呼ぶ声-後編


おぞましい邪悪な声が頭に鳴り響くと同時に、私の足に何かが絡み付いた。
見下ろすと、トロデーンの城を覆っていたのと同じ茨が巻き付いている。
どうして、こんなものが・・・。
何一つできないままに、次々に茨が巻き付き、私の身体は宙高く吊り上げられてしまった。
耳鳴りがする。頭に雑音が鳴り響いて気持ちが悪い。
バギやギラ、しんくうはが下から放たれているのはわかる。仲間が私を救おうとしてくれている。でも、何も見えない。何も聞こえてこない。
私に見えるのは、ただ闇だけ。聞こえてくるのは頭に直接響いてくる声。
忘れることなんて出来ない。かつて私を支配した、おぞましい暗黒神の声。
『我が肉体を、あのような汚らわしい像に封じた憎きシャマルの血を引きし者よ。完全な目覚めの時は近いようだな。再びその身体、我が貰い受けよう。我が肉体を封印し賢者の末裔が、我が新しき肉体となる。その皮肉に悲しむシャマルの姿が目に浮かぶようだ』
闇か、私の中に入り込んでこようとする。また同じことを繰り返すの? ご先祖様への当てつけで私の身体を利用しようとするなんて、そんなのひどすぎる。

・・・いいえ、そんなことにはならない。
私はもう、あの時とは違う。
兄さんの仇を討つことだけ考えて、ドルマゲスへの憎しみで心を満たしていたから、そこを暗黒神に付け込まれた。仲間すら憎んで殺そうとしてしまった。
今は違う。仇を討ちたい気持ちはもちろんある。でも私が今戦う理由は、これ以上の悲しみを生み出したくないから。こんな『悲しい』が口癖のようなヤツの言いなりには、二度となるもんですか。
何度も同じ失敗を繰り返すのは、ただのバカよ。私はもう、決して闇には飲まれない。
目を閉じると、仲間の放つ魔法の気配を感じる。みんな優しいね。私まで傷つけないように、力加減してくれてるのがわかる。遠慮なんてしなくていいのよ、思いきりやっちゃって。私、そのぐらい何ともないから。
だけどとりあえず、今は自分で何とかするわ。もう一発ぐらい暗黒神を殴ってやりたい気持ちはあったのよね。
耳鳴りのせいで、うまく呪文に集中できない。でもそんなこと言ってる場合じゃないわ。
「ベギラゴン!」
絡み付いていた茨が激しく燃え上がり、次々に燃え落ちていく。


だけど、後少しで戒めから完全に解かれ自由になれると思った矢先、私の身体は振り上げられ、遠くの壁に向かって力任せに投げ付けられた。
うそ・・・!
いくら何でも、こんな早さで壁に叩きつけられたら死んじゃうわよ。
バイキルト! は意味なさそう。スカラ! はダメ、私使えない。
どうしてこういう時ってスローモーションに感じるのに、何もいい考えが浮かばないの?
もうダメ、絶対死んじゃうー!!
まるで意味ないのはわかってるけど、目をつぶって歯をくいしばった。

息が詰まるような衝撃。脳が揺らされてクラクラする。
でも、覚悟していた程の痛みはない。想像していたほど、ここの壁も固くない。
・・・そんなわけないじゃない。この感触を私はよく知っている。今まで何度も私を助けてくれた腕。ずっとずっと、守ってきてくれた人。
ようやく顔を上げた私の目に映ったのは、頭から血を流し、苦痛に歪んだククールの顔。私が壁に叩きつけられる直前に、自分の身体を入れて庇ってくれたんだ。
「・・・そんな顔するなよ。前に言ったろ? ゼシカが落ちてきた時はオレが受け止めるって。スカラを重ねがけてあるから大したことない、大丈夫だ」
決して軽いキズじゃないのは、すぐわかる。でも私を見る目も、かけてくれる声も、たとえようもないほど穏やかで優しい。
・・・言いたいことはたくさんあるのに、唇が震えて言葉にできない。胸が一杯で何かが溢れそうなのに、どう表現していいのかわからない。
ただ指を伸ばして、額から流れ落ちてきたククールの血をそっと拭った。

『どこまでも目障りな奴・・・。また貴様が邪魔をするのか!』
血まで凍りつきそうな憎悪に満ちた声に、私の身体は固まった。目の前の空間に、邪悪に光る目だけが浮かび上がる。
『往生際の悪い人間よ。賢者の力を受け継ぎし者共・・・。貴様らだけは許さん。まとめてこの場で死ぬがいい。未来永劫苦しみ続ける、死の呪いを受けよ!』
悪意と憎悪の固まりが、呪いとなって牙を剥く。決して抗えない、圧倒的な力が襲いかかってきた。
「ゼシカ!」
この傷ついた身体のどこにそんな力が残ってたんだろう。私の身体はククールに突き飛ばされ、床に投げ出された。
そして、呪いに捕らえられたククールの身体が死に蝕まれ、全てを失って崩れ落ちるのが見えた。

それから、この不思議な泉に来るまでのことは混乱していて、よく覚えていない。
頭に残っているのは、再び私を襲った呪いを、駆けつけたエイトが跳ね返してくれたことと、闇の世界から現れた魔物に襲われたのを、レティスが救ってくれたことだけ。

エイトが何十回目になるかわからないザオラルを、ククールに向かって唱えている。
ラプソーンはあの時、確かに『死の呪い』と言った。だから、この泉の水でその呪いが解けるかもしれないという一縷の望みをかけたのだけど、水を口に含ませても、ククールはそれを飲んではくれない。
MPの尽きたエイトが、泉の水を飲んで自分を回復する。さっきから、もう何度もその繰り返し。でも、いくらMPを回復させても、ザオラルなんていう高度な呪文を使い続ければ、身体も精神も消耗する。エイトの顔は土気色になっている。
「もうやめて、エイト・・・」
ククールの身体に手をかざしザオラルを唱えようとするエイトの腕を、おさえて止めた。
「そう、でしょう? ククール?」
自分のために無茶してエイトが倒れたりしたら、嬉しくないよね。あなたがそういう人だってこと、私、ちゃんとわかってるよ。
でも、ククールは私のこと、わかってくれなかったね。私だって嬉しくない。こんなふうに守ってもらったって嬉しくないのに!
「ククール・・・」
血が乾いてこびりついている頬にふれる。さっきはあんなに温かかったのに、冷たく固くなってしまった頬。全ての表情を失って、もう二度とは動かない。
「ククール!」
どんなに呼んでも、もうククールは私を見てくれない。
私の呼ぶ声に応えてはくれない。
私の名前も呼んではくれない。
どうしてこんなことになっちゃったの? 私のことなんて放っておけば良かったのに! 私が死んだら生き返らせてくれれば良かったじゃない。蘇生呪文覚えたって言ってた人が死んじゃってどうするのよ!

『ザオリク』

言葉が唐突に、私の中を電流のように駆け抜けた。
・・・ザオリク? 以前ククールが話してくれた。初めのうちは耳鳴りと雑音だったと。呪文の集中の妨げになっていた蘇生呪文。
私の中にもそれが宿っているの?

「・・・っリ、ク・・・」
言葉が喉につかえる。どうしても声にできない。
どうして? 蘇生呪文なんてものがあるとするなら、必要なのは今なのに。こんなふうに使えない呪文なら、どうして存在したりするの?
お願い、誰か教えて! どうすればいいの? どうすれば助けられるの?
「ククールっ・・・!」
私を置いて行かないで! 戻ってきてよ!

『ゼシカがキスの一つもしてくれれば問題解決さ』
つい数時間前の言葉が不意に頭の中に蘇る。でも軽口の思い出じゃない。何かを私に伝えようとしてる。
ククールの顔を見ると、閉じられている唇の奥で何かが光っているように見える。そして、私の喉の奥から突き上げてくる、何か。
『美貌の騎士は、美しいレディのキスで永い眠りから覚めましたってな』
おとぎ話でもかまわない。今なら、どんなことでも出来る。
私は何かに引き寄せられるように、ククールの唇に自分の唇を重ねた。

何かが私に流れ込んでくる。今まで感じたことのない程の強いエネルギー。迸るような魔法の力。ほどけていた二本の糸が一つに紡がれ、生み出される言葉。それは奇跡の呪文。
「ザオリク」
その言葉を口にすると同時に、私の意識は遠のいた。

何もない空間。でも闇の中ではない。ずっと遠くまで見渡せる。寒さも感じない。痛みもない。でも私はひとりぼっち。何て空虚な世界。
どうして私はこんなところにいるの? ここは死の世界? それとも本当は私、ずっと夢を見続けていただけ? いつから? どこから? もしかしたら、自分が生まれて生きていたことすら、全てが夢だったの?
「ゼシカ」
・・・背後から、耳に心地よく響く声。ずっとずっと、もう一度聞きたいと願い続けてきた声。振り向いたその先にいた人は・・・。
「サーベルト兄さん・・・」
「そうだよ、ゼシカ」
明るい薄茶色の髪。まっすぐ伸びた背筋。強い意志を宿した瞳。間違いない、本当にサーベルト兄さんだ。
「兄さん!」
私は思わず兄さんにすがりついた。
「兄さん! 兄さん、お願い助けて・・・」
声と一緒に涙が溢れた。心がどうしようもなく痛んで引き裂かれそうだった。


「ククールを死なせないで。お願いだから、ククールを連れていってしまわないで!」
「ゼシカ、大丈夫。彼はもう戻った。彼には強い護りが付いている。心配しなくていい」
兄さんが優しく抱き締めてくれる。・・・強い、護り?
「私たち賢者の封印を継ぐ者は、こうなる時が来るのを知っていた。だからそれぞれ、自分が最も信頼できる人間に『力』だけを託してきたのだ。彼は『神の子』と呼ばれた奇跡の予言者の末裔より、その力の全てを授けられている。こんなことで死んでしまったりはしないよ」
・・・それは、オディロ院長?
「そして私の持てるものの全ては、もちろんゼシカ、お前に託してある。今はまだ完全に目覚めてはいないが、何も恐れずに自分の道を進むだけの力を、お前は持っているんだ」
「兄さん・・・」
兄さんの指が、私の頬を流れる涙を拭ってくれる。
「今度こそお別れだ、ゼシカ。もう大丈夫だね? お前にはもう私は必要ない。お前を守ってくれる人は、もうちゃんとそばにいるのだから」
兄さんの姿がぼやけてくる。いいえ、私の姿が薄くなっているんだ。
「いつでもお前の幸せを願っているよ」
待って、まだ話したいことがいっぱいあるのに・・・。

「にい、さん・・・」
見慣れた天井が目に映る。ここはベルガラックのホテル。
今のは夢? でも頬には、涙を拭ってくれる指の感触。
「おいおい、この期に及んでまだ『兄さん』かよ。今日ぐらいオレの名前を呼んでくれても、バチはあたらねーんじゃねぇの?」
・・・これは夢? でも、この声。この話し方。ちょっとイタズラっぽく笑う顔。月の光のような銀の髪と、澄んだ湖のような静かな蒼い瞳。
「ククール・・・」
私はゆっくりと身体を起こす。少し目眩がした。
「なんてな。冗談だよ。ゼシカが何度もオレを読んでくれるのが聞こえてた。だからオレは、こうして戻ってこられたんだ」
「ククール!」
気持ちが抑えられなくなって、私はククールに抱き着いた。
「ゼシカ、ちょっ、待てっ、って・・・」
ククールが慌てふためいた声を上げ、次の瞬間にはバランスを崩し、二人で床に引っ繰り返ってしまった。
「ああ、ちくしょう、みっともねえ」
ククールがくやしそうに呟くけど、私は何が起きたのか、よくわからない。

「オレも結構弱ってるみたいでさ、実は立ってるのがやっとだったんだよ。一度死んだせいか、ザオリクで消耗したせいなのかは、わかんねえけど。でもレディ一人抱きとめられないのは情けねえな」
「ごめんね、知らなかったから。痛かったでしょう?」
・・・ちょっと待って。
「今、ザオリクって・・・」
・・・私も言えた。
「ああ、言えるようになった。多分あれは、一回こっきりで使い切っちまう呪文だったんだな。自分の中から消えてしまったのがわかる」
うん、私の中にももうない。あれはたった一度だけの奇跡。それも、二人でやっと一回だけの魔法だったんだ。

「すごい音がしたけど、どうしたでげすか?」
ヤンガスが扉を開けて入ってきた。
「・・・お邪魔したでがす」
だけど、すぐに扉を閉めて出ていってしまう。
・・・もしかして、この体勢、誤解された?
「ちが~う! 待って、これは誤解よ。そうじゃなくて!」
「いいじゃねえかよ、別に。減るもんじゃなし」
ククールは全然動じてない。
「減るわよ、何かは!」
まして、これだと私の方が襲ってるみたいじゃないの!
「何かって、何だよ」
おかしそうに笑い出すククール。もう二度と聞けないと思ってた声。そう思ったら、また急に涙が出てきてしまった。ククールの指が再びそれを拭ってくれる。
「・・・さっきもずっと『兄さん』って言いながら泣いてたけど、悲しい夢でも見てたのか?」
・・・兄さん? そう、夢の中で私、兄さんと会った。そして大切な話・・・。
「どうしてくれるのよ! せっかく兄さんの夢見てたのに、忘れちゃったじゃないの!」
「おい! それ、オレのせいかよ!?」
「そうよ!」
・・・思わず顔を見合わせて笑ってしまう。でも不意に頭をよぎった不安。自らの居城を取り込んで、完全に復活してしまったラプソーン。まだ終わらない戦い。
「大丈夫だ、ゼシカ」
全てを察したようなククールの言葉。
「はっきりわかる。次で最後だ。ラプソーンはもう逃がさない。心配しなくていいぜ」
「・・・うん」
ククールがそう言うなら間違いない。だっていつもそう。まるで未来が見えるように、私たちに助言してくれていた。次で最後・・・。そして勝つのは私たちだと。
<終>






最終更新:2008年10月24日 03:09
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