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*稲葉山城決戦 '''稲葉山城決戦'''(いなばやまじょうけっせん)とは弘治4年5月20日に稲葉山城において飛騨の大名[[姉小路良頼(三木嗣頼)]]と 美濃の大名[[斉藤義龍]]の間で行われた合戦。稲葉山城の戦い、金華山合戦とも呼ばれる。 姉小路家による美濃攻略第三次遠征にあたる。 **概要 姉小路良頼が美濃攻略を目的として14400の兵をもって突如稲葉山城を急襲した。斉藤義龍は先の[[飛騨川の戦い]]によって 多数の兵を失っており野戦で迎撃することが出来ず、8445の兵で稲葉山城に篭城した。 稲葉山城は井戸がなく長期戦での篭城には不向きな城であり、第二次美濃遠征時と違い、浅井家の援軍が期待できないにも関わらず、 義龍を中心に士気も高く姉小路の攻撃に対して激しく抵抗した。これは[[斎藤義龍]]、[[明智光秀]]らの采配によるところが大きい。 また、姉小路家も連年の出兵により兵糧が不足しがちであったため、苦戦を強いられた。しかしながら、[[小島職鎮]]や二木重吉の機転によって兵糧を買い集めることができたため、 結局は圧倒的多数であった姉小路側が勝利し、浅井家の援軍を待たずして稲葉山城は落城した。 この戦いは姉小路家にとって決して楽な戦いではなかったようで、連年の出兵もあって兵士の厭戦気分が高まっていたとの 資料もある。それでも勝利を得ることが出来たのは後方からの物資の輸送や兵士の士気を高めるための方策を実行しつづけ た姉小路頼綱を中心とした官僚団の後方支援によるところが大きかった。 **合戦の影響 この戦いで姉小路良頼は美濃国を手に入れた。美濃は広大な土地で稲作も盛んであり、さらに多くの兵を養うことが出来るようになった。 また、都市の規模も大きく、公家町もあったことから朝廷工作が行いやすくなった。しかし、何よりも重要なことは美濃の優秀な家臣団を吸収できたことであり、その後の 姉小路家を支える中心的な役割を担う家臣団、美濃衆を組織できたことであった。これらのことで、姉小路家はさらに勢力を伸ばし、列強の一角と呼ばれるに至った。 **姉小路家が美濃攻略を急いだ理由 美濃城決戦が行われた時期は姉小路家は[[富山城の戦い]]、[[飛騨川の戦い]]と連続して兵を他国に送った後であり、国力がかなり疲弊していた。 なぜ、そのような時期に無理に出兵をしたのかについては以下のような説が有力である。 ・美濃側は飛騨川の戦いで兵力の多くを失っていた。 ・尾張の織田家と斉藤家の関係が悪く、織田家が北畠家を攻略した後に美濃に攻め込む可能性が高かった。 ・例え織田家に滅ぼされなくても時間が経てば優秀な家臣を多く抱える斉藤家が復興するのは目に見えていた。 ・越後の長尾家が力を伸ばしてきており、近い将来越中に攻め込んできて姉小路家が美濃を攻略できなくなる恐れがあった 以上の理由から姉小路家が美濃を攻略する時はこのときしかないと良頼が考えたとする説である。 この説が正しいかどうかは別として、結果的には美濃を攻略するタイミングとしてはこのときしかなかったと思われる。
*稲葉山城決戦 '''稲葉山城決戦'''(いなばやまじょうけっせん)とは弘治4年5月20日に稲葉山城において飛騨の大名[[姉小路良頼(三木嗣頼)]]と 美濃の大名[[斉藤義龍]]の間で行われた合戦。稲葉山城の戦い、金華山合戦とも呼ばれる。 姉小路家による美濃攻略第三次遠征にあたる。 **参加兵力及び戦力評価 姉小路桜洞城兵 攻略部隊:足軽隊16000:[[姉小路良頼(三木嗣頼)]]、[[博麗霊夢]]、[[霧雨魔理沙]] (城に取り付いた時点で14400まで損耗) 斎藤稲葉山城兵総勢8445 兵力差はほぼ倍であり、城壁突破までにどれだけ兵が残されるかが勝敗を分ける。姉小路が上回っていれば姉小路の勝利、下回れば敗北となる。 **概要 姉小路良頼が美濃攻略を目的として突如稲葉山城を急襲した。斉藤義龍は先の[[飛騨川の戦い]]によって多数の兵を失っており野戦で迎撃することが出来ず、稲葉山城に篭城した。 稲葉山城は井戸がなく長期戦での篭城には不向きな城であり、第二次美濃遠征時と違い、浅井家の援軍が期待できないにも関わらず、義龍を中心に士気も高く姉小路の攻撃に対して激しく抵抗した。 これは[[斎藤義龍]]、[[明智光秀]]らの采配によるところが大きい。 また、姉小路家も連年の出兵により兵糧が不足しがちであったため、苦戦を強いられた。 しかしながら、[[小島職鎮]]や二木重吉の機転によって兵糧を買い集めることができたため、結局は圧倒的多数であった姉小路側が勝利し、浅井家の援軍を待たずして稲葉山城は落城した。 この戦いは姉小路家にとって決して楽な戦いではなかったようで、連年の出兵もあって兵士の厭戦気分が高まっていたとの資料もある。 それでも勝利を得ることが出来たのは後方からの物資の輸送や兵士の士気を高めるための方策を実行しつづけた姉小路頼綱を中心とした官僚団の後方支援によるところが大きかった。 **合戦の影響 この戦いで姉小路良頼は美濃国を手に入れた。美濃は広大な土地で稲作も盛んであり、さらに多くの兵を養うことが出来るようになった。 また、都市の規模も大きく、公家町もあったことから朝廷工作が行いやすくなった。 しかし、何よりも重要なことは美濃の優秀な家臣団を吸収できたことであり、その後の姉小路家を支える中心的な役割を担う家臣団、美濃衆を組織できたことであった。 これらのことで、姉小路家はさらに勢力を伸ばし、列強の一角と呼ばれるに至った。 **姉小路家が美濃攻略を急いだ理由 美濃城決戦が行われた時期は姉小路家は[[富山城の戦い]]、[[飛騨川の戦い]]と連続して兵を他国に送った後であり、国力がかなり疲弊していた。 なぜ、そのような時期に無理に出兵をしたのかについては以下のような説が有力である。 -美濃側は飛騨川の戦いで兵力の多くを失っていた。 -尾張の織田家と斉藤家の関係が悪く、織田家が北畠家を攻略した後に美濃に攻め込む可能性が高かった。 -例え織田家に滅ぼされなくても時間が経てば優秀な家臣を多く抱える斉藤家が復興するのは目に見えていた。 -越後の長尾家が力を伸ばしてきており、近い将来越中に攻め込んできて姉小路家が美濃を攻略できなくなる恐れがあった 以上の理由から姉小路家が美濃を攻略する時はこのときしかないと良頼が考えたとする説である。 この説が正しいかどうかは別として、結果的には美濃を攻略するタイミングとしてはこのときしかなかったと思われる。 **逸話 この戦いの後に斉藤義龍本人の他に多くの家臣が姉小路家に下った。姉小路良頼は彼らの扱いについては後々まで非常に気を配ったようである。 美濃は肥沃な濃尾平野の過半を抱える大穀倉地帯であり、美濃一国で飛騨・越中をあわせた石高を越えてしまう。 姉小路家としては美濃衆を直臣にして義龍に権力が集中しないようにすることが不可欠であった。それを成す方法として一つには義龍を殺害することがあった。 しかし、姉小路氏の美濃攻略には大義名分が薄く、義龍殺害に反感を持たれて多くの美濃諸豪の支持が得られない可能性が大きかった。 できれば美濃衆に反感をもたれぬよう、全面的に義龍が協力してくれることが望ましかった。 戦後の酒宴で義龍の全面的な協力と臣従の約束を取り付けたことが序盤の姉小路家躍進の最大の功績であったといわれる。 ちなみに義龍が美濃守護として美濃にある程度の支配権を認められるのは永禄七年のことである。 多くの美濃の諸臣が臣従を誓う中、それに反して他国へ逃亡する者が出た。その最も有名な者は西美濃三人衆の一人である[[安藤守就]]である。 彼は姉小路氏の地盤の弱さを不安視して姉小路氏に仕えず、他国に流浪した。しかし、寄食していた山名家が滅ぼされた後に姉小路氏に戻ることとなった。 次に有名な者は遠山景任である。彼は岩村の領主であり、一族あわせて東美濃を支配していた。東美濃は領地が飛騨に接している事から姉小路氏が三木氏を名乗っていた先代の三木直頼から因縁があり、講和をした時期もあったものの基本的には常に争っていた。 威徳寺合戦では遠山景任の叔父の遠山直廉が三木良頼の伏兵にあって戦死しており、また、三木氏の防衛拠点の一つであった威徳寺がこの合戦で焼かれたことでますます対立を深めていた。 飛騨川の合戦でも景任は東濃諸豪を率いる主力として出陣している。稲葉山城決戦で敗れた後も姉小路氏に降るを良しとせず、流浪の道を選んだ。 八年後のことになるが、武田家が岩村に城を築くことができたのは景任不在の東濃の地盤が弱かったからであるといわれている。 //大殿の現代に残る武功って少ないですが、その中に遠山直廉に死傷を負わせたのがあります。で、その合戦が行われたのが威徳寺合戦なのですが弘治年間とも元亀年間とも言われててよくわかりません。遠山側からの資料しか残っていないため、遠山勝利と書かれていることが多いですが、大将が重傷(軍の瓦解を防ぐために生存としただけで死亡していた可能性もある)になってる時点で勝利といっていいものか…。というわけで勝敗すら定かじゃないんです。ただ、遠山景任を登用しなかった理由をちょっとこの辺にあるんじゃないかな~とすると面白いかも!と思いついて衝動で書いてしまいました。ちなみに直廉の妻は織田信秀の娘です。 //改行が下手すぎてできない…。文才のなさに泣けてきます。(いまさらって感じですけど) //辞書形式だからある程度は続けて書くのも可だと思ってますけど、やっぱ最低限の改行は必要ですよねぇ。

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