本日は過酷な旅の、束の間の休息日。
トロデ王は三角谷へピュア・ギガンデスを嗜みに、エイトは姫様と共にふしぎな泉へ、
ヤンガスは久々にパルミドへ寄り、知り合いに顔を見せに行くという。
「ククールとゼシカはどうする?」
「わたしは部屋でのんびりするわ。おいしい紅茶とお菓子でも買って。読みたい本もあるし」
「そうだな、街でレイピア研ぎに出そうと思ってる。あとは適当にブラブラして、
気が向いたら酒場でも行くかな。ベルガラック戻って久々にカジノ三昧ってのもいいか」
「わかった。ぼくは泉か、泉のおじいさんの家にお邪魔してるから、何かあったらそこに来て」
みなが了解、とうなづく。
では解散じゃ!とのトロデ王の浮き足だったかけ声で、ぞろぞろと動き出す一行。
外に出ようとしたエイトが扉の手前で思い出したように振り返り、
「そうそう。君たち、ケンカしないでね。君たちのケンカは必ず物が壊れるんだから。仲良くね」
にっこり。
ククールとゼシカが唖然としている間に、扉はパタンと閉じられてしまった。
「…やっぱエイトってヤな奴だなぁ」
頭をかきながら、さほど困った風でもなくククールがぼやく。
「なにがよ?私はほんとに今日は、部屋でゆっくり過ごそうと思ってるんだからね」
「オレと?」
「ひっ、ひとりでよっ!!」
「へー。オレにいちにち会えない日なんてそうそうないけど、寂しくて泣いちゃったりしない?」
余裕たっぷりの笑みで、ゼシカの顔をのぞきこむ。
「へ い き ですッ!!」
顔を真っ赤にして肩を怒らせる彼女をクックッと笑いながら、
「OK。まぁどっちにしろ、オレも本当に鍛冶屋には行くつもりだからさ。
…じゃあ今日はここでお別れか。久々の休日、せっかく2人きりで過ごせるのに残念だな」
後半部分をいかにも切なそうに告げると、途端にゼシカの顔がわずかに曇った。
「べ、別に…絶対、離れていたいってわけじゃないけど…」
「ひとりがいいんだろ?」
「そんなこと言ってないじゃない!」
ゼシカが困ったように反論する。計画通りの展開に、ククールはたちまち上機嫌だ。
「じゃあ、用事がすんだら、ゼシカに会いに来ていい?」
ゼシカは照れているのをごまかすために、不機嫌な表情で小さくうなづくしかなかった。
「………何よ。寂しくて泣いちゃうのはククールの方じゃないの」
「正解」
ゆるむ頬を隠しきれず、ククールはゼシカのおでこに、行ってきますのキスをした。
街での用事に思ったより時間がかかり、再びククールがゼシカの部屋の扉をノックしたのは
それから何時間も経ってからだった。
「ゼシカ?」
応答が聞こえたような聞こえなかったような。居眠りでもしているのかとそっと扉を開くと、
ゼシカはソファに深く腰掛けて、文庫本を熱心に読みふけっていた。
帰ってきたククールにも反応無しだ。当然不満顔でククールはゼシカの隣に腰かける。
「ただいま」
「…あ、うん」
ただいまに対してあ、うん、はないだろうと、ますます眉間にしわをよせる。
「おい、もう本読むなよ」
「…うん」
「ゼーシーカー」
「…うん、ちょっと待って」
今目が離せないところで…などと呟きながらページをめくるゼシカが何を言っても
聞こえないほど熱中しているのは、いかにも女の子の好きそうなラブロマンス小説。
すぐ傍で、香りさえ伝わる距離にいながら、目線すら交わせないこの状況はなんだ。
どんな焦らしプレイだよ。オレは待てを命じられた犬か。ご主人様には絶対服従か。
大体目の前に本物の君だけの騎士がいるのに、紙の上の王子様の方がいいってのかよ?
本を取り上げることは簡単だが、そうすれば確実にケンカになる。せっかくの2人きりの午後を
台無しにしたくはなかったし、エイトに釘を指されている以上、それは避けたかった。
…となれば?
何気なく本に添えていた右手をふと取られた。
ちらりと視線をやると、ククールがゼシカの指の一本一本を確かめるように触ったり、
爪の先を撫でるようにして遊んでいる。
一瞬上目遣いの視線がこちらを挑むように見つめたが、すぐに伏せられた。
特になにも思わず(それよりも本の続きが気になって)、右手をククールの好きにさせて、
ゼシカは再び本に視線を戻した。
…………途端。
「…ッ、ちょ…」
妙な感触に思わず見返ると、まるで誓いを立てる騎士のように、ククールが
ゼシカの手の甲に口付けている。思わず引っ込めようとする手は強く掴まれ、赤らんだ顔で
言葉に詰まるゼシカにおかまいなしで、ククールは何度も何度も口づけを繰り返す。
そのうち手の平を返され、そこにも幾度となくキスを降らせる。
たまりかねてキツく名を呼ぶと、ククールは手の平に口づけたままニヤリと笑った。
その笑みにムッとして、ゼシカはすぐに視線を本に戻す。表情を平静に保ち、
ククールのセクハラまがいの”作戦”を、完璧に無視しようと決めたらしかった。
キスの嵐は指先の全て、爪先のひとつひとつに行き渡っていた。
明らかに情より欲が滲み出ている、熱く狂おしく重ねられ続ける口付け。
湿った口唇と、湿った吐息。手の側面から手首にまでも口唇を辿らせる。
単なる愛おしむ行為を越えて、もはや愛撫といってよかった。そしてそれは完全にわざとだ。
冗談交じりの品のないジョークやスキンシップには目をつり上げて激怒するくせに、
ククールの”本気モード”には、途端に絶対的に逆らえなくなってしまう彼女を知っている。
そしてやはりククールの”本気”に当てられて、怒ることも拒むこともできず硬直してしまったゼシカ。
必死で動揺を隠そうと視線を泳がせ、はやる鼓動を抑えようとするので精一杯で。
「!」
ふいに中指の関節をカリ、と甘噛みされた。
強張っていたゼシカの表情が弱々しいものに変わるのを、ククールは指を口に含んだままじっと見ている。
「…クク…」
漏れ出た艶っぽい呟きをあえて無視し、細い指先をゆっくりと口内にくわえ入れたところで、
ついにゼシカがバサリと本を手許に落とした。
「…………もうやめて。降参」
思いきってククールを振り返り、ゼシカはこれ以上ないくらい赤く染まった顔でそう告げた。
名残惜しむように指先にチュッと口づけると、ようやくゼシカの右手を解放する。
作戦成功。ククールは勝利の笑みを満面に浮かべ、一言。
「かまって♪」
「………もうッ、ほんっっと!」
ゼシカは呆れるしかなくて、でもさっきまでの”本気”の雰囲気なんてもう少しも感じさせない、
子供のように無邪気に笑うククールが可愛く思えて仕方なくて、まだ熱い右手を彼の頬に当てた。
「甘えんぼ!!」
勢いのままにおでこにキス。
ククールが幸せそうに声をあげて笑うので、ゼシカは頬をふくらませてプイと顔を背けた。
「散歩でも行こうか」
「うん」
「どこがいい?」
「どこでもいいわ」
ククールの左手が、今度は優しく、ゼシカの右手を握った。
最終更新:2008年10月27日 04:22