先に明かしてしまうと、これは俺が見た夢の話である。
朝になって目覚めた瞬間――幻となって消えてしまう、泡沫のような物語だ。
拍子抜けしてしもらって構わない。
なんだ夢かよ、と。
まどろみから醒めてしまえば、何もかもなかったことになってしまう、意味のない虚像。
ただし――
夢の中の俺にとっては、いまこうしてここに居る俺の方こそが、夢なのかもしれないが。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ふあ……なんか、とんでもねー夢を見た気がする」
カーテンの隙間から差し込む朝日を浴びて、俺はいつもより少し早く目を覚ました。
ベッドの上で、今しがた見たおぼろげな夢を思い浮かべてみるが、指の隙間から零れる砂のよう
に記憶から抜け落ちてしまう。
「まぁ、夢なんてこんなもんだよな」
独り言を呟き、俺は身体を起こす。
今日は世間一般で夏休みとなっている八月の最後の日曜日だ。
とっくの昔に社会人となった俺にとって、貴重な休日の一日である。
大きな伸びをし、ベッドを抜け出した俺は、洗面所で顔を洗いリビングへと向かった。
「あ、京介おはよ」
「おう、おはよう」
リビングに入ると、いつものように出迎えてくれる俺の妹。
俺たちは数年前、結婚式を挙げ、いまは夫婦として暮らしている。
「今日はあんた一人で起きれたんだ」
「まあな、ちょっと変な夢見ちまってさ」
「どんな?」
「起きた途端に忘れちまった」
「ふーん、どうせスケベな夢でも見てたんじゃないの?」
「ちげーよ!」
「ま、そうゆーことにしといてあげる」
桐乃は俺の釈明を聞こうともせず、キッチンに戻り朝食の支度を再開する。
相変わらず人の話を聞かないヤツだな、こいつは。
「おかーさん!おなかへったー!」
「ふひひ、へったへった」
「はいはい、ちょっと待ってねー」
朝飯の催促をしている悪ガキと、兄の真似をしている天使は、俺の愛する子供たちだ。
そんな孫を温かい目で見守っている親父とお袋。
ここにあるこの光景は、俺の選んだ物語であり、俺が望んだ未来そのものだ。
こんな平穏な日常があと何十年か続いて終わるなら、俺の人生は誰にも負けないくらいの、いい
人生だった――って、胸を張って言えるに違いない。
――そんな穏やかな午後、俺と桐乃は久しぶりに二人きりのデートを楽しんでいた。
親父たちの好意に甘え、子供の面倒を任せて俺たちは花火大会に来ている。
手の掛かる子供が二人もいると、夫婦での時間がなかなか作れないのだ。
「うわぁ……めっちゃ混んでんなぁ。結構早くに来たってのに」
「ちょっとー、なんとかしてきてよ」
懐かしいフレーズを口にした浴衣姿の妹が、実年齢より十歳以上幼く見えたのは俺の気のせい
ではないだろう。
実際、桐乃は二十代後半にさしかかったというのに、あの頃とまったく変わらない美貌を保ってい
る。
「へへっ」
「なにニヤニヤしてんの?超キモイんですケド~」
「いや、あの頃と変わんねーなって思ってよ」
「それって、あたしが綺麗だから見惚れてニヤニヤしてたってこと?うえっ、きっもーい」
「おまえが相変わらず生意気な妹だなってこと」
「なんですってぇ~ッ!?」
短気なところは変わってもいいのに。
相変わらずノリのいいヤツだ。
「まあ待て桐乃、怒ってる暇があったらさっさと場所確保しに行こうぜ」
「あっ、そうやってまたごまかす気だ」
さすがに何年も連れ添っていると俺の行動パターンも筒抜けである。
ここで言い争っても時間がもったいないので、俺は桐乃の手を掴み歩き出す。
「ほら、いいから行くぞ」
「ちょっと、引っ張んないでよ……もうっ」
早めに来た甲斐があり、無事にそこそこいい場所が取れた俺たちは、かき氷を食べながら花火
大会が始まるのを待っている。
出店は後で回ればいいだろうという考えだ。
かき氷をつつきながら、気付けば俺はこんなことを口にしていた。
「なあ、桐乃」
「ん?」
「俺たちがもし、本当に『血の繋がった兄妹』だったら――今頃どうなってたんだろうな」
「……それは」
俺の突然の質問に驚いた様子で、桐乃は目を丸く見開く。
自分でも何故こんなことを聞いたのか分からない。
昨夜の変な夢のせいだろうか。
桐乃はかき氷から手を止め、しばし考え込んでから、こう答えた。
「――うん、少なくとも今みたいな関係じゃないことは間違いないよね」
「ま、そりゃそうだよな」
考えるまでもないことだ。
俺たちが本当に血の繋がった兄妹だったら――
結婚だってできないし、そもそも付き合ってもいないはずだ。
現実はエロゲーと違って、血の繋がった兄妹で恋愛をするなんて有り得ない。
「いきなりどうしたの?」
気付けば、桐乃が不思議そうな顔で俺の顔を覗き込んでいた。
「なんでもねーよ」
俺はごまかすように妹の頭に手を乗せ撫でてやる。
この話はおしまい、という意味を込めていたことを桐乃が気付いてないはずがない。
「あのさ……」
「どうした?」
「実はあたしも考えたことあるんだ。もし、あたしたちが本当に血の繋がった兄妹だったらどうなっ
てかなって、さ」
「……そっか」
「本当の兄妹だったとしたら、あたしがどうしてたか……聞きたい?」
桐乃は真剣なまなざしで俺を見つめ、尋ねてくる。
どうやら、桐乃は俺に聞いて欲しいようだが……俺は少し考え、こう答えた。
「いや、聞かない」
「……ふうん、あっそ。ならもうアンタには絶対教えなーい」
「なに怒ってんだよ」
「べつに怒ってないし」
俺の返答を聞いた桐乃は、プイ―っとそっぽを向いてしまう。
やれやれ、機嫌損ねちまったな。
でもな……俺たちが本当の兄妹だったとして、桐乃がどうしてたのか――なんて、怖くて聞けるわ
けねーだろって話だ。
「……あのな桐乃、もしもの話なんてなんの意味もないだろ?」
「ふーん、あんたにはそうなんだ?」
「おう、俺はいまここにある現実がめちゃくちゃ幸せなんだから」
俺はそう言って、桐乃の肩を抱き寄せる。
ふわりと甘ったるい独特の匂いが鼻をくすぐる。
「あっそ……ならいいケド」
「おうよ」
こてん――と、俺の肩に頭を預けてくる桐乃。
そして、ボソッと呟く。
「……あたしも幸せだし」
「知ってるよ」
いい雰囲気の中、ドーンッ――っと、大玉の花火が夜空を彩った。
「あっ、始まったね」
「……始まったな」
桐乃の様子を窺うと、吸い込まれるように夜空を見上げていた。
花火に照らされた横顔はいつもより艶っぽい。
「……きれい」
「お―――だな」
おまえの方が綺麗だよ――なんて、こっぱずかしいことを口にしそうになった俺は、顔が熱くなっ
てきて慌てて桐乃から視線を外した。
代わりに夜空を見上げると、まん丸い大きな花火が広がっている。
「まるで桐乃の顔のようだな」
「なんか言った?」
「なんも言ってねーよ」
――そして花火大会も終わり、俺たちは人が少なくなってきた出店を回っている。
「わたあめとリンゴ飴は買ったし、後はどうする?」
「ん~、後はゆうちゃんにメルルのお面と~、りょうちゃんは何がいいかなぁ~♪」
涼介と優乃へのお土産のため、なんて言いつつ、思いっきり楽しんでるところがコイツらしい。
「はやくしねーと出店も閉まっちまうぞ」
「わかってるって~!ふひひっ!」
「ったく、やれやれ……」
子供に戻ったようにはしゃぐ桐乃。
それを見て苦笑する俺。
「おまえらしいよ」
俺は妹の頭に手を乗せて、優しく撫でる。
掌に伝わる愛しい手触り。
そのぬくもりは、紛う事なき本物だ。
決して夢幻などではない現実だ。
高校を卒業し、大学に入学し、就職活動に奔走し、生涯の伴侶を得、子供を授かった。
『俺』が『妹』と歩んできた道程は、振り返ればそこにある。
昨夜夢に見た、いまは遠いあの頃。青春の直中にあった、あの時の俺。
『彼』が歩んでいく人生は、果たして俺と同じものだろうか。
それでも――きっとなんとかするんだろうさ。
暖かな時間が流れる中、俺はふと、そんなことを想うのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ふあ……」
カーテンの隙間から差し込む朝日を浴びて、俺はいつもより少し早く目を覚ました。
「あっちぃーな……」
俺の部屋にはエアコンがないので、八月頃は“基本的に”毎晩暑さと戦っているのだが、昨夜のよ
うな熱帯夜は特にキツイ。
寝汗でシャツが貼り付いちまってる。
うげっ……ぱんつまでぐっしょりだ。
「とりあえず着替えに行くか」
――脱衣所で汗を拭きながら、俺は昨夜見た夢の内容を回想していた。
「義妹ね……エロゲーじゃあるまいしよ」
桐乃にも義妹に期待するなって言われたしな。
そりゃ――義理の妹だったら、いま俺が抱えてる問題なんて一発で解決して全部上手いこといく
んだろうなーって、考えたことはあるけどさ。
そんなものはエロゲーや夢の中だけの話だ。現実では有り得ない。
「つーか、エロゲーといやぁ……」
汗を拭き終わり、部屋から持ってきたぱんつを手に取りながらふと、俺は考えてしまった。
エロゲーだったら脱衣所は間違いなくイベントCGが発生する場所だろう。
そうだな、例えば、実は桐乃が先に朝風呂に入ってて、タイミングよく風呂場から出てくる――そん
な感じのイベントが発生する場面のはずだ。
「なんて、な――」
妄想をやめて手に持っていたぱんつを穿こうとした瞬間、突然ガラッ―と風呂場の方……ではな
く、脱衣所のドアが開かれた!
「あ……きょうす」
「!?き、桐乃!?」
「なっ――――な、ななな、なっ!」
桐乃は大きく目を見開いて硬直している。
いやいや、このシチョエーション、どう考えても逆だろッ!?
俺が桐乃に裸を見られるイベントCGとか、そんなイベントは望んでないっての!
……ああ、なんか裸エプロンを要求される夢を思い出しちまったぜ……。
俺は、あやせがよくやる恥じらいのポーズになり――
「……そ、そんなにまじまじと見るなよ、えっち」
「は、ハアアアアアアアアアアアアアアア!?ぶ、ぶぶブチ殺されたいわけ!?ってか!女の子に
っ、そ、そんな汚らわしい物見せつけといて、あんた、朝っぱらからハダカで何してたわけ!?」
「俺はただ起きたら汗かいてたから着替えてただけだ。それに、脱衣所は服を脱ぐとこだし、確認
もしないでいきなり入ってきたのはおまえだろう」
「そ、それはそーだけど!」
「おまえこそ、朝から風呂に入る様子でもないのに、脱衣所に何しに来たんだ?まさか……」
「そ、そんなの深い意味ないって!」
「そろそろ服が着たいんだが」
「勝手に着ればいいでしょ!」
桐乃は赤鬼のような形相で出て行ってしまった。
この日、俺のぱんつが『また』一枚減っていたのは、別の話である。
――朝のやり取りから時間は流れ、夕方になった。
夏休みも残り僅かとなった八月最後の週。夏の締めくくりということで、俺と桐乃は花火大会に来
ている。
「今年も人多いな」
「そっか、あんた去年はアイツと花火デートしてたんだっけ?ねぇ、京介ぇ?どうだっけぇ?」
「ぐっ…………!」
浴衣姿の妹が目を細めながら聞いてくる。
知ってるくせにわざと言ってやがる……人の傷口に塩を塗りこむような真似しやがって!
こいつは鬼か!鬼なのか!?
「そ、その話はやめようぜ!」
「やだ」
「なんでだよッ!?」
ここで追求を止めないとか、この女どこまでドSなの!?
「……あんたが去年あいつと回ったルートと同じとこ回るから。ほら、さっさと教えなさいよ」
「あ、ああ、なるほど……黒猫と同じことをしてくれるってことか?」
「ふん、まあ、そーゆーこと」
もしかしなくても去年の俺に嫉妬してるらしい。俺の妹様にはこういうことが、ままある。
俺は少し考え……仕返しの意味を込めて、こう言ってやった。
「よし、桐乃。思い出したぜ」
「ん。で、どこ回ったの?」
「出店を回る前に、俺たちは手を繋いだんだ」
「……えっ?ホントに?」
まあ、若干嘘だけどな。
しかし、いいことを思いついた俺は、ダメ押しをする。
「おう。出店回ってる時も、花火見てる時もずっと繋いでたな」
「で、でも、あたしたちは普通の兄妹だし……人前で手、繋ぐとか……」
「おまえが言い出したんだから、いまさら嫌なんて言うなよ――ほら、手繋ごうぜ」
そう言って俺は妹に左手を差し出した。
「……うん」
桐乃はおずおずと手を取り、握ってくる。
俺はその手をしっかりと握り返す。
「じゃあ、行くか。まずはメルルのわたあめ買って、お面買って、ヨーヨー釣りして、他にもいろいろ
して、花火見て……それから――」
「それから?」
俺は桐乃の耳元で囁く。
「帰り道、キスをするんだよ」
「―――――」
桐乃は一瞬で顔が真っ赤になり抗議してくる。
「ッ!は、はあ――ッ!?う、嘘吐くなっての!」
「おいおい、手を振り回すなっての」
手を繋いでるもんだから、桐乃が手をブンブン振り回す度に、俺の腕まで引っ張られてしまう。
「あ、あんたが嘘吐くからでしょ!」
「どこが?」
「あたしとしたキスが初めてって言ってたじゃんっ!」
「あ……そうだっけ?」
一発で見抜かれてしまった。
「あんた、そんな嘘吐いてまで妹とキスしたかったワケェ?」
「兄妹なんだから別にいいだろ?」
「ふうん……じゃあ、帰ったら人生相談、する?」
「へっ――望むところだ」
俺たちは血の繋がった兄妹で、それが俺たちの現実だ。
恋人として付き合っていた時もあったが、いまは普通の兄妹としてやっている。
あの時アキバで交わした約束は――俺たち『二人だけの秘密』である。
夢の中のあいつは心配してたみたいだけど、俺は桐乃を幸せにすると誓っている。
もしも、話す機会があるのなら『あいつ』に俺の決意を伝えたい。
『実妹エンドやってやるぜ』――ってな。
―おしまい―
最終更新:2013年09月14日 02:09