※傷つけた・前編※





           ***

マルチェロの策略によって煉獄島に投獄され、そこからようやく脱出できた時、世界は一変していた。
いや…半ば予想通りだったのか。
新法王就任式までは、なんとか数日の猶予があった。
一か月間も劣悪な環境に耐え、みな弱り体力が著しく低下していた。
こんな状態で乗り込んでいっても結果は見えている。
話し合いの末、ギリギリまで体力を回復し、万全の状態で戦いに挑もうということになった。

ここ数日のククールは、誰も話しかけられないほど荒れていた。
体力回復など待たなくても今すぐ戦える、悠長なこと言ってないで早くアイツを倒すんだ、と。
ククールは一刻も早く、この世でただ一人の肉親の暴挙を止めたかった。
だけどやはり現実的にそれは無茶な話で、結局、彼の意見は受け入れられず。

―――ドニ。
ククールはこのところ毎晩、酒場で飲んでいる。馴染みの顔に囲まれて、わざと、完全に悪酔いしている。
仲間たちはそれを知りつつ口出しはできずにいたが、ある日、今日もドニに向かおうとするククールに、
見かねたゼシカがついに声をかけた。「私も連れて行って」と。
その頃、ククールとゼシカは何度か体を重ねている、恋人同士といってもいい関係になっていた。

飲み始めの頃はククールを諌めながら酒の量を制御させていたが、元々機嫌が最悪な彼とは
当たり前のように何度も口論になり、酔いも手伝ってまともな会話はできなかった。
それでもゼシカは決してキレず、なんとか最後までククールを見守る気でいたが、
ククールに「酒がマズくなるから帰れよ」と言われた瞬間、何かをあきらめてしまった。
まだ宵の口にもなっていなかったのに、ゼシカは席を立ち、一度宿に戻る。
それでもキメラの翼で仲間たちの元に帰る気持ちはなかった。
それから何時間か経って、深夜になる前に、燃やしてでも宿に連れ帰る気で彼を迎えに行ったが。
――ゼシカは結局、また一人で帰ってきた。

大きな息をつきながら扉を閉め、ベッドに倒れるようにうつ伏せる。
頭の中はぐちゃぐちゃで、どうしたらいいのか答えの出ないまま、逃避するように瞼が降りる。





次にゼシカが目を開けたのは、身体をまさぐる不埒な手の感触に気づいたからだった。
ぎょっとして身を起こそうとすると、身体を仰向けにされ、手首をシーツに押しつけられる。
「……ククール」
うわずった声には驚きと戸惑いが入り混じり、そして咎める視線。
ククールは見下ろし、すぐにかまわず彼女の服に手をかけた。
「ちょっと…!やめて」
ゼシカはその手を強く払いのけた。見下ろしてくる目は正気とは言い難い。…かなり、酔っている。
「やめなさいよ…酔ってるくせに」
「酔ってねぇ」
「ウソつかないで。酔っ払いとこんなことする気、ないわ」
抵抗しようと思えばどうにでもしようがある。殴ってもいいし蹴り上げてもいいし、いざとなれば魔法だ。
だけどその前に、ゼシカは言葉でククールを説得にかかった。
「…ククール。こんなことでごまかさないで、ちゃんと話しましょう」
「……」
「したいなら…あとで、………する、から。今は」
「うるさい」
ククールの瞳に瞬間的な怒りがよぎったのを感じたと同時に、口唇を口唇でふさがれた。
無遠慮にゼシカの服の中に侵入してきた大きな手の平に、素肌を撫でられてゾクリと鳥肌が立つ。
「…んう…ッ―――ッイヤ!なんなのよいきなり…ッ」
今度こそ暴れる。このまま力づくで事に及ぶつもりなのだ。
今までのククールは、ゼシカが本気で抵抗の意思を見せたら、それ以上は決して強要しなかった。
酔っているからなのか、それとも他に理由があるのか。今のククールはゼシカの抵抗などおかまいなしだ。
攻防は、ほんの数分で片が付いてしまう。
片手でまとめた両手首を渾身の力で握られ、太ももを挟むように上からのしかかれば、
上半身も下半身も、ゼシカにはどうもがいてもその拘束から逃れることはできなかった。
本気を出されたら、こんなにも抵抗できなくなるのかと、あまりの力の差にゼシカは愕然とする。
ギリギリと手首にかけられる力が痛い。ゼシカが痛がっているのをわかっているはずなのに、
ククールはそれを緩めようとはしない。
「…つ…っ…ククール、やめて」
「抱かせろよ」
「いや」
「じゃあ、犯す」
信じられない一言にゼシカは目を見張る。
ククールは空いている片手で上着をずり上げ、ブラジャーの上から胸を乱暴に揉んだ。
「やめてよバカッ!!や―――んぅうっ…!」
キスで叫びを封じられる。抱かれるのではなく、犯される。考えただけで身の毛がよだつ。
ゼシカは心の中で絶望に近い嘆きを叫んだ。




でも、ともう一人の自分が冷静に、乱暴をするククールを見つめている。
でも、彼はきっと本当はこんなことがしたいんじゃない。
それがわかるから、苦しい。押し隠された彼の本心を考えるだけで、切ない。
―――誰だって、弱いから。
どうしようもない時だってある。
こんな方法でしか思いを発散させられない時だって。
怒りや苛立ちや悲しみを、誰かにぶつけなければ壊れてしまう時だって、あるのだ。
ただの逃避でしかないとしても、その相手に私を選んでくれただけでもいい、と自分に言い聞かせる。
ククールのそれを受け止めてあげるのが私の役目なら。理解してあげるのが私の役目なら。
そう。仕方ない…そんな風に、彼を…赦す。受け入れる。

ゼシカは抗うのをやめた。全身から力を抜き、されるがままに白い素肌を晒した。
ゼシカの変化を感じ取り、ククールは声を抑えるためだけの口付けをやめ、
口唇をそのまま耳元へ、首筋へ、鎖骨へ、胸へと、すべらせていった。
歯型とキスマークを何度も付けられ、ゼシカは神経質な痛みに眉をひそめる。
いつもだったらこんな場所に痕はつけない。ゼシカが本気で怒るのを知っているからだ。
つまりククールも、ゼシカが彼を「許容」したのをわかっているのだ。
「…ククール…」
ゼシカは彼の頭を愛しむように抱いた。
もう完全に、ゼシカはククールにその身の全てを捧げる気持ちになっていた。

―――ふいに鼻孔をつく匂いに、まどろみかけたゼシカの意識がピクリと反応する。
不快な、どうしても気になってしまう、その匂い。
お酒の匂いよりもよっぽど強烈にゼシカの嗅覚を刺激する。
気にしないフリをしようと思った。気付かないフリをできればよかった。
けれど、視線の先には、シャツからはだけた彼の胸元が見えて…

「―――イヤ」
最初とはうってかわって従順にククールの愛撫を受けていたゼシカが、唐突に体を捻った。
ククールは気にもせず、再び強引に先を進めようとするが、ゼシカは再び抵抗した。
「イヤ…やっぱり…いや」
「…なんだよ、今更」
「……シャワーくらい浴びてきて」
「うるせぇな」
黙らせるためだけに、ククールの指先がスカートをまくり上げゼシカの下着に手をかける。
咄嗟に、ゼシカの平手がククールの頬に飛んだ。
逸らされた顔をゆっくりと正面に向けたククールの冷徹な視線に、ゼシカは恐怖を感じた。
…今のククールは、ただの「男」でしかなかった。愛情よりも、欲望だけを優先する。
目の前にいる女を、思いのままにすることしか考えていなかった。



「ちょっ――イヤ…!!!!」
抵抗など簡単にいなして、下着の上から割れ目を深くなぞる。
「なんだよバカみたいにイヤイヤって、ハジメテでもねぇくせに」
わざと羞恥を煽ると、案の定ゼシカは顔を真っ赤にして声を詰まらせた。
触れたゼシカのそこは、湿り気がある程度で、まだ濡れているというほどではない。
しかしククールは耳元で低く笑いながら、揶揄する。
「…もう濡れてるぜ?もしかして抱かれるより犯される方が、お前、好み?」

―――――――!!!!!!!

いきなり頬をかすめた鋭い刃の正体が氷だとわかり、さすがにククールは押し黙った。
ゼシカが瞳に涙をあふれさせ、それをこらえながら睨み上げてくる。
その表情は、それはそれで色っぽかった。

酔いはまだちっとも覚めていない。なんだか、ヤケになっている。何もかもがバカらしい。
めんどくさいめんどくさい。全部全部バカみたいだ。くそ、くそ、くそ…
ゼシカ、お前もオレを認めないのか?お前すらオレを受け入れてくれないのか?
オレのこと好きなんだろ?ならヤらせろよ。アイツのこと忘れさせてくれよ。
そんな言葉が渦を巻いて、意味を伴わずククールの脳内を飛び回る。
体の下でまるで処女のように震えている女の、見上げてくる視線が無性に癪に障った。

ククールは薄ら笑う。それにゼシカは無意識に怯える。
「………………そんなに、嫌かよ。オレとヤるのは」
「……アンタがイヤなんじゃ…ない」
「そうか?お前が嫌がらなかったことなんか、今まで一度もねぇだろ」
「それは…」
単なる照れ隠しだ。ククールだってそれはわかっているはず。
ゼシカが何も言えないでいると、ククールが はっ、と鼻で笑った。
「…そうだよな、お前オレしか男知らねぇもんな。だからわかんねぇんだよ、オレの良さが」
「………なによ、それ」
「オレはよくわかるぜ?他の女と比べてお前とのセックスがどれだけ相性いいのか。
どれだけ度を超えてキモチイイのかがな」
ゼシカがカッと全身を染めた。
それに気を良くしたククールが、ニヤリと笑う。
「――――お前も、一回オレ以外の男と寝てみたら? 
そしたらわかるだろ、オレとのセックスの良さが」



そう言ってから、ククールはハッとした。
ゼシカの表情を見て、気付く。
――――――言ってはいけないことを言ったと。
ゼシカは蒼白な、しかし無表情で、ククールをじっと見上げていた。
ククールは視線を逸らし、小さく舌打ちした。何も言い訳が浮かばない。
最悪だ。腹が立つ、ゼシカに?違う、自分にだ。
何か言えよ。そしたら言い返してやるから。気まずい空気の中に、ゼシカのかすれた声が聞こえた。
「……。…………本気で言ってるの?」
その声が想像よりもあまりに感情がなくて、彼女の真意がわからずククールは声を詰まらせる。
視線を合わせるのすら怖くて彼女にまたがったまま黙っていると、
ゼシカが無言でククールの体を押しのけて起き上がり、静かにベッドを降りた。
服装の乱れを直すその後ろ姿に、ククールは触れることも、声をかけることもできないでいた。
このままでいれば、ゼシカが離れていくことはわかっているのに、
体が石のように固まって動かない。のどが張り付いて声が出ない。
立ちつくしたゼシカの後ろ姿はいつものようにしゃんと伸びて、
後ろの人物に確固たる離別を決意しているように感じられた。
その華奢な背中が、今にも「さよなら」と告げそうな幻想に襲われて、ククールは背筋を凍らせる。
咄嗟にベッドを飛び降りその腕を力任せに掴み、振り向かせた。
「―――――あのなぁ!!本気なわけ…っ」
しかし掴んだ途端それを力の限りに振り離され、ククールは弁解すら最後まで言えなかった。
あらゆる負の感情がないまぜになり、カッと頭に血が昇りまともな判断ができなくなる。
ククールは自分が何をしたかったのかを忘れ、衝動的に彼女を壁に押し付け、強引に口唇をふさいだ。
「―――ッッ!!!」
ゼシカは貪られるような口付けを屈辱にすら感じ、悔しさを必死で耐えた。
堪え切れずあふれた涙をボロボロこぼしながらでは、抗う指に力は入らない。
そう、それは悔し涙だった。
薄目を開けて、ぼやける視界の中で2人の目が合った時、ゼシカは全てを拒絶した。
ガリ、と嫌な音が脳内に響く。2人の口の中で血の味がする。
ゆるんだ拘束と同時にゼシカはククールを思い切り突き飛ばし、部屋を飛び出した。




かなりの間、言葉も出ず呆然としていた。
しかし自分の両手を見つめ、失ったぬくもりを実感するにつれ、残された自分のみじめさに気付く。
「―――――クソ…ッッ!!!ああぁあッッ!!!クソ…!!!」
床を踏み鳴らして、ククールは吼えた。何度も何度も叫んで、このやり場のない苛立ちを発散させようと。
だけどどうにもならない。
何も変わらない。アイツは帰ってこない。
……あんな風に泣かせるつもりはなかった。
怒鳴って、殴って、燃やしてくれたならどんなにラクだったろう。
怒りながら泣かれたなら、こんなに胸がつぶれるような思いはしなかった。
―――キスしているのに。
それなのになぜ、あんな目をするんだよ。あんな…諦めきった…絶望したような目を。
酔っ払いの相手なんか適当にしてくれればよかったんだ。大人しく抱かれてくれれば、オレだってこんな…
「…………クソ…………」
ククールは顔を覆ってベッドに座り込んだ。
酔いなのか、なんなのか、思考がぐちゃぐちゃで吐きそうだ。後悔で、吐きそうだ…

追いかけなくてはならないとわかっている。だけど怖い。今のオレに何を言う権利があるだろう?
もしかしてこれで「終わり」なんじゃないのか。
少なくともアイツの中で、オレとの関係はあの瞬間に終わったんじゃないのか?
あんな目をしていた。傷つけたんだ。ひどく傷つけた…
自分が傷ついていたから、一番大事な奴をそれ以上に傷つけて、同じ場所に堕としたかったんだ。
―――最悪だ。

               ***










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最終更新:2010年05月10日 11:48
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