688 名前:662[sage] 投稿日:2011/03/04(金) 21:58:23.88 ID:tRz4Z2PnP [2/2]
それからのこと
「あ、クマできてんじゃん!あんた」
あいつは俺の顔を指差して笑った。
「ゆ、指さすなよ!こんなとこで」
秋葉原の改札。1ヶ月ぶりの再会だ。
「おまえ、また痩せたんじゃねぇか?」
「…チッ、心配うざいんですけど」
「おまえなー、そういうこと言うの俺だけにしとけよ」
「あったりまえじゃん!バカじゃないの。仕事なくなっちゃうよ」
大人になった桐乃も口調だけは相変わらずだ。
桐乃はオートクチュールのニューヨークコレクションのために渡米し、今日帰国した。
俺の目元をのぞき込んでいるこいつは、背が伸びて、俺と同じくらいになっちまった。
今は美咲さんのエターナルと関係がある海外ブランドでモデルをしている。
見たとおりのモデルが秋葉原の改札前にいるから、人は振り返る。
「成田に迎え、よかったのか?」
「あ、いいって。いつものことだし。ニューヨークって羽田便もあんのよ」
いいから、俺の目元をのぞき込むのはやめろ。
「あのゲームできたの?」
「いや、いろいろあってな…、ってなんでだ?」
「うー、あれ作り始めてから、いっつもげそっとしてるし」
桐乃は肩をすくめた。
俺は結局こいつのせいで、ゲームメーカーで仕事をしている。パソコンも持ってなかった俺がプロデューサーだってよ。
「それよこせよ、重いだろ」
桐乃の視線をそらすためもあって、引いている荷物に話を向けた。
「あ、うん」
細い脚がみえた。
「おまえ、ちゃんと食ってたんだろうな?」
「あ?またその話ぃ?ウザいんですけど」
「おまえなあ、頑張りすぎんなよ、いくらモデルは太れないっていってもさ」
「わかってるってば、兄貴」
桐乃が降りかかった髪をかきあげる仕草をする。指に御鏡デザインのリングが見える。
「そういえばリアに会ってきたか?」
「ちょっとだけね。ほらオリンピックがあるでしょ?だからあんまり時間取れなくてさ。あたしも忙しかったし」
「ああ、そうだよな。あの子オリンピックだもんなー」
リアが日本に来て、この秋葉原で時間をすごしたことを思い出す。
そして、桐乃と走り、リアが勝ち、桐乃が負けたことも。
「キモ!なに考えてんのよ!リアのこと?」
「あたしまだ負けないんだからね!」
「こら!まだ言うか」
桐乃の頭に手を添える。昔と違って俺と同じ身長だから、やりにくくなった。
桐乃は小さく舌を出した。
「テヘッ」
アメリカ陸上界とファッション界のスターじゃなかなか簡単に会えんだろ、やっぱ。
桐乃は、高校卒業までに陸上をあきらめた。いや、国内じゃ敵なしだったのだが。まだ記録は残ってるはずだ。そして陸上の再留学で渡米もした。その時には、桐乃は心配の種がなくなっていたから、自分を存分に成長させることができた。でも、結局リアには勝てなかった。そりゃそうだ、今ではリアはメダルを期待されているほどの選手。負けず嫌いのこいつが、敗北感をどう整理したのかわからないが、携帯にかかってきたその時の電話をよく憶えている。
「おー、兄貴!元気?」
「今いそがしい。あとで電話するわ」
「いーからさ、またちょっと迎えにきてよ…」
「あ!どうしたおまえ!?」
「へへへ、思い出したか、前のこと」
ちょっとキレたよ。俺は。
「切っていいか、これ」
「おまえがいないと寂しくてたまらないっていってくんないかなー」
「ちょ、切るぞ!」
「あっ、あ、!」
切った。忙しくてイラついていた。
(そういう心配は、あの時になくなったはずだ)
どうせまたかかってくると思っていたが、5分たっても携帯は鳴らない。
ツ・ツ・ツ・ツ・ツ…プー・プー・プー・プー・プー
こっちからかけたが出やがらねぇ。
ツ・ツ・ツ-----!
切りやがった!
ツー・ツー・ツー・…
出た。
「…なによ!あたしの電話切らないでよね!こっちがせっかくかけてやってんのに!◎△×××!」
しばらく騒いでいるようなので、少し耳から離した。
「…わかったよ。で、どうした?」
「あのさ!まったく!」
「ん?」
「たぶん陸上ダメみたいなんだよね」
「どうした、おまえらしくねぇな」
「今度はだめだね。あきらめた!しょうがない」
「そうか…」
まあ、日本でトップの選手があきらめたというのだから、素人の俺はただ聞くしかない。
「で、いつ戻ってくるんだ?」
「だーかーらー迎えにきてってば!」
「あー?今度は大丈夫だろー?」
「お願い」
電話の向こうで手をあわせる桐乃が見える。
はぁ、エロゲ買わせた時と一緒かよ…
「…あー、わかったわかった。いつがいいんだよ」
その晩親父に、電話のことを話した。親父は、そうか行ってこい、と何も聞かずに答えた。
「でさぁ、なんでアキバなんだよ」
目にクマができるくらい忙しいんですけど。こっちは。
「ここがいいの」
「え?」
「ここがいいの!」
「話なんかウチですればいいじゃん」
「いいよ、ここで」
あれから時間が流れて、桐乃と黒猫と沙織で通った店もなくなり、俺は俺でアキバの様子に少し疎くなっていた。
ここがいいと桐乃が決めたメイドカフェは、平日の午後に閑散としていた。
それにしても、目立つ目立つ。店中こっち見てるじゃんか。
「兄貴さ」
「…おまえ、その兄貴っての、明日は口にすんなよ」
「ウザ!いちいち!」
「あのなぁ、あっちはおまえのことしらねぇんだぞ。モデルみたいの連れてこられて、兄貴と来た日にゃ、びっくりすんだろ」
「…」
桐乃はムスッとしていた。
「いいじゃん、兄貴は兄貴なんだから。だいたい、あの時までどのくらい待たせたと思ってのよ!」
「いや、頼むから、明日はやめてくれ」
「うー」
「おまえ、ここでむくれんなよ」
ああ、あちこちから視線が痛いぜ。
俺は、話しながら、明日の生みの母親とのやり取り思い巡らせていた。
桐乃は、ニューヨークからの手荷物をあけて、あのアルバムを取り出した。
「おまえ、これ持ってきたのか?」
黙って、アルバムのページををいとおしそうに捲っている。
「…あんたさぁ、あたしのこと離さないなんて言ってたけど、いつまでこのままなの?」
「え?」
「せっかくね、あんたのほんとのお母さんにあいさつに行くってのにさ!」
ブウーン・ブウーン・ブウーン…
桐乃の懐から聞こえてきた。
「あ、電話。ちょっと待って」
小走りに外へ出て行った。
仕事の話なのか、桐乃はしばらく戻らない。
(おまえを離さないといってるだけじゃダメなんかね?おまえはさ)
桐乃の席にぽつんと残されたアルバム。これはあいつの宝物。
桐乃の「いつまで待たせたのか」という言葉を反芻する。
(はぁ、しかたねぇか、もうそろそろ。考えてみればあの時から決まっているようなもんだ…)
10分ほどして桐乃は戻ってきた。
「いつまでこのままなの?」そう言ったことを忘れているように見えた。
「桐乃」
「ウザ、なによ、名前なんか言っちゃって」
「御鏡にもう一個指輪頼んどけ」
「…」
桐乃は急に不機嫌になったかと思うと、店の外に走り出ていった。
「お、おい!桐乃!」
デジャブの中でしばらく探した桐乃は、近くのゲーセンで、太鼓を打ちまくっていた。
「なんなのよ!あいつ!いまごろ!」
ドン・どん・ドン
「桐乃!」
「…」
ドン・どん・ドン・ドン
「おい、桐乃!」
俺は桐乃の腕をつかんだ。
「あんた、なによ!あれでプロポーズしてるつもりなの!キモっ!キモい!」
「う」
「あんたのこと、子供の頃から好きだったっていうのしってるでしょ!あんた以外に好きな人なんていなかったんだからっ」
「…」
「それなのに…」
桐乃は泣いていた。
「待たせすぎなのよ!」
俺は桐乃を背中から抱いた。悪かった。おまえのことはちゃんと俺が守るといってるだろ。
翌日桐乃と俺は、俺の生みの母親に会い、紹介だけだったはずなのに、結婚の報告もすることになった。
もちろんその前に、今の俺の両親にも、桐乃と一緒に報告したのは言うまでもない。
親父はなぜか黙ってたけど、お袋はしっぶい顔でいろいろ言ってたな。まあ、いいじゃねぇか、あんたらの老後はこれで安泰だ。
桐乃がニューヨークに戻ってしばらくして、電話が鳴った。
「あ、兄貴?」
「あんなあ、もう兄貴ってのやめたらどうだ?」
「チッ、いちいちウザ。いいからさ兄貴、瑠璃と沙織に言っといたよ」
「お、そうか、あいつら元気か?」
「いろいろと忙しくしてた。瑠璃はMITの近くで何かやってるみたい」
「らしいな。赤城の妹と一緒だよ」
「こないだ、あいつとボストンでご飯食べたよ。沙織はパリに電話した」
「おまえと同業だっけか」
「まあね。沙織は作る方だけどね。次のパリコレで会うかもしんない」
「それより、おまえ、独身じゃないと仕事できなくなるんじゃないのか?」
「ああ、まあね。でも美咲さんとはなしてるからなんとかなるっしょ」
「そうか」
「いつにするかはあんたがきめなよ。あたしはどうせずっと待ってたしぃ?」
桐乃は、セントラルパークを見下ろすアッパーイーストサイドの高層階で、京介と話しながら、左手をかざした。
薬指には、東京で京介が頼めといった御鏡がデサインした指輪ではなく、かつて渋谷で京介にねだって買ってもらった指輪があった。その指輪は、時間がたってひどく光沢は失せていたが、幸せに微笑んでいる桐乃の小さな丸顔を映し出しているに違いなかった。
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最終更新:2011年03月06日 03:05