俺が帰宅すると、リビングのソファで妹がアニメ鑑賞をしていた。

「ただいま」
「…………」

 挨拶をしてやったというのに、こちらをチラリとも見やしないのは、まあ、いつものことだ。そもそも俺を無視したというより、桐乃は現在再生中のアニメの方に夢中で俺の帰宅に気付いていないようだった。
 俺はそのまま妹の横を通り過ぎ、ホットコーヒーを二人分用意した。そして妹が座っているソファの隣に一人分のスペースを開けて座る。
 マグカップをそっと桐乃の前に置こうとした時だった。

「ねぇ、ちょっと!」

 桐乃が一人分の距離を一気に詰めて、俺の袖を引っ張ってきやがった。
 相当興奮している様子である。つーか俺が帰ってきてることに気付いてんなら、お帰りの一言くらいあってもいいんじゃねぇのか?
 鼻息荒く袖を引っ張ってくる桐乃に、俺はやや引き気味に返事をする。

「な、なんだ?」
「この子! チョーかわいくない?」

 桐乃が指し示す画面(どうやら一時停止状態のようだ)には、髪が真っ白……というか髪が蛇の女の子が映っていた。

「……いや、普通に不気味なんだが」
「はあっ!? あんた撫子ちゃんの可愛さが分からないとか、いったい何年妹エロゲーやってきたの? そんなんで妹エロゲーの申し子とか自称しないでくれる?」
「妹エロゲーの申し子を自称した憶えはないッ!」

 その称号を自称するヤツはこの世におまえ以外には存在しねぇ! ……しかし、このまま桐乃のお気に入りのキャラを貶し続けると喧嘩になりかねないので、俺は無難な返答を選択する。

「おまえはこの撫子ちゃん……とやらのどこに魅力を感じるんだ?」
「あれ? それ聞いちゃう? てか聞きたい? ふっふっふ、しょーがないなぁ~! 無知なアンタにこのあたしが、あたし自らが撫子ちゃんの魅力を語ってあげよう!」
「…………うっぜぇ」

 無難なつもりの選択が完全に裏目に出てしまった。……こうなってしまっては腹を括るしかないだろう。自分から質問しておいて、今さら聞きたくないとは言えんしな。
 この後、小一時間にわたって撫子ちゃんの魅力を聞かされ続けた俺だったが、理解できたのは撫子ちゃんとやらが、どうやら妹キャラであるという事だけだった。

「しかも贅沢なことに妹キャラである撫子ちゃんだけじゃなく、実妹と義妹までいんの! 火憐ちゃんと月火ちゃんって言って、」
「ちょ、ちょっと待った!」
「え、なに?」

 俺は撫子ちゃんの話が一段落したところでストップをかけた。危うく新たな二人の妹キャラを紹介されてしまうところだったぜ。これ以上聞いてたら……というか、これ以上、桐乃に妹キャラを語らせたら時間がいくらあっても足りない。
 そもそも俺は今の話の流れで聞かなければいけないことがあるのだ。

「あのさ……そもそも、なんのアニメの話なんだ?」
「……あんたそこから分かってなかったわけ?」

 ――ということで、俺たちは場所を桐乃の部屋に移し、妹からコレクションの一部を見せてもらっていた。

「……で、今やってるのが物語シリーズセカンドシーズンってやつね」
「なるほど、二期ってことか」

 厳密には違うけど――と、桐乃は一冊のパンフレットを開く。設定資料集のようなものだろう。

「この子が千石撫子ちゃん」

 桐乃が指し示しながら説明している女の子は、さっきテレビの録画分で放映されていた子とはずいぶん印象が違っていた。……なんというか普通の子だな。

「おい、桐乃。この子さっき変身してたよな?」
「うーん、まあね。ちょっと違うけど、そんなとこかな」
「ふむ……ま、たしかにこの状態なら可愛い妹キャラといった感じではあるな。大人しそうだし」
「ん~、まぁいいセンいってるけどさぁ、その感想だと三十点くらいかなァ~? でもアンタにしたらまずまずの答えか。ズバリ、あたし的に撫子ちゃんの最大の魅力を挙げるとすれば外見より『声』なんだよね。あんたも一回聞いてみ? 絶対気に入るから」

 おまえの台詞はいちいち長い。
 それにしても『声』ねぇ。こんな風に断言されると、どんな声なのか気になってきてしまうな。
 とはいえ、桐乃が自分のお気に入りの作品を大げさに薦めてくるのは毎度のことなので、俺は話半分に聞いていた――この時は。

 翌日の朝。
 正月から数日が過ぎ、両親が家を空ける日がやってきた。(うちは法事やらなんやらで両親揃って外泊してくることがままあるのだ)
 俺が遅めの朝食を摂っていると、そうそうと言いながら、お袋が封筒を預けてきた。

「ん? 何これ?」

 もしかしてお年玉か? と、一瞬思ったが、その可能性はないだろう。哀しいことに高坂家の長男は中学に進学した時点でお年玉制度が終了してしまったのだ。
 ちなみに桐乃は高校生になったというのに、当然のようにお年玉をもらっていた。……高坂家の怪異である。

「京介も大学生だし、これからはお兄ちゃんに預けようと思って。今日は桐乃に晩ご飯作ってもらいなさい」

 どうやら家を留守にしている間の俺たちの生活費らしい。

「へーい、いつ帰ってくんの?」
「たぶん明日には帰ってこられるんじゃないかしら。もし何かあったらあんたが桐乃を守ってあげるのよ?」

 ふうむ、俺もお袋から頼られるまでに成長したってことか。こんなことって俺の人生で初めてじゃねえか? これも普段の行いの賜物ってやつかね。
 自己完結で気を良くした俺は、

「お袋、安心していいぜ。桐乃の面倒は俺がちゃんと見てやるよ」

 と、超かっこよく決め台詞を吐いたのだが、お袋の返答はこうだった。

「変なことの面倒までは見なくていいからね」

 …………。

「な、なんのことかね?」

 あまりにもダイレクト過ぎて、あからさまにテンパってしまった。

「あら、分からなかった? 親がいないからって妹にエロいことしちゃダメよ、って意味」

 全然信頼されてなかった――というか、むしろ高校生の時より悪化していた。

「はは、ははは……馬鹿だなァ、母上は。高坂京介という男がそんなことをするような兄に見えるのかね?」
「見えるから言ってるのよ。……あっ、そうだ。お目付け役にあやせちゃんか麻奈実ちゃんにでも来てもらうって言うのはどうかしら?」
「神に誓ってそのようなことは致しませんので、なにとぞお平らかにお願いいたします!」

 全身全霊でお袋に懇願した。麻奈実はともかく(こっちはこっちで問題があるのだが)、神よりも恐ろしい悪魔(あやせ)を召喚されると脅されれば反射的な、人間としてごく当たり前の行動――というより生存本能の叫びだった。

「まぁ、そこまで言うなら信用してあげなくもないけど……本当に大丈夫?」
「だ、大丈夫だって!」

 どこまで信用がねぇんだ。
 兄としての尊厳や威厳が皆無なように、俺の人権までもがこの家では皆無なのだった。
 ともあれ、「お袋は最初から心配してないわよ」などと言い残し、親父と共に出かけていった。

 その日の夜。
 俺は妹の部屋を訪れていた。

「――というわけ」
「……すまん。もう一度説明してくれ」
「はぁ? 今の説明で分かんなかったわけ?」
「分からんから聞いとるんだ」

 桐乃の発言が意味不明なこと自体はしょっちゅうあるのだが、今日のは特に意味不明だ。

「チッ――しょうがない。あんたでも理解できるようにカンタンに説明してあげる」
「……最初からそうしてくれ」
「よーするにっ、パチスロをやってきてほしいわけ!」
「………………」

 ビシリ、と、俺を指差しながらそんなことをぬかす我が妹。
 一瞬、何を言ってるのか理解できず、リアクションが取れなかった俺だが、

「はぁ!? なんでだよ!?」
「説明したっしょ」
「いやいや! そこがまず伝わってないから!」
「だ~か~ら~、マイスロっていう機能があって――」

 中略。

「……つまり、そのマイスロとやらのミッションをコンプしてみたいということか?」
「そ。で、当然だけど、あたしはパチンコ屋さんに入れる年齢じゃないでしょ?」
「おう」
「そこで、アンタの出番ってわけ」
「なんでそうなるんだ!?」

 いつものことながら、コイツとんでもないことをサラッとほざきやがるな!
 どこの世界にパチスロを兄に薦める妹が……!
 まあ、ここにいるわけだが。

「何度も言わせないでよ。いい? 妹ってゆーのはぁ、兄に甘えるものなの」
「じゃあもうちょっと可愛くおねだり――ってそうじゃなくて! 無理に決まってんだろ!」
「ええ~? なんでよ?」

 ぷくーっと頬を膨らませながら聞いてくる桐乃。こいつ本当に分かってないな。

「いいか。まず、俺はパチスロなんてしたことがない」
「うん」

 まるで『それがどうかしたの?』――とでも言いたそうな顔だな……。

「それでだ、ここからが一番重要なんだが、高校生の妹の金で大学生の兄貴がパチスロに行くってのは……どうかと思わねぇか?」

 これが実現してしまうと表面上、妹のヒモのような兄貴になってしまうわけで……。

「大丈夫。お金はあんたが出すから」
「自腹かよ!?」
「あたりまえじゃん? 自分でやるならまだしも、人にお金渡してギャンブルなんてやってもらうわけないっしょ? しかもあんたド素人だしね」
「ぐぬっ……!」

 たしかに間違ってはないが、これが人にモノを頼む態度か!?
 そもそもよく考えてみれば、このクソ生意気な妹の理不尽極まりないおねだりに応えてやる義理なんて俺にはないな。
 ないよな。あるはずがない。
 俺は怒りを抑え、冷静に言ってやった。

「……じゃあ、おまえが十八歳になってから自分で行けよ。それで解決だろ」
「それはダメ」

 桐乃は首を横に振った。

「はあ? なんでだよ?」
「それだと撤去されちゃうから。あたしが高校を卒業して、めでたくパチンコ屋さんに入ったとしても、その頃にはもうなくなっちゃってるんだよ……パチスロ化物語は」

 化物語。
 どうやら桐乃が昨日の夕方、俺に熱弁していた作品のことらしい。その作品のスロットマシンとやらが世に出ていて、桐乃曰く、こいつがパチンコ屋に出入りできるようになった時にはもう手遅れなのだそうだ。だから、今しかないということで俺に頼み込んでいるらしい。
 理屈は分かる。好きな作品のレアなミッションをコンプリートしたい。オタクでなくとも集めているものをコンプしたい欲求というものが多少はあるだろう。俺もそこまでのオタクではないが、その辺の心理は理解しているつもりだ。桐乃の場合その欲求が強いことも知っている。
 ただ今回の件はなぁ……正直気乗りしない。
 どうしても二の足を踏んでしまう。

「なによ……嫌なの?」
「うん……まぁ、嫌だな。というより、やりたくない」

 ギャンブル自体を。
 桐乃も俺の葛藤は把握しているらしく、

「だよね……ま、その気持ちは分かるけど。うちはお父さんがお父さんだし」

 あの厳格な親父に、長男がギャンブルにハマっているなどと誤解でもされた日には……恐ろしくて想像したくもないぜ。

「そういうこった。ていうか思ったんだけどさ、ゲーセンとかにあるんじゃねーの? それか実機? っていうのか、そういうのを買えば解決するんじゃないのか?」

 わざわざリスクをおかす必要もないだろう。
 しかし桐乃は首を縦に振らなかった。

「だめ」
「なんでだよ。これ以上ない名案だろうが」
「偽物だから」
「……ああ、そう」

 こいつ、化物語とやらの作品から変な影響受けてるんじゃあるまいな。

「しかし、そうなると諦めてもらうしかねぇなぁ。いくらおまえの頼みとはいえ今回ばかりは、」
「む、胸っ!」
「は?」

 胸がどうしたんだ?

「だ、だから……! お願い聞いてくれたら、あたしの胸、好きなだけさわらせてあげても、いい……ケド?」

 それは素敵な提案だな。
 交換条件としては悪くない――しかし俺はこう答えた。

「はんっ――断る。おまえの兄貴をみくびるなよ、桐乃」
「むっ……」

 たぶん桐乃のやつは、『エッチな提案に乗らない京介かっこいい……』と、惚れ直していることだろうが、ぶっちゃけ俺がこの提案に乗らなかった理由としては、桐乃の胸を割と頻繁にさわっているから交換条件としては弱いというだけのことである。
 ……いや、いやいやいやいや……誤解するなよ? リビングで密着した時とかに、すこーし触れる程度のことで、別に寝てる妹のおっぱいを鷲掴んだりしているわけではないぞ! 勘違いしないように。
 俺が誰に対して申し開きをしているのかすら分からない釈明をしていると、諦めたと思っていた桐乃が何か言い始めた。

「分かった……じゃ、じゃあ! 京介にあたしのしょ、しょっ」
「?」

 桐乃は、そのまましばらくぽしょぽしょと「し、しょっ……しょしょ」と、繰り返していたのだが――

「って言えるかぁ~~~ッ!」
「ぶはっ!?」

 いきなりクッション投げてきやがった! 信じらんねぇ、この女!
 突如暴君と化した桐乃は、肩で息をしながら涙目で俺を睨んでいる。ここだけ切り取って見たら、まるで兄貴が妹をいじめて泣かせたみたいに見えなくもないよなぁ。実際にいじめられてるのは俺の方なんだけど……こんな場面をお袋に目撃されたら、言い訳すらさせてもらえないまま家を追放されそうである。

「はぁはぁ……ふぅ」
「お、落ち着け、桐乃……どうどう」
「……大丈夫、あたしは落ち着いた」
「そ、そうか」

 ほんとかよ? 自分でそういうことを言うやつは大抵あやしいんだよな。
 それにしても、こいつは何が言いたかったんだろう。

「こ、こほん……えーっと」

 わざとらしく咳払いをして仕切りなおす桐乃。
 またクッションを投げられるのかと思い身構えてしまったが、そうではなかった。

「あんたがミッションをコンプしてくれたら、あたしがひとつだけなんでも言うこと聞く――っていうのはどう?」

 そうきたか……その交換条件を聞いた俺は、考えるまでもなくこう応えるのだった。

「よーし、乗ってやるよ」

 女の子になんでも言うこと聞くなんて言われたら、男として引けるわけがないだろう。だって、なんでもだぜ? あんなことやこんなことだって! うわぁ、夢が膨らむなぁ!
 桐乃はそれに気付いているのか、気付いていないのか、「ふへへ、サンキュー」とご機嫌だった。

 翌日の朝。
 現在、時刻は九時半を過ぎたところだ。
 俺はトーストを焼いてホットコーヒーを淹れ、朝の気だるい倦怠感を堪能していた。千葉のパチンコ屋は開店時間が十時からなので、十分間に合う計算である。
 と、俺が優雅に朝食を摂っているところに勢いよくリビングの扉が開く。

「何、あんたまだいたの?」
「…………」

 まるで休日の朝、邪魔だからと亭主を家から追い出す鬼嫁のような台詞を吐く、妹の姿がそこにはあった。仁王立ちだし。

「ねぇ、早く行かなくていいの?」
「……まだ三十分近くあるから大丈夫だろ。今から行ったって、まだ開店してねえよ」
「ふーん、まあいいけど。ちゃんと間に合うように行きなさいよね」

 今度は出来の悪い息子を心配する母親のような物言いだ。
 ひょっとすると桐乃は意外にも家庭的なタイプなのかもしれない。
 俺は残っていたコーヒーを飲み干し席を立った。

「へいへい……じゃあ頑張ってきますよ」
「ん」

 ひらひらと手を振る俺の背に「がんばれ」と、いまいちやる気のない声援がかかる。
 ……まぁ、妹様のためにいっちょ頑張ってみますかね。

 ※

「……うるせぇなぁ」

 午前十時過ぎ。俺はコンビニに寄り、お金を下ろし、家から一番近くにある比較的大き目のパチンコ店に来ていた。覚悟を決め、自動ドアをくぐってまず最初に口をついたのがこの感想だった。
 いや、実際めちゃくちゃうるせーの。俺もゲーセンとか妹たちと一緒にちょくちょく行くんだけど、そういう施設の比じゃないほどの騒がしさといえば伝わるだろうか?
 それに喫煙者が多いのか、俺のようにタバコを吸わない人間からするととても空気が悪い。活気はあるのだが、縁日やらとの喧騒とは全く違う、異質な空間が広がっていた。まさしく鉄火場ってやつだ。
 俺は独特の雰囲気に圧倒され、しばしたじろいでいたが、いつまでもそうしてはいられない。さっさとお目当ての化物語を探さなきゃな。
 パチスロのコーナーを徘徊してみる。
 ぐるぐると当て所もなくコースを巡回していると、化物語はパチスロコーナーで一番目立つであろう真ん中の列の角に設置されていた……のだが。

「ありゃ……満席か」

 五台あるパチスロ化物語はすでに先客で埋まってしまっているのだった。
 まいったな……こりゃ桐乃の言うとおり悠長に朝飯喰ってる場合じゃなかったかもなぁ。人気があるであろう化物語に座るためには開店前から並ぶ必要があったのかもしれないな――と、後悔していたら、「あら? ……京介くん?」と声をかけられた。
 俺は声の主の方を見てみる。

「げっ……フェイトさん!」
「『げっ』ってなによ! 失礼しちゃうわね。まだ何も頼んでないじゃない」

 憤慨する伊織・F・刹那。薄幸の美女といえば聞こえはいいが、この場面で最も会ってはならない人物に遭遇してしまった。しかもまだってことは、そのうち何か頼むつもりってことじゃねぇか。パチンコ屋での頼まれごとなんて百パー『アレ』しかねーだろ……絶対にお断りだ!

「ねぇ、京介くん」
「嫌です」
「まだ何も言ってないじゃない!」
「金は貸しません」

 フェイトさんに金を貸すくらいならドブに捨てた方がいくらかマシだ。ドブに捨てた場合は後で拾えるからな。

「まあそのお願いをする可能性はあるけれども、というかぜひ貸して欲しいけれど」
「いや、だから貸しませんって」
「倍にして返すわよ? ……って、そうじゃなくて、京介くん。通路でボーっと立ってると他のお客さんの迷惑になるから」
「あっ……すんません」

 非常識な人に常識を説き伏せられてしまった。……人生の汚点だ。
 人の迷惑にならないように、コースの端に寄ったところでフェイトさんが聞いてきた。

「こんなところで京介くんに会うなんて意外だわ。あなたどちらかというと堅実な人生を選ぶタイプだと思ってたんだけど」
「これには深いわけがあるんですよ……」

 フェイトさんに説明する気はないが 俺は高校のある時を境に茨の道を選択し続けているんだけどな。堅実どころか無謀とも言える人生を送っている。

「で、今日のお目当ては化物語?」
「あ、はい。でも満席で座れませんでしたけどね」
「実は私もそうなのよ。空いたら座りたいんだけど、ただ待ってるだけっていうのも時間がもったいないし、他の機種でも座ろうかしら。京介くんも一緒にどう?」
「あー……どうしようかな」

 ぶっちゃけ他の機種とか言われても興味ないし、桐乃からのミッションは化物語だしな……と思ったのだが、一も二もわからないままより多少勉強しておくべきか。フェイトさんと並んで座ってパチスロのことを教えてもらうのもいいかもしれない。

「うーん、じゃあ、そうします」
「そう、なら何がいいかしら? 京介くんが選んでもいいわよ」
「えっ……俺が選ぶんすか?」
「ええ。私は基本的になんでもいいからね」

 にこにこしているフェイトさんだが、そうは言われても俺は別に好きな機種とかないしなぁ……そう思いながら辺りを見渡すと、ある機種が目に入った。

「あっ……北斗の拳」
「なに? 北斗がいいの?」

 いや……北斗の拳という作品を知っているからというだけで、別にこれがやりたいわけではないのだが。まぁ、知らない作品の機種よりは知ってる作品の機種を選んだ方が幾分かマシだろう。

「そうっすね、じゃあこいつにします」
「いいわよ。あ、でもこれ救世主の方ね」

 なんだそれは。なんだかよく分からん専門用語らしき言葉が飛び出してきたぞ。

「まぁいいわ。とりあえず座りましょう」

 ということで、俺とフェイトさんは並んでパチスロ北斗の拳に腰を下ろした。
 財布からお金を取り出したところで、頼んでもいないのにフェイトさんからの解説が入る。

「この台は純増2.2枚のARTタイプなのよね」
「はあ……」

 なんだジュンゾウ2.2って。円周率3.14みたいなものか? ARTって芸術的って意味の新しい言い回しか?
 俺の適当な相槌を受けたフェイトさんは、

「あら? もしかして京介くんって北斗初めてなの?」
「……というより、そもそもパチスロ自体が初めてです」

 隠す必要もないので正直に言った。
 するとフェイトさんは馬鹿にした風もなく、しかし少し呆れ気味にこう言ってきた。

「初めてのパチスロの時に一人で出陣する猛者はなかなかいないわよ。普通は詳しい人間に連れられて来るような場所だからね」
「……たしかに俺もそう思いますけどね……」

 俺の周りにギャンブルをするような友人はいないから、この選択は避けられなかったといえよう。……別に俺が大学で孤立しているわけではないぞ?

「じゃあとりあえずお金を隣のサンドに入れて。そうすると貸しコインが出てくるわ」

 言われるままにサンドというらしい台の横に備え付けられている装置に一万円札を投入する。すると、カタカタと五十枚ほどのコインがノズルを伝い台の下皿に落ちてきた。
 ……これが千円の代償なんだな。何か大切なものを失った気がするが、そんな感傷に浸る間もなくフェイトさんが確認してくる。

「ところで京介くん。今日の軍資金はいくらなの?」
「えっ……それは」

 一瞬、フェイトさんの目が獲物を狙う猛禽類の如く、鈍い光を放っているような錯覚を覚え躊躇してしまう。しかし教えを請う立場として、これは礼を失する態度だな、と思い直し、俺は正直に答えた。

「さっき三万ほど下ろしてきました」
「三万円!?」

 びっくりしている様子なので、多過ぎたのかなと思った俺だったが、違っていた。

「全然足りないわよ、そんなんじゃ」
「マジっすか!?」

 まさか足りないと言われるなんて……思ってもみなかった台詞だった。

「うん、全然ね。最低でも十万くらいは用意してこないと話にならないわよ」
「…………十万」

 俺は戦慄するしかなかった。
 ん? 待てよ。

「あれ? てことは、フェイトさんも今日はそれくらいの軍資金を用意してるってことっすか?」

 この人にそんな財力があるとは思えないんだけど……。

「え? ううん? 私は一万円しか持ってないわよ。というよりなけなしの最後のお金よ」
「あんたの方がよっぽどピンチじゃねぇか!」

 足りないどころの騒ぎではないレベルだった。

「ええ、そうね。ピンチもピンチ。大ピンチよ。正直言って、今日負けたらご飯が食べられなくなるくらい困窮しているわ」
「その一万円で飯喰えよ!」

 一万円もあったら、なんだって好きなモン喰えるよ!?

「負けられない戦いが……ここにはあるのよ!」
「人間こうはなりたくねぇなぁっ!」

 生活費をギャンブルに突っ込むってどんな気持ちなんだろう……決して理解したくない心理だが。

「まぁ十万円は言い過ぎたけど、その昔……今のパチスロとは規定が違う四号機と呼ばれる機種がメインの時代があってね。その当時、というかパチスロ全盛期の立役者である吉宗という化物マシンがあった頃は、最低でも七万円以上はお財布に入れていないと落ち着かない――という廃人たちが誇張抜きで本当に跋扈していたのよ」
「へぇ……どうでもいい豆知識っすね」

 アンタ本当は何歳なんだよ。その時代のパチスロ事情を知ってるとか二十代じゃねぇだろ。

「そうでもないわよ。その立役者と双璧をなしていたパチスロ北斗の拳。そして、今、私たちが座っている台がその正統後継機なのよ」
「ふうん……」

 やっぱりどうでもいい豆知識だった。

「さあ、コインを三枚投入口に入れてレバーを叩いてみなさい」
「は、はい」

 俺は言われたとおり、おぼつかない手つきでコインを投入口に入れ、レバーを叩く。

「どう? リールに描かれてる絵柄は見える?」
「……いや、なんとなくしか見えないですね」

 どれだけ眼力を飛ばしても、ぼんやりと識別するので精一杯だった。

「じゃあ黄色の七絵柄は見える?」
「なんとなくなら、見えなくもないです」
「そう。ならそれを目安にストップボタンを押してみて。左か、真ん中……というか右から以外なら好きな順番で押していいからね」

 フェイトさん曰く、高速で回転するリールの絵柄を完全に視ることができる人も存在するらしい。動体視力が異常に高い黒猫ならそういう風に見えんのかな?
 その後もフェイト先生に教えを受けながら、俺は台と格闘することとなった。
 そして二時間が経過――

「――――」
「これ結構面白いっすね!」

 俺はケンシロウとラオウの死闘が展開されるART、激闘乱舞とやらにすっかりハマっていた。
 投資は最初に借りた千円だけである。すぐに当たって、そこからあれよあれよという間に、出てきたコインでドル箱ひとつが満タンになっていた。

「いやぁ、パチスロって思ってたより簡単だなあ」
「京介くん、こういうのをビギナーズラックって言うのよ?」

 フェイトさんは何やら複雑な表情でそう言ったけど、たぶん負け惜しみだろう。
 そしてトイレに行った際、化物語が空いていることに気付いた。
 俺は急いでフェイトさんのところに戻る。

「あのっ、化物語が空いてたんすけど、あっちに代わってもいいんですかっ?」
「あら、空いたの? この店は移動自由だからOKよ」

 おお! ついに本格的なミッションが始められるぜ!
 俺は早速、北斗の拳で出したコインを持って化物語に移動する。
 席に着席し、ポケットから携帯電話(最近新調したスマホ)を取り出す。そして、事前に登録していたマイスロの画面から化物語のトップメニューを開きパスワードを発行、それを台に入力する。

「……よし、これで舞台は整ったな」
「いい? 京介くん、この機種は通常時、指示がない場合は必ず左から停止させなければいけないから注意してね」

 いつの間にかフェイトさんも、隣の空き台になっていた化物語へと移動してきていた。

「了解っす。左から押せばいいんですね?」

 答えながら俺がレバーをこんっと叩くと、

「あ、あれ……? リールが逆に回ってる? も、もしかして俺、台壊しちゃったんすかね?」
「…………」
「痛ぇっ!」

 無言のままわき腹に肘打ちをしてきやがった……この年増っ……!
 不機嫌なフェイトさんの解説によれば、どうやらこの現象はフリーズといって、かなりレアな上に恩恵のあるものだそうだ。そして、そのフリーズを皮切りに、驚くべき速さでコインが吐き出され、気付いた時には後ろの千両箱が銀色に輝く硬貨で埋め尽くされていた。
 そして時刻は午後四時前。

「あ……もうこんな時間か……」

 俺は下皿に残っていたコインをかき集め、ドル箱に移す。

「えっ、もしかして止めるの!?」
「はい、今日のところはもう十分かなって。もうすぐバイトの時間だし」

 俺が大学に入ってから頑張っているのは、何も勉強だけではなく、バイトもその内のひとつである。この九ヶ月間しっかり貯金もしてきた。そのバイトを休むわけにはいかないからな。

「で、でも京介くん? さっきも言ったけどキミの台、赤七の時に忍野忍ちゃんの背景が出てたでしょ? あれは高設定確定のサインなのよ? ……ていうか正月明け早々、高設定を使ってくること自体が想定外過ぎるんだけどね。……それに解呪ロングにまだ滞在してそうだし」

 うーん……なんか必死に説明してくれてるところ申し訳ないんだけど、高設定がどうのとか、解呪がどうのと言われてもいまいちピンとこないんだよな。
 だから、俺はこう答えた。

「……正直よくわかんないですし、バイトもあるんで続きはフェイトさんやってくださいよ。この台、止めない方がいい台っていうなら、今日いろいろ親切に教えてもらったお礼だと思ってくれれば」
「えっ! ほんとにいいの!?」
「もちろん」
「あ、ありがとう京介くん! 助かったわ! 残り三千円しかないけれどこれで勝てる!」

 あれ? これでよかったのか? この場面はフェイトさんも一緒に止めさせて、残りの三千円でせめて米を買えと言うべきだったのではないだろうか?
 完全に負けフラグを立てているフェイトさんに一抹の不安を残しながら、俺はコインを流した。
 流し終えたレシートを見ると五千枚を超える数字が記されている。
 この数字を見ても金銭に直結しないのはやはり素人といったところか、俺はこのレシートから生み出される金額をこの時点ではまったく予想すらできなかった。

「……で、こいつを交換所ってところに持っていけばいいんだったよな」

 店を一旦外に出て、周囲をぐるっと回ってみると映画館のチケット売り場のような小さな交換所を見つけることができた。ここにレシートを置けばいいのかな?
 俺はレシートを交換所の小さなスペースへと置き声をかける。

「えっと……すいません。交換お願いします」

 ガラッとレシートを置いた箱が向こう側に吸い込まれる。

「? あぁ、お兄さん。これはここじゃ扱えませんよ。一度カウンターに行って、特殊景品に交換してもらってから、もう一度ここに持ってきてください」
「あ、はい……」

 俺はつき返されたレシートを持って、店の中へと戻る羽目になった。
 なんだこのシステム? しちめんどくせぇなぁ。
 出たコインを一度流してレシートにして、そのレシートを店で景品に換えてもらって、それから景品を交換所に持っていって、ようやく現金に還元されるとか……誰がこんなややこしい上に非生産的なシステムを採用したんだ?
 ともあれカウンターでレシートを無事、景品に交換してもらった俺はまずその量に驚いた。一つ一つは小さいのだが、両手に抱えないと持てないほど大量の数の景品だったからだ。大量の景品が入った箱を両手で抱え、もう一度交換所に向かいようやく現金に交換してもらうことができた。

「……マジかこれ……すげぇ」

 俺が受け取った現金は軽く十万円を超えていた。
 ……たった六時間程度で十万円という大金が手に入るとか、これはやばい。駄目だ。人間が駄目になる。ていうかひょっとしたら俺ってものすごい博才を持ってるとか? ……うわぁ! やっべぇ! 今まで気付かなかったけど俺にとってこれが天職なんじゃね!? バイトでちまちま稼いできたのが馬鹿らしくなるなぁ!
 一応バイトには向かったものの、この時の俺は完全に浮かれていた。
 釈明させてもらうと、初めてのギャンブルで大金を手に入れた人間は、少なからずこういう思考回路になってしまうはずだ。
 そしてまったく身が入らないまま、バイトの業務を終え、午後十時頃に帰宅した。

「ただいまー!」

 上機嫌に玄関を開け、リビングに向かう。
 一刻も早く、桐乃に本日の成果を報告……もとい、自慢したかったのだ。
 リビングに入ると桐乃は晩飯の支度を整えて待っていてくれた。

「あ、おかえり。どうだった?」

 開口一番、そう聞いてきた。こいつも結果が気になって仕方がないらしい。

「ふっふっふ……そう焦るなよ、桐乃。飯喰いながらじっくり聞かせてやるからさ。天才ギャンブラー京介さんの話をな」
「うわ……今年一番キモい顔」

 心底そう思ってそうな感じで言われたけど、そんな罵倒も今日に限ってはまったく腹が立たないぜ。

 桐乃が作ってくれた肉じゃがを喰いながら戦果を報告する。

「……へぇ、勝ったんだ。よかったじゃん」
「まぁな、それに見ろよ。どーよ?」

 俺はスマホでマイスロのミッション達成ページを表示し、桐乃に手渡す。

「おおっ! もう四十パーセント近くも達成してる!」
「すげぇだろ? こりゃ思ってたより早くコンプできそうだぞ」

 我が家の姫君はスマホを俺に返し、満足そうにこうおっしゃった。

「うむ! 褒めてつかわす!」
「へへー、ありがたき幸せ」

 何年経とうと高坂家の兄妹の間で下克上は起きそうにない。

「てかさ、今あんたの財布の中、十万も入ってるってこと?」
「え? まあ、そうだけど……」
「ふーん……じゃあ半分渡して」
「はぁ!? な、なんで!?」

 この鬼嫁……もとい鬼妹のやつ、兄に自腹でパチスロをさせた挙句、勝ったらそれを半分徴収するというのか!? ふざけんなよこのやろう!

「何かの時のためにあたしが半分預かっておいてあげるってこと」
「…………」
「ほら、さっさと出す」
「…………わーったよ」

 結局、俺は妹の圧力というか、圧政には逆らえず、渋々、手に入れた十万円の半分を預けざるを得なかった。
 せめてもの抵抗というわけではないのだが、恨みがましく妹を見つめる。

「ん? 何その目。何か言いたいことでもあるワケ?」
「あっ、いや、なんでもないっす……」

 ……睨み返されてしまった。このクソ妹め……おまえのせいで兄貴がおしっこちびったらどうすんだ?

「ふーん、まぁいいや。明日からもこの調子で頑張ってよね」
「へいへい、そこは任せとけって。……あ、そうだ――おまえ化物語のアニメのDVDって持ってるか?」
「ん? もちろん全部持ってる、てかシリーズ全部持ってるけど? 今もセカンドシーズン集めてるし」

 当然のように全シリーズコンプしているらしい。さすが俺の妹。

「へぇ……そっか、ならよかったら貸してくんね?」
「おっ! さてはアンタも撫子ちゃんの魅力に気付いたんでしょ~っ」
「ま、まぁな……パチスロの予習も兼ねて一回観てみたくなってさ。貸してもらえるか?」
「ふひひ、いいよ貸したげる! 全シリーズとセカンドシーズンの録画分のDVD、貸してあげるから明日までに観ておくこと! これゼッタイ!」
「……できるだけ善処させていただきます」

 いったい何時間かかるんだろう……? 絶対今日中に終わらない気がする……。パチスロに行ってる場合じゃねぇなぁ、こりゃ。
 急遽明日の予定が、アニメ鑑賞に決定してしまったのであった。

 翌日の夜。
 ……なるほど。これは面白い。
 それが物語シリーズを視聴し終えた俺の感想だった。
 ストーリーもさることながら、主人公である阿良々木暦の突っ込みには、突っ込み担当の俺も感心してしまうほどの切れ味があった。ううむ……勉強になるなあ。
 そして多種多様なヒロインたち。
 彼女たちの魅力もこの作品の大きな見所のひとつだろう。
 まず戦場ヶ原さんは俺の知り合いにいないタイプの一風変わったツンデレといった感じ。ロリ兼丁寧口調の八九寺ちゃんは、加奈子にブリジットちゃんを足すとあんな感じになる気がする。神原さんはあやせと悪魔同盟を結べばいいんじゃないかな? 羽川さんは、まあ眼鏡だよな、眼鏡を外す選択は俺なら選ばないけど……あのすべてを把握してる感じは俺の幼馴染にも通じるものがありそうだ。ファイヤーシスターズは……ノーコメントで……。
 うちの妹は強いて言えば、忍ちゃんに通じるものがある気がする。話し方とか雰囲気は似てないけど――あの理不尽なところとか。
 そして桐乃がお気に入りだと言っていた、千石撫子……彼女の声は――
 俺は時計を確認する。現在の時刻は深夜一時前。……起きてっかな。
 少し悩んだ末、俺は友人に電話をかけることにした。
 prrrrr……。
 prrrrr……ピッ。

『もしもし』

 ツーコールで出た。

「黒猫、まだ起きてたんだな。元気か?」
『お陰様でね』

 なんだか声が眠そうだ。もしかしてもう寝てたのかな?

「あの、悪いなこんな時間にいきなり電話しちまって」
『気にしないで頂戴、冬コミで買った戦利品を眺めていたところだから起きていたし』
「そっか」
『……そういえばまだ言ってなかったわね』
「ん? 何をだ?」
『明けましておめでとうございます、先輩』

 ……そういや、メールで軽く挨拶したままだったな。うっかりしてた。普段世話になってる沙織や黒猫にはこっちから先に言うべきことだ。沙織には明日にでも挨拶しておこう。

「ああ……明けましておめでとう」
『ええ……それで何か用かしら?』

 こいつには遠回しに言うより単刀直入に切り込んだ方がいいだろう。

「いや、まぁ、たいしたことじゃないんだけどさ、ちょっと聞きたいことがあってな」
『聞きたいこと?』
「おう、おまえさ、化物語……って知ってるか?」
『勿論知っているけれど、それがどうかしたの?』

 やっぱり知ってたか。桐乃が好きな作品のことをこいつが知らないわけがないよな。
 さて……ここからが本題だ。

「じゃあさ、黒猫。おまえ、千石撫子……って知ってるか?」
『ッ……!?……し、知らないわね……』

 この反応は絶対嘘だろ。
 そもそも『勿論知っているけれど』という作品のキャラクターを知らないはずないだろ。

「本当に知らないのか……?」
『え、ええ、勿論知らないわ……』

 怪しすぎる……。
 まったく……こいつは桐乃と同じくらい嘘が下手くそだな。

『あの……先輩?』
「ん?」
『そ、それがどうかしたのかしら? ……千石撫子というキャラが何か……?』
「うーん実はさ、その件で、千石撫子の件でちょっとおまえに頼みたいことがあるんだ」
『……どんな?』

 よし……言うぞ。

「えっとな、『こよみ、』」
『厭よ』
「まだ途中までしか言ってねぇぞ!?」

 フェイトさんの気持ちをちょっと体験しちゃったじゃないか!

『あなたの言いそうなことくらいお見通しよ』
「てことは、やっぱ知ってるってことだな、千石撫子のことを」
『ふ……流石は先輩、よくぞ見抜いたわね……彼女は我が半身と言っても過言ではないわ』

 それは言い過ぎだろう。

「なあ、」
『厭よ。なんと言われても聞けないわね』
「むっ……」

 こいつもこういうところ頑固なんだよな……。
 ……こうなったら仕方がない……奥の手を使うしかないか。

「黒猫……もしおまえが頼みを聞いてくれるなら、俺がなんでもひとつだけ言うことを聞くってのはどうだ?」
『なんでも……?』

 おっ、反応した。
 思ってたより効果があったみたいだ。

「おう、なんでもいいぞ。俺に叶えられることならな」
『そう……じゃあ』

 黒猫はなんでもひとつというお願いを、俺のように悩むことなく、あっさりと……まるであの時の桐乃のようにあっさりと決め、それを口にした。

『大好きな先輩と、両想いになりたいとか……そんなお願いでも叶うのかな』
「……そいつは適わないな、黒猫」

 ……軽率な発言のせいで、とんでもない大ダメージを受けてしまった。
 なんか声のトーンが黒猫とは思えないことも相まって、闇猫化した時以上の精神攻撃だった。
 俺が罪悪感で押し潰されそうになっていると……。

『ふふっ……冗談よ。どうかしら? 似ていた? 割と自信作なのだけれど。先輩は私に千石撫子の物真似をさせたかったのよね? それならこれで文句はないでしょう?』

 ああ……たしかに物真似をさせたかったわけだが、台詞のチョイスが最悪だ!
 悪意を感じるレベルである。

「……ありがとうよ。本人かと思うくらいそっくりだったぜ。おかげで阿良々木くんの気持ちがちょっとだけ味わえたわ」
『ふ、ふふ……お互い様ね』
「あん? 何がだよ?」
『私も今のやり取りで、かなりの深手を負ったということよ』

 だったら最初からやめとけよ。
 ……そういえば桐乃も火憐ちゃんの台詞を参考にしようとして大ダメージを受けていたな。DVDを観て、あの時桐乃が何を口走ろうとしたのか知ってしまった俺である。……うちの妹がウブでよかった。いやマジで。
 
『ところで先輩、パチスロに嵌まっているそうね』
「まだ一回しか行ったことねぇよ……ってなんで知ってんだ?」
『桐乃から聞いたのよ』
「ああ……なるほど」
『自慢げに三時間ほどあの女の話に付き合わされたわ。途中からなぜか話の内容が兄自慢にすり替わってさらに三時間……合計六時間、なんの苦行かと思ったわね』
「そいつは大変だったな……」

 兄として申し訳ない気持ちでいっぱいだった――と、そこで黒猫は声のトーンを落としてこう言ってきた。

『気をつけなさい。ギャンブルを甘く見ているとあっさり……呑まれるわよ』
「大丈夫だって。自分で言うのもなんだけど、俺すげぇ博才持ってると思うんだよね」
『あら? そうなの?』
「おうよ、天才ギャンブラー京介さんと呼んでくれてかまわないぜ?」

 俺は自信満々でそう言ったのだが。

『ふうん……じゃあ先輩はポーカーで自分の好きな時に、ロイヤルストレートフラッシュを揃えられるということなのかしら?』
「え? ……いやそれはさすがに無理だけど」
『では、先輩は、國士無双をテンパイした時にリーチをかけるタイプなのかしら?』
「あの、黒猫さん? ……話がよく分からないんだけど」

 國士無双って、麻雀の話しか?

『ふっ、それが直感で理解できないようであれば、あなたは天才ギャンブラーなどではないということよ。勘違いして暴走しないように気をつけることね』
「……肝に銘じておくよ」

 俺は、この時の黒猫からの忠告をしっかり受け止めておくべきだったと、後悔することになる。
 なぜ忠告を忘れてしまったのかというと、前日の大勝利で浮き足立っていたことに加え、この日から数日間、負け知らずだったからだ。
 しかし、ビギナーズラックから始まる絶好調が当然長く続くはずもない。数時間で大金が稼げるなら、その逆もまた起こり得る、ということに俺は自らの体験談として思い知ることとなった。

 ※
 
「くっそぉ……んだよこれ、壊れてんじゃねぇのか!?」

 台に八つ当たりをしたがる右腕を、俺はかろうじて精神力で押さえつけていた。
 まったく出ない、出る気配すらない。
 とっくに冬休みも終わり、勉学に励まなければいけないというのに俺は何をしているんだろう?
 いや、分かってる――分かってるさ、調子に乗った俺が悪いってことくらい。かなりの金を失ってようやく気付いた。ギャンブルっていうのは俺みたいに熱くなるタイプの人間には向いてないということだ。
 黒猫はこうなることを予見して忠告……いや、警告してくれていたってことか。……天才ギャンブラーとか豪語してた自分が恥ずかしい。
 最後の千円分のコインを使い切ったところで、スマホを取り出し時刻を確認する。

「…………バイト行こう」

 マイスロのQRを回収し、負のオーラを纏いながらその場を後にした。
 それから俺は一度も勝利することなく、黒星を重ね続けた。

 そして桐乃の依頼から二週間ほどが過ぎ――

「…………はぁ」
「そんな濁った目で見つめないでくれる?」

 負けが込んでいる兄貴を慰めるどころか、辛辣な台詞を投げかけてくる桐乃。
 そんな妹の部屋で作戦会議中である。

「俺がいくら負けてると思ってんだ」
「あたしの責任じゃないしぃ」

 それはその通りなんだけど、原因の一旦はおまえにあるだろうがよ。
 ここ数日の連敗で、浮いていた分はあっさりと吹っ飛び、マイナス二十万を超えそうな勢いである。そりゃため息も出るわ。…………はぁ。

「あんたの陰鬱な雰囲気のせいで部屋にカビ生えそうなんだケド」
「……悪かったな」

 桐乃はやれやれといった風に肩をすくめた。

「……五円スロットっていうのもあるんじゃないの?」
「まぁ、最初からそれに気付いていたらそういう選択もあったんだろうけどな」

 最近知ったのだが、店によってレートが違う場合もあるのだ。基本は二十円。次いで十円、五円など。変則的な八円や四円などもあるようだ。
 とはいえ負け額を考えると、レートを下げるなんて今さらって感じもする。

「んん、しょうがないなぁ……もうやめとく?」
「……それこそ今さらだろ」

 負けたおかげというわけではないが、ミッション自体は九十パーセント以上達成済みだ。あと少しでコンプって場面でやめられるか。

「あ~あ、せっかくお金貯めてたのにね~」
「……まったくだな」

 桐乃と将来、二人暮らしする――なんて、こんなことじゃ実現できそうにない。
 そのためにこつこつ貯めてきた金をまさかギャンブルに使うはめになるとは。

「あたし、こんな甲斐性なしと将来を共にするとかイヤなんですけど?」
「こっちが下手に出てりゃ好き勝手言ってくれるなぁ!」

 というより人の心を読むんじゃない!

「だってホントのことじゃん」
「よーしっ、絶対ミッションコンプして吠え面かかせてやる! 桐乃、約束忘れんじゃねぇぞ?」
「え? 約束ってなんだっけ?」
「はぁ!?」

 すでに忘れてやがった! このやろう……可愛らしく首かしげてんじゃねぇぞ。
 桐乃は「ジョーダンだって、ちゃんと覚えてるから」と、言って机の引き出しから封筒を取り出してきた。

「はい、これ」
「? なんだよ?」

 手渡されて思わず受け取ったものの、メルルのプリントがされている封筒の中身がなんなのか想像がつかない。

「開けてみればいいじゃん」
「……おう」

 まさかラブレターではないだろうが、俺は妹から受け取った封筒を丁寧に開けていく。
 はたして中には――現金が入っていた。福沢諭吉が五枚である。

「おい、これって……」
「預かってたお金。必要な時に出してあげようと思ってただけ。あんたが持ってたら全部使っちゃいそうだったし――でも、まさかこんなに早く出すことになるとは思ってなかったけどねー」

 こいつも黒猫と同じく、俺がこうなると見越していたのか。で、あらかじめ先手を打っておいたと。

「……サンキューな、桐乃」

 でもメルルの封筒に現金はやめとこうぜ……子供たちの夢が壊れちゃうだろ。

「あのさ、あたしから頼んでおいてなんだけど、それがなくなったら終わりにした方がいいと思う。貯金使い果たしちゃうのもバカらしいし……あんたギャンブル向いてなさそうだしね」
「そうだな……勝っても負けても最後の大勝負ってことで、頑張ってくるよ」
「ん、がんばれ」

 明日は休日だ。最終戦、できるかぎり頑張ろう。

 ということで、翌日、人生で最後のパチスロに向かったのである。
 しかし、なんということはない――結果だけ記すが、人生最後のパチスロは大勝利という形で幕を閉じた。
 いわゆる万枚というやつを達成し、この二週間ほどの財布の推移は結局、プラスマイナスゼロに近い結果となったのだ。
 それにマイスロのミッションも遂にコンプリートできたし、まさに有終の美ってやつだ。
 俺は湧き上がる達成感と開放感を噛み締めながら、自宅の扉を開ける。
 この時間なら晩飯には間に合ったはずだ。実のところまだそんなに時間が経っていない。朝、出発してから九時間ちょっとというところか。
 飯の匂いにつられてリビングへ入る。

「ただいま」
「あら、京介。今日は早かったのね」

 今日はお袋が飯を作ってくれていた。
 最近、娘に食事を教えるという名目でサボりがちなお袋にしては珍しい。

「おう、まあな」
「バイトじゃなかったの?」
「あー、今日はシフト入ってなかったんだよ」

 お袋からの質問を適当にあしらいソファの方を見ると、親父が夕刊を読んでいた。
 俺にとっては怪異よりも恐ろしい存在である――などと思っていたら、ふいに声をかけられる。

「京介」
「な、なんすか……?」

 もしかして考えてたことが声に出ちゃってたか……!? と、一瞬焦ったのだが、親父の聞きたいことは別のことだった。

「おまえ、ギャンブルなどに手を出してはいないだろうな?」
「え!? ……も、もちろん出してないけど?」
「そうか、ならいい。ああいうものは自己管理がしっかりできる人間以外が手を出すと、最悪、身を滅ぼす恐れがあるからな……おまえは絶対に手を出すなよ」
「……おう」

 親父、ごめん……心の中で謝るしかなかった。
 そして俺は、二度とギャンブルには手を出すまいと、決意を新たにしたのである。

 その日の夜。
 俺は最終戦の報告のため、妹の部屋に足を運んだ。
 ノックをすると、パジャマ姿の桐乃が出迎えてくれた。部屋に入ると風呂上りだからか石鹸のいい匂いが漂ってくる。

「適当に座って」
「おう」

 俺は使い慣れた猫クッションにケツを敷く。

「で、どうだったわけ?」
「へっ、これを見な」

 俺はスマホの画面に化物語のミッション達成ページを表示し、桐乃に突きつける。

「へぇ……コンプしたんだ。やるじゃん」
「ん? おう、まぁな」

 あれ? 思ってたより反応が薄い?

「収支は?」
「なんとかトントンまで持っていけたわ。一時はどうなることかと思ったけど」
「へぇ! よかったじゃん! あんたの貯金が減っちゃったのって、ちょっぴりあたしにも責任あるみたいな感じだったしさ……実は結構心配してたんだよね」

 と、頬を掻きながら苦笑いする桐乃。
 なんだ……心配してくれてたのか。
 俺は妹と同じように苦笑いを返す。

「過程はどうあれ、終わりよければすべてよし、としておこうぜ。まぁ、こういう頼み事はもう勘弁だけどな」
「うん、もうこういうお願いはやめとく」

 桐乃は頷く。
 そしてこう続けた。

「だってマイスロに登録するだけでコンテンツ自体ダウンロードできたし、あんたの活躍ってぶっちゃけあんま意味なかったんだよね~」
「えっ!? そうなの!?」
「うん……実は結構前から気付いてたんだけど、頑張ってるあんたには言いにくかったっていうか……えへへ」
「ふざけんなてめえっ!」

 ミッションコンプしたのに反応が薄かった理由はこれかッ! 台無しだよ! 貯金は元に戻ったけど、実りのない時間は返ってこねぇんだぞ!? 
 どうやら今回の件から俺が得るべき教訓は、妹を簡単に信用するな、ということで決まりのようだった。

「まぁまぁ、そんなにカリカリしてたらハゲるよ?」
「ぐっ……! ハゲたくはないが……」

 桐乃よ、それは男にとって禁句だぞ。

「まぁ京介がハゲたとしても、あたしは」
「……ハゲたとしても?」

 愛してくれるってか?

「あい、……うーん……やっぱ植毛かな?」
「やっぱ最悪だよおまえ!」

 そんな答え聞きたくなかった!

「あはは! ウソウソ、心配しなくてもあたしはあんたがどんな姿になっても見捨てたりしないってば」
「そりゃどーも……」

 ほんとかよ。
 俺を好きなだけおちょくって上機嫌になった桐乃は立ち上がり、「さて、と」と呟きながらベッドに腰掛けた。桐乃のこういう仕草って、誘ってるようにしか見えないんだよな。

「ねぇ、そろそろいい?」

 艶っぽく聞いてくる桐乃だが、相変わらずこいつの台詞には主語がないから分かりにくい。
 俺は内心どぎまぎしながら問い返す。

「な、何がだ?」
「そろそろ寝るから出てってくれない?」
「…………は?」
「?」

 いや……いやいやいや! 何言ってんだこいつ、「?」じゃねえよ。

「おい桐乃、寝る前に何か忘れてることがあるんじゃないか?」
「え? なんだろ? あっ、ハンドクリーム塗らなきゃ!」
「違ぇ!」

 それはそれで大事なことかもしれないけれども!

「えぇ? じゃあ何よ?」
「約束したろ。ミッション達成したらおまえがなんでも言うこと聞いてくれるってやつ」
「あ……ああ~、はいはい。あれね。うん、覚えてる覚えてる」
「絶対忘れてたろ……」
「いやぁ、年末に買ったエロゲーが忙しくてちょっと寝不足、っていうか? 頭が働いてない……みたいな?」

 つらつらと言い訳を重ね、「忘れてたわけじゃないんだけどさぁ」と、桐乃の弁。
 それにしてもほんとに忘れてやがったとは……俺はいったい何のために頑張ってきたのだろう、と、思わなくもない。
 まぁいい……まぁいい、まぁいいさ。重要なのはお願いを叶えてもらうことだからな。それ以外のことはぶっちゃけオマケみたいなもんなんだ。ただの長い前振りだ。
 さて……いよいよ最終章ってわけだが、ここが運命の分かれ道。
 成功すれば倖時間(ハッピータイム)ならぬ、倖終幕(ハッピーエンド)ってこった。
 俺は意を決し、こう切り出した。

「なぁ桐乃、確認しておくけど、本当になんでもいいんだな?」
「あたしに叶えられることならね」

 ふむ。

「じゃあ例えば……そうだな、彼女が欲しいとか願ったらどうなるんだ?」
「ん……それは……」
「…………」

 俺が真剣な目で見つめると、桐乃は少し頬を赤らめ、こう答えた。

「彼女が、できるんじゃん?」
「そっか」

 桐乃はベッドから降り、俺の正面に座り直し、姿勢を正した。
 俺も妹に倣い、背筋を伸ばす。

「……それが願い事?」
「……いや……」
「ふうん……じゃあ叶えたいお願いは何なの?」

 彼女が欲しいというのは俺の偽りない本心ではあるが、今日はもう一段上の高みを目指そうと思う。
 俺は桐乃に聞いた。本当に叶えたい願い事を。

「桐乃、生涯のパートナーが欲しいって言ったら、どうなる?」
「それは――」

 果たして、高坂京介、人生最後の大博打の結果がどうなったのか。
 それは神のみぞ知るところである。

 ※

 ここからは余談……というか完全に蛇足だが、俺はあの日(桐乃にお願いをした日のことだ)、実は悩んでいた。
 何を悩んでいたかというと、あいつにどういうお願いをするのがベストか、ということである。
 いろいろ考えてたんだぜ?
 例えば、そうだな、俺のために一生味噌汁を作ってくれとか――

『え? 普通に無理なんだけど、めんどくさいし』

 例えば、俺と同じ墓に入ってくれとか――

『は? なんであたしがあんたと一緒に死ななきゃいけないワケ? 一人で死ねば?』

 た、例えば、俺と結婚してくれ、とか……。

『プロポーズの台詞を使いまわすとかありえないんですけどぉ! サイッアク! それに兄妹で結婚とかできるわけないって知ってるっしょ? ばっかじゃないの? マジで、ばっかじゃないの? ほんっと、ばっかじゃないの? おんなじこと何度も言わせんなっつーの!』

 …………我ながら完璧すぎるシミュレーションに嫌気がさしてきた。……いや、現実の桐乃はもう少し優しかったような、優しくなかったような?
 ……まぁいいや。
 そんなことより、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』――という俺の決め台詞にも、そろそろ変化を加える頃合かと思うのだ。
 で、いろいろと模索してるんだけど、いかんせん『俺の妹』という語感が良すぎるんだよなぁ……うーん。
 俺が唸っていると、ガチャ――。

「準備できてる?」

 春らしい、爽やかなファッションに身を包んだ妹が現れた。

「おう、とっくに終わってるぞ」
「ならさっさと降りてこいっつーの!」

 そう言い残し、どたばたと階段を駆け下りていく桐乃。
 休日の朝から元気なやつだな。

「はーやーくーっ!」
「へいへい」

 こうして俺たちは、いつものように秋葉原駅へと向かうのだ。

 ―おしまい―

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最終更新:2014年02月08日 01:55