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松倉重信 - (2007/11/29 (木) 19:18:43) の編集履歴(バックアップ)
☆このページでは、霧雨の野望における松倉重信について詳細に解説しています。
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松倉重信(まつくらしげのぶ)(天文12年(1543年- ?)
右近。七尾城に流れてきていた所を登用される。
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率46 |
武勇47 |
知略75 |
政治68 |
義理68 |
足軽C |
騎馬D |
弓B |
鉄砲C |
計略B |
兵器D |
水軍D |
築城C |
内政C |
|
右近。筒井家の家老。島左近と並んで「右近左近」と称された。
洞ヶ峠の日和見の提案者として有名だが、現在はこの日和見は架空とも言われる。
さすがの左近と比べられると泣ける数値だが、このクラスの武将にしてはC以上の適性が妙に多いと言う特徴を持つ。
家宝を使い回せば技術要員として働ける。
(Act.17本編より)
筒井家の家老、島左近と共に「筒井の右近左近」といわれ、
本能寺の変後の傍観の選択を進言したといわれる。
筒井家の伊賀転封後は名張城主・八千余石となる。
後に羽柴秀次・秀吉に転仕するがその後は不明。