「ごめんゼシカ。本当はこういう時、もう離れないって言わなくちゃいけないんだろうけど、すぐにそうする訳にはいかないんだ。空が赤くなったことと、ゴルドが崩壊したせいで、マイエラ修道院に巡礼に来る人間が増えてる。
当然ドニの町にも人が多く来るんだけど、あそこの教会はシスター一人しかいないから、オレが手伝わないとちょっと大変なんだ。しばらく寂しい思いさせるけど、わかってほしい」
悲しげに曇るゼシカの顔を見るのは、胸が痛む。
「一段落着いたら、必ずリーザス村へ行く。だからそれまでゼシカには待っててほしい」
三カ月も待たせておいて、ようやく想いを伝えた直後にまた待てなんて、我ながらひどいとは思う。でも先延ばしにすれば、余計に失望を大きくさせるだけだ。
暗黒神ラプソーンのせいで起こった異変は、世界中のほとんどの人間を恐怖に陥れた。
なのに、ラプソーンがもたらす破滅に関してはもう心配いらないと、証明する術が無い。
結果、人は神にすがろうとする。サヴェッラ大聖堂と同じように、マイエラ修道院にも救いを求めた人間が集まってくる。道中には、闇の世界やラプソーンの空飛ぶ城から来た、普通の人間には歯が立たない、凶悪な魔物が待ち構えていることも知らずに。
それは何も、マイエラ地方だけの問題じゃないのはわかってる。
でもやっぱりあそこは、オレにとって特別な場所だ。親代わりになって育ててくれた、オディロ院長が治めていた修道院。自分勝手なことばかりしてたオレを、仕方ないというような顔をしながら、笑って受け入れてくれてた人たちのいるドニの町。
どうしても、この手で守りたい。ラプソーンのせいで現れるようになった魔物だけは、どうにかして根絶やしにしたいんだ。
「できるだけ早く、ゼシカの所に行けるようにする。・・・今は、それしか言えない」
この期に及んで隠し事をしてると思うと、罪悪感でいっぱいになる。
だけど全てを話せば、ゼシカもオレと一緒に戦おうとするだろう。それは絶対にいやだ。
こんないつ終わるかもわからない、最終目的のはっきりしてない擦り減るだけの毎日に、ゼシカを巻き込みたくない。
「うん・・・わかった、待ってる」
スカートのすそを握り締め、寂しさを堪えながらも、真っすぐ顔を上げて答えてくれるゼシカ。
いじらしいその姿に、オレの方が離れがたい気持ちになった。
※ ※ ※
人間て贅沢なものだと、つくづく思う。
つい数時間前まで片思いだと思ってて、ククールも私を好きでいてくれてるとわかっただけで幸せなはずだったのに、また離れ離れにならなきゃいけないと言われて、思いっきり沈み込んでしまった。
「ゼシカ、デートしようぜ。今日一日はゼシカの好きなことに付き合うからさ。何でも言う事きくよ」
なのに、泣きそうな気分はククールのその一言で一瞬にして吹き飛んだ。
我ながら本当に単純にできてると思う。
今の私の望みはたった一つ。一緒にいられれば、それだけでいい。
そう伝えるとククールはルーラでベルガラックにとび、カフェでテイクアウトのお弁当と飲み物を買って、今度はトロデーン城へと移動した。
だけど目的地はお城じゃなくて、少し歩いたところにある湖。あまり大きくはないんだけど、底が見えるほど水が澄んでいる、とても綺麗なところ。
暖かい陽差し中で、柔らかい草花の匂い嗅ぎ、風に揺れる水音を聞く。
三カ月も会わずにいて、言いたいことも訊きたいこともたくさんあったはずなのに、話をするのはもったいないような気までしてしまう。
ただ手をつないだまま地面に寝そべって、ゆっくりと時間を過ごした。
それだけで、泣きたくなるほど幸せだった。
陽が沈みだし、辺りが茜色に染まると、呪いから解けて暗雲が消えたトロデーンの城はオレンジの背景の中で夢のように美しいシルエットを映し出す。まるで絵画の中にいるような錯覚さえおこしてしまう。
そして空の青と夕日の赤が交じり合い、紫色に染まった空は徐々に赤を失っていき、代わりに星たちの煌めきへと変わっていく。
・・・夜になってしまった。
「さすがに夜になると冷えるな。・・・行こうか」
ククールのその言葉は、今の私には刑の執行のように聞こえてしまう。
「イヤ。まだ今日は終わってないもの。私のいうこと、何でもきいてくれるって言ったわ。お願い・・・せめて朝まで、一緒にいたい・・・」
手も声も震えてしまう。ククールは少し驚いたような顔をして私を見ている。
心臓が爆発しそうだけど、このまま離れてしまうのは絶対イヤ。
「・・・意味、わかって言ってるんだよな?」
私だって子供じゃない。意味はもちろんわかってる。でもとても言葉にはできなくて、ただ黙って頷くしかできなかった。
※ ※ ※
正直、少し驚いた。
まあ自然な流れではあるんだけど、まさかゼシカの口から、あんな言葉を聞けるとは思ってなかった。
でも完全に心の準備はできてないんだろうな。その証拠に、バスルームに入ったきり全然出てこない。先に風呂を使ったオレの髪が、もうほとんど乾くほどの時間だ。
急かさずに待つつもりでいたが、ノボせてるか湯冷めしてるかのどっちかだろうから、ドア越しに声をかけてみる。
「ゼシカ、大丈夫か? いつまでもそんなとこにいると身体壊すぞ」
「ま、待って。今出るから」
ひっくりかえったような声が返ってくる。少なくとも溺れてはいないらしい。
少しして、バスローブに身をつつんだゼシカが出てきた。ガッチガチに堅くなってるのがわかる。普段あれだけ露出度の高い格好してるくせに、こういうところがアンバランスだよな。
「長湯したから、喉渇いたろ? そんなとこに突っ立ってないで、こっち来て座れよ」
できる限り、いつもと変わらない調子で声をかけ、ゼシカの手をとりソファに座らせる。グラスにワインを注いで差し出すが、受け取ろうとする手が震えてて、どうにも危なっかしい。
「・・・怖いんなら無理しなくていいんだぞ。そんなことしなくても、今夜はちゃんとそばにいるから。またオディロ院長作のダジャレでも聞かせてやろうか? 未公開のがまだまだあるぜ」
「やだ、やめてよ。あの時は笑い過ぎてお腹痛くなったんだから」
ようやく少し笑ってくれた。ワインをゆっくりと飲み始めてる。
ふと、ゼシカの髪がかなり濡れた状態なのに気づく。バスローブの肩の辺りに、水が落ちて滲んでいる。
「髪の毛、濡れたままだと風邪ひくぞ」
タオルで頭を拭いてやる。今夜はありったけの理性を総動員して、優しく紳士でいよう。今までさせてきた分と、これからしばらくの間させる寂しい思いを、少しでも埋め合わせしたい。
その時は確かに本気でそう思ったんだ。
でも、突然ゼシカがオレの胸に飛びこんで、自分の身体を押し付けてきた。
「私・・・子供じゃないわ」
ありったけ総動員したところで、オレの理性の総量なんてタカがしれてた。
だけど、これで紳士でいられるヤツがいるわけない。もしいたとしたら、そいつは紳士を通り越して男じゃない。
せめてもう一つの方、優しくすることだけは忘れずにいようと、自分に言い聞かせた。
※ ※ ※
頬に手を添えられて顔を上に向けられる。
「本当にいいのか? これ以上先にいったら、もう止まらないぞ」
本当は逃げ出したいくらい怖い。心臓が止まりそう。でも朝になったらまた一緒にいられなくなる。このまま離れたら、絶対に後悔する。
「・・・抱いて」
言い終わると同時に、唇がふさがれた。昼間のような優しいキスじゃなくて、食べられてしまうんじゃないかと思うほどの激しさ。
息が苦しくなるほどの時間それが続いて、ようやく解放されると同時に抱き上げられてベッドへと運ばれ、バスローブの紐が解かれた。
もう私はされるがままになるしかない。
「あ、あの・・・私、初めてだから・・・」
蚊が鳴くようなかすれ声しか出ない。
「わかってる。全部まかせてくれればいい。力抜いて、楽にして」
もう頭の中グチャグチャで、何も考えられない。
ただ時々『大丈夫か?』と問いかけてくるククールの言葉に何のことがわからないままに『大丈夫』と答えるだけ。
怖さも、痛さも、恥ずかしさも、息苦しさも、なにもかもが今まで知らなかった感覚ばかりで、泣きたくなる。
ククールはすごく優しくて、ずっと気遣ってくれて。そのことは嬉しいはずなのにその一方で、私はこんなに緊張してるのに、余裕たっぷりな態度が、にくらしくさえなってしまう。
だけど、ふれあってる肌のぬくもりだけは本当に温かくて。それを感じてる間は、不思議なくらい安らいだ気持ちになれて。
ずっとこのままでいたいと、そう願ってしまった。
だから、全て終わって気が緩んだ時、思わず口走ってしまった。
「離れたくない・・・ずっと一緒にいたい」
困らせるだけだとわかってる。でもどうしても我慢できなくて、涙が溢れてしまう。
ククールは一瞬、辛そうな顔になって、その後すぐに強く抱き締めてくれた。
ヤキモキしたこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、幸せだったことも寂しさも、全然何も整理ができてなくて、自分でも信じられないくらい大声で、小さな子供のように泣きじゃくってしまった。
でもようやく我慢してた言葉を吐き出せて、気持ちはずっと楽になっていった。
※ ※ ※
可哀想なことしてるんだと、つくづく思う。ゼシカにしてみたら、オレが想いを打ち明けたことも、すぐに一緒にいられないことも、突然に押し付けられたことだ。感情の整理がつかなくて当たり前だ。
なのにそれでも、ずっと一緒にいるとは言ってやれない。本当にオレは、どこか感情が欠落してるとしか思えない。
「ごめんね、わがまま言って。泣いたら、なんかちょっとスッキリした」
少しして顔を上げたゼシカの声には、確かにいつもの調子が戻ってきていた。この立ち直りの早さには随分救われる。
オレはテーブルにワインとグラスを取りにいく。
「喉かわいたろ? ゼシカの声ってかわいいよな。何度も抑えが効かなくなりそうになった」
途端にゼシカはうろたえる。
「な、何て言い方するのよ、バカ! どうしてそうやって、いっつも私をからかうの?」
「ムキになるのが可愛いから」
「何よ、意地悪」
そう言ってスネた感じで顔を背けたゼシカは窓の外を見て、こう続けた。
「ククールって、月に似てるよね」
突拍子もないことを言われるのは毎度のことだが、今度は何を思ったんだろう。つられてオレも窓の外を見上げる。
旅の間は不思議と満月ばかりが目についたけど、今日は弓の形に良く似た三日月だった。
「欠けたり満ちたりする気まぐれな所がそっくりよ。さっきまで優しかったと思ったら、急に意地悪になるんだから」
毒舌まで戻ってきた。相変わらず的確にツボを突いた辛辣さだ。
「でもどんな形でもキレイよね。気まぐれでも、いつでも好き。だからあんまり意地悪しないでね。それでも嫌いになれないから、よけいくやしいのよ」
いつでも真っすぐなゼシカは、愛情表現も本当にストレートだ。真っ正面からぶつかってくる。
オレはいつも自分には何かが欠けてると思ってた。強い感情が苦手で、愛情も憎しみも、自分自身で持つことも受け入れることも出来ずにいた。
・・・そうだな。もしオレがゼシカの言ってくれた通り、月に似てるとしたら・・・。
雲に隠れて、光が当たってなかっただけなのかもしれない。
もしゼシカのように真っすぐ正面から、光りを当ててくれる人がそばにいてくれるのなら・・・。
案外そこには、どこも欠けていない自分、なんてものを見つけることが出来るのかもしれないな。
※ ※ ※
ドアの閉まる音で目を覚ます。一瞬、ククールがどこかに行ってしまったんじゃないかと慌てて飛び起きるけど逆だった。
ククールはもう完璧に身支度を整えていて、どこかに行って帰ってきたところだった。
「ごめん、起こしちまったか。服買いに行ってたんだ。昨夜調子に乗りすぎて、ちょっといつもの格好じゃマズいから」
まだちょっと寝ぼけてる私は、言われたままにククールから渡された袋を受けとり、バスルームに移動する。
ククールが買ってきたという服は、私がリーザス村にいた時の普段着のような、窮屈そうな白のブラウスだった。私が動きにくい服は好きじゃないって知ってるのに、どうしてなんだろう。でも、せっかくわざわざ買いに行ってくれたんだから、一応着るけど。
そして、バスローブを脱いで鏡を見て気がついた。首の回りとか胸元が、虫さされみたいに赤くなってることに。
・・・もしかして、これって話だけ聞いたことがある・・・。さっきククールが言ってた『調子にのりすぎた』って
お母さんに見られでもしたら、どうなると思ってんの? しばらくこんな窮屈な服着てなきゃなんないじゃないの。先まで見通してるような顔して、こういうところで考え無しなんだから!
リーザス村の入り口まで、ククールがルーラで送ってくれた。
またしばらく離れ離れだけど、三カ月前とは違う。あんなに悲しい別れじゃない。
「・・・ほんと、ごめん。寂しい思いさせる」
「いいのよ。それより無理しないでね。私、ちゃんと待ってるから」
「ああ・・・じゃあ、また」
ククールが意識を集中してルーラの呪文を唱える。
・・・と、思ったのに、呪文は中断され、ククールはいきなり私の肩をつかんだ。
「一カ月だ。それ以上は待たせない。っていうか、オレの方が我慢できない。一カ月後の今日、必ずここに来るから、それまでの間だけ待っててくれ」
そして、そのまま私の返事も聞かずにルーラでとんでいってしまった。
・・・ククールって、あんなに慌ただしい人だったっけ?
何か本当に、忙しく変わる人だから、今だに掴みきれないわ。
でも約束してくれた。一ヶ月だけ待てばいいって。
一緒にいられないのが寂しいのは私だけじゃなかったんだって。
そう言ってくれたのと同じなのよね、きっと。
<終>
最終更新:2008年10月24日 03:52