787 :【SS】 或る一人の夜 1/3 ◆ebJORrWVuo :2012/08/10(金) 00:13:23.83 ID:NNcz/9T2P
「京介?」
あいつがまるで家に帰ってきたような気がして、顔を上げる。
そして、しばらく耳を澄まして知るのだ。
京介がこの家に居ないことを。
「……ばかじゃん」
小さくそうと呟いて、そのまま、また机に突っ伏す。
さっきからこんな調子。
全然勉強に集中が出来ない。
だからといって気分転換にエロゲを起動してみるものの、しかしそれでもやる気にならない。
これは異常事態だった。このあたしが、エロゲを前にして手を止めてしまうなんて。
そしてその原因がただ……あいつがこの家に居ない、そしてしばらく帰ってこないという、たったそれだけの事で。
「あたし……こんなだったかなあ?」
あいつが帰ってこない事なんて今までも何度かあった。
修学旅行とかで数日帰ってこない事だってあった。
でも、その時はこうはならなかった。
そりゃその……少し寂しく思ったりしたケドさ。
だからといって勉強に手が付かない程じゃなかった。
心境の変化だろうか。
あれからあたしは、こんなに寂しがり屋になってしまったのだろうか。
正直、それはあると思ってる。
いつからか、あいつと一緒に過ごす事が自然になってきていて。
大した用事がなくてもあいつの部屋に行ったりしてしまうようになっていて。
……健全な関係、か。
あいつははっきりお母さんにそう言ってたけど。
でも、あたしははっきりと言い切れただろうか。
あたしの中にあるこの気持ちは、本当に健全なのだろうか。
「……ばか」
健全であれば、あたしは今、こんな気持ちになってない。
だって、あたしは後悔してるのだ。
あやせにあいつの世話を任せてしまった事に。
確かにあやせは、あいつの事が嫌いだって言ってた。
けど、じゃああいつはどうだろう。
あやせって凄い可愛いし、料理も出来るしあたしから見ても自慢できる親友だ。
当然、男子から見た時、まるで天使の様な存在なんじゃないだろうか。
あたしだって負けてるつもりは無いけど。
そんな魅力的な子と一緒に過ごして、あいつがあやせに惚れたりしないだろうか。
確かにあたしと約束をしてるし、それをあたしは信じてるケド。
でも、そんな約束で想いまで束縛する事なんて出来ないんじゃないだろうか。
788 :【SS】 或る一人の夜 2/3 ◆ebJORrWVuo :2012/08/10(金) 00:14:42.72 ID:NNcz/9T2P
それに……。
あやせがあいつに惚れてしまう可能性だって……ある。
冷静に考えてそんな事あるワケないって思うんだけど。
あやせとはどう考えても吊り合わないって思うんだけど。
けどどうなんだろう。
心が、ざわめく。
「ああ……もう」
ちゃんと、帰ってきてよ?
こうしてあたしが……待ってるんだからさ。
……電話でも掛けてみようかな。
声だけでも聞ければ……。
「…………」
何となくiPhoneを手に取る。
そして、あいつの名前を探して、そこに触れる。
とくん。
ただそれだけで、何故か心が高鳴る。
けどそこから先には進めない。
緊張があって。
躊躇いがあって。
拒絶が怖くて。
結局、あたしは電話を掛ける事すら出来ないのだ。
こうやってあいつの名前が表示されている画面を見つめて。
そこでいつも止まってしまう。
「はぁ……」
なにやってんだろう、あたし。
これじゃまるで……。
とそのタイミングで画面が一瞬明るくなる。
ヤバ、間違えて掛けちゃった? と焦ったが、同時に鳴る着信音でそれがメールの着信だと気付く。
ふぅ、焦った……。
流石に何の話題も考えずに電話を掛ける勇気はない。
あのバカはいきなり電話掛けてきたと思ったら、「おまえってどんぐらい俺の事好き?」とか聞いてきたりするけど。
ほんとバカ。
あたしがどんだけ電話の前で苦悩してるか分かってんの?
あたしがその質問をあんたに聞こうとして何回諦めたのか分かってんの?
ほんと、バカ。
そんな事を思い出しながら、メールの差出人を確認する。
高坂京介。
…………。
789 :【SS】 或る一人の夜 3/3 ◆ebJORrWVuo :2012/08/10(金) 00:15:26.02 ID:NNcz/9T2P
胸が高鳴るのが分かる。
あいつからのメールだ。
なんだろう。こんな夜遅くに。
も、もしかしてあいつもあたしの声が聞きたくて、とか?
し、シスコンだもんね。仕方ないよね。
あたしはドキドキしながらメールを開いた。
『お兄ちゃん今日いっぱい勉強したよ!』
…………。
あたし、ホントこいつの事が良く分からない。
つか、なめてんの?
あたしの乙女心おちょくってるワケ?
なんで深夜にわざわざメールでこんなメッセージなワケ?
もっとこう、あるっしょ色々と!
せめて、そっちはどうだ、とか、元気か、とかそういうさあ……!
『ウザい! キモい!』
こんな空気を読めないバカには、こんな罵倒で充分。
ったく、ドキドキしたあたしがバカみたいじゃん。
つかあたしと離れてても全然平気そうなのがマジむかつくんですけど。
「はぁ……」
なんかどうでも良くなってきた。
こんなメールを送ってくるぐらいだし、あいつはちゃんと勉強はしてんでしょ。
それに、あのバカは基本自分の為にはあんま頑張らないヘタレだけど。
誰かの為には頑張る奴だから。
ここまで皆に色々とやってもらったら、必ず結果は出す。
それをあたしは知っている。
あいつは、帰ってくる。
間違いなく、それは、絶対だった。
「……そろそろ、寝ようかな」
なんだか心が軽くなった。
あいつの馬鹿みたいなメール見たせいか、センチな気持ちも吹っ飛んじゃったし。
ホント、まったく、あのバカは……。
自然と笑みが浮かんでくるのか分かる。
戻ってきたら、またコキ使ってやるんだからね。
覚悟しときなさいよ。
だから……、今は、がんばれ、兄貴。
そう祈りながら、あたしは瞼を閉じる。
なんとなくいい夢が、見れそうだ。
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最終更新:2012年08月10日 23:23