ある日の初夏の晩。何気なく庭に出て空を見上げると、綺麗な月が出ていた。

「でけえな」

 普段よりも大きく輝く見えるその月は、最近のぐずついた天気を忘れさせた。
 後で知ったことなのだが、この日は「ス-パームーン」といって、一年の中で一番大きく、明るい月が見れる日だったんだとか。

「・・・まるで桐乃の顔みたいだな」

 いつかいったセリフを繰り返す。
 丸くて綺麗なものを見るたびに、桐乃の顔を思い出してしまう自分に何度苦笑したことやら。
 それでも懲りずに思い出すんだから、俺もいよいよもって末期である。
 座って眺めようかと、縁側に座りながらそんなことを考えていると、後ろから声がかかった。

「呼んだ?」

 振り返れば、桐乃がこちらに向かって窓から身を乗り出していた。

「別に呼んでねーよ」
「ウソ。今絶対『桐乃』って言ったでしょ」

 俺の隣に座りながら桐乃が言う。
 耳ざといやつだな。
 別に肯定してもいいんだが、理由が理由なだけにあとが怖い。ここは黙っていることにすっか。

「気のせいだろ」
「何してたの?」

 桐乃もそれほど気になるわけじゃなかったようで、それ以上は追求はしてこなかった。

「月を見てたんだよ」
「月?」
「ああ」
「あんたにしちゃ随分ロマンチックじゃん」
「ほっとけ!」

 桐乃と一緒に月を見上げる。

「なんかすっごい明るくない?」
「それにでかいな」

 目を輝かせて月を見る桐乃。
 そんな桐乃を見てて、少しだけイタズラ心が湧いた。
 あえてわかりづらく、でも直球で。
 そんな俺達らしいセリフ。

「なあ桐乃」
「なに?」
「『月が綺麗だな』」

 さて、こいつはわかるだろうか。

「・・・・・・ぷっ」

 少しだけきょとんとしていたかと思うと、次の瞬間には吹きだした。
 頬を少し赤らめちゃいるが、ニヤニヤと嫌らしい顔をしてやがる。
 完全にこっちの思惑がバレちまってるようだ。

「そうだね~・・・・・・まあ、今回はあんたと同感かな」

 そこで少しだけ間を空けて。

「『月が綺麗だね』」

 そのセリフに、お互い顔を見合わせて。

「ひひひ」
「ふひひ」

 子供のように笑いあった。

「そういやさ」
「ん?」
「さっきのことなんだケド」
「さっき?」
「あたしのこと桐乃っていったっしょ?」
「その話かよ」

 まだこいつ諦めてなかったのか。

「んだよ、別にいいだろ」
「うん」

 おや、と思う。桐乃が何を言いたいのがイマイチ掴めない。

「嬉しかったからさ」
「嬉しい?」
「うん。最近は、あんまり名前で呼んでくれなかったじゃん」
「ああ・・・」

 やけに突っかかってくるかと思えば、そういうことか。

「それはしかたなくね? てかお前が決めたことじゃん」
「それは! そうだケドぉ・・・」

 まあ、最近はなかなか二人きりってこともなかったしな。

「桐乃」
「あっ」

 愛しい人の名前を呼びながら、肩を掴んでグイッと自分の方へと引き寄せる。
 桐乃も声はあげるが、逆らわずにこちらに体重を預けてきた。
 いい匂いがする。桐乃の匂いだ。

「京介」
「ん?」
「ふひひ、なんでもない」
「なんだそりゃ」
「いいじゃん。呼びたくなったんだもん」
「そりゃ仕方ないな」

 桐乃。京介。と意味もなくお互いの名前を何度も呼び合う。

「やっぱさ」
「おう」
「こっちのほうがしっくりくる」
「名前で呼ぶほうがか?」
「そ。ずっと呼んできたわけだしさ。別に、今のが嫌ってワケじゃないんだけどね」

 それはそれで嬉しいし。と桐乃は続けた。

「ま、俺もそうかな。お前にはやっぱ、名前で呼ばれたほうがしっくりくるわ」
「妹なのに?」
「妹なのに」
「シスコン」
「うっせ。お前だって一緒だろブラコン」
「あたしはいーの。妹だから。あんたはキモイの。兄だから」
「また懐かしい理論を持ち出しやがって」

 ぎゅっと抱きしめてお仕置きしてやると、離せと暴れる桐乃。
 いいのか? とわざと聞き返せば「やっぱこのままでいい」と可愛いお返事が。
 こいつも随分素直になったもんだ。ちゅーするぞこいつめ。

「おかーさん?」

 そんな風に桐乃といちゃいちゃしてると、聞きなれた声が聞こえた。
 二人揃って後ろを振り返る。

「優ちゃん」
「涼介も一緒か」

 二人に俺達が気付いたことがわかると、優乃はトテトテと桐乃に近付いてポスンと抱きついた。

「う~」
「あらら、ふらふらしちゃって。てかもう寝てる!?」

 桐乃の腕に収まった瞬間には落ちてしまっていたようだ。
 既に気持ちよさそうにすーすーと寝息を立てている。
 寝つきのいいこって。

「お父さん」
「涼介、どうしたんだ?」
「ゆうのがトイレいきたいって」
「それでお前がついていってやったのか?」

 こくんと頷く涼介。
 ぐりぐりと頭をなでてやる。こいつもいいお兄ちゃんやってるじゃねえか。

「えらいな」
「へへ」

 照れくさそうに笑う涼介。
 そのまま俺の隣にストンと座って足をプラプラさせる。

「ふひひ、優ちゃんかわええ」

 隣を見れば、優乃の顔を眺めながらだらしなく笑う桐乃。色々台無しである。
 オマケに、優乃をつんつんつついてるせいで優乃がムズがってるじゃねえか

「桐乃。あんまりつんつんしすぎて優乃を起こすなよ?」
「あんたじゃあるまいし、そんなことしないっての」

 俺じゃあるまいしとはどういうことだ。
 俺はいつだって起こさないようにつんつんしてるんだぞ。
 なのに起きるのはお前がいつも狸寝入りしてるからだろうに。

「お父さん、お母さん名前で呼んでるの?」
「ん? ああ」

 そういや、こいつらがいるんじゃもとに戻さないとダメかね?
 俺としては今日はもうこの呼び方のままいたい気分なんだが。

「どうする? 『母さん』」
「・・・今日はもういいんじゃない?『お父さん』」

 わざとらしくそういいあって、クスクスと笑う俺達。
 もともと、優乃が間違って俺達を名前で呼ばないようにって措置だったわけで。
 優乃が桐乃を「りの」と呼んだ時は二人して焦ったもんだ。
 今は優乃もねてるし。涼介はもう問題ないしな。

「んじゃ、今日はもう『桐乃』でいいな」
「うん。『京介』」

 そんな俺達を不思議そうに見る涼介の顔が面白くて、俺達は余計に笑ってしまった。

「京介」
「親父?」
「あら、優ちゃん寝ちゃったの?」
「お母さんまで」

 おいおい、どうなってんだこりゃ。高坂家一家全員揃っちまったじゃねえか。

「涼介達と一緒に寝たんじゃなかったのか?」
「それがねえ、優ちゃんがおトイレいきたいっていって、涼介がついていったのはよかったんだけどね?
 けどそれが心配だってお父さんがこっそりついていっちゃうもんだから」

 親父・・・。

「べ、別にいいだろう! 孫の心配をして何が悪い!」
「はいはい。大きな声出さないで。優ちゃんが起きちゃうでしょ」
「むぅ・・・」

 まったく。相変わらず孫煩悩なこって。
 涼介や優乃に「おじいちゃん」って呼ばれてるときの親父は威厳も何もあったもんじゃないからな。

「それよりお前はこんな所で何をしている」
「月を見てたんだよ。今日はいい天気だからな」
「あらホント。綺麗ねぇ」
「うむ。悪くないな」

 俺と桐乃と、涼介と優乃と。それに親父とお袋。
 みんなが揃って同じほうを見ている。
 昔では考えられなかった未来。
 掴み取った尊い今。

 あの時の俺の選択は、きっと間違ってなかった。
 だって、俺は今、こんなにも幸せなんだから。

「なあ桐乃」
「何、京介?」
「今、幸せか?」
「え?・・・・・・ばーか」

 ちゅ、っと俺の唇にあたたかなものが伝わる。

「あんたと一緒」

 そう言った桐乃は、世界のどこの誰よりも綺麗だった。

 ああ、きっと俺はこの先もずっとこれを繰り返すんだろうな。

 

 俺の妹がこんなに可愛いわけがない。




 おわり

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最終更新:2013年07月16日 02:17