どうしていままでわからなかった?
――…ちくり。
胸をさす小さなトゲに気づいたのは、あの不思議な泉へ行ってから。
泉の水の効果で、一時的に呪いのとけたミーティア姫は、その限られた時間のすべてでエイトと話をすることを望んだ。
エイトと話をするミーティア姫は、とてもうれしそうに笑って、きらきらしてて。
エイトは、姫さまの望みを叶えてやることにひたすら一生懸命で。失われた時間を取り戻すように。
ふたりは話す。
ああよかった、と安心する傍ら、私のなかで次第に大きくなってゆく、この痛みはなんなの?
―――いいえ、私、ほんとはこの気持ちがなんなのか知ってる。たった今気づいたばかりだけどね、
自嘲気味に鼻で ふ、と笑ったあと、ゼシカは遠くでなおも楽しそうに会話しているエイトとミーティアに背を向けた。
…バカじゃないの、
そう、小さくつぶやいてうつむいた。
今ごろ気づくなんてね。
…私は、エイトが好きだったのよ。
「おーーこわ、けっこうひどいこと言うんだなゼシカちゃん」
聞き覚えのある軽薄な声にゼシカはぱっと顔を上げた。
――ククール、
こんなときに、一番会いたくない奴に会った。
「ひどい、ってどういうこと?」
言われた意味がわからずゼシカは眉をひそめてククールに訊ねた。ククールはニヤニヤと薄笑いを浮かべてゼシカをちらりと見やる。
…なによ。
その目で私を見ないで。
ゼシカはククールにまっすぐ見つめられるのが苦手だった。
幾多の女性を虜にしてきたであろう、彼の青い目。視線。そんなものに自分のペースが乱されると思うとしゃくだった。
そんな彼の視線から逃れるべく、ゼシカはぷいとそっぽを向いた。するとククールが口を開く。
「女の嫉妬は怖いねぇ」
ゼシカは、ククールの言葉をとっさには理解できなかった。
…?
一瞬の静寂のあと、言葉の意味を理解したゼシカはかっとなって手をあげた。
「ちがっ……!」
―バカじゃないの、―
あの言葉の意味は。幸せそうな二人に妬いて嘲ったわけじゃなくて。
…ただ、自分がふがいなくて。
ふと気づくと、思わず振り上げたゼシカの右手は、ククールの頬に届かぬうちに、彼の左手によって制されていた。
――放してよ、
ゼシカは低くつぶやき、ククールをにらみつけた。ククールは相変わらず薄笑いを浮かべたままだ。
……やだね、
そう言って彼がゼシカを見下ろすと、ふたりの視線がぶつかった。
苦手なククールの視線から逃れるべく、ゼシカは慌てて目を反らそうとした。だがその刹那、ぐっと顔を向きなおされた。
それはククールによるものだった。ゼシカの顎に彼の手が添えられている。
彼はまだ薄笑いを浮かべている。だが、その青い瞳はまっすぐにゼシカを見つめている。瞬きさえ惜しむように。
ゼシカは直感した。
奴は自分の言葉の真意を見抜きつつこんなことを言ってくるのだと。
…最低、と投げかけ、ククールをにらんだ。今度は決して彼の瞳から目を背けぬように、せいいっぱい。
「いつもこうやって女の子落としてるんでしょ?」
そう言ってゼシカは ふふ、と口元だけで笑ってみせた。
「まあね。でもゼシカは、特別」
そうさらりと言ってみせるククールに、ゼシカはあきれて顔をしかめた。
「…バッカじゃないの」
次の瞬間、ククールが放った言葉はゼシカの予想からはまったくかけ離れたものだった。
「その言葉を待ってたよ」
――は?
ゼシカはわけがわからず茫然としてしまった。そんなゼシカをよそに、ククールは言葉を続ける。
「ゼシカはさ、俺にはエイトと話すときみたいにかわい~いことは言ってくんなくてさ」
ゼシカの顔がかっ!と火をつけたように赤くなる。エイトと話していると、何だか安心して、自分らしからぬ弱気なことまで言ってしまうことは自分でも何となく自覚していた。
でも――こいつ、こんなことまで知っていたなんて!
いつエイトとの会話を聞かれていたのだろう。恥ずかしくてムキになったゼシカは再び手をあげようとするが、まぁ最後まで聞け、とまたもやククールに制された。
「俺にはキツーーいことばっかり言うけど、それも含めて本音を話すだろ?」
「自分を責めるのなんかやめちまえよ。あの言葉は俺にだけ言ってればいいんだ」
―バカじゃないの―
いつも軟派なククールに対して呆れてゼシカが投げかける言葉。
「俺はいつも、君を受けとめる準備はできてるんだぜ?マイハニー」
そう笑ってククールはゼシカの肩を抱きすくめた。薄っぺらそうな響きの言葉とは裏腹に、強く。
「ちょっ………!」
ゼシカは抗議の声を上げた。が、めずらしくすぐに抵抗するのをやめ、ククールの腕のなかでぽつりとつぶやいた。
…………バカじゃないの。
その声は、心なしか震えていて、涙混じりだった。
最終更新:2008年10月22日 19:19