473 名前:【SS】或る日の想い出  ◆ebJORrWVuo :2012/09/10(月) 18:14:18.91 ID:MzFX7+VKP
スレでチラホラと出ていたので、早速書いてみたぜ!
内容としては11巻の内容を含むので新刊を読んで無い方はスルーで!




「兄貴を返して!」

 これは、幼き日の話だ。
 思い出しただけで赤面してしまいそうな、しかしそれでいて脳裏に焼き付いた重要な想い出。
 
 重要であって、しかし大切じゃなくて、大事でもない。
 出来れば、無ければ良かったような大きな分岐点。
 失われた時間の始まり。
 そう、それは冷戦の始まりを告げた日。
 
 あたしは、麻奈実さんの家を訪れていた。
 いや、訪れるなんて生易しいものじゃなく、それは殴りこみに近いものだった。

 それに対して、対応に出てきた麻奈実さんはどこまでも落ち着いて、怖いぐらいだった。
 
「……どうしたのかな、桐乃ちゃん?」

 笑顔を浮かべて、あたしの応対をする麻奈実さん。
 その態度が余計にムカついて、あたしは怒気を隠そうともせず、麻奈実さんに食って掛かった。
 
「兄貴を返して、って言ったの!」
「兄貴って……きょうちゃんの事だよね。きょうちゃんなら家に居ると思うよ?」
「違う、あんなのはあたしの兄貴じゃない!」
「桐乃ちゃん。お兄ちゃんに対して、あんなの、とか言っちゃ駄目だよ?」

 めっ、指を立てて叱りつけてくる麻奈実さん。
 あたしはこれが苦手だ。
 何故か悪いことをしたんだと、否応なく思わされてしまう。
 
「うっ、で、でも、あいつはあたしの兄貴じゃない、あたしの兄貴は、……お兄ちゃんは……」
「お兄ちゃんは?」
「……凄く格好良くて、何でも出来て、完璧で、頭も良くて、足も早い……そういう凄い人なのっ!」
「…………」
「でも今のあいつは……、凄くだらけてて、ヘラヘラしてて、目が全然いきいきとしてしてなくて……なんか、変なの」
「……それも、またきょうちゃんだと思うよ?」

 麻奈実さんは知った風にそんな事を言う。

 この人は一体何を見てきたというのだろう。
 あたしは生まれてからずっと、兄貴を見てきた。お兄ちゃんを追いかけてきた。
 そのあたしをもって、あんな兄貴を見たことがない。

「嘘を言うなっ! あいつはあたしのお兄ちゃんじゃない! まなちゃんが、まなちゃんがなにかしたんでしょっ!」

 何も自慢してこない兄。
 あたしが話しかけても気のない返事ばかりで、まるで抜け殻みたいな兄貴。
 そんな兄貴を見ていると、あたしの中でなにかが我慢できなくなる。
 裏切られ続けているような、今まで目指してきた何かが失われてしまったような。
 失望、そして、嫌悪。
 
 はじめは、しばらくすれば立ち直って元気になると思ってた。
 けど、そんな事は無かった。
 兄貴は今までもそうだったとばかりに、そういう生活に染まっていった。
 成績が落ちていく。そして兄貴が解決した事件が、時に埋まっていく。
 新しく積み上がるものはなにもなく、ただ埃だけが重なっていく。
 
 そんな兄貴を見て、……気持ち悪いとあたしは感じた。
 そして、このままだと失望が、軽蔑になってしまうのだと分かった。
 あたしが、お兄ちゃんを嫌いになってしまう。

 そう感じた時、居ても立っても居られなくなって、あたしは麻奈実さんの家にこうやって押しかけてきたのだ。
 
 あたしの言葉に、麻奈実さんはうーんと唸るようにして、そして言葉を返す。
 
「……なにかしたかと言われればしたかな」
「やっぱり……! なら戻して! お兄ちゃん返して!」
「それは駄目」
「なんで!」
「ねえ、桐乃ちゃん」

 麻奈実さんは、真っ直ぐとあたしの瞳を覗きこんできた。
 あたしの中の真意を探るように。
 それが怖くて、あたしは目を逸らす。
 
「……なによ」
「桐乃ちゃんは、おにいちゃんが好き?」

「…………!」
「それとも嫌い?」
「……き、嫌いに決まってんじゃん」
「なら、嫌いなお兄ちゃんなんてどうなってもいいじゃない」

 そんなワケがない。
 だってあたしはお兄ちゃんが好きだから。
 あたしは、お兄ちゃんを嫌いになりたくないから、今ここにいる。
 
「……きなの」
「…………」
「お兄ちゃんが……好きなの」
「…………」
「だから……返して」
「…………そっか」

 麻奈実さんは静かにあたしを見る。
 その瞳は優しげで、同時に何故か残酷さを感じられた。
 あたしの中の何かが震える。
 この人は今、あたしを冷静に観察してる。
 そんな、気がした。
 
 気付けば涙が出てきていた。
 お兄ちゃんが好き、と嗚咽を零しながらあたしは泣いていた。
 こうして言葉にして改めて実感したのだ。
 あたしは、お兄ちゃんが好きだと。
 でもこれは、いつの日か、無邪気に宣言した時とは違う色合いで。
 重い言葉になっていた。
 
「…でもね、桐乃ちゃん」

 そしてその言葉を正確に受け止めただろう麻奈実さんは、笑顔を消した。
 幾つか、逡巡を心に宿し、躊躇を乗り越えて。
 麻奈実さんは真っ直ぐとあたしを見て、あたしに対し、裁きを下した。

「そういう風な意味で、お兄ちゃんのことが好きだなんて、おかしいと思うな」

 どういう風な意味で? とはあたしは聞かなかった。
 聞けなかった。この自覚した気持ちを、どうにもできなくて。
 
「普通じゃないと思う。異常だと思う。たくさんの人が、気持ち悪いって感じると思う」

 諭すような言葉は、ナイフのようだ。
 剥き出しになった感情に容赦なく、突き立てられていく。
 抑えこむように、縛り付けるように。

「当たり前だけど、兄妹では結婚なんてできないし、ご両親だって反対するに決まってるよ」

 父と母が浮かんだ。幸せな家族が浮かんだ。そして二人が怒ってる姿が浮かんだ。

「桐乃ちゃんの気持ちが本物であればあるほど、大人になって変わらないものであればあるほど、
誰かが不幸になる」

 泣いているお父さん、お母さん、そしてお兄ちゃん。
 それがあたしの周りでぐるぐると回っていく。

「それはもうどうしようもないことで、誰にだって、たとえきょうちゃんにだって、どうにもならないことなんだよ」

 ……そ、そんな事はない。だって、お兄ちゃんは、仕方ないことなんて無いって……。

「いまのきょうちゃんじゃなくて――桐乃ちゃんが好きだった頃のきょうちゃんでも、同じ」

 世の中に仕方ないことなんて、ひとつもないんだって……。

「だって、桐乃ちゃんが憧れてた「凄いお兄ちゃん」なんて、最初からいないんだから」

 ―――気持ち悪いと言われた事。異常だと言われた事。普通じゃないと言われた事。

 それらよりも、この言葉が一番、心を抉った。
 笑顔で、あたしの頭を撫でてくれる兄貴。
 何でも出来て、実際に色んな事をしてみせた兄貴。
 どんなに追いかけても追いつけない兄貴。
 あたしは……そんな兄貴の横に立ちたくて。
 ずっとずっと、その隣で笑いたくて。
 
 それらに、ヒビが入るのを感じた。
 そんなわけない、ってあたしは叫びたかった。
 けど、怖かった。
 この人に、今そう告げて。
 いない事を証明されるのか。
 
 だからもう聞きたくないとばかりに耳を塞いだ。
 それでも、声は聞こえてくる。

「だからね、桐乃ちゃん」

 それは、指の隙間から入り込んでくる呪いの様に。
 
「その気持ちは、誰にも言っちゃだめだよ」

 あたしのこれからを、縛り付けていく。
 
「早く忘れて、諦めて、ありのままのお兄ちゃんと仲直りして――」

 忘れられなくて、諦められなくて、ありのままのお兄ちゃんを認めたくなくて。
 
「普通の兄妹に―――――なりなさい」

 あたしは、耳を塞いだ。
 聞こえていたけど、聞こえないように。
 意識していたけど、意識をしないように。
 
 そんなわけない、が頭の中であたしが必死で叫んでいた言葉。
 真っ暗でぐわんぐわんとした頭の中で、ただ必死になってヒビの入ったお兄ちゃんを守っていた。
 泣きながら、悲しみながら、しかしあたしの心の中に留めようと。
 
 
 この日を境に、あたしは兄が好きだという事を隠すようになった。
 麻奈実さんに誰にも言うなと言われた事を守っているわけじゃない。
 ただ、そんな忠告が無くても、言えるわけがない。
 深く、ふかく、傷つけられたのだから。
 
 もし……。
 お兄ちゃんにそう言われてしまったら……あたしの心が死んでしまいそうになるから。


 あたしが、エロゲーを好きになったのは、この辺りからだ。
 当時のあたしを自分で考えてみると、羨ましかったんだと思う。
 兄に好きと言って、受けいられている妹の姿が。
 気持ち悪いと言われない、世界が。
 
 今だって、怖い。
 今だって、バレたら誰が何を言うか分からない。
 もう傷つけられたくない。
 
 でも……。
 偽物の兄貴が、……やっぱ本物だって思えてきた時。
 凍結されていた感情が動き出して。
 
 許されたい。
 認められたい。
 宣言したい。
 伝えたい……。
 
 怖さを乗り越えようとして。
 怖さが足を引っ張っていく。
 気持ちを伝えようとして。
 結局、誤魔化していく。

 そして、兄貴を好きな子が出来て。兄貴もまた、好きな子が出来た。
 その障害になっているのはあたしだ。
 
 出せる想いを、兄貴にぶつけて。
 兄貴は気持ち悪がらず、ただあたしを選んでくれた。
 
 それだけでいい。
 それが妹としてだって構わない。
 一時の迷いであっても構わない。
 ただ、兄貴があたしを選んでくれたという、錯覚じみたこの感情さえあれば。
 
 この感情で、自分を騙して生きていこう。
 少なくともあたしは知った。
 あの時の麻奈実さんの言った言葉の意味を。
 
 凄い人じゃない、兄貴。
 でも、結局好きなんだ。
 あたしは、仕方ねえな、と苦笑する顔も。
 面倒臭そうにしながらも既に眼はいきいきとしだしてる顔も。
 結局、好きなんだ。
 
 そして、誰かを不幸にしてしまう。
 その言葉の意味も、この夏で知った。
 結局、あたしという存在は、兄貴の足を引っ張ってしまう。
 
 だから。
 だから。
 だから……。
 
「留学の話、受けようと思います」
「……本当に、いいのね?」
「はい」

 だから……。
 だから…………。
 だから…………ッ!
 
「桐乃……わたしたちが何を言っているのか――分かるよね?」

 だから……なんでこの世界はこんなに暖かいのだろう。
 不意に泣きたくなってしまう。
 孤独で、雨の中をずっと歩いていたと思っていた。
 認められない恋を、背負って生きていたと思っていた。
 
 けど、今、この世界は暖かくて。
 妹だから、を除いてくれた。
 特別扱いはしないと、除いてくれた。
 
 法律的には何も変わらないのに。
 結局、認められない恋なのに。
 けど、今、この世界は暖かくて。
 
 ……もう一度。
 あたしは、素直になってもいいのかもしれない。
 絶対……傷つくと思う。
 立ち直れないぐらいに、傷つくと思う。
 
 けど、それでも。
 一度だけ、信じてみようと思う。
 
 仕方ないことなんて、何一つ無い。
 そんな嘘っぽい、兄貴の信念を。
 
 
END

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最終更新:2012年10月07日 20:19