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ある飲みたい日に 作者:弥月未知夜 飲みたい気分の日というのは、あると思う。 本田はそこまで酒飲みではないが、時折無性に飲みたい日があった。やはり気分の問題と思う。ストレスかそれに類する何かが飲みたい気分にさせるのだろう。 飲むとなれば相棒が欲しい。一人で飲むのならば炭酸飲料で十分だ(そう言うと酒飲みの友人はそれはおかしいと全力をもって否定してくるのだが、少なくとも本田はそう信じている)。 残念なことに声をかけた春林は友人と食事だそうだ。その友人はもしや男ではないかと思うと、飲みたい気持ちが加速した。話に聞く限り春林に付き合う男はいないらしいが、どこかへ飲みに出て春林が男と一緒なのを見たら荒れる自信がある。 本田は飲みに出るのを諦めて寮で飲むことにした。そもそもストレスがあった上にさらにそれが加速したものだから、とことん飲む気で寮から二つ手前のバス停で降り、酒のディスカウントショップに向かった。 リカーショップ・ディープグリーンは霧生ヶ谷市内で展開するチェーン店だ。通なら下戸河童家を利用するのだろうが、さほど酒飲みでない本田にはこの店で充分。下戸河童家の品揃えには負けるがコンビニよりも多種の酒が割安で売っているしそこそこ近いので、本田は時折利用する。 ミストマでは見かけない酒とつまみをカゴ半分ほど買い込んで、バス停一個半分を歩いて帰る。さすがに荷物が重いので一度部屋に戻り、寮のミストマで弁当を買った。 レンジで温めてもらった弁当を肴にまずは発泡酒を開ける。その様子は酒を飲むというよりは、弁当をかきこむといった方が正直正しい。弁当を食べ終わった段階で発泡酒は半分ほどしか空いていない。本田は残りをぐいっと飲み干した。 そしてビニール袋から次の酒とつまみを数種類取り出す。ナッツにサラミ、チーカマが定番。思わず手に取った珍味カエル足のパッケージが出てきたので、遅れて後悔の念を抱いた。 「普通に売ってんだから、食えるだろ」 自分に言い聞かせながらも、とりあえず定番から順に開けた。興味を惹かれて買ったはいいが、珍味カエル足は一人で食いきれるかは微妙な量だった。高めの値段設定だったから、まずくはないのだろうが。 テレビを見ながら二本目をちびちびやっていると、隣人が帰ってくるのが分かって本田はにやりとした。飲み仲間ゲットだと、ゆうらり立ち上がる。開けたつまみを適当にまとめて、袋を手に隣室に向かった。 「おーい、名取ー」 どんどんと本田は隣室の扉を叩いた。最初は控えめだったそれも、中からなにやらあしらうような声がかかると大げさになった。 返ってくるのは「押し売りお断りだ」といったような的の外れた返答ばかり。どうやら名取は機嫌が悪いらしい。そういう時こそ酒の出番だと本田はさらにノックする。 「名取ー名取ー」 何度呼びかけても、名取はまともに応じない。 あしらうように無視されるのは気に食わないが、折角のカモを逃すのは惜しい。珍味カエル足の毒見役が切実に欲しかった。「いいから開けろよー。酒飲もうぜ。うまげなつまみがあるぞ。次元錦の『酒都の霧』だって買ったんだ」 珍味のことは伏せて本田は名取を誘惑しようとする。 怪しげな勧誘をあしらうような名取の言葉はますます勢いを増して、本田は意地になった。何が何でも開けさせてやると、さらにノックを強める。 まだあまり飲んでいないが、飲み慣れない本田はすでに程よく酔っている。潰れるほどの量ではなかったからタチが悪い。 何度も何度も飽きるほどに同じ言葉を繰り返した後、ふとスイッチが入るように本田は思いついた。「おーい、ナットーナットーナットー」 延々と言い続けたらさすがに無視ができなくなったらしい。本田が叩き続けた扉は勢いよく開いて、思わずつんのめりそうになる。「今のは何だ、本田」「おお、ナットー。ようやく俺の声に答えてくれたか」「ちょい待ち、もしかしてナットーって俺のことか?」「俺なりに親しみをこめてみた。可愛いだろ」「うわコイツ最悪や……何でよりによって納豆」 顔を引きつらせる名取に構わず、本田はさあ飲むぞと笑う。「こら待て酔っ払い」「ん?」「勝手に部屋に入ってこようとするな」「まあまあ」「まあまあじゃない。そもそも用事があるならメールしろとあれほど」「よさげなつまみがあるんだって。たまには飲んで騒ごうぜ。今日は俺のおごりだー」 ご機嫌に本田はビニール袋を振り回す。「話を聞けって。まあ別にもう問題はないんだけど……」 名取はぶつぶつ言いながら諦めたように本田を部屋に入れてくれつつ、厳重に「ナットーだけはやめろ」と本田に言い聞かせた。感想BBSへ
ある飲みたい日に 作者:弥月未知夜
飲みたい気分の日というのは、あると思う。 本田はそこまで酒飲みではないが、時折無性に飲みたい日があった。やはり気分の問題と思う。ストレスかそれに類する何かが飲みたい気分にさせるのだろう。 飲むとなれば相棒が欲しい。一人で飲むのならば炭酸飲料で十分だ(そう言うと酒飲みの友人はそれはおかしいと全力をもって否定してくるのだが、少なくとも本田はそう信じている)。 残念なことに声をかけた春林は友人と食事だそうだ。その友人はもしや男ではないかと思うと、飲みたい気持ちが加速した。話に聞く限り春林に付き合う男はいないらしいが、どこかへ飲みに出て春林が男と一緒なのを見たら荒れる自信がある。 本田は飲みに出るのを諦めて寮で飲むことにした。そもそもストレスがあった上にさらにそれが加速したものだから、とことん飲む気で寮から二つ手前のバス停で降り、酒のディスカウントショップに向かった。 リカーショップ・ディープグリーンは霧生ヶ谷市内で展開するチェーン店だ。通なら下戸河童家を利用するのだろうが、さほど酒飲みでない本田にはこの店で充分。下戸河童家の品揃えには負けるがコンビニよりも多種の酒が割安で売っているしそこそこ近いので、本田は時折利用する。 ミストマでは見かけない酒とつまみをカゴ半分ほど買い込んで、バス停一個半分を歩いて帰る。さすがに荷物が重いので一度部屋に戻り、寮のミストマで弁当を買った。 レンジで温めてもらった弁当を肴にまずは発泡酒を開ける。その様子は酒を飲むというよりは、弁当をかきこむといった方が正直正しい。弁当を食べ終わった段階で発泡酒は半分ほどしか空いていない。本田は残りをぐいっと飲み干した。 そしてビニール袋から次の酒とつまみを数種類取り出す。ナッツにサラミ、チーカマが定番。思わず手に取った珍味カエル足のパッケージが出てきたので、遅れて後悔の念を抱いた。 「普通に売ってんだから、食えるだろ」 自分に言い聞かせながらも、とりあえず定番から順に開けた。興味を惹かれて買ったはいいが、珍味カエル足は一人で食いきれるかは微妙な量だった。高めの値段設定だったから、まずくはないのだろうが。 テレビを見ながら二本目をちびちびやっていると、隣人が帰ってくるのが分かって本田はにやりとした。飲み仲間ゲットだと、ゆうらり立ち上がる。開けたつまみを適当にまとめて、袋を手に隣室に向かった。 「おーい、名取ー」 どんどんと本田は隣室の扉を叩いた。最初は控えめだったそれも、中からなにやらあしらうような声がかかると大げさになった。 返ってくるのは「押し売りお断りだ」といったような的の外れた返答ばかり。どうやら名取は機嫌が悪いらしい。そういう時こそ酒の出番だと本田はさらにノックする。 「名取ー名取ー」 何度呼びかけても、名取はまともに応じない。 あしらうように無視されるのは気に食わないが、折角のカモを逃すのは惜しい。珍味カエル足の毒見役が切実に欲しかった。「いいから開けろよー。酒飲もうぜ。うまげなつまみがあるぞ。次元錦の『酒都の霧』だって買ったんだ」 珍味のことは伏せて本田は名取を誘惑しようとする。 怪しげな勧誘をあしらうような名取の言葉はますます勢いを増して、本田は意地になった。何が何でも開けさせてやると、さらにノックを強める。 まだあまり飲んでいないが、飲み慣れない本田はすでに程よく酔っている。潰れるほどの量ではなかったからタチが悪い。 何度も何度も飽きるほどに同じ言葉を繰り返した後、ふとスイッチが入るように本田は思いついた。「おーい、ナットーナットーナットー」 延々と言い続けたらさすがに無視ができなくなったらしい。本田が叩き続けた扉は勢いよく開いて、思わずつんのめりそうになる。「今のは何だ、本田」「おお、ナットー。ようやく俺の声に答えてくれたか」「ちょい待ち、もしかしてナットーって俺のことか?」「俺なりに親しみをこめてみた。可愛いだろ」「うわコイツ最悪や……何でよりによって納豆」 顔を引きつらせる名取に構わず、本田はさあ飲むぞと笑う。「こら待て酔っ払い」「ん?」「勝手に部屋に入ってこようとするな」「まあまあ」「まあまあじゃない。そもそも用事があるならメールしろとあれほど」「よさげなつまみがあるんだって。たまには飲んで騒ごうぜ。今日は俺のおごりだー」 ご機嫌に本田はビニール袋を振り回す。「話を聞けって。まあ別にもう問題はないんだけど……」 名取はぶつぶつ言いながら諦めたように本田を部屋に入れてくれつつ、厳重に「ナットーだけはやめろ」と本田に言い聞かせた。
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