103 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/02/05(日) 22:13:18.76 ID:KYR8WtVa0 [6/8]
どうやら昨夜カーテンを閉め忘れて眠ってしまったらしい。差し込む陽光に堪えきれず目を開けた。
気だるく体を起こし、時計を探して愕然とする。
そうだ、俺は一人暮らしを始めたんだった。
枕にも慣れて来たし、誰にも小うるさく言われる事の無い環境は有難いが、やはり違和感は拭えない。
家族から解放されたぞ! という開放感よりも、今の俺には喪失感の方が大きく感じる。
朝起きても朝飯はなく、帰ってきても夕飯はない。冷蔵庫に麦茶は冷えていないし……
無論、隣の部屋に桐乃もいない。
暮らしているアパートは実家からさほど離れているわけではない。
どころか、この距離で一人暮らしって意味があるのか? と問いたくなるほどに近い。
だが、俺には一人暮らしをしなければならない理由がある。
そして、その理由こそが問題なのだ。
ある日お袋が、親父のいない時に俺と桐乃をリビングへと呼びつけた。
家族会議ってんなら親父がいないのは不自然だし、どうも意図の見えない呼び出しだったが、何となく嫌な予感がしたのを覚えている。
お袋に呼び出された俺達は並んで座らされ、心なし目の据わったお袋に見下ろされる形になった。
「あんた達、最近ちょーっと仲が良すぎないかしら?」
その言葉は、予想していなかったわけではない。
いや、最近のお袋は俺達2人を見て思わし気な溜息をつくことすらあったので、ある意味予感的中ってヤツだ。
なのだが。
俺達2人は、示し合わせたように曖昧な笑顔を作ることしか出来なかった。
以前と比べたら、誰に問い詰められても不思議はない程度に仲良くなっている自覚があったからだ。
その表情を見て、深ぁい溜息をつくお袋。
「まあ、一時期みたいにいがみ合ってるより私はいいと思うんだけどね……ただ、京介がおかしな間違いを犯さないかが心配で……」
などと言う、恐らく半分本気であろう言葉に、俺はついつい声を荒げちまった。
「んなことするわけねーだろ。桐乃は俺の妹だぞ」
「……!」
桐乃が肩を一瞬震わせたように感じたが、気のせいだろう。
お袋は俺の事を犯罪者予備軍みたいに思っている節があるからなぁ。ちょっとハッキリさせておきたい。
「俺は確かに桐乃と仲良くなったかも知れねぇけど、おかしなことをしようなんて考えた事もね―よ。そんなに信用してくれないのかよ」
「……くせに」
ん?
「何だ桐乃? なんか、言ったか?」
「あたしが寝てるときにキスしようとしてたくせに。なに常識ぶってんの? ウザ」
「えっ! ちょ、あれは違うって言っただろ!」
俺が慌てて言い訳するよりも早く、桐乃は勢い良く立ち上がってリビングを出て行ってしまった。
あ、あいつ、寄りにも寄ってこのタイミングで暴露する事ねーだろ!
「お、おーい!……あー」
……とりあえず、残されたのは爆弾発言を受けたお袋と、当事者である、俺。
2人きり。
お袋が一つ咳払いをする。
ゆっくりとした歩調で俺の目の前に歩み寄ると、がっつり頭を掴む。
「京介。ちゃんと説明してもらいますからね?」
俺は初めて、女性の顔に般若を見た。
とまあ、そんなこんなで俺は受験が終わるまでの間、一人暮らしをする事になったってワケだ。
正直親父がOKするとは思っていなかったが、それはお袋が上手く言いくるめたらしい。
いわく、受験勉強に集中したいだとか。
静かな環境を作ってくれれば、絶対に合格してみせるだとか。
俺が言い出したら病気かと疑われるレベルの殊勝なその申告を、疑いもせずに受け入れてくれたのだそうだ。
なんとも子供思いの親父を持って……幸せな限りだ。
とにかく、今の俺はそういう事情がある為、安易に実家に寄り付けない。
お袋は流石に少し責任を感じているのか、2,3日に1度様子を見に来るし、夕飯を置いていってくれたりもする。
だが、その際にも「とにかく受験までの間、勉強をしっかりして頭を冷やしなさい」などとお小言も一緒に置いていくのだ。
勘弁してくれ。
大あくびをかまして起き上がる。
視線の端に、何か光る物が映った。
あれは、ケータイ?
ケータイが、光ってる。着信? メール?
もしかして……!
俺は転がるようにテーブルにたどり着き、即座に受信表示を見る。
『メール受信 沙織・バジーナ』
その名前を見たとたん、体から熱が引いていくのが分かる。
そっか、そういや昨日の夜ちょっと電話したんだったか。言い忘れか何かをメールしたって感じかな。
沙織には悪いが、今俺が見たかった名前は、その名前じゃない。
――なんだ、桐乃じゃないのか。
そう自然に考えてしまっている自分に、最早違和感すら感じない。
一人暮らしを始めてからというもの、桐乃のことばかりを考えるようになってしまっていたからだ。
お袋に左遷を告げられた直後は、まぁ確かに勉強には集中出来るかも、とか考えている余裕もあった。
だが、その日の夜にもなれば全然駄目だった。
桐乃の声が聞きたい。
留学の時だって耐えられたんだから、暫くの間なら大丈夫だろう、とか甘く考えていた俺が馬鹿だった。
近くにいるのに、会いに行こうと思えば会いに行ける距離なのに、桐乃に会えない。
それが、これほどに胸を焼く焦燥になるだなんて、俺は全く想像出来ていなかった。
「クソッ」
舌打ちをして、ケータイを布団に放り投げた。
と、同時。
『ピンポーン』
鳴り響くチャイム。
誰か来た。
誰だ? お袋はいつも夕方に来る。なら違う。麻奈実か? いや、あいつにはまだこっちの住所は教えていない。
なら、誰だ、誰だ。まさか。
まさか。
頭の中をパニックにしながら、インターホンで確認する事も忘れて玄関へと走った。
扉を開けようとして、カギがかかっている事に気付く。
もどかしい。
かじかんだ手でカギをひねり、勢い良く扉を開けた。
「おはよう御座います、京介氏。朝早くからお元気ですなぁ」
口を ω ←こんなふうにした沙織が立っていた。
「今日はお前のせいで、二度も期待を裏切られたぞ、沙織」
沙織を部屋へ通すと、俺は恨みがましく言ってやる。
「贅沢なお人ですなぁ、京介氏は。拙者のような女子を家に上げておきながら、尚も文句があるとは」
言葉の内容とは裏腹に、沙織は温かい笑顔で受け入れてくれる。
相変わらず憎んでも憎みきれない、最高にいい奴だった。
「冗談だよ。ごめんな、お前に当たっちまって」
「いえいえ! 京介氏の今のご心境は察して余りある所存。なーんにも気にしておりませんぞ!」
朗らかに笑む沙織に、俺はちょっとだけ救われた気持ちになった。
「それにしても、今日はどうして来てくれたんだ? 何か約束してたっけ?」
「はて? もしかして京介氏はメールを御覧になっておりませんか」
言われて初めて、沙織からのメールの内容を確認していない事に気がついた。
「すまん。確認してなかった」
「ははぁ、どうやら今の京介氏は、きりりん氏の事以外は頭に入らない状態のようですな」
メガネにさえぎられた表情が悪戯に輝く。
「すまん。悪気はなかったんだが、この数日、一度も顔を見せやがらないから、ちょっと心配でな」
「いえいえ。かくいう拙者も実は、余りに京介氏の元気が無さそうだったので来てしまったクチでして」
さらりと言ってのけたが、マジかこいつ。
昨日確かに沙織と電話をしたが、一人暮らしが快適だーぐらいのものだ。
その会話の中で、俺が無理しているのを敏感に察して、元気付けに来てくれたってのか。
なんて、なんて。
なんて友達甲斐のある奴だろうか。
「バレバレってワケか」
「ええ。京介氏はいつだってバレバレで御座るよ。ニンニン」
「それにしたって、沙織1人ってのは珍しいな。黒猫は一緒じゃないのか?」
「ええ。黒猫氏は……なんと言いますか、お2人と色々ありました故、ご相談に乗るなら拙者1人が好ましいかと」
内緒ですぞーと唇に人差し指を当てる。
本当に頭が下がる。
これほど、純粋に相手のことを考えて行動できるやつなんて、そうそういない。
やっぱり俺の沙織への好感度はマックスだ。
「じゃあ、お言葉に甘えるとするか」
「そうですぞー。折角の2人きりですからなぁ。この胸に、しかと甘えてよいのですぞ~」
爆発的なボリュームの胸を大きく広げる。
「か、からかうなって!」
「いやぁ、京介氏はかわいいですなぁ」
こいつになら、からかわれて笑われるのも嫌な気分じゃない。
……が、本題に入らせてもらうことにしよう。
「……で、あいつ、どうしてる?」
「……はい。それもお伝えしたいと思っておりました」
俺に合わせるように、声のトーンを落とす。
「正直に申しまして、あまり元気とは言えないで御座るよ」
「……やっぱりか」
あいつの性格からして、俺を一人暮らしに追い込むような事をして気に病まないはずがないんだ。
以前の俺ならともかく、今の俺はあいつが俺のことを大切に思ってくれてることが分かる。
だからこそ、どうすればいいのか分からない。
「なんで一度も来ないんだろうな」
呟くように問う俺に、沙織は一つ息を吐いて答えた。
「きりりん氏は京介氏と会いたがっておりますよ。あの性格ですから、勿論はっきりとは言わないで御座るが」
「……本当か?」
「もう京介氏も分かっているのではないですか?きりりん氏が怒り出した、その本当の理由を」
「……ああ」
「ですが、きりりん氏も相当迷っておられるようです。ですが拙者、その原因は京介氏にあると思っております」
「……俺に?」
「ええ。きりりん氏としても、今回の事は責任を感じております。黒猫氏も大分キツイ言い方をしておりましたからなぁ」
「まぁ、そうだろうな」
「ですが、根源はそこでは無い。きりりん氏が、今京介氏の心中をどのように考えていると思っておりますか」
「は? 俺の心中?」
考えた事も無かった。
桐乃を思う俺の気持ちをどうにかする事だけで精一杯だった。
どう考えているのだろうか。
言われてみれば、引越の直前、桐乃とは満足に言葉も交わしていない。
桐乃がまだ怒っていたのか後ろめたさからか、部屋に篭っていたというのも一因ではあるが。
「よぉく思い返してくだされ、京介氏。京介氏は母君に何と言い返し、どのようにして家を出られたか。そして、それを見たきりりん氏が
どのように考えるか」
「おかしなことなんかするわけねーって言い返して、あとは粛々と従ってただけだぜ?」
「そうです。それを見て、きりりん氏は自分がどうするべきだと考えるでしょうか?」
「……あ、そうか」
桐乃から見たら、俺はただお袋の言い分に納得して出て行っただけだ。
俺がどんな気持ちでいるか、どんな葛藤と戦っているか、そんなもの分かるはずがない。
桐乃から見れば、今の俺は。
『妹に対してそんなことをする気がないし、勘違いもされなくないから、一人暮らしを受け入れている』
これじゃあ、桐乃から会いに行こうなんて思えるはずが無いじゃないか。
俺の無神経さが、あのときの桐乃を怒らせたんだ。
今なら分かる。俺は、桐乃の気持ちを何にもわかっちゃいなかった。
俺は、最低の大馬鹿野郎だ。
「まぁ、このように京介氏を独り占めできるのも、拙者としては捨て難いで御座るが……」
「……お前な」
「ははは、冗談で御座る♪……お2人が寂しそうにしているのを見るのは、やっぱり辛いで御座るよ……」
寂しそうに笑む沙織。
本当に、かなり心配をかけてしまっていたらしい。
「京介氏。お母君の仰る心配は確かに理解出来ましょう。拙者にも、一体何が正しいのかはわからないで御座る」
「……ああ、そうだよな」
「ですが、だからこそ。お2人にとっての一番良い選択というものは、お2人にしかわからぬもの」
「俺たちの選択……」
「きりりん氏はどうして怒ったので御座るか? 京介氏は今、どうしたいんで御座るか?」
「やりたいことなら、ある。燃え上がりそうなくらい、強いのがある」
燃え上がるほど、焦がれるほど、俺の胸には求めている物がある。
「そうで御座る。京介氏は今までどおりで良いのです。今までどおり……」
「京介氏の信じた正義を、貫いてくだされ!」
俺はおもむろに立ち上がる。
最早迷いは無い。
「沙織、世話になったな」
「京介氏」
「ん? なんだ?」
「先ほどまでとは目の色が変わりましたな。その自信に満ちた表情、拙者、惚れ惚れするばかりですぞ」
「お前のお陰だ。ありがとう」
「いえいえ! 京介氏のかっこいい姿を拝見できましたので、十分で御座る♪」
俺はアパートを飛び出した。
向かう先は、言うまでもないよな。
行きたくても行けなくて、会いたくても会えなくて、話したくても話せなくて……伝えるべき言葉すら、飲み込んでいた。
素直じゃなくて、かっこよくて、誰よりも優しくて、強くて、だけど本当は弱い。
桐乃のもとへ。
俺が行かないで、誰が行くんだ。
勢い良く玄関のドアを開く。
リビングの奥からお袋の声。無視する。階段を1段飛ばしで駆け上がる。
そして、辿り着いた。
たったこれだけ。たったこれだけの距離だった。
桐乃の部屋の前、深呼吸して息を整える。
ノック。続けて2つ。
返事は無い。ただ、なぜか確信があった。桐乃はこの中にいる。
迷うことなくドアノブをひねる。……カギはかかっていなかった。
ゆっくりと開いたその先には、緑色のクッションを抱いた桐乃が座っていた。
エロゲーに目を輝かせてなどいない、勝手に部屋を覗いて怒る事もしない。
ただ目の前にあるものが信じられないと言うように、目を見開いて俺を見つめていた。
「な、なんで? あんた、なんであたしに会いにきてんの?」
涙が浮かぶ瞳。
「桐乃っ!」
俺は桐乃に駆け寄り、正面から抱きしめた。
俺は最低なヤローだ。
デートの件では桐乃の真意を何にも分かってやれず、黒猫の件ではすげぇ苦しい思いをさせた。
そして今回。俺の無神経な言葉で、桐乃はずっと悩みつづけていたんだ。
だからこそ、もうこいつには泣いて欲しくない。
「ちょ、あんた、え、ちょっ……!?」
「俺が悪かった。俺は言い訳ばっかりしてた」
「え?」
真っ赤になって暴れていた桐乃が、はたと動きを止める。
「兄妹なんだからおかしいとか、仕方ないとか。そんなことばっかり考えてたんだ」
「ん……あ、そ。いーんじゃないの? 兄妹なんだしさ」
拗ねたようにそっぽを向く。
そうだよ。桐乃はいつだってこんなに分かりやすい奴だったじゃないか。
俺は今まで、一体何をしていたんだ。
「でも、もうやめだ」
「は?」
「俺の本当にしたいことをする事にしたんだ」
「なによ、本当にしたいことって……」
「それは、お前を」
……桐乃を。
「俺の物にする!」
時が止まる。
たっぷり3秒の間を置いたあと、桐乃が叫び出した。
「はぁああああああああああああああああああああああああ!?」
「俺はあの時、戦うべきだったんだ! お袋の意見と! 俺が桐乃を幸せにする、俺以上に幸せに出来る野郎なんているわけがねーだろっ
て!」
「ちょ、京介?」
「勉強なんかに集中できるわけねーだろって! 毎日毎日悶々と桐乃のことばっかり考えて、夜も眠れないほどだったぜ! あーあー、悪
かったなぁシスコンで! だけどな、この感情はシスコンなんかじゃねぇぞ!」
「……な、なによ」
「愛だああああああああああああああああああああああ!」
「うわ恥ずっ!」
「うるせえ! 仕方ねえだろ! 素直じゃなくて、かっこよくて可愛くて、誰よりも優しくて、強くて、だけど本当は弱い……そんな桐乃
が好きになっちまったんだから!」
「きょ、京介……」
「桐乃!」
「ひゃ、ひゃいっ!」
桐乃は口をパクパクさせながら、茹でダコのような顔で俺を見つめる。
「俺の物になれ」
同時に、桐乃の瞳から涙が溢れ出した。
止め処なく溢れる雫が、パタパタとベッドの上に落ちる。
「きっ桐乃?」
「人生……」
「は?」
「人生相談が、あるの」
零れる涙を拭う事もせず、桐乃は言った。
「お、おう」
「京介」
ふっと表情が和らいだかと思うと、急に視界が暗くなる。
そして、唇に暖かくて、柔らかいものが。
頭の中が真っ白になる。心臓の音すら聞こえない、ただ柔らかい感触だけがある。
頭の中がドロドロに蕩かされているみたいだ。ただの唇のふれあいのはず。ただそれだけのはずなのに。
ぷはっという声と共に、視界が開ける。1分? いや、10秒? いや10分くらいしていたかもしれない。わからない。
焦点すら合わない俺を見つめて、桐乃は最高の笑顔で言った。
「絶対、幸せにしてよね!」
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最終更新:2012年02月09日 02:48