611
未来のあなたへ12 sage 2009/11/20(金) 14:46:54 ID:rJNNsrGt
じりりりりりん、じりりりりりん、と何かが耳元でけたたましく喚いている。
なにかというか、ぼくらの仇敵目覚まし君だ。ぬくぬくとした布団から人間様を追い出そうとする天敵。寝起きの悪いあたしは、携帯のタイマーではなく実物のベルを叩く目覚まし時計を使っていた。ものすごくうるさいものを選んだ。
ものすごくうるさいので手を伸ばして止め、丁寧に後ろの電源スイッチを切ってそこらに放り捨てる。よしこれで寝れる、ただいまお布団、ぐう。
それからまた、しばらくして
眠気にぼんやりと身を任せていると、ゆさゆさと体が揺すぶられた。無視。ゆさゆさ、ゆさゆさ、ゆさゆさ、ゆさゆさ。
「香奈枝さん、香奈枝さん。おーい、朝だよ。朝だよ。遅刻するよ、もうご飯できてるよ」
ぐう。
「ああもう。俺はもうご飯食べ終わってるのに……ほら、布団取るからね。よいしょっと」
がばー、と布団を引っ張られるのに、あたしは抵抗すべく必死でしがみついた。例えるならそれは赤ん坊が母親を求めるように。
結果としてあたしの体は布団ごと引きずり出され、床に落ちた。どすん。ぐへっ。
「うわっ、ご、ごめん香奈枝さん。大丈夫?」
「おーはーよーうー、この恨み晴らさずでおくべきかー!」
「ひいいっ!」
がばりと布団を被ったまま、あたしを起こした男の子を驚かせる。素直に悲鳴を上げて逃げ出す健太君。いいカモだ。
床に叩き落とされたせいで愛すべき睡眠欲は背中の痛みに紛れてどこかに飛んでいってしまった。ああ、さよなら安眠また今夜。
頭を切り換えてさっと制服に着替えて、身だしなみを整える。床に転がった時計を拾うと、なるほど確かに時間がやばい。部屋に戻る暇はないので鞄と櫛を持って一階に向かう。
食卓では叔母さんが一人でもそもそと朝ごはんを食べていた。元気よく挨拶。
「おっはよーございまーす」
「ああうん……おはよう、香奈枝ちゃん……」
眠気でぼけた声が返ってくる。前に聞いたところによるとこれでも二度寝後らしい。あたし以上に惰眠を愛する人だった。
時間もないし、急いで朝食をかきこむ。ごはんと焼き魚を口の中に詰め込んで、お味噌汁で流し込んだ。もぐもぐ、はぐはぐ、ずるずる。ごちそうさま! 女の子としてはちょっとはしたないかな、えへ。
さておき、朝食を終わらせたら洗面所で顔を洗って髪を梳かす。手早く済ませたら鞄を掴んで玄関に向かった。バスが来るまでもう本当に時間がない。前に住んでいた所と違って、バス通学じゃ脚力での挽回はほとんどできない。
「いってきまーす!」
家を飛び出すと健太君が足踏みをしながら門の脇で待っていた。歩道に出るのと同時に、息を合わせて走り出す。
「先に行ってくれてよかったのにっ!」
「そんなことできないって!」
どたどたどた。
あたしは男子に比べてもかなり健脚だけど、健太君はきっちり付いてきていた。やるう。
もっともあっちからしてみれば、女だてらに、ということになるのかもしれないけど。
ともあれ、そんなふうに朝からバタバタしたおかげか、なんとかバスに間に合うことができた。
未来のあなたへ
612 未来のあなたへ12 sage 2009/11/20(金) 14:47:40 ID:rJNNsrGt
かくして無事登校に成功し、授業が始まる。
授業は転校前の学校よりもかなり進んでいる。勝手に教科書を進めていたから付いていけるけど、でなきゃ転入もできなかったと思う。ババアの言うこともたまには役に立つ。
元の田舎学校ではダントツの成績だったけど、どうやらこっちではどこかの集団に落ち着きそうだ。やっぱり井の中の蛙だったか。それでもまあ、健太君よりは上だけどね。
それにしてもああ、授業が新鮮だなあ。先生の話も聞かずに黙々と一人で自習状態なのは空しすぎた。
そんな風に新鮮な気持ちを味わっていると昼休みになる。
ここで朝に続いて猛ダッシュタイム再び。お弁当を持ってきてない人間は、購買で昼食のパンを手に入れなければならないのだ。出遅れるとろくな物が残らないのは経験済みだった。
加えて今日は運が悪いことに授業が二分長引いた。随伴は健太君と、クラスメイトの柳沢君。お財布を握りしめて猛ダッシュを掛ける。ちーん。
今日の戦果はジャムパンにあんパン。かなり残り物に近い。健太君も似たような感じ。柳沢君は流石の貫禄でカレーパンにハムサンドをゲットしている。くそう常連め。
それぞれ自販機で好きな飲み物を買って、さあ教室に戻ろう、というところであたしはふと聞いてみた。
「そういえば、この学校って屋上出れるの?」
「ああ、出られるよ。今日はそっちで食べよっか?」
「おおいいな。いい天気だし、風通し良さそうだし、そうするか」
というわけで三人揃って屋上に向かう。実は前々から狙っていたスポットだった。
なにしろ前の学校は三角屋根に木造だったから、まあ上れないことはないけどくつろげる場所じゃない。
ばたんと鉄の扉を開く。
屋上はがらんと広く、少し埃っぽく、空が青く近かった。
緑色のフェンスに備え付けられたベンチ。幾つかは既に埋まっている。九月。緩やかに収まりつつあるけどまだまだ暑い。そして確かに屋上は風のおかげで涼しかった。
空いているベンチに三人で並んで座り、ばりばりとパンの包みを開く。健太君を真ん中にして挟んだ格好。もふもふと食べながら世間話をした。色気無いなあ。
「それにしてもあれだねー。三人もいて全員パンとジュースなんて、ちょっと味気ないよね」
「あーそりゃそうだけど。香奈枝ちゃんは弁当作らないのか?」
「香奈枝さんは朝弱すぎだって。もっと早起きしないとお弁当は無理だよ」
「いつも起こしてくれてありがとーねー。料理はできるんだけどね? 本当にね?」
「おいおいちょっとまてや榊。お前、香奈枝ちゃんを毎日起こしてるのかよ。何でだ、何でお前だけ何だオラア!」
「ぎゃー! そ、そんなの知らないって!」
がくんがくんと柳沢君に揺さぶられる健太君。おー頑張れと、オレンジジュースをちゅーちゅー吸いながらしばし観戦する。
一段落ついたところで柳沢君が話題を変えた。
「そういや香奈枝ちゃんと榊は親戚なんだよな。従姉弟だっけ?」
「うん、あたしの方がちょっと年上ね。おねーちゃんと呼びなさい!」
えへんと胸を張るけど、言われた健太君の方は今一乗り気そうではなかった。大体『香奈枝さん』なんて呼んでる時点でわかっていたが、普通に他人行儀なのだ。仕方ないこともあるけど。
「いや、それはちょっと……会ったの随分久しぶりだし」
「ん、そうなのか? 普通従姉って言ったら、かなり近い親戚じゃね?」
「理由は三つ! 1,あたしは養子。2.ババアが偏屈で滅多に親戚と会わない。3.住んでたところがすっごい田舎!」
「いやあの香奈枝さん、だから叔母さんのことそんな風に呼んじゃダメだって」
「へえー、血が繋がってないのか。んじゃ結婚もできんのか?」
「従兄弟同士なら元々結婚は可能っしょ。まあでも、健太君は友達としてはいい人だけど男としてもいい人で終わるよね」
「あっはっは、落ち込むなよ榊。ほれ、いつかお前のことを好きになってくれる物好きが現れるって!」
「……うん」
ばしんばしんと柳沢君に背中を叩かれる健太君は、見るからに落ち込んだ。暗い目をして俯き、陰鬱なオーラを出している。
柳沢君と顔を見合わせる。どうやら地雷を踏んでしまったらしい。どうしてそういう繋がりになるのか、柳沢君は今一理解できなかったみたいだけど。
あたしはもちろんわかる。
613 未来のあなたへ12 sage 2009/11/20(金) 14:48:22 ID:rJNNsrGt
あたしはもちろんわかる。
榊優香。自分の、もう一人の従妹のこと。
榊家には入れ替わりで入ったからこっちでの面識はない。けれど色々なところでその残滓は感じていた。
あたしが今使っている部屋は元々彼女の部屋だし、少し前まで健太君のお弁当を作っていたのも彼女だ。毎日健太君と一緒に登校していたのも。朝起こしてもらう役回りは逆だったみたいだけど。
そうして、どこかの誰かさんに暗い影を落としているのも、榊優香という彼女の残滓というわけだ。
まーさておき、あたしは空気を変えるためにハイテンションな声を張り上げた。
「そういえばさ、購買のパンって買うのに何かコツってあるのかな。授業遅れたらどうしようも無くない?」
「あー、あれはなー……」
午後の授業も滞りなく終わり、放課後になる。
帰りの会をやっている間、ちこちこと健太君とメールでやりとりをする。携帯電話! なんて便利な道具なんだろう。
何より誰も彼も持っているのが素晴らしい。あの田舎でも電波はなんとか届くけど、全く普及していなかったから掛ける相手がいなかった。大体誰も彼ものんびりしすぎているのだ。
閑話休題。
『部活見学行こうと思うんだけど、一緒に来る?』
『ありがとう。でもいいよ』
ま、この程度だけど。
放課後になって、あたしは柳沢君とクラスメイトにさよならして部活見学に向かった。鞄は教室に置いてあるので手ぶらだ。
といっても、許可をもらって体験入部するようなものじゃない。グラウンドと校舎をぐるりと一周して覗くだけだから、散歩に近い。
この高校には色々な部活がある。転校前の学校では生徒数の問題で、男女学年混合で野球をやるのが精々だった。勿論そんなのは部活じゃない。
目新しいものは色々あった。もしもあたしが部活にはいるなら、どんなところがいいだろう。つらつらと想像する。
適性で言うなら運動系。女子なら陸上、バレー、バスケ、柔道、剣道、テニス、卓球、ラクロス。こんなところ。
あるいは余技を磨くなら文化系。美術部、吹奏楽部、茶道部、科学部、料理部、漫画研究会、園芸部、etc。こっちは他にもたくさんある。
けれど結局、部活には入らないだろうとあたしは思っていた。理由は幾つかあるけれど、強いて言うなら面倒くさいから。
実際、転校初日に何人かから部活に誘われていたけれど、それら全てを断っていた。
散歩も終わり、教室に戻る前。ふと思いついて昼食を取った屋上に上がる。
扉を開けるとそこは朱い世界だった。
太陽は東の稜線に掛かり、散乱した赤色光が降り注ぐ。空に近く色調に乏しいこの場所では、全てが朱に染まっていた。
その真ん中で、ぽつんと健太君が空を見上げていた。
614 未来のあなたへ12 sage 2009/11/20(金) 14:49:30 ID:rJNNsrGt
服が汚れるだろうに、健太君は屋上の真ん中で大の字に転がっている。寝ているのかな、と思ったけど目は開いているから起きてはいるんだろう。
授業が終わってからこの時間まで、ここにいたんだろうか。日が暮れれば風も冷たい。風邪を引いてもおかしくはないのに。
少し頭がクラクラした。なんというかその……なんてあからさまな落ち込み方なんだこいつは! 見つけて欲しかったのかと勘繰りさえする。
ババアに吹き込まれた、人生に不要な知識(中二病とか何とか)が頭の中をぐるぐると回る。そっと近づき、上からひょいと顔を覗き込んだ。
「なにしてんのさ、健太君。屋上で黄昏れてるなんて何十年前のパターンだよって感じだけど」
「ん……香奈枝さん……」
従弟がぼんやりと視線をあたしに向ける。上から覗き込んでいるけれど、スカートは股で挟んでるからパンツを覗かれる心配は事故でもない。堂々と見せる程あたしは色気系じゃない。
自己評価をするに、あたしはボーイッシュなタイプだろう。髪はショートカットで、性格ははきはきして喧しい。プロポーションは中の下、背は平均よりやや上。顔つきはそこそこ可愛いと思ってる。眉毛が太めなのはご愛敬。胸さえ誤魔化せば少年で通るかもしれない。
血が繋がっていないので当たり前だけど、この従弟とは似ていない。血縁以前にまともな付き合い自体が二週間程度なんだから、ぎくしゃくするのは当たり前だった。
それでも健太君が何を思い悩んでいるかは、当たり前にわかっていた。
「……」
「……」
お互い、その体勢のまま沈黙。あたしは健太君の目をじっと見下ろして、健太君はあたしの目をぼうっと見上げている。
こんなところで寝転がっているのでわかる通り、従弟は部活をしていない。少し前まで熱心に空手部に通っていたらしいけど、ある事件の心労で続けられなくなって退部したらしい。いつでも戻って来いとは言われているらしいけど。
事件後しばらくは学校も休み部屋に閉じこもって、廃人みたいな様子だった。その様はあたしも見ているし、そこからの地道な回復も手伝った。
というのも、当初彼は年頃の女性を見ると悲鳴を上げて怯えるというものすごい失礼な反応をしていたので、そのリハビリ相手として役目を仰せつかったわけだ。はいはい、どうせ男らしいですよ。
療養に夏休みをほぼ費やして、健太君の症状は今ではかなりマシになっている。ほとんど治ったと言ってもいいだろう。もっとも、あたしは元の彼を知らないので比較判断なんてできないけれど。
朝起こしに来たり登下校を一緒にするのも、そのリハビリの名残だった。今日はとっくに帰ってるのかと思ったけれど、待っててくれたんだろうか。
だからといって、恋とか愛とか芽生えたわけじゃない。というか彼の負ったものはまさに、恋とか愛とかそういうものに対するトラウマなのだから、そういうものを感じさせない気安さこそが大事だった。
何の気為しもなく、あたしは会話を再開しようとする。
「そーいえば、この前私服の女の子に呼び出されてたけど、あれ誰だったの? 彼女?」
「ああ、晶ちゃんだよ。中学からの後輩で、友達の彼女で……優香の友達」
空気が底なしに落ち込んだ。彼の周囲だけ赤色が濃くなった気がする。うはあ、いきなり地雷踏んだ!
慌てて、だけど焦りを表に出さず、あたしは言葉を繕った。
「へー。あの時は自己紹介し損ねたけど、今度会ったらちゃんと話してみようかな」
「ん……そうだね。明るい子だから、香奈枝さんと気が合うかもね……」
くらっ! 暗いよっ!
いい加減気を遣うのも面倒になってきたあたしは、ぐいと手を掴んで彼の体を引き起こした。どうせ非建設的な自問なんだから構うことはないのだ。
従弟を襲った悲劇について、あたしは一通り聞き及んでいたし、だから健太君が何を落ち込んでるかは見当も付く。けれどそいつは悩んだところで無駄なのだ、何しろ時間は戻らない。
それなら落ち込むエネルギーを、もっと別のことに使った方が建設的というものだろう。
「とりあえずさ、そろそろ日が暮れるし帰ろうよ。ずっと残ってたら鍵掛けられちゃうし、屋上に閉じこめられるなんてごめんだよ」
「……うん、そうだね。ありがとう、香奈枝さん」
「何のお礼かよくわからないけど、それを形にしてくれると即物的なあたしはとても嬉しいな」
「ええー。じゃあそうだな……なにがいい? あんまり高いものは勘弁してよね」
「おいおい、そこは断って、あたしが誠意誠意とごねるところでしょ」
屋上を出て、階段を下り、教室で鞄を回収し、下駄箱で履き替え、グラウンドに出る。
615 未来のあなたへ12 sage 2009/11/20(金) 14:50:13 ID:rJNNsrGt
日が暮れるにはまだもう少しある。運動部の練習が終わるにはまだもう少し時間があった。
校門に向かう途中、健太君が格技場の方を見ていた。あたしは話題の一環としてそれを扱った。
「健太君、空手部に入ってたんだよね? そろそろ再開してもいいんじゃない?」
「ん……いや、いいよ。あんまりやる気ないし、そういうので参加しても迷惑だから」
「そっかー。ところでどれくらい強かったの?」
「俺なんか全然だよ。結局一年ぐらいしかやってないしな」
「ちなみに伏線はっとくけど、あたしはかなり強いよ?」
「香奈枝さん、空手やってたんだ? あれ、でも拳ダコがないし……」
「得物持ちだったからねー。竹刀か木刀があれば、そこらの奴には負けないと思うよ」
「へえー。じゃあ剣道部に入るの?」
「いや、もうああいうのはやめたから。まあ健太君と同じでさ、今はごろごろしてる期間」
そんな他愛のないことを話しながら、あたしと健太君は帰る。
夕焼けは、地上の方がくすんで見えた。
榊家に帰ると、叔母さんがリビングから外を眺めてぼーっとしていた。貴女もですか。
ゆさゆさ揺すって、慌てた彼女と一緒に夕食の支度をする。居候的に、朝は無理だけど夕食の手伝いはするようにしている。従弟は部屋で勉強させておく。
榊優香という少女が抜けた穴は、やっぱり家族にとっては相当大きいみたいだった。当たり前だけどあたし程度じゃ穴埋めはできない。
まあ、叔父さんだけはなんだかものすごく平気な顔をしているのだけど、ババアの言う通り不感症なんだろうかあの人。
さておき。
食事が終わり、なまらない程度の運動をこなし、お風呂に入り、パジャマに着替えた。授業の予習復習をする、前にベッドに転がって携帯電話を開いた。
まず先輩の番号を開いて、掛ける。しばしの沈黙後『電波の届かないところか電源が入っていません』旨を伝えられる。まあ想定内。
もう一人の方に掛ける。今度は何コールかした後繋がった。
「こんばんはー、優香ちゃん」
『こんばんは、香奈枝さん』
そろそろ自己紹介をしよう。
あたしの名前は榊香奈枝。くそったれババアこと榊智子の、義理の娘。榊健太と榊優香の、義理の従姉。
歳は17、高校二年生。性別は女。身長は170。体重はダイエット教に入信してるので秘密。
さて、細々した経歴は無視して。どうしてあたしが榊家にいるのか、それを話そう。
元々あたしが住んでいたのは、この町より関東寄りの、そしてずっと山奥の村だった。綺麗な空気と溢れる自然だけが売り物みたいなところだ。
そこにいたのは生まれ故郷だからじゃなく、単に引き取り手のババアがそこに建てられた研究所に勤めていたからだ。あんな田舎に唐突にコンクリートの建物があると、何かやばいもの研究してそうなんだけど。要するに地代の問題らしい。
人口は三千人弱。学校と名の付くものは小学校と中高学校を纏めた木造建築が一つずつあるだけで、ついでにクラスは学年バラバラで入り交じっていた。自習か、年下に教えるかがあの学校でのあたしの仕事だった。お金をもらってもいいと思う。
文明圏と呼ばれるものに接触するには、山を二つ三つ越えなければ辿り着けないし……ま、このあたりは本筋には関係ないし省こう。
ともあれそんな辺鄙であたしが暮らしていると、いきなり従妹が送り込まれてきたのだ。
榊優香。血の繋がらない同い年の従妹。十年近く前に顔を合わせただけで、ほとんど面識はなかった。彼女の方は憶えていたか、どうか。
そんな子があたしの家に住むという。
一通りの事情は、彼女本人から聞いた。つまり彼女はタブーを犯して追放されてきたのだ。その内容については、今はどうこう言うまい。別件だ。
追放先にあたしの家が選ばれたのは、単に地理的な問題だろう。あの土地は陸の孤島みたいなものだ。車を持っていなければ特に。
そしてしばらくして、入れ替わりにあたしが都会榊家に厄介になることになった。ババア曰く。
『当たり前だろ、人間一人を引き受けるんだ、こっちばかり負担増になってどうする。お前が代わりにあっちに行けばちょうどいい。幾ら低能でも四則演算ぐらいできるだろ』
あのババア、人間を足し算引き算すればいいと思ってやがる!
とはいえあたしも、外の世界を見たいという欲求があったのは確かだ。まともな思春期ならこんなところで一生を終えようとは思わない。他にもまあ、いろいろ。
そうして、一ヶ月程優香ちゃんと一緒に暮らし、都会榊家に出てきて、二週間程健太君のリハビリに付き合って今に至る。
ちなみに、健太君はそのことを知らない。優香ちゃんの行方も知らない。それが精神衛生上の配慮だった。
616 未来のあなたへ12 sage 2009/11/20(金) 14:52:08 ID:rJNNsrGt
「そっちはどうだったー?」
『世は全てことも無し。こちらは平和なものですね。野球に加わらせていただきました』
「ああ、なんかすっごく懐かしい。みんなでできるのってそれくらいしかないからね、死ぬ程やったよー」
『そうでもないですよ。辺りを散歩したり、浅賀先生のところに通ったり、智子叔母さんお手伝いをしたり』
「好きこのんでジジババの相手なんて物好きねえ。あ、先輩は?」
「今日も元気そうでしたよ」
浅賀先生というのは村の爺さんで、趣味で剣道教室みたいなものを開いている。何しろ娯楽というものが少ないところなので、通っている人は割といたりする。あたしもその口だった。
智子叔母さんというのは言うまでもなくあたしの養母。家事と整理が致命的にできない人間なので、ほっとくと部屋がゴミで埋まって虫が湧く。いい大人なんだから自分の面倒ぐらい自分で見ろや。
先輩というのはあちらで大変世話になった人だ。この人についてはそのうち話そう。
『そちらは』
「こっちも大したことはなかったかなー。部活見学してみたけど、冷やかすぐらいだったしね」
『剣道部か美術部に入らないのですか?』
「いやー、今はお休み期間って決めてるから」
『兄さんの様子はどうですか?』
「大分マシになったけどまだ重傷。今日なんて放課後屋上で黄昏れてたよ。こっちの世界に戻ってこいって感じ」
『……ふふ』
「そこ、嬉しそうに笑わない」
そんな調子でしばらく近況報告と雑談をする。
この従妹のことを、あたしは基本的に気に入っていた。男の趣味はどうかと思うけど、それさえ除けば合理的精神の鏡みたいな子だ。つまり、賢い。その上性格も曲がっていない。
今まで自分の周りには(先輩を除くなら)純朴か陰険しかいなかったので、彼女と暮らした一ヶ月はひどく新鮮だった。
接した感じも、とても性格破綻者には思えない。語りはひどく落ち着いていたし、行動は論理的だ。問題の健太君に関して聞いてみても、彼女はそれが異常なことだとはっきり認識していた。趣味が悪いんです、と。
どちらかと言えば。彼女は異常性愛の持ち主というよりも、ただ単にとてつもなく意志の固い、世間知らずな子供のように思う。
女の子なら誰だって、父親や兄に憧れを抱く時期はあるだろう。おとーさんのお嫁さんになる、という奴だ。親知らずのあたしですら、養護施設のお兄さんに憧れていた時期はある。
だけどそんなものは日々の中で忘れられていくものだ。子供の気持ちは移ろうものだし、大体思春期すら訪れる前の言葉遊びだ。まさしく児戯に等しい。
そして、優香ちゃんはその児戯をこの歳になるまで頑なに引きずってきている、だけじゃないんだろうか。
ってことは、彼女がどんなに大人びた振る舞いをしようとも、その本質は子供じゃないかということになる。合理的な子供。なんかものすごい矛盾だ。どこの小学生探偵。
従妹との通話を終えて、勉強道具を持って、従弟の部屋に向かう。途中叔父さんと遭遇した。うわ。
「あ。ども」
「健太と勉強か」
「はいっ」
どうもこの人の前に立つと緊張してしまう。理由はわかっているのだけど、いやはや。
さっきまで健太君と話していたんだろうか。優香ちゃんの部屋と健太君の部屋はすぐ近くにある。
あれ、ぱっと見冷血漢な人だけど、もしかしたら根は家族思いの人なのかもしれない。雨の日に子犬にミルクをあげてる不良的な意外性。
「健太も君のおかげで随分と立ち直ったと思う。感謝している」
「いあー、まああたしが好きでやってることですからお礼なんていいですよー」
「香奈枝君は健太に好意が?」
「言葉の綾です。一般的な同居人程度の好意はありますよ」
変なところに食いついてきた叔父さんに、びしりと誤解を招かない物言いで訂正しておく。気のせいだろうけど生暖かい目で見られてる気がするなあ、うう。
なんとなく、この人はあたしと健太君をくっつけようとしている気がする。その目論見は論理的にはとても正しいんだけど、当人達の気持ちをまるきり無視してるし、百歩譲っても時期尚早です。
従弟が色恋沙汰に対するトラウマから立ち直るには、まだまだ時間が掛かるだろう。それに患者は一人でもない。
「それより叔父さんは叔母さんのこと気にしてあげてくださいよ。今日も夕ご飯作らずにぼーっとしてましたよ」
「いや、彼女は象に踏まれようが問題ない。どうせすぐに忘れて立ち直る」
「ひどっ! ひどいですよその言い草」
「事実だ」
きらーんとメガネを光らせる叔父さん。く、酷いこと言ってるのに様になっている。美形ってのはこれだから。
それから二言三言言葉を交わして、すれ違う。気を取り直して、健太君の部屋の前に。
617 未来のあなたへ12 sage 2009/11/20(金) 14:54:54 ID:rJNNsrGt
ノックしようとしてふと思いつき、そっとドアを開けて中の様子を伺ってみた。鍵は掛かっていない。
健太君はこちらに背を向けて、勉強机に向かっていた。予習復習しているように見えたけど、頬杖を付いて手は動かしていない。
ああ、また遠いところに旅立ってるみたいだ。
ドアを開けてすり足で近づき、側頭部にチョップを叩き込んだ。
「ちょいさっ」
「おあっ!」
がくん、と頬杖が外れて健太君がつんのめる。びっくりしたように振り向く先には、教科書を持った従姉がいた。つまりあたしです。
「勉強しよっか?」
「うん、それはいいけど。部屋に入る時はノックぐらいしてよね……」
「したよー、嘘だけどー」
こうして部屋を訪ねるのは珍しいことじゃあない。というか、毎日やってる。
それは夏休みにやっていた日課の名残だ。
あたしがこっちに越してきた当初(夏休みまっただ中)一ヶ月も引きこもっていたせいで健太君の学力はがた落ちで、ついでに課題を片づける気力もなかった。
そこでリハビリの一環として、あたしは彼の勉強を監督することにした。こっちとしても、授業の進み具合を把握するのには大いに役立ったし。
その礼として、朝起こしてもらったり奢ってもらったり色々と便宜を図ってもらっていた。
夏休みが終わり、課題が終わり、健太君の学力が何とか戻ってきて、あたしも授業の進み具合を把握して。意義は薄れていたけど、
なんとなくで夜の勉強会は続いている。
けど飽きた。
「ねー、健太君。漫画読んでいいー?」
「いいよー」
本棚から一冊取り、ごろりと従弟のベッドに転がる。昨日の続きだ。ぺらりぺらりと、面白さだけを追求した紙面を、頭を空っぽにして読んでいく。
今使わせてもらっている部屋にも本は何冊も置いてあるけど、優香ちゃんの蔵書は実用書ばかりで面白みがないのだった。あたしも同じようなのは沢山持ってたし。
その点、健太君の蔵書は、運動関係の実用書も少しはあったけど、概ね娯楽目的の漫画や雑誌で占められている。素晴らしい。
ぺらぺら、ごろんごろん。
彼の方をちらりと見ると、部屋の真ん中に置いたガラステーブルに教科書とノートを載せて、うんうん唸っていた。頭はあんまり良くないけど根が真面目なのか、それとも勉強することに約束でもしてるんだろうか。
漫画のごろ見を楽しみながら、頭の半分で榊健太という人間のことを考える。
彼は――――普通の人間だ。
運動が得意で勉強が苦手。容貌人望、共に人並。虐められているわけでも孤立しているわけでもない。無個性というわけでもなく、結構お馬鹿な発言多し。
性格は概ね純朴。物事を信じ込みやすく、騙されやすい。また自責の念が強く、我慢強い。詐欺師にとってはカモネギとはまさにこのこと。
態度がキノコみたいな感じでじめじめしているのは、どうも周囲から聞くに優香ちゃんが消えてかららしい。みんな首を捻っていたけどあたしは真相を知っている。
トラウマを負う前の彼は、いわゆるいい人で、いい人で終わる。そんな人柄だったみたいだ。枚数で言うなら三枚目。色恋沙汰の対象にはならないけどムードメーカーみたいな。
勿論、今はそんな面影微塵もない。陰惨な過去を抱えちゃった受け身キャラだ。いや実際その通りなんですがね。
それに関してはどうこう言うまい。他人からの言葉でしか以前の彼を知らないのだから、安易に軽蔑も同情もしまい。あたしが思うのはただ一つ。
どうして優香ちゃんはこんなのに惚れたんだろう?
「んー……香奈枝さん、この問題の解き方がわかんないんだけど……」
「どれどれー。これ? どこがわかんないの?」
「使う式は前のページのこれでいいと思うんだけど、この形に持っていく方法がわかんなくて」
「ところで健太君、話は変わるんだけど」
「え!? ここで変えないでよ!」
618 未来のあなたへ12 sage 2009/11/20(金) 14:55:44 ID:rJNNsrGt
構わず変える。色恋沙汰はタブー。ただし健太君から見れば、あたしは事情を知らないことになっているから、多少は踏み込んでもいいはず。
「ねえ、知ってる? あたしの養母(ババア)なんだけどさ、昔叔父さんのこと好きだったらしいよ」
「え、ほんと? 智子叔母さんが、父さんのこと?」
「そうそうまじまじ」
「でも、母さんと叔母さんって姉妹なんだよね?」
「うん、だから姉妹で一人の男を取り合ったってことになるんだよね。ドラマみたいでしょ」
「へえー……でも父さん母さん見てるとそんな風には見えないけどなあ。小さい言い争いばっかりしてるし」
「それはあたしも思うけど、まあ現実の夫婦なんてそんなもんじゃないかな」
「でも、それじゃ智子叔母さんが結婚しなかったのって……まだ父さんのこと好きなのかな?」
「え、まっさかー。単に貰ってくれる相手がいなかっただけでしょ。性格悪すぎなんだって」
うへえ、と舌を出す。そんな純情テイストな何かはあのババアには似合わない。もう五十近いってのに。
それでも酒が入るたびにそんな話を愚痴るのは、いわゆる若き日の過ち、人生の汚点だからだろう。よく知らないけど研究者としては成功しているらしいし。
あまりに何度も聞かされたせいで、あたしの中の父性象が殆ど会ったことのない薫叔父さんになってしまった程だ。
あの人の前で落ち着かないのはそのためで、本来父親だったかもしれない人だという妄想が捨てきれないのだ。論理的矛盾は認める。
「あー、別にまだ彼氏は欲しくないけど、嫁き遅れになりたくないなー」
「あはは。まあ、まだまだ若いんだから大丈夫だって」
「でも柳沢君なんかはすっごい軟派って感じがしない?」
「いや、あいつはそういうポーズなんだよ。別に手当たり次第ってわけじゃなくて、結構純情だと思うよ」
「じゃあ健太君はさー」
地雷を確認する。好きな人がいるの? 好きって言ってくれた人はいるの? 誰かと付き合ったことはある? 付き合うならどんなタイプがいい?
ダメだ、どうやっても接触する。この話題から離脱するのが一番安全なんだけど、そうも行かない事情もある。仕方なく、毒にも薬にもならないようなことを聞いた。
「健太君は彼女とか欲しい?」
「んー……とりあえず、今はいいよ」
少し寂しそうに健太君が笑った。そういうものは既に自分からとてつもなく縁が遠いんだと、昔を寂しがるような笑い方だった。
あたしも笑った。暗い諸々を笑いものにするような、長年薄暗がりにいれば自然に身に付く熟練の技だ。
「そっかー。それじゃああたしと同じだね。とりあえず今はいいやー」
「ん、そだね。とりあえずは」
とりあえず。
素晴らしい言葉だ。何の解決にもなってない、気休めにしかならない、何の役にも立たない。そこがいい。
物事を白と黒に割り切ることは人生には必要だけど、ただの気休めが必要な時もあるんだから。
「まあ、モラトリアム同士、ゆっくりごろごろしていけばいいよね。まだ若いんだしさ」
「いいだけど、なんかそれ。年寄りみたいな言い方だね」
「ええー、若さ云々先に言い出したの健太君じゃーん」
「そうだけど、それは香奈枝さんが結婚のこととか言い出したから、それはまだ焦る程じゃないってことで……」
17歳の高校生が、お互いにまだ若いと励まし合うのは、奇妙な会話だったのかもしれない。けど要するに、誰だってそれなりに暗い過去を背負っていると言うことなんだろう。
問題はそういった諸々を、自分の中でどうやって、どんな風に処理するかだ。逃避なり、憎むなり、忘れるなり、後悔するなり、固執するなり、なんなり。
そして見たところ、健太君はあまりいい片づけ方をしていないようだった。まあ、引きこもり時と比べればかなりマシにはなったんだろうけど。
その見極めをするのが、あたしがこの家に来た理由の一つでもあるのだ。大した動機があるわけでもないんだけど。
619 未来のあなたへ12 sage 2009/11/20(金) 14:58:24 ID:rJNNsrGt
今日の勉強会も終わり、自分の部屋に引き上げる。後半はごろごろしていただけだけど、あたしは。
この時点で時刻は22時ちょい過ぎ。寝るまでごろごろする前に、もう一つだけ日課があった。
本棚から大判無地のノートを取りだし、今日一日の中で心に残った光景を思い浮かべる。
――――屋上。
フェンスで四角く切り取られた空を、思い出しつつ描いていく。地面は砂だらけのコンクリート。そんなところに寝っ転がる人影。天には空を、地には人を。
描き込んでから気付いた。健太君がいると言うことは、今描いてるのは夕方の空だ。右側、フェンスの向こう側にぼんやりとしたまるを加える。夕陽。
記憶が頼りなので細部はどうしようもなくあやふやだ。けれどいい。どうせ明日にはもっと忘れてるんだし、これはただの日記みたいなものだから。
輪郭ができたら色鉛筆で彩色していく。色を塗るというよりも、大ざっぱに色分けする程度。空はオレンジ、太陽は赤く、フェンスは緑、地面は灰色、人影は黒。
完成。まるで子供の落書きだ。まあ、あたしの描画技術なんてこの程度でしかない。日付を記入し、ぱたんとノートを閉じる。
子供の落書きでも、気付けば随分時間が掛かっていた。日付が変わっている。
ああ、そろそろ寝ないとまた明日健太君の手を煩わせることになりそうだ。手を洗って寝ることにする。
今日は今一、ダメだった。また明日頑張ればいいや。おやすみー。
健太君に彼女を作らせる。それが、あたしがこの家に来た目的だ。
ババアの勝手な要求もあるし、自分が都会を見てみたかったのもある。けれど最大の目的はそれなのだ。
論理の飛躍があるのはわかっている。
優香ちゃんと一月、暮らして。あの子がどうしてあんな田舎に来たのか教えてもらって。
それでもあの従妹は、あんなド田舎に閉じ込められておきながら、微塵も後悔していなかった。いや、身内をレイプしておいてその態度はおかしい。ババアは大笑いしてたけどあいつもおかしい。
けど、それを除けば彼女はとても好感の持てる人間だった。一本筋の通った考え方をして、それに対する責任というものを知っている。そして決して迷わない、強固な目的意識と判断力。
目的の正当性はさておいて。目的を求めて迷う人間や、何も考えずに服従するだけの人間にとっては、榊優香の在り方はとても眩しいものだろう。彼女のような純粋さはひどく希少なのだ。
でも、だからこそ。あたしは彼女を更生させたい、まともな道に戻してやりたいのだ。
あのベクトルが社会に出て噛み合えば、従妹は必ず名前を残すと思う。頭脳運動能力判断力集中力全てが高いレベルにあり、意志の強さはそれらを更に凌駕する。
それが近親相姦のタブーを打ち破ることに費やされるなんてもったいなさ過ぎる。それに才能云々を差し引いても
そもそも人は自由であるべきだ。
今の彼女は――――それが自分で望んだものだとしても――――檻に閉じ込められているようにしか見えない。
そうして、自由になったときに、思うのだ。ああ、自分は何であんなものに閉じ込められていたのだろう、と。
620 未来のあなたへ12 sage 2009/11/20(金) 14:58:51 ID:rJNNsrGt
……さてそれではどうするか。
これについてはババアの愚痴が珍しく役に立った。曰く
『振られ方にもいろいろあるが、他に女ができたってのは最悪だぞ。全否定だからなあー。お前の全てと、あっちの女の全てを比べて、あっちを選んだってことだからな。女として、人間として負けたってことになるんだぞ。こんなわかりやすい屈辱があるか』
とのことだった。あのババアをしてそこまで根に持たせるんだから、色恋というのは修羅の巷だ。
つまり
健太君が優香ちゃんの存在を承知の上で、他に恋人を作ったのなら、さすがに諦めるのではないのだろうか。
ということだ。よってあたしの目的は、健太君に彼女を作らせることになる。
果たしてそれで諦めるのか、疑問があるのは認めよう。自分自身、従妹の意志の強さを高く評価しているが今回だけは折れてほしいと願う複雑な心境だ。
とはいえ、問題は他にもある。
健太君に彼女ってできるの? ということだ。
会ってみて意外だったのだけれど、あたしにとって健太君はぜんぜん魅力的な人間ではなかった。背は低いし顔だって普通だし、内外から陰気オーラが出てるし、よく一人で黄昏てるし、何か取得があるわけでもないし、そもそも引きこもりだったし!
周りの人間に色々吹き込まれてたから、正直どんな人間かちょっとは期待してたのにがっかりだよ。落差がひどいよ。
ほんと、どうして優香ちゃんはあんなのに惚れたんだろう? 彼女ほどの人間が固執する相手とは思えない。趣味が悪いって自分でも言ってたけどそのまんまの意味だったんだろうか。
それとも、優香ちゃんがぶっ壊した残り滓が、今の健太君なんだろうか(自分の大切なものを何で自分でぶっ壊すのか理解不能なんだけど)
そこに期待して色々リハビリを手伝って元の従弟を取り戻そうと思ったけど、元の姿を知らないから復元率何パーセントなのかさっぱりわからない。
少なくともあたしが見知らぬ女子だとしても、今の彼に惚れることは有り得ない。そういうことだ。
とはいえ、だからといって人間として健太君を嫌ってるわけじゃない。友人としては普通に付き合える。あの暗さには時々辟易するけど、基本的に人が良いことは言動の端々からにじみ出る。まあ、いい人で終わりそうな子だ。
はあ……積極的に探させようとしても恋愛拒否症が出そうだし、どうしたものだか。柳沢君にでも、事情は伏せて相談しようかな。
そんな風に悩みながらごろごろしてる間に、夜は更けていき
次の日、やっぱりあたしは寝坊する羽目になったのでした、まる。
最終更新:2009年11月22日 20:32