弓張月5

355 弓張月5 ◆1zfTn.eh/1Y3 sage 2010/01/18(月) 00:21:36 ID:XMlftmzh
 鳥が鳴いている。
 この鳴き声は、鶯だろうか。風流だね、うん。
 太陽が黄色い。襖は閉まっていて、此処からじゃ見えないけれど。
 つまりは、それだけ疲れきっているという事だ。
「結局、一睡もできなかった……」
 呆然とつぶやく。
 隣に目をやる。妹が俺の苦労なんてどこ吹く風で、すやすやと心地よさそうに眠っている。
 その無防備な姿を見ていると、何だか悪戯してやりたい気持ちになった。
「ったく、コイツめ。俺の苦労も知らないで……」
 つんつんと頬を突く。マシュマロのようにぷにぷにと柔らかい。吉野先輩の胸と、どちらが柔らかいのだろう。
 ……徹夜のせいか、自分の思考が変な気がする
 うーん、と花音のむずがる声。
 そう言えば、花音の寝顔を見るのなんていつ以来だろう。
 いつもは、凛とした印象を受けさせる、きりりとした目元も閉じられていると普段の綺麗ではなく、可愛く見せるから不思議だ。
 コイツも寝てる時は、年相応の女の子に見えるな。
 はは、と思わず笑みがこぼれた。
 もう一度頬を突いて、はたと気付いた。
 今、俺の中にある気持ちは、間違いなく兄としてだけのもので、花音に対する仄暗い感情ではなかった。
 何だ、俺にでも、兄、できるじゃないか。
 相変わらず、眠気は全く取れないけれど何だか嬉しい気持ち。
「ん、んん、んー」
 さすがに頬を突き過ぎたのか、花音が一際大きな声をあげた。
 唐突に、むくりと体を起こすと、ごしごしと瞼をこする。
 まだ半開きの眼で、辺りをきょろきょろ。あ、涎垂れてる。
 花音が俺を見つけた。じーっと、俺を見つめてくる。
「花音?」
 名前を呼ぶと、花音がにへらと笑った。
 途端、がばっと俺に飛びついてきた。
 柔らかい花音の体がこの上なくくっ付いてくる。
 ドクンと大きく鼓動が跳ねた。
 やばい、と心の奥で誰かが叫んだ。
「にいさんー」
 俺の膝の上に乗り、首に腕をまわした花音が嬉しそうな顔をして見下ろしてきた。
 目が合ったかと思うと、花音が自らの唇を俺の唇に押しつけてきた。
「――む!?」
 余りにも突然で、けれど自然な動作に、俺はされるがままに唇を受け止めた。
 胸の鼓動は最早、無視する事が出来ないほど激しい。
 やっぱり俺は、花音の兄足りえなかった。
 数秒の間をおいて、花音が唇を離した。
 えへーと花音の無邪気な声。
 そんな、普段からは想像もつかない花音の姿に俺の胸に、去来するのは消えたと思った仄暗い感情。
「にいさん、だいすきー」
 甘えるような声。幼いころから人並み外れた才能を持った花音に甘えられたことなんて、もう何年振りだろうか。
 あの頃はまだ、俺たちは幼かったけれど。
 今は、お互い身も心も成長して。いつまでも、子供のままじゃいられない。
 ――それでも、俺は。
 花音は、今まで誰にも頼らず、この小さな体で色々な事に耐えてきた。
 今度は俺が、兄として自分の欲望に耐えるだけ。それだけで俺たちは、辛うじてだが兄妹としてやっていける筈だ。
 深呼吸して、昂ぶる気持ちを抑えた。
「ほら、花音、寝ぼけてないでしゃんとしろ」
 花音の頭を軽く、ぺしぺし叩く
「んにゅー」
 何度か繰り返していると、やがて花音の瞳に理性が宿った。
 ばっちり視線が合う。
「へ……兄さん」
 間の抜けた声で花音が呟いた。
 全く、昨日から花音の知らないところを発見してばかりだな、と苦笑しながら、
「おはよう」
「おはよう、ございます……」


356 弓張月5 ◆1zfTn.eh/1Y3 sage 2010/01/18(月) 00:22:26 ID:XMlftmzh
 花音が周囲を見回す。右見て、左見て、上を見て、下を見て。
 そして再び俺を見て、さーっと顔を青ざめさせた。
 どうやら、現状把握出来たようだ。
「えーっと、悪いんだが、そろそろ降りてくれないか?」
「い……」
「い?」
「いやーーーーー!!」
 花音の叫び声。
 さっと、耳に指で線をしたが、少々間に合わず、キーンと耳鳴りがする。
 全く、昨日から花音の珍しい所ばかり云々。
 ごめんなさい、ごめんなさいとぺこぺこ頭を下げながら、花音が脱兎のごとく部屋から逃げていった。
 その後姿を見送って、安堵する。
 よかった、正気に戻った花音が、慌てて出ていてくれて。
 寝ぼけた花音の過剰な接触に、俺のアソコは朝勃ちとは違う理由でテントを張っていた。
「馬鹿野郎が……」
 俺の捨て台詞は、どうしてだろう、やけに寒々しかった。

† † † † †

 朝のひと騒動から、三十分ほど。
 自分と花音の分の布団を直して、自分の部屋で制服に着替えリビングに出ると、既に着替えた花音がエプロンをしてキッチンに立っていた。
 俺に気付いた花音が、
「おはようございます……」
 と気まずそうな顔をした。
 ああ、おはよう、と俺も気まずい気持ちで本日2度目の朝の挨拶。
「丁度良かったです。朝御飯が、出来ましたよ」
「お、おお、そうか」
 言われて、キッチンそばのダイニングへ向かうと、テーブルの上には味噌汁と焼き魚に卵焼きと白いご飯。
 何とも花音らしいといえばその通りな、いつも通りの我が家の朝食。
 妙に懐かしく感じるが、花音の朝ごはんを最後に食べてから、まだ3日しかたっていない。
 それだけ、恋しかったとでも言うのだろうか。
 馬鹿馬鹿しい、と鼻で笑う。
 確かに花音の料理は美味いのは認める。
 こんな料理、都にだって作れない。けれど、嬉しさで言えば昨日の都の朝ごはんの方が上だ。
 少なくとも昨日の朝は、間違いなくそう思った。
 そう、自分に言い聞かせて、テーブルの前に座る。
 頂きます、と小さく手を合わせてもそもそとご飯を箸で口に運んだ。
 じっと花音のこちらを窺う視線。
「どうした?寝ぐせでもついてるか?」
「いえ……あの、先ほどはすみませんでした」
「先ほど?ああ、あの事か。知らなかったよ、お前朝弱いんだな」
 花音のあんな無防備な姿、今まで見たことなかった。
 思い返してみれば、今まで、朝俺が起きた時にはいつも花音は既に起きていた。
 俺は、普段は朝に弱くていつもギリギリまで寝ているから。
「いえ、朝に弱いというわけではなくてですね。ただ、ちょっと意識が確りするまでの間、私が私じゃないというか……」
 ちゃんと、目を覚ましたら普通なんですよ!と花音。
「だから、それを朝に弱いって言うんだろ」
「あうう……不覚です」
 さすがの完璧超人の花音にも、どうやら弱点はあったようだ。
 それからは、居心地の悪そうな花音と二言、三言会話を交わしながら朝食を終え、お互い学校へ行く準備を済ませた。
「まだ、時間にはたっぷり余裕がありますが……どうしますか?」
「そうだな……」


357 弓張月5 ◆1zfTn.eh/1Y3 sage 2010/01/18(月) 00:23:46 ID:XMlftmzh
 花音手製の弁当のはいった弁当箱を受け取りながら、考える。
 正直、さっきから眠気がピークだった。
 家で少し寝てもいいが、学校の方が落ち着ける気がした。
 ……昨日まで、学校にも安住の地はないとか思っていたくせにゲンキンなやつだ、と我ながら思う。
「いいや、今日は早目に学校に行くか」
「はい、分かりました」
 花音は特に何も言わず、頷いた。
 鞄を持って俺が家を出ると、当たり前のように花音もついてきた。
 俺もそれに何も言及することなく、二人で学校までの道のりを歩く。
 いくら、スタートとゴールが一緒とはいえ、年頃の兄妹が二人で揃ってご登校、なんてあんまりないんじゃなかろうか。
 つくづく、自分たち兄弟が普通じゃない事を実感する。
 まあ、今更何言ってるんだって感じではあるが。
「あらあら、二人とも今日は早いんですねー?」
 後ろからかけられた、どこか間延びした声。
 振り返ると、吉野先輩が立っていた。
「ああ、おはようございます」
「おはようございます」
 俺はかるく、花音が深く頭を下げると、
「もー」
 何故か、吉野先輩が鳴いた。
 頭の両側に、人差し指を一本立てた両こぶしをくっ付けた何処かで見たようなポーズ。
 吉野先輩の余りに唐突で奇怪な行為に、花音が、首をかしげている。
「そのポーズ……」
 あ、花音、突っ込んじゃダメだろ。面倒だから。
「はい、牛さんです、もー」
 吉野先輩が、音符を飛ばす。
 思いだした。そう言えば、昨日の放課後も、そんなポーズしてた気がする。
「それ、マイブームなんスか……」
「はい、そろそろ私も持ちギャグ欲しいなと思いまして」
「何に使うんですか、何に」
「えー、分からないんですか飛鳥ちゃん」
 吉野先輩が呆れたような顔をする。
 どうでもいいから、さっさとその両手は下ろしてほしい。イライラするから。
「分かんないですね。……花音は分かるか?」
「私ですか?ええと、今そういうモノが流行しているとか?」
「流行って、持ちギャグがか?」
 有りえねーな、と一笑に付す。
 そんなモノが流行るようになったら、世も末だと思うのだ。
 世界では、今も絶えぬ争いに苦しんでいる人もいるというのに。
「もう、兄妹揃って駄目駄目ですね。特に花音ちゃん!その秀才の頭はお飾りですか!」
「すみません……けれど、佐里先輩も秀才と呼ばれているじゃありませんか」
 そう言えば、花音は吉野先輩を佐里先輩と呼んでいる。
 理由は知らないが、何か特別な理由でもあるのだろうか。
 まあ、大方花音は天ノ井の親戚一同をよく思っていないようだから、それ関連なのだろうとあたりはつけている。
「まあ、私は伊達に飛鳥ちゃんと、花音ちゃんのお姉ちゃんをやっているわけじゃないですからね」
 えへんと、その豊満な胸を張る。
 どこぞのマンガやアニメみたいに、ぷるんと胸が揺れる事はない。残念だ。
 そうなのだ、この先輩、凄く阿呆っぽそうに見えて、というか、阿呆にしか見えないのだけど、花音に負けず劣らずの才媛なのだ。
 しかも、俺たちが通う伊高の生徒会長なんてものもやっている。
 しかし、普段の言動からかとてもそうは思えない。


358 弓張月5 ◆1zfTn.eh/1Y3 sage 2010/01/18(月) 00:25:09 ID:XMlftmzh
 まあ、花音とはベクトルの違う天才ということだろうか。
 ……俺の縁の深い知り合いの中では、都が一番馬鹿ってことか。
 今はまだ寝ているのであろう、愛する恋人へ黙祷を捧げる。
 凡人は凡人同士、仲睦まじくやっていこうな。
「それで、何で持ちギャグが欲しいと思ったかというとですねー」
 あ、その話、まだ続けるんですか?
 思うけれど、口には出さない。
 過去の経験から言って、怒らせると一番怖いのは都でも、花音でもなく、この先輩だと思うのだ。
 吉野先輩は俺の思考を読める筈もなく、
「それは、生徒会会議のためなのです!」
 びしっと、人差し指を何故か俺に向けてさしてきた。
 理由は聞かない。どうせ気分や、やってみたかった、程度の理由だろうから。
 指をさされ、面倒くさそうな顔をしている俺の代わりに花音が、
「会議にですか?」
「そう、ウチの生徒会メンバーはみんな真面目ちゃんばっかりで、会議がすっごく退屈なんです。それで私が生徒会長として盛り上げなければと思いましてー」
 うわ、すっげえくだらない理由。
 この程度のオチのためにこんなに時間使ったのか、この先輩。
「それは何というか、他の生徒会メンバーの反応が目に浮かぶようですね」
 きっと、凄いスベったんだろうなあ。
 その時、生徒会室は氷点下を記録したんじゃなかろうか。死人が出てなければいいけど。
「ええ、皆笑ってくれていましたよー」
「それは、それは」
 何と云うか、生徒会メンバーも苦労してるんだなあ。
 全校生徒は、こんな生徒会長を選挙で選んだ事を彼らに謝るべきだと思う。
 ちなみに、俺は吉野先輩の対抗馬に投票した。
 ……あとで、吉野先輩にしつこく誰に投票したか聞かれて、プライバシーもお構いなく喋らされて、ミノタウロスモードの片鱗を垣間見た。
 その時は、帰りに近くの商店街に唯一ある小洒落たケーキショップで滅茶苦茶奢らされて事なきを得た。
 先輩の方が、小遣いは一杯持ってるくせに理不尽だ。
「中には、鼻血を出して倒れちゃった子達もいたんですよー」
「……それ、全員、男でしたか?」
「ええ、よくわかりますね、飛鳥ちゃん」
「まあ、彼らの気持ちも分からないでもないですから」
 きっと彼らの頭の中では、吉野先輩の服が、布面積の異常に少ないビキニにでも脳内変換されたのだろう。
 前言撤回、彼らは彼らで楽しくやっているようだ。
 そんな取り留めもない話をしていると、校舎が見えてきた。
「それで二人とも、今日はどうしてこんなに早いんですか?」
 と、思い出したように吉野先輩が首を傾げた。
 俺と花音は顔を見合わせて、
「今日は朝早く目が覚めたので……それに天気もいいですしねー」
 俺が取り繕うように答えると、
「天気……?」
 吉野先輩が空を見上げて、クエスチョンマーク。
 それもそのはず、空には雲が多いせいで春の暁光も弱弱しく、お世辞にもいい天気とは言えない。
 それでも、徹夜の俺には陽の光で灰になってしまいそうな気分なのだが。
「そんな気分ってことで、今日は勘弁してください……」
 徹夜の事を思い出すと、更に眠気がどっと押し寄せてきた。
 吉野先輩は、大変なんですねー、と妙に訳知り顔で頷いている。
 テンションが急に低くなった俺に見切りをつけて、吉野先輩は花音に対して構ってオーラをふりまき始めた。
「ねぇ、ねぇ、花音ちゃん」
「はい?」
 花音は、いい子だから嫌な顔一つせず吉野先輩に応える。
 二人の会話をBGM感覚で聞き流しながら、校門をくぐった。
 背後の二人の会話は、二人とも良いとこのお嬢さんであるせいか、敬語で話していて何だか此処だけ異世界な感じ。
 まあ、吉野先輩の敬語は少し崩れている気がしないでもないけど。
 下駄箱で靴を履き替えて、階段の前で、一階に教室のある花音と別れて、二階で吉野先輩とも別れた。
 まだ1~2人しかクラスメートが居ない自分の教室に入ると、挨拶もそこそこに自分の席に直行。
 机の上に腕枕を作って、一番寝やすいポジションを探す。
 ……よし、こんなもんだろう。それではおやすみなさい。
 そこで、俺の意識は途切れる。


359 弓張月5 ◆1zfTn.eh/1Y3 sage 2010/01/18(月) 00:26:19 ID:XMlftmzh
† † † † †

 教室に入ると、自分の席の後ろ、私の恋人である飛鳥が爆睡していた。
 真木君の家に泊まった時は、いつも遅刻ギリギリなので今日は家に帰ったのだろう。
 何故か飛鳥は、家に帰りたがらない人間だった。
 それは私たちが出会った頃からそうで、理由を聞いてもはぐらかして教えてくれなかった。
 自分の席に座り、飛鳥の髪をいじる。男の癖にすっごくさらさらな髪。
 きっと、寝起きに爆発して必死に髪を梳く私の気持ちなんて分からないんだろう。
 ちょっと、むっとして手に力が入ってしまう。うーんと飛鳥がうなった。
 飛鳥の髪はさらさらだけど、妹の花音ちゃんの髪は飛鳥のそれ以上にさらさらだった。
 一度触らせてもらった時は、あまりの手触りのよさに食べてしまいたくなった。
 あれは、そう、まるで極上の絹糸のような手触り……極上の絹糸なんて触ったことないけれど。
 まったく、あんな長い髪をしておいて、何で髪の毛が痛まないんだろう。
 漆黒のカラスの濡れ羽の様な艶やかな花音ちゃんの髪は、私の憧れだった。
 ――ったく、羨ましい兄妹め。
 心の中で、二人に向かってあっかんべー。
 当の本人の一人である、飛鳥は以前すやすやと爆睡中だ。
 何というか、ZZZなんて漫画のような効果音が聞こえそうなくらい。
 飛鳥は、お世辞にも真面目とは言えない生徒で居眠りは珍しくないのだけど、ここまで爆睡してるのは珍しい。
 一昨日の夜の睡眠時間が短かった、昨日でさえもここまでではなかった。
 ……昨日何かあったんだろうか?
「まさかね」
 一瞬浮かんだ考えを、自ら一笑に付す。
 それこそまさかだ。
 まだ真木君は登校してきていないことからも、飛鳥が真木君の家には泊まっていない事は分かる。
 また、飛鳥は友達が多い方じゃなく、それこそ一晩泊めてくれるような知り合いは、私と真木君。
 幼馴染だと言っていた吉野先輩は……あんなお嬢様の家に泊めてください何て幾ら幼馴染でも無理があるだろう。
 天ノ井家の飛鳥もお坊ちゃんなんだろうけれど、まあ、所謂没落貴族のようなものであるという事はこの町全体の共通認識だ。
 この町はそれなりに田舎だから、何かあった場合の噂の広がりといったらそれはもう、恐ろしい。
 それこそ、天ノ井家なんてこの町随一の歴史と、富と名声を持った家に関わる噂ならそれこそあっという間に町の隅に渡るまで広がってしまう。
 かく言う私も、飛鳥に初めに興味を持った理由が、その噂なのだけれど。
 ――天ノ井家は既に失墜し、今や分家の吉野家にその実権を握られている。
 この噂は、既に噂の領域を超えた信憑性を持った、実話と言っても過言ではないだろう。
 実際、天ノ井家が今まで支配していた、規模はそこまで大きくはないがコンツェルンと呼べるであろうグループの頂点には、
 現在、吉野家の当主が立っていて、TV等でもたまに見かける。
 そんな、今やこの町一番の金持ちの座を奪った吉野家の娘である、吉野佐里先輩の家に泊めてもらう何て勇気は飛鳥にはないだろう。
 となると、やっぱり飛鳥は昨夜、自分の家に帰った事になる。
 飛鳥の両親はもう亡くなっていて、家には飛鳥と花音ちゃんの二人きりだという事を聞いた事があった。
 昨夜眠れないような何かがあったとすれば、それは。
「だから、ありえないってば」
 飛鳥と花音ちゃん。二人は、兄妹で、その関係は近くて遠い。
 私にお兄ちゃんや、弟は居ないけど、他の女友達の話によれば中には2~3日会話しない日が続く事さえ、ままあるということだ。
「喧嘩しちゃったのかな……」
 けれど、飛鳥が喧嘩くらいで眠れなくなるほど悩むなんて考えられないし。
 まあ、TVやら何やらで夜更かししたんだろうと、あたりをつける。
「一人でブツブツ喋って、さっきから変だよ、峰松さん……何かあった?」
 その時ちょうど、真木君が登校してきて私を怪訝な目で眺めていた。
「ううん、別になんでもないよ」
 あはは、と愛想笑い。
 確かにさっきまでの自分は、傍から見れば挙動不審な変な人に他ならなかった。
「え、え~と、そういえば、告白したんでしょ、飛鳥に」


360 弓張月5 ◆1zfTn.eh/1Y3 sage 2010/01/18(月) 00:27:28 ID:XMlftmzh
 私の露骨な話題反らしに、真木君は特に気にした風もなく照れくさそうな顔をして、
「え、まさか、俺が花音ちゃんが好きなの気付いてた?」
「っていうか、あれで隠してたのって感じなんだけど……」
 花音ちゃんを前にした真木君は、なんというか純朴少年みたいに顔を真っ赤にしてやることなす事が空回ってばかりなのだ。
「それにしても、好きな子に告白する前に、その子の家族に打ち明けるなんて大胆だね」
「はは、俺も昨日天ノ井に言った後気付いて、一晩中後悔と遅まきながらの羞恥に襲われたよ」
「それは、それは」
 そんな会話をしていると、担任教師がだるそうな顔をして、教室に入ってきた。
 相変わらず飛鳥は眠ったまま、いつもと同じ、今日が始まる。

† † † † †

 飛鳥がそれから目を覚ましたのは、昼休みがちょうど始まり、教室がにぎやかになり始めた時刻だった。
 朝から同じ格好で机に抱きついていた飛鳥は、がばりと体を起こすと、
「腹減った……」
 と呟いた。
 とりあえず、一発頭を叩いておく。
 こっちは、朝からずっと真面目に授業を受けていたのに、と何となくムカついた。
「って、いきなり何すんだよ、都」
「ちょっとムカついたから」
「は?」
「それよりも、お昼ごはん!今日は花音ちゃんのお弁当なんでしょ?」
「あ、ああ、そうだけど……」
 それならさ、と私はにやりと笑う。
「それなら、今日は花音ちゃんも呼んで屋上か中庭かどっかで一緒に食べようよっ」
 私の突然と言えば突然な提案に、はあ?と飛鳥。
 寝起きのせいか、ちょっと機嫌がよろしくないようだ。
「何で、学校でまで妹と一緒に飯食わなきゃならないんだよ」
 恥ずいだろ、と飛鳥は続けた。
 飛鳥は余り目立つ事を嫌い、周囲から浮くような行為を取らないように心掛けている節があった。
 確かこのクラスで初めてのHRでの自己紹介の時に、小市民を目指しています、とか何とか言っていた気がする。
 今現在の所、残念ながら上手くいっていないようだけど。
「飛鳥は真木君の恋を応援してあげないのん?」
「は?さっきからお前何が言いたいのか、さっぱり分かんないんだけど……っていうか、お前真木が花音のこと好きなの知ってたのか」
 だったら言えよ、と飛鳥が非難がましい目で見てくる。
 恐らく昨日、色々と面倒くさい目にあったのだろう。
「というか、あれだけ分かりやすい真木君の態度見てて気づかない方がどうかしてると思う」
「む、それは何か。俺が鈍いとでも言いたいのか?」
「うん」
「うおー、即答されるとイライラが倍、更に倍!」
 飛鳥が頭を抱える素振りをした。
 途端教室の注目を幾許か集めてしまう。
 普段の飛鳥なら、絶対にやらないような行為。
「何か、今日テンション高いねー。授業中はずっと寝てたし、徹夜明け?」
 聞くと、飛鳥はぎくりと体を震わせた。
 そんなことないぞ、と何故か抑揚のない声。
 ……分かりやすすぎ!と心の中で軽くつっこんで、
「ね、それより早く花音ちゃんを呼んで御飯食べようよ。真木君も、それでいいよね?」
 さっきから少し離れたところで様子を窺うように立っていた真木君の方を向くと、
「お、おう!もちろん……」
 と既に緊張気味。
「お前、気持ち悪いぞ。男が顔真っ赤にしてもじもじしてる所なんて需要ないぞ」
 とあきれ顔で首を振る飛鳥。
 そして、仕方ないなと呟いて、携帯電話を取り出してメールを打ち始めた。


361 弓張月5 ◆1zfTn.eh/1Y3 sage 2010/01/18(月) 00:29:01 ID:XMlftmzh
「あれ、花音ちゃんってケータイ持ってたの?」
「ん、ああ。知らなかったのか?」
「まあ、私花音ちゃんと特別仲がいいってわけでもないし……イメージではそういう文明の利器とか使わないって感じだし」
「文明の利器って……お前な、花音にどんなイメージ持ってるんだ」
「だって、だって、時々着物のままで買い物しているところ見かけるんだもん!そんな女子高生、花音ちゃん以外に私見たことないよぅ」
 着物なんて私は、今まで七五三の時くらいしか着たことないんじゃなかろうか。
 浴衣なら、祭りの時に何度か着た事があるけれど、着付けが面倒だし、着くずれはウザいし、歩きにくいしで正直日常的に着ている人の気がしれない。
 飛鳥も、まあそれはな、と頷いている。
「何度か洋服の方がよくないかとか両親が生きていた頃から言ってたんだけどな……なんとなく着物の方が落ち着くらしい」
「ごめん、その気持ち私には全然分かんないよぅ……」
「俺もだ」
 私と飛鳥は二人して、うんうん頷きあう。
 すると、
「馬鹿!お前ら、花音ちゃんの着物姿の神々しさも分からないなんて!本当に人間なのか!」
 と真木君が私たちの会話に割り込んできた。
 ウザいって、と飛鳥は真木君の主張を一蹴して、
「あーこいつ花音の事になると、いつもこんなんだったっけ?」
「うん、だから飛鳥はニブチンさんなんだよ」
 あと、花音ちゃんもね、と付け加える。
 普通なら真木君の態度に自分に向けられた行為を感じ取ってもよいものだろうが、花音ちゃんからはそんな感じは受けなかった。
「これで気付かないとか俺たち兄妹はどんだけ鈍いんだよ……」
 飛鳥は地味にショックを受けながら、携帯電話をしまった。
 そして鞄から青い巾着を取り出す。中には花音ちゃん手製の弁当箱が入っているのだろう。
「そっか、今日は花音ちゃん特製弁当の日か」
 真木君がうらやましそうな眼をして言った。
 飛鳥が、やらないぞ、と釘をさして立ち上がる。
「花音はわかりましたってさ。屋上に向かいますって言ってたけど……場所、屋上でよかったよな?」
「え、うん、オーケーオーケー。じゃ、早速、私たちも向かいますか」
 私も自分の弁当箱を取り出す。自分で作ったのではなくて、私の母手作りの弁当。
 真木君も、自分の鞄からパンの入った袋を取り出した。
 真木君は一人暮らしで、昼はいつもパン食だ。
 一人暮らしの理由は、直接聞いた事はないが、まあ、高校生で一人暮らしを始めるのはそこまで珍しい事でもないだろう。
 今はもう少なくなっただろうけれど、中学を卒業して、高校にいかずに働き始める人だっているのだから。

† † † † †

 屋上に行くと、既に花音ちゃんが手持無沙汰そうに立っていた。
 私たちに気付くと、薄く笑みを浮かべて、ぺこりとお辞儀。
 その動作は洗練されていて、何だか何処かのお姫様か、やんごとない血筋の人みたいな印象を受けた。
 ……まったく、何から何まで“普通”の女子高生の枠を飛び越えた子だねぇ。
「峰松先輩、真木先輩、こんにちは。今日はお招きありがとうございます」
「こんにちわわー」
「こんにちは、花音ちゃん、今日はいい天気だね」
 真木君は、やっぱり緊張している。
 今日は結構曇ってるよ、空見て空。
「そうですね、このくらいが過ごしやすくて良いですね」
 間違いを指摘するでもなく、さらりと受け流す花音ちゃん。
 うう、やっぱり花音ちゃんはいい子だなー。
 何処かピントのずれた会話をしている、真木君と花音ちゃんを見て飛鳥が呆れたような溜息をついて、給水塔の下からレジャーシートを引っ張りだした。
「なにそれ?」
「俺の昼寝用」
「うわー。いつも時々授業サボってどこ行ってるのかな、と思ってたけどそんなんまで用意してたんだー。このヤンキーめ」
「この程度で、ヤンキーって……それなら、昼間からゲームセンターに入り浸ったり、コンビニ前でうんこ座りしてたりする輩はチンピラか何かか」
 そう言いながら飛鳥は、結構大きめのレジャーシートを広げて自分だけ座って、さっさと弁当箱を巾着袋から取り出して、そのまま、弁当箱を開けて、食べはじめた。
 どうでもいいけど、飛鳥の抱いてる不良のイメージは古すぎると思う。
「ちょ、何でもう食べてるの!」
「は?だっへ、もう腹減っへるひ」
 もぐもぐさせながら、飛鳥はきょとんとした顔。


362 弓張月5 ◆1zfTn.eh/1Y3 sage 2010/01/18(月) 00:30:32 ID:XMlftmzh
「もーこう言うのは皆でいただきますしてからでしょー!?ほら、真木君と花音ちゃんも二人で和んでないで早くご飯食べよう?飛鳥が一人で食べ始めちゃったよ」
「お、おう」
「もう、兄さんったら、御行儀が悪いですよ」
 私たち3人も飛鳥の用意したレジャーシートに飛鳥を気中に時計回りで、私、真木君、花音ちゃんの順に座って弁当箱を各々広げた。
 真木君だけは、パン袋だけれど。
 花音ちゃんと飛鳥の弁当の中身は全く同じで、やっぱり花音ちゃん手製のモノなんだな、と改めて実感。
 飛鳥はとてもおいしそうに食べていて、昨日私が作った弁当はそんな風に食べてくれなかったのに、と少しムッとした。
 とにかく飛鳥は食べるのに夢中で、真木君は話題を振ることなくパンをちびちび食べながら、時折花音ちゃんに話題を振ろうとして断念しているし、
 花音ちゃんは静かに行儀よく弁当を口に運んでいる。
 4人の間に沈黙がずっしりと圧し掛かっていて、しかしそんな風に感じているのは私と真木君くらいだった。
 この兄妹は、何てニブチンなんだと改めて思い知らされる。
「あー、そうだ花音ちゃんってケータイ持ってたんだっけ」
「?……はい、持っていますが」
 何とかあたりさわりのない話題を、と考えて花音ちゃんに尋ねると、ちゃんと口の中のモノを咀嚼、飲み込んで答えてくれた。
「え、えーとさ、じゃあ、ケータイの番号とアドレス交換しない?もちろん、真木君も」
「え、お、俺も!?」
 突然の事に驚いたのか、真木君が泡を食ったような顔をした。
 当然でしょ、と真木君にだけ聞こえるよう小さくつぶやく。
 花音ちゃんは、きょとんとした顔をして私の言葉を咀嚼、そして凛とした大きな瞳でじっと私の目を見つめてきた。
 上質の黒曜石をはめ込んだような瞳に見つめられて、私の方が年上なのに気圧されてしまう。
 ……何か、怒らせちゃったかな?
 良く分からないけれど、とにかく謝ろうと口を開こうとしたところで、
「分かりました」
 そう言って花音ちゃんが、携帯電話をとりだした。
 固まってしまっている私たちを怪訝そうに、どうかなさいましたか?と小首を傾げている。
「あ、ああ、そうだね。じゃあ赤外線で送ってもらえるかな?」
 見たところ花音ちゃんの携帯電話はそんなに古いモノじゃないし今時赤外線機能の付いていない携帯電話なんてそうは存在しないだろう。
 けれど、やっぱりイメージとしてこういうものに疎そうな感がしたので、私が代わりにやろうか?と携帯電話をいじり始めた花音ちゃんに申し出ると、
「いいえ、大丈夫です。赤外線機能の使い方くらいなら分かりますから」
 と、携帯電話を差し出してきた。
 見ると、画面は確かに赤外線機能に切り替わっている。
 私も慌てて赤外線機能を呼びだし、花音ちゃんの携帯電話に近付けた。
 ピロリロリン、と間抜けな音を出して私と花音ちゃんのデータが交換された。
「ありがとー。ほら、真木君も早く!」
「あ、ああ……良いかな、花音ちゃん?」
「ええ、勿論」
 真木君が慌てたように携帯電話を取り出して、ピロリロリン。
 花音ちゃんの電話番号とアドレスの入った自分の携帯電話を、感極まった表情で眺める真木君。
「よかったな、真木。花音のアドレス知ってる奴なんて、俺と吉野先輩ぐらいしか居なかったぞ」
 もう昼ご飯を食べ終えて満足した飛鳥が、にひひと下品に笑った。
「まあ、花音にメールしても半日位返信来ないこともあるし、あんまり意味ない気もするけどな」
「そんなことありません。今日だってきちんと、迅速に返信したじゃないですか」
 花音ちゃんが不満げな顔をする。
 花音ちゃんは飛鳥に対してだけは、傍目から見ても分かるくらいには表情豊かに接している。
 私と花音ちゃんが初めて会ってから、もう2年目なのだけれど私に対しては余り、というか全く心を開いてくれていない気配があった。
 寧ろ時々――たとえば先ほどにもあったように――嫌われているのではないか、と思ってしまうこともあるくらいだった。
 実際、飛鳥と二人でいるときに花音ちゃんに会った時なんかは、睨むような目で見られたこともあった。
 ――飛鳥は花音ちゃんにとってたった一人の家族なのだから、そのたった一人の家族を盗られた様な気がしているのかな?


363 弓張月5 ◆1zfTn.eh/1Y3 sage 2010/01/18(月) 00:31:26 ID:XMlftmzh
 花音ちゃんは、ぱっと見では分からないけれど、兄である飛鳥の事を凄く大切に思っているように感じる。
 二年間曲がりなりにも飛鳥の恋人として、花音ちゃんと接してきた私が言うのだから間違いはないだろう。
 けれど、私もお兄ちゃんが欲しいと思ったこともあるし、それくらいはおかしい事じゃないだろうと思う。
 寧ろ家族の事を大切に思うという事は、とても素敵な事だと思う。
 とにかく、恋人のたった一人の家族とくらい、いい関係を築きたいと私は思っているのだ。
 ふと、飛鳥の方を見ると、飛鳥の口の周りにご飯粒が付いていた。
 私は、ほぼ反射的に、すっと手を伸ばした。
「もう、兄さん。口の周りに――」
「飛鳥、口の周り、ご飯粒ついてる」
「え、あ、マジで?」 
 飛鳥の口の周りに付いたご飯粒を取って、何とはなしにパクリとそれを口に運んだ。
「ばっ!都、お前、何、恥ずいことやってるんだよ」
 瞬間飛鳥が、かあっと顔を赤くした。
「にゃはは、今更、これくらいで赤くなるなんて飛鳥は初心だねん」
「ったく、お前はもう少し、人の目ってのを意識してだな……」
 いつものように、飛鳥と軽く言い合っていると、ぞくりと寒気。
 その元をたどると、花音ちゃんが表情の抜けおちた顔で私をじっと見つめていた。
 その無機質な視線にあてられて、ひ、と思わず小さく悲鳴が漏れてしまった。
 花音ちゃんは無表情だってけれど、その視線はまるで刀のように鋭く怪しい光を湛えていた。
 もしかしたら、私は何か思い違いをしているのかもしれない。
 重大な、それこそ、命にだって関わりかねない大きな思い違いを。

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最終更新:2010年01月23日 19:59
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