【人生相談編】


 俺は高坂京介。ごく普通の高校生だったものだ。
 なんで過去形なのかというと――
 俺が、妹と付き合っていた、とんでもないやつだからだ。
 春。俺は、妹との『約束』を果たした。

 ――卒業まで、二人は期間限定の恋人になる。
 ――卒業したら、二人は普通の兄妹に戻る。

 クリスマスの日、妹から『お願い』された秘密の約束。
 卒業式を迎えた俺たちは、二人きりの結婚式を挙げ、普通の兄妹に戻った。
 ということで現在、俺はごく平凡な日常を送っている。
 妹の買い物に付き合ったり、オフ会に行ったり。
 妹からオモチャをねだられたら、渋々ながらも買ってやったり。
 なんだ、ちゃんと健全な兄貴になってるじゃないかって、そう思うだろう?
 
「――で? どーいうコト? 路上でいきなりキスしてくるとか、マジキモいんですケド?」

 ノー。完全にバカップルのノリ。
 繰り返す。完全にバカップルのノリ。
 ここまで言えば分かると思うけど、俺は妹の部屋で正座をさせられている。そして、桐乃は俺の前に堂々と、腕を組んで立っており、ずっとぷりぷり怒っていらっしゃる。
 俺の話に付き合ってるやつらも、さすがにもう見飽きたよな。この体勢。
 まぁね。桐乃が怒ってる理由は分かってる。今日の昼間、不意打ちでキスをしてやったことに関してだ。
 というわけで俺は、いつものようにエロゲーに出てくる『やれやれ系主人公』ではなく、スーパー京介として妹に話しかけるのであった。

「兄妹なんだから別にいいだろ」
「いいわけないっつーの。エロゲーじゃないんだっつーの」

 即答である。
 やれやれ……しょうがねーな。

「桐乃」
「なに?」
「俺たちは気持ち悪い兄妹なんだから、路上でキスくらいしても別にいいだろ」
「だ、誰が気持ち悪いって!?」

 憤慨して掴みかかってきた桐乃に、俺はしれっとこう言ってやった。

「俺と、おまえ」
「なっ…………」

 固まってしまった妹に、俺は追い討ちをかける。

「俺と、おまえだ」
「……なに……言って」
「逆に聞くけど、桐乃。おまえはどうして、俺にオモチャの指輪を買わせたんだ?」
「そ、それは! …………なんだっていいでしょ」
「よくねーよ」
「………………」

 俺が強く言うと桐乃はぺたんと座り込み、

「…………約束したじゃん」
「おう」
「……約束、破るの?」

 力なく呟いた。

「俺はおまえの兄貴だからな、妹のお願いは聞くさ」
「じゃあどうしてこういう話になんのっ」

 約束はもう果たしたからだよ。

「……あたしはもう大丈夫だって、言ったでしょ」

 ばかやろう。そんな辛そうな顔してるくせに、どこが大丈夫なんだ。
 ほんと……嘘を吐くのが下手くそなやつだな。
 さて、どう切り出すか。
 と――俺が思考を巡らせていたときだ。
 桐乃は、意を決したように顔を上げ、

「……ねぇ、京介」
「なんだ?」
「人生相談、してもいい?」

 いつものように切り出した。
 そうこられちゃあ、俺もこう答えるしかないわな。

「ああ、言ってみな」

 俺は、妹の人生相談に耳を傾ける。
 もう何度目かも分からない、妹からの人生相談。
 彼女の話は、自分がどれだけの決意で『約束』をお願いしたのか。
 卒業までの限られた時間で、自分がどれほど『しあわせ』になれたのか。
 そんな内容だった。
 そして、最後にこんなお願いで締められる。

「ねぇ、お願い……これからも、あたしの兄貴でいて」
「……………………」
「それが――あたしからあんたへの、人生相談」

 桐乃からの人生相談を受け、俺はしばらく黙する。
 あ、別に何も考えてるわけじゃないぞ。考えてる振りをしているだけだ。
 俺の答えは、とっくに決まってるんだから。
 さて、と、そろそろいいかな。
 俺は、重々しく口を開く。

「いやだね」
「…………え?」

 慌ててる、慌ててる。

「な、なんでっ!」

 俺は、桐乃の問いにはすぐ答えず、代わりにこう言った。

「……俺もさ、おまえにあるんだ。人生相談」
「――――」

 俺の切り返しが予想外だったのだろうか。目を大きく見開いている。
 そんな妹の様子に構わず、俺は続ける。

「俺からの、人生で最後の人生相談だ――聞いてくれるか?」
「……いいよ。聞かせて」

 頷いた桐乃を見て、俺は――

「俺はおまえが好きだ。だから、兄貴だけなんて絶対いやだね」

 告白する。
 人生で二度目の告白。
 そして、これが最後になる。

「なぁ、桐乃……ずっと、俺のそばにいてくれ。これが――俺からの願い事だ」
「…………」

 俺の、人生で最後の人生相談を受けた桐乃が、ゆっくりと唇を動かそうとしたところで、

「あ、一応言っておくが、おまえに拒否権はないからな」
「ちょ、なんでよっ」
「え? だって、『なんでも言うこと聞いてくれる』って約束だろ?」
「それはあんたがあたしにキスしたことで使ったでしょ!」
「はぁ? 前にも言っただろ? エロいこと以外には使わないって」

 京介ルールでは、キスはエロいことに含まれないのだ。

「それとも何か? まさかとは思うが、おまえの基準だとキスはエロゲーよりもすごい行為だ、とでも言うつもりか?」
「ぐぬぬ……き、キスがエロいことじゃないとしても! あたしたちはもう……普通の兄妹なんだから、そういうコトはできないっていうか……」
「だからさ、気持ち悪い兄妹に戻ろうぜ。それが、俺からの願い事だ」
「……さっきと言ってることが変わってる気がするんですケド」
「そうか? 気のせいだろ」

 言ってることは同じだって。

「結局……アンタが言いたいのは、恋人に戻ろうってことでしょ?」
「ん……まあ、そういうことでもいいかな」
「なにそのテキトーな言い草」
「いや、そうじゃなくてだな……形は、別になんでもいいんだよ。恋人でも、なんでも――なんだったら、夫婦でもいい」
「ふ、夫婦……?」
「俺たち結婚しただろ」
「ん…………まぁ、そうだケド」

 台詞の最後がごにょごにょと掻き消える。
 確かに、こいつの決心を覆すことは決して簡単ではない。一度決めた以上、必ずやり遂げる強い意志を桐乃は持っているからだ。
 でも、意志を曲げさせることが絶対に不可能ってわけじゃあない。覆すことは可能だ。
 こいつよりも強い意志を持って想いをぶつければ、桐乃は折れる。
 そして、俺にはその意志がある。
 ……あと一押しだ。

「あとな、桐乃、これだけは知っておいてもらわないといけないことなんだが……」
「…………なに?」

 俺は大きく息を吸い込み、決定的な言葉を口にする。

「おまえがそばにいてくれないと、俺は幸せにはなれない」
「――――」

 顔を赤くして俯く桐乃。
 そのまま、しばしの沈黙が流れる。
 こういうときは、桐乃が話し始めるのを、じっと待ってやるのが一番いい。
 二年ほど前の俺だったら……こいつの考えていることが分からなくて、急かして焦らせてしまっていたかもしれないが、いまの俺はそうじゃない。こいつのことを誰よりも理解している。
 そのまま根気よく待っていると、桐乃は口をもごもごさせ――
 伏目がちにおずおずと尋ねてきた。

「……か、仮に」
「ん?」
「仮に、戻ったとして…………次は、いつまで……?」
「そうだな……次は――」

 ようやくだ。
 桐乃に、俺の本当の気持ちを伝えるときが。
 俺は、不安そうに戸惑っている妹の頭に、ぽんと手を乗せた。

「おまえが、幸せになるまでかな」
「…………そんなの、すぐに終わっちゃうじゃん」

 終わらないよ。
 
「一生分の幸せだぞ」
「……それでも、すぐ終わっちゃう」

 終わらせないって。

「千回分だ」
「なに、それ……千回って?」
「バレンタインデーにチョコくれただろ?」
「……うん」

 桐乃のチョコレートには、一生分のしあわせが詰まっていた。

「俺は、おまえから『一生分のしあわせ』をもらったからさ」
「…………それで?」
「千倍返し。約束したろ?」
「あ……」

 思い当たったらしい。
 俺は妹の頭から手を離し、そのまま抱き寄せる。

「覚悟しとけ。一生、手放すつもりはねえからな」
「…………やばっ」
「おい、どうした?」

 桐乃は大粒の涙を零しながら、

「いま、一回分しあわせになっちゃたカモ」

 そう言って苦笑した。
 俺も苦笑を返す。

「これで一生分なら、おまえはどんだけ幸せになるつもりだ?」
「へへ、わかんない」

 と――いつかのように笑い、俺を押し倒すように抱きついてきた。
 優しくではない。ぎゅっ、と、強く抱きしめられた。
 相変わらずこいつの抱きつき方は痛いくらいの抱擁だ。でも、心地いい痛みだった。
 そのまま耳元で囁いてくる。

「もし……千回分、しあわせになっちゃったら?」
「そんときは、チョコレートくれたらお返ししてやるよ」
「一万倍でも?」
「なんだ、そんなもんでいいのか?」
「……全然足りないっての」
「何倍でもいいぜ。任せとけよ」

 俺たちは、究極に気持ち悪い兄妹だけれど、世界に一組くらいはこんな兄妹がいてもいいんじゃないかと思う。
 もちろん関係を続ける以上、両親には秘密にしなければならない。ぎりぎりまでバレないよう隠し続けるし、カミングアウトするつもりもない。
 ぎりぎりまで頑張って、その結果バレてしまった場合は……ま、しょーがねぇ。
 そんときは、桐乃を連れて、どこか遠くへ逃げればいいさ。エロゲに出てくる、痛快な兄貴どもの真似をしてな。
 汚いやつだと思われようが、俺は凡人なんだから仕方ない。これが、いまの俺にできる全力なんだから。
 俺は、これからも全力を尽くして桐乃を幸せにする。そのためには誰にだって頼るし、何にだってすがる。
 嵐のような非日常。
 けれど、きっと大丈夫――そんな確信が俺にはあった。
 なぜなら、俺の妹は神に愛されてるほどの強運の持ち主だし、俺自身も神様に見守ってもらっている気がしていたからだ。

 そして、なにより――俺自身が、桐乃を幸せにすると決めた。
 それだけで、十分だった。

「へへ……へへへ」

 寄り添いながら、桐乃は幸せそうに笑う。

「ねぇ、兄貴」
「ん?」
「京介」
「なんだ?」

 ついこの間のようにも感じるし、懐かしくもある二人だけのやり取り。

「あたしのこと……好き?」
「おう、好きだぞ」

 どうしようもないくらいに好きだ。この気持ちだけは、いつまでも変わらない。
 いつの間にか――そうなっていた。

「マジで? 妹なのに?」

 だから俺は、胸を張って――

「ああ、妹なのに、好きだ」

 そう言った。

「へーん、シスコン」

 桐乃が嬉しそうに言うこの罵倒が、聞きたかったから。

「そうだよ、俺はシスコンだ。でもって、おまえの兄貴で恋人だ。それでいいだろ? 悪いか?」
「……悪くない。へへ……ふへへ……あたしも好き」

 蕩けるような声でしがみついてくる。
 俺は、桐乃に目を閉じさせ――そのまま唇を重ねてやった。

「………………」
「ちっとはしあわせになれたか?」
「…………ばかじゃん」

 こみ上げてくる幸せな気持ちを噛みしめながら、妹に問うた。

「そういえば、もうすぐホワイトデーだな」
「うん」

 可愛らしく返事をする桐乃。
 
「なんか欲しいモンあるか? なんでもいいぞ」
「そんなのエロゲーに決まってんじゃん!」
「………………」

 超力説である。

「……えーと、桐乃? ……ほんとにそれでいいの?」
「うん!」

 いい返事が返ってきちゃった!
 予想してたとはいえ、これはひどい……いい雰囲気が台無しである。
 ほんと……期待を裏切らない女だな。

「まぁ…………おまえがそれでいいってんならいいけど……俺としてはもう少し特別なモンをプレゼントしたいなー、なんて思うんだが」
「えっ――特別? た、たとえば?」

 何かを期待したような瞳で、俺の目を見つめてくる。
 ……あとから考えてみっとさ、このときの桐乃は、薬指に嵌められたオモチャの指輪を意識してたような気がすんだよね。
 でも俺は、そんな特別な何かを期待している女の子に対してこう言った。

「そーだなあ……たとえば、今日、オフ会に入ってきた新メンバーが提案してたホワイトデーのプランとか」
「なっ…………!」

 それを聞いた瞬間、桐乃は俺を突き飛ばして、びしりと指を突きつけた。

「ま、まーた始まった! このエッチ! ヘンタイ! 恋人に戻った途端エロい要求してくるとか、アンタどんだけケダモノなわけ?」
「いや、あいつらの前では強がって興味ないみたいなフリしてたけどさ、ぶっちゃけ超素晴らしいプランだってあれは」
「絶対そうだと思ってた!! プランの説明聞いてるとき、すっごいニヤニヤしてたもん!」
「エプロン姿の彼女に膝枕してもらうことは、すべての男の夢なんだよ!」
「ちょ、泣きながら脅すのやめてよっ」
「俺も彼女に膝枕してもらいたかったよくそお~~~~~~~~~~!!」
「『添い寝デート』はしてあげたけど……こればっかりは、し、しないかんね!」

 こうして――俺と桐乃は。
 兄妹で、恋人に戻った。


 【誕生日編】①


 俺の名前は高坂京介。ごく普通の会社に勤める社会人一年生だ。
 一ヶ月に渡る激務をこなし、初任給をいただいたばかりである。
 過ごしやすい季節から、夏の訪れを感じさせる陽射しに移り変わってきたある日の話。

 午後六時。俺は妹に電話をかけた。

『なに?』

 ワンコールで繋がる。

「よう、元気か?」
『ん、元気』
「そっか……ルームメイトとは仲良くできてるか?」
『あんたに心配されなくても、ちゃんと上手くやってるって』
「ならいいけどさ」

 俺たち兄妹は、現在わけあって離ればなれに暮らしている。
 せいせいする反面、隣の部屋が静かだとやっぱり寂しかったりもする。
 こいつはどう思っているのかね。

『…………もしかして用ってそれだけ?』
「いや、おまえに用があって電話かけてるよ」
『ふーん……なに?』

 俺は単刀直入に聞いた。

「来週の土曜ヒマか?」

 妹の返答は、

『…………いちおー』

 と――一言。

「よっし、じゃあ仕事終わったら迎えに行くわ」
『は? なんでそうなんの? まだあたしオッケー出して、』
「じゃあな、約束忘れんなよ」
『ちょ、待っ――』

 ピッ――俺はそこで通話を終了させた。うっし……来週が楽しみだぜ。
 俺は部屋を出て階下に移動し、そのままリビングへと足を運ぶ。
 現状を簡単に説明しておくと、桐乃は大学に通うために黒猫と暮らしている。ルームシェアというやつだ。
 場所は実家からそれほど離れた距離ではない。だから会おうと思えば、いつでも会える――というか頻繁に会っている俺たちである。
 とはいえ、桐乃がこの家から居なくなって、寂しくて仕方がないという人もいる。
 たとえば――
 俺はドアノブを捻り、リビングの中へ。

「京介」

 一家の大黒柱が、ソファで夕刊を広げていた。

「親父、帰ってたんだ」
「うむ…………で、例の件どうなった?」
「オッケーだってさ、当日は家に連れてくるよ」
「そうか…………ふっ」

 新聞で顔を隠し、含み笑いを零す親父。
 ほんっと、この人は娘が大好きでしょうがねぇんだなぁ。

「あら、お父さんよかったじゃない」

 夕食の準備を整えながら、お袋が一言。

「ケーキ用意する?」

 聞かれた親父は、俺に話を振ってきた。

「京介、食事はどうするんだ?」
「あー……外で喰わせてやろうかなって思ってるけど」
「そうか」

 ぱんっ――と拍手を打つお袋。

「じゃあ、ケーキはあたしが買ってくるわね」
「ならそういうことで、よろしく頼むわ」

 娘の帰宅に、このオバサンも嬉しそうだ。
 お袋がキッチンに引っ込んだのを見計らって、俺は親父に封筒を手渡した。

「ん? …………なんだこれは?」
「初任給。少なくて申し訳ないんだけどさ……受け取ってくれよ」

 いままで世話になってきた恩返しというわけではないが、初めての給料は親父に渡そうと決めていた。実家暮らしでまだ厄介になってるわけだしな。
 親父は封筒と俺の顔を見比べている。息子の親孝行に驚いているのだろうか? …………なんだか気恥ずかしくなってくるな。
 ところが――

「いらん。おまえが働いて得た金だ、おまえのために使え」

 突っ返されてしまった。

「いやいや! お袋と美味いモンでも喰いに行くとか、そんな感じで使ってくれよ」

 一度出したものを返されるのは、格好悪すぎるって。

「………………」
「な? 俺の顔を立てると思ってさ」
「ふむ…………おまえがそこまで言うのなら、そうだな」

 納得してくれたのかと思ったが、

「この金は桐乃のために使ってやれ」
「……………………」
「来週の誕生日、あいつは二十歳になる。それで何か買ってやるといい」

 そう言って、俺の手に封筒を返してきた。

「…………親父」

 まったく……何年経っても、この人には敵いそうにないな。

「ところで京介、明日時間はあるか?」
「えっ? 仕事終わってからでよかったらあるけど……」
「では、少し付き合え」

 翌日。仕事が終わったあと、親父と待ち合わせて飲み屋に行くことになった。
 普段あまり酒を嗜むことがない俺は、親父に先導される形で目的地へと到着した。
 のだが――

「親父……こういう店よく来んの?」
「いや、現場の仕事でこの辺に来た折、良さ気な雰囲気だったので覚えておいただけだ」
「あ、そうなんだ……」

 何か変な勘違いを与えてしまったかもしれないが、別に綺麗なお姉ちゃんがたくさん居るような店ではないぞ。
 親父が連れて来てくれた場所は、小洒落たバーだった。
 女の子同士でも入りやすそうな店構え。カフェとかに近い感じかな。
 てっきり居酒屋とかに行くもんだと思ってたから、面食らってしまったが……。
 それにしても親父に似合わねぇなぁ……この店。

「よし、では入ろう」
「お、おう」

 扉を潜ると、まず、落ち着きのある内装が目についた。
 照明を抑えているのか薄暗い雰囲気だが、いやらしさは感じない。むしろムードを感じさせると言った方がいいだろう。
 すぐにバーテンっぽい店員の人がやってくる。

「お待たせいたしました。何名様でしょうか?」

 ん? なんかどっかで見たことあるような…………気のせいか。

「えっと、二人です」

 俺が答える。

「かしこまりました。では、お席へ案内いたします」

 流行っているのか店はわりと混んでいて、俺たちが通されたのはカウンター席だった。
 並んで座る。

「好きなものを頼め」
「じゃ……とりあえずビールで」
「ふむ、では俺もそうしよう」

 店員さんを呼び、生ビールを二つ注文する。
 …………居酒屋でよかったんじゃないか? 強面の父親と息子がバーで酌み交わすとか、シュール過ぎると思うんだけど。
 しばし無言の時が流れ、注文した品が届く。

「えーっと……乾杯でもする?」
「……うむ」

 ジョッキを合わせ、また無言の時間が訪れる。
 ……………………。
 …………帰りてえ
 ――と思っていると、不意に親父が口を開いた。

「京介、少し桐乃のことで聞きたいことがあるのだが」
「えっ? 何を?」
「……あれに、彼氏はいないのだな?」

 ……………………。
 またそれっすか? この質問、週一くらいのペースで聞かれるんだけど。

「桐乃に彼氏なんていない。それは俺が保証する」

 俺以外は。
 と、心の中だけで付け足しておく。

「…………よし」

 満足そうに笑み、ジョッキを空にする。
 俺が言うのもなんだけど、この親父相当ダメな気がする……。
 いや、もちろん尊敬してる面も多々あるんだけどさ。娘のことに関して言えば、俺のシスコンっぷりといい勝負だと思う。
 だから俺はこう言った。

「安心しろよ親父。あいつ確かにモテるけどさ、なぜか男が寄ってこないらしいぜ」
「ほう…………それは高嶺の花だからということか?」
「ま、まぁ、そんなとこじゃねーの?」
「俺の娘は美人だからな、仕方あるまい」

 実際には冴えない男が付きまとってるから、近付けないとかなんとか。
 変な噂もあったもんだよな、まったく。そんな冴えない男が、桐乃の周りにいるわけがないってのに。
 ……………………。
 ツッコミ待ちじゃないぞ。

「それで、おまえはどうなんだ」
「俺?」
「浮いた話のひとつも聞かんぞ」
「ま、まあ……俺のことはいいじゃんか」

 ごまかすようにグラスを飲み干す。

「ふっ、おまえは本当によく頑張っているな」
「………………」

 どこまで見透かされているのだろうか……ぞっとしないな。
 でも、今日に限って言えば、不思議と嫌な感じはしなかった。

「それにしても、いい雰囲気の店だなここは」
「うん、俺もそう思う」

 女の子と来るならな――と、思わず口から出そうになった言葉を、寸でのところで俺は飲み込んだ。

「食事の後、桐乃を連れて来てやるといい」
「――――」

 もしかしてこの人…………そのために俺をこの店に連れて来たのか。
 それで自分には似合いもしないオシャレな店を探してくれたんだ。
 桐乃のために。

「おまえが一緒なら、あいつも喜ぶだろう」
「…………ありがとな、親父」

 ったく……とことん敵わないな。



 数時間後――



「きょうーすけぇー、もう一軒行くぞぉ」

 先程までのイケメン親父の姿は跡形もなく霧散していた。

「もう帰るんだよ」
「なにい? 俺と酒を飲むのが嫌だと言うのかぁ?」
「いやいや! あんたフラフラじゃねぇか! 飲み過ぎだって、ていうか呑まれすぎだって、ったく……しっかりしてくれよ」

 珍しく酔い潰れた親父に肩を貸しながら、帰路を歩く。
 俺はそんなに強い方ではないのだが、同行者が酔い潰れると、意外なほどに酔わないものなんだな……不思議なことに。
 フラフラと千鳥足の酔っ払いが話しかけてくる。

「……おい、京介」
「今度はなんだよ……」

 頼むから吐くとか言わないでくれよ? 置いて帰るよ?
 しかしそこで親父は、はっきりとした口調で言った。

「おまえに、桐乃を幸せにできるのか?」
「………………」

 それは――酒の勢いに任せた告白だったのかもしれない。

「幸せにするよ」

 でも俺は、真面目に答えた。

「一生だぞ…………本当に分かっているのか?」
「言われるまでもねーっての。俺に任せてくれ」
「ふん、面白い……やれるものならやってみろ」

 そう言った直後、親父は地面にへたり込んでしまった。
 俺は親父の腕を肩に回し、持ち上げ――――られない! 無理、無理無理ッ! このオッサン超重い!
 クソッ…………どうにもこうにも動かせねえ。まったく…………あんたの面倒まで任されても困るぞ。
 結局、俺はタクシーを呼び、悪戦苦闘しながら親父を家まで連れ帰ることになるのだった。


 ②


 数日後のこと。
 俺は、頼りになる知り合いの沙織、黒猫、あやせの三人に緊急招集をかけていた。
 高坂家のリビングにて、緊急会議を開催。

「今回おまえらに集まってもらったのは他でもない」
「桐乃への誕生日プレゼントのことですね」

 と、あやせが被せ気味に発言する。

「察しがよくて助かるぜ、あやせ」
「記念すべき二十歳の誕生日。あなたが特別な物を妹に贈ろうと考えることくらい、簡単に予想がつきそうなものだけれどね」
「そうですね、黒猫さんの言うとおりですわ」

 黒猫と沙織が突っ込んでくる。…………俺ってそんな単純な思考回路なんだ。
 まぁいいさ…………とにかくこいつらの力を借りなければ、話は進まない。

「俺が単純って話は置いておいて――それで頼みってのはな、あいつが喜びそうな物を一緒に考えて欲しいんだよ――」

 俺が切り出したこの議題から、数時間、あーでもないこーでもないと議論が進んだ。
 しかしどれもピンとこないというか、好感触を得ることはできなかった。
 皆が真剣に考え込む中、その静寂を打ち破ったのはあやせの一言だった。

「――結局、お兄さんからのプレゼントなら、桐乃はなんでも喜ぶと思います」
「そうかぁ?」
「はい。心がこもっていればなんでも」

 確信を持つように言うあやせ。

「……………………」

 思い返してみる。昔のことを。桐乃が喜びそうな物をあやせと一緒に考えてやったときのこと。


『あやせから聞いたけど、これ、あんたらが選んでくれたんだってね』
『マジな話、超嬉しかったから』


 あいつは留学前にEXメルルスペシャルフィギュアを俺に見せて、嬉しそうにしてたっけ。
 クリスマスイブ――桐乃に告白したときもそうだ。
 あいつは、前の年のイブに俺が渋々買ってやったピアスをつけて来てたし、指輪をプレゼントしたら――


『こ、こここ、これって――婚約指輪って……こと?』
『ありがとう。婚約指輪、嬉しい』


 いつだってあいつは嬉しそうにしてた。あやせの言うとおりだ。…………俺ってやつはとことん間が抜けている。

「ですから……わたしは、お兄さんが自分で選んだ方がいいと思うんです」
「……そうかもしれないな」

 そこで黒猫が割り込むように言う。

「そうね、私も同じ意見よ。やはり、そこに落ち着くのが一番いいと思うわ」
「そっか」

 俺も桐乃も、本当にいい友達を持った。心からそう思う。

「本音を言わせていただくと、きりりんさんの記念すべき二十歳の誕生日を、わたしたちもお祝いしたかったですけれどね」
「悪いな沙織……おまえらの気持ちもよく分かる」

 でも今回ばかりは、譲る気はまったくない。

「なんて、意地悪でしたか? ふふ――その代わり、京介さんがわたしたちの分まできりりんさんを楽しませてあげること。いいですね?」
「ああ、約束する。桐乃が喜ぶ物をちゃんと探してプレゼントするよ」

 そこで黒猫が手を打った。

「そういえば…………思い出したわ」
「何を?」

 俺はコーヒーを一口含みながら問い返す。

「桐乃が読んでいた雑誌よ。確か『マタニティ特集』だったかしら」
「ぶっ――――!?」

 盛大に吹いた。

「あの子、子供は何人がベストか――というアンケートの部分に『子供は二人、もちろん兄妹でっ♪』なんて嬉々として書き込んでいたわね」
「き、貴様! なっ……ななな、何を口走っているんだ……!」

 こ、子供なんて……ど、どうしろってんだっ! いや! もちろん過程は知ってるけどさ!
 そして邪悪な笑い声を漏らしながら、

「ふ、ふふふふふふ…………さぁ、どうするのかしら? 桐乃の欲しがっているモノが分かった今、この男はソレを実の妹にプレゼントするのかしら? 楽しませるというのは口実で、本当は女としての愉しみを授けるつもりなのかしら?」
「おまえ! 厨二は卒業したんじゃねぇーのかよッ!?」

 めちゃくちゃ邪気眼再発してるじゃねぇか!
 俺のツッコミを受けた黒猫は、片足立ちになり、懐かしのポーズを決めてこう言った。

「ふっ、光栄に思いなさい――一夜限りの復活よ」
「ほっほ~、京介さんもついに一皮剥けるでござるか?」
「おまえらいますぐその口を閉じろォ――ッ!」

 刹那ゆらりとした気配を感じ、俺は隣を見た。見てしまった。

「お兄さん…………桐乃のことで少しお話があります…………表に出ましょう」

 虹彩を失った殺戮者がゆっくりと立ち上がり、頭を揺らしながら近づいてくる。
 なにこれ…………怖い怖い怖い怖い! 俺、死ぬの!? 死んじゃうの!? やっぱり子孫残しておくべきだったんじゃないの!?
 とまあ――
 結局、俺自身が選んだプレゼントが一番いいという結論となり、この日はお開きとなった。



 そして当日。
 俺はマンションの下まで行ってから桐乃を呼び出そうと思ったのだが――

「遅いっつーの」

 女子大生という極めて魅惑的な肩書きを持つ、俺の妹がすでに待っていた。
 本日の装いは、夏も近くなってきたということもあり薄着である。
 すらりと伸びた、細くて長い脚を強調するかのようなショートデニム。白いキャミソールの上から羽織った、ピンクのカーディガンもよく似合っている。
 中学生の頃から十分な美貌を誇っていた彼女だが、大学生になってから以前よりぐっと大人っぽくなっている。
 まぁ、簡単に簡潔に言えば――めちゃくちゃ綺麗だった。一緒に住んでる黒猫が羨ましくてしょうがないぜ。
 そんな妹に見惚れながら、俺は片手を挙げる。

「悪ぃ、待たせちまったか」
「ふんっ、別に? 二時間くらいしか待ってないし」

 ぷいっとそっぽを向く桐乃。

「えっと…………待ち合わせの時間、おまえに言ったよな?」

 俺も待ち合わせより三十分くらい早く来てんだけど。

「う、うっさい!」
「ちょ、おま! バッグ振り回すなって!」

 照れ隠しに暴れてはいるが、どうやら楽しみにしてくれていたらしい。
 その期待に応えてやらなきゃな。

「……で、どこ行くの?」
「まぁ、とりあえず飯だな」
「まさかケンタッキーとかじゃないよね?」
「違ぇよ、心配すんなって」

 そう言って歩き出すと、

「えっ、クルマは? 乗ってきてないの?」
「おう。たまには歩こうぜ」

 当たり前だけど、飲酒運転はできないからな。

「えー…………ドライブかと思ってたのにぃ」
「………………」

 チラッ。

「あーあー、こんなことならみんなのお誘い断るんじゃなかったなぁー」
「………………」

 チラッ。

「うーッ……黒猫たちに祝ってもらえばよかったカモ」
「………………」

 チラッ――俺の様子を窺いながら呟く桐乃。
 ぶつぶつうるさいなぁ…………こっちにはこっちのプランがあるんだよ。
 いい加減イラついてきたので、妹の腕を掴んで引っ張ってやった。

「ほら、行くぞ」
「ちょ、引っ張んないでよ」
「いいから来いって」

 そのままずんずん歩く。

「ったく……あいかわらずごーいんなんだから」

 おまえはあいかわらずクソめんどくせぇ女だがな!

 俺が妹を連れて行った場所は、夜景の見えるレストラン――と言いたいところだが、ちょっぴりお高いホテルのレストランだった。
 食事を終えた俺たちは、いま外を歩いている。

「はぁ、美味しかったぁ」

 満足そうに桐乃が感想を述べる。

「美味かったな。まぁ、夜景の見えるレストランじゃなかったけどさ、それは次の機会ってことで勘弁しとけ」
「別に、あたし文句言ってないけど?」
「おまっ……店に連れてった時に『夜景見えないじゃん!』って文句言ってたじゃねぇか!」
「だっけ? えへへ、忘れちゃった」

 …………可愛らしくとぼけやがって。美人だからって、なんでも許されると思うなよ。
 ――なんて台詞は、すでにこいつの笑顔で許してしまってる俺に言う資格はないが。

 目的地に向かって歩いていると、不意に妹が立ち止まり、声をかけてきた。

「ねぇ……どこ行くつもりなワケ?」
「まあ、着いて来いって」

 俺は妹の手を引き、エスコートする。
 すると桐乃はなぜか頬を染め、

「えっと、その……まさかとは思うけど…………エッチなところ、じゃないよね?」
「はあ!? ち、ちげーよ! いきなりなに言い出すんだオマエは!」
「そ、そっか……だよね、びっくりした」

 こっちの方がびっくりしたわ!
 妙にしおらしい反応しやがって…………なんか変な汗出てきたじゃねぇか。

「………………」

 そしてなぜ上目遣いで俺を見つめる。

「……こ、この辺はあんまり人いねぇな……」
「……そだね」

 見回せば、ラブホ街だと今さらながら気付く。
 桐乃が警戒するのも当たり前だった。

「あの、違うぞ……? 俺はおまえを楽しませてやりたいわけだが、決してそういう意味ではなくてだな……」
「わ、わかってるって……ほら、早くいこ」
「お、おう……」

 二十三歳と二十歳のやり取りとは思えないだろうが、こういう面に関して俺たちはまだまだ子供だ。成長が止まってると言ってもいいかもしれない。
 まあ普通に考えれば、兄妹でこういう場所を歩くこと自体、想定外過ぎると思うけれども。
 怪しい通りを抜けてほどなくしたところで、目当ての店にたどり着いた。

「ここ?」

 少し驚いた様子で、桐乃が尋ねてきた。

「ここだぜ。どうよ、いい感じの店だろ?」

 俺は自信満々に答える。

「でも、ここってバーじゃないの?」
「おまえも二十歳だし、飲酒デビューしても問題ないだろ」
「お酒なんて甘酒くらいしか飲んだことないし――――はっ!」

 何か閃いたご様子。
 そして――俺の顔と、後ろにあるラブホ通りの間で目線を往復させ、腕で身体を抱く仕草をする。
 俺は非常に嫌な予感をひしひしと感じつつも、念のため聞いてみることにした。

「なんだよ……?」
「あ、あんたやっぱり……あたしを酔わせてエッチなことするつもりじゃ――!?」
「ああそうですよ! 俺はおまえに欲情してる変態兄貴だ! これで満足したかばかやろう!」

 話の流れ的にそこに戻ると思ってたわ! このやり取りにはもう飽き飽きだっつーの!

「……ったく、あんたってほんとエロいよね。年がら年中、発情期なワケ?」
「おまえにだけは言われたくねえ!」

 年中無休で俺を誘惑してくるおまえにだけはな!

「ふひひっ、このシスコンマジきもーい」

 警戒してたのかと思いきや、今度は楽しそうに(あるいは嬉しそうに)笑顔を見せる。
 ころころと表情を変える妹に、俺が当惑していると、

「ほら、エスコートしてくれるんでしょ」

 微笑を浮かべ、すっと手を差し出してきた。

「……おう、任せときな!」

 背筋を伸ばして、その手をとる。
 俺は、そのまま何がおかしいのかくすくす笑う桐乃の手を引いて、店内へと導く。
 入り口で待っていると、すぐに店員がやってくる。

「いらっしゃいませ。本日は何名様でしょうか?」
「カップル二名です」
「そういうこと言わなくていいから」

 妹に怒られてしまったが、気にしない。
 案内されたのは、前回と同じくカウンター席だった。
 メニューを広げて、妹に見せる。

「何飲む?」
「んー……よく知らないし、選んでよ」
「そうだな、じゃあ、カクテルとかでいいか。甘いやつとかなら飲みやすいと思うし」
「ん。それでいい」

 店員を呼び、オレンジ系のカクテル、スクリュードライバーを二つ頼む。
 スクリュードライバー――――別名女殺し。
 飲みやすい口当たりとは裏腹に、比較的アルコール分が強く、酔いやすい。
 ……いや! 別に桐乃を酔わせてどうこうするつもりではないぞ?
 無抵抗の女の子を家にお持ち帰りとか、そんな姑息なことをするつもりは毛頭ない。まぁ、家には連れて帰るんだけれども。
 一杯くらいなら楽しく飲めるという判断の元、チョイスしただけだ。
 横目で隣を窺うと、桐乃はカウンターの方に釘付けになっていた。

「ねぇ、スゴくない?」
「おおっ……すげぇな」

 カウンター席ということで、幸運なことにプロのシェイカーを拝むことができた。
 マジでシャカシャカすんのな。
 シェイクを終えたバーテンさんは、すっ――と俺たちの元にカクテルグラスを置き、ゆっくり中身を注いでいく。

「とてもお綺麗ですね。彼女さんですか?」

 仕上げにオレンジをグラスのふちに挿しながら、俺に聞いてきた。

「ええ、まあ」

 俺はそう答えた。少し顔がにやついていたかもしれん。

「……ばーか」

 うっせ。ちょっとくらい見栄張らせろっての。
 バーテンさんはにっこり微笑み、「彼女さんの分はオマケしておきました」と、桐乃のグラスにはオレンジを二つ添えて出してくれた。

「わぁ……綺麗」
「だな」

 煌びやかなカクテルグラスと、隣で目を輝かせる彼女の姿。
 どちらの方が綺麗かなんて――言わなくても分かるだろ?

「じゃ、乾杯すっか」
「ん」

 軽くグラスを合わせる俺たち。俺はそのまま半分ほどカクテルを流し込む。
 そして、それを見ていた桐乃がゆっくりグラスを傾けた。
 こんなときにこんな感想を言うのもあれなんだが、なんつーか…………唇がとてつもなく色っぽい。というかエロい。リップのせいか、なんかぷるぷるしてる。

「あっ、おいしいこれ」
「………………」
「ねぇ、これ――きゃっ! えっ、なに!?」
「はっ……!」

 思わず唇に吸い寄せられてた。あぶない、あぶない。
 …………いや、指がね? 勝手に動いちゃったんだ。

「な、なんなのいきなり……?」
「ぷるぷるしてるから、さわってみよっかなーって……俺の右手が言ってた。だから、いまのは俺のせいじゃないよ? ったく、こいつったら節操がないよなぁ」
「………………」

 無言の圧力ほど怖いものはないな、うん。
 せめていつものように『キモッ』って罵倒していただきたい。

「もうっ、せっかくいい雰囲気だったのに……」
「すまん」

 わりとマジで反省してしまった。
 いい雰囲気のときに限って何かしたくなっちゃうんだよな。素のままだと恥ずかしいから。
 そろそろ大人にならなきゃいけないのかな、俺も。

「ま、特別に許したげる――――きりだし」
「は? なんだって?」

 最後の方が聞き取れなかったぞ。

「な、なんでもないってーのっ」

 なぜか頬を染める桐乃。
 まだ一口しか飲んでないので、アルコールで赤くなったわけではないのだろうが。

「いいから、飲も?」
「へいへい」

 そしていい雰囲気になり……そのまま俺たちは――――なんてことはなく。


 数分後――


「ふへへっ…………へっへっへっ、へぇ~」
「お、おい……大丈夫か?」
「あぁん? なにが?」

 目が据わってやがる……まだ半分くらいしか飲んでないのに……てか、こいつ――めちゃくちゃ酒弱ぇえ!
 確かに俺の妹は、基本的に真面目で社会のルールに従うやつなので、甘酒くらいしか飲んだことないんだけど……まさかここまでとは。
 と――

「なっ……!」
「にひひーっ」

 桐乃が俺の太ももをさすってきやがった! 超エロい手つきで!

「ちょ、おまっ……何を……」
「うりうりーっ」
「ひぃッ――!?」

 変な声出ちゃった!

「ねぇー、きょーすけー? あたしぃ、京介とぉ、離ればなれで毎日寂しいよ?」
「わ、わかった。……わかったから手を離すんだ」

 兄貴の太ももをさわさわしながら、そんな告白するんじゃない!
 くっ…………なんか気持ちよくなってきたじゃねぇか。どこでこんなテクニックを!
 ぐぬぬ……このままでは冗談抜きでヤバイ……妹をラブホに連れ込みこみかねないぞ。
 理性が残ってるうちに、なんとかしなければ……。

 ということで、俺はべろべろに酔っ払ってしまった妹を連れ、早々に店を後にするのだった。
 妹を支えながら帰り道を歩く――

「しゅごーい! ふわふわしてるーっ!」
「おい、暴れるなって。危ねぇだろ」
「いえーいっ」

 駄目だコイツ。このままだといつか事故る。ったく…………しょうがねーな。
 俺は屈みこみ、

「ほら、おぶされ」
「妹をおんぶするとかどんだけシスコンなわけー? ……あっ、間違えた。どんだけシスコンなわけー?」
「オマエそれ言い直せてないからな!? いいから、さっさと乗れっての」
「はいはい……よいしょっと」

 背中に柔らかい感触を感じるが、鋼の精神力で雑念を払う。

「バッグが邪魔だな。貸せ」
「ん」

 俺はバッグを持ちつつ、両手を妹のケツの下でガッチリ組む。

「しゅっぱーつ!」
「落ちないように、ちゃんと掴まっとけよ」
「えー? ぎゅっとして欲しいって? やれやれ、このシスコンしょーがねーなぁ」
「……やれやれ」

 しっかり掴まってきたのを確認してから、俺はゆっくり立ち上がる。
 軽いなこいつ……ちゃんと飯喰ってんのか?
 そのまま歩き始める。

「おーっ、これが兄貴の目線とゆーやつか」
「おうよ」

 途中までは、テンションの高い桐乃が背中でギャーギャー騒いでいたのだが、それもしばらくすると寝息に変わっていった。
 さすがに眠ると、ずしっとした重さを感じるが、これくらいなら大丈夫だ。
 …………そういえば、こいつの寝顔もここしばらく見てねーな。
 まぁ、この様子だと今日は帰れないだろうから、家に着いたらじっくり拝んでやることにしよう。
 俺は、なんだか、くすぐったい気持ちを抱きながら家路を辿った。


 ③


 家に辿りついた俺は、桐乃を背負った体勢のまま玄関で座り込む。

「親父、ちょっと来てくれー!」

 親父を呼ぶ。桐乃をおぶって、結構な距離を歩いたものだからさすがに体力の限界だった。体育会系でもねえしな。
 すぐに親父が飛んでくる。

「桐乃が来たのか!」
「おう、来たよ」

 オッサン、めちゃくちゃウキウキしてるなあ。
 しかし、俺の背中にもたれる桐乃を見て血相を変える。

「き、桐乃! 何があった!?」
「酔って寝てるだけだよ……」

 見りゃ分かるだろうに。

「そうか……ふむ、よく見れば寝ているだけだな。……可愛い寝顔だ」

 うわっ! キモイ! 親父その顔キモいよ!
 えっ、もしかして…………考えたくはないんだけれど、というか認めたくないんだけれど、俺が桐乃を見る顔もこんなんだったりするの? いやっ…………さすがにそれはないよな?
 なんだか桐乃が穢されていく気がしたので、俺は手短に用件を伝える。

「親父、こいつ部屋まで運んでやってくんないか? 俺、ちょっと限界なんだわ」
「いいだろう。任せておけ」

 親父は俺から桐乃を受け取り、そのまま軽々とお姫様だっこの形で持ち上げ、階段を上がっていった。
 ………………俺もちょっと筋トレしようかな。
 そのまま玄関で休憩していると、お袋がやってきた。

「おかえり京介、桐乃は?」
「酒飲んで寝ちまったから、親父がいま、二階に連れてったよ」
「ええっ? あんたもしかして無茶な飲ませ方したんじゃないでしょうね?」

 ……信用されてねえなぁ。

「してねーよ。カクテル一杯……つーか、半分飲んだだけでダウンしたの」
「それでもよ! あんたお兄ちゃんなんだから、妹のことしっかり見てあげなきゃダメでしょ!」

 めんどくせーなあこのババア!

「はいはいはいはい! そりゃどーもすいませんでした! 以後気をつけますのでお許しください!」
「まったく……せっかくケーキ用意して待ってたのに」
「あ…………わりい」

 それに関しては申し訳ない。あの様子じゃ、明日まで起きてこないだろうし。
 …………親父もガッカリしてるんだろうか。いや、あの人は桐乃がいればそれでいいって言いそうだが。
 しかし、せっかくの誕生日を台無しにしたのは俺の責任だ。
 …………こんなはずじゃなかったんだけど。
 俺が反省していると――

「京介」

 親父が降りてきた。

「親父……ごめんな、桐乃の誕生日をこんなことにしちまって……」
「そのことに関して、俺は気にしていない。桐乃がこの家にいるというだけで十分だ」
「……そっか」

 高坂家の男どもは単純な思考回路なのだ。

「それより、桐乃がおまえを呼んでいたぞ。行ってやれ」
「へいへい……ご指名とあらば行かせていただきますかね」

 ヘルプを務めてくれた親父に代わり、俺は眠り姫の待つ部屋へと赴いた。
 こんこんと一応ノックをする。

「桐乃、入るぞ」

 返事はなかったが、ノブを回しそのまま侵入する。
 部屋の中は整理整頓されており、ベッドにはきちんと布団も敷かれている。
 ひょっとすると、桐乃がいつでも帰ってこれるよう、そうされているのかもしれなかった。
 ベッドの上には寝苦しそうな桐乃が丸まっていた。
 近づいて顔を覗き込んでみる。

「………………」
「………………んんっ」

 やっぱり綺麗な顔だなこいつ。
 ったく…………メイクも落とさないまま寝ちまって。
 そっと頭を撫でてみる。
 と――

「……京介?」
「ん? 悪い、起こしちまったか――うわっ」

 桐乃に引っ張られる形で、ベッドに引きずり込まれてしまった。
 腕とか脚が絡まって、くんずほぐれつという有様。

「ちょ……桐乃、ちょっと待て……っ」
「やだ」

 そのまま体勢を入れ替えられ、俺はマウントポジションをとられてしまう。

「へっへっへ」
「お、おい……何をするつもりだ……」

 桐乃の顔が近づいてくる。
 やばいって……! これ以上はR指定の展開だって! なんかもう、服とか乱れに乱れてえらいことになってるし! エロゲーだったら間違いなくイベントCGが表示されてる状態だぞオイ!

「ん~……ちゅっちゅ」
「うわっ、うわぁ!? 桐乃さん! ちょっと待って待って!」

 キスの雨が降り注いできた! くすぐったい! でも気持ちいい! ――って、そうじゃねぇーだろっ!?
 こいつ…………酔っ払ってるせいか、とんでもないキス魔だ……ッ! このままだと俺の理性が保たない……!
 俺はいろんな意味でドキドキしながら、馬乗りになっている妹の肩を掴み引き離す。

「お、落ち着け、桐乃…………俺たちは兄妹だぞ」
「兄妹だけど、恋人、でしょ?」
「お、おおう! そ、そそそ、そうだったな…………えっと、頭撫でてやろうか?」

 もはや自分でも何を言ってるのか分からないが、俺の中にある砦が決壊する前になんとか正気に戻ってもらわなければ……。

「子供扱いしないで。あたしはもう大人になったもん」
「そうか……そうだな……おまえはもう二十歳だもんな」
「うん」

 桐乃は頷いて、桜色の唇をゆっくりと近づけてくる。
 そして、俺の耳元で囁く。

「もう赤ちゃんだって――産めるんだよ?」
「……っ……!」

 やばい…………心臓がばっくんばっくん鳴ってやがる…………息ができない。……死ぬ。
 桐乃が俺を強く求めてくれている――嬉しくないわけがない。でも、もしここで桐乃を押し倒したら、俺はたぶん一生後悔する。
 だって、こいつ酔ってんだもん。シラフじゃないんだ。こういう流れは、男としてフェアじゃないだろ? ……それに下には親父たちもいるしな。
 俺はかろうじて残っていた最後の理性を搾り出し、桐乃に――

「あっつーい……」
「ブッ――! なに脱ぎ始めてんだオマエ!」

 もうダメだっ! 噴き出した鼻血と共に、俺の理性はもう跡形もなく消え去ったわ!
 くそぉ……もうどうなっても知らねえからな! 途中で親父たちが乱入してきても知ったことか! って叫ぶぞ、俺は! 覚悟はいいんだな? 俺も覚悟を決めた!

「桐乃っ!」

 俺は妹を抱き寄せる。

「京介……」

 至近距離で見つめ合う。
 あれ……なんかこいつ焦点が合ってないような?

「…………やば……はく」
「えっ、え……? ちょ、待――」


「ぎゃああああああああああああああああああっ!!」


 リビングで俺が黄昏ていると、

「桐乃、出たわよ」

 お袋がグロッキーな妹を連れてきた。
 何年ぶりになるのか知らないが、桐乃はお袋に風呂入れをしてもらうことになったのだ。
 あの様子じゃ一人で入れるのは危険だし、無難な判断だとは思うが風呂から上がった桐乃はちょっと恥ずかしそうにしていた。

「京介、次はおまえが入れ」
「そうさせてもらうわ」

 いろんなモノを被っちゃったからな。
 しかし、親父は顔を赤くしながらこう言ってきた。

「身体を洗うときに……その、べたべた付いてる口紅も落としておけ」
「…………了解っす」

 もはや隠すべき部分がすべて明るみになってるような気がしないでもないが、深く考えないことにしよう。…………その方がお互いのためだと思う。

 風呂から上がってリビングに入ると、桐乃の姿はすでになかった。
 親父に聞いてみると、桐乃のベッドが悲惨な状態になってしまっているので、俺のベッドに寝かせてあるらしい。
 遠回しに一緒に寝ろと言われているようなもんだった。
 ……まぁ、いっか。公認で添い寝ができるなんて、これ以上の贅沢はないってもんだぜ。
 ということで――
 俺は少し緊張しながら自分の部屋へと入る。
 電気が消されていて、暗い。もう寝てるのだろうか? 俺はそっとベッドに近づく。

「……………………」

 どうやら本当に寝ているようだ。
 メイクを落とし、すっぴんになった桐乃は、どこか幼さを感じさせる可愛い寝顔だった。
 俺のよく知る妹の寝顔――――あの頃のままだ。なんだかくすぐったい気持ちにさせられる。
 なんだろうな、この気持ち…………なんだか高校生の頃に戻ったような感覚だ。
 妹と再会してから色々なことがあった二年間。駆け抜けた日々の想い出が、まるで昨日のことのようだ。
 こいつの寝顔を眺めていると、不思議とそう思えてくる。
 どのくらいそうしていたのか、俺はふと携帯を取り出して時間を確認する。

「げっ…………やっべ」

 ディスプレイに表示されていた時刻は、0時五分前。
 あと五分で桐乃の誕生日が終わってしまうってときに、俺はこいつにプレゼントも渡しておらず、お祝いの言葉すらも伝えてなかったことに気が付いて今さらのように慌てはじめた。
 まずい…………どうする? 叩き起こすか?
 妹の寝顔を見る。

「……………………」

 …………無理だ。
 こんな安らかに眠る天使を叩き起こすなんて、たとえ神が許しても俺が許さん。
 てか、プレゼントどこにやったっけ…………確か上着のポケットに……ってことは洗濯機の中か? ……いや違う。風呂に入る前に上着から出して、リビングに置いたはず。……とりあえずダッシュだ!
 俺は携帯を片手に、リビングへと駆け下りる。
 中に入るとすでに電気はついていなかった。親父たちも部屋に戻ったらしい。
 電気をつける時間も惜しく感じ、俺は携帯のディスプレイの明かりを頼りに、プレゼントを探す。…………確かソファに座ったときに…………あった。テーブルの上に置いてあった。
 俺は小さな包みを掴み、踵を返し二階へ向かう。

「はぁ……はぁ……」

 部屋に舞い戻った俺は携帯を確認。時間は…………あと、二分。
 どうする。どうすればいい。
 ……………………。
 時間は無情にも待ってはくれない。
 …………これしかねぇな。
 ギリギリまで考え、残り時間が一分を切りそうなところで、俺はプレゼントの包装を乱暴に破り捨てた。
 包みの中から現れた小箱を開き、それを摘む。
 そして――

「…………桐乃」
「……………………」

 残り時間はもう三十秒もないだろう。
 右か。
 左か。
 俺は一瞬だけ、提示された選択肢に迷い――――妹の左手の薬指にリングを嵌めた。

「誕生日おめでとう、桐乃」
「………………」

 なんとか間に合った。
 ふっと安堵のため息を吐こうとした時、

「……ありがと」

 と――桐乃がぽそっと呟いた。

「お、おまえ……起きてたのかよ?」
「ドタバタしてたから、目ぇ覚めちゃったのっ」

 上半身を起こし、威嚇してくる。

「……なんでいつも寝た振りするんだおまえは」

 その場で起きろってんだ。超恥ずかしいじゃんか。

「起きられるわけないじゃん……」
「なんで」
「だって…………京介にぶっかけちゃったし」

 いかがわしい言い方すんなや。ゲロを付けろ、ゲロを。
 まあでも……そう言われてみれば、こいつが気まずい思いをしているのも無理はないな。
 逆の立場だったら、間違いなくカットされるエピソードだ――――いや、逆じゃなくてもぎりぎり駄目なような気はするが。
 俺は恥じらう乙女に、優しく語りかける。

「気にしてねーよ。汚いとか思ってねぇし」
「ほんと……?」
「おう」
「うわっ……あんたそっち方面の趣味もあったんだ……」
「なんでやねん!」

 俺の妹はやっぱアタマおかしいわ。
 もうね、発想の次元が違う。なんか嬉しそうに照れてるし。ビョーキビョーキ。

「ひひっ」
「何がおかしいんだよ」
「えー? あんたがひとりでドタバタしてるの思い出しちゃって」

 今しがたの自らの行動を思い返す。
 一人で勝手に盛り上がって、寝てる妹に指輪を嵌めて――――ああ……顔が熱い。

「あんたさ、超クサイことしてたよね」
「ぐっ…………!」

 死にてえ……!

「でもね……かっこよかった」
「――――」

 俺は息を飲む――
 やっぱり俺の妹は卑怯だ。たまに見せてくれるこの素直な部分。
 その度にいつも思い知らされる、こいつの可愛さを。
 そして、そのたびに思ってしまうのだ。俺の妹がこんなに可愛いわけがない――って。

 桐乃が、いまでも変わらずに見せてくれるこの笑顔が。
 俺は、いまでも変わらずに好きだった。
 
「なに突っ立ってんの? ……入れば?」
「……んじゃ、お言葉に甘えてお邪魔しますよ」

 許しが出たので、そのまま妹の隣に寝転ぶ。
 桐乃は満足そうに、左手を掲げ眺めている。

「酔いは醒めたのか?」
「うん」

 こいつ吐く前のことは覚えてないのか? ……まぁ、覚えられてても恥ずかしいんだけどさ。
 そこで桐乃が目を輝かせて聞いてきた。

「ねぇ、これってさ……なんの指輪?」
「えっ……なんの指輪って聞かれてもな…………誕生日プレゼント?」
「そういうのじゃなくて」

 誕生日プレゼント以外にどう答えりゃいいんだよ。

「ちょっと……わかんねぇ、かな」
「じゃあ、聞き方変える。この指輪……なんで左手の薬指に嵌めたの?」
「そりゃ……」
「んん~?」

 …………ちっ、言えばいいんだろ、言えば。

「結婚指輪……のつもりだったんだが、気に入らなかったか?」

 ほんの少しだけ、緊張しながら俺は訊いた。
 桐乃は指輪を見つめながら、

「ううん……嬉しい」

 そう、応えてくれた。


 ④


 翌日の朝。
 すやすや眠る俺を、懐かしのビンタ――ではなく。
 優しいキスで起こしてくれた桐乃が、こんなことを言い出した。

「今日からこっちに帰ってくることにしたから、荷物運ぶの手伝ってよね」

 思い立ったら即断即決。おかげさまで、休日の朝から俺は大仕事だ。
 ルームメイトの黒猫はどうするんだと聞いたら、別荘代わりにたまに泊まりに行くとのこと。
 こいつがそう決めたんなら、俺は何も言うことはない。親父も喜んでたしな。

 というわけで、引越し作業中である。

「――あ、これ」
「? どうしたの?」
「俺の制服、持ってきてたんだな」

 桐乃の部屋の壁に飾られていたのは、俺が高校の時に着ていた制服だった。

「まーね。もうかなり薄れちゃってるけど、いちおー」
「ふうん、そっか」

 いじらしいことしやがって。
 ところで……何が薄れているというのだろう?
 疑問を感じながら、俺はクローゼットに手をかける。
 と――
 
「っておい! なんでおまえのクローゼットから俺の衣類が出てくるんだ!」

 しかも下着類ばっかり! 桐乃がこっちに越してきたときから、一気に減ったと思っていた俺のぱんつがなぜここに!?

「あ……えっと、ね? それは、なんてゆーか男除け? みたいな? ほら、下着ドロボーとか怖いじゃん?」
「下着ドロボーって…………ここ一階じゃねぇんだぞ?」
「うっさいなぁ……いーじゃん別に。減るもんじゃなし」
「いや! 減ってんの! 確実に!  オマエのせいで俺のぱんつが!」

 下着ドロボーはおまえじゃねーか!

「はいはい! もうこの話はおしまい! つべこべ言ってないで次はグッズ運んでよね!」
「つべこべって……」

 なんという強引な話のすり替え方だろう。まぁ、いいさ。帰ってから事情聴取だ。
 それはさておき、このエロゲーのタワー、というか山…………眩暈がしてきた。

「おいおい……たった一ヶ月で増えすぎだろ。持って帰っても、置くスペースなんてねぇぞこれ」
「……しょーがないじゃん」
「何が?」
「……この一ヶ月、あたしがどんだけ寂しかったと思ってんの?」
「そう言われてもな……引越しするっていきなり言い出したのおまえだし。そもそもなんで引越ししたの?」

 俺が就職してから桐乃が突然言い出して、現在に至ると言うわけだ。
 なんとなく聞き辛くて、いままで聞いてなかったけど、この際だから聞いてみた。
 すると、桐乃はむくれながら答える。

「あんたの会社から近い場所に住んだ方がいいかなーって……思ったの。……なんか新生活みたいで」
「あ、ああ……なるほど」

 それで黒猫を誘って二人暮らしをはじめると言い出したわけか。
 でも結果的に会える日は減っちまったわけで。
 まったく……相談ぐらいしろっての。こいつの思いつきで行動する癖はなんとか直らないものだろうか。

「ほ、ほら! いいからさっさと運ぶ!」
「へいへい……」

 ま、帰ってくるってんだから、文句を言うのはやめておこう。
 お互い一ヶ月も離れられないということが分かっただけでも収穫だ。

 そして数時間が経過した――

「ふう…………あっちーなぁ」

 クルマで数回往復し、最後の荷物を詰めたところで一息。
 ぶっちゃけ生活用品より大多数を占めていたオタグッズが一番難儀だった。こいつのグッズが黒猫の部屋にも侵食してたし。

「ちょっと、なに休憩してんの」
「おまえは鬼か」
「はい、お茶」

 桐乃が手渡してくれたのは、中身が半分ほど減ってるペットボトル。
 しかもぬるい。

「飲みかけかよ……」
「妹エキスたっぷり入ってるから元気になるでしょ?」
「往来のど真ん中で何を口走ってんだおまえは!」

 いや! 妹の飲みかけが嬉しくないとは言わないが!

「嬉しいくせに」
「…………」
「嬉しいんでしょ? 嬉しいって認めなさいよっ」
「はいはい。嬉しい嬉しい」
「へぇ~嬉しいんだ? きっも! まったく、これだからシスコンは――」

 ふひひーと笑う桐乃を尻目に、俺はもらったお茶を一気にあおる。
 俺は本当に嬉しかった。これからはずっと、桐乃がそばにいてくれる。
 少し前まで、当たり前だった日常。
 たった、それだけのことなんだが、なんだかちょっぴり新鮮な気分だ。
 たとえるなら、そうだな…………新婚生活――って、感じかな。

 おしまい。

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最終更新:2014年05月24日 23:18