【前編】


 六月の上旬。俺は、馴染みの本屋に向かって歩いていた。
 俺、和泉正宗は先日。
 妹に、三百ページにも及ぶラブレターを贈り。

『私、好きな人がいるの』

 振られた。
 胸を抉られたかと思うくらいの痛みだった。
 その代わりと言ってはなんだが、俺には夢ができた。
 でっかい、でっかい夢だ。
 俺は、この夢のために、これから〝究極のラノベ〟ってやつを完成させなきゃならない。
 …………んー。
 なんだか締まらないな。
 よしっ。少しだけ先人の真似をして、自己紹介をしてみるとしよう。

 俺の名前は和泉正宗だ。高校一年生、十五歳。妹と、二人暮らしをしている。
 妹の名前は和泉紗霧。十二歳。地球上に存在する生物の中で、最も可愛い生き物だと思ってくれればいい。
 俺と紗霧は血がつながっておらず、つい最近までは、話すこともままならない関係だった。
 紆余曲折を経て、最近は少しだけ会えるようになったけど。
 ちなみに俺は高校に通いながら働いている。さっきもちらっと言ったけど、いわゆるライトノベル作家てヤツだ。この前、無事完結までこぎつけた『転生の銀狼』は、俺の代表作であり、唯一のシリーズ完結作でもある。
 うん。もう、わかったと思うけど、俺の作品はそんなに売れている方じゃない。
 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる精神で小説を書き、その中のひとつである異能バトル系作品『転生の銀狼』がそこそこ売れてくれた、というのが現状である。
 こんな二流作家の俺だが、小説を速く書く能力(面白いとは限らないが)だけはあるようで、俺の執筆速度に『超速筆(スピードスター)』なんて名前をつけたバカがいるくらい書くのが速い(らしい)。
 しかし、俺は、手に入れたでっかい夢のために速筆を封印し、ペースダウンの恐怖と戦う決意をした。
 究極のラノベを完成させるために。アニメ化するくらい、売れてもらうために。
 というわけで。
 本日もネタ出しのため、クラスメイトの実家である『たかさご書店』へと足を運ぶ俺であった。

「さーて、今日のオススメコーナーはどうなってんのかな?」

 もしかしたら、俺の出した小説が目立つ場所に置かれてないかなー、なんて期待を持ちつつ、本屋の看板娘・智恵のオススメコーナーを見て回る。

「くそっ! 今日もダメか! たまには俺の本を目立たせろっての!」

 俺が、自分の出した小説たち(自分の子供のようにかわいい)を嫌がらせのように平積みコーナーへ並べていたとき。

「あ……これは」

 俺が手に取ったのは、懐かしの『妹空』だった。
 俺が小学生くらいのときに爆発的なヒットを記録した作品で、もともとケータイ小説からの移植作だったはずだ。アニメにもなっている。
 シリーズ化してたら絶対に伝説になった作品だと思うのだが、理乃先生(たしか当時、女子中学生だったはず)の突然の引退により、『妹空』は二作しか世に出ていない。何気に俺の大好きだった作品だ。
 さすが智恵、これをチョイスするとは。
 ぱらりとページをめくる。
 と。

「あっ! 妹空じゃん! なつかしーっ!」

 という、声が隣から聞こえてきた。
 隣を見る。

「――――」

 めちゃくちゃ綺麗な、茶髪ロングの女の子が『妹空』に手を伸ばしていた。
 いや、もうびっくりしたね。見たことないくらい、超美人。
 たぶん、俺と同じくらいなんだろうけど、メイクのせいか年上にも見える。十五、六歳くらいかな?
 顔が整ってて、スタイル抜群。まるで、モデルみたいな感じだった。
 しかも! さっきからスッゲーいいにおいが漂ってくんの! あまーい香りが…………すんすんすんすん。
 やばいこれ……においだけでドキドキしてきた…………なんとかして、エロマンガ先生にこの娘を元にした、えっちなイラストを描いてもらえないだろうか。ぜひとも見たい!
 ……まさか、この世にこんな可愛い生き物が存在していた――――――はっ!
 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!
 ち、違うんだ! これは、たとえ話であって! 決して、紗霧が可愛さで負けたことを認めたわけじゃないっ! 隣の女の子が! とてつもなくエロ可愛いことは認めざるを得ないが!
 この地球上に存在する生き物の中で、最も可愛いのは紗霧ただひとり!

「うわあああああああああああああああん! ごめんよおおおおおおおおおおおおおお! 紗霧いいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」

 バン! バンバンバンバンッ!
 俺は、一瞬でも可愛さの優劣を書き換えそうになってしまった自分が許せず、涙を撒き散らしながら本棚を叩き、これ以上ないほど激しく後悔した。

「えっ……どうしたんだろ……」
「こっち来とけ」

 ぽかっ!

「痛って!」
「こらこら! 他のお客さんの迷惑になるようなことは慎んでください!」

 俺の後頭部を小突きやがったのは、クラスメイト兼看板娘の高砂智恵だった。

「他のお客さんドン引きしてるよ?」

 周りを見渡せば、俺の奇行に冷ややかな視線が集まっていた。

「なんということだ…………自責の念にとらわれ、我を忘れてしまっていた……」

 ここが風の谷なら、俺の眼は、いままさに、赤から青に変わっていったことだろう。

「正気に戻ったなら、キミの涙と鼻水が付着したその本、ちゃんと買い取っていってね」

 俺の手に握られていたのは、懺悔の涙を吸収した『妹空』である。

「はい……」
「あと、その売れない本も元の場所に戻しておくこと」
「くっ……!」

 購入の約束をさせて、智恵ははたきをぱたぱたさせながら去っていく。
 うう……この本もう持ってんだけどなぁ。
 サイン本ならともかく、すでに持っている本の二冊目を買うのはちとツライものがある。
 涙をそでで拭って顔を上げると、さっきの綺麗な女の子を、背中で庇うように立っている男性の姿が視界に入った。二十代前半くらいだろうか。
 危険人物を見る目で、俺を見据えている。
 ひょっとすると、俺が変質者だと誤解されているのかも。通報されないうちに謝っておいた方がいいかもしれない。

「えー……この度は――」
「その本、買ってくれるの?」
「えっ?」

 俺の眼前に立ちはだかる男性の背中から、ひょこっと顔を出しながら、後ろの女の子が聞いてきた。

「え、ええ、まあ……汚しちゃったし」
「ふーん、そかそか」

 女の子はこくこく頷き、

「ふひひっ、それマジで神作品だから、買って損はしないと思うよ!」
「おい、知ってるか? おまえの行為を、世間ではステマというらしいぞ」

 絶妙のタイミングで、男性がツッコミを入れる。しかし意味はわからない。
 なぜ、ステマという単語が出てきたのか、俺が知ることになるのは、もう少し先のことだ。

「神作品なのは、ホントのことじゃん。あんたも読んだでしょ?」
「俺には、ヒロインがクソビッチだなァ、という感想しか出てこないのだが」
「はぁ!? なにそれ!」「そんなことありません!」

 二人の言い合いに、俺も、思わず参加してしまっていた。
 驚いた様子で、男性が聞いてくる。

「……もしかして、この作品読んだことあんの?」
「はいもちろん! 俺、理乃先生の大ファンなんです!」
「へぇ…………そっか。よかったな、桐乃」

 目の前の彼は、嬉しそうにそう言って、ごく自然な動作で、隣にいる彼女の頭を撫でた。

「ん。……へへ」

 心地よさそうに、頬を染める彼女。
 なんだ……この圧倒的なリア充オーラ……クソッ、クソクソクソクソ! ちくしょうめ!
 むかつくぜぇ! 特にこの男! 綺麗な彼女を見せびらかしてんのか、ああん!? つーか歳離れすぎだろ! どう見ても、二十代前半と中高生カップルじゃねーか! 犯罪だぞこのやろう! テメーなんか通報されて滅びてしまえ!
 なんて、思ってないよ? ほんとに。これっぽっちも。悔しくなんかないんだからね。
 ゴホン――と、ところで……何がよかったというのだろうか? ひょっとして、この娘も理乃先生のファンなのかな?
 だとしたら聞かねばならんだろう。同士かもしれないんだから。
 俺はおっかなびっくり、尋ねてみる。

「……も、ももも、もしかして、理乃先生のファンなの?」

 声が震えてしまった! でもしょうがないじゃん! こんなモデル系の美少女と話す機会なんていままでなかったんだから!
 俺の質問に、彼女はわずかに逡巡し、こう言った。

「えっ? ん~……ファンってゆーか、あたしが作者、みたいな」
「へ?」

 素っ頓狂な声が出てしまったのは、彼女がとんでもない答えを口にしたからだ。
 俺はしばらく口をぽかーんと開けて、呆然とするしかなかった。

「おい! ……おまえが作者だって言っていいのかよ」

 小声で、男性が問いただす。

「まぁ、いーじゃん。昔の作品なのに、ファンだって言ってくれてるんだし。スゴくない? いまだに、妹空のファンがいるってことなんだよ?」
「そりゃ、まぁ、そうかもしれんが……謎の元美少女中学生作家、って方がよかったんじゃねーの?」
「元を付ける場所が違うッ」

 ギュッ、と、彼の頬をつねる彼女。

「いや、語感の問題でだな――」

 そこで、ようやく俺は言葉を発することができた。

「り、りりり、理乃先生なんですかっ!? あ、あなたが!?」

 同い年くらいの女の子に、おもいっきり敬語を使ってしまった。しかし、それほど尊敬している相手だった。
 ていうか、彼女が本当に理乃先生だったとしたら、当時中学生というコトは、えーと……あれが発売されたのが五、六年前だから……。
 俺が女性に対して、失礼な年齢計算をしていると、

「うん。そうだよ」

 屈託のない笑顔で、彼女はそう答えた。
 ほ、本物なんだ……。本物の理乃先生が目の前にいる。
 てかっ、見た目、若っ! 完全に同年代だと勘違いしてしまってたぞ。
 あぶないあぶない。失礼なことを言う前に、気付けてよかった。
 感激と興奮が最高潮MAXに達した俺は、思わずこんな台詞を吐いてしまっていた。

「サインください!」


「うおおっ…………あ、ありがとうございます!」

 サイン本には丸っこい字で、『きりのきょーすけふたりはラブラブ』と書かれている。
 変わったサインだなあ。

「いえいえ、どういたしまして」
「よ、よければ、握手なんかも……」

 完全にファンの心理である。
 綺麗なお姉さんの肌に触れてみたい、とか!
 すべすべしてるんだろうなー、とか!
 握手してもらったら一生、手ぇ洗わないぞ、とか!
 やっぱりいいにおいするなー、とか!
 そんな下心は一切、ない!
 と!
 俺は、声を大にして主張する!
 勘違いしないでよね!
 しかし、そんな俺の主張は、京介さん(さっき教えてもらった)の発した言葉で杞憂に終わる。

「ごめんな。こいつ、人に触れられるのがすっげぇ苦手でさ、握手とかは遠慮してもらえるかな」
「あっ、すんません……調子に乗りました」
「いやいや、そこまで気にしなくていいぜ?」

 優しい物腰だったが、有無を言わせぬ迫力があったので、結構ビビッてしまった。
 でも、さっき、京介さん、理乃先生の頭撫でてなかった? すごい気持ちよさそうだったような……。
 …………あ、なるほど。得心がいった。京介さんは、理乃先生の彼氏だからだ。だから、彼女のことは他の男に触らせたくない、ということだな。
 ふんふん、気持ちはわかる。若干、独占欲が強すぎるような気がするけど。
 俺だって、大好きな紗霧が他の男に触られたりしたら、発狂してのたうちまわりながらショック死する自信があるからな。うん、そういうことなんだろう。
 というか、憧れの先生のサイン本が手に入っただけでも十分すぎる幸運だ。
 俺はサイン本を大事に抱え、

「本当に、ありがとうございました。実は、俺も作家やってて……つっても、そんなに売れてはないんですけど。今日のこと、スゲー感激です」
「へぇ、どおりで。はしゃいでたわけだ」

 と、京介さんが言った。

「いやー、お恥ずかしいです」

 テンション上がりすぎちまったみたいだ。
 そこで、理乃先生が聞いてきた。

「なんていうタイトル? もしかしたら、知ってるカモ」
「えっと……」

 俺は、思わず言いよどんでしまう。だってさ、元とはいえ、こんな大作家先生の前で自分の作品のタイトルを出すなんて、どう考えても自殺行為じゃねーか。エゴサーチどころの騒ぎじゃないぞ。……まあ、たぶん知らないとは思うけど。
 けれども、もし、知られてて『あー、あのクソつまんない作品の』とか『ぶっ殺そうかと思った』なんて言われちまった日には、立ち直れそうにない。
 いやっ、よく考えてみろよ、俺。仮に、酷評されたとしても、これはチャンスなんじゃないか? だってさ、大作家先生からの生評価(知っていればという前提だが)をいただく機会なんてそうあるもんじゃない。
 それに、理乃先生は、たったの二巻という超短期シリーズでアニメ化してるんだ。何か、ヒントになるような感想をいただけるかもしれないぞ。
 そういう打算も込みで、打ち明けてみよう。がんばれ、俺!

「……『転生の銀狼』ってタイトルなんですけど」
「えっ、マジで!? あれチョーおもしろいよね!」
「え……俺の作品知ってるんですか?」
「うん! 全巻、三冊ずつ持ってるよ! ていうか、その作品書いてるってことは、和泉マサムネ先生ってことだよね?」
「そ、そうです!」
「スゴー! あたし、超ファンなんだあ!」

 なんってこった…………俺の尊敬する先生が、和泉マサムネ(俺のP・Nだ)の作品のファンだったなんて……。
 しかも、三冊ずつ買ってくれてるとか……。
 もしかすると、この人は女神なのかもしれない。

「内容もおもしろいんだけどさ。特に! エロマンガ先生のイラストが、チョーヤバイよねっ」
「やっぱわかります!?」

 俺は喰い付くように、問い返した。

「うんうん! ぺったんこの女の子が超エロかわいいってゆーかっ! ひもぱん穿いてる女の子がマジ萌えるってゆーか! へへ……いいよねえ」

 俺の相棒のイラストが……エロマンガ先生のイラストが、褒められている。これほど嬉しいことはない。
 何を隠そう、エロマンガ先生の正体は、俺の妹・紗霧なのだ。
 妹のことを褒められて、嬉しくない兄貴なんているわけがない。
 ――あとから考えてみても、なぜこのとき、この人たちに話してしまったのか、俺にも答えが出ないのだが。
 気が付けば、俺はこう言っていた。

「実は、俺の作品のイラストって、俺の妹が描いてるんです」


「へえ……妹と二人暮らしか」

 京介さんが神妙な顔で言った。
 俺たちは、いまなぜか、我が家に向かって一緒に歩いている。
 どうしてこういう経緯になったのか、ぶっちゃけ俺にもよく分からない。
 強いてあげるとすれば、

『ちょ、エロマンガ先生が、マサムネ先生の妹ってマジ!? あんなエロいイラスト描いてるのに!? てかっ、妹さん可愛いの!?』
『めちゃくちゃ可愛いです!』

 このやり取りからおかしな流れになったような気はするんだが……。

「着きました」
「お、二人暮らしのわりには、結構デカイ家だな」
「俺も、常々そう思ってます。どうぞ」

 二人を招き入れ、リビングへ通す。
 適当に座ってもらい、飲み物を用意していると、理乃先生が鼻息荒く聞いてきた。

「ねぇねぇ! 妹さんは? いないの?」
「いや……いるにはいるというか、常にいるというか、いない時間はないというか……」

 と、そのとき。
 どん! どんどんどんどん!
 いつものように天井が揺れた。

「ゆ、床ドン……だと」

 京介さんが驚愕の表情を浮かべながら呟く。
 俺は、苦笑しながら答える。

「まあ、ご覧の有様です」
「もしかして……おまえの妹、引きこもり、なのか?」
「はい……いまのはたぶん、お菓子が切れたから持って来い、って呼び出しかな」

 紗霧好みのお菓子を用意しながら返事を返す。

「大変なんだな」
「そうですね。部屋から出てきてくれないのは大変ですけど、でも、苦じゃありませんよ」
「……そっか」

 そう言って京介さんも苦笑した。
 と。

「ええっ――! それじゃエロマンガ先生に会えないってことじゃん!」

 理乃先生が立ち上がって叫ぶ。
 そして、

「なんとかして」

 驚きの無茶振りを、京介さんにお願いした。

「……無茶言うなよ。引きこもりを克服させることがどれほど大変か、俺は身をもって体験してるんだぞ?」

 なにっ! マジか! この人も、引きこもりの人間を改善させた実績を持っているというのか!
 ていうか、俺の意見は? 兄である俺の意見はカンケーないんですかね? まず、俺に、承諾を得るべきなのではないでしょうか?
 俺の意思などおかまいなしに、二人の言い合いは続く。

「だから、アンタに言ってるんじゃん? 櫻井さんのときみたいに、京介ならなんとかできるでしょ?」
「いや、あいつは引きこもりっつっても、ただのサボり魔に近かったしなあ。今回のガチヒッキーのケースとは、さすがにわけが違うと思うぜ?」
「それでも! なんとかしてあげて! 部屋から出てこられないなんて……かわいそうじゃん」

 このとき、俺はこう思った。ああ……やっぱりこの人は『女神』なんだって。一文字違いの『めぐみ』という、腐れビッチとはわけが違うって。やつは真のビッチだ。
 理乃先生の慈愛に満ちた表情を見た京介さんは、少し照れくさそうな笑顔を浮かべ、困ったように頬をかいた。

「ったく……やれやれ、しょうがねーな」

 そして、まるで『やれやれ系主人公』のようにぼやくと、すっと立ち上がり、俺の肩に手を置いてこう言った。

「和泉くん――俺に任せろ」


 【中編】


 会って間もない人物を、なぜ、こうもたやすく信用してしまったのか。
 それは――

『俺に任せろ』

 この一言から、信ずるに足る『何か』が、伝わってきたからなんだろうな。
 普通のやつに、こんなことを言われたところで、絶対に信用していない。
 むろん、妹の部屋に案内することもなかったはずだ。
 だけど、俺は、この人を信用することにした。
 ということで。俺は、俺以外の人物が足を踏み入れたことのない、妹の部屋へ二人を案内する。
 二人を、二階へと誘う――『開かずの間』へ。

「ここか」
「はい……でも、京介さん、たぶん開かないと思いますよ?」

 俺でも一年かけて、ようやく開けることができたのだ。
 この固く閉ざされた扉を開けることは、誇張抜きで容易ではない。

「へっ……任せとけって言ったろ」

 京介さんはニヤリとキバを剥いて笑う。
 そして、扉の前に立ち、こんこんと軽くノックをする。

「おーい、おまえの兄貴が会いたいって言ってんぞ。ここ開けてくんねぇか?」

 なんとも普通の手段だった。この程度で開くわけがない。
 ……あのとき感じた、なんともいえない力強さのようなものは、やはり、俺の勘違いだったのか?
 と、俺が内心ガッカリしていたときだ。
 ガンガンガンガンガンガンッ!

「おーい! いるんだろ! さっさと開けろって!」
「ちょ! なにしてるんですかっ!?」

 なにしてんのこの人!? いきなりドアをこれでもかって勢いで叩きはじめたよ!
 俺は咄嗟に、腕を掴んで止める。

「うっせぇな、俺に任せろって言ってんだろ」
「まかせらんねーよっ! 真面目にやってください!」
「和泉くん、俺は……いつだって、大真面目だぜ!」

 無駄にカッコよく決め台詞を叫び、さらに強くドアを叩き始める京介さん。
 ドンドンドンドンドンドンドンドン!
 駄目だこの人! 完全に人選ミスだった! もうやめて! これ以上、妹を追い詰めないで! 紗霧の心が壊れちゃう! 引きこもりにとって悪魔の所業だよこれ! この人、アタマおかしーんじゃねーの!?
 そのとき、カチャっと、わずかに扉が開いた音が聞こえた。
 ウソ……開いた? あ、でもやばい……このままだと、京介さんの顔面にドアが直撃する――と、思った瞬間の出来事だった。
 勢いよく、バンッ! と顔面を狙ったドアが開く。
 ガシッ。

「お、ようやく開けてくれたな」
「!」

 まさか…………直前で受け止めた…………片手だけで…………こ、これが幻のドアキャッチ。
 パジャマ姿の妹と、京介さんが対面する形になる。

「よう」
「だ…………だれ」

 警戒心を剥き出しにしながら、紗霧が固まってしまっている。まさか、ファーストインパクトを回避されると思っていなかったのだろう、ジョイパッドを持つ手が、ぷるぷる震えてしまっている。
 紗霧をじっと見つめる京介さん…………の隣から「むっはー! なにこれチョーかわいいんですケド! やば! この娘やっばーい!」という、危険な香りのする台詞が聞こえてきた気がするのだが、たぶん気のせいだろう。

「俺は高坂京介だ。キミのお兄さんの知り合いだよ」
「…………ぅ」
「ん?」
「…………ぅぅぁ」

 赤面してパジャマの胸の辺りを、ぎゅっと掴む紗霧。
 ヤバイ! 緊張がMAXになっている! このままだとあの凶器が!
 そう思ったときには遅かった。
 まるで、スローモーションのように俺の目に映っていた。
 ジョイパッドで京介さんに襲い掛かる、紗霧の姿が。
 だが――

「おおっと!」
「!」

 避けた……! そっ、そんなはずはない!
 そう思ったのは、どうやら、俺だけではなかったようで。

「……っ……!」

 ブンッ! ブンッ!
 と、大振りの全力攻撃を繰り返す紗霧。

「う……ぅぅッ! あたらないっ」
「お、おい! おまえの妹! 超危険人物じゃねーかっ! なんで初対面の相手に全力攻撃かましてくんだ!?」

 すべての攻撃をかわしながら京介さんが叫ぶ。あててみろよ、とは言ってくれないんだな。
 しかしそんなやり取りも長くは続かず、

「はぁ……はぁ……ぅぅ……ッ」

 引きこもりの例に漏れず、すぐに体力の尽きた紗霧が息を切らして、ふらっと倒れそうになる。

「あぶねぇ!」
「さ、紗霧!」

 倒れそうになった、妹を支えたのは俺ではなく、京介さんでもなかった。

「よっ、と」
「…………ぁ」

 ギリギリのところで理乃先生が、紗霧の身体をふわっとキャッチしたのである。
 この人たち……いったいどんな修羅場をくぐり抜けてきたんだ……? ひょっとして、バトル系の主人公なのか?
 理乃先生が、天使の微笑で問いかける。

「大丈夫?」
「ん…………うん」

 ふぅ~~~~………よかった。怪我はなさそうだ。
 と。

「……いいにおい」
「えっ、そう?」

 紗霧が理乃先生の胸に顔を埋めながら、においを嗅ぎ始めた。
 こらこら、初対面のお姉さんをくんくんするんじゃないっ。育ちが疑われるじゃないか。
 と、思ったのもつかの間。次の瞬間、紗霧がとんでもないことを言い出した。

「ねぇ……胸、見せて?」
「えっ! こ、ここで?」
「うん」
「「スト――――――――――ップ!!」」

 俺と、京介さん、二人の魂が共鳴した瞬間だった。
 初対面のお姉さんに、いきなりストリップショーをおねだりする妹がいてたまるか!

「じゃあ…………いい?」
「えっ、えっと……なにがいいのかな?」

 当惑して問い返す、理乃先生。
 俺の紗霧語翻訳によると、『脱がなくてもいいから、おっぱいさわってもいい?』というところだろうか。
 ということで、

「駄目だ!」

 理乃先生に代わり、俺が答える。駄目に決まってます!

「…………てない」
「なんだって?」

 まったく聞こえなかったので(俺の妹の声は、とてもか細いのだ)、紗霧の口元に近づいていくと。
 ガンッ!

「いってええええええええええ!」

 ジョイパッドで鼻っ柱をぶん殴られた! こんなの避けられるか!
 痛みに耐えれず床を転げまわっていると、

「に、兄さんには聞いてない!」

 いつの間にか、ヘッドセットを付けた紗霧から、聞き取れる音量の返事が返ってきた。そのすぐ近くから「うっひょーっ! 兄さん呼びキタコレ! じゅるっ!」という聞いてはいけないものが、聞こえてきた気がするのだが、たぶん、殴られた影響で幻聴が聞こえたんだろう。
 さらに、追い討ちをかけるように、俺を見下す体勢でこんな罵倒がくる。

「へ、へんたい! えっち! ばか!」
「な、なんで、俺は妹にいきなり殴られた挙句、そんなこと言われなくちゃいけないの!?」

 もうお兄ちゃん意味がわからないよ!

「い、いま、この人の胸に顔近づけようとした! だから兄さんはへんたい!」
「ち、ちちち、違ぇよ!」

 俺は両手をブンブン振って釈明する。
 妹は、ジトーっと俺を睨みながら、一言。

「うそつき」
「ほ、ホントに違うんだって!」

 おまえの顔が、理乃先生の胸元に埋まってるから、そういう風に見えたかもしれないけど、違うんだ紗霧! だから、その蔑んだ目で見るのをやめてくれ! 死にたくなってくるから!
 はっ――! …………マズイ。これは、すこぶるマズイぞ。こいつが変なことを言い出したから、ひょっとすると、先生と京介さんにも疑いの目で見られている可能性がある……。
 俺は、脂汗を手の甲で拭いつつ、そっと後ろを振り返る。
 と――

「キータキタキタキタキタァーッ! この兄妹、デレ度マジパねぇ! どう見ても最初からクライマックスです! ありがとうございました!」
「ふーむ、俺たちの物語とは、えらい違いだなあ」

 なんか、すごい喜ばれてた。どういうこと?


 そんなこんなで、俺と京介さんは、現在待機中である。
 紗霧のやつが、どーしても、理乃先生の胸を見たいというお願いから、男二人を締め出して、廊下に立たされているという状況である。
 もう、何がどうなっているのか説明ができないカオスっぷり。誰かこの状況理解できるやついるの?

『ふにふに……やわらかい……それに大きい』
『きゃっ! ちょ、ちょっと紗霧ちゃん、ダメだってばあ』
『ぐぬぬ…………こいつめ、こいつめ』
『ひゃっ』

 …………………………。

「中の様子が気になってしょうがない、って感じだな」
「はっ!」

 気付けば、ドアに耳を押し当てて、盗み聞きをしてしまっていた! ち、違うんだ! これは俺の意思じゃない!
 くっ…………どこかに、俺の身体を操っているヤツがいる! 俺はそいつに抗えないだけなんだ……っ! まあ、そんな妄想はありえないのだが。

「それにしても、おまえら、仲のいい兄妹だな」

 仲のいい兄妹。
 初めて言われたこの言葉に、俺は、なぜか昂揚感を覚えた。

「そう、見えましたか?」
「ああ。俺たち兄妹が中高生だった頃より、よっぽど仲良く見えたぜ?」
「えっ、お二人って、兄妹なんですか?」

 てっきり、恋人かと思ってた。全然、似てないし。

「あれ? 言ってなかったっけ?」
「はい、いま聞きました」
「うん、俺たちは兄妹だよ。あの頃は仲悪くてなあ」

 仲が悪かったようには見えないけど。
 思い出を、回想しているのだろうか。青春時代に想いを馳せる京介さんは、なんだかすごく大人に見えた。
 きっと、兄妹には、兄妹の数だけ、特別な物語があるということなのだろう。
 なぜか、そう感じさせる横顔だった。
 そんなことを考えていたら、
 ガチャ。
 と、『開かずの間』の扉が開いた。

「ふわぁ……すごかった」
「大丈夫か、桐乃? おまえいま、なんとも言えない、恍惚の表情を浮かべているぞ?」

 京介さんの言うとおり、なんとも形容しがたいのだが、エロ動画に出てくる女の人みたいな顔。
 というのが一番近いと、俺は思った。

「さぎりん、マジテクニシャン。ちょーやばっ……うぅ~、もうお嫁にいけない」
「心配するな。おまえはすでに俺の嫁だ」

 いや、俺の嫁って……兄妹では結婚できないですよね? えっ、できるの?
 まあ、その話は置いておくとして、さぎりんって……紗霧のことか? ほんのわずかな間にずいぶん仲良くなったものだ。

「…………ふ、ふふ」

 手をわきわきさせながら、口の端を歪める紗霧。
 なぜか少しだけ心を開いてるみたいだし、改めて理乃先生のことを尊敬してしまうな。
 と、思っていたら。

「兄さん」
「お、どうした?」
「Dカップの描き方がわかった……これで勝てる」
「誰に?」
「ぺったんこしか描けないと、私を貶した兄さんに」
「あ、そう……」

 まだ根に持ってたんだ。心が狭いなあ、俺の妹は。

「……ていうかさ、おまえ、ずいぶん、先生に心開いてんのな」

 ちょっと、羨ましいぞ。

「だって……メルル好きって言ってたし……私の絵、かわいいってほめてくれた」

 照れくさそうに、紗霧は言った。
 こいつの嬉しそうな顔を見ていると、俺まで嬉しくなってくる。

「そっか……よかったな」

 俺は妹の頭に手を伸ばし、

「さわらないで」

 ぴしゃりと拒絶されてしまった。

「……はい」

 もうダメ、俺、泣きそう。

「へへへっ、さぎりんにメルル描いてもらったんだよ」

 と、自慢げに、紗霧が描いたというメルルのイラストを見せびらかしている理乃先生。

「おお……こりゃ、すごい」

 紗霧のイラストを見て、感心したように唸る京介さん。

「この人が……桐乃お兄ちゃんの大好きな人?」
「ちょ、しーっ! さぎりん、しーっ!」
「むぐっ」

 めちゃくちゃ焦って、紗霧の口をふさぐ理乃先生。すっごいナチュラルに触れ合ってるなあこの二人。
 いや、それよりも気になったんだけど。いま、『お兄ちゃん』って呼ばなかった?
 俺ですら呼ばれたことないんですけど……って、突っ込むところはそこじゃない気がするが、いまはさておく。
 紗霧を解放した理乃先生は、ごまかすように咳払いをひとつ。

「コホン……それにしても、さぎりんの描いたイラスト、ほんとエロかわいいよね。さっすが、エロマンガ先生っ」
「そ、そんな名前の人はしらないっ」
「うっはー! 照れてる顔も超かわええー! 持って帰りたーい!」

 二人のやり取りを見守っていた京介さんは、優しく微笑み、

「絵、上手いんだな」

 ぽんと、紗霧の頭に手を置いた。

「ぅ…………うん」

 って! おいっ――――!

「はは、かわいいなこの子」
「な、なななななな……っ!? わーわーわーっ!!」

 うがああああああああああああああああああああ! なにやってんだキサマ! ぶち殺すぞ!

「…………ぅぁ」

 紗霧ィィィィィィッ! おまえも赤くなってんじゃね――――よッ!! ざっけんなあ! 俺と京介さんの何が違うってんだ!
 クソクソッ! もしかしてあれか!? これが噂に聞く一級フラグ建築士とやらか!? 業深きS級スキルの持ち主なのか!?
 だとしても! ゲスト出演のクセに俺の妹にフラグ立ててんじゃねーよっ! こんの~~~~~~~~~~っっっ! ぬわあ――――――――ッ!
 俺が一人でのた打ち回っているそのとき。
 好き放題やってくれちゃった、京介さんに制裁の時間が訪れた!

「なにやってんのこのロリコン!」
「あ痛っ! な、なにすんだ!」

 理乃先生に足を踏み潰された京介さんが、無様に飛び跳ねている。これほど心が晴れやかになったのは、人生で数えるくらいしかないくらい、スッとした。

「年下の女の子の頭撫でて、デレーっと鼻の下伸ばしてさ! 最っ~~~~低ッ!」
「いや、桐乃……ご、誤解だ。これには深いわけがあってだな……」
「は? なによ? 三十文字以内で説明して」
「いや、ここだけの話、俺の身体を操っている誰かがいるんだよ……」
「はあ!? チッ……うっざ! きっも! マジキモい! この期に及んで人のせいにするとかありえないんですケド! もう死ねば?」

 散々罵倒を浴びせ、そっぽを向いてしまう理乃先生。
 ……………………。
 こ、これが、原初のツンデレというやつなのか……こんな罵倒から、デレを探し出さないといけないなんて…………恐ろしい時代もあったものだ。
 も、もし、紗霧からこんなことを言われたとしたら――

『ちっ……うざい』『きもちわるい』
『ほんときもちわるい』『さいてー』

『――兄さん、もう死んでくれる?』

 うわああああああああああああああああああああっ! 死んだ! 死んでって言われる前から死んでた! 想像するだに恐ろしいっ! い、いまので軽く五回は死んだぞ、俺……。
 で、でも、なぜだか自分でもよくわからないけど、ちょっぴり嬉しいような……気もする。
 ツンデレ……なんという業深き属性なんだ。……これは、次回作の設定に使えるかもしれないな。

「兄さん」

 妄想の世界に旅立っている俺を、現実に引き戻してくれたのは、いつの間にかそばに寄ってきていた妹だった。

「見て」

 俺のそでを掴みながら、ペンタブで描いたイラストを見せてくる。

「ん? これは…………なんだ、これ?」

 山が二つ、描いてあるような? なんだこりゃ。

「むっ…………」

 紗霧は、俺の答えが気に入らなかったようで、むすっとしながら答える。

「Dカップ」
「あ、ああ……もしかして、胸、これ?」
「むぅっ」
「いや、なんでわからないの? みたいな顔されても……パーツだけ描かれたって、わかんねーよ」

 しかも、なんだか抽象的だし。
 俺が、そう言うと、紗霧はボッと真っ赤になりながら、わかりにくい絵を描いた理由を教えてくれた。

「だ、だって……ちゃんと描いたら……兄さんが私のからだで、え、えっちな想像……するから……」
「しねええええええええええよ!」

 オマエはどうしていつも俺を変態兄貴に仕立て上げようとするんだ!

「うそ」
「いや! しないって!」
「うそだあ! ぜったいする!」
「しーまーせーんーっ」
「私が、ひもぱんを穿いてオシリを突き出しながら、Dカップに膨らんだおっぱいで兄さんを誘惑してるポーズを、ぜったい想像する!」
「さすがにそこまでは想像してなかったよ!」

 こいつは、どこまでえっちな妹なんだ! 尋常じゃないぞ!

「……ほんとに?」

 俺は、脳内に想像してしまった、Dカップ紗霧のえろい姿を一時封印し、マジメな顔でこう言った。

「いいか、紗霧。兄貴ってのはな、妹でえろい妄想なんてしないんだ」
「…………」
「ですよね、京介さん!」

 俺は、同意を求めて話を振った。
 当然、『当たり前だろ? 妹でエロい妄想をする兄貴なんて、この世にいるわけねーって』と。
 返ってくるものだと、そう思っていたのだが。
 しかし、京介さんは、

「お、おおう! そ、そそそ、そうだな! 妹で、エロい妄想なんて、す、するわけ……ないよな……」
「…………」

 マジか……やっちまってんのか、アンタ。
 なんだろう、いま、とても握手をしたい気分だ。

「うそつき。妹でえっちなこと考えてる人……いるじゃない」

 しまった! 逆効果だった!

「ち、ちがうんだ紗霧! この京介って人は、若干、アタマおかしいんだけどさ!」
「おい!」

 相変わらず、いいタイミングでツッコミを入れてくる人だなあ。しかし、それに構っている余裕はない。
 俺は、妹の誤解を解かなければいけないのだから!

「それでも妄想止まりだよ、きっと! 実際に、妹にえっちなことなんて絶対しない! 兄貴ってのはそういうものなんだ」
「…………ほんとに?」
「当たり前だ。ですよね、京介さん!」

 俺は、間違っていた。認識が甘かった。
 この高坂京介という、男……いや、兄が。どれほどの変態性を持った兄貴であるのか。
 現時点で俺は知らなさすぎた。知っているべきだったんだ、もっと早くに。
 俺は、今度こそ間違いなく、肯定が返ってくると、『おいおい、なに言ってんだ。いくら妹でエロい妄想をしたところで、それを実行に移すような兄貴が、この世に存在するわきゃねーだろ』って、俺の求める答えが返ってくると、そう確信していたのに。
 振り向いたときには、すべてが遅かった。

「………………」
「………………」

 京介さんと、理乃先生は、目を合わせ、ぽっと頬を染める。
 そして、

「………………」
「………………」

 すっ、と、視線をそらした。

「紗霧、見てのとおりだ」
「兄さん」
「はい」
「うそついたの?」
「すいませんでした」

 俺は、妹に頭を垂れた。

「「待て待てーい!」」

 変態兄妹の声が重なる。

「勝手に話進めないでよ! あたしたち、別に、変なことなんて……し、してないかんね! ねっ、ねっ!?」
「お、おう! して……ないぞ」

 なんてこった。こいつらガチだ。ヤバイぞこの兄妹。

「うそつき。妹とえっちなことしてる人……いるじゃない」

 ぐはっ! くっ……想定外だったぜ……! この世にこんなぶっとんだ兄妹が存在しているなんて! ここから態勢を立て直せるのか……? クソッ……やるしかねえ!

「ま、待て紗霧! この人たちが、アタマおかしいのは間違いないけどさ!」
「おい!」

 このツッコミのタイミング、あとで教えてもらいたいなあ。
 いや! いま、そんなことを考えている余裕なんてないだろ、正宗!

「ひょっとしたら、この人たちも、血がつながってない兄妹かもしれないだろ?」
「……私たちみたいに?」
「そうだ!」

 勢いに任せた、苦し紛れの推理だったが、そう考えればすべてが腑に落ちる。
 二人が似てないこと、兄妹だけど恋人っぽいこと、大人の関係っぽいこと。
 そうだよ。この二人も血がつながってない兄妹なんだ。
 俺たちと似たような境遇で、好き合ってるってことなんだよ、きっと。

「紗霧! この二人も血がつながってないんだよ! だから、この人たちの大人の関係は何の問題もないはずだ!」
「あたしたち、血ぃつながった兄妹だよ?」
「まじすか!」

 なんだよこれ! 四行分の考察が、完全に無駄なスペースになっちゃったじゃないか!
 駄目だ……俺のツッコミスキルでは、もう、この事態に対応できないぞ。
 そこで、理乃先生が突っ込んだ話を振ってきた。

「てか、あんたたち、血がつながってないんだ? てことは、さぎりんは、義妹ってことになるよね?」
「あ、まあ、そうなりますけど」

 義妹か……現実で言われることになるとは――まるでエロゲーみたいだな。

「そっかそっか。にししっ、あんたたち、超イージーモードじゃん!」
「い、イージー? 義妹が?」
「まぁ、そうだな。桐乃が言ってるのは、俺たちに比べれば、って意味で言ってるんだろうけどさ」

 そんな……イージーモードで、俺は振られたというのか……た、立ち直れないぞこれは。
 俺は、実妹を攻略したらしい、鬼畜兄貴に問う。

「お二人は、血がつながっている兄妹なんですよね? ということは、難易度ベリーハードって、ところですか……?」
「いや、ベリーハードじゃないぞ」

 京介さんは、あっさりと答える。

「え……? そうなんですか?」
「ああ、ベリーハードなんてもんじゃない。難易度…………ジェノサイドだ」

 …………ああ、俺は恵まれてる方なんだな、と、このときはっきり理解した。

「へへ、よかったね。義妹モノは、妹が高校生になったら問題なくエッチできるし」
「ちょ! 先生!?」

 火にガソリンを注ぐ発言はやめて!

「やっぱり……兄さんは、私のこと、えっちな目で見てたんだ」
「な、なに、言ってるんだ……そんなわけないだろ。俺は、おまえをそんなえろい目で見たことなんて、ない、ぞ」
「……………………」
「そ、それに、俺はおまえがどんなにえっちな妹でも、絶対バカにしたり……しないぞ?」

 直後、紗霧は真っ赤な顔でプルプルし始め、大音量でこう叫んだ。

「ばか! ……兄さんなんて、大っ嫌い!」

 そんな……いまのやり取りの中に、紗霧を怒らせるような会話が、いったい、どこに含まれていたというのだ……。


 【後編】


 現在、高坂兄妹を見送るため、玄関前で別れの挨拶をしている場面である。

「悪いな、和泉くん。力になれなくて」
「いえいえ、本来、あいつと会えたってだけでも、驚くべきことなんですよ」

 これは、嘘偽りなく本当のことだ。
 この、変わった兄妹から感じる不思議な魅力を、紗霧のやつも感じたのかもしれないな。

「そっか」
「がんばってね、マサムネ先生」
「……はい、頑張ります」

 何を頑張れと言われているのか、なんとなくわかっていた。

「桐乃……俺たちが特別な関係とはいえ、他の連中に兄妹恋愛を推奨するのは違うだろ?」
「はいはい、わかってるって」

 京介さんの最もな意見に、理乃先生はひらひらと手を振って、適当に答える。

「ったく……こいつは」
「はは……」

 と、玄関先に出たとき。

「ふふふ、待っていたわよ。和泉マサムネ」

 ロリータ服に身を包んだ、俺の同業者。隣の山田エルフ先生が現れた。
 というか、玄関の前で立っていた。

「えっと……何してんの、おまえ」
「待っていた、と言ったでしょ。何度も言わせないで頂戴」
「あ、ああ」

 いや、何のために待っていたのか聞いたつもりなんだが、どうやら相手に伝わらなかったらしい。てか、いつから待ってたんだこいつ。

「なんだか、エキセントリックな厨二の匂いを感じるね」
「同感だな。俺もそう思っていた」

 ぶっとんだエルフを見ても、怖気づくどころか、冷静に分析している二人は本当に何者なんだろう。
 そこでエルフも二人に気付いたようで、

「あら? そちらのリア充カップルは誰?」

 と、聞いてきた。

「えっと、こちらの人たちは――」
「ふんっ、まぁいいわ!」
「いいのかよ!」
「いいわよ。どうせ、たいした登場人物ではなさそうだしね。わたしの人生に必要のない知識はいらないわ」

 バッサリだなぁオイ。どう考えても、おまえより主役級の扱いを受けてそうな登場人物だぞこの二人。
 エルフは高坂兄妹の紹介はいらないと言った代わりに、ふんぞり返って偉そうなポーズで頼んでもない自己紹介を始めた。

「わたしは山田エルフ。偉大なるアニメ化作家、いえ、大作家よ!」

 わざわざ大作家と言い直しやがった。

「へぇ、こいつも作家なのか」
「えっ! この子がエルフ先生ってマジ!?」
「ええ、わたしがB級スキルの持ち主、山田エルフよ」

 当たり前のように言ってるけど、おまえのB級スキルは世間一般常識じゃねーぞ。

「わあ、エルフ先生のサイン欲しいなぁ!」
「ふふん! 山田エルフのサインを欲しがるなんて、見た目はビッチのくせに、アンタなかなかわたしの偉大さがわかってるじゃないっ」
「おい、エルフ! あんまり失礼なこと言うなよ!」

 理乃先生は、変態だけど女神なんだぞ!

「あら、まだいたの? 二流作家の分際で。わたしに話しかけたければ、最低でもアニメ化作家にランクアップしてからにして頂戴」
「ここは俺ん家の玄関だ! それに話したくて話しかけてるわけじゃねぇよ!」
「アンタ何様よ!」

 おまえが何様だよ! って言ったら、『ふっ……偉大なるアニメ化作家様よ』と、返ってくるのがわかっていたので、俺は攻め手を変えた。こめかみを押さえながら、静かに言う。

「言っとくけどな……この人もアニメ化までこぎつけた、大作家先生なんだぞ」
「……なんですって……」

 エルフの顔色が変わる。どうやら、同じ土俵に立つ人間が、目の前にいるとは思ってなかったようだ。
 当然、エルフは、こんなを質問してくる。

「タイトルと……P・Nは?」

 その表情には、わずかに焦りの色が滲み出ていた。
 こいつ、もしかしたら、ワンピースみたいなモンスター作品の作者が目の前にいる――とか、考えてるのかもしれない。
 さすがに、そこまでじゃないぞ。だから、親の仇を見るような目で、理乃先生を睨むのをやめろって。

「この人は、『妹空』の作者、理乃先生だ」
「なっ!?」
「えへへ……理乃です」

 ぽりぽり頭を掻きながら理乃先生が自己紹介すると、

「…………………………ぷっ」

 このクソ女、鼻で嗤いやがった。

「『妹空』ってあれでしょ! あの子供が書いたような作文、いえ、駄文の!」
「むっ」
「小説の体を成してすらいないケータイ小説(笑)の、あの駄作が、どうしてアニメ化にまでこぎつけたのか不思議でしょうがなかったのよね。ひょっとしてあんた、制作会社のやつらにカラダでも売ったの? ふんっ、見た目どおりのビッチね!」
「おいてめえ!」

 やっぱこいつはゴミだ! 作家うんぬん以前の問題だぞ! 俺も山田先生のファンではあるが、エルフは間違いなくクズだ!
 と。
 俺が、エルフの肩を掴んで黙らせようとしたそのとき。

「ちょっと、いいかな」

 黙って成り行きを見守っていた京介さんが、一歩前に出た。

「なによアンタ。見るからに、同じ台詞しか登録されていない村人Aのモブキャラの分際で、アニメ化作家であるわたしに、気安く話しかけないでくれる?」
「酷い言われようだな……。でも、まぁ、俺のことはなんとでも言ってくれていいよ。だけどな、いま、こいつに言ったことは取り消してくんないか?」
「は? あんたも妹空信者ってクチ?」
「違うよ。俺だって、こいつの作品の良さは理解できないし、なんで売れたのかすらわからない」
「ふんっ! ほら、みなさい」
「でもな……こいつが一生懸命書いてたことは、俺が一番よく知ってる。それを、知りもしねーで、偉そうなこと言ってんじゃねぇよ」

 いま、目の前にいる京介さんは、さっきまでのやれやれ系主人公の面影はなくなっていた。
 そう。まるで――『妹』を護る『兄貴』のような……俺が目指している兄貴の姿が、そこにはあった。

「な、なによ、リア充風情が偉そうにっ!」

 さすがのエルフも、本気を出した兄貴の剣幕にたじろいでしまったようだ。若干、涙目になっている。

「エルフとか言ったか……逆に聞かせてもらうが、おまえが桐乃に勝っている部分がどこにあるというんだ?」
「は、はあ!? い、色々あるじゃない!」
「たとえば?」
「……顔、とか……」
「プッ、ねーよ」

 鼻で嗤い返した! 自分の妹が、世界で一番可愛いという確信を持っていなければ、普通はできない芸当だぞコレ!
 これにはエルフも相当なダメージを受けたようで、

「な、なんですってぇ!?」

 ゆでだこみたいに真っ赤な顔で、怒りをあらわにしていた。

「百人に聞いたら、二百人が桐乃の方が可愛いと答えるね!」
「なっ……! この世には、そ、そんな数式が……!?」

 どこの世界にもそんな数式はねぇよ。真顔で信じるな。これだから小卒はバカだというんだ。

「くっ……じゃ、じゃあ、三百歩譲って、容姿は引き分けとしましょう!」
「三百歩譲ったところで、桐乃の圧勝だけどな」
「お黙りなさい!」
「へいへい」

 なんだか雲行きが怪しいな……不毛な争いになってきたぞ。まるで、小学校低学年レベルの争いだ。
 ……止めるべきなんだろうか? でも、続きが気になるという気持ちもある。
 ので。
 俺はあえて見守ることにした。

「いい? 何を隠そう……ふふっ、わたしには、料理上手という女の子らしい才能があるわ! わたしと付き合ったら、毎日、美味しいお弁当を作ってあげるわよ!」

 エルフよ、それは自慢ではなく、告白だ。大丈夫か、この女?
 しかし、エルフの告白を受けた当の本人は、

「ふっ……おまえは、桐乃の料理の恐ろしさを知らない。あいつの料理は、超々々々々~~~~美味いッ! 口にした者がヘブンを感じるほどにな!」

 妹自慢に拍車が掛かっていた。

「なっ……まさか、あの女……料理のA級スキル持ちだと、いうの……?」

 おい、おまえの妄想中二台詞じゃ、相手に伝わらねーぞ。

「そのとおり! あいつの料理を喰った者は、一生分のしあわせを味わうことができる!」

 なんか伝わっちゃってる!

「ちなみに、昔はDEATHスキルも使えたぞ」
「くっ……! ……Dスキルまで扱えるとは! ぐぐぅ……あのビッチのポテンシャルはわたしの〝神眼〟でも見抜けないというの? ……というより、このわたしが、料理で負けるなんて……これ以上ない屈辱よ!」

 いや! 実際に料理対決してないですよね!? そんなあっさり負けを認めちゃっていいの!? ただの口喧嘩だよこれ!?

「わかったら、家に帰るんだな。おまえにもお兄ちゃんがいるのだろう」

 高らかに勝利宣言を叫ぶ京介さん。

「いえ、いまのところ出てきてないけれど」
「そうか、では、普通に帰れ」
「くっ…………分が悪いわね。仕方がないから、今日のところは帰ってあげるわ!」
「やっと、帰る気になったか」
「ふんっ、隣にね。実は、わたしの住むクリスタルパレスは、すぐそこなのよ」

 クリスタルパレス(隣の山田さん宅)をどどーんと指差し、偉そうにポーズを決めるエルフ。

「ふふんっ、アディオス」

 踵を返そうとしたエルフに、京介さんは、

「いや、俺はエロゲの世界に帰れと言ったんだが」
「えろっ!?」

 とんでもない一言を、ぶん投げた。剛速球にもほどがある。

「エロゲの世界に帰って、オークとエッチでもしてろって言ったんだ。ほら、さっさと帰れよ」
「~~~~~~!!」

 見る見るうちに、エルフの顔が真っ赤になっていく。なんだか、エロゲーに出てくるエルフ娘が陵辱されたあとみたいな顔だった。どう見てもオーバーキルです。京介さんマジパねぇっす。

「お、おおお、覚えてなさいっ!」

 涙を撒き散らしながら去っていく山田先生は、ちょっぴり可哀想に思えたよ。

「ふっ、勝った」

 年端もいかない女の子を泣かせて、真顔で勝ち誇っている京介さんは、ちょっぴりカッコ悪かったよ。
 そこで、理乃先生が、小声で話しかけてきた。

「こいつのシスコンっぷり、やばいっしょ」
「た、たしかに……」
「京介が高校生のときなんてさ、『桐乃ぉ~、俺を見捨てないでくれぇ~』って泣きついてきたりぃ、『彼氏なんて作らないでくれぇ~』って泣きついてきたりぃ、『桐乃ぉ~、どこにも行かないでくれぇ~』って泣きついたあげくにぃ、『俺と、結婚してくれぇぇぇえぇぇぇええぇ、見捨てないでくれぇぇぇえぇぇぇえぇ』って告白してきてさぁ~、ほんっと、マジキモいんだからぁ!」
「……………………」

 なんか、めっちゃ胃もたれしそうな、惚気話が始まった。……俺もオーバーキルされそうな気がしてきたぞ。

「でね! あたしぃ、京介のこととかぁ、ちっともタイプじゃないんだけどぉ~。あっ、でも、嫌いなタイプってわけでもないんだけどねっ! でさ、こいつあたしのこと好き過ぎてやばいってゆーか? 離れたら死んじゃうとか言うし? 京介のことなんて、ホント、ちっとも! 好きじゃないんだけど? まぁ、そばにいてやるかーって……あ、もちろん死ぬまでね。ったく、このシスコン、やれやれだぜ……でもぉ、まぁ、兄貴だし? あたしはあいつの妹だからしょーがない、みたいなっ! ふひひひひっ」

 こ、これが…………ツンデレの真髄、なのか。デレのさわりだけで、軽く一ページ分の分量が埋まってしまった。………………とてつもなく、愛が重い。
 こんな、デレッデレの状態で一緒に住んでるというのに、なぜ、十二巻もかかってしまったんだろう………………やはり、引き延ばしには、鈍感設定は必須ということだな。次回作のネタに使えそうだ。

「おい、桐乃! さっきから聞こえてんぞ! 作為的な表現はやめろ!」
「えー、事実じゃん」
「いやいや! 相当、脚色入ってますから!」
「むー……あ、でも、これはホントだよ。あのね、京介ったらぁ、あたしと付き合った次の日に、『ぐうううう! 俺も……俺も――』」
「お願いしますやめてください! 暴露禁止!」

 土下座グランプリがあったならば、間違いなく上位に入賞するであろう、見事な土下座っぷりだった。
 我が家の玄関先で、兄が妹に土下座をする異様な光景を、俺は生涯忘れない――――かもしれない。


 二人が帰ったあと、俺は部屋にこもって、執筆活動に勤しんでいた。
 ネタはもちろん、今日の出来事だ。
 あの変わった兄妹との邂逅は、俺のインスピレーションを多分に刺激してくれた。どんどん妹モノのネタが溢れてくる。
 カタカタカタカタカタカタカタカタ――どん!

「ふぅ……」

 どんどんどんどん!
 流れを断ち切ってくれたのは、腹を空かせた俺の妹である。

「はいよ! すぐ作るから、ちょっとだけ待っとけ!」

 いつものように、軽い塩味を加えたトマトとレタスのサラダと、ターンオーバーの目玉焼きを手際よく作り、妹の部屋へ運ぶ。
 さっき、怒ってたからなあ……たぶん、しばらくはこの扉も開かないんだろうな、と思いつつノックをしようとしたら、
 きぃ。
 と、扉が開いた。

「……………………」

 扉の隙間から、少しだけ顔を出した紗霧は、予想どおりめちゃくちゃ怒っているらしかった。俺の妹は感情を隠さないやつなのだ。
 ぶっちゃけ一目見た瞬間、謝りたくなってしまったが、理由がわからなければ謝ることはできない。
 妹の迫力に飲まれながらも、かろうじて声を発する。

「えと……メシ、持ってきたぞ」
「…………入って」
「えっ、いいの?」

 一日に、二回も妹の部屋に入れるなんて、夢みたいだ。

「はやくして」

 そう言い残し、引っ込んでしまったので、俺は慌てて中に侵入する。
 紗霧は夕飯には一瞥もくれず、ペンタブを手に持ち、無言で俺を睨みつけている。
 …………なんだ。何を怒っているんだこいつは。さっぱりわからんぞ。
 無言の視線に耐え切れず、俺は無難な話題を振ってみる。

「……メシ、喰わないのか? おなか減ってるだろ?」
「いらない。いまは」
「そ、そうか……」
「…………………………」
「…………………………」

 困ったぞ。こいつがいま、俺に何を伝えたいのか、できれば汲み取ってやりたいのだが……うーむ……。

「えーとな、紗霧…………前にも言ったけど、怒ってるならその理由を言ってくれなきゃわからないぞ?」
「うそつき」
「……俺が?」
「兄さんはうそつき」

 いきなり嘘つき呼ばわりされてもなあ。

「うーん…………すまんが、心当たりがない」
「くぅぅぅぅぅぅぅ! このにぶちん! ラノベ主人公っ!」
「俺は難聴ではない!」
「うぅ~~~~~~~~ぅッ」

 俺の返答がお気に召さなかったのか、鋭い視線を寄越したまま、紗霧はもどかしそうに唸り始めた。
 伝えたいことがあるけれど、口べたな俺の妹には、それが上手くできない。……どうしてやればいいものか。
 と、そこで、俺は閃いた。前回の経験を元に、紗霧に提案してみる。

「な、なぁ紗霧。そのタブレットにさ、おまえの言いたいこと、描いてくんないか?」
「むぅ!」

 提案を受けた紗霧は、ギンっと一際強く俺を睨み、持っていたタブレットを突きつけてきた。

「ふんっ……」

 どうやら、すでに描き終えてあったようで、無言でイラストを指し示す。
 俺は、タブレットを凝視する。

「…………これは」

 そこには、ヘアピンを付けた、茶髪美少女のイラストが描かれていた。残念ながら、えっちなイラストではなかったが。

「どう?」
「えっと……これ、服脱いでるバージョンな痛って!」

 特別製のタブレットでおもいっきり殴られた!

「ばっ……ばか! ばか! ばか! えっち! さ、さいてーっ!」
「わ、悪かった! だからタブレットの角で後頭部を殴るのやめろよ!」

 死んじゃう!

「ふぅ……ふぅ……うぅぅぅぅッ!」

 息切れした紗霧が、野生動物のように唸る。俺はこう思った。
 綺麗な薔薇には牙がある。

「ほ、他にっ……あるでしょっ」
「あ、ああ……えーっと、そのイラストって、もしかして、理乃先生か?」
「…………」

 返事はないが、間違いなくそうだろう。
 で、俺にはようやく、こいつの言いたいことがなんとなく見えてきた。

「なるほど、な……もしかしなくても、俺のイラストも描いてあるってこったろ?」
「…………」

 紗霧は無言で、タブレットのイラストをスライドさせ、突きつけてくる。
 そこには、デフォルメされた俺のイラストが描かれている。

「ふむ、『胸に顔なんて近づけてないよ?』……か」
「次は、これ」
「……おおう」

 紗霧が、次のイラストにスライドさせる。
 予想どおり、スケベな顔で抽象的な二つの山を眺めながら『ひゃっほー!』と吹きだしで喋る、俺のイラストが描かれていた。
 そのまま何度かイラストをスライドさせて、

「うそつき」
「ちっげえええええええええええええええよ!!」

 そのことでブチキレてたのかよこいつ! 俺はてっきり、妹をえっちな目で見ている件についての糾弾かと思ってたわ!

「えっちで、うそつきの兄さんなんて、ぜったい信じない」
「だから違うんだって!」
「ふんっ! オマケに友達も出来たみたいだし、よかったじゃない。友達のいない兄さんは、せいぜい大切にすることねっ」
「友達くらいいるよ! てかっ! おまえだって、余所様の兄貴に頭撫でられてデレデレしてたじゃねーか!」
「わ、私はいいの……妹だからっ! 兄さんはだめなの、兄だからっ!」
「どういう理屈だ!?」

 なんという理不尽な理屈なんだ! こんなものが罷り通ってたまるか!

「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ……!」
「ぎにににににににににに……!」

「「ふんっ!」」

 結局、紗霧の誤解を解くことはできず……というより、兄妹喧嘩に発展したせいもあり。
 俺はこの日から一週間、妹に口を利いてもらえないという、地獄のウィークを過ごすハメになるのだった。


 【エピローグ】


 翌週の日曜日。いつもどおり、小説を書いていた俺の流れを止めたのは、妹の床ドンではなく。
 ピンポーン。
 というチャイムの音だった。

「はいはーい」

 来訪者が誰か知らないが、さっさと済ませて執筆に戻りたかったので、足早に玄関に向かう。
 がちゃ。扉を開ける。
 と――

「やっほー」
「よう」
「………………」

 高坂兄妹が立っていた。

「…………な、なにしに来たんですか?」
「もち! さぎりんに会いに来た!」
「悪ぃな……こいつが、どうしてもって聞かなくてさ」

 ブイサインを決めながら答える理乃先生の隣で、京介さんが申し訳なさそうにしている。

「…………はぁ」

 溜息が出る。どうやら俺は、関わってはいけない人たちと出会ってしまったらしい。

「あ、そうだ。さぎりんにお土産もあるんだぁ」
「えっ」

 ふひひ、と、特徴的な笑い声と共に、理乃先生が手提げの中から取り出したのは、小さな包みだった。

「なんですか、それ?」

 俺が問うと、京介さんが自信満々に答えた。

「桐乃特製、しあわせ一杯手作りチョコだ」
「さぎりん、『兄さんが買ってくるお菓子はおいしくない』って言ってたから、作ってきちゃった。……もしかして、迷惑だった?」

 思わず苦笑が漏れる。

「いえ、全然。きっと、紗霧も喜ぶと思います」
「そっか、へへ」
「じゃあ、どうぞ、上がってください」
「おっじゃましまーす! さっぎりーん! 桐乃お兄ちゃんが会いに来たよーっ」

 言うやいなや、ドタドタと二階へ駆け上がっていく理乃先生。
 遅れて京介さんが、階段に足をかけたところで、振り返った。

「あ……そうそう、和泉くんにもお土産があるんだ」
「えっ、俺にですか?」
「おう……ほら、これ」

 京介さんが紙袋から取り出し、手渡してきた『ソレ』は、少し大きめの長方形の箱だった。
 丁寧に包装されているので、中身はわからないが…………なんだろう、『ゲームの限定版』くらいの大きさかな。
 俺が、手渡されたブツをためつすがめつしていると、京介さんがこんな不吉なことを言ってきた。

「和泉くん…………『人生相談』なら、いつでも聞いてやるぞ」
「じ、人生相談……?」

 なんだ、この、哀れむような視線は。

「じゃ……俺も、上で待ってるからな」

 激しく不安になってきたぞ。

「……………………」

 ひとり取り残された俺は、もらったお土産の包装を剥がし、中身を確認してみる。
 包みの中から現れたのは――

『超義妹』

「エロゲーじゃねーか! ちくしょおおおおおお!」

 この日のことを、俺は、生涯忘れないだろう。

 おしまい。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2014年05月25日 00:04