【非公式】霧雨の野望wiki内検索 / 「斉藤義龍」で検索した結果

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  • 斉藤義龍
    ☆このページでは、霧雨の野望における斎藤義龍について詳細に解説しています。 史実での斎藤義龍について詳しく知りたい方はwikipediaなどの斎藤義龍を調べてください 斎藤義龍(さいとうよしたつ)(大永7年(1527年- ?) ☆出生・家族構成 1527年斎藤道三の嫡男として生まれる。 妹に濃姫(帰蝶)がいる。 ☆官位・役職 ☆参加合戦 革新能力 統率91 武勇93 知略75 政治60 義理11 足軽C 騎馬S 弓D 鉄砲D 計略B 兵器B 水軍D 築城D 内政C うp主解説 美濃斉藤氏2代目。父・道三を倒し、信長の美濃侵攻をも撃退した勇将であったが、35歳の若さで病死。もし長命であったら歴史は変わっていたとされる男。統率武勇90台、騎馬適性Sという大豪傑。戦闘の中軸となる事は間違いない。せっ...
  • 斎藤義龍
    ☆このページでは、霧雨の野望における斎藤義龍について詳細に解説しています。 史実での斎藤義龍について詳しく知りたい方はwikipediaなどの斎藤義龍を調べてください 斎藤義龍(さいとうよしたつ)(大永7年(1527年- ?) 美濃斉藤氏2代。親兄弟を殺して跡目を継いだ「蝮喰らい」。六尺五寸(約197cm)の巨漢である。 異能の者達を擁した姉小路との激闘の末敗れ捕縛されるが、客人のような饗応を受け、良頼の器に感じ入り忠誠を誓った。 その後は姉小路の武将として、最前線で奮闘する。 足利将軍家攻略後は、明智光秀と共に美濃衆を率いて西国攻略にあたる。 魔理沙とは緒戦で一騎打ちを演じたこともあり、ライバル視していたが、「戦はパワー」の信条で意気投合。 Act77で美濃の政情不安定に伴い西国から離れる。 決戦編オープニング(Act93後)では魔理沙に父・道三...
  • 飛騨川の戦い
    ... 対して美濃を治める斉藤義龍は遠山景任に兵を預けて迎撃を命じ、自身も奇襲部隊を率いて2度にわたって戦った。 戦闘は盆地での平地戦で、緒戦は三木軍の騎馬部隊が遠山軍の足軽隊を圧倒し続けていた。 そのような時の斉藤義龍による奇襲で姉小路軍がいったんは崩れるかに見えた。 しかし博麗霊夢が奇襲を看破し、霧雨魔理沙よって統率された精強の騎馬隊により少数の斉藤軍は混乱の後壊滅。 結局奇襲は2度にわたって行われたが、2度とも奇襲隊は壊滅させられた。 孤軍となった遠山軍8000も壊滅。三木家の一方的な勝利に終わった。 しかしながら三木側の負傷兵も多く、稲葉山城攻略は断念せざるを得ない状況であり、三木自綱も飛騨に引き返すこととなった。 この戦いは戦術的に見て騎馬部隊の機動力及び打撃力を大いに示した戦いであり、その有効性を遺憾なく発揮した好例であろう。 三木氏は飛騨、越中の金山銀山...
  • 稲葉山城決戦
    ...頼)と 美濃の大名斉藤義龍の間で行われた合戦。稲葉山城の戦い、金華山合戦とも呼ばれる。 姉小路家による美濃攻略第三次遠征にあたる。 参加兵力及び戦力評価 姉小路桜洞城兵 攻略部隊:足軽隊16000:姉小路良頼(三木嗣頼)、博麗霊夢、霧雨魔理沙 (城に取り付いた時点で14400まで損耗) 斎藤稲葉山城兵総勢8445 兵力差はほぼ倍であり、城壁突破までにどれだけ兵が残されるかが勝敗を分ける。姉小路が上回っていれば姉小路の勝利、下回れば敗北となる。 概要 姉小路良頼が美濃攻略を目的として突如稲葉山城を急襲した。斉藤義龍は先の飛騨川の戦いによって多数の兵を失っており野戦で迎撃することが出来ず、稲葉山城に篭城した。 稲葉山城は井戸がなく長期戦での篭城には不向きな城であり、第二次美濃遠征時と違い、浅井家の援軍が期待できないにも関わらず、義龍を中心に士気も...
  • 御山御坊の戦い
    ... そこに突如として斉藤義龍を先方とした姉小路軍が介入。 紅美鈴隊は辛くも逃れたが、殿軍を務めて多くの負傷兵を抱え、疲労困憊していた朝倉宗滴隊は壊滅。 先の戦いで疲弊しきっていた御山御坊もすぐに落城するかに見えた。 しかし、その守りは依然として堅く、矢玉が尽きてもなおつぶてで攻撃し姉小路勢も損害をこうむった。 だが、斉藤義龍、竹中重治両将率いる倍以上の軍を支え続けることはできず、多勢に無勢の形で御山御坊は落城した。 この戦いで敗れはしたものの、一向宗門徒の結束の固さと戦闘能力の高さは大いに知られるようになった。 この戦いにおける影響 姉小路家は加賀国の大部分を手に入れた。また、以前から小競り合いの多かった本願寺の影響力がなくなることで、北陸における姉小路勢力が確固たるものとなった。 一方、本願寺側は北陸における勢力基盤を失ってしまい、今後は近畿における勢力拡...
  • 明智兵部暗殺未遂事件
    ...部戦線の最重要人物は斉藤義龍、浅井長政、姉小路頼綱、そして明智光秀の四人である。 その中で明智光秀は元々美濃斉藤家の一家臣であり、それがわずか十年もの間に河内守護にまで出世したため、急激に家臣団を膨張させる事になった。 よって、家臣各々の身元調査を徹底することは困難であり、隙が大きかったと言える。 対して義龍、長政、頼綱は先代からの大名家であり、身の回りも古参の者によって固められており、その隙を突くのは難しかった。 この差が光秀を狙わせたのではないか、という説が有力である。
  • 霧雨魔理沙
    ...庫」(決戦編OPにて斉藤義龍の台詞より)だが、以上の名前で呼ばれることは全く無い。 ちなみに同じパワー弾幕派だからか斎藤義龍や鈴木重秀とは馬が合っている様子。 尚、八卦炉でマスパを撃つには材料の調達などそれなりの準備が必要ではあるようだが、戦国現地の材料で間に合ってるのかは不明。 姉小路家への義理、武田信玄への敗北感、武田信虎の叱責などを経て、彼女自身思うところもあるようである。 決戦OP時点における鉄砲熟練度ランキング三位。 武将紹介登場:予告編 ☆出生・家族構成 生年不詳。(二十歳未満だとは思われるが) 幻想郷の人里にある大手道具屋「霧雨店」の一人娘として生まれる。 魔法使いを志したせいなのか、現在実家とは絶縁状態にある。 ☆官位・役職 丹後守護(1568年2月~・Act85~) ☆参加合戦...
  • 一乗谷城の戦い
    ...けた。軍を率いたのは斉藤義龍率いる騎兵と明智光秀率いる鉄砲隊であった。対する朝倉家当主朝倉義景はかろうじて兵を掻き集め、一乗谷城に篭って抗戦した。しかし、実際は義龍、光秀の火の出るような猛攻になすすべもなく、ただただ城壁を頼っていただけであった。ただし、彼らの攻撃は頼りの城壁すら撃ち崩す勢いであり、日夜爆音や轟音が鳴り響く様子は城兵も住民もそろって怯えさせたという。あわてて停戦要請をするも姉小路良頼は受け入れず、12月20日に義龍が城内に突入し、義景を生け捕りにして一乗谷城は落城した。 朝倉家の降伏 朝倉義景は捕虜になるもすぐに放たれて、朝倉家領の若狭の港に護送されている。これは身一つの降伏ではなく家臣団を率いての降伏という形にすることで朝倉家の体面を保てるようにする配慮である。 朝倉宗滴については戦後敗走しているところを姉小路頼綱に発見されて説得を受けた後に、姉小路良頼に...
  • 観音寺城の戦い
    ... 武田信虎と斉藤義龍という2人の騎馬隊を扱う名将が同じ部隊に所属するという極めて珍しい人事が行われた戦いでもある。 この際、主将が信虎で義龍が副将にとどまっているのは、上で述べたような効果を狙って義龍が進言したと言われている。 また、万が一信虎の実力が指揮するに耐えないほど衰えている場合は義龍が指揮するという配慮もなされていた。しかし、結局はこの心配は杞憂に終わった。 信虎は部下に厳しいと言われており、実際とある女性武将が行軍の休憩中に昼寝しているのを見つけて大いに怒鳴ったという。 その際、その武将はシエスタであることを主張したが当然聞き入れられなかった。 降伏に際して、蜂須賀正勝が降伏勧告の使者として訪れた。 六角義治は大いに怒って一時は使者を斬ろうと言い出したほどであったが、そのときは義治の側近と後藤賢豊の必死のとりなしで事なきを得た。 正勝は既...
  • 可児吉長
    ...いた足軽達をまとめて斉藤義龍に協力する。 羽柴秀吉は前々から可児、堀、仙石に目を掛けていたらしく、 三人に修行をさせるために八雲紫に推挙する。 しばらくは紫の雑用に追われる日々が続くようだ。(罪袋?) 足軽頭(足軽大将)と小姓は基本的に似たような石高であるため栄転ではないが、 上級武士の小姓となるのは一般的に出世の第一歩である。 (八雲紫が足軽と言っているため足軽組頭であった可能性もある。その場合は栄転である。) 笹の才蔵との異名で知られるが、ちゃんと左手に笹を持っている。 決戦編Act7にてようやく登用。 ☆出生・家族構成 ☆官位・役職 ☆参加合戦 革新能力 統率58 武勇94 知略20 政治4 義理28 足軽S 騎馬D 弓D 鉄砲D 計略D 兵器D 水軍D 築城D 内政D 戦法...
  • 鈴木重秀(雑賀孫一)
    ...ためか、霧雨魔理沙や斉藤義龍とは気が合う様子。 自称・普通の鉄砲使い。普通……? 決戦編オープニング(Act93後)における鉄砲熟練度ランキング一位。 ☆出生・家族構成 父に鈴木重意、兄に鈴木重兼、弟(もしくは子)に鈴木重朝がいる。 弾幕一家。 ☆官位・役職 ☆参加合戦 筒井城の戦い(鈴木)、雑賀城の戦い、洛南会戦、石山御坊の戦い、輪島港防衛戦、第二次輪島港防衛戦 革新能力 統率95 武勇92 知略92 政治13 義理70 足軽C 騎馬B 弓D 鉄砲S 計略A 兵器A 水軍B 築城D 内政D 戦法:槍衾、早撃ち、二段撃、三段撃、組撃ち、罵声、鼓舞、威圧 (Act93現在) うp主解説 重意の次男。石山合戦において「雑賀孫市」と言う雑賀衆の英雄が信長を大いに 苦しめ...
  • 生野の戦い
    ...って本来遊軍のはずの斉藤義龍隊を急襲した。斉藤隊は少数であったが混乱する事もなく前衛の浅井長政隊と協力してこれに逆撃を加えた。山名豊国、吉岡定勝両隊は一色義道隊の弓での支援を受けながらの戦いであったが、勢い、兵数に勝る斉藤、浅井両隊の前に苦戦を強いられ、姉小路軍の鉄砲隊が到着する前にすでに半ば壊滅状態にあった。姉小路軍が鉄砲隊の支援の元、攻撃を本格化させると戦線は崩壊し、山名軍は次々に此隈城へ潰走した。なお、この時点で此隈城は磯野隊、姉小路頼綱隊による攻撃を受け、落城寸前である。  此隈からの3隊が潰走を始めたころにやっと鳥取からの援軍が到着、交戦を開始した。このとき斉藤隊は鳥取城攻略のための後詰を率いるために弓木城へ一時撤退、浅井隊も此隈城方面へやや深追いしていたため中央に陣取っていた明智光秀隊へ攻撃が集中した。これに対し明智光秀隊は山を背に鶴翼に陣を展開して山名軍先鋒伊吹隊へ三...
  • 雑賀城の戦い
    ... しかし、その隙に斉藤義龍隊が一機に雑賀城を攻め落とし占領してしまった。 城を落された後も城の外にいた雑賀衆と三好軍は抵抗したが、拠点を奪われた雑賀衆と後方への連絡の絶たれた三好軍では流石に長く抗戦できずに敗走、雑賀衆は熊野港に十分な余力を残していたが姉小路家の降伏勧告をうけ降伏。雑賀衆は姉小路家に吸収された。 三好家の遠征の理由 三好家は姉小路家に道を借りて陸路にて雑賀城へ遠征している。これは非常に無理のある行軍である。 海路で熊野港を落して熊野港から雑賀城を狙うという方法もあったのにこのような無理な行軍を行ったのは何故だろうか、という疑問が生まれる。これを説明するのに以下のような説がある。 三好が庇護している織田信長に鉄砲隊の重要性を吹き込まれ長慶が雑賀衆を手に入れたいと思った為。 熊野港の守りは堅く、油断しているであろう雑賀城を攻撃する方がたやすいと希望的観測...
  • 美濃の抱える諸問題
    ...拭い去る事はできず、斉藤義龍による慰撫が必要となったのである。
  • 越中防衛戦
    ...隊は粘るもチルノ隊が斉藤義龍に奇襲されあっけなく壊滅、左右に櫓、前後に竹中隊と斉藤隊に挟まれ、さらに遠巻きから鉄砲隊による銃撃に襲われるという絶望的状況になり壊滅。 後、禅僧の沢彦宗恩の仲介により長尾姉小路間で停戦協定が結ばれた。 この戦いの影響 この戦いで長尾勢が敗れたが長尾家の規模から言えばこの戦いは小競り合い程度であり、さしたる損害ではなかったと言われている。 一方、姉小路家にとっては初の大規模な防衛戦であり万全を期して望んだ戦いであった。この戦いにおいて姉小路家の矢櫓は大いに威力を発揮し、その防衛力を大いに見直すこととなった。 このことは後に一国を丸ごと要塞化するという圧倒的大国に対する防衛思想に発展した。 長尾軍の敗因 景信隊が突出したために中軍および後軍との連絡が悪く、各個撃破されてしまったというのが定説である。 本来の総大将は景信であるが適切な指...
  • 用語集(な行~わ行)
    ...0蜂須賀正勝1100斉藤義龍1000小島職鎮900。) 魔理沙や霊夢が金をもらって何に使うかは多少は想像できるが、 それにつぐ古参である美濃衆のリグルあたりは俸禄をいったいなにに使っているのだろう?非常に気になるところではある。 実はリグルの俸給はAct番外時点で900であり、朝倉宗滴の700を大きく上回っている。 この時代で言えば、屋敷の2軒や3軒が余裕で建つぐらいに相当する。 家族を養うだけでなく、ちょっとした人数の家来だって雇える。そんな大金を一体どうしているのだろう? マ行 魔王(マオウ) 織田家当主、織田信長のこと。 史実で比叡山焼き討ちや本願寺と敵対するなどの行為から仏敵として第六天魔王と呼ばれたことが由来。 魔人(マジン) 麗人の見間違い。 Act24で浅井長政が「麗人のために己が身を削るは男の本懐」と言っているのを視聴者が魔人と見たことによる...
  • 尾張攻略戦
    ... その上で美濃国主斉藤義龍に出兵を促した。 斉藤義龍は各地の戦線に散らばっていた美濃衆を糾合、明智光秀およびその配下にも良頼を通じて参加を要請した。 美濃衆の全力と言ってよいその兵力を主力に、姉小路家直轄軍、武田信虎配下、旧幕臣衆、旧尾張衆を加えて 美濃の総兵力は稲葉山城の守備隊4万5千を除いても、12万5千という大軍であった。 武田軍は第二次稲葉山会戦での敗戦以来、侵攻を警戒して尾張へ後方より次々に兵を送っており、 敗走した兵力も集まってその数は10万近い大軍となっていた。この方面の大将は武田信玄嫡男武田義信。 また、岩村城にも敗走した兵を中心に6万に近い兵力が詰めて掎角を成していた。岩村城城主は武田信玄弟武田信繁である。 概要 大和の姉小路家の侵攻を感知した武田義信は北条家に援軍を依頼、清洲に兵力を集中させた。 しかし、稲葉山城の発の軍が思わぬ...
  • 播磨防衛戦
    播磨防衛戦 播磨防衛戦(はりまぼうえいせん)とは永禄9年に姉小路家と三好家の間で起こった戦いである。 参加兵力及び戦力評価 姉小路・姫路城兵52077 火力部隊:鉄砲隊9000:明石全登、熊谷信直 突撃部隊:騎馬隊14500:斎藤義龍 三好・岡山城兵29500 第一部隊:鉄砲隊14500:三好長慶 第二部隊:弓隊7500:安宅冬康、パチュリー・ノーレッジ 第三部隊:足軽隊7500:十河一存 姫路城に詰めていた武将達は斎藤・明石を残し鳥取城攻めのために弓木城に移動している。 兵数は姉小路側が優勢であり、斎藤・明石の二将がいれば落城の危険は少ないだろう。 なお、この戦いの前に山名8000が攻め入っているが手もなく壊滅させられている。 概要 三好家は包囲網参加勢力の一翼として姉小路が山名より奪った播磨へ約3万の軍を持って攻め入った。 この...
  • 第二次稲葉山会戦
    ...外で騎兵を率いている斉藤義龍を中心とした連携をとらせるよう、軍を短時間の間に再編成した。 これによって各部隊の連携も再びとれるようになって各隊の機能は回復していった。 義龍隊は押し寄せる義重隊の侵攻を阻止して、守備の要である紫隊を守りきるという活躍を見せた。 この間も稲葉山城兵は相変わらず動揺しており、武田各隊の猛攻を受けて瞬く間に万に及ぶ深刻な被害を出していた。 小笠原貞慶隊や藤原妹紅隊の矢雨、勝頼隊の強力な騎馬突撃、本多忠勝と正木時茂の波状攻撃などいずれも強力であったが、 特に西行寺幽々子隊の攻撃で4千人もの原因不明の死者や昏睡者が出たのは痛恨であったろう。 しかし、激しい攻撃によって追い詰められた事でかえって城兵は落ち着いた。 他の姉小路軍の部隊の活躍に勇気付けられたことによって城は活気を取り戻した。 武田信虎が再出撃した時点で状況は再び互角に戻った...
  • 斎藤龍興
    ☆このページでは、霧雨の野望における斎藤龍興について詳細に解説しています。 史実での斎藤龍興について詳しく知りたい方はwikipediaなどの斎藤龍興を調べてください 斎藤龍興(さいとうたつおき)(天文17年(1548年)- ) 姉小路家家臣。斎藤義龍の嫡男。 登場早々うp主に(゚⊿゚)イラネと言われる。これほどまでに期待されない新人もいない。 Act71.5で稲葉山七本槍の一人に選ばれ調子に乗る。自重しろ。 おそらく武名名高い父に配慮して選ばれたんじゃないかと思われる。それ以外に特に理由があるとも思えない。 通称、七本槍の爪楊枝。 Act88でレミリアによってセバスチャンに改名させられ、執事となる。名誉なことだよ? ☆出生・家族構成 父に斎藤義龍 ☆官位・役職 ☆参加合戦 美濃防衛戦、稲葉山会戦 革...
  • 姫路城の戦い
    姫路城の戦い 姫路城の戦い(ひめじじょうのたたかい)は永禄10年に姉小路家、山名家間で起こった戦いである。 参加兵力及び戦力評価 姉小路・石山御坊城兵 先鋒隊   :騎馬隊9000 :浅井長政、十六夜咲夜、紅美鈴 遊撃隊   :騎馬隊5705 :斎藤義龍、前田利益、細川藤孝 主力鉄砲隊:鉄砲隊10000:明智光秀、明石全登、レティ・ホワイトロック 第二鉄砲隊:鉄砲隊9000 :蓬莱山輝夜、八意永琳、遊佐続光 第三鉄砲隊:鉄砲隊5000 :斎藤利三、明智秀満、リグル・ナイトバグ 第四鉄砲隊:鉄砲隊7280 :磯野員昌、鈴仙・U・イナバ、ルーミア 山名・姫路城兵総勢31019 守将:吉岡定勝 迎撃部隊: 第一部隊:足軽隊5000:吉岡定勝 第二部隊:足軽隊8000:南条宗勝、伊吹萃香 第三部隊:足軽隊7500:垣屋続成 第四部隊:弓隊5500  :延原...
  • 霧雨の野望年表
    霧雨の野望年表 霧雨の野望での歴史です。 登録タグ   技術開発   家宝   合戦   遠征   滅亡   降伏   包囲網   同盟   独立   内紛   官位   改名 1555年 (弘治1年) 6月?日 改名 松平元信→松平元康 今川家一門となる 10月?日 合戦 桶狭間の戦い 織田家が今川家に勝利 今川義元討ち死 Act1 11月10日 滅亡 武田家が太田家を滅ぼす 12月?日 遠征 三木家(飛騨)が越中(神保家)に侵攻 1556年 (弘治2年) 1月?日 合戦 三木10000(姉小路良頼(三木嗣頼))vs神保5500(神保氏張)で野戦三木家が勝利 2月?日 合戦 富山城の戦い 三木9568vs神保6400で攻城戦三木家が勝利(1556年5月20日富山城落城) Act2 3月?日 独立 松平家が今川家から独立 ...
  • 弓木城の戦い
    弓木城の戦い 弓木城の戦いは永禄9年10月下旬に姉小路家と山名家の間で起こった合戦である。 参加兵力及び戦力評価 姉小路・敦賀港守備兵 先鋒隊:騎馬隊12000:浅井長政、十六夜咲夜、紅美鈴 前衛部隊:騎馬隊8000:斎藤義龍、磯野員昌、細川藤孝 火力部隊:鉄砲隊5871:明智光秀、レティ・ホワイトロック、原長頼 火力部隊:鉄砲隊5000:リグル・ナイトバグ、斎藤利三、明智秀満 八上城兵 支援部隊:騎馬隊5000:八意永琳、海北綱親、ルーミア 山名・弓木城兵総勢12364 守将:山名豊定、レミリア・スカーレット 迎撃部隊:弓隊6500:山名豊定 兵力・将の質共に姉小路が優勢である。弓木城の備えがどこまで行われているかが鍵となろう。 概要 美濃において武田を撃退した姉小路は、西国制圧のため丹波・摂津に続き山名家が領する丹後へと侵攻を開...
  • 蜂須賀正勝
    ☆このページでは、霧雨の野望における蜂須賀正勝について詳細に解説しています。 史実での蜂須賀正勝について詳しく知りたい方はwikipediaなどの蜂須賀正勝を調べてください 蜂須賀正勝(はちすかまさかつ)(大永6年(1526年- ) 斎藤家家臣。主家滅亡後は斎藤義龍、明智光秀らと共に姉小路家に仕える。 以後は副将格として活躍。 Act50からは武田信虎と共に美濃防衛にあたる。 Act77にて戦国史上二人目の空を飛んだ漢となる。 決戦編オープニング(Act93後)における足軽熟練度ランキング二位、計略ランキング四位。 武将紹介登場:Act12 ☆出生・家族構成 子に蜂須賀家政 ☆官位・役職 ☆参加合戦 御山御坊の戦い、姉川の戦い、大聖寺城の戦い、一乗谷城の戦い、筒井城の戦い、筒井城防衛戦、美濃防衛戦、稲...
  • 1567年1月の状況
    1567年1月現在の状況 本項では1567年1月(Act77)における姉小路家・姉小路包囲網参加勢力の状況を示す。 姉小路家 参加勢力の一つである山名家を降した矢先、宇喜多直家配下長船貞親が放った刺客により明智光秀が重傷を負い、前線を離脱。(明智兵部暗殺未遂事件) 時同じくして美濃での情勢不安定化に伴い、美濃防備を担当していた蜂須賀正勝はかつての国主・斎藤義龍の召還を要請。義龍もまた西国から離れる。(美濃の抱える諸問題) また、近江衆軍団長である浅井長政も、山名家の客将であったレミリア・スカーレットが毛利以外との戦いを望んだため、それに付きそう形で離脱。 これにより、西国勢の三軍団長が一気に抜けたが、姉小路頼綱 が陣頭指揮を執ることで結束した。 武田家 稲葉山会戦では参加兵力の半数を失ったものの、尾張撤退戦ではそれを上回る兵力を投入し尾張を奪取している。 また、美...
  • 浅井長政
    ☆このページでは、霧雨の野望における浅井長政について詳細に解説しています。 史実での浅井長政について詳しく知りたい方はwikipediaなどの浅井長政を調べてください 浅井長政(あざいながまさ)(天文14年(1545年- ) 劇中若しくは視聴者命名?の通称:ナル政 ストーリーパートでの初登場はAct24。 浅井家当主。 登場するなり霊夢と魔理沙にコナをかけるナルシスト。この時点ではまだお市の方を結婚してないのでいいのか。 でも、六角家のほうからもらった嫁がいるはずなのでダメだろう。 以後も東方キャラにナンパする姿が見かけられる。 よく考えると作中の時点(1560年)ではまだ十代で霊夢・魔理沙と同年代だったりする。 浅井家滅亡後は姉小路家に近江衆として仕える。 足利将軍家攻略後は近江衆の長として明智光秀、斎藤義龍と共に西国攻略にあたる。 Act...
  • 長宗我部国親
    ☆このページでは、霧雨の野望における長宗我部国親について詳細に解説しています。 史実での長宗我部国親について詳しく知りたい方はwikipediaなどの長宗我部国親を調べてください 長宗我部国親(ちょうそかべくにちか)(永正元年(1504年)- ) 長宗我部家当主。 同盟交渉の際、二度に渡り紅美鈴を人質に要求してきたためスリット☆ラブなる不名誉なあだ名をつけられることに。 決戦6で滅亡を目の前にして姉小路家配下として生き残ることを模索するなど名君らしさがうかがえる。 ちなみに寿命が1560年と案外早いので寿命有りだと登場する間もなく亡くなることになる。 まあ、斎藤義龍あたりと比べれば息子は限りなく有能なので安心だろうが。 武将紹介登場:決戦6 ストーリーパート登場:決戦6 ☆出生・家族構成 子に長宗我部元親、吉良親貞、香宗我部親泰 ...
  • 明智光秀
    ☆このページでは、霧雨の野望における明智光秀について詳細に解説しています。 史実での明智光秀について詳しく知りたい方はwikipediaなどの明智光秀を調べてください 明智光秀(あけちみつひで)(享禄元年?(1528年- ) 初登場はAct5。斎藤家が滅びたのち、美濃衆として姉小路家に仕える。 光秀は道三の家臣だったはずだから義龍との折り合いはどうだったんだろうか。 足利将軍家攻略後は、斎藤義龍と共に美濃衆を率いて西国攻略にあたる。 主な仕事は鉄砲技術の研究や軍事の総括、リグルの世話。 最近リグルが色気づいてきたので、股肱の臣である斎藤利三に補佐するよう頼むなどその姿は父親のようである。 ちなみに作中で散々敵将にきんか頭(きんかんのように髪の無い頭)と罵られているが これは光秀が信長を恨む根拠として色付けられた創作の可能性が強く、光秀がきんか頭だっ...
  • 姉小路頼綱 (三木自綱)
    ☆このページでは、霧雨の野望における姉小路頼綱 (三木自綱)について詳細に解説しています。 史実での姉小路頼綱 (三木自綱)について詳しく知りたい方はwikipediaなどの姉小路頼綱 (三木自綱)を調べてください 姉小路頼綱 (三木自綱)(あねがこうじ よりつな、天文9年(1540年) - ?) 「いい笑顔で人を篭絡し天下へ手を伸ばす程度の人物」 姉小路家(三木家)一門。天下統一を目指すいい笑顔の若者。 Act53現在、飛騨守護でありこの時代の風習から言っても姉小路家跡取りと言ってよい。多くの戦場で父の良頼の名代として前線で戦っている。この動画の主人公の一人といっても良いかもしれない。 なかなかの好人物であり、朝倉宗滴との会話から分かる通り向上心もある。 しかしその笑顔とは違い、単純な「いいひと」ではなくアリスや咲夜の扱いといい、なかなか抜け目がない。 このあ...
  • 糸魚川の戦い
    ...別に美濃衆を代表して斉藤義龍から防寒対策の美濃和紙が贈られた。 魚津城築城は後世の魚津の発展の要因の一つである。 この戦いまでは魚津城周辺は名目上姉小路領であったといえ、 実質は上杉氏と姉小路氏の両方に属していた。 魚津は上杉家の侵攻に度々晒されていたが姉小路氏はこの地域の防衛をするのが困難と判断。 また、上杉氏も魚津が陸の孤島であり、富山城を落とさない限り維持が困難であると判断していた。 このために両家領の緩衝地帯となっていたのである。 しかし、今回の合戦に勝利して魚津城が築城されたため、名実ともに完全な姉小路領となった。 これまで姉小路家にとって危険な土地であったため、姉小路領の松倉金山から産出される金は、 魚津港を避けて移送されるなど、長年交通の要所で恵まれた地形のわりに不遇であった魚津も、 城下町としていよいよ発展していくこととなる。 この合...
  • 1568年9月現在の状況
    1568年9月現在の状況 本項では1568年9月(Act93直後)における各勢力の領土を示す。また、かつての領主も示す。 国名の表記はゲームデータに準ずる。 また、東方勢、主力武将も示す。加えて、各勢力の物資状態も示す。なお、兵力は負傷兵込みの数値である。 姉小路 大名:姉小路良頼 飛弾 越中(神保) 美濃(斎藤) 能登(畠山) 加賀(本願寺) 北近江(浅井) 南近江(六角) 越前若狭(朝倉) 伊賀大和(筒井→織田) 河内和泉(三好→本願寺・織田) 紀伊(鈴木) 山城(足利将軍) 丹波(波多野) 摂津(本願寺) 丹後(一色→山名) 因幡但馬(山名) 播磨(赤松→山名) 石見出雲(尼子) 安芸備後(毛利) 周防長門(大内→大友→毛利)下関港を除く 以上19国 長宗我部家と同盟 東方勢: 博麗霊夢、霧雨魔理沙、リグル・ナ...
  • 登場武将紹介
    各武将紹介欄編集上の注意。 ☆wikipedia風にしてもらっても、ゲームキャラ風に解説してもらっても、書き方はお任せします。 ☆不審なURLが含まれる場合はクリックしないようにお願いします。 ☆武将以外(革新で、操作可能キャラ以外の公家とか棋士とか)は別欄で。 あ行 赤井直正 赤尾清綱 明石全登 赤松晴政 秋山信友 明智秀満 明智光秀 浅井長政 浅井久政 朝倉景紀 朝倉宗滴 朝倉義景 足利義秋(足利義昭) 足利義輝 安宅冬康 穴山信君(穴山梅雪) 姉小路良頼(三木嗣頼) 姉小路頼綱 (三木自綱) 尼子晴久 荒木氏綱 荒木村重 アリス・マーガトロイド 安東愛季 安藤守就 生駒親正 十六夜咲夜 石川高信 一色義道 磯野員昌 板部岡江雪斎 稲富祐秀 因幡てゐ 稲葉良通 犬甘久知 池田恒興 伊奈忠次 伊...
  • 稲葉山会戦
    稲葉山会戦 稲葉山会戦(稲葉山会戦)とは永禄9年に姉小路家と武田家、北条家の間で起こった戦いである。 この時代の合戦において屈指の激戦であったことで知られる。 合戦以前の情勢 前将軍弟足利義秋は足利幕府滅亡後西国諸侯を渡り歩き、次いで武田信玄に保護された。 義秋は武田信玄に姉小路家を討って幕府を再興することを要請し、信玄はこれを承諾した。信玄は上杉謙信及び北条氏康と和解し、西国諸侯も含めた足利義秋を中心とする姉小路包囲網を形成。 参加各国は対姉小路家の前線に軍を集合させた。特に武田家は信濃深志に続々と兵を集め、先の美濃防衛戦を上回る13万もの大軍となった。 合戦までの経過 3月10日に武田信玄は深志の筑摩神社に全軍を集結。上洛を宣言し、稲葉山城へ出陣した。上杉、北条もこれに呼応して出陣。 どの軍も同日に姉小路軍と交戦を開始していることから前もって申し合わせていたも...
  • 前田玄以
    ☆このページでは、霧雨の野望における前田玄以について詳細に解説しています。 史実での前田玄以について詳しく知りたい方はwikipediaなどの前田玄以を調べてください 前田玄以(まえだげんい)(天文8年(1539年- ) 元・比叡山延暦寺の僧。還俗して斎藤家に仕えていた。 斎藤が姉小路に滅ぼされると義龍らに従い姉小路に仕官。 以後、内政のエキスパートとして姉小路の所領全域で辣腕を振るう。 また、松永久秀や八雲紫のような知将が揃うまでは、戦線後方での助言役としても頼られていた。 その様子はAct38のストーリーパートからも伺うことができる。 足利将軍家滅亡後は本拠である観音寺城に務める奉行衆の一人。おそらく外交担当。 武将紹介登場:Act12 ☆出生・家族構成 ☆官位・役職 ☆参加合戦 ...
  • 本多忠勝
    ☆このページでは、霧雨の野望における本多忠勝について詳細に解説しています。 史実での本多忠勝について詳しく知りたい方はwikipediaなどの本多忠勝を調べてください 本多忠勝(ほんだだたかつ)(天文17年-(1548年)- ) 松平家家臣。現在は武田軍下三河衆。 ストーリーパートではAct64で初登場。 死なないことに自信があるとの妹紅の言葉を受けて傷を負わぬことに自信があり、気が合うと言っている。 ……気? 信濃守護なので真田昌幸からすっごい睨まれている可能性がある。 ☆出生・家族構成 ☆官位・役職 信濃守護 ☆参加合戦 革新能力 統率91+10 武勇97+10 知略74 政治60 義理94 足軽A 騎馬S 弓D 鉄砲C 計略B 兵器B 水軍D 築城B 内政D 戦法:槍衾、槍車、先駆け、...
  • 武田信虎
    ☆このページでは、霧雨の野望における武田信虎について詳細に解説しています。 史実での武田信虎について詳しく知りたい方はwikipediaなどの武田信虎を調べてください 武田信虎(たけだのぶとら)(明応3年(1494年- ) Act.29にて突如稲葉山城に現れ、姉小路家に仕官を申し出る。その時にめーりんと揉めている。 ちなみに、彼の仕官はうp主自身もびっくりしたという。我らが大殿を小僧扱いするほどの傲岸な人物である。 同じ口で姉小路家に仕えたいというのだからまた凄い。もちろん、態度がでかいだけでなくその後の戦闘でも武功をあげている。 ちなみにめーりんはこの件からほどなく門番をクビになった。大殿の御父上・直頼公と面識があるらしい。 孫の顔を見てくるなどと事も無げに寡兵で天下の武田の支城へ攻め寄せるといった剛毅なところもある。 また、傍若無人が服を着て歩いているような...
  • 洛南会戦
    洛南会戦 洛南会戦(らくなんかいせん)とは永禄七年に足利将軍家と姉小路家との間で起こった戦いである。 戦闘が左京から南にかけて非常に広範囲で行われたので、「鳥羽伏見の戦い」「二条合戦」「東洛の大会戦」「京洛決戦」とも呼ばれる。 一戦に天下の命運をかけたこの戦いは壇ノ浦の合戦とも東勝寺合戦とも違い、強いていうならば殷周革命の牧野の戦いに例えられる。 合戦以前の情勢 連年の乱や先代の将軍達の失政によって将軍家の影響力は年々失われつつあった。 足利義輝はそのような状況を苦慮し、主だった大名に自分の名である『輝』の字を与えたり、 大名同士の抗争の調停を行うなど積極的に政治活動を行って将軍家の威光を示し、 また将軍家から失われた軍事力、経済力を取り戻すために山城国を纏め上げ、緩やかながらではあったが将軍家としての実力を取り戻しつつあった。 対する姉小路家は飛騨国の一国人に...
  • 氏家直元
    ☆このページでは、霧雨の野望における氏家直元について詳細に解説しています。 史実での氏家直元について詳しく知りたい方はwikipediaなどの氏家直元を調べてください 氏家直元(うじいえなおもと)(永正10年?(1513年?- ) 斎藤家家臣。滅亡後は姉小路家に仕える。 武将紹介登場:Act13 ☆出生・家族構成 ☆官位・役職 ☆参加合戦 革新能力 統率70 武勇62 知略52 政治48 義理45 足軽C 騎馬C 弓D 鉄砲D 計略D 兵器D 水軍D 築城D 内政D うp主解説 氏家卜全とも。西美濃三人衆の一人。三人衆は始め土岐家、のち斉藤家三代に仕え愚鈍な三代目・龍輿を見限り織田家についた。直元はその後、北畠家大河内城攻めで活躍。一鉄に比べると随分見劣りしてしまうが、統率70はまあ...
  • 原長頼
    ☆このページでは、霧雨の野望における原長頼について詳細に解説しています。 史実での原長頼について詳しく知りたい方はwikipediaなどの原長頼を調べてください 原長頼(はらながより)(天文13年(1544年- ) 姉小路家家臣。 なにげに参加合戦数が多いベテラン。 Act92では霊夢を庇い負傷している。 よくよく考えるとかなり早い段階で姉小路家に加わっているのでそれなりに通じていたのかも知れない。 武将紹介登場:Act19 ☆出生・家族構成 ☆官位・役職 ☆参加合戦 輪島港の戦い、筒井城防衛戦、弓木城の戦い、生野の戦い、石見防衛戦 革新能力 統率70 武勇75 知略56 政治34 義理61 足軽D 騎馬B 弓D 鉄砲B 計略D 兵器D 水軍D 築城D 内政D 戦法:先駆け(Act8...
  • 金森長近
    ☆このページでは、霧雨の野望における金森長近について詳細に解説しています。 史実での金森長近について詳しく知りたい方はwikipediaなどの金森長近を調べてください 金森長近(かなもりながちか)(大永4年(1524年- ) 畠山家家臣。滅亡後は姉小路家家臣に。 ☆出生・家族構成 ☆官位・役職 ☆参加合戦 七尾城下の合戦(畠山) 革新能力 統率65 武勇67 知略54 政治61 義理47 足軽D 騎馬C 弓D 鉄砲D 計略C 兵器D 水軍D 築城C 内政D うp主解説 織田家臣。「赤母衣衆」出身の精鋭で、後には柴田勝家の軍団に所属。 史実においては秀吉の名で飛騨に侵攻、姉小路家を滅ぼした張本人である。 統率・武勇・政治が60台。バランス型なので使い勝手は悪くないが、 知名度の割に半...
  • 大久保忠世
    ☆このページでは、霧雨の野望における大久保忠世について詳細に解説しています。 史実での大久保忠世について詳しく知りたい方はwikipediaなどの大久保忠世を調べてください 大久保忠世(おおくぼただよ)(天文元年(1532)- ) 松平家家臣。 滅亡後は武田家傘下三河傭兵衆となる。 ☆出生・家族構成 ☆官位・役職 ☆参加合戦 革新能力 統率73 武勇76 知略70 政治25 義理86 足軽B 騎馬D 弓D 鉄砲C 計略C 兵器D 水軍D 築城C 内政D 戦法:槍衾、早撃ち、罵声、鼓舞(Act87現在) うp主解説 徳川家臣。長篠の合戦において奮戦し、「敵に着いて離れぬ膏薬の如し」と 信長自らがその采配を絶賛した勇将。本多正信の帰参にも一役買っている。 政治以外が70台で足軽...
  • 稲葉良通
    ☆このページでは、霧雨の野望における稲葉良通について詳細に解説しています。 史実での稲葉良通について詳しく知りたい方はwikipediaなどの稲葉良通を調べてください 稲葉良通(いなばよしみち)(永正12年(1515年- ) 斎藤家家臣。滅亡後は姉小路家に仕える。 戦闘には参加せず内政官として働いていた模様。Act65では西国の包囲網情報を届けた。 武将紹介登場:Act13 ☆出生・家族構成 ☆官位・役職 ☆参加合戦 輪島港の戦い 革新能力 統率78 武勇70 知略72 政治71 義理41 足軽B 騎馬B 弓D 鉄砲D 計略C 兵器C 水軍D 築城D 内政C うp主解説 稲葉一鉄とも。美濃の有力者として斉藤家に仕えた「西美濃三人衆」の一人。勇猛果敢で時に冷静、己の道を貫くその気性...
  • 明智秀満
    ☆このページでは、霧雨の野望における明智秀満について詳細に解説しています。 史実での明智秀満について詳しく知りたい方はwikipediaなどの明智秀満を調べてください 明智秀満(あけちひでみつ)(天文5年?(1536年?-) 斎藤家家臣。滅亡後は明智光秀らと共に姉小路家に仕える。 弾幕要員。 最近では西国勢弾幕要員筆頭となっている。明石全登が台頭してきているが若造にはまだまだ負けられない。 武将紹介登場:Act11 ☆出生・家族構成 義父に明智光秀がいる。 ☆官位・役職 ☆参加合戦 七尾城下の合戦、越中防衛戦、姉川の戦い、一乗谷城の戦い、洛南会戦、弓木城の戦い、姫路城の戦い、生野の戦い 革新能力 統率69 武勇75 知略44 政治41 義理80 足軽C 騎馬B 弓D 鉄砲A 計略D ...
  • 姉小路良頼(三木嗣頼)
    ☆このページでは、霧雨の野望における姉小路良頼(三木嗣頼)について詳細に解説しています。 史実での姉小路良頼(三木嗣頼)について詳しく知りたい方はwikipediaなどの姉小路良頼(三木嗣頼)を調べてください 姉小路良頼(三木嗣頼)(永正17年(1520年)- ) 旧姓の読みは「みき」ではない。「みつき」である。 三木直頼の嫡男として1520年に飛騨で生まれる。1554年に三木直頼が病死したために家督を継ぐ。 1554年に何かあったのか翌1555年には飛騨を統一し江馬氏を配下に。 1555年末から1556年に異能の者達とともに越中へ侵攻。制圧し支配圏を拡大する。 以後は、現場の指示を息子に譲り朝廷工作に尽力した。 基本的には積極的に自分の意見を出さずまわりの者の意見を聞いて、そこから判断を下す。 そういったところから動画的には目立たないが最重要人物であるのには...
  • 第二次輪島港防衛戦
    第二次輪島港防衛戦 第二次輪島港防衛戦(だいにじわじまこうぼうえいせん)は永禄10年10月に能登輪島で起こった戦い。 参加兵力及び戦力評価 姉小路・輪島港守備兵総勢30307 守将:高城胤辰 弾幕部隊:鉄砲隊1000×7:鈴木重秀(雑賀孫一)・鈴木重泰・黒田孝高、鈴木重兼・伊吹萃香、小島職鎮・鈴木重意・レティ・ホワイトロック・佐々成政 上杉・柏崎港守備兵(先発) 第一部隊:小早船隊8500:北条景広、チルノ、中野宗時 第二部隊:小早船隊8500:延沢満延 第三部隊:小早船隊8000:新発田景家 第四部隊:小早船隊7500:水原親憲 春日山城兵(後詰) 第一部隊:小早船隊6500:直江景綱 第二部隊:小早船隊6000:斎藤朝信 姉小路側は前回より兵数、将の質が向上しており万が一にも負けることはない。 概要 9月5日、上杉軍は姉小路領...
  • 用語集(あ行~た行)
    ア行青の人(アオノヒト) 赤の人(アカノヒト) 明智筒(アケチヅツ) いい笑顔(-エガオ) 異常な生命法則(イジョウ-セイメイホウソク) 異能の者(イノウノモノ) うさみみ うp主 えーりん!えーりん! 越前衆(えちぜんしゅう) 宴会(エンカイ) 近江衆(おうみしゅう) 教えて!うp主(オシエテウプヌシ) 弟様 カ行官位(カンイ) 黄色の人(キイロノヒト) 義理1(ギリワン) 義理100(ギリヒャク) 義理4(ギリヨン) 牛丼特盛(ギュウドントクモリ) 軍神(グンシン) 毛玉(ケダマ) 碁石(ゴイシ) 紅白の戦巫女(コウハクノイクサミコ) 紅魔城(コウマジョウ) 五段撃(ゴダンウチ) 殺し間(コロシマ) サ行雑賀衆(さいがしゅう) 最終鬼畜御館様(サイシュウキチクオヤカタサマ) ザリガニ 三神/三信(サンシン) 酌巫女(シャクミコ) 寿命設定なし(ジュミョウセッテイ-) 守護 しょうかん ...
  • 姉川の戦い
    姉川の戦い ☆このページでは、霧雨の野望における姉川の戦いについて詳細に解説しています。 史実での姉川の戦いについて詳しく知りたい方はwikipediaなどの姉川の戦いを調べてください 姉川の戦い(あねがわのたたかい)とは永禄3年に姉川河畔の野田にて姉小路家と浅井家で行われた戦いである。 野田合戦ともいう。 参加兵力及び戦力評価 姉小路・稲葉山城兵 先鋒隊 : 騎馬隊8000:竹中重治、蜂須賀正勝、小島職鎮 火力支援:鉄砲隊3000:霧雨魔理沙、斎藤利三、明智秀満 浅井・小谷城兵 第一部隊:騎馬隊9000:浅井久政 第二部隊:弓隊9000 :磯野員昌 先鋒は共に騎馬隊で、兵数はほぼ同等。浅井家の方が騎馬精通していることを考えれば、決め手は双方の支援部隊(弓・鉄砲)か。 概要 姉小路良頼は浅井家攻略を目的として騎馬隊を竹...
  • 月山富田城の戦い
    月山富田城の戦い 月山富田城の戦い(がっさんとだじょうのたたかい)は永禄10年に尼子家と姉小路家との間で起こった戦い。 参加兵力及び戦力評価 姉小路・鳥取城兵43059+傷兵、此隈城兵 旗本隊   :足軽隊18500:姉小路頼綱、遠藤直経、ルーミア 第一鉄砲隊:鉄砲隊5000:斎藤利三、明智秀満、リグル・ナイトバグ 騎馬隊   :騎馬隊8289:磯野員昌、海北綱親、紅美鈴 第二鉄砲隊:鉄砲隊9000:明石全登、稲富祐秀、遊佐続光 八橋城兵14177(5月5日出撃) 後詰鉄砲隊:鉄砲隊7857:一色義道、原長頼、浦上宗景 後詰本隊  足軽隊6320:三木顕綱、江馬輝盛、別所就治 尼子・月山富田城兵33860 第一迎撃部隊:足軽隊9000:尼子晴久 第二迎撃部隊:足軽隊9000:尼子義久、山中幸盛 第三迎撃部隊:足軽隊6500:佐世清宗 姉小...
  • 石山御坊の戦い
    石山御坊の戦い 石山御坊の戦い(いしやまごぼうのたたかい)とは永禄8年から9年にかけて姉小路家と本願寺との間で起こった戦いである。 参加兵力及び戦力評価 姉小路・勝竜寺城兵 前衛部隊:足軽隊9000:蓬莱山輝夜、八意永琳、遊佐続光 本隊   :騎馬隊9000:朝倉宗滴、アリス・マーガトロイド、ルーミア 後衛部隊:鉄砲隊7578:鈴木重秀(雑賀孫一)、霧雨魔理沙、鈴木重意 本願寺・石山御坊城兵総勢10643+傷兵 迎撃部隊:足軽隊6000:本願寺顕如 波多野・八上城兵 第一部隊:騎馬隊13000:波多野晴通 第二部隊:騎馬隊10000:波多野宗高 第三部隊:足軽隊5000:波多野秀治 石山御坊は三層天守を備えるなど堅固なことで知られる城である。加えて同盟者である波多野からの援軍もあり戦闘単位としてはなかなかのものである。士気の高さも折り紙付き...
  • 南越後攻略戦
    南越後攻略戦 南越後攻略戦(みなみえちごこうりゃくせん)とは永禄12年に行われた姉小路家が上杉家の春日山城を攻略した戦い。糸魚川の戦いより後に行われた合戦の総称である。 別称は上越攻略戦。同時代史料では上越経略と呼称される。永禄11年12月から同12年2月までの糸魚川の戦いは該当項目を参照。大きく分けて三回の戦いで構成される。 参加兵力及び戦力評価 姉小路方75692 主力 先手隊:足軽隊12500 柴田勝家、本願寺顕如、小島職鎮  越前隊:騎馬隊10192 朝倉宗滴、紅美鈴、朝倉義景  雑賀隊:鉄砲隊9500 鈴木重秀(雑賀孫一)、鈴木重兼、鈴木重泰   紅魔隊:鉄砲隊9500 十六夜咲夜、レミリア・スカーレット、佐々成政 第一後詰 播磨隊:鉄砲隊5000 黒田孝高、伊吹萃香、レティ・ホワイトロック 近江隊:鉄砲隊5000 浅井長政、磯野員昌、アリス・...
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