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富山城の戦い - (2008/06/19 (木) 10:28:46) の編集履歴(バックアップ)


富山城の戦い

富山城の戦い(とやまじょうのたたかい)は弘治2年に越中国富山城で行われた合戦である。

参加兵力及び戦力評価

三木桜洞城兵
旗本隊:足軽10000:姉小路良頼(三木嗣頼)博麗霊夢霧雨魔理沙

神保富山城兵総勢10809
迎撃部隊:弓隊5500:神保氏張

双方の兵の練度には大きな差はなく、勝敗は将の統率力によって決まると言って過言ではない。

概要

飛騨の大名姉小路良頼(三木嗣頼)が越中制圧を目的として突如兵を挙げ、冬の飛騨街道を通り、越中に侵入した。越中の大名神保長職は急遽神保氏張に兵を預け迎撃を命ずるも、笹津にて大敗した。敗れた氏張は富山城に敗走し、長職は富山城に篭城するもおよそ一ヶ月で落城することとなった。
この合戦は神保氏にとって冬の飛騨街道を越えての急襲であったため、急遽兵を集めるも士気が低かった。
逆に三木氏の兵には多額の褒賞が与えられており、士気が非常に高かった。このあたりが勝敗を分けたと言われている。また、この戦いでの博麗霊夢の部隊による獅子奮迅の槍働きは有名である。

合戦の影響

この戦いによって大名としての越中神保氏は滅亡し、三木嗣頼は宿願であった海を手にいれた。
なによりも、この後に三木家(姉小路家)を支える上で重要な金山銀山を手に入れたことが大きく、近隣の中小規模の
諸侯から一歩抜きん出るきっかけになった。
また、この戦いでの活躍で博麗霊夢の名は近隣諸国に大いに広まり、槍巫女という名で恐れられるようになった。

飛騨越え伝説

この合戦の勝敗を決めた重要な要素に、冬の飛騨街道を越えての急襲がある。しかしながら、冬季の飛騨街道は
雪に閉ざされていて、この当時では通行することが困難である。無理に通行しようとすると多数の凍死者がでると
思われる。しかし、三木氏側の資料では凍死者は0であり、士気も高かったと言われる。
当時より謎とされていたが、最近の研究と発見された記録ではこの年の積雪量は異常に少なかったといわれており、
雪に慣れた飛騨の足軽部隊にとって山越えはさほど困難ではなかったのではないか、とする説が有力である。

説話

この戦いで飛騨の住民の間で有名になった博麗霊夢は、飛騨の槍巫女として相方の黒白と共に飛騨の説話に度々登場することとなった。その多くが妖怪や鬼を退治する役である。


塩屋秋貞はカブを好み、訪れた土地で美味いカブがあれば持ち帰って自分の館で栽培した。この戦いの後に越中から持ち帰ったカブが飛騨のカブと交配を重ねるうちに突然変異を起こして赤いカブが生まれた。塩屋の館のあった地名から八賀蕪と名づけられたこのカブを塩屋は飛騨の農民達に栽培を奨励した。飛騨において千枚漬に加工され、各地に売り込まれた。特に貴人や富豪達に珍重され、高値で取引された。後に塩屋が奉行衆の筆頭格として領内の特産物の管理の責任者となったのはこういった経緯からだと言われている。