【非公式】霧雨の野望wiki内検索 / 「稲富祐秀」で検索した結果

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  • 稲富祐秀
    ☆このページでは、霧雨の野望における稲富祐秀について詳細に解説しています。 史実での稲富祐秀について詳しく知りたい方はwikipediaなどの稲富祐秀を調べてください 稲富祐秀(いなどめすけひで)(永正5年(1508年)- ) 一色家家臣。滅亡後は山名家を経て姉小路家家臣。 山陰の鉄砲屋。鉄砲適性Sなのに適性家宝を持っている。 変化はないけど取り上げると忠誠が減るという割と理不尽な人。 ☆出生・家族構成 ☆官位・役職 ☆参加合戦 月山富田城の戦い 革新能力 統率57 武勇72 知略70 政治25 義理42 足軽D 騎馬B 弓D 鉄砲S 計略C 兵器A 水軍D 築城C 内政D 戦法:先駆け、早撃ち、二段撃、罵声 うp主解説 一色家家臣。後に鉄砲指南役として家康に抜擢を受ける稲富祐直...
  • 月山富山城の戦い
    ...9000:明石全登、稲富祐秀、遊佐続光 八橋城兵14177(5月5日出撃) 後詰鉄砲隊:鉄砲隊7857:一色義道、原長頼、浦上宗景 後詰本隊  足軽隊6320:三木顕綱、江馬輝盛、別所就治 尼子・月山富田城兵33860 第一迎撃部隊:足軽隊9000:尼子晴久 第二迎撃部隊:足軽隊9000:尼子義久、山中幸盛 第三迎撃部隊:足軽隊6500:佐世清宗 姉小路軍は各軍団長が戦線を離れたものの、姉小路頼綱が陣頭に立ったため士気旺盛である。加え、美濃・北近江衆の精鋭、播磨衆がいるため、戦力としてはなかなかのものである。 対する尼子軍はいくらか不本意な戦であるためか、士気はあまり高くない。しかしそんな中でも山中幸盛配下は士気・練度共に高く侮れない存在である。 概要 この戦いの影響 尼子家は主力を完全に喪失、降伏を受け入れる他なくなる。 姉小路家...
  • 石見防衛戦
    ...5000:別所就治、稲富祐秀、遊佐続光 毛利・吉田郡山城兵 第一部隊:弓隊12500:毛利元清 第二部隊:弓隊8500 :平岡房実 第三部隊:弓隊8000 :花房正幸 第四部隊:弓隊8000 :長船貞親 下関港守備兵 第一部隊:騎馬隊5500 :島清興 第二部隊:弓騎馬隊5000:福原貞俊 姉小路側は月山富田城の戦い直後であるため城の修復が終わっておらず、野戦によって毛利軍を撃破しなければならない。 対する毛利家は得意の弓隊を主力としているが、毛利元就や三矢は参加していない二級線部隊。 下関港からの部隊は騎馬で編成され足は速いものの、距離があるため合戦に間に合うかは微妙である。 姉小路家としては弓隊を主力とする大名とあたるのはこの戦いが初めてであり(足利将軍家は強力な弓隊を持っていたものの主力は足軽隊であった)、 新兵器である鉄砲と旧来から...
  • 吉田郡山城の戦い
    ...7919:一色義道、稲富祐秀、遊佐続光 毛利・吉田郡山城兵5707+傷兵 援軍:長船貞親8000、口羽通良6000 三好・岡山城兵 第一部隊:鉄砲隊10500:三好義興 第二部隊:足軽隊5500:三好政勝 第三部隊:騎馬隊5000:十河一存、パチュリー・ノーレッジ 第四部隊:鉄砲隊5000:三好政康 概要 石見防衛戦において毛利家は多くの兵を失うこととなり、姉小路家にとって吉田郡山城を落す好機が生まれた。 とはいえ、毛利方は天文十年に圧倒的大軍であった尼子三万を吉田郡山城に篭城して破っており、これを落すのは容易な事とはいえなかった。 姉小路頼綱は尼子晴久など当時の事を良く知る将を集め、情報収集に努めた。 永禄十年八月二十五日、月山富田城を出陣した姉小路軍は石見路を通って安芸国に侵入、 城下にあった弓櫓を破壊しつつ十月五日に吉田郡山城に到...
  • 登場武将紹介
    ... 板部岡江雪斎 稲富祐秀 因幡てゐ 稲葉良通 犬甘久知 池田恒興 伊奈忠次 伊吹萃香 色部勝長 上杉景勝 上杉謙信(長尾景虎) 魚住景固 宇喜多直家 宇佐美定満 氏家直元 氏家守棟 内ヶ島氏理 浦上宗景 江馬輝盛 江馬時盛 遠藤直経 淡河定範 大久保長安 大友宗麟 太田資正 大関高増 小笠原貞慶 長船貞親 織田信長 小野塚小町 小野寺輝道 小幡憲重 飯富虎昌 飯富昌景(山県昌景) 大浦為信 大久保忠世 か行 海北綱親 柿崎景家 蠣崎季広 風見幽香 金上盛備 金森長近 可児吉長 上泉信綱 上白沢慧音 蒲生賢秀 川尻秀隆 川尻秀長 願証寺証恵 北条高広 北畠具教 北信愛 吉川元春 吉良親貞 霧雨魔理沙 九鬼嘉隆 朽木元綱 口羽通良 熊谷信直 黒田孝高 高坂昌信 ...
  • 月山富田城の戦い
    ...9000:明石全登、稲富祐秀、遊佐続光 八橋城兵14177(5月5日出撃) 後詰鉄砲隊:鉄砲隊7857:一色義道、原長頼、浦上宗景 後詰本隊  足軽隊6320:三木顕綱、江馬輝盛、別所就治 尼子・月山富田城兵33860 第一迎撃部隊:足軽隊9000:尼子晴久 第二迎撃部隊:足軽隊9000:尼子義久、山中幸盛 第三迎撃部隊:足軽隊6500:佐世清宗 姉小路軍は各軍団長が戦線を離れたものの、姉小路頼綱が陣頭に立ったため士気旺盛であった。 加えて、美濃・北近江衆の精鋭、播磨衆がいるため、戦力としてはなかなかのものである。 対する尼子軍はいくらか不本意な戦であるためか、士気はあまり高くない。 しかしその中でも山中幸盛配下は士気・練度共に高く侮れない存在である。 概要 姉小路頼綱は出雲侵攻の足がかりとして、別所就治に八橋城築城を命じた。 城は三...
  • 山口館の戦い
    ...000 :明石全登、稲富祐秀、遊佐続光 明智隊:鉄砲隊5000 :斎藤利三、明智秀満、遠藤直経 後詰隊:騎馬隊8247 :三木顕綱、磯野員昌、紅美鈴 毛利・山口館守備兵31226 守将:小早川隆景 第一迎撃隊:足軽隊7500:島清興 第二迎撃隊:弓隊7500:因幡てゐ 第三迎撃隊:弓隊8000:長船貞親 第一奇襲部隊:足軽隊3000:毛利元就(6月20日) 第二奇襲部隊:足軽隊3000:吉川元春(6月25日) 第三奇襲部隊:足軽隊3000:陶晴賢 当初、兵力数は2 1で姉小路側で優勢であったがルナサ・プリズムリバーが9000を輸送している。 毛利側としては本州最後の城であり、これを死守すべく毛利元就を始め主力武将がそろっている。 概要 姉小路軍は毛利軍を本州より排除すべく、いまや本州毛利領最後の防御施設である 山口館を攻めと...
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