734 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 23:07:37.63 ID:5UUedrZkP [4/5]
『優しさは雨の日に傘と1クリックに乗せて』
シトシトと雨の降り注ぐある日。
俺は授業を終えて帰り支度をしていた。
「きょうちゃーん。帰ろう?」
「おう、ちょっと待ってくれ」
背後からかけられる声に顔を向けずに返事をする。今更その声が誰かなんて確認するほども無い。
ごそごそと机の上に広げられたものを整理してる間に声の主が机の横までやってくる。
麻奈実だ。
麻奈実は俺のすぐ傍まで来ると、何を話すでもなくその場で立ち止まった。
何も話そうとしない麻奈実が気になり顔を上げてみれば、麻奈実はボーっとしたように外を眺めていた。俺もつられて外を見る。
昼間からポツポツと降り始めた雨は今や本降りとなっており、一向に止む気配を見せていなかった。
「雨、やまないねー」
「そうだな。昼ぐらいから怪しかったけどここまで降るとは思わなかった」
「うん。でもきょうちゃん、ちゃんと傘持ってきてるんでしょ?」
「おう。てか鞄に入れっぱなしだった折り畳みがあっただけだけどな」
「えへへー。実はあたしも一緒」
ほやっとした笑顔でそう答える麻奈実。
周囲に耳を澄ましてみれば、
「げっ、俺今日傘ねえよ」「うわぁ、傘ないのにどうやって帰ろう…」
といったふうな声がそこかしこから聞こえてくる。
それだけ今日の雨が予想外だったということだろう。
それはわからんでもない。朝はすっきりと晴れていたし、天気予報も今日は晴れと言っていたのを覚えている。
「まさに『こんなこともあろうかと』って感じだな」
「? なにそれ?」
「男としては一度は言ってみたいロマンワードだ」
「そうなの?」
「そうなんだ」
そうなんだーと感心する麻奈実は放っておいて、さっさと支度をすませないとな。
机の中身を適当に鞄に突っ込み、今から使う傘を取り出して準備万端。
椅子から立ち上がった俺は麻奈実の横を通り過ぎて扉へ向かう。
麻奈実はそれに気付かずにまだ外をほえーっといった風に眺めていた。
てか麻奈実。いくら外に注意向けてるからって横通った時ぐらい気付けよ。
「麻奈実ー、置いてくぞー」
「あ! ま、まってよきょうちゃーん!」
「そういえば今日は勉強どうするの? 一回帰る?」
「んー? そうだなあ……」
玄関へと向かう道すがら、俺は麻奈実とこの後の予定を話していた。
今日は麻奈実と図書館で勉強をする予定となっている。
その予定を変更しようというわけではなく、一度帰ってから集まるかそのまま図書館へ行くかを決めているのだ。
廊下を通る際、窓から外を見た。
教室を出てから幾分も経っていないから天気が変わっているわけもなく、サーサーと雨は降り続けている。
……この天気だと一回帰ったら家出る気なくなるな。間違いなく。
別にこれは俺に限った話ではあるまい。こんな雨の日にわざわざ出かけようなんて思う人間なんて少ないはずだ。
……少ないよな?
「じゃあこのまま行くか。わざわざ何度も雨の道往復する必要も無いだろ。
それに勉強終わるころには晴れてるかもしれないしな」
「そうだねー。じゃあそうしよっか」
早くやむといいねー、そうだな、とたわいないやり取りをしながら靴を履き替え、学校を出た。
幸いなことに雨足はそれほど強くない。これなら濡れる心配もあまりなさそうだ。
「もう少し図書館が近ければよかったんだけどな」
「そーだねー」
図書館へと続く道中、目の前を小学生ぐらいの女の子が通り過ぎていく。それ自体は珍しいもんでもない。
けど、そのさしている傘に俺は目を引かれた。アレは……メルルの傘?
どこかで見覚えのある傘に、一瞬だけなんだったっけかと考え、すぐに思い当たった。
確か数日前、桐乃が見るに耐えないほど狂喜乱舞していた時があって、その手に握られていた傘がアレだったはずだ。
何でもその傘は、グッズを多数買って応募券を集めてそれを送り、さらにその送った人の中から抽選で選ばれた人にしかもらえない超レアアイテムだと言っていた。
そこまでやって手に入るのが傘って……と思わなくも無かったが、水をさすのも悪いと思ってその場はスルーしたのを覚えてる。
言い忘れてたが、その傘は折りたたみ式で、桐乃はその次の日から鞄に入れて常に持ち歩いていた。
それは保管しとかねえの? と聞いたところ
『まあ、それはそうなんだけど。傘って使ってなんぼじゃん? あたしは使い古しても捨てる気なんてないし。
何より、せっかく持ち歩けるんだからしばらくはこうして持ち歩いて幸せに浸りたいの! パッと見じゃ『そういうもの』に見えないしね』
と言っていた。相変わらずオタクのそういうところはよくわからんね。
しかし……あの子供もあの傘を当てたのか? でも……
女の子が歩いてきた方を見る。あっちの方角には確か、桐乃の通ってる学校があったはず。
そういえば今日はあいつも傘(普段から使ってるやつな)を持たずに学校に行ってたっけ。
……まさか、な。
「きょうちゃん?」
立ち止まった俺を不思議に思ったんだろう。麻奈実が顔を覗き込んできた。
「どうしたの?」
「わりぃ麻奈実」
「え?」
「急用が出来た」
まあ、ありえないとは思うけどさ? 気になっちまったもんはもうどうしようもねぇわけで。
「……急用?」
「ああ」
「それって勉強よりも大事なこと?」
「ああ」
「…………」
難しく、どこか俺を責めるように顔をしかめる麻奈実。
すまねえな麻奈実。前々から決めてたってのにドタキャンになっちまって。
それでもよ、なんか行かなきゃならん気がすんだよ。おかしな話だけどさ。
「そっか」
しかめていた顔をふにゃとほころばせて麻奈実は笑った。
「大事なことなんだね」
「まあ、大事っつうかなんていうか……」
「いいよ。じゃあ勉強はまた今度、だね」
「すまん。埋め合わせは今度するからよ」
「気にしないでいいよ~。しっかり用事終わらせてきてね」
「おう」
「じゃあね、きょうちゃん。また明日」
「ああ。じゃあな、麻奈実」
俺はバイバイと小さく手を振りながら来た方とは逆に歩いていく麻奈実を見送った。
さて、と。それじゃあ行ってみますか。俺の杞憂だといいんだけどな。
結果からすれば、俺の予感は当たっていた。
麻奈実と別れたところから歩くこと十分ほど。とある一軒家の軒下に所在無さ気に立つ影が見える。
遠目でもわかるライトブラウンの髪。頭を俯かせているが、アレは間違いなく桐乃だろう。
水に濡れた道を、ピチャピチャと音をさせて桐乃に近付いていく。
大分近くまで来たが桐乃が気付く様子は無い。
最終的に俺がすぐ傍に立つまで桐乃が気付くことはなかった。
「桐乃、お前こんな所で何してんの?」
「――!?」
バッとあげた桐乃の顔にはありありと驚きがうかんでいた。
限界まで見開いたその目が驚きの大きさを表しているといえる。
おーおー驚いとる驚いとる。まあ、いるはずの無いやつが目の前にいればそりゃ驚くよな。
「な、何であんたが……」
「別に。たまたま通りかかっただけだよ」
自分で言っといてありえねぇって突っ込みたくなった。こんなところまでたまたまで来るかっての。
そのまま傘を閉じて桐乃の隣に立ち並ぶ。
軒下とはいえ雨が完全に防げるわけじゃない。足元はぐちゃぐちゃだし、風が吹けば普通に吹き込んでくる。
「で、さっきも聞いたがこんな所でなにしてんだお前は」
「……なんだっていいでしょ」
こちらに顔をむけることもなく投げやりに答える桐乃。
見られたくないところを見られた。そんなふうにも見える。
なんとなく空を見上げた。雲はぶ厚く、雨が上がるのはまだしばらく先になるっぽい。
「……帰らねえの?」
「……帰るわよ」
「傘は?」
「…………ない」
「いつも持ち歩いてたメルルのはどうしたんだよ?」
「…………」
だんまりか。てことはやっぱりさっきの子が持ってたのは桐乃のか。
まったく。こいつもお人よしが過ぎるというかなんというか。――俺が人の事言えたこっちゃないが。
大方、さっきの子達がここで立ち往生してるのを見かねて貸しちゃったんだろうな。
普段俺にはろくでもないな態度をとるやつだが、根っこが優しいことぐらい俺だって知っている。
前にあやせからも、困ってるところを助けられたと聞いたこともあったし、桐乃らしいって言えばらしいんだろう。
もっとも、あの傘を貸してあげるということまでは予想外だったが。
「こんなところにずっといたら風邪引くぞ」
「うっさい。そんなのあたしの勝手でしょ」
「そりゃそうだ」
「わかったらほっといてよ」
それが出来れば苦労しねえよ。こんな状態のお前をほっとけるわけがねえだろ。
「…………」
「聞いてんの?」
「聞いてるよ」
とはいえどうしたものか。現状で取れる手段は多くない。
取れる方法はせいぜい二つ
①、俺の傘に二人で入って帰る(所謂相合傘)
②、俺の傘を桐乃に貸して俺は走って帰る
……ないわ。自分で考えておきながらなんだが、①はありえん。
俺はともかく、桐乃がそんなことを許容するとは思えない。
となれば必然、取れる方法は決まってくるわけで。
「ほれ」
手に持っていた傘を突き出すようにして桐乃に差し出した。
桐乃はワケがわからないといったように目をパチクリさせている。
「……なんのつもり?」
「傘。使えよ」
「はあ? 意味わかんないんだケド」
「意味も何も、そのまんまの意味だが」
「そういうことじゃない!
何でそれをあたしに渡すのかって言ってんの! あんただってそれしか傘無いんでしょ?」
おおぅ、いきなり大きな声出すんじゃねえよ。びっくりするじゃねえか。
「そうだな」
「そうだなって……それじゃあ、あんたはどうやって帰るわけ?」
「走って帰る」
だってそれぐらいしか方法なさそうだし?
それに今なら雨もそれほど強く降ってないから言うほど濡れないだろ。
「帰りに寄り道すんなとは言わねえけど、あんまり遅くなるんじゃねえぞ」
「ちょっ……」
「んじゃな」
持っていた傘を押し付けるようにして桐乃に渡した。
それじゃあとっとと帰りますかね。雨が強くなっても面倒だしな。
そう思って駆け出そうとした瞬間、襟首を後ろに思いっきり引っ張られた。いきなりのことに「ぐぇ」と情けない声が漏れる。
「お、おま、なんつーことを……!」
「うっさい。何かっこつけようとしてんの? それと、あたしはそんなこと頼んじゃいないし、正直キモイ。
勝手に一人で話進めて終わらせないでくんない?」
くおおぉぉ……わかっちゃいたが相変わらず腹の立つ言い方をするやつだなぁこいつも!
「いや、だからってな……」
「別にあんたが濡れて帰る必要なんて無いじゃん。ほら、さっさとこの傘持ちなさい」
いつの間にか広げられた傘を半ば無理矢理持たされる。
ちょっとまて、これじゃあ俺がやったことがまったく無意味になるじゃねえか。
「でもそれじゃあお前が……」
「あーはいはい。それ以上言わなくていいから。だから、こうすれば二人とも濡れなくてすむでしょ」
スルっと、拒否する間もなくあたかも自然に桐乃は俺の傘を持つ腕に自分の手を絡ませた。
「んなっ!? き、桐乃? お前なんでこんな――」
「うっさい黙れシスコン。あんたが引き下がりもなさそうだから仕方なくこうしてるの。
あんたが濡れて帰って風邪でもひかれたらあたしのせいみたいで後味悪いし。勘違いしないでよ」
「勘違いって……」
いや、確かにさ? さっきこうするって選択もあったわけだけど、何でこうなるんだ? 俺はいつの間にそんなフラグを立ててたんだよ?
「で、でもな」
「あーもう、さっさと歩け! これじゃあいつまでたっても帰れないでしょうが!」
しどろもどろになる俺を、無理矢理引っ張るようにして歩き出した桐乃だが、よく見れば顔が真っ赤だ。
平気なふりをしてるがやっぱり恥ずかしいらしい。当たり前といえば当たり前だ。だって俺も顔が熱い。
そんなふうにして漸く帰路についた俺たちだが、お互い何を話していいのかわからず黙り込んでしまい、雨のサーサーという音以外の音の無い空間が出来上がる。
気まずい。何か話そうと思うのだが、なにやら桐乃に掴まれている腕のひじの辺りのやわらかい感触のせいで頭が回らない。
「あたしさ……」
そんな状態がしばらく続いていたが、ぽつりと桐乃が声をもらした。
「今日は傘を忘れてたんだよね。ほら、朝は晴れてたじゃん?だから必要ないって思って持っていかなかったんだ」
だろうな。俺だって鞄にたまたまこの傘を入れてたからこうして帰れてるわけだし。
「帰りに外見て、雨降ってるのがわかった時は最悪って思ったんだけどさ、それとは逆にあの傘を使えるっていう変な嬉しさもあったの」
勿論、学校の近くで使おうなんて思ってなかったし、実際に傘をさしたのは学校から大分離れてからだったから」
ふむ。言われてみればずっと軒下にいたにしては髪が濡れすぎてるような気がする。言われるまで気付かなかったな。
「それで、あの傘をさしたままここを通りかかって……雨宿りしてる女の子をみつけた。
最初はね、無視するつもりだったの。でも、近くまで来て、女の子が泣きそうな顔をしてるのが見えちゃって……
一回はそのまま通り過ぎたけど、やっぱりその子を放って置けなくて……気がついたら道を引き返して傘を渡してたんだ。
あの傘を渡すのは正直、嫌だったんだはずなんだけどね。苦労してやっと手に入れたものだったし」
あはは、と苦笑する声は優しげで、口を挟むのはためらわれた。
こいつ、こんな声も出せたんだな。って言うのはどっか場違いな感想だったかもしれない。
「ああ、やっちゃったなあって思ったけどさ、あの子、笑ってくれたんだ。
ありがとうって。その笑顔見ちゃったら、なんかどうでもよくなっちゃって……
その子が見えなくなるまで見送ったの。何度も振り返って手を振ってくれて、可愛かったなあ」
どこか遠くを見るような目をしているの桐乃。その時のことを脳裏にうかべているんだろう。
少しだけデレっとしてるあたり、こいつの妹好きな部分がにじみ出てるなあ。
「でさ、まあその子に傘渡しちゃったわけじゃん?
雨はまだ止みそうもないし、どうしようかなってちょっと途方にくれてたところにあんたが来たってわけ」
「なるほどな。そういうわけか。でも、ホントによかったのか? あんなに大事にしてたのに。
なんなら今からでも探せばもしかしたらその子見つかるかも知れないぞ? アレだったらこの傘と交換すればいいし」
なんてことを言っちまったけど、見つかる可能性は低いだろうな。
そもそもその子がどこの子かもわからねえわけだし。
「しつこいわねあんたも。いいの! あたしはあたしが思う通りに行動した結果なんだから、後悔なんてしてない。
確かに、あの傘がなくなっちゃったのは残念だけどそれだけ。
そのかわりにあの子を助けることが出来て、笑顔を見れたんだから。それだけであたしは十分なの!
ということでこの話はおしまい! ほら、とっと帰るよ!」
「うおっ!? おい! そんな引っ張るなって! 濡れちまうぞ!?」
照れ隠しか、そう言って俺の腕を引っ張る桐乃の顔は、眩しいほどに誇らしく、そして優しさに満ちていたものだった。
その日の夜、俺は目の前に移るパソコンの画像を見つめていた。
画面に映るのは桐乃が大事にしていたメルルの傘。
ちょっと気になるものがあったから、オークションサイトで物を一時間ほど探しているうちに『たまたま』見つけてしまったのだ。
……別にこれを探していたわけじゃないぞ。さっきも言ったが『たまたま』だ。『たまたま』。
他意はないので勘違いしないように。
オークションサイトらしく、そこには希望の値段とそれを売るまでの期間が設定されている。簡単な紹介も載っていた。
この商品については競売方式でなく、出品者が希望の値段をつけてそれを買う人がいたら即決するという形になっているようだ。
商品状態は良好。というより未使用未開封というあたりきな臭さを感じないでもない。
もしかしてこれが俗に言う転売というやつだろうか。
ふむふむと詳細を見ていたのだが、値段のところを見たところで目を剥いた。
……ちょっと待て。何だこの値段は。一、十、百、千……おいおい、マジかこれ。
桁が一つ二つ間違ってるんじゃねえのか? どう考えても傘一本につける値段じゃないだろ。
桐乃が言っていた、抽選でしか当たらないって言うのは伊達じゃ無かったって言うことか。
でも……だとしても流石にこれは無いんじゃね?
明らかに法外だとも思えるような値段に戦慄する。
なるほど、売れずに残っているわけだ。これなら確かにいくら限定品だとしても手を出すやつはそうはいまい。
まあ、手が出ない値段というわけでもないんだけどね。……ギリギリだけど。
競売期間を見れば、期限は今日の0時まで。今は11時50分をまわろうとしている。
料金は落札後の後払い。つまり手続きさえ済ませてしまえば金は後でいいわけだ。
思い出されるのは、あの帰り道で見た、傘を渡した女の子のことをしゃべっていた桐乃の顔。
誇らしげだった。優しさに満ちていた。でもその隅に……大事なものをなくしてしまった寂しさを隠せていないでいた。
……俺って金の使い道無いんだよね。欲しいものっていうかそんなのもないし。
だからまあ、これぐらいなら使ってもいいと思うんだよ。うん。
言い訳がましい。そんなのわかりきったことだ。これは自己満足以外のなにものでもない。
画面上での手続きをトントンと済ませていく。――現れる最後の画面。
――多分、てか絶対に余計なお世話とか言われるんだろうなぁ……
そして俺は最後の1クリックを―――
END
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最終更新:2011年04月11日 14:04