婚約者の任務

「…いいですかククールさん。これはアルバート家に婿入りする貴方にとって重要な任務です。
 アルバート家の一人娘の命に関わることなのですから。決して失敗してはなりませんよ」
キリリと、ゼシカそっくり(いや遺伝子的には逆だろうが)の凛々しい表情でキッパリと
そう告げたアローザさん…つまり近い将来のオレの義母は、普段キッチリと結わえられている
ヘアスタイルをほつれさせ、お召物もいささか乱れた状態で、ゼシカの部屋の前に仁王立ちしていた。
ボロ…ッ  という擬音が漂いそうなその姿に、オレは思わず
「…ホイミかけましょうか?」
と尋ねてしまったが、
「け っ こ う で す 。わたくしではなくあの子をどうにかなさい。これは代々ゼシカの父、
 サーベルト、そしてわたくしに引き継がれてきた、とても困難な任務なのです。婚約者ともあろう者が
 これしきの難関を乗り越えられなければ、あの子の夫になる資格はないものとお思いなさい」
「…了解しました」
オレは大人しく頭を下げた。
眉間にしわを寄せたままふぅ、と大きなため息をついて階段を降りていく、やっぱりかなり
ボロボロな雰囲気を醸し出す背中を見送っていると、「まったく、体ばかり大きくなって…」
という嘆きが聞こえた。

オレは閉ざされたその扉を振り返る。
―――さぁて、どうしたもんかな。

                      ××
そろそろ冬も本番かというこの寒い時期。アルバート家にはすでに年中行事と化している、
とある一大イベント…一大騒動…があるのだと、メイドのメイちゃんが教えてくれたのはつい最近だ。
サーベルトがいた頃はそれでもまだ穏便になんとかコトが運んでいたのだが、サーベルトの死後は、
アローザさんとゼシカが髪を振り乱して取っ組み合いのケンカを繰り広げるという、
考えただけで恐ろしい…メイド達にとっても頭の痛い行事なのだと彼女は語った。

父、兄、母…と担ってきたその役割を、ゼシカの婚約者となったオレが今年引き継ぐことになったのは
当然すぎる流れで…というか誰もこんなお役目引き受けたがるわけない。要するに押しつけられたわけだ。
暴れる、殴る、蹴る、ひっかく、引っぱたく、さらに母親相手にはさすがに使わなかった魔法も、
オレになら躊躇なくぶっ放してきやがる。おかげで満身創痍だよこのバカ。
しかしまぁ、男の力技でもって強引に「現場」まで連れてきてしまえばあとはどうにでもなるだろうと
思っていたので、オレは殴られても燃やされても、とりあえずなんとか彼女をここまで連行してきたわけだ。
「イーーヤーーーーーアアアアァァァァァ!!!!!!!ヤだああ!!!!!!」
「ハイハイハイハイわかったわかったからちょっと落ち着け、って痛エッ!!」
「ヤだヤだ絶対イヤなの!!いやいやいやいや離してバカバカもおおおおお!!!!!!」
「いー加減大人しくしろっお前はッッッ!!!!!!!」

目の前で医者とナースが、苦笑するしかない、といった感じで気まずい笑いをこぼしている。
手元には一応、注射器の準備。一向にそのタイミングが訪れないから困っているのであるが。

この季節、油断するとあっという間に村全体に蔓延してしまうインフルエンザ。その予防注射、である。
ゼシカが、この世で3本指に入るほどダイッキライ!なものの中にランクインしているのがこれだ。
はじめて聞いた時は耳を疑った。虫はおろかそんじょそこらのモンスターにもひるまないコイツが、
ガキじゃあるまいし注射が苦手?そりゃ得意なヤツもいねぇだろうが、むしろ「これくらいで病気が
防げるなら安いものだわ!」とか言いそうなのに。
…しかしこの嫌がり方はハンパねぇ。無理やり連れてこられた診察室で、
逃げないように捕まえていたはずのオレの身体にいつの間にかしがみつき胸に顔を埋めて、
時折オレを無作為にボカボカ殴りながら、ひたすら半泣きでヤダヤダと駄々をこね続けている。

う~~~~~~~~ん。
……かわいいなコノヤロウ。

イヤイヤそうじゃなくて(殴られながら悦ってる場合じゃない)。
この凄まじい嫌がりようを見るに、なんつーかとにかく注射ってもんに漠然とした恐怖感があるみたいだな。
トラウマでもあんのか?それとも尖端恐怖症とかそんな感じか。ゼシカみたいに豪胆な性格だと、かえって
あーいうほっそいものが自分の体に刺さるという事態に、無条件でビビっちまうのかな。
とにかく、“ゼシカに注射を受けさせる”という任務を遂行しないことには、
オレの将来におけるアルバート家での立場はないに等しい。ここは腹をくくるしかない。
しかしなだめすかすのも一苦労だなこりゃ。
…とりあえず想像の中のサーベルト義兄さんのマネっこでもしてみるか?とっておきのスマイルで…
「ゼシカ、ほんの一瞬だから、な?ちょっとだけ我慢しよう?」
「イヤッッッッ!!!!!!!!離してよバカぁ!!!!!!!!」
…ダメか。てかオレにしがみついているのはゼシカの方なんですけどね。
「ほらオレがついててやるから。すぐ終わるって」
「イヤなの!!怖いの!!!!」
「怖くない怖くない」
「痛いのイヤー!!」
「痛くないって」
「ヤだヤだ怖いこわい!死んじゃうーー!!!!」
あーだこーだと問答をしてゼシカの気を逸らしながら素早くドクターに目配せをすると、
ドクターは隙をついてゼシカの腕をとり、袖をまくった。
すかさずナースがそれをがっちりと固定する。オレもなんとか暴れる体を押さえようとするが、
腕を捕られたことに気づいたゼシカはますますキャーキャーと大騒ぎして、危ないことこのうえない。
針を刺すんだからこんだけ動いちゃ問題だろ。変な風に刺さるのはごめんだし、リテイクはまずきかない。

「………ふぅ」
オレはひと息ついた。これはもう、やり方を変えなくちゃなるまい。手段を選んでる場合じゃねーな。
恋人として、婚約者としてのオレにしかできない裏技。
もちろんこのやり方は、自分にとっても大いに有意義な方法である。
「ゼシカ」
できうる限りの落ち着いた声音でそっと名を呼ぶと、グスグスと泣きながらオレのシャツの胸元を
グチャグチャにしていたゼシカが、散々泣きわめいてさらにぐちゃぐちゃになった顔をあげた。
真っ赤にはらした目と、最大級の不満顔。…まったく、ホントにただの子供だ。かわいすぎる。
オレはその頬を両手で引き寄せ、すかさず額に口づけを落とし
「………怖がってるゼシカ、カワイイ」
甘い囁きと同時に今度は口唇をふさいだ。

ビキッッ!!…と音を立てたように硬直したゼシカ。その時間を少しでも引き延ばすために、
人前でするには少しばかりイキすぎた濃厚なキスをしなければいけなかったわけだが。
その間、ゆうに10秒。
腕のいいアルバート家お抱えのドクターは、この機を逃さずあっという間に処置を済ませた。
口唇を放した時には、すでに針を抜いたあとに、ナースがガーゼをしっかりと貼り付けていた。
呆然とするゼシカに、オレはにっこりと笑う。
任務完了。



  ××
「…ホイミ」
情けない溜息をつきながら、オレは自分の顔に呪文を唱える。
あのあと恐怖とか羞恥とかでわけわかんなくなったゼシカに、思いっきり横面ひっぱたかれてこのザマだ。
そんな彼女はというと、ベッドに座っているオレから一番遠い対角線上にペタリと座り込み、
枕を抱きしめて背を向けている。細い肩は丸まって、無言の非難をぶつけているようだ。
「…ゼーシーカ。ごめんなって。お医者さんの前であんなことしたのは謝るから」
「…バカ」
「ごめんな。でも注射なんて知らないうちに終わっちゃっただろ?」
「……………………ホントにイヤだって言ったのに」
思いきりすねた声。
「仕方ないだろ、予防接種はしなきゃいけねぇんだから。村のためにもさ」
「…怖いものは怖いの」
「お前が先導しなきゃいけない立場だろ?わがまま言わねぇの」
「子供っぽくたっていいもん…」
ありきたりな慰めじゃ全く応じようとしない。嫌がりように年季入ってるだけあって、
理性や訓練で克服できるものではないらしい。まぁ誰にだってオレにだって、何をどうしても
これだけは勘弁してくださいお願いしますというものがあるものだ。
それを毎年 選択肢なしで強引に強要されているのだから、確かにかわいそうかもしれない。
「でもなぁ、ゼシカ…。オレもお義母さんも、何もお前を泣かせたくてやってるんじゃないんだぜ?」
「わかってるわよ…でも」
「ゼシカがイヤがること無理やりやって嫌われたって、ゼシカがひでぇ風邪ひいて苦しむのを見るぐらいなら、
それでもかまわないんだよ。オレも、お義母さんも」
愛情があるからこそなのだと。
やさしい笑顔でそう言うと、ゼシカは枕から顔をあげ、もそもそと戸惑いがちに身体をこちらに向けた。
怒ってるような困ってるような、まだ文句は言い足りないけれど、でも、という顔。
オレはそんな彼女に腕を伸ばしそっと手の平を差し出した。
「――-おいで」
いいかげん機嫌直して、触れたい。
ゼシカはしばし躊躇したあと、ベッドの上をひざで少しずつこっちに進んできた。
おずおずと伸ばされた指先が触れた瞬間、有無を言わさず引っ張ってその体を抱き込む。
すっぽりと納まったゼシカは、ふう、と小さな吐息をつきながら、オレの背中に腕を回してきた。
「…ククールの、バカ…」
「機嫌直ったか?」
「なによ、こんなのでごまかされないわよ」
「ハグじゃ足りない?じゃあ…」
華奢な身体を抱いたまま、二人して当たり前のようにベッドに倒れこみ
「お医者さんの前じゃ絶対できないことをしてあげよう♪」
ウィンクするオレに、ゼシカは真っ赤になって絶句している。かわいすぎる反応に思わず吹き出した。
―――そういえば。
「しっかしお前、注射打つ時に“怖い、痛い、死んじゃう”ってさ。まったくおんなじこと言うんだもんなぁ」
「そ…っ!!そんなこと言っ…?!」
「言ってたぜー何回も」
恥ずかしさのあまりますます赤くなるゼシカに、笑いを抑えることができない。
「…でも…おんなじって?なんのこと?」
「オレがはじめてゼシカに注射した時も、まったくおんなじこと言ってた」
「は?ククールが、私に注射?なんのことよ?」
この程度の比喩も通じない無垢なゼシカが愛しすぎて、つい悪ノリして耳元で囁く。
「――-痛いけどキモチイイ、ゼシカが大好きな注射」
今から打たせていただきます、と言ったら、ようやく理解したのか全身全霊でバカ、と怒鳴られ
またも平手張りされそうになったので、その手を掴んでシーツに押し付けて、かわいい口唇も
さっさと塞いでしまった。

お義母さん、引き続き、任務続行します。
…あーオレあんまりかわいいゼシカが見れたんで、ちょっと調子乗ってるかも。
まぁ、いいか。












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最終更新:2009年01月17日 14:54
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