暴走クク2

混み合う前に入った酒場で軽く酒を飲んでいた。
それほど客のいない店内で、少し離れたところにいる5,6人の男達の集団から聞こえてきた会話。
いい女だの、いい身体だの、すげぇ胸だの。それ以外の特徴からも、すぐにゼシカの話題だとわかった。
ピクリ…と神経が反応するが、ポーカーフェイスでさらに耳を傾ける。
すると、話はなんとも不穏な方向に流れ始めた。
―――夜道で襲う、などと。
どうやら常習犯らしい。心底からの嫌悪をこめて舌打ちをする。さらに男の一人が、
その女のいる宿は調べがついている、そしてさっきどこそこにいたから、帰りはあの道を通るだろう―――と
周到な計画を話しだしたのが聞こえた瞬間、無意識に乱暴な音を立てて立ち上がっていた。
てめぇらなんかがゼシカをどうにかできると思ってやがるのか。身の程を知れ。
罵りは声に出さず、振り返りもせずに酒場をあとにした。
たいして飲んでなどいないのに、瞬間的にわき起こった異常なほどの不快感と妙に落ち着きなく騒ぐ胸の内で、
持て余した怒りと苛立ちがどんどん募っていくのを感じていた。

数時間前、街の子供達と遊んでいたゼシカ。少し魔法を使って見せると、子供達はたちまち夢中になった。
彼女はいつまででも付き合ってやる気みたいだったが、自分はすぐに面倒くさくなり、
早く帰れよ、と声を掛けてさっさとその場から退場し、酒場に向かったのだ。

今もそこで子供達の相手をしているか、周辺にいるか。もしくはすでに宿に帰ったかだろう。
頭ではわかっているのに、あの連中の虫酸が走るようなツラが脳裏から離れず、オレの悪い予感が警告を発していた。
みっともなく、焦りが足にも顔にも出ているのがわかる。でも歩みを緩めることはできない。
ようやく目的の場所に辿り着いたが、目立つ彼女の姿は周りを見回しても見当たらなかった。
もう夜も更けようとしているのに、広場にはまだ子供が数人残っている。
入れ違いか、とすぐさま踵を返そうとして、あ、さっきのお兄ちゃんだ、と叫ぶ子供に何気なく尋ねた。
「さっきのおねえちゃんは帰ったのか?」
「うん。まじっくぱわーがなくなっちゃったから、って」
―――その言葉の重大さに気付くのに数秒かかった。
一気に全身に血が駆けめぐり、そしてすぐに血の気が引く。気付くと足は再び全速力で走り出していた。

奴らが話していたと思われる路地に入り込み、必死で彼女の姿を探す。
その間にも沸々と怒りは沸き続け、その矛先は薄汚い連中よりも、なぜか完全にゼシカに向かっていた。
普段から何度も言っているのだ。しつこいくらいに、新しい街に来るたびに、言い聞かせてきた。
しかしアイツは、オレが真剣に言えば言うほどそれを本気だとは受け取らない。オレの信用云々もあろうが、
結局意地を張っているだけだ。素直に頷くことができないのだ。だから無駄に反発する。それに自分の
力を過信している。男と女の根本的な差をわかっていないのだ、あの箱入りは。
いい加減腹が立ち、好きにすればいいと思ったこともある。誘っているとしか思えない格好をして
一人で街をフラフラすれば、そのうち嫌でも危ない目に合うだろう。オレだって護るのに限界はある。
いつでもどこでも都合良く騎士が現れてくれるわけじゃない。それを思い知ればいいと。

―――その結果がこれかよ。
オレは目の前に転がる無様な男達の姿を半ば呆然と見下ろしながら、心の中で呟いていた。
自制など効くはずもなく、勝負は一瞬だった。殺してはいない…だろう。多分。保証はないが。
そしてすぐに興味を失う。こんな連中どうでもいい―――ゼシカは。
その時、角を曲がった奥の方向からパタパタと足音が近付いてきた。

………オレは思わずハッと笑っていた。
ちゃんと、このタイミングで。こいつらがまさに待ちかまえていた、この道をしっかり通って。
武器を持たず、魔法も使えない、無力な女が。なんの警戒心もなくやってくる、その事実。なんて愚かで滑稽な…

も し も 今 こ の 場 に オ レ が い な か っ た ら

そう考えて気が狂いそうになった。
なのに抑えた口元から漏れ出るのは、押し殺した笑い声で。
沸き上がるのは安堵ではなく、激しい苛立ち。そして荒れ狂うような…愛情と欲望。
突き刺すような視線を感じて、空を振り仰ぐ。巨大な満月が、オレを見下ろしていた。


                         *

「―――イヤァッ………!!!!」
引き絞られた甲高い悲鳴に、ククールは唐突にピタリと手を止めた。
片手で一つにまとめあげ、抑え込まれていた両手首がふいに解放され、ゼシカは力無くズルズルとその場に座り込む。
震える手で乱れた服に手をかけしばらく呆然としていたが、次第に顔を歪ませ、両手で顔を覆って泣き始めた。
ククールはそれを無言で見下ろす。かける言葉すら出てこない。今の状況がまるで夢の中の出来事のように、
現実感を伴わないことが不思議だった。確かに自分がやったことなのに、さっきまでの自分が違う誰かのようで。
しゃくりあげ、嗚咽をくり返す小さな身体は今にも壊れそうで、あまりにも弱い。
視界に入るのは、細い手首にはっきりと残った己の指の跡。そして強引に吸い付き好きなだけ舌を這わせた、
むきだしの首筋に残る幾つもの赤い跡。ククールはようやく自分がしてしまったことをはっきりと自覚した。
それでもなぜか、謝罪の言葉を告げる気にはなれなかった。
「………………ったのに」
ゼシカが肩をひくつかせながら、
「………ごめんなさいって、言ったのに………!!」
両指の隙間から漏れ聞こえた精一杯の非難に、ククールは苦しげに目を眇める。
確かに彼女は、乱暴な行為の最中に、何度もごめんなさいとくり返した。荒い息を紡ぎながらまるでうわごとのように。
そして自分はその声には耳を向けず、無理矢理口唇をふさいで懇願にも似たその言葉すら封じこめた。

そういう問題じゃないんだよ、ゼシカ。ほらお前はまだ何もわかってない。ひどい男にこんな目に合わされても、まだ。

ククールは無言で自分のマントと上着を彼女にかけ、静かに抱き上げた。
抵抗されるかと思ったが、もうそんな気力も残っていないようだった。

腕の中で、ゼシカはずっと泣き続けた。
本当に切り裂いてしまう前でよかった。だからといってひどい行いをしたことに変わりはないが。
謝るべきなのだろう、当然だ。しかしククールは、やはりこうなってしまった責任は彼女にもあると思う。

―――お前が悪いんだ、ゼシカ。お前がオレを狂わせるから。

ふと、夜空を見上げる。雲が月を隠し、あたりを真の闇に染めていた。

                        *

『満月』・・・満月は、犯罪や自殺、狂気、精神疾患、災害、出生率、狼男伝説などの原因だといわれている。






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最終更新:2008年11月12日 12:51
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