613 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/21(水) 09:35:54.56 ID:Bh62OIjY0 [1/10]
 俺の名前は高坂京介。桐乃という3つ下の妹がいる。
 今でこそ普通の兄妹らしくなってきたが,1年半前―桐乃が自分の趣味を打ち明けるまでは,俺たちの関係は本当に酷かった。
 同じ家に住んでいるのに,お互いのことはほとんど知らない。口をきかないどころか,目も合わせない。なんでこんなやつが家族なんだ

ろうって―そんな風に思ったこともあったっけ。
 とまあこんな感じで,当時の俺たちは冷め切っていたんだ。温かみなんて欠片もない,殺伐とした毎日。思い返すと今でも,苦虫を噛み

つぶしたような気持ちになる。

 でも一度だけ……たった一度だけ,こんなことがあったんだ。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 高校に入学して半年ほど経ったころ,俺は車に轢かれた。
 図書館から帰る途中だった俺と麻奈実に,前方不注意の乗用車が突っ込んできたんだ。
 とっさに俺は麻奈実をかばったから,幸いあいつにケガはなかったけど……俺はスパーンと足の骨を折っちまったのさ。
 今にして思えば,足の骨だけで済んだのが奇跡的だったんだが……まぁそれは良いとして。
 俺はそのまま救急車で運ばれて,数週間の入院生活が決まったんだ。


「でもほんとによかったぁ……きょうちゃん死んじゃうかと思った」
「ったく,大げさなんだよお前は」
「だ,だって~」

 涙目で麻奈実が抱きついてくる。
 ミシミシとベッドが軋み,痛みで思わず「おうっ」と声が漏れた。
「こ,こら!痛い!痛いって!」
「ふえっ?ご,ごめん」
 慌てて俺から身を離し,ぺこりと頭を下げる麻奈実。
 俺は息を一つついて,改めて自分の姿を見つめた。
 折れた右足はギブスで固められ,その上から包帯がグルグルと巻かれている。服は簡素な入院着に替えられ,釣り上げられた右足のおか

げで身体の自由がきかない。
 ……まさに絵に描いたようなケガ人だ。
 俺が心の中で苦笑していると,麻奈実が怒ったような口調で言った。

「それにしてもひどいよ,あの運転手!きょうちゃんを轢いてそのまま逃げちゃうなんて!」
「ああ,それなら心配いらねえよ。もう親父が取っ捕まえたから」
「ええっ,京ちゃんのお父さんが!?」
「おう。ついさっき俺の前に引っ張り出してきて,『この卑怯者!今すぐ謝れ!』って,無理やり俺の前で土下座させたんだぜ」
「ほぇぇ……」

 まったくあのときの剣幕たるや……思わず加害者に同情しちまったよ。
 俺が身震いしていると,麻奈実がすっと立ち上がった。

「あ,私そろそろ帰らなきゃ。また来るね,きょうちゃん」
「おう,わりぃな。こんな時間まで付き合わせちまって」
「ううん,これは私のせいでもあるんだから。欲しいものがあったらすぐに言ってね」

 麻奈実はそう言って,病室を後にした。
 またあいつが来てくれるなら,この入院生活も退屈しないで済みそうだ。
 そんなことを考えながら,俺はベッドで癒しの余韻に浸るのだった。


 病室の入り口に人の気配を感じたのは,しばらく経ってからのこと。

「麻奈実か?」

 忘れ物でもしたんだろうか……そう思った俺だったが,その人影は麻奈実じゃなかった。
 ドアの陰からのぞく,ライトブラウンのロングヘア……
 え?あれって……まさか。

「チッ」

 盛大な舌打ちをしてズカズカと病室に入ってきたのは,他でもない俺の妹だった。



 桐乃は部屋に入るや,目の前の椅子にズドンと腰かけた。
 歯がゆそうに舌打ちを連打して,組んだ足をしきりに動かしている。
 ……なんだよこいつ。
 黙ったままの桐乃に痺れを切らして,俺はぼそっとつぶやいた。

「何しに来たんだよ」

 それを聞いた桐乃は何故か目を見開いて――それから吐き捨てるように言った。

「チッ,別に……お母さんがあんたのお見舞いに行けってうるさいから,仕方なく来てやっただけ。
し・か・た・な・く」

 イラッ,イライラッ。こめかみの血管が切れるかと思ったぜ。
 桐乃はそのまま俺を流し見て,ぼそぼそと口を開く。

「派手にぶつかったって聞いたけど,全然大したことないじゃん。チッ,大げさすぎるっての……」

 だぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!
 何なんだよこいつ,わざわざ俺を苛つかせるために来たのか?
 だとしたらよっぽどの性悪女だな!それでも本当に家族なのかよ!
 胸に渦巻くどす黒い感情。その胸クソ悪さのせいで,俺は口を開くこともできなかった。



 それからどのくらい経っただろうか。
 相変わらず,俺たちはむっつり押し黙ったままだった。
 こんなときに限って,病室には誰もいない。まさに兄妹ふたりきりの空間。
 気まずい……というか,息苦しい。とっとと帰ってくんねぇかな……
 俺がそう思い始めたころ,桐乃がおもむろに口を開いた。

「で,結局なんでそうなったワケ?」
「は?」
「地味子が言ってた……『私のせいでもあるんだから』ってどういうこと?なんか関係あんの?」

 ああ,そのことか。

「別に……俺たち二人に車が突っ込んできたから,俺が麻奈実をかばったんだ。多分あいつはそのことに負い目を感じてるんだろうよ」

 そんなの,気にする必要ないのにな。まったく,あいつのお人好しも筋金入りだぜ。
 俺が一人苦笑していると,何故か桐乃はイライラを最高潮に募らせていた。

「ばっかじゃないの……地味子なんかかばって,そんな大怪我するなんて」

 その言葉に,俺はピクリと反応する。

「……今なんつったてめぇ」

 そこで桐乃はキッと俺を睨みつけ,まくし立てるように言った。

「地味子なんかかばって,自分だけそんな大怪我するなんてバカじゃないのかっつってんの! 一歩間違えれば死んでたくせに!」

 ドンッ,ドンッ。桐乃が俺の胸を叩いてくる。

「いてっ……や,やめろ!」
「うっさい!」

 桐乃が俺を叩くたび,ミシミシと足が痛む。

「ッ!!やめろっつってんだろ……この!」

 俺は桐乃の手首をガシッと掴み,すぐ近くまで引き寄せた。

 ――おい,なんでそんな顔してんだよ。なんで泣いてんだよ。

「離せ!」

 ぶんっと手を振って俺の拘束から逃れると,桐乃は叩き付けるように言った。

「あんたなんて,そのまま死んじゃえばよかったのに!あんたなんて……あんたなんて!」

 桐乃はそのままバッと踵を返し,逃げるように病室を去っていった。



 それからおよそ1時間後……今度はお袋がやってきた。

「あんたの着替えはここに入れとくわね。あとは洗面用具と,勉強道具と…………ってどうしたの京介,何かあった?」
「…………」

 その時の俺は,信じられないほど落ち込んでいた。
 『死ねばよかったのに』なんて言われたからだろうか。それとも……

「さっき桐乃が来てさ……」
「ええっ,桐乃が!?」

 驚いたように目を見開くお袋。ったく,とぼけてんじゃねーよ……

「お袋が言ったんだろ?俺の見舞いに行けって……」
「そんなこと言うわけないじゃない。大体あの子,今日は部活の大会で遠征に行ってるはずよ」

 え,何言ってんだ?じゃあ俺がさっき見た桐乃は偽物だとでも?
 俺が混乱した頭で考えていると,お袋がため息をついて言った。

「仮に私が行けって言ったとしても,あの子が来るわけないでしょ。寝ぼけたこと言ってないで,さっさと元気になりなさいよ」


 結局――
 あのとき俺が見た妹は,ただの幻だったんだろうか。
 俺が退院するまで,桐乃は一度も姿を見せなかった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「どうしたの?ぼーっとしちゃって」

 桐乃が不思議そうな顔でのぞき込んでくる。
 季節は9月の半ば。下校中にばったり桐乃と会って,そのまま一緒に帰ることにしたのだ。

「ん?ああ,なんでもない」

 思い返せば,この1年半で俺たちは随分変わった。
 大嫌いな妹の世話を焼いて,俺も妹に世話を焼かれて……俺たちはやっと気持ちを分かり合えた。
 ようやく……本当の兄妹になることができた。
 もうあの頃には戻りたくない。

「なぁ,桐乃……」

 俺はふと,あの時のことを聞こうとして――やめた。

「ん?なに?」
「……なんでもね」

 あの時のこいつが幻だったかどうかなんて……今さらどうでもいい。
 俺の傍らには,こうして確かな存在がいるのだから。




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最終更新:2011年09月23日 07:56