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ウイリアム・テル ◆TIr/ZhnrYI sage 2009/12/17(木) 00:13:46 ID:Gz+WkGPt
「ただいまーっと」
今日も鬼師範の厳しい扱きで肉体的というか精神的に疲れ果て、やけに重い腕でドアを開けた。
パタパタといつものように、足音。
「おかえりー、お兄ちゃん」
明るく弾む声に、何だか疲れを癒されているような気持ちになりながら、顔をあげた。
俺の正面に立った声の主の姿を見て、瞬間、ピシリと空気が凍った。
「……」
「えへへー」
どっと、癒された倍の分の疲れが体にのしかかってくるのが分かった。
目の前にいるのは、俺の3つ下の妹で名は林檎。
明るくてそばにいるだけで、元気を分けてくれるような気分になれると、中学校でも人気があると友人に聞いたことがある。
身内びいきを差し引いても、確かに容姿は良いと思う。
くりくりとした大きな目や、小さい鼻と口は綺麗ではなく、可愛いという言葉にピッタリで、ほんのり焼けた肌も健康的で好ましい。
妹はコンプレックスを持っているらしいが、ふわふわとした癖っ毛も彼女の良いところだと俺は思う。
また、彼女の一番の特徴である耐えることのないえくぼが何ともチャーミングな、底抜けの笑顔を守るために中学校にはファンクラブなるものが存在しているとかいないとか。
……もし本当にファンクラブなんてものが中学校に存在するなら、彼らはろくな大人にならないんじゃないか、と俺は未来の日本を憂わずにはいられない。
はぁ、とため息をひとつ。
非常に、非常に面倒くさいことではあるが、何らかの反応をしなければ飯にもありつけないんだろう。
林檎は体を屈めて、にこにこと俺を期待するような眼で見上げて構ってオーラを投げつけてくる。
もう一度、深くため息をついて林檎の姿を上から下、そしてまた上と眺める。
料理の途中だったのだろう、いつものようにベタすぎて、寧ろどこで買ったのそれ?と聞きたくなるようなフリフリの白いエプロンを着ている妹。
――いや、そうじゃない。
林檎は何を血迷ったか、エプロンのみしか、着ていなかった。
「一応聞くが、何だそれ?」
「えへ、裸エプロンー」
語尾に音符を飛ばしながら林檎は即答。
ああ、そう、裸エプロンね、と疲れの上に痛み出した頭を抑えながら、呟く。
いうなれば、頭痛が痛い、という状況。
ちらちらと、ピンク色の何かが見えているが、不思議と何の感情も湧いてこない。
低い背、凹凸に乏しい体でぶかぶかのエプロンというのは、想像以上に不格好だった。
ただ果てしない疲れに、このまま朝までぐっすりと眠りたいと強く思った。
何というか、容姿だけならば春の妖精もかくやともいうべき姿をしているのに、悲しいかな、妹はおつむほうまで春だった。
色々言いたいことはあるが、取りあえず。
「10年後に出直してこいや」
「延髄切りっ?!」
情け容赦なく一発で妹を沈めた。
ったく、と吐き捨てて二階にある自分の部屋へと向かう。
「俺が着替えてくるまでには、お前もちゃんと服を着とけよ」
「えー、せっかく準備万端だったのに、食べないの?」
つまみ食いでもいいんだゾとか、両目をぱちぱちとしてくる。
……え、それもしかしてウインク?ウインクなのか?
ウインクすらまともにできないとは、母さん貴女の娘はどうやら頭のネジをどこかで落としたようです。
天国の母を思い、嘆きながら未だ廊下に寝そべり、大仰な瞬きをする妹にストンピングを敢行する。
「あうっ」
2~3発蹴ったところで、妹の声に何故か嬉しそうな色混じっているのに気づき足を止めた。
汚物を見る目で見下ろす。
「お前……」
「あは、もっと見てー」
「……さっさと、着替えろ、いいな?」
「あーい、へへ、もう照れ屋さんなんだからー」
凄んで言うと、案外素直に肯いた。
はあ、またため息がこぼれた。
小一時間のうちに3個もため息が漏れるなんて、いつか胃に穴が開くんじゃないだろうか、ストレスで。
509 ウイリアム・テル ◆TIr/ZhnrYI sage 2009/12/17(木) 00:16:29 ID:Gz+WkGPt
学力と運動神経どちらも残念な妹ではあるが、容姿以外にも料理の上手さは誇ってもいいと思う。
あのあと、素直にまともな服に着替えた林檎とテーブルに向かい合って座り、妹手製のハンバーグを眺める。
「あれ、美味しくなかったー?」
「いや、まあまあだな」
おいしいと褒めると、直ぐに調子にのるから言わない。
だというのに、林檎はへへーとやっぱりバカっぽい笑み。
「全く、お兄ちゃんはツンデレさんだなー」
「……」
「そういう、素直じゃないところも……好・き」
きゃー、いっちゃったーと身もだえする妹。
こみ上げてくるイライラを、肉と一緒に咀嚼した。
「そう言えば、お前、大丈夫なのか?」
「え、心配してくれてるの?もー心配するくらいなら蹴ったりしなきゃいいのに。でも大丈夫だよ、りんごは丈夫だしちょっと過激な行動もお兄ちゃんの熱い愛情表現だって知ってるから」
「ああ、こいつ、ハンバーグを喉に詰まらせてポックリいかないかなぁ」
「せめて、もっとまともな方法で死なせて!」
「は?おつむが一年中春のお前にはピッタリな最後だと思うんだが」
「何か、すっごく馬鹿にされてる気がする……」
「そりゃあ、馬鹿にしてるからな」
「りんごはそんな素直なお兄ちゃんはあんまり好きじゃないな!」
「ああ、そりゃ良かった。すっごく清々するわ」
「うそうそ、りんごは何があっても、一生お兄ちゃん大好きっ子だから、見捨てないでお兄ちゃん!」
がばっと、林檎は勢いよくテーブルに手をついて立ち上がり、身を乗り出した。
テーブルが揺れて、野菜スープが少しこぼれた。
……ああ、もう。
箸を置き、林檎の頭に手を置いて、ぽんぽんと軽く撫でるように叩く。
「分かったから、落ち着け。飯を食べるときくらいは落ち着いてくれ」
「えへ、わかったー」
もともと余り本気にしていなかったのか、頬をだらしなく緩めた。
りんごの頭から手を離すと、あ……と名残惜しげな顔をしていたが、やがておとなしく椅子に座った。
その様子を、台拭きでこぼれたスープを吹きつつ確かめて、
510 ウイリアム・テル ◆TIr/ZhnrYI sage 2009/12/17(木) 00:17:35 ID:Gz+WkGPt
「お前の中学校そろそろ中間テストだろ?勉強は大丈夫なのかって聞いてるんだ」
既に捩じれに捩じれた話の筋を元に戻す。
林檎の通う中学は俺の高校と大体同じ時期にテストが行われる。
俺のところも後2週間弱といったところだから、コイツのところもそろそろだろう。
ご多分にもれず、林檎は頭が悪く、赤点の数を数えるより赤点じゃない科目の数を数えるほうが早いくらいだ。
元々頭が悪い上に、全く勉強しようとしないから余計タチが悪かった。
おかげでテストの後は、中学に上がって間もないのに追試や補講の常連だった。
そして、過去を学ぶことをせず次のテストでも同じ轍を踏んでいるのだから、もはや呆れるしかない。
林檎はきょとんと、大きな目を更に大きくさせて、かくんと頭をかしげた。
「へ、勉強?んーどうだろうなー」
林檎は箸を口の中に入れたまま、中空を眺めて考えだした。
行儀悪いだろ、とぺしりと妹の右手を軽く叩く。
俺は躾には厳しいたちなのだ。
……凄く今更って気はするがな。
「珍しいな、お前のことだから大丈夫じゃないよと即答するかと思ったんだが。今回は勉強してるのか?」
「うん、いっつもお兄ちゃんに勉強しろーって言われてるからね」
「おお、成長したな!」
母さん、俺の苦労がやっとひとつ報われたようです。
「100点取ってお兄ちゃんをぎゃふんといわせてあげるからね!」
「はは、そうだな、期待して待ってるよ」
いくら勉強したといっても、所詮は林檎の頭だ、高が知れてる。
結果よりも林檎が、勉強しようと思ったことを何よりも評価してやりたかった。
赤点が減ったら、何かほしいものでも買ってやろうと思う。
「へへ、一杯勉強したんだよ。特に算数が一番自信あるんだ」
「はは、ベタな間違い方するな。算数じゃなくて数学だろ。お前も中学に上がって結構経つんだ、その間違いはもう賞味期限切れだぞ」
「ふぇ?……あ、あれ?」
「……」
「あは、は……そうだよね、りんごももう中学生だもんね。算数じゃないよね。生活科じゃなくて社会だもんねー」
「おい、お前まさか」
食卓に一気に不穏な空気が流れだす。
いや、いくらコイツが可哀相な頭をしていても、もう中学に入学して結構立つんだ、その間違いはありえないだろう。
毎日学校には行ってるし、今どこまで授業が進んでて、どの辺がテストに出るのかくらいは確かめているはずだし、うん、大丈夫。
……大丈夫、だよ、な?
俺の視線を一身に浴びて、林檎は、ははーとぎこちなく笑った。
「そのまさかみたい。小学校の時の教科書で勉強してた」
ぎゃふん
最終更新:2010年01月07日 20:12