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SS6

―――――狂風が身を叩く。

咆え唸りながら宙を翔け、私へと牙を剥く姿なき獣。

異能ではなく、技術でもなく、それらに支えられただけの暴力により。

素振りの風圧が暴威となって、彼我の狭間で荒れ狂う。


まったく、巫山戯ている。常識という概念に喧嘩を売っているのか。

斬撃を飛ばす程度なら、確かに私にも容易だ。両親もできる。知人の内何人かも可能だろう。

しかし剣技のけの字もなく、肉体のスペックで可能とする者は流石にいない。

よくぞまぁ其処まで変化われる程、思い込みを強められるものだ……などと。

迫る風を打ち払いつつ、呆れを脳裏に過らせていたら。

一際大きな衝撃波が、土煙を巻き上げながら飛んできた。

これは払い除けられそうにないな、と短く思考。取る手はひとつ、受け流し。


手の鉄棒と風の刃が噛み合い、あまりの威力につい踏ん張ろうとするも。

それでは駄目だ。目先の脅威に足を止めては、次なる彼の一手が届く。

抗うな、止まるな、動き続けろ。極小の身動ぎを積み重ね、手中の圧力を従えて。

一刹那にも満たない攻防を経て、見えざる暴を飼い慣らす。得物で以て空を巻き取りつつ、前後反転。

既に背後で剣を振り被っていた対手へ、勢いをそのままに解き放つ。


瞬間、空気が爆ぜた。

炸裂する衝撃が肌を刺し、骨身を揺るがす。

そして一拍遅れてくる、豪速の幹竹割り。刃でなく鍔に棒を添え、流しながら自身も流れ。

剛剣の威力に押し流されるように、彼の懐へと飛び込んだ。

其処は剣の間合いより更に内、拳足が支配する原初の闘争圏。

素手と素手の殴り合いなら、私が不利だと判断できる。

体重差、体格差、筋肉の質・量の差、その他諸々。概ね全て向こうが上だろう。

相手を利する間合いへ踏み込む、剣士として致命的過失。


そんな道理は斬り捨てる。


ほぼ密着した体の隙間に、鉄棒を通し。喉を捉えながら、他の手足を胴へ絡めて。

体重移動と関節の捻りを上手く使い、勁を練りつつ吸い上げる。


やはりこの人は、あまりにも術理と縁遠い。

嘘も誤魔化しも駆け引きもなく、筋肉が一直線に意を伝えてくる。

だからこそこの距離であれば、読むも操るも他愛ない。


二人分の力を載せて、刺突が喉を穿った。

斬るとも刺すとも、打ち据えるとも異なる手応え。肉を潰すこの感触は、どうにも慣れない。

手から伝う嫌悪感を抑え、絡み付かせた手足を離そうと身動ぐと。

自分で思うより疲れていたのか、離れる前にふらついてしまった。

私が、ではない。今しがた喉笛に石突を叩き込んだ、眼前の男性が。

痛打に意識を手放した彼が、私ごと仰向けに倒れ掛かる。

咄嗟に棒を手放した。空いた片手を後頭部に回し、軽く引き寄せる。

頭からでなく、せめて背中から倒れられるように。

果たして目論見は成り、二人共に横たわった。

意識は? まだない。気絶した振りならすぐ理解る。

この人は言葉こそ回りくどいが、言外の反応は素直だから。

『体は正直』というあれだろうか。流石は父上、よき言葉だ。


………折角なので、無防備なこの人を観察してみよう。

一枚岩から削り出した彫刻のような、重厚な筋肉の鎧。

触れればゴムの塊にも似た感触が、指を俄かに押し返す。

逞しさ、男らしさとは、このことを言うのかと思いを巡らせ。

右腕から胸板にかけてを無遠慮に突き回し、指先に返る弾力を愉しむ。

そして手は徐々に胸を上り、首筋を通って頬へ。

こちらは首から下と裏腹に、柔らかくしなやかな手応えを感じる。


それにしても若々しい。私と同じか、より一回り上くらいにしか見えない。

何の冗談だ、これでアラフィフなんて。常識という概念に喧嘩を売っているのだろうか。

私の両親とは歳の差がダブルスコアだそうだが、とてもそうとは思えない。

二人の若作りも大概だが、この人はそれ以上だ。


それもこれも宿す異能と、狂気と紙一重と謳う想像力の産物。

持てる才覚を磨き抜くまで、どのような地獄を練り歩いてきたのだろう。

苦渋を耐え忍ぶために、何を拠り所としてきたのだろう。

掌中の頬肉を弄びながら、そのようなことをちらほら考えていると。

何となしに目に留まる、開けた前髪から覗く額。

染みのひとつとしてない其処に、つい視線が引き寄せられてしまう。


徐に、油性ペンを取り出した。

携帯していた場所も理由も、一切を忘却の彼方に押し遣る。

今この瞬間に、肝要となるのはたったひとつ。この額に落書きすることだ。

書いたっていいじゃないか、人間だもの。心中でそう言い訳しつつ、指先の震えを抑えて。

書き込みの邪魔とならぬよう、前髪をもう少し開き、片手で軽く押さえ……準備完了。


それでは、伊座―――――筆先を目的地へ近付ける。意気込みと、自身と共に。

その時、背後から足音が聞こえた。音が聞こえるまで気付かないとは、随分と気を抜いていたようだ。

咄嗟に首だけで振り返れば、視界に入るのはよく知る顔。血を分けた妹たちの片割れ、上の方。

しかし私が声をやる前に、呆然としたまま走り去ってしまった。

『おねえちゃんが、おねえちゃんが』と、譫言の如く呟きながら。


あの様子ではどうも、誤解を招いてしまったかもしれない。

遠からず父上の耳に入るだろう。その時、話がどのように拗れているのか。

私が押し倒されたような話が伝わるのは拙い。早急に誤解を解くべきだろう。

溜息と共に、標的に視線を戻す。目覚めている様子は、未だない。


やれやれだ、まったく。

今はまだ、この人を手放す訳にはいかない。

彼の剣がこの身を貫き、悲願を達すその時までは。


脳裏を掠める血腥い未来を、夢幻へと還すために。


額に『肉』の字を書き残してから、妹を追って駆け出した。

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最終更新:2020年01月01日 20:41