨み合う。酒が入りすぎたのか、急激に空気が悪くなりつつあった。
どんなに馴れ合ったとしても、所詮はクズ同士。信頼なんて望むべくもなく、貸し借りですら怪しい。そういう意味でも優香ちゃんを失ったのは痛すぎる。
いざというときの手駒と言うだけでなく、人間としての尊厳を守っているということが、わたしを安心させてくれていたのだ。普通兄相手に正攻法なんてしねーよ。
「そういえばカラオケ、あるんでしょ。どうするの、出るの?」
「出ないわけには行かないでしょー? かっきりきっちり楽しんできますよ」
出ないわけには行かない。ここでビビってしまえばお母さんが優位に立つし、何より自分が許せない。
情報という意味でも。お母さんが金を使って得た情報と、わたしが直接接触して得た情報を交換しなければいけないのだ。信頼など無いのだから現物取引しかない。
それにいくらハードルの高い試みでも、ここで怖じ気づくようではダーリンへの想いはその程度かということになる。ああ、まったくもって愛とは辛い。
初対面の、年上の、高校生の合コンに混ざる。考えるだに恐ろしい。ビビリ過ぎだと思う奴、今すぐカラオケにでも行って適当に乱入してこい。
「というかさ」
ぷしゅりと、お母さんが冷蔵庫から取り出したビールを開ける。おいおい何本飲む気だこのアル中。明日も平日ですよ?
「こんなまどろっこしいことやってないで、普通に義明に、別れろって命令すればいいんじゃないの」
「くたばれアル中……じゃない。ダーリンは友達付き合いのつもりなんだし、そもそも本当に友達付き合いかもしれないじゃないですか」
「ふうん、面倒ね」
あんたはな
自分の都合でダーリンを動かしてめちゃくちゃにしても、結局自分のためなんだからどうでもいいんでしょうが。わたしは違うんです。ダーリンが第一なんです。わかりますか? 愛ですよ。わからないとは思うけど。わからないからそんな人生なんですよね。
とか、罵りたいところを笑顔でこらえる。ここで機嫌を損ねれば、マジで直接命令に走りかねない。
そんなわけで、雨宮家嫁姑深夜会議は終了した。話が終われば酒飲みに付き合う意味もなく、リビングに放置してさっさと間借りしている部屋に戻る。
それにしてもわかってはいたけど、相談相手としては苦渋の選択すぎた。それもこれも優香ちゃんの失踪と、ダーリンに直接訴えられないせいだ。
けれども仕方がない。わたしはあの人に勝てないのだから。



305 未来のあなたへ11.5前編 sage New! 2009/10/26(月) 15:34:06 ID:egkU7mto

わたしはあの人には勝てない。そういう風にできている。
表面上は色々と、わたしがダーリンをやりこめているように見えるかもしれない。あるいはフランクな恋人関係に見えるかもしれない。
けれども実際のところの順列は揺るぐことなく、わたしが下で、あの人が上だ。
ダーリンが威張っているわけではない。というか実際のところに気付いてすらいない。わたしが勝手に這い蹲っているだけだ。
それがどうしてかというと、奴隷根性、としか言えない。
いい加減、社会の中で我を張って生きていくことに疲れたのだ。
確固たる自分を以て生きていくことは、素晴らしいとは思う。いや実際掛け値なしに、この世の中で個性を発揮する人たちのことは尊敬する。優香ちゃんもその一人だ。
でも、個性というのは排斥と表裏一体なのだ。片親がクズで、貧乏で、空気が読めないという因果で、イジメを食らったりして。慎ましやかに生きるためには必死で笑顔でいるしかなくて。
OK理解した。この世界は自由じゃない。
それでも、独りで笑っているのは限界だった。あらゆる場所を警戒するのは限界だった。そうしなければ生きていけないとしても、限界だったのだ。生きるために生きることが。
あの人がわたしを救ってくれたのは、そういう環境からだ。
『藍園晶さん。結婚を前提に付き合ってください』
あの瞬間に、わたしは、自立を捨てた。
自分だけの個性を発揮する人生を捨てた。あるいは、他人の支えとなるだけの人生を甘受した。
なんの権利も持たない代わりに、なんの責任も負わない。あの人の庇護下に入ることを、わたしは十全の満足を以て選択したのだ。
それは堕落だと優香ちゃんなら言うだろう。はいその通り堕落ですが、それが何か?
大体順序が逆なのだ。わたしは生まれてこの方ずっと放置されてきた。独りで生きてこなければならなかった。普通の人が親の庇護下から自立に憧れるように、わたしの場合は逆のパターンが起きただけだ。
自立などもうたくさんだ。過酷に空を飛ぶよりも、衣食足りた篭の中にいたいと願う鳥もいる。
それを一言で表すなら奴隷根性というのだろう。実に結構。わたしは篭の鳥でいい。いいや、あの人の持つ篭の鳥がいい。
わたしはあの人に勝てない、勝つつもりもない。争うつもりもないし、争えない。できることはただ慈悲に縋るだけだし、それで良い。
充分な満足を以て、わたしはあの人の奴隷になった。
だからこそ、この場所を奪おうとする敵がいるならば。わたしはあらゆる手段で自衛する。



306 未来のあなたへ11.5前編 sage New! 2009/10/26(月) 15:34:46 ID:egkU7mto
さて、カラオケ当日。土曜日。
ダーリン達は午前の授業が終わったら食事がてら街に繰り出し、その後カラオケ。わたしは午後三時までバイトがったので途中参加になる。
着ていく服については悩む必要もない。ダーリンに買ってもらった一張羅(水色のパーカーにジーンズ)だ。どうせ相手は制服だし、そもそも他に着ていく服もない。
最大の問題は敵地に踏み込む緊張感だが、これについては乏しいコネの残りを駆使して根回しを行っておいた。
すうはあ、とボックスの前で深呼吸をする。準備は尽くした、あとはアドリブあるのみだ。
中に入ること自体はカラオケのバイトで幾度となく繰り返している。扉から漏れる曲の合間を聞きわけて、中に入るタイミングを計る。
ぐい、と扉を開いた。
途端、溢れてくるBGM、お喋り、こもった匂い、そんなものが押し寄せてくる。
入ると同時にざっと人数を確認する。男四人、女三人、思ったよりも多い。まあ増やしたのはわたしだけれど。
視線が集中してくる。震える背筋を隠して、客商売のつもりで愛想笑い。男性二人が真っ先に声を上げた。
「あ、晶ちゃん。こっちだよ」
「おー、やっと来たか。待ってたぜ」
「ちーっすお待たせしました。義明さん、柳沢先輩」
ソファの一角に座った二人にぱたぱたと手を振る。一人だけ制服の違う柳沢先輩だけど、きっちりその場に溶け込んでいた。合コン大好き人間だなあ。
言うまでもなく、これがわたしの打った手だった。敵地に踏み込むリスクを減らすには味方を増やせばいい。彼はダーリンとわたしの仲も知っているのでいい牽制になるだろう。
ほんとは榊先輩を誘ったのだが、例によって死にかけてたので柳沢先輩にお鉢が回ってきたのだった。まあ適材適所ですな。
あちこちに頭を下げながら、ダーリンの横に座ろうとする。空いていない。
ぱちりと、ダーリンの横に座る女子高生と真正面至近距離から目が合った。肩で揃えた薄い茶髪、中肉中背、結構可愛い。

こいつだー!
「はじめまして、橘雪菜です。いつも雨宮君から惚気は聞いてるよー。晶ちゃんでいい?」
にこりと笑って、朗らかに屈託無く、橘雪菜が自己紹介した。その場をどく気配はない。
わたしも笑う。やや口元が引きつっていたかもしれないけれどご愛敬だ。
「ちーっす。藍園晶です。晶ちゃんで良いですよ。よろしくお願いします、橘先輩」
「うん、よろしくね。私のことも雪菜ちゃんでいいよ?」
「いやいや、流石に先輩ですからー。じゃあ橘さんで」
「えー、気にしなくていいのに。可愛いなあ、晶ちゃん」
「…………」
「…………」
一瞬空気が停まった。狭い道ですれ違おうとして、お互いに同じ方向に足を踏み出してしまった時のような、気まずい雰囲気。橘さんは座ったままだ。
けれどそれも一瞬で、よいしょと横にどいて座るスペースを作ってくれた。わーい、とすっぽりとはまり込む。
そのままダーリンにしがみつこうとしたら、反対側から絞められた。
「やーん、ほんとに可愛いー! ちっちゃーい! ほそーい! ねえ雨宮君、この娘持って帰っていい?」
「ぐほうっ、しまっ、ぎぶぎぶ!?」
「えー、困るよー。あ、橘さん。なんか晶ちゃんが苦しがってるから程々にね」
ダーリンの取りなしで背面ベアハッグから解放されたわたしは、ぜえはあと息をついた。
油断した。まさこここで殺しに来るとは! しかも胸も触られた気がする、セクハラだ! ちっちゃいってどういうことだくおら!
ともあれわたしは小動物が避難するように、そそくさとダーリンの膝によじ登る。股の間に腰を下ろすと頭を撫でてくれた。わふわふ!
その一連の動きを見て、柳沢先輩が呆れたような声を上げる。
「お前等仲いいなあ。そのまま結婚しちまえよ」
仕込みキター! ナイス柳沢先輩。
「えへへへ。言われなくてもその予定っすよー」
「えー! 雨宮君って雪菜と付き合ってたんじゃなかったのー!?」
案の定、女子モブから黄色い声が上がる……って、普段どういう付き合いしてんじゃ!
ぱたぱたと手を振りながら橘さんが否定する。
「だから言ったじゃない。そんなんじゃないってば」
「えー。だって仲良いしー」
「普通だよ普通~」
キャピキャピとした女子高生同士の会話。く、割り込めねえ……
まあ、誤解も解けたようだしこれはこれでいいか。
ところで柳沢先輩は、ダーリンを除いた男連中とひそひそ話をしているわけだけど。どうせまた下らない打ち合わせをしてるんだろうなあ。



307 未来のあなたへ11.5前編 sage New! 2009/10/26(月) 16:05:59 ID:egkU7mto

ともあれその後は、無難に合コンは過ぎて行った。合コンというより、ほんと友達同士でカラオケに来ただけみたいだけど。
わたしは例によってアニソンオンリーで時々ダーリンとデュエットしていたわけだけど、驚いたことにアニソンチョイスの人が他にもちらほらいた。
え、アニソンブーム来てるの? と世間に疎いわたしは驚いたりもしたけれど、どうやらその手の人間が多めに来ているだけみたいだった。
この合コンで幹事をしているのは橘さんのようなので、彼女がチョイスしたのかもしれない。そーするとわたしも単にアニソン要員ってことなんだろうか。
ちなみに橘さん自身はポップをメインに当たり障りのない歌のチョイスで、非アニソン派のバランスを取っているみたいだった。
そうして予想よりははるかに穏便に、合コンは過ぎて行った。
ダーリンが歌っている間。橘さんと少し、話もした。
「ねーねー晶ちゃん」
「な、なんすか?」
「晶ちゃんって一個下だよね?」
「ういっす。まあ高校は通ってなくてフリーターっすけどね」
「どこで働いてるの? 今度行っていい?」
「今のところ商店街の肉屋と南のカラオケっすけど。いや遊びに来られても……」
「えー、いいじゃなーい。私晶ちゃんが働いてるところみたいなー」
「ま、まあ客としてきてくれるならいいっすけど。見ても面白いものじゃないっすよ?」
「でも友達が働いてるってだけでも新鮮なものだよー。そういえばお肉屋さんって何してるの?」
「えっと、まあモノをスライスしたり合挽きにしたり。あとコロッケやメンチカツも作ってますよ」
「へー、おいしそー! やっぱり今度寄らせてもらうね」
「はあ、まあ毎度ありがとうございます」
「あ、それとそれと。はいこれ、私のメアドと番号ね」
「ああいやその、すみません。わたし携帯持ってないんで……」
「うん、雨宮君から聞いてるよ。けど私はこれからも晶ちゃんとお話ししたいからさ」
「そ、そうっすか?」
「だから気軽に掛けていいからねー」
そうして橘さんはにこりと笑った。
あれ……いいキャラ? いいキャラなの?


308 未来のあなたへ11.5前編 sage New! 2009/10/26(月) 16:06:32 ID:egkU7mto

カラオケも円満に終わり、柳沢先輩及び他校の生徒とお別れした。
わたしとしては最悪、あの狭い個室で修羅場(刃傷沙汰にあらず)を起こすつもりだっただけに、拍子ぬけもいいところだった。
けれども油断は禁物だ。何しろ彼女は、今わかってる範囲だけでも、わたしの持っていない部分がありすぎる。
ダーリンの同級生で、同じ高校に通っていて、人付き合いがよく、プロポーションも普通に良い。
対してわたしは……まあ、その正反対だと思えば手っ取り早い。
しかもその上、共に過ごす時間帯はあちらの方が圧倒的に多い。わたしがダーリンと過ごす時間なんて平日3,4時間がいいところだ。
優香ちゃんの言葉を借りるなら『デメリットの付随する相手をわざわざ選ぶ必要性はない』ということだ。その理論はとてもよく理解できる。
もちろんわたしの心配しすぎである可能性も高い。自分より優れた人間を全てぶっ殺すような真似はできないし、ダーリンとの間には繋がれた縁と積み重ねた時間がある。体の関係はまあ追々ということで。
実際会って話してみれば、彼女は概して気の良い人間だった。わたしに敵意をぶつけるどころか、はっきりとした好意を示していた。あんなに可愛がられるのはダーリンを除けば初めてかもしれない。
まんざらでもなかった。一体ダーリンは高校で、どんな話を橘さんに吹き込んだんだろう。
ああ、そうか、もしかして。
「どうだった? 今日は」
「喉の調子はまあまあでしたね。一応ポップも一曲仕込んできましたけど、披露する必要もなかったみたいで」
「そうなんだ。今度見せて欲しいな」
「はいはいはいはい喜んで。二人きりで夜のカラオケ、ダーリンのマイクを熱唱とかでもいいですよ」
「?」
「すかった下ネタはさておき。でもやっぱり知らない人がたくさんいるとキンチョーしますね」
「そっか、頑張ったね」
なでなで
「えへへー」
「橘さんはどうだった?」
「んー、まあ普通にいい人じゃないですか? あと、ものすごい抱きつかれたんですけど。ダーリン一体どんなふうに話してるんですわたしのこと」
「いや、あはは。写真とか見せたら是非会いたいって言われててさ」
「えー、じゃあ元からわたしは誘うつもりだったんですかー? 酷いですよ罠に嵌められました!」
「ごめんごめん」
なでなで
「なーご。許します」
「うん、ありがとう。それでさ、橘さんがこれからも晶ちゃんと遊びたいって言ってたけど。どうしようか?」
「……………」
優香ちゃんがいなくなってから二カ月ほどが経過している。
わたしはただ一人の友達を失った。
そのことに対して憤って、行方を捜して、けれどそれらは全て無駄になって。ダーリンはいてくれたけど、わたしはやっぱり寂しかったのだ。
自分を形作る世界の領域が、ごっそりと削れた喪失感。元々からして狭い世界だっただけに、失われた範囲は大きい。
この人はそれを見かねて、わたしの友達になってくれそうな人を、探してきてくれたのだろう。
勿論、優香ちゃんの代わりなど誰にもできない。
それにわたしは、この人さえいてくれたなら生きていける。
それでも、思いやりへの感謝と、橘さんへ抱いた幾ばくかの好感と、胸に抱えた空洞から。未知への恐怖を押しのけて、わたしはこくりと頷いた。

「はい、いいですよ」
「ん、よかった。きっと、いい友達になれると思うよ」

あの人は笑った。大切な人の幸せを願う、底抜けに純粋な笑顔だった。



309 未来のあなたへ11.5前編 sage New! 2009/10/26(月) 16:07:23 ID:egkU7mto


それでも、私には
私の……
私の両親は、ひどく見栄っ張りな人たちだった。
本当は貧乏なのに、見栄ばかり張っていて。外面を保つために躍起になって。
お金もないのに無理をして高いマンションを借りて、外車を買って。
もちろんそんなお金はないから、借金をしてやりくりして。
まるでそのためだけに生きているようで、私はそんな両親が大嫌いだった。
縁を切れるのなら切りたかった。そうして心を隔絶して、私は自分を守ってきた。
あの人達は見栄だけを気にしているから、だんだん家族も壊れてきて。
夫婦喧嘩はしょっちゅうだし、子供にも手を上げていた。
そこに借金も押し寄せてきて……
何かあれば世間への愚痴、自分たちを取り巻く状況への愚痴。怒って、怒鳴って。
物事が上手くいかないことのすべてを、自分以外のすべてに求めずには居られなかったんだろう。
自分の親のことながら、この人たちは馬鹿なんだなって思った。
この人たちは自分の弱さをどうやっても認められない、そういう呪いを持っているのだ。
だって、借金も、家族に笑顔がないのも、全部自分たちのせいなのに。
結局あの人たちは、その呪いで自滅した。
私は絶対にあの人たちみたいになりたくなくて、怒鳴り声から呪いが伝って感染しそうで。
あの人たちに繋がる、あらゆる全てを閉ざした。
それでも私には、それでも私には
呪いに追いつかれたくなくて、私は必死で世間に溶け込もうとした。誰かにとって必要な人間になろうとした。
小学生の時に必要だったのは、足の速さと、誰かの意見に上手く協調することだった。私には幸運にも、それらを満たすことができていた。
それから月日を重ねて必要なものは色々と変わっていったけど、私はその度に人の中にいられるよう努力した。今必要なのは、メールをこまめに打つこと、色々な話題を合わせること、八方美人であること、それから演技力。
だけど、だけど。
たくさんの知り合いが私にはいるけれど、本当に心を許せる親友はできなかった。私のやっていることは、結局あの人たちと同じ、表面を取り繕うことだけなのだ。
呪いが迫ってくる。
それでも
それでも私には、それでも私には……たった一人だけ、救いを望める人がいた。
ずっと昔から、私はそれだけを心の支えにして生きてきた。

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最終更新:2009年10月26日 17:09
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