弓張月4

305 弓張月4 ◆1zfTn.eh/1Y3 sage 2010/01/13(水) 00:02:52 ID:CS1LInRj
 家に帰り、殆ど済ませておいた夕食の調理に直ぐ取り掛かった。
「おーい、花音。飯はまだかー。部活帰りに何も食っちゃ駄目ってのはさすがに応えるんだが」
「あと幾許か待っていてください、今温めているところですから。お風呂が沸いていますから、先に入ってきてはどうですか?」
「風呂入ると更に腹減りそうだから後でいいや。それより、菓子食っていていいか?煎餅と饅頭しかないけど……」
「ダメです、ご飯の前にお菓子なんて」
「ちぇー、じゃあ早くしてくれ―」
 兄さんは不満そうにいいながら、ご飯の事に関しては私に逆らえない。
 兄さんの料理の腕は壊滅的だし、私が作る料理は兄さんにとって一番美味に感じているはずだから。
 それも当然だ。私は兄さんの舌に合うようにと云う事のみを考えて、かれこれ十数年間料理の腕を磨いてきた。
 兄さんの好きな食材、調理法、味付け等は当然として、味の濃さや兄さんの口に合う調味料の銘柄に渡るまで全て兄さんの好みは把握している。
 今日の昼、あの女の弁当を食べて兄さんが普通だと言うのも、当然の摂理と云うもの。
 ――兄さんに、あんな栄養も何も考えてないような酷いモノを食べさせるなんて、くびり殺してしまいたい。
 どうも、昼のあの男のせいで思考が黒く澱んだまま晴れていない。
 心中で沸々と茹で上がっている感情も、上手く冷めてくれない。
 私は、周囲から、それこそ兄さんからも理性的な人間だと思われている。
 けれど、私は生れてこの方、度々心奥の本能に身を任せてきた。
 私が兄さんを愛する理由、それは衝動に他ならない。
 兄さんと一つになりたいという衝動、それこそが私の愛の本源だ。
 今は亡き私の両親の話では、私は両親よりも兄さんに懐き、いつも兄さんの手を握ったり口にしゃぶったりしていたのだという。
 その頃の記憶はさすがにないが、そうすることで兄さんと一つになれた気がして落ち着けたのだろう。
 その衝動から来る行為は、次第にエスカレートしていき、手を握ってしゃぶるから、キス、そしてあの日。
 煮えたぎるような衝動に破れた私は、兄さんの食事に微量の睡眠薬を混ぜて犯した。
 今となっては、正直早まった行動だと思わないでもない。私にだって、初めては兄さんの方からなんて、甘い幻想はあったのだから。
 けれど、それ以上にもう一度、もう一度、と求めてしまっている。
 兄さんと一つになるという原始の衝動を満たした快感の虜となってしまったのだ。
 それでも、つい昨日までは兄さんの事を考えて機が熟すまで行動を控えようと思っていたのだけれど、今日色々あったせいか気持ちに歯止めが利かなくなっている。
 兄さんを求めてやまない心奥の私と、普段の私。
 どちらも私で、どちらも本当。
 手に持った瓶を見つめる。掌にすっぽり納まるくらいの小さく透明な瓶。
 その中には、少しとろみのある蜂蜜色の液体。かといって蜂蜜ではなく媚薬だ。
 何故こんな物を私が持っているのかと云うと、私の祖父が使っていたものだからだ。
 祖父が、この媚薬を相手に使っていたのか、それとも年老いた自分の体に使っていたのかは定かではないし、知りたいとも思わない。
 衝動を満たすための行動を起こすにあたって、何か役に立つようなものはないかと屋敷を物色して祖父の部屋で睡眠薬と一緒に大量に見つけたものだった。
 他にも祖父の部屋には、性交に使う胡散臭いモノがごろごろあったが、まさか中古のそれらを使う気にもならず、結局睡眠薬とこの媚薬以外はそのままにしている。
 リビングを振り返り、兄さんがソファにだらりと転がってTVを見ていることを確認。
 普段なら注意する所だけれど、態々こちらに意識を向けさせる必要もないだろう。
 それにしても、と思う。
 あの日兄さんは、夕飯に睡眠薬が仕込まれていた事に何となく気付いているはずだ。家に殆ど帰らなくなった理由の一つにあげられるだろう。
 それなのに、私が涙を見せて頼み込んだだけで、あの日の事を謝り二度としないと誓ったわけでもないのに私を信じてくれている。
 もしかしたら兄さんは、私とのまぐわいを求めているのかもしれない。
 兄さんの事だから、きっと心の中ではもう二度と私との性交をしないように決心しているのだろう。
 けれど、私に寂しい思いをさせないために家に帰ることを決めて、欲情に流されないように自分が我慢すればいいと思っているはずだ。
 そう心の表面では思っていても、心の奥ではあの日の快感に囚われているに違いない。
 だって、私も同じ。私だって悦楽の沼に足を取られている。
 兄さんと違うのは、私がその沼に進んで足を踏み入れた事。否、むしろ、私自身がその沼なのかもしれない。


306 弓張月4 ◆1zfTn.eh/1Y3 sage 2010/01/13(水) 00:03:48 ID:CS1LInRj
 あの日、初めて兄さんと繋がった感覚を思い出して、ぶるりと体を震わせた。
 手に持った瓶のふたを外す。
 きゅぽんと少し間抜けな音。
 ふわ、と無味無臭のはずの液体から甘い芳香が発されている気がした。
 その琥珀色の液体を、少量、煮込みハンバーグの入った兄さんの皿に振りかけた。
 この程度なら、正直あまり催淫効果は高くない。これは何度も自分に試したから間違いない。
 ……もしかしたら、私のこの唐突な行動は、今まで蓄積された媚薬のせいかもしれない。
 だとすれば、私の作戦も強ち的外れなものではないかもしれない。
 兄さんは、これから毎日家に帰ってきてくれるだろう。
 その度に兄さんの料理に、この媚薬を少量ずつ偲ばせて摂取させることで媚薬を摂取した感覚が癖となって、じわじわと兄さんを追い込む事が出来るはずだ。
 少量の媚薬は、基本的には1日もたてば殆ど効果を失うけれど、それを毎日蓄積していくとならば話は別だ。
 兄さんは、意思が弱いわけではない。
 だから、今の時点でまた私と体を交わらせたら罪の意識に潰れてしまうかもしれなかった。
 そうなってしまえば、私たちの関係は恋人はおろか兄妹としての関係さえも潰えてしまうだろう。
 それだけは何としても避ける必要があった。
 媚薬入りのハンバーグの皿をキッチンそばのダイニングのテーブルへと運ぶ。
 他にも、サラダやご飯などをテーブルに二人分並べて、
「兄さん、ご飯ができましたよ」
「おお、やっとか……。もう、匂いだけでお腹と背中がくっつきそうだったぞ……」
「すみません……兄さんには温かくて、一番おいしい状態で食べて欲しかったから……」
「いや、俺は花音の料理なら、どんなものでも上手いと思うんだけどな、別に」
 そう言いながら兄さんは、さっさと席について箸を取って料理に手をつけ始めた。
「もう、兄さんったらいただきますもせずに食べて……お行儀が悪いですよ」
「はふ、はふ、ああ、そうだな、でも、むぐ、もう食べちゃったし。細かい事を気にするなって」
「もう……あと食べながら喋るのも感心しませんよ」
 呆れた声で言うと、兄さんが、かかと笑って再びハンバーグを口に運び始めた。
 兄さんの意思を砕く、甘い蜜が入ったハンバーグが兄さんの体内へと運ばれていく。
「……すみません、兄さん」
「へ?どうした、唐突に?」
 どうしたというのだろう。私もよく分からない。
 これは私が望んでやっている事。それは間違いないのだけれど、心の隅に申し訳ないと思う気持ちがあるのもまた確かだった。
 私がやっている事は、結局兄さんの思いを裏切り、兄さんの尊厳を踏みにじる行為に他ならないのだから。
 私は首を振って、
「いえ、夕飯の時間が遅くなってしまいましたし、少し調理に失敗してしまいました……味におかしい所はありませんか?」
「ん?んー、いつもと変わらないと思うけどな。まあ、腹減ってる状態なら何でもおいしく感じるってのもあるのかもしれんけど」
「そうですか、それならよかったです」
「心配すんなって、花音が作る料理はまず間違いなく上手いから」
「ふふ、そんな買い被り過ぎですよ。私だって失敗することぐらい、一杯あるのですから」
「そうかー?少なくとも今まで俺は、花音の失敗作に出会ってないけどな」
 二人きりの食卓。
 実際は3日ぶりなのだけど、それでも凄く久しぶりのような感じがした。
 不意に、涙が出そうになる。ぐ、と何とか涙腺の奥で堪えた。
 代わりに、精一杯、笑みを浮かべた。
「んぐ、んぐ……どうした、今日は妙に上機嫌だな」
 兄さんが、不思議そうな目をした。
「そうですか?いつもと然程変わりませんよ」
「いや、お前の笑ってる所見るのもなんか久しぶりな気が……」
「それはそうかもしれませんね。私は余り外で笑わない方である事は自覚していますから」
 ですが、と箸を置いて兄さんを見つめた。
 兄さんも食べる手を止めて、こちらを見返してきた。
 数秒の間、それだけで二人きりのこの家は、忽ちしんと静まり返る。


307 弓張月4 ◆1zfTn.eh/1Y3 sage 2010/01/13(水) 00:04:18 ID:CS1LInRj
「ですが、家の中では割と笑っていると思いますよ?」
「……」
 兄さんが気まずそうに、目を反らした。
 ふふ、と声に出して笑ってから、
「すみません、少し意地悪でしたね」
「……いや、俺が悪いんだ」
 兄さんが一回強く瞼を閉じて、直ぐに開いた。
 そして、再びこちらをじっと見返してきた。
 その瞳は、真摯な色に染まっている。
 見据えられた私は、それだけで頬が紅潮してしまうのが、手に取るように分かった。
 花音、兄さんが真剣な声で私を呼んだ。脳髄が蕩けるような、甘い、甘い、感覚。
 私は媚薬を摂取していないはずなのに、昂揚に体が火照り、下半身が疼いた。
 そんな私の変化に気づかず、兄さんは続ける。
「今まで、寂しい思いをさせてすまなかった。これからはそんな気持ちにさせないように、兄として、頑張るから。一人で悲しむんじゃなくて、俺に何時でも頼ってくれ」
 結局、兄さんは最後まであの日の事に言及することはなかった。
 兄さんが家に帰ってこなくなったのは、全て私のせいに他ならないのに、それを責めることをしなかった。
 それは、私を気遣っての事か、それとも言葉にすることを恐れたのか。
 多分、どちらも正解なんだろう。
 だからこそ兄さんは、「兄として」の部分をあえて強調して言葉にしたのだろう。
「いいですよ、もう。気にしていませんから。それに」
 私は、そっと首を振った。
 確かに兄さんがいない夜は寂しくて、それこそ枕を涙で濡らすなんて、どこぞの古典の世界のような事を味わったけれど。
 そんなことは、もう、どうでもよかった。
「兄さんが、これからは傍に居てくれるのでしょう?」
「あ、ああ。少なくともお前に好きな男ができて、ソイツがお前を幸せにできる奴だったらな」
「ふふ、そうですか。それならば、安心です」
 そう、安心だ。
 だって、私が兄さん以外の男の人を好きになることなんて有りえる筈がなくて。
 私の根源の衝動を満たして幸せにしてくれるのは、兄さんを措いて他に居ないのだから。

† † † † †

 花音と二人きりの夜。
 それがここまで辛いものだとは、思ってもいなかった。
 体が熱い。
 欲求不満だろうか。ふと考えて、否、と自ら否定。
 昨日、都とシたばかりなのに、もう欲求不満になるほど盛っているつもりはない。
 と云う事は、この昂奮の原因は花音とのSEXを求めているが所以となるのだろうか。
 だとすれば、俺は花音の兄として、のっぴきならない所まで来ているのかもしれなかった。
「クソ……!」
 心ではたった一人の妹を守らなければならない、という義務感にも似た思いを強くしながらも、花音を求める性欲に満ちた自分の不甲斐なさが情けなかった。
 花音と二人きりの夜なんて、今まで数え切れないほど過ごしてきたというのにその時どのように花音と接していたのか、もう分からない。
 夕飯の後風呂に入っている時から、妙に体が熱を帯び始めて花音と顔を合わせるだけで襲ってしまいそうになった俺は、逃げるように部屋に閉じこもっている。
 クソ、ともう一度自分に毒づき、舌打ち。
 今日はもう、さっさと寝てしまった方がいいだろう、と明日の授業の予習などもせずにベッドに潜り込もうとして――
「にいさん」
 どきり、と心臓が一拍、大きく跳ねた。
 まさか、と思う。
 思いながら振り返ると、花音が部屋の入口に立っていて。
 愛用の白絹で仕立てた着物の寝間着姿で、じっとこちらを窺っていた。
「な……」


308 弓張月4 ◆1zfTn.eh/1Y3 sage 2010/01/13(水) 00:05:22 ID:a9Lxxi5I
「な……」
 みっともなく悲鳴を上げそうになるのを、何とか堪えた。
 何で、ここに花音がいるのだろう。俺はドアを開けっ放しにしていたのか……?
 そんな馬鹿な。
 幾ら、俺がそれどころじゃない状態だったとしても、ドアくらいは閉めたはずだ。
 そう思っては見るが、相変わらず思考には靄がかかっていて、完全に閉めたと証明できない。
 それに、俺がドアを閉めたのならば、ドアを開けたのは当然花音と云う事になる。
 しかし、ドアが開く音なんて聞こえなかった。
 俺の部屋は、花音の部屋と違って普通の洋室。
 戸も襖じゃなくて、ドアだ。襖のように音を極力立てずにドアを開けるなんて、そう易い事ではない。
 音を立てないように、細心の注意を払ってゆっくり、ゆっくり開けて何とか、と言ったところだろう。
 それならば。
 それならば、花音が俺に気付かれないように細心の注意を以て、ゆっくりと時間をかけてドアを開けたと言うのか?
 だとするならば、一体、何のために?
 混乱する頭。やがて、花音がゆっくりと口を開いた。
「顔色が悪いようですが、どうかされたのですか?」
「え?……あ、ああ、大丈夫だよ、別に。ただちょっと疲れただけだ。こんなの寝れば直ぐに治る」
「そうですか」
 呟いて、花音は顔を伏せた。
 そして、何やらもじもじと指を突き合わせて挙動不審な様子。
「か、花音?」
 唐突な、花音の様子の変化に戸惑いながら呼びかけた。
 すると、花音はがばっと顔をあげて、意を決したように俺を見上げた。
 ついでに身を乗り出して来た花音から逃げるように、思わず2~3歩後退った。
 しかし、花音は俺を追いかけるように近づいてくる。
 壁に背が当たる。追い詰められた。目前の花音が、そ、と俺のシャツの裾をつまんだ。窺うような上目遣い。
「わ、私も……」
 何を言うつもりなのか。
 ごくり、と喉が鳴った。
 あの日の強烈な快感が、蘇りそうになる。
「私も、一緒に寝てもいいですか?」
「え?」
 何だそんな事か、と反射的に言いそうになって口を噤んだ。
 一緒に寝る、の何処がそんな事だと言えるんだっつーの。自分で自分につっこんだ。
 それにしても珍しい、と思う。
 花音は結構古臭い思考の持ち主で、男女7歳にして同衾せず、とでも言うかのような人なのに。
 ……あの日の事は、まあ、今は置いておくとしても。
 とにかく、そう易々と一緒に寝てもいいかなど頼むような人じゃないのは確かだ。
「ど、どうしたんだ、突然」
 だからか、俺の声も少し上ずって聞こえた。
 花音は再び俯いて、もじもじ。
 数秒の後、
「さ、さびしい、から」
 と、蚊の鳴くような声で、呟いた。
 よく見ると、頬が赤く季節外れの林檎のように染まっている。
「そ、そうか」
 ずるい、と思う。その態度は卑怯だ。
 普段と清廉、楚々として、けれど何処か凛とした女の子のこんなギャップを見せられたら、男としてはクラッときてしまう。
 例え相手が、実の妹であったとしても、だ。
 ドクンと、一際鼓動が速くなり、血流が盛んになった感覚。
 下半身へと血が溜まっていきそうになるのを、心中で経を唱えて理性の力で何とか抑えこむ。
 やってて良かった、武道。


309 弓張月4 ◆1zfTn.eh/1Y3 sage 2010/01/13(水) 00:06:55 ID:CS1LInRj
「だめ……です、か?」
「あ、ああーっとな」
 正直、困る。妹を守ろうと決めた手前、早速頼られるのは兄として光栄に当たる事なのだが、それよりも自分の理性が心配だった。
 自分の理性というものが、あっという間に破れてしまいそうな程薄っぺらい物だという事を知っていれば、尚更。
 花音は、俺を兄として頼ってきている。普段は気丈にしていながらも、矢張り一人の夜というものは余程応えていたのだろう。
 俺だって、こんな無駄にだだっ広い家の中で一人にされたら、寂しさを感じずにはいられないだろう。
 ましてや花音は女の子だ。
 だからこそ、こんな珍しく、大胆な行動に出たのだろうし、俺だって兄としてその気持ちを汲んでやりたい、と思う気持ちも勿論ある。
 けれど、と心奥で警鐘が鳴る。
 いまの状態で、花音と一緒の布団で寝るなんてそれこそ、花音に沸々とした欲求をぶつけてしまいかねない。
 何度も言うようだが、俺の理性なんて所詮信用に値するものじゃない。
 かといって、折角の親愛なる妹の頼みを無碍に断れるほど冷血にもなれなかった。
 は、と思わず嘲りにも似た苦笑を漏らした。
 親愛なる妹だって?
 その親愛なる妹から逃げ惑ってより寂しい思いをさせたのは、誰なんだっつう話だよ。
「にいさん?」
 不安げな声。
 俺を見上げてくる花音の瞳が、怯えに揺れている。
 うっすらと、涙の膜が張っているようにも見えた。
 クソ、と心中で自分を殴りつけた。
 妹を守るって改めて誓ったばかりなのに、既にこのザマだ。なんて情けないんだろう。
 自分の理性が信じられないからとか何とかぐちぐち理由を付けて、結局また守るべき存在から逃げているだけ。
 改めて誓ったところで、俺は何にも変わっていない。
 花音の頭に、ポンと手を置いた。ふぁ、と花音が鳴いた。 
 妹の背は、女では高い方だろうがそれでも俺の肩くらいだ。
 こんなにも小さかったっけ、と声に出さず呟いた。
 思い返してみれば、俺は今まで花音から何か頼られたような記憶はなかった。
 俺なんかの手助けがなくても花音は何でもやり遂げたし、寧ろ俺よりもあらゆることを上手くこなしていた。
 こんな小さい体で、今までずっと一人で頑張ってきたんだ。
 たまに頼られた時くらい、妹のために行動せずに何が兄か。
 一緒に寝る?良いじゃないかそのくらい。
 寧ろ、凡庸な俺が、俊才の妹に出来ることなんてそれくらいしかないじゃないか。
「ここじゃ狭いから、一階の座敷にでも布団を敷いて寝るか」
「あ……はい!」
 花音が嬉しそうに頷いた。
 それを見て、良かった、と心の中で頷く。
 まだ躰の昂揚はおさまらない。どころか段々と増していっている気さえする。
 それでも、この笑顔は間違いなく俺が浮かべさせたもので。
 久しぶりに、花音の兄として妹に何かしてやる事が出来たのだ。
 あとは、俺が何とか我慢すればいいだけの話。
 出来るだろ?と自分に言い聞かせる。
「それじゃあ、私、布団を敷いてきますね」
「あ、ああ、俺も手伝おうか?」
「いえ、兄さんは疲れてらっしゃるようですし、それには及びません。少しだけ、待っていてくださいね」
 そう言って花音は、これまた珍しく廊下を駆けていく。
 と言っても相変わらず着物姿なので、あくまで静々とではあるが。
 その後姿を眺めながら、はあ、とため息。
 大丈夫、大丈夫と念を唱えるように呟きながら、体の熱が冷めてくれることを期待して部屋の窓を開け、夜気に当たる。
 冬ほどは冷たくない、けれどひんやりとした空気。
 大きく息を吸って、吐きだす。
 深呼吸を何度か続けていると、階下から花音のはしゃいだような呼ぶ声。
 普段は大声をあげないようなやつなのに、本当に今日の花音は何処か少しおかしい。
 それが、果していい意味でなのか、悪い意味でなのかは判別がつかなかった。
 窓を閉める。涼やかな風は体の火照りをある程度は冷ましてくれはしたが、それでもまだ根深く欲情は残っている。


310 弓張月4 ◆1zfTn.eh/1Y3 sage 2010/01/13(水) 00:07:39 ID:CS1LInRj
「ったく、今日は眠れないかもな……」
 意識して軽い口調で呟きながら、部屋を出る。
 勝負の時を引き延ばすように、ゆっくりと階段を下りて、花音の待つ座敷へ。
 襖をあけると、既に布団に入った花音が半身を起こしこちらに笑みかけてきた。
 布団、くっついてるよ……。
 頭を抱えたくなるのを、何とか耐えた。今日の花音の様子を見ていれば、ある程度予想はできていた。
 花音の隣、ぴったりとくっつけられた布団に入る。
 ひんやりとした布団が妙に心地よい。
 布団から一度出た花音が、電気を消す。
 ぱちり、と乾いた音を立てて、忽ち薄闇に覆われた。
「兄さん」
 無言で花音の方に顔を向けた。
 暗闇に慣れていない目では、花音がどんな表情をしているのかまでは定かではない。
「おやすみなさい」
 そう言って、花音も体を横たえた。
「ああ、おやすみ」
 応える俺の声は、果して裏返っていなかっただろうか。
 何かを期待するように、座敷に入ってからより強くなった鼓動に気付かないふりをして、目をぎゅっと瞑った。
 布団の中、手を組んで神様に祈りながら、夜明けを只待ち続ける。

† † † † †

 断られる事はないと思ってはいたけれど、予想よりも兄さんが簡単に同衾を承諾した事に少し拍子抜けしたような気持ち。
 兄さんの心の中には、未だに、そう、布団に二人潜り既に30分たった今でも葛藤が続いているのだろう。
 兄さんの中にある快楽を求める気持ちと、妹を思う兄の気持ちが戦っているのだろう。
 不甲斐ない、と思う人もいるかもしれない。
 性欲くらい兄としての気持ちで軽々と粉砕するべきじゃないか、性欲に負けよりにも寄って近親相姦に走るなんて兄として、
 否、人として失格だと兄さんを責める人も中に入るかもしれない。
 けれど侮ってはいけない。
 性欲は、人間の三大欲求の一つ。
 誰だって、睡眠なくして生きる事は出来ない。何も食べずに生きる事は出来ない。
 それに、近親相姦のもたらす途方もない快感を、知らないからこそそんな事が言えるのだ。
 勿論、近親相姦が必ずそんな凶悪な悦楽をもたらすものだとは、私だって思っていない。
 きっと、私と兄さんは天文学的な確率なまでに躰の相性があっていたのだろう。
 初めてだった私が、あんなにまで快楽に悶えたのだから、間違いない。
 あの快感を反芻して、はふ、と色づいたと息が漏れた。
 びくり、と隣で兄さんの体が震えた。
 そんな兄さんを見て可愛い、と思う。きっと兄さんに言ったら猛烈に否定するんだろうけれど。
 ふふ、と布団を口元まで引き上げて頬の緩みを隠した。
「にいさん?」
 笑みが消えたのを見計らって、口を布団から出して呼びかける。
 数秒の間をおいて、観念したように、
「どうした?」
「明日からも一緒に寝てくれますか?」
「ごほっ、ごほっ!はぁ?花音、お前一体唐突に何言いだすんだ……」
 兄さんがこちらを向いた。
 薄闇でも、分かるくらい兄さんの顔は赤く染まり、うろたえているのが手に取るように分かった。


311 弓張月4 ◆1zfTn.eh/1Y3 sage 2010/01/13(水) 00:09:04 ID:CS1LInRj
「だって、私、一人じゃ寂しいです」
 意識して、声を小さく悲哀をこめてぼそぼそと。
 うっと、兄さんが声を詰まらせたように呻いた。
 がしがし、と頭をかく音。
 兄さんの心の中で一体どんな、攻防が繰り広げられているのか、少し覗いてみたい、と思った。
「今まで、ずっと寝るときは別々だっただろ」
「はい、でも……でも、兄さんの優しさに触れてしまいましたから」
「え……?」
 兄さんの布団の中に手を忍び込ませて、兄さんの手を探し当て、優しく握った。
 びくっと兄さんの体が跳ねた。
 私の手を振りほどいて逃げようとした手を、抑えこむ。
 力ならば私よりも兄さんの方が強いけれど、力ではない部分で振りほどこうとする兄さんの力を抑えた。
「私、弱くなってしまいました……」
 兄さんのせいですよ、と囁く。
 花音、と兄さんの掠れるような声。はい?と応える。
「お前、一体どうしたんだ?」
「どうした、とは?」
「最近、否、なんか、お前変だぞ……?」
 言葉を探すように、兄さんが声を絞り出した。
 最近を否定したのはきっと、あの日の事も含まれているのだろう。
「兄さんは、私を誤解しています」
「誤解?」
 兄さんが、鸚鵡返しに呟いた。
「私は兄さんが思うような人間ではないです。自分本位で、ちっぽけで、弱くて、弱くて……」
 拙い言葉を吐露しながら、兄さんの手を強く握った。
 兄さんの掌から伝わる、優しくて、柔らかな温もり。離さないように。離れないように。
「今までは、兄さんに出来るだけ迷惑をかけないように強がって生きてきました。でも、兄さんは頼ってもいいと言ってくれましたから」
 兄さんの呼吸が荒くなってきている。
 無理もない、例え微量とはいえ媚薬を体内に取り込んだまま、欲望の捌け口に相応しい私と触れ合っているのだから。
 良いんですよ。言葉にせずに呟く。
 その欲望のまま私の躰を貪っても、良いんですよ。けれど、言葉にして兄さんに届ける事はしない。
 きっと、今のままでは言葉にしても兄さんは強く抵抗するだろう。それこそ自ら舌を噛み切らんとするかのように強く。
 ごめんなさい。心の中で謝りながら、追い打ちをかける。
 少しだけ兄さんの布団に体を滑りこませる。
 兄さんが逃げようとするけれど、固く繋がった手が邪魔をして、身じろぎをした程度にしかならない。
 兄さん、と呼びかける。怯えたような視線がわたしを射抜く。ズキンと胸が痛んだ。
 ごめんなさい。


312 弓張月4 ◆1zfTn.eh/1Y3 sage 2010/01/13(水) 00:09:30 ID:CS1LInRj
「こんな弱い私は嫌いですか」
「そんな事、ない、さ」
 兄さんならそう言ってくれると思っていた。兄さんは、兄さんが思っている以上に優しい人だから。
「それなら、頼ってもいいですよね?」
「……」
 しばしの間、見つめあう。
 兄さんが迷っているのがありありと分かる。
 ごめんなさい、ごめんなさい。
 やがて、兄さんは諦めたように小さく唸り声をあげて、
「分かった。お前の気がすむまで、一緒に寝てやるよ」
 でも、と兄さんは一際大きな声で続けた。
「でも、それは兄として、だ。その一線を越える事は絶対にできないからな」
 珍しい、と思った。兄さんが自らあの日の事を口にするのは、初めてだった。
 きっと、それは兄さんのどうしても譲れない一線なのだ、そう、今のところは。
「ええ、ええ、分かっています。私たちは、兄妹ですからね」
 頷いて、私の方から手を離した。
 私は見逃さなかった。薄闇の中、兄さんの瞳が寂しげに揺れた事を。
 緩みそうになる頬を、唇を閉じて抑えた。
 ふう、と兄さんが深く息を吐いて私に背を向けた。
「ほら、もう満足しただろ。寝ろ、寝ろ」
「はい、おやすみなさい」
 再びお休みのあいさつ。
 兄さんの背中を暫し見つめて、目を閉じた。
 兄さんには悪い事をしたと思う。兄さんの優しさにかこつけるような真似をした。
 ごめんなさい、兄さん。口の中で懺悔する。
 けれど、これで終わりではない。もう、止まる事は、できない、できないのだ。
 ごめんなさい、ごめんなさい。それでも、愛しているのです。どうしようもないくらいに。

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最終更新:2010年01月23日 19:56
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