「今日は『ハグの日』、ねぇ」
携帯を片手に寝転ぶ俺は、最近流行り(?)の記念日探しに没頭していた。
今見ているサイトによると、8月9日は「ハグの日」と制定されていて、自分の大切な人をハグして、想いを確かめ合いましょう!という意味合いを持つのだそうだ。
勿論、大切な人というのは恋人や家族だけに限定されず、自分の身近にいる人への感謝を伝えるのが大事だ、と示してある。
「俺にとって大切な人、か……」
ピンッ!とくる人物を脳内で浮かび上がらせると、最初に出てきたのは、不遜なウチの妹様だった。
「よりにもよって、桐乃かよ」
実に不本意である。
ここはラブリーマイエンジェルあやせたんを一番にピックアップし、俺の腕の中で頬を染める可愛らしい姿を堪能するのが得策のはずだ。
何が悲しくて桐乃が最初なのか。
「桐乃への気持ちを、ハグで表現――」
……ねーよ。一応考えてみたけど、絶対に無いねっ!
ここ最近仲が良くなってきて、黒猫とのいざこざの際も世話になったし、感謝の気持ちは持っているけど、ハグはなぁ。
実の妹と抱き合うシーンをイメージしてみると、それはそれは予想以上のインパクトがあったのだった。
「うがーっ!違う、これは違うぞっ!!」
俺は急いで自分の頭に描かれた、背徳的な光景を抹消する。
ど、どうして俺と桐乃が頬を染めて見つめ合っているんだ!?
その桃色イメージは違うだろう、常識的に考えて……。
「ダメだ。少し、頭冷やそうか」
俺は体を起こし、部屋を出る。冷蔵庫に常備してある麦茶でも飲んで、この茹で上がった頭を冷却せねばなるまい。
己の煩悩を振り払いながら、リビングに入る。
するとそこには、先程俺の脳内で大活躍していた桐乃が、ソファーに座り雑誌を読んでいた。
――コイツ、よくここで雑誌読んでるよな。自分の部屋にもクーラーあるんだし、部屋でくつろいでもいいだろうに。
そう思った俺だったが、当然口には出さずその場を素通りする。一方の桐乃はというと、雑誌に夢中なのか、俺が入ってきたことにすら気付いていないようだ。
普段なら特に気にならない光景なのだが、今の俺にはちょっと違っていた。
さっきまで俺は、兄×妹という、不謹慎なカップリングを妄想してしまったというのに、そんな事を桐乃はつゆ知らず、無邪気に雑誌なんぞ読んでいる。
それが無性に悔しくなってきて、何故か突発的に、イタズラをしてみたくなった。
うむ。今の俺の発想は、どう考えても理不尽だよな。それは分かっている。
しかし、一度そう決めたら嫌でも実行するのがこの俺、高坂京介だっ!
俺は忍び足で、桐乃の背後に回る。どうやら桐乃は、まだ俺の存在に気付いていない。
よし!これならいける!
静かに静かに深呼吸をし、心を落ち着かせる。
俺はこれから、
~ハグの日にちなんで、イタズラついでに妹に抱きついちゃう~
という、一歩間違えれば家族会議に発展しかねないミッションを実行する。
しかも相手は、あの桐乃だ。ただで済むとは思っちゃいない。
だけどな、時には兄として、避けては通れない道というものがあるんだよ。
世のお兄ちゃん達なら、今の俺の気持ちをきっと分かってくれるはずだ。
今ここに、兄と妹の微笑ましい1ページをっ!
俺は意を決して、後ろから桐乃を抱きしめる。
「ほ、ほ~らっ!桐乃!お兄ちゃんだぞ~☆」 (ギュ~)
「きゃああああああああああ!!へ、変態っ!」
(ドゴッ!!)
「ウロボロスッ!!」
抱きついたのも束の間、俺は桐乃から繰り出された裏拳を顔面に喰らい、後ろによろめいてしまった。
あ、相変わらずバイオレンスな妹だぜ……。日に日に打撃精度が上がってやがる。
「あ、あ……」
ジンジンと痛みが引かない顔を擦りつつ、朧げな視界で桐乃を見る。するとそこには、耳まで顔を紅くした桐乃がいた。
おお、怒ってる怒ってる。俺を睨みつけるその視線は、不意を突かれたからか、普段より数倍増しで迫力がある。
しかし、その後桐乃の口から出てきた言葉に、俺は耳を疑ったね。
「あ、あ、アンタッ!!ついに、妹に手を出す気になったのねッ!?」
「ふっざけんな~!出さねぇーよっ!!」
ちょっとオチャメなイタズラじゃねぇか!なんで近親相姦上等な展開になるんだよっ!
ってか、それに似たセリフ、以前どっかで聞いたぞ!?
「ハァ!?いきなり抱きついてくる……とか。……そ、それ以外になくないっ!?」
「どう考えても極端じゃねぇか、その理屈っ!俺はお前と、少しでも仲良くなろうとだな」
「ふぇ!?」
……あれ?今の自分の発言を振り返ると、あまり良い言い訳にはなってないな。
俺は「ハグの日」の意味に則って、仲良くしたかっただけだ。けれど今の状況では、手を出す口実っぽく聞こえるよっ!?
全然違うのにっ!
「ば、バカじゃん!!そういうのは、ちゃんと、順序を守ってから……」
「き、桐乃!これを見るんだ!」
桐乃が何かブツブツ言っていたが、俺はそれを遮って、携帯を見せつける。
そこには、さっきまで俺が見ていた記念日サイトが映っていた。
桐乃に「ハグの日」を理解してもらえば、この窮地をきっと覆せるはずだ。
「……ハグの日?」
「そう、今日はハグの日なんだ。普段お世話になってる人に、感謝の意を込めて、ハグをする日、らしいぞ!」
「……ふ~ん。それで」
「そこで俺は、この前世話になった事もあるし、お前に感謝して、だな……」
桐乃がマジマジと俺の顔を見ているせいで、真面目に答えるのがえらく恥ずかしくなってきた。
「ハグを……ゴニョゴニョ……」
不覚にも言い淀んでしまった。面と向かって感謝するのって、こんなに照れくさいものだったとは。
そんな風に俺が口籠っていると、桐乃は状況を把握したらしく、いつものように強気な口調で、
「そういう事なら、あんな風にドッキリっぽくやってもダメじゃん」
そんな正論を俺にぶつけてきた。あぁ、まさにその通りである。
「大体さぁー、普段からアンタが超絶シスコンで超キモいのは丸わかりなんだしぃ、今更不意を突こうとしてもモロバレっていうかー……」
ペラペラ、ペラペラ。
すっかり調子を戻した桐乃は、本当に楽しそうに俺を論破してくる。
くそ~、毎度の事ながらイラッとくるぜ。イキイキし過ぎだろ、お前。
しかし、そんな俺の苛立ちが動揺に変わるまで、時間はかからなかった。
「だからさぁ、……もう一回、しなさいよ///」
「は?」
「だから!アンタの気持ち、ちゃんと受け止めるから!もう一回、ちゃんとやり直しなさいって言ってるのっ!!」
「はぁ~!?」
予想もしていなかった桐乃の要求に驚き、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
やり直し、だと?あれはイタズラとして実行したから意味があったものの、真正面を向いてやるとなると、さすがにキツいぞ。
しかし、どうしてこんな要求が来たのだろう。
「やらないと、……ダメ?」
「ダメ!」
「……絶対に?」
「絶・対・にっ!」
なんとかその場をやり過ごそうと逃げ道を模索するのだが、目の前の桐乃は、頬を染めながら力強い眼差しで俺を見ている。
その表情は普段見せるどの顔とも違っていて、簡単にあしらえるものじゃない。そう思えるくらいに、断固たる決意が滲み出ていた。
「桐乃……」
「……」
元はと言えば、俺がふざけた結果、招いた事態だ。俺が怖気づいてどうする。
それに、桐乃の言う通り、感謝しているなら面と向かって伝えないとダメだよな。
いつか、桐乃が俺に「ありがとう」と伝えてくれた時も、こいつは必死になっていたのかもしれない。
俺達二人はよく言い争うし、相手の本心なんてまるで分らないまま過ごしてる。
だからこそ、ここだ!という時には、ちゃんと素直にならないとダメなんじゃないのか。
少なくとも俺は、そう考えている。
なら、今度は俺の番だよな。
「桐乃……いつも、ありがとな」
「……うん。どういたしまして、京介」
いつもは言えない気持ちを、俺なりの精一杯で伝える。
そうして俺は、できるだけ優しく、桐乃を抱きしめた。
腕の中の桐乃は、最初こわばって小さく震えていたが、やがて安心したのか俺に体を預けるように脱力していった。
……何だろうな、この感覚。
懐かしいようで、でもはっきりとは思い出せない。
そして、妙に心地良い。体と心が、じんわりと温まっていく。
この安心感、充足感を、桐乃も感じてくれているのだろうか?
そう思い、桐乃の表情を窺おうとしたのだが、なんだか野暮な気がしたので止めておいた。
大丈夫、きっとこう思っているだろうよ。
「私の兄貴の腕の中が、こんなに温かいわけがない」ってな。
そうやって、俺達の「ハグの日」は過ぎていったわけだが――
時間を忘れ抱き合っていたらしい俺らは、日も暮れた頃に帰ってきた両親に、その光景を見られてしまった。
お袋は例のごとく、
「京介っ!アンタ、今度こそ妹に手を出したのねっ!」
なんて言ってくるしよ。その場を説明するのが大変だったぜ。
それと、その情景を一歩後ろで見ていた親父が、
阿修羅のような形相で俺を見てい気がするけど、きっと見間違いだよな?
……そうさ、そうに決まってる。
最終更新:2011年08月11日 15:24