「はいゼシカ、これバレンタインチョコのお返し」
「わぁ、ありがとうエイト!素敵なドレス!」
「錬金で作ったから元手もかかってないようなものだし、防御も高いから一石二鳥ってことで」
「あはは、ほんとね!重宝するわ、ありがとう」
目の前でいきなりエイトがゼシカにひかりのドレスを手渡した時、正直オレは愕然とした。
―――今日っていわゆるホワイトデーかよ!!
当然何も用意していない。しかしオレも2月14日にはゼシカからチョコをもらっている。
小さい、でも多分一生懸命選んだんだろうなと思わせる、かわいらしいチョコだった。
チョコそのものよりそれを渡しに来た時の、「別に他意はないんだけど、あんたにだけ
渡さないわけにはいかないでしょ」とかなんとか言いながら若干ほっぺを染め
素っ気なくオレの手を取ったゼシカの、あまりの可愛さに身悶えた覚えがある。
愛の言葉付きでも、熱いキス付きでもないただのチョコだというのに、その小さな包みを、
今まで星の数ほどもらってきたチョコなんか足元に及ばないほど嬉しく思った。
可愛い、だけじゃなくて、ほっとけない、だけじゃなくて、もしかしたら、好き、なのかもしれない。
でもあんまり深く考えてない。
結論なんか出す必要はない。
オレ達は一緒に旅をしている。いつでもそばにいる。それだけでいい。
―――しかし深く考えなかった結果、大変困ったことになった。
あの朴念仁のエイトでさえ、金のかからない、恩着せがましくない、気の利いたお返しを
しているというのに、このオレがゼシカに何も返さないとかあり得ないだろ!
じりじりと内心で滂沱の汗を流しているオレに、2人がふと気づいた。
「何してるんだいククール?」
エイトの人のいい笑み。しかしオレはその裏に隠された意図を読み取る。
だてに四六時中 行動共にしてるわけじゃねぇぞ。てめ、オレが何も用意してなかったこと
知っててこういうシチュエーション仕立てやがったな!?
しかし何か言い返すほどの材料がこちらにはない。ぐぬぬ、と睨みつけていると、
「ねぇククール、エイトがこのドレスくれたの。素敵でしょ?ちょっと着替えてきていい?」
とゼシカが嬉しそうに言ってきたので、オレは少々焦った。
オレからのお返しがないことなどどうでもいいというか、考えてもいないらしい。
それはそれで気に食わないというか…
……しかも他の男からもらったドレス着たいとか言われてもなぁ…
―――グイッ
「ククール?」
オレはほぼ無意識にゼシカの手を引っ張っていた。
「それはあとでいいからさ。あっち行こうぜ」
「はぁ?」
眉をひそめるゼシカの手から、バサリとドレスを奪ってエイトに突っ返す。
「オレもゼシカにお返ししたいんだ」
「ちょっと、何勝手に…ククール!」
有無を言わさず彼女を連れて、街の中をどんどん進んだ。
感情にまかせてゼシカを連れてきてしまったものの、もちろん何を考えていたわけでもない。
今ここで渡せるものなんか何もない。あったとしても、そんなその場しのぎのものを適当に
ゼシカに渡すわけにはいかない。返すからには喜ばせたい。しかも絶対的に、だ。
どうすればいいか。明晰な頭脳をフル回転して、オレは考える。
「……ね、ちょっとククール、痛いよ」
ゼシカの訴えに我に返り、わりぃと言いながらいつのまにか強く握ってしまっていた指の力をゆるめた。
でも掴んだ手首は離さない。歩みを止め、改めて向き合う。ゼシカは呆れたような顔をしている。
「なんなのお返しって。別にそんなのいいのよ、気にしないで」
「でもオレはゼシカから愛のこもったチョコをもらったわけだし」
「何度も言うけどね、あれは義理なの!愛なんてこもってません!」
「そうかな…オレは存分に感じたけどね、ゼシカからの秘められた熱い想いを」
「勝手に勘違いしてなさいよ!このうぬぼれ屋さん!」
ぷんぷんと肩を怒らせるゼシカに笑いがもれる。それでも手を振り払われないのが嬉しい。
そういえば最近、ゼシカはオレの差し出すエスコートの手を拒絶しなくなった。
宿の部屋割りも、野宿で隣同士に寝る時も、以前はやたらとオレの存在を警戒していたのに、
気付けばあまりそういうのを意識しなくなっている。
仲間、としての信用。
彼女の中でオレという存在は、馴れ馴れしいケーハク男から信頼できる仲間へといつのまにか
ランクアップしていた。それ以外の部分はよくわからない。例えば、男としてはどうだとか。
ただ、そばにいるだけじゃなく触れることを許してくれるようになったっていうのは、
普通に考えれば、脈はナイよりはアリだと思う。
そういや変わったと言えば、態度だけじゃなくて言動も変わった。
たいていは今みたく小気味いい色気のないやりとりばかりだが、時折…こう
頼ってくるというか、すがってくるというか、要するに甘えてるような言動をとることがある。
普段のほとんどはそんなことはない。女だからと特別扱いされるのは未だに嫌がるし、
こっちから甘やかすような発言や行動をとればたちまち反発してくるのだから。
…しかし、本当にたまに、ふとした瞬間に、いつもの強気なオーラが薄れる。
そういう時には大概、オレのマントの裾を掴んでいる。
彼女の変化に気づいていないフリをしてどうかしたか?とさりげなく尋ねると、
困ったような顔で見上げてきて、何かしらの「おねがい」を言ってくる。
本当にどうでもいいようなことだ。高いところにあるものを手が届かないから取って、とか。
うまくいかないから髪の毛を結って、とか。嫌いなものを食べて、とか。
わがままにも満たないおねがい。でもオレがそれにつけこんで、普段のようにからかったり
バカにしたりしないのをわかっている、ある種 確信犯的なおねがい、だ。
…それってどうなんだろう?仲間、の一言で片づけられる行為なんだろうか?
いつものクセで、深く追求しようとはしないけれど。
そういう「おねがい」を、ゼシカがオレ以外の仲間にしているのを実は見たことがない。
遭遇したことがないだけかもしれないが、多分そうではないと思ってる。
ゼシカには「オレにしか言えないおねがい」がある。
それがどういう意味をもつのかはともかくとして、オレは、その事実が単純に嬉しい。
彼女の願いを叶えてあげるのは当然のことだし、それによって喜んでくれるのもうれしい。
笑ってくれるのが嬉しいし、ありがとうと言ってくれるのも嬉しい。
―――あぁ、そうだ。思いついた。
「なぁゼシカ、今何かオレにしてほしいことある?」
「何いきなり?急に言われてもそんなの…ってまさかそれがお返しって言うんじゃないでしょうね」
怪訝な目つきにオレは う、と声を詰まらせる。ゼシカは短く息を吐き、
「あのねぇ…どうせ何も用意してなかったから今思いつきで言ってるんでしょ?
別にいいってば、気にしないで。ほら戻りましょ」
そう言って歩き出そうとしたのを内心慌てて引き留め、
「違うって前から考えてたんだよ」
「何が」
「今日いちにちゼシカのおねがいもわがままも、なんでも聞いてやろうって」
我ながら信憑性のない話だなと思いながらも、なるべく本当に見えるような余裕のある笑顔で言ってみる。
…と。
なぜかこの一言に、ゼシカがオレの顔をじっと見上げたまま動きを止めた。
驚いているようにも見える、大きな瞳。別に呆れてるんでも疑ってるんでもなさそうだ。
どちらかといえば無表情に近い。
なんだなんだと思いながらも、張り付けた笑みを絶やさないままその視線を受け止めた。
やがてゆっくりとゼシカの口が開く。
「…………ほんと?」
「ほんとだよ」
できる限りの紳士オーラを発揮してそう答えると、ゼシカは何かを考えるように俯いた。
大通りの道端でオレに手を取られながら、しばらくそのまま立ち尽くす。
―――今のオレらって、はたから見たら恋人同士に見えるのかね。
宿の部屋とる時なんか、最近とみにそう見られることが増えた気がするけど。
まぁ年頃の美男美女が一緒にいたら、そう思うのが普通だよな。兄妹…にはさすがに見えないだろうし。
やがてゼシカがパッと顔を上げ、そこにあった表情にオレは思いがけず激しくときめいた。
頬をピンクに染め、下がり気味の眉に、少し恥ずかしそうな、はにかんだ笑み。
日頃、滅多にお目にかかれないゼシカの表情。でもオレはこれに「似た」表情を何度か向けられたことがある。
「…ねぇ、じゃあ、ひとつだけ、おねがいがあるんだけど…」
「なんなりと、お嬢様」
「あの、ね…」
もじもじと、躊躇して。
あぁ、やっぱりこの顔だ。オレはゼシカの言葉を待ちながら、本当は彼女が何を
「おねがい」しようとしているのか、頭のどこかでわかっていた。
「……今日いちにち――――サーベルト兄さんの代わりに…なってほしいの」
やっぱり、な。
さっきの表情は、彼女がオレに「甘えて」くる時のそれに少し似ているんだ。
優しく微笑み「かしこまりました」と礼をすると、嬉しそうに笑って見上げてくるキラキラの瞳。
オレは、心の中でため息をついた…
*
「ねぇ見て!スライムのぬいぐるみ!」
「へぇ、珍しいな」
その日オレ達は、街中を手を繋いで歩いた。
手を繋ぐのをリクエストしてきたのはゼシカの方だった。それも例のはにかんだ笑みで、
恥ずかしそうに申し訳なさそうに、でもオレが断らないのを知っている可愛い狡さで。
「買ってやろうか?」
「えっ、い、いいよ」
「いいって別に。ゼシカ実はスライム好きだろ?かわいいもんな」
「別に好きとかそういうんじゃないわよっ、ただなんかこう、モンスターっぽくないから…」
「かわいいんだろ?ほら」
ゼシカがムキになっている隙に素早く支払いを済ませて、彼女の手にぬいぐるみを乗せてやる。
しばらくブツブツと何か言っていたが、すぐに嬉しそうに笑って繋いだ手に力をこめてきた。
「ありがと、ククール」
オレは最大限に穏やかな笑みを浮かべて、それに答える。
ささやかな買い物をして食事をして、街の外に出る。適当な草原に入り、日差しを避けるために
木の幹に座って、他愛ない会話を楽しむ。街で買ったクッキーを広げて、持参したお茶を飲む。
澄み渡る青空。文句のつけようのない晴天だった。
「――気持ちいいね…」
呟いたゼシカの声音に、
「眠い?」
「ちょっとだけ…」
ゼシカは口元に笑みを浮かべたまま目を閉じている。
オレはその手からカップを取ってわきに置くと、上着を脱いで地面に広げた。
「寝ていいよ。オレはここにいるから」
ゼシカはパチリと目を開けて、オレの顔と地面とを交互に眺める。そしてまた「あの」表情で、頬を染めた。
「うん…」
「…どうした?」
「ねぇ、あのね、イヤだったらいいんだけど」
それを聞く直前に、オレはまたもやゼシカの「おねがい」がなんであるか直感で悟ってしまった。
「……ひざ まくら、…してくれない?…兄さんにね、してもらうと、すっごく…安心したの…」
数分後、膝に頭を乗せ穏やかに眠る幼女のようなゼシカを眺め、オレは天を仰ぎ、
会ったこともない“サーベルト兄さん”に思いを馳せる。
――――――アンタ少々甘やかしすぎたんじゃないですかねぇ、サーベルトさん…
*
ふぅ、と、部屋に入るなりため息をつく。
ついさっきゼシカと別れてきた。彼女は最後まで、あの抱きしめたくなるような笑みをオレに向けていた。
……………………疲れた……。
普段の戦闘に明け暮れる日々に比べればずっとまどろんでいたような平和な一日だったというのに、
主に精神面でげっそり疲れている自分を自覚した。
……そりゃ疲れもするさ。
どうやら惚れてるらしい女にずっとあんな魅力的な表情を向けられながら
「紳士」の仮面をかぶり続けるというのは、常に己の精神力を試されているようなもんだ。
それも文字通り上っ面の仮面では足りない。左右上下右斜め上、内から見ても外から見ても、
どこにも絶対にボロが出ないほどの 完 璧 な る 紳士の仮面。
…まぁ言うまでもなくこの場合、オレは紳士というよりは「兄」でなくてはならなかったわけだが。
己を偽るのは得意だ。それでも今回はキツかった。何しろ惚れてる女を目前にして
「オレはこいつに惚れてない」と思い込むなんて馬鹿げたこと、当然したことないんだから。
それでも彼女の「おねがい」は引き受けるしかなかった。彼女の中のオレの位置を貶めないために。
少なくとも「仲間」という立場を保ち、これからも彼女のそばに居続けるために。
自己暗示をかけ、沸き立つ心を無視し、「兄」であるなら抱えるはずのない欲望を押し殺し続けた一日。
正直こんなことはもうごめんだと思った。こんなことがこれから先何回もあったら、オレは絶対おかしくなる。
欲情するなと言われるならまだマシだ。
だけど男として好きになってはいけないと言われるのは、心の底からキツイ。
……でも多分、オレはそう望まれている。それも、ゼシカ本人に。こうもはっきり示されてしまうと、
もう見ないフリはできない。ゼシカがオレに求めているもの。彼女自身はきっとまだ完全に
把握できていないのかもしれない、今日一日無邪気に、残酷に、オレに向けられ続けた親愛。
オレは今までの幸薄い人生の中でも味わったことのない苦しさに戸惑う。
どうすればいいのか全くわからない。見当もつかない。
とりあえずシャワー浴びて寝ちまおうと、いつも通り深く考えない姿勢を貫くことにした。
そろそろ日付も変わろうかという時刻に、この日最後のファイナル・インパクトはやってきた。
控え目なノックの音にザアッとイヤな予感がよぎり、またも直感が来訪者の正体をオレに知らせる。
「――――誰だ?」
「……………。……わたし……」
予想通りの声に、オレはガクリと肩を落とした。今日はもうそっとしといてくれないかな。
でももちろん身体は即座に動き、夜気でゼシカの身体が冷えないように急いで扉を開けている。
「どうした?」
そこにはまだ少し濡れている髪の毛を肩におろし、白いストンとしたノースリーブのルームワンピース
(彼女の寝る時の服だ)を着たゼシカが、枕を抱いて所在なさげにオレを見上げていた。
胸がドクンと鳴る。それは危うい彼女の姿と、経験上のイヤな予感によって。
「…ごめんなさいこんな時間に」
「いいよ起きてたし」
「…」
そのまま枕を抱いて黙り込んでしまった彼女に、心の奥で大きな大きなため息がもれる。
あぁ…どうしたって逃れようがないか。
「………冷えるぞ、入るか?」
一応聞いてみる。ゼシカは見た限りほとんど悩むことなく、オレの部屋に入ってきた。
風呂からあがったばかりの男と女が、お互い無防備な夜着で深夜の部屋に2人きり。
オレはこのシチュエーションを絶対に意識しないように努める。
考えたら終わりだ、絶対平静でなんかいられない。今から起こりうる展開を考えれば、
オレは昼間とは比べ物にならないほどの理性を総動員しなければならないはずだから。
―――そしてゼシカは、今オレの腕の中にいる。
案の定ゼシカの最後の「おねがい」は、抱きしめて一緒に寝て、という耳を疑うようなものだった。
本気で言ってるのか?そう、本気で言ってるんだよこのお嬢さんは。
あぁもう信じらんねぇ信じらんねぇよチクショー。オレの腕に抱かれたいと願う女は山ほどいたが、
本当に「それだけ」を願ってくる女なんて聞いたことねぇよ。一体どういう風に育てれば
こんなアホすれすれの天然純粋培養に育つんだよ!サーベルトさんよぉ!!
彼女の華奢な身体に回した腕はガチガチだ。恋人の真似ごとなら、柔らかく優しく且ついやらしく
身体を抱き込んで、やりすぎない程度に愛撫することなんて簡単なのに。
ゼシカはオレの胸元に顔をうずめて小さく小さく丸まっている。
わからないけど、なんとなく眠っていない感じがする。でもそれを確かめる気はまったくない。
一緒に寝ていい?と小首を傾げられ、オレが引きつる笑顔でスローモーションのように頷くと、
ゼシカは華のように喜んでもそもそとベッドに潜り込んだ。承諾したからには当然オレも
その横に入らなければならないわけで…。
ふとんをめくった時も、ゼシカの身体に触れないように身体を滑り込ませた時も、ゼシカのご要望で
彼女の身体を抱きしめた(!)時も、どれだけ下半身が末期的な反応をしないように
脳内を真っ白にして無心でいようと努力したか。
そしてもちろんその努力は今も依然と続いている。ガチガチに力のこもった腕もその証だ。
今少しでも気を緩めれば、どエライことになりかねない。これだけ拷問のような責め苦に耐えてきて、
最後の最後にもっともやっちゃいけない事態に陥ってしまっては元も子もない。
だから、わざわざ起きてるか、などと声をかけることは決してしない。
無駄なアクションによって思いもかけず努力が水の泡になるのは勘弁だ。
起きてようが寝てようが、もうこのまま1秒でも早く朝を迎えたかった。
「――――――……ククール…」
はじめ、寝言かと思ったくらいの小さな声のあと、ゼシカが腕の中でわずかに身じろぎした。
「…ごめんね…」
一瞬寝ているフリをしようかとも思ったが、どうにも切実な声に自然に返事をしてしまう。
「……なにが?」
お互いに囁くようなやり取り。視線にはゼシカの後頭部と剥き出しの白い肩。
「………ククールに、兄さんの代わりになってほしいなんて、わたし…」
消えるような語尾のあと、小さく息を吸い込む。
「…失礼なことだって、わかってたの…でも、
……でも、ククールが、本当に上手に、兄さんのふりを、してくれたから。
―――――私の望むとおりに、してくれたから」
肩が震えている。寒いのか。それとも…
「――だから、私、どうしようもなくて…っ。甘え、たくて…」
「ゼシカ…いいよ、オレは。…いいんだ」
「だから…っ、ご、ごめ、ん、ね…っ、あり、がとう…」
止められなくなった嗚咽ごと、オレはゼシカを抱きしめる腕に力をこめた。
胸が痛くて、この痛みが自分のものじゃなく今のゼシカの気持ちなのだとなぜかわかる。
他人の涙にこんなに心が締め付けられる自分なんて、知らなかった。
ゼシカはちゃんと気づいていたんだな、オレが「わざと」そうしていたことを。
サーベルトならどうするか、なんて言うか、どうするのがゼシカの最も望むことなのか。
そのいちいちを考え、答えを違わず当て、ククールという人格を捨てサーベルトとしてゼシカに接し、
「一日サーベルト兄さんの代わりをしてほしい」という願い以上の願いを叶えてきたことを。
―――気にしないでいいんだ、そんなのは。
お前の喜ぶ顔が見たくて勝手にやっただけなんだから。それでますますお前がオレに
サーベルトの面影を重ねることになっても、自業自得なんだ。報われないのは慣れてるさ。
自虐的な気持でもなく、今は本当にそう思った。この程度の苦悩一つでゼシカの
埋めようのない寂しさが少しでも癒されるのなら、本気でなんの後悔も感じない。
ゼシカは時々鼻をすすりながら、ポツリぽつりとサーベルトのことを話した。
毎年ゼシカが渡す特大のチョコに対する彼のお返しは決まっていた。
“今日いちにちゼシカのおねがいもわがままも、なんでも聞いてやるよ”それが決まり文句だった。
オレがほとんど思いつきで口にしたのと、全く同じ内容。それでゼシカはオレに対する
「おねがい」を思いついたのだという。多分、毎年のことだからそれが一番ラクだったんだろうし、
何よりゼシカも物をもらうより、その方がよっぽど嬉しかった。
そして毎年大きな街まで出て、手を繋いで店を見て歩き、ちょっとした欲しいものをねだり、
いつもより豪勢な店で食事をした。ピクニック気分で外に出て、心ゆくまで話をして、
帰る時間になるまで彼のひざまくらで眠り、夜になるとこんな風に抱きしめてくれた。
「…なんて、最後のだけは、もっと小さい時の話なんだけどね」
腕の中でゼシカは小さく笑う。
オレは正直なところほっと安堵のため息をつき、同時に、じゃあなんでオレは今
こんなメに合ってるんだ、などと考えてしまう。
だけどサーベルトの思い出を語るうちに、ゼシカは少しずつ落ち着いてきたようだった。
「――――本当に、ありがとう、ククール。兄さんとククールって、身長とか、声とか、
あと年も…なんとなく似てるの。中身は全然似てないんだけど、でも、すごく安心するの…」
「……そっか」
こっそり苦笑いを浮かべる。
「ククールのこと、ちょっとだけ、兄さんみたいに思ってたのかも…」
もうそれでもかまわないと、本心でそう思いはじめていた。
しかしゼシカの次の言葉は、諦めの境地に達していたオレの心を唐突に揺らした。
「でもやっぱりそんなのいやだって、今日思ったわ」
「―――――――……………………なにが?」
呆けたような声が漏れる。今なんとなく喜ばしい言葉を聞いたような気がするが、確信がない。
「ククールが兄さんになるなんて、いや」
「…………………………なんで?」
「だってそれって、今のククールがいなくなってしまうようなものだもの。
サーベルト兄さんは兄さんとしてちゃんと私の心の中にいるし、ククールはククールとして、
こうしてちゃんと私のそばにいてほしいの。2人とも私にとって大切な存在で、2人とも大好きだから…」
オレは返す言葉が見つからなかった。
―――なんだって?
今のセリフは、えぇと、…えぇと、額面通りに受け取っていいのか?
「今日、“兄さんみたいな”ククールと一緒にいて、嬉しいのに、どこか寂しかったの…
いつもみたいに、ケーハクで、へらへらして、いつも私のこと守ってくれる女たらしのククールが、
すごく恋しかった…。…やっぱりいやだよ…ククールが、兄さんなんて…」
「…ゼシカ?」
「……ね、あしたも、わたしの…きし、でいてね…」
すーすーと聞こえてくる寝息。
オレの脳内は努力するまでもなく真っ白になった。
……え~と……
…
…
……
…………
―――――とりあえず、いつものように深く考えないことにする。
鼓動が速く、そもそも惚れた女を抱きしめたまま眠ることなんて多分無理な気はするが、
このままがんばって、何事もなく朝を迎えようと思う。
とりあえず明日の朝いちばんに訊いてみよう。
「オレのこと好き?」って。
最終更新:2009年04月02日 14:42