*

 土煙と混じった爆煙が立ち込め、下の様子は一切窺えない。
が、音や影、何より気配から察するに、少なくとも魔女は倒した。
 彼女たちはどうしているだろうか。マミは残してきた二人の少女に目を向ける。
マスケットのバリアは健在。二人は見えない壁にかじり付くくらい接近して、こちらを見ていた。
両の眼にいっぱいの涙を溜めて。

 みっともないところを見せてしまったと恥じ入ると同時に、
本気で心配してくれる人がいることが素直に嬉しい。
 彼女たちが仲間になってくれたら、どんなにいいだろう。そうなれば、この孤独からも解放される。
もう一人でビクビクしながら結界を進む必要もなければ、今日のような予想外のピンチでも切り抜けられる。

――でも、それはたぶん許されない……。
あの娘たちが自らの望みの為に契約するならまだしも、私から誘うことは絶対に。
こんな真実なら、いっそ知らなければ良かった――

 いや、勝手に決めつけて絶望するには早い。まだキュゥべえに確認もしていないというのに。
 そうだ。だからこそキュゥべえを問い詰めて、はっきりさせなければならない。
どれだけ怖くても、結果的に大事な友達を失うとしても、もう目を背けることは許されない。
 マミは一人、拳をきつく握り締めた。

 爆煙は未だ晴れない。
 彼はどうしただろう。投げられた直後、黒い物が過ぎり、ガロの姿が一瞬で消えた。
触手の一撃によるものだった。
 それからは確認できなかったが、かつてない威力だったのは間違いない。
地を割り、衝撃がドームを揺らした。普通なら、潰れて生きているはずもないが。

 だが、あの眼は。あの瞬間のガロの眼は、犠牲を受け入れて死にゆく者の眼ではなかった。
 彼なら、或いは。そう思わせる何かが黄金騎士にはある。
 固唾を呑んでマミは目を凝らす。煙が完全に晴れるまでは十数秒を要した。
 やがて視界は明瞭になり――。

「あれは……!」

 どんなに離れてもわかる金色の輝き。轟天とガロが変わらず、そこに立っていた。
 悠然と、雄々しく。
 共に黄金の鎧に一点の傷もへこみもない。少なくとも、ここから見る限りでは。

 上から触手が叩きつけられた瞬間、衝撃に備えていたガロは轟天を走らせた。
 唯一の武器を投げたガロは、マミを逃がし、自分は黄金の鎧の防御力と轟天を信じた。
 激しい一撃は轟天を一瞬で地上に叩きつけたが、その蹄は確と地を踏み締め、蹴り出し、
その身とガロが圧砕される前に滑り抜けた。

 まさしく刹那の攻防。
 マミを斬馬剣まで投げ飛ばさなければ、もっと安全に切り抜けられただろうが、
魔女との戦いは振り出しに戻っていた。それも重傷のマミを抱え、剣を手放した状態でだ。

 だからこそ魔女を倒す最大の好機を逸したくなかった。
 そして、それもマミが戦う意志を示したからこそ。
マミは瀕死の状態にありながら、魔女を倒す千載一遇のチャンスに賭けた。

 言葉を通じなくても、互いの意思を汲み取ることができた。
噛み合わなかった歯車が、この瞬間だけは確かに合わさっていた。
 互いが為すべきことを為す。故にガロはマミに、マミはガロに託したのだ。

 しかし極限の状況が過ぎてしまえば、再び心はすれ違いを始める。
 マミは口元を小さく綻ばせた後、目を細めた。嬉しいとも、悲しいともつかぬ表情。

――あんなに反発していた私を救っただけでなく、信じ、命まで託した。
やはり彼が、私が逢いたくて、逢えなくて、逢いたくなかった本当の戦士なのかしら……。
でも、だとしたら私は……私の価値は――

 また堂々巡りに迷い込みそうな思考を打ち切って、マミは顔を上げた。
 鎧を送還すれば、斬馬剣も消える。
ならば今の内にと、投げられた時そうしたようにリボンを柄に結び、ロープ代わりに身体を降下させる。
 今の身体に飛び降りの衝撃は辛く、だからといって鋼牙の手も借りたくなかった。

 マミが危なげなく着地したことを確認すると、ガロは鎧を送還する。
黄金の鎧と轟天が、鋼牙から抜けるように掻き消えた。
細身の剣に戻った魔戒剣が零れ落ち、地に突き立つ。

 傷ひとつなく平然としている鋼牙。ボロボロで今にも崩れ落ちる寸前のマミ。
 両者はどこまでも対照的で、決して埋まらない溝があるようにマミには思えた。
鎧という特性があったにせよ、何故こうまで違うのかと。それを認めた瞬間、酷く惨めな気分に苛まれる。

 マミは覚束ない足取りで、一歩ごとに左右に頼りなく揺れながら、なおも進む。
 向かう先は二人の後輩が待つ出口。彼女たちには、これ以上の醜態を晒したくなかった。
せめて二人の前でだけは頼れるかっこいい先輩でありたかった。
 歩み寄って身体を支えようとした鋼牙を睨み、手を振り払ったも、その為。

「大丈夫です……構わないでください。少し休めば治りますから……」

 そうとも、少し休めば治る。常人なら明らかに潰れている衝撃でも、失血死する出血でも生きているのだから。
昨夜もそうであったように。

 考えてみれば、今まで気付かなかったのがおかしい。
これまでも助からないような怪我、状況でも何とか生き延びてきた。切り抜けてきた。
それは自分の幸運故だと思っていた。いや、思い込もうとしてきた。 

――でも違った。当たり前よね。とっくに人間じゃなかったんだもの……。

 唇を歪め、自嘲した。
 崩壊を始めていた結界はマミが歩いている間に完全に消滅して、今は暗い廃ビルの開けた空間に戻っている。
さやかとまどかを隔離していたバリアは消え、高低差もなくなった。


「マミさん!!」

「ちょっと……大丈夫なんですか!?」

 口々に叫んで駆け寄ってきた二人に、

「ええ、大丈夫よ……かっこ悪いとこ見せちゃったわね……」

 マミは精いっぱいの力で微笑みを浮かべた。いくら平静を装おうとしても、笑顔のか弱さは隠せない。
 二人は何も言わず左右からマミを支えた。
 その様を後ろから傍観していた鋼牙に、さやかが振り向く。

「まどか、冴島さんにも手伝ってもらって――」

「それは止めて!」

 思わぬ強い調子に、さやかは肩を震わせ、マミ自身もハッとなる。
だからと言って、口から出た言葉は呑み込めない。焦って後から補足するしかなかった。

「あの、本当に大丈夫だから……傷も治りかけてるし、ね?」

 鋼牙は背後からマミを観察していた。
彼女の髪飾りのソウルジェムには濁りが見られるが、まだ余裕はある。
傷も彼女の言う通り、治癒魔法の効果か徐々に回復してきている。じきに一人で歩けるだろう。
 このまま帰しても問題はないだろうが、何か言い知れない引っ掛かりを覚えた。
どうしたものかと考えていると、

『放っておけ、鋼牙』

 と、ザルバが呆れ声で顎を鳴らした。
 確かに、マミが何やら意固地になっているだけなら捨て置いてもいいのだが。

「あの、マミさんには私たちが付き添いますから」

「あたしたちは一人でも帰れますし……」

 マミと鋼牙の亀裂を察したのか、二人は明らかに気を使っている。
 鋼牙は黙考した末、

「なら、俺は少しここを調べていく。これを持っていけ」

 言って、マミに手の中の物を差し出した。魔女が落とした黒い宝石、グリーフシードである。

「それは……っ……」

 それを見たマミは眉根を寄せ、口を固く引き結ぶ。何か言いたげな苦い顔。
 自分だけでは間違いなく死んでいた。鋼牙に救われ、力を借りて、命辛々もぎ取った勝利である。
自分の実力と胸を張って勝利を誇れない以上、素直に受け取るのは抵抗があった。

「魔女を倒したのはお前だ。それに、どうせ俺には無用の長物だ」

 鋼牙は、まだ受け取り渋るマミの代わりに、肩を支えるさやかにグリーフシードを手渡す。
そして、それきり何も言わず背を向けて、魔戒剣を拾いに歩き出した。
 マミは暫らく苦い顔のまま鋼牙を見つめていたが、やがて同じように背中を向けて歩き出した。

 *

 マミとさやかとまどか。三人が部屋を出ると、待ち受けていたのだろうか、黒髪の少女が立っていた。
 暁美ほむらだった。
 傷だらけのマミを見ても揺るぎない無表情。嘲笑うでも、気遣うでもない。

「ほむらちゃん、どうしてここに……」

 まどかが問いかけても、ほむらは答えない。
 しかし、どうしてここにいるかはわからなくとも、いつからいたかは明白だ。
 結界が崩壊したのは、つい先ほど。マミの状態に微塵も反応しなかったことから考えても――。

「あんた……ずっと見てたの!?」

 目を吊り上げたさやかがほむらに詰め寄るも、やはり答えは返らない。
ただ冷やかな目で詰問を受け流すばかり。

「本当なの、ほむらちゃん……?」

「だったら何?」

 まどかが訊いて、初めて口を開いた。平然と、飄々と、まるで悪びれずに。

「何? じゃないでしょうが! マミさんと冴島さんがあんなに頑張って、
苦戦して魔女を倒したってのに……あんたは手助けもせずに見てたって!?」

「それはあなたたちも同じでしょう? 実際に戦った者ならともかく、
見てただけの人間に言われる筋合いはないわ」

「そんな……だって私たちは何の力もなくって……助けたくても、どうしようも……」

 ほむらとさやかの口論を、まどかの苦悩を、マミはじっと黙って聞いていた。
口を開く気力も乏しい、というのもあったが、別段彼女に意見もなかったのが一番の理由。
 かつての一途に魔法少女の正義を信じられた頃なら苛立ちを覚えたかもしれないが、
今は何の感情も湧いてこない。戦うでもないのに結界の奥まで来るなんて、御苦労なことだとすら思った。

――まぁ、だいたい察しは付くけれど……。

 わざわざ指摘するのも億劫だった。むしろ、さやかとまどかの言葉の方がマミを追い詰めていた。
 力ある者には戦う義務がある、なんて言葉は、きっと力のない人間が言い出しっぺだと思う。
だとしたら、力を持ったマミは自分を捨てて大衆に奉仕しなければならない。

 無関係な誰かの為に戦うなんて、さやかが思うほど簡単なことではないのだ。
 それが奇跡の対価だとしても、合意のうえでの契約だとしても、真実は少女には重過ぎた。
 何も知らないあなたたちごときには計り知れない懊悩があるのよ、と言えるものなら言いたかった。

 過酷なこれまでと、仄暗いこれからに、薄々疑問と不安を抱き始めていた矢先に、昨夜から続く出来事。
 意地も信念もプライドも、強大な力の前に容易く手折られ、自己満足にもならなかった。
身を犠牲にしてまで助けたかったさやかとまどかを救うこともできず、救ったのは、より強大な力。
挙句、いつか自分は屠ってきた魔女になるかもしれないと言う。忌み嫌っていた災厄そのものに。

 力のあるなしなんて関係ない。戦いたい奴が戦えばいい。それが今のマミの偽らざる気持ち。
 もし、鋼牙のような強い人間が代わりに戦ってくれるなら。
 もし、戦わざるを得ない理由がなければ。
 今すぐにでも投げ出して、そして逃げ出したかった。

 支えにしていた矜持を砕かれ、か細くとも残っていた人々を救うという使命感も意味を失うかもしれない。
 もうどうでもいい、何もかもが虚しいという思いが、マミの胸中に芽生え始めていた。
 彼女たちも、いつかこんな気持ちを抱えるのなら、やはり、

「……そうね。だったら、もう関わらない方がいいわ。足手纏いになるだけ。あなた自身も傷つくだけ。
魔法少女にも、魔女にも、あいつ……キュゥべえにも。そして魔戒騎士、冴島鋼牙にも」

 ほむらの忠告に従った方がいいのだろうか。
 故にマミは口を出さず、ただ語る少女の黒い瞳をぼうっと見ていた。

「何で冴島さんが出てくんのよ……キュゥべえも、そんなこと言ってたけど」

「彼には心を許さない方がいい。いいえ、もう近付かない方がいい。それがあなたたちの為でもある」

 忠告だとしても、鋼牙を誹るとも取れる言い方に、さやかがほむらをキッと睨みつけ、声を荒げる。

「冴島さんは損得とかじゃなく、あたしたちを助ける為に戦って、盾になってくれた。
今日だって命懸けでマミさんを救ってくれた。あの人は正真正銘、本物の正義の味方なんだ!
なのに、何で信用しちゃいけないのよ!」

 さやかは相当、鋼牙に傾倒しているらしかった。昨日、出会ったばかりだというのに。
 だが、無理もない。まどかとほむらに見捨てられ、頼りのマミは敗北。
独り絶望して死を待つだけだった時、救いの手を差し伸べてくれた唯一の希望。

 今日だって二度も三度も助けられ、最早、単なる命の恩人以上に憧れの対象になっている。
マミはさやかが尊敬する鋼牙を賛美する度、心底彼に気を許していると知る度、
胸が疼き、黒い淀みが渦を巻くのを感じずにいられなかった。

「それは充分わかったわ。彼は冷厳な正義の執行者にして守護者、だからこそよ」

 ほむらはさやかを否定しなかった。肯定した上で関わるなと言った。
訳もわからず、さやかとまどかは唖然として反論もできないでいる。
 ほむらは詳しく説明もせず、言いたいだけ言い終えると、三人に背を向けた。


「覚えておくことね。正義の味方は、絶対に私たちの味方にはならないと」


去り際にそう言うと、最後にマミを一瞥して言葉を放つ。

「あなたなら、その意味がわかるでしょう?」

 マミの虚ろな目が、徐々に見開かれる。
 マミの中で、すべてが繋がった。
自分が鋼牙に抱く想いの名前も、さやかのように彼に縋りたくない、縋れない理由も。

――彼は……黄金の光は私の形を照らし出す。欺瞞に満ちた虚像を暴き、その実、矮小な正体を曝け出す。
 そう……私は、彼に嫉妬している。黄金の光は、暗闇に迷う人間にとっては、さぞ美しい希望の灯に見えるでしょう。
でも、暗闇に慣れ切った私には眩し過ぎる……。闇に潜む獣が陽の下に出られないのと同じ。
だから私は、あの光を二度と見たくないと思ってしまう。だって太陽を直視すれば、きっと私の目は潰れてしまうから――

 すべて理解したマミは蚊の鳴くような震える声を、

「ええ……。そう……かもしれないわね……」

 とだけ絞り出した。
伝わったのかどうかは定かでないが、ほむらはマミを顧みることなく去っていった。

 疑惑はほぼ確信に至った。
 正義の味方は、私たちの味方にはならない――これが意味するものは、ひとつ。
魔法少女が、いつか人に仇為す存在と化すから。

――暁美ほむら。もしかして、あなたも私と同じ気持ちを抱いたの……? 
いつか魔法少女は魔女になる。だとすれば彼と私は……私たちは相容れない存在なのだと――

「マミさん……マミさん!?」

「あの……大丈夫ですか? 何だかぼぅっとしてましたけど……」

「美樹さん……鹿目さん……」

 二人に呼びかけられて、ようやく我に返るマミ。どうやら、またしても自分の世界に没入していた。
 不安げな目線を左右から送られ、

「大丈夫……本当に大丈夫だから、もう一人で歩けるわ」

 腕を掴む手を振り解いた。
 まだ万全からは程遠いが、歩く分には問題ない程度には回復している。
仮に無理だとしても、弱みを悟られるのは先輩としての体面が許さない。
 故にマミは虚勢を張り、背後からひたひたと付いてくる足音を聞きながら出口を目指した。

 ほむらは何もせずに帰ったらしい。ビルの玄関脇では、変わらず助けた女性が寝息を立てていた。
 マミは彼女を抱き起こして首筋を確認。魔女の口付けは消えていたので、軽く身体を揺する。

「う……ん……」

 やがて女性は目を瞬かせ、ゆっくり覚醒した。意識が戻り、現状を認識するにつれ、彼女は身を震わせる。
 面倒なのは、ここからである。

「やだっ……私……どうして、あんな……!」

 彼女は酷く怯えていた。
 魔女に操られている間の記憶は朧げでも残っているのだろう。
 特に落下時の迫る地面を、身を切る風の感触や寒さを、身体は鮮明に覚えているのかもしれない。

「大丈夫ですよ……。もう何も心配いりません。ちょっと悪い夢を見ていただけ……」

 およそ二十代前半から半ばくらいだろうか、マミよりもずっと年上の女性。それが幼子のように震えている。
 マミは彼女を抱き寄せ、そっと背中や頭を撫ぜる。優しく、彼女が落ち着くまで、ずっと。
 それは張り詰めていたマミが今日初めて見せた、さながら慈母の如き笑み。

 マミの心に温もりと共にじわりと湧き起こるのは、誰かを救った、救えたという実感。
この瞬間だけは魔法少女をやっていて良かったと思える。
取り分け今は、崩れそうで壊れそうな自分を繋ぎ止めてくれる気さえした。

 数分後、どうにか落ち着いた彼女は、涙を拭いて息を整える。
 マミはそっと身体を離し、

「もう大丈夫みたいですね……。それじゃ、私たちはこれで……」

 立ち去ろうとした。その時、

「待って!」

 名残を惜しむかのように、彼女の背中を撫でていた右手が握られる。
振り向くと、彼女の真剣な眼差しがあった。

「私……うっすらと覚えてる。ここで何を見たか、何をしようとしたのか。
とても恐ろしい怪物だった……。
それに、あなたの黄色いリボンが私を受け止めてくれたことも覚えてる。
お願い、少しでいいから話を聞いて。それと、よければ話を聞かせて。
何でもいい、私にお礼をさせてほしいの」

 彼女の瞳は、未だ不安に揺れていた。
 魔女は人の心の隙間に浸け込む。
操られる人間には操られるだけの理由が、多少なりともある場合がほとんど。 
 だからといって、普通なら助けた人間に深入りなんてしない。
あれこれ追求されたり、秘密をばらされても面倒だからだ。

――でも今は、今だけは……。

 彼女の悩みを聞いてやることも、彼女を救うのに必要なのではないか。
つまり、これも魔法少女として当然の責務。
 常ならあり得ない思考が生まれた。

 自覚はあった。
 そんなもの、自分を誤魔化し、納得させんとする詭弁に過ぎないと。
 だが、止められなかった。

 自分を魔法少女として、敬意を持って見てくれる人物を求めていた。
 唯一の存在意義を認めてくれるなら誰でも良かった。
 まして黄金騎士なんて知りもしない人間なら尚更いい。

 もうひとつ。
 彼女は年上で、包容力もありそうな大人の女性だった。これだけは、まどかやさやかには望めない条件。

 彼女はマミの左手も取って、両手で包み込む。
重なる手から、しっとりと柔らかい感触と温度が伝わってくる。

 この瞬間、はっきりと理解した。
 自分がしてきたことは、そのまま自分がして欲しかったこと。
与えるだけでなく、与えられることを欲していた。渇望していた。

「はい……少しなら」

 数秒後、マミは微笑んで頷く。
 表面上は迷う振りをしながらも、内心は怒涛のような歓喜に支配されていた。
 マミの了解を得て、彼女は喜びも露わに、遅い自己紹介をする。

「ありがとう! 私の名前は命……夕木命(ゆうき みこと)。あなたは?」

 *

 鋼牙は左手を胸まで上げながら、廃ビル内を歩く。ビルの中には一切の気配はなく、
しかし粘りつくような淀んだ空気が溜まっていた。

「どうだ、ザルバ?」

『残留思念を感じる。これは相当な数の人間が喰われてるな』

 薄暗い廃墟を見回しても、あるのはコンクリートの壁と瓦礫と寒々しい空白。
結界内で行われる殺戮と捕食は、目で見る景色からは痕跡を発見できない。
 魔戒騎士の勘が何かあると告げてはいるものの、詳細までは知る由もなかった。
頼みの綱は、やはりザルバなのだ。優秀なレーダーがなければ、騎士も力を振るえない。

 鋼牙は時折ザルバと会話を交わしつつ、十数分かけてビルを一通り歩き、屋上まで上がってきた。
夕暮れの冷たい風は少し寒いが、戦いで火照った身体には心地いい。
遠くビルの谷間に日は沈み、じきに夜の帳が下りようとしていた。

『ふぅ……ようやく、すっきりしたぜ』

「ザルバ。何故、ここに来るまで探知が曖昧だった?」

 ザルバが一息ついたのを切っ掛けに、鋼牙は、ずっと引っ掛かっていた疑問を口にした。
マミの部屋を出て以来、ずっとザルバの受け答えは曖昧だった。
 普段の彼であれば、まず考えられない不調。
場合によっては魔戒法師にメンテナンスを頼まねばならないが、今は問題ないのが不思議だった。

『ああ、言っただろう、この街は異常だってな。
ただでさえ魔女もホラーも一緒くたになって、居場所が掴み辛いってのに。
おまけに、あいつ……まどかだ。あんな強烈なのが近くにいたんじゃ、ろくに探知もできやしない』

「そういえば鼻が利かないと言っていたな」

 ザルバがどのように感じているのか以前に聞いた記憶があるが、
多分に感覚的なもので説明し辛いと言っていた。
だが敢えて人間で言えば嗅覚だとも。では、今は嗅覚が狂った状態に近いのか。

 広範囲に種々様々な臭いを配置して、識別する様を想像してみる。
ひとつひとつの臭いが強ければ強いほど、識別は困難になる。
そこへ格別に強いものが間近にあれば、個々の判別は不可能。

 まどかの潜在能力は表出こそしてないが、鋼牙やマミ、ほむらも感じている。
昨日の朝のように、ザルバであれば更に強く感知しているに違いない。

『お前たち人間にわかるように言うなら、そんなところだ。ま、優秀過ぎるのも玉に瑕、ってことだな』

 冗談めかして言うザルバに構わず、鋼牙は黙考する。
 魔導具とは異なり、魔法少女のソウルジェムは魔女のみを指して発光する。

 意思も言葉も介在しないが、それ故に単純で明快。
今の見滝原の、こと魔女狩りで言えば、ソウルジェムが最も有効だろう。
 それを知っていれば、マミが何やらむきになる必要もなかっただろうに。

 すると突然、ザルバの声で思考が中断された。

『まだ終わっちゃいないぜ、鋼牙。ホラーの気配を感じる、と言っても、今はいないがな』

「今は……だと?」

『あぁ、このビルにゲートが開き、ホラーが拠点にしている。まず一体は確実に。
つまり、どんな思惑か知らないが魔女と同居していたようだな。
用心しろよ。ここは差し詰め、魔女とホラーの城だ』

 だとすれば、易々と侵入を許すはずがない。
 たまたまホラーが街に出ていた?
 或いは誘い込まれたか。それとも――。

 一瞬で数多の可能性が浮かぶが、鋼牙は何より先に屋上のフェンスに駆け寄り、人がいないかを確認する。
 下にはマミたちも、自殺を試みた女性の姿もなかった。
 マミが保護して離れたのだろう。ひとまず安心してもよさそうだ。

 これから訪れるホラーの時間に、自分がどうすべきか。
 思索を再開する鋼牙だったが、言い知れぬ漠然とした不安は、いつまでもこびり付いて離れなかった。


――GARO――

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最終更新:2012年07月01日 23:56