とにかくうるさい事が特徴である。電車の音、救急車と消防車の音が夜に響き渡る。
令和元年度の寮長は「現状維持即之落伍」という内容の激励をした翌日、何の因果か脚立から落ち両足骨折をしてしまった。リハビリが長引き復帰は翌年3月、最終退寮日前日。台風が来るというので垂れ幕回収のために脚立に乗っていたので普通に気の毒。お大事に寮長。その間の寮長は博多の寮長sの元締めさんが務めていた。
令和六年度の寮長は基本的に優しい人だが人によって態度の差が少しある。九州出身の男はキレやすかったり自己中だったりという偏見があったが、別にそんなことはなかった。
ひとつ隣の錦糸町に大体なんでもあるので他の寮より娯楽に恵まれている。
24年度の東京学寮は大変荒れており、必ずコロナ感染者や自宅謹慎者がいて全員が揃うことは、なかなか珍しい。
7月には大量の他室訪問が発覚して過半数が自宅謹慎処分となった。
最終更新:2024年08月10日 16:47